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・・・🥵  夏山です  🥵・・・

九州百名山5座登頂Ⅲ

2014年09月30日 | 日本百名山

九州百名山5座登頂Ⅲです。

5月29日(5日目) 晴れ

   霧島連山縦走予定だったが、新燃岳(しんもえだけ)が火山活動中なので縦走はできない。

 韓国岳と高千穂中岳のピストンとなった。 (前回は天候不純=強風)で中止、自然には勝てない。

  Ш 霧島温泉 =えび高原 ⇒韓国岳 ⇒大浪池 ⇒大浪池登山口 =高千穂河原 

     ⇒高千穂中岳 ⇒(往路下山) =指宿国民休暇村

       (行程:標高差=韓国岳460m、高千穂中岳350m、約10km)

バスで「えびの高原ビジターセンター」へ(右が韓国岳、左は硫黄岳)

5合目までは低い灌木の続く道を行く。

岩がゴロゴロした登山道、下のほうはミヤマキリシマが満開だ。

視界が開ける5合目、白鳥山の麓に三つの池、遠く地熱発電所の水蒸気も見える。

:火口内

火口湖(カルデラ)水は溜まっていないが、標高差が300mある。

:火口壁

:山頂

9:45 韓国岳(1700m)山頂、高千穂峰は霞んで見えないが、噴煙を上げる新燃岳は見える。

さすがに人影はない。 (前回登った時は強風で写真を撮るのにも苦労した)

:大浪池

縦走路に未練を残しながら、大浪池へ下る。かなり急な下りだが木道が整備されている。

  

樹林帯に入ると、ミツバツツジ、ヤマツツジ、ミヤマキリシマ、レンゲツツジの饗宴だった。

それぞれがまさに自分がNO1とばかりに咲き誇っている。

:韓国岳

大浪池を半周し、12:00 大浪池登山口へ。

バスで昼食をとりながら、高千穂河原に移動、かって霧島神宮があった場所が登山口。

大鳥居がその面影を残している。

12:45 登山開始、登山口には「消毒マット」が設置されている。

(家畜の口蹄疫対策だった)

新燃岳の火口壁

樹林帯、山頂直下の岩場を歩いて、13:50 中岳(1332m)山頂。

山頂はお花畑、ミヤマキリシマが満開だった(数は少ない)

    

高千穂峰とミヤマキリシマです。

往路下山、花や葉に白い火山灰が付着しているのが痛々しい。

新燃岳噴火の影響だ、来年の花はどうなるのだろうか?

15:00 下山、バスに乗り、薩摩半島の突端、指宿市まで移動。

18:00 指宿国民休暇村へ。名物”砂風呂=有料800円?”は体調を考え、今回は遠慮した。

 

     【日本百名山 98 霧島山(1700米)】の・・・・怪

  「前略~その雲にそびゆる高千穂の高嶺は、霧島山の代表である。 建国の記念日の歌に

   高千穂を持ってきたわけは、わが国の創始を解く『古事記』に、天孫ニニギノミコトがこの峰

   に降臨されたと記してあるからである。「日向之高千穂之久志布流多気」と書かれている。

   そしてその高千穂峰の頂上には、有名な天の逆鉾が立っていた。 天孫降臨は神話的伝説

   であろうが、その伝説にふさわしい秀麗な山容を、高千穂峰は持っている」

                                        (日本百名山 霧島山より抜粋)

   霧島山群はあるが、霧島山はない。標高をみると1700米だから韓国岳を示唆している。

   文章を見ると高千穂峰(1574m)を重点的に紹介している。

    霧島山は、韓国岳なのか高千穂峰なのか良くわからない。

    (ちなみに2006年5月に高千穂峰~韓国岳を縦走しているので問題ないが)

 

**

5月30日(最終日) 晴れ

  日本本土最南端にある開聞岳に登る。海門岳の異名もある、この方がわかりやすい。

  Ш 指宿温泉 =登山口 ⇒2合目 ⇒7合目 ⇒山頂 ⇒往路下山 =鹿児島空港

      (行程:標高差760m、約8km、6時間)

 「この山の本来の名は開聞(ひらきき)岳であった。北麓に古い由緒を持った開聞神社がある。

 延喜式には枚聞(ひらきき)と出ているが、開聞の方が古字だそうで、ヒラキキは平来の意で、

 もとは地名であった。そのひらさきが音読みで開聞岳となり、さらに海門山という別名さえ生じる

 ようになった。海門山とは巧妙な当て字だ。」       (日本百名山 開聞岳) 

開聞岳

登山口~2合目までは車道歩き、2合目から5合目は樹林帯に、

 木洩れ日に照らされた新緑は鮮やかだが、花はない。

かろうじてタツナミソウを見た程度。

長崎鼻(7合目から)

