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・・・🌸  春です、花です  🌺・・・

天上天下唯我独尊

2022年04月29日 | 日記

「天上天下唯我独尊」お釈迦様の言葉です。

いろいろな解釈がありますが、  

「自分と同じ人間は一人としていない、かけがえのない自分を大事にしましょう」

誰もが自己肯定感を持って生きていけたらという答えでしょうか。

 今日も横浜は雨が降っています。

休日と天候のミスマッチが続き2週間、山へ行けてません。

今日は心のつぶやきをあれこれ・・・・

紫陽花、結婚祝いでいただいた蹲(つくばい)で育てています

我が家の🌸(右)と梅(左)です。

梅は挿し木で育てましたが、桜は鳥が?運んできました。

(お互いにせっているのはある意味自然なことです)

花も終わりこの状況、手入れが必要です。

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」

❶桜は枝を切るとそこから腐りやすくなるので切らないほうがよく、

❷梅は枝を切らないとむだな枝がついてしまうので切ったほうがよいとされることから。

また、桜の枝は切らずに折るほうがよく、

 梅の枝は折らずに切るほうがよいことからともいわれるが、桜は折ることもよくない。

今年はどうするか?

 お互いに迷惑そうにしている部分はあるので・・・・・。

今日の昼食は、崎陽軒の季節弁当「夏」をいただきました。

**

>>> 空海その13

若き空海が眺めたであろう善通寺市『満濃池』

・・19歳になる妙な青年だったにちがいない。

頭髪はよもぎのようで、乞食のなりをしている。

背中に椅子を背負っているのは「兜率天」へ行く旅姿だ。

兜率天(とそつてん)は、仏教の世界観における天界の一つ。

彼が大学を飛び出し「三教指帰」を著してから入唐までの七年間ほどが空白に近い。

七年間とは「仮名乞児(かなこじ)」の頃である。

 空海は大学に入った時から奈良の大安寺(官寺)に学んだ。

大安寺は唐の西明寺を範とし、祇園精舎を日本に移したといわれた寺

インド的思考法に魅かれている空海にとって、大安寺の境内に足を踏み入れる

 こと事態が、きらびやかな象徴に満ちたインド世界に入り込むことであった。

長安に留学した僧や弟子たち、インド・唐で生活した人が多く住んでおり

 長安・インドの縮景のような観を呈していた。


(河津)城山~片瀬山

2022年04月20日 | 静岡県の山

4月17~18日伊豆今井浜東急ホテルへ(おばあちゃんと遠足)

温泉と”非日常の料理”を堪能した。

夕食MENU

       

   

翌日もビュッフェでこの食欲(もちろん自分だけですが)

曇り空で降水確率は20%予報だが、小雨覚悟で

(河津)城山:181mと片瀬山:166mを歩いてきた。

8:25 ホテル発、伊豆急河津駅へ向かう

伊豆の踊子、ワクチン接種できないのでマスクで自衛?

今日のコース:河津駅~城山~片瀬山~今井浜海岸

アジュガ:西洋十二単

シラー

ヤマブキ

8:40 「河津城遺跡公園」ハイキングコース入口 

”らしい”民家の脇を行きます

#$%&’)?

最後の民家脇を歩いて山中へ

木段もあります

子抱き地蔵仏:お賽銭を上げたらニコッとしたような?

ホウチャクソウ

竹林の開けた場所に

竹林を回り込んで東屋に

右が片瀬山、今井浜海岸

ヤブレガサとウラシマソウ

カンアオイ

城山:ほとんどが中世の山城に由来しており、歴史的な経緯から名付けられた。

現在は城跡として整備されているものが多く、石塔・土塁など往時を

しのばせる「跡」を見るものが多い。

日本山名辞典には同名の山のランキングが記載されている。

1)城山 298 2)丸山 187 3)愛宕山 121 4)権現山 5)大平山 が89と続く。

   ちなみに河津城山は記載されていない。

天城山は雲のなか

俵を蓄えた米庫の模型:北条早雲に麓から火攻めにあい、水がないので

 兵糧米で火を消そうとしたが消し止められず落城したという。

その故事?にちなんでこの企画となった。冷静に考えるといろいろ疑問もわきますが?

9:15 城山山頂

大日如来?らしき石像も

河津城跡の薀蓄が・・・・・

足利氏の血を引く蔭山勘解由によって築かれた・・・

タケノコ

スミレは二輪見つけました

9:30 下山、今井浜への分岐を行くと立派なお地蔵様が

9:30 片瀬山分岐、寄ってみました

ナツトウダイ(昨年高松山で見ました)

9:45 片瀬山:166m

分岐に戻って今井浜へ降り、

アシタバ

10:00 ホテル着

極楽鳥草:芭蕉科 ストレリチア(人の名前)

南アフリカ原産、花茎の先端に鳥のくちばし状のオレンジ色の愕がある。

これがユニークで目立つ。

極楽鳥は風鳥という鳥の別名で、金色の美しい飾り羽を尾の部分にもつ。

この鳥に似ているからことから命名された。

>>>空海 その12

・・・空海は大学の学生(がくしょう)であることを捨てる 

退学して山林に姿をくらます前後のこの若者に出会いたいと思うが想像するに』

丸顔で中肉、肩の肉が厚く、重心が下がっているために両足がガニ股にて

 清らかな貴公子という印象からおよそ遠く、それどころか全体に脂っ気が粘っこく

異常な生気を感じさせる若者ではなかったかと思われる。

性欲は空海にもある、人一倍それが強かったに違いなく、

 その衝動に堪えかねてあえぐような日もあっただろう。

空海が18歳の時最初の著作「三教指帰=さんごうしいき」を書いた。

その中に色情にちなむ叙述が多い。

たとえば海潮のように自分の肉体に満ちてくる性欲に驚き、

 それを認めざるをえなかったであろう。(中略)

・・(儒教ではなく)仏道のほうに大傾斜した・・


宝篋山(ほうきょうさん)

2022年04月13日 | その他の山

4月12日茨城県土浦市へ遠征、宝篋山を歩いてきました。

宝篋山を知ったのは、筑波山へ上った際地元の人に「あれが宝篋山」と教えてもらった縁です。

根岸線~宇都宮ライン~常磐線で土浦駅へ約2時間の移動。

9:25 筑波山口行きの関東🚌で「宝篋山入口」BS 10:05着 

晴れ、気温は夏日の予報(中央の電波塔が山頂)

10:10 沢沿いの道「常願寺コース」を行きます

ハルジオン

クサボケ

田圃の畦道を歩いています

迷うことはないようです

ムラサキサギゴケ:ゴマノハグサ科(小さい花が多い)

ヤマネコノメソウ

沢の小道を行きます。

宝命の滝・くすしろの滝わずかな落差の流れを命名していますが気が付かなかった?

天狗岩、沢沿いの道低山とは思えない雰囲気です

雅滝:落差2m?

ユリワサビ

イチゴ

11:10 尖浅間山(とがりせんげんさん)315m

キランソウ:シソ科   

      

スミレの皆さん            キジムシロ

ヤマツツジが一輪

ムラサキケマン

12:00・12:15 宝篋印塔

宝篋印塔とは「宝篋印陀羅尼」(呪文)を内に収めた供養塔をいう。

鎌倉中期以降各地に造立された。 

塔形は方形の階段状の基壇・方形の塔身・笠・屋頂に相輪を載せ、塔身の四面に古くは梵字を刻んだ。

宝篋山の山頂には山の名前の由来となった高さ約2.5mの宝篋印塔が建っており、

 鎌倉時代中期に建てられたと言われている。

内部には、このお経を納めれば、天災を免れたり、来世で苦しんでいる先祖を

 極楽に導くことができたり、現世で苦しんでいる人々を救うことができる等、

八つの功徳があると言われています。     【豆知識より抜粋】

筑波山を正面に昼食     

12:15 宝篋山:461m、撮ってもらいました

「宝篋城跡」を散策し、極楽寺コースを降りました

ジュウニヒトエ:シソ科

ウラシマソウ:サトイモ科テンナンショウ属

「コブシの路」わずかに花が残っていました

パンパンに乾いて少し歩きづらい道 

早くもチゴユリが咲いてました

何・・・・・・・だ 

ホウチャクソウ?と

道は沢沿いへ

ニリンソウがいっぱい咲いてました 

杉林に「風花」が舞ってます

シャガ

里に下りてきました 

最後の宝篋山   

写真のない花たち   

オオイヌノフグリ、タンポポ、シキミ、シダ類、ホウチャクソウ、ナズナ、タネツケバナ

  行程:標高差440m、7km、約3時間

  9:25 JR常磐線土浦駅 =10:05 宝篋山BS ⇒10:10 小田休憩所・(常願寺コース)

   ⇒沢沿いの道)11:10 尖浅間山:315m ⇒12:00 宝篋山:461m 

   ⇒12:15 (極楽寺コース) ⇒13:30 小田休憩所 ⇒13:44 宝篋山入口BS

**

>>>空海 その11

・・・15歳の空海は讃岐の国を出てゆく

これ以降、定住のかたちとしては、故郷に帰ることがなかった。

空海が都に上ったのは延暦7年、帝は「桓武」。

空海が畿内の地を踏んだ頃は「奈良」と通称されすでにさびれはじめていた平城京。

桓武は延暦3年、突如奈良から山城国長岡への遷都を宣言する。

新都といっても荒蕪の丘陵地に過ぎず、

 「この地を開いて帝都たるべき新都市を建設せよ」と命じた。

奈良ではどれほどすごしたであろう?おそらく早々に発ち長岡に向かったはずだ。

彼はひとまず叔父の阿刀大足宅に寄寓して、

 大学に入れるだけの学力を蓄えなければならない。

叔父は「明経科=行政科」がいいだろうとこの甥のために決めていた。

空海は素直にこの道に進むのだが、結局はこの創造力に溢れた少年は、

 ぼう大な注疏の暗誦をして、いっさいの創意が許されないという知的煉獄にあえぎ、

  そこから脱出するにいたる。【空海の風景:二より】


鍋割山(寄から)

2022年04月08日 | 神奈川県の山

4月6日、寄(やどろぎ)から鍋割山を登ってきました。

寄周辺は桜の名所がいくつかあり、新松田駅からの神奈中バスはでした。

9:30 寄自然休暇村管理センターBS着、”中津川沿いに🌸が”

ショカッサイ:とも呼ぶ、今が

二度目ですが、登山口へは標示が頼りです

ヒメオドリコソウとホトケノザ

土 筆

トサミズキ 「ロウバイ園」へ向かって登ります

右)シダンゴ山:758m、左)ダルマ沢ノ頭:871m

10:00 登山道に入ります

土佐原集落:茶畑と🌸のです

ウラシマソウ:テンナンショウの仲間、髭?を釣糸に例えての命名です

恒例)の杉林

先人の足跡   

11:00 櫟(くぬぎ)山:807m

ヤマザクラでした

中央)栗ノ木洞でしょうか、再度杉林を上って行くと

11:20 杉林の中に、栗ノ木洞:902m

後沢乗越までは、一旦標高を100m下げ、ゆっくり稜線を行くと

11:40 後沢乗越(大倉~西山林道経由の道との合流点)

ここからピークを三つ越えます

ミヤマベニコメツキ

補色と思ったのかコメツキ虫が留まっています。

虫のは紫外線を通すのでシャツは、赤く見えません?

(補色)の意識はあるんでしょうか?

最後の登りです・・・・

12:35 鍋割山:1271m到着 

名物「鍋焼きうどん」は,円になっていました。

富士山と手前は雨山:1176m

13:00 昼のパンを完食、「小丸」へ向かいます

雪を被った丹沢山と蛭ケ岳(塔ノ岳は雪なしの情報)

登ってきた尾根道(中央:栗ノ木洞)

アセビ

鍋割山と富士山

13:20 小丸:1341m(今日の最高点)

13:30 二俣分岐~小丸尾根を降ります、注意せい!!

”急登の短い九折”を繰り返し標高を下げていきます

14:15 「二俣」からの距離が表示されています

初めての表示です

何の葉でしょうか?・・・トリカブトですよ

ヤマザクラ

14:45 二俣、沢を渡ります(桟橋の位置が変わっていました)

西山林道の始まり、急げば1時間?

スミレさん

ヤマルリソウ(土手にいっぱい咲いてました)

テンナンショウ    ↓これから葉を出します

15:50 大倉BS、15:52発のバスで渋沢駅へ出て帰途に・・・・・

    行程:標高差1058m、6,5時間、15km

 9:30 寄(やどりぎ)BS ⇒11:00 櫟(くぬぎ)山 ⇒11:20 栗ノ木洞

  ⇒11:40 後沢乗越 ⇒12:35・13:00 鍋割山・昼食 ⇒13:20 小丸(ピーク)

  ⇒13:30 二俣分岐(小丸尾根)⇒14:45 二俣(西山林道)⇒15:50 大倉BS

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>>空海その 10

・・・空海の学歴について・・・

地方に国学という教育機関があり、中央に大学があった。

国学・大学ともに、そこを卒業すれば官吏として栄達する。

国学を「聖堂」で学ぶ、後に制度や施設が滅んでも地名として残った。

讃岐ノ国の定員は30人、資格は郡司の子供でなければならない。

貴族主義の色彩の濃い唐制が導入されていた。

空海は当然ここで学んだであろう。

しかし学んだとすれば、彼はすぐ退学したことになる。

国学は普通13歳から入って修業期限は9年、

 ところが彼が都に上って大学に入るべく受験勉強を始めたのは15歳

空海の父兄は二ヶ年で国学を退学させ、中央の大学を志向せしめたことになる。