5合目を過ぎると見晴らしも開け、足元に岩が多くなる。

登山道はうまく出来ている。

直登ではなく、北麓の登山口から東側に廻り、南~西に出て、北側に出た時には山頂に着く。

薩摩半島に切れ込んだ錦江湾と思って見ていたものが、実は池田湖だったりする。

池田湖

登山道は一人歩くのがやっとのスペース、下る人がいればいれば待たなければならない。

今日は日曜日、多くの登山者が出ている。

11:00 開聞岳(922m)山頂へ、昼食。せまい山頂は満員の盛況。

:山頂

写真を撮るのも、昼飯を食べるのも一苦労。

360度の眺望も移動がままならないので、充分に楽しめなかったのが残念だ。

11:20 往路を下山、13:30 登山口に。

バスで休暇村へ戻り、温泉で汗を流す。 鹿児島空港へ移動、帰途に着いた。

 

            日本百名山 開聞岳49 完登

 

  parther  

Z30 SML siberian Green(gregory)

今回のツアーを一緒したparther です、まだ現役です。

 

 

 


九州百名山5座登頂Ⅱ

2014年09月28日 | 日本百名山

九州百名山5座登頂Ⅱです。

 5月27日(3日目) 小雨

  久重山に登り、法華院山荘(山小屋)に下る。

  牧の戸峠 ⇒沓掛山 ⇒久重別れ ⇔久重山 ⇒御池 ⇒中岳 ⇒天狗ケ城

   ⇒久重別れ ⇒北千里浜 ⇒法華院山荘

 「九州本島で一番高いのは久住山。久住山は山群の総称であってその主峰は久住山。

 同じ発音を持つ九重と久住が、そんな分け前に落ち着くまでには、長い間山名の争奪戦

 があったそうである。正しい名は九重か久住。 うっかりどちらへも加担できない。

 およそ地名鳴るものは、土地の人の利害と結びついているからである。

 九重も久住もそれぞれ自己主張するにたる古い文献を持っている。

                              (日本百名山 久重山から)

7:00 宿舎からマイクロバスで牧ノ戸峠へ移動。

小雨・風の中、完全防備でスタート。

沓掛山までの整備された登山道脇には、ミヤマキリシマ・イワカガミが雨に濡れていた。

ここから西千里浜にある避難小屋までの道は大きな岩がゴロゴロしている。

久重別れの分岐点でガスが動き、晴れ間も見えてきた。

:久住山

久重山の登りはガレ場、日差しも視界も良好、元気に登る。

:山頂

10:50 久重山頂(1786m)、広くない山頂、多くの人で満杯。

岩が目立つ斜面にはミヤマキリシマが多い、あと1週間もすれば山が燃えるような

赤に染まるという、これも圧巻だろう。

往路を下山し、久重別れに戻り中岳をめざす。

:中岳

霧にかすむ御池の畔を通り、岩場を登りきると中岳山頂へ、昼食。

この天候では談笑しながら食べるとはいかない。

12:30 天狗ケ城(1780m=岩)を経由し北千里ケ浜へ下る。

北千里ケ浜は岩の殿堂、溶岩がゴロゴロしている地球規模のロケーションだ。

:猿岩

奇岩も目立つこれは「猿岩」と命名されている。

「賽の河原」的な景色だが、規模が大きいから「千里が浜」と名付けたのだろう。

ここを抜け、急な岩の道を下れば、14:15今日の宿舎「法華院山荘」だ。

:法華院山荘(28日朝)

ここは山小屋、といっても温泉あり、水洗トイレありの別荘?

:ワッペン

:富士山

小屋に飾ってあった「日本百名山」のワッペン(レアもんでしょう)

:久重連山の説明

源泉は60℃あるといわれるが、ヌルイお湯につかって朝起きたら喉が痛い…ヤバ。

            日本百名山 48 久重山完登

**

5月28日(4日目) 晴れ

  今日は山登りはなし、法華院山荘からバスの待つ長者原までの移動。

    法華院山荘 ⇒雨ケ池越え ⇒長者原 =久住”夢”大吊橋 =霧島温泉・ホテル霧島キヤッスル

      (行程:約5km、2時間=長者原への移動)

 朝起きたら喉が痛い、熱もある昨夜のヌルイ温泉のせいだ。

9:00 「坊がつる」湿原を横に見ながらスタート。

この湿原はラムサール条約に登録されている、夏にも歩きたい場所だ。

:大船山

中央大船山(1768m:タイセンサン)、来週にはミヤマキリシマが満開で、

全山燃えるようになるという。

:平治岳

平治岳(1642m:ヘイジダケ)です。

:ミヤマキリシマ

:ハルリンドウ(ブルーが本州とは違う)

:サワオグルマ

:ギンリョウソウ

:平治岳とミヤマキリシマ

11:00 春の花を愛でながら長者原着、ここからバスに乗り、一昨日泊まった

久重観光ホテルで昼食だが、時間があるので、九重”夢”吊大橋へ寄った。

:九重大吊橋

九重“夢”大吊橋(ここのえ“ゆめ“おおつりはし)は、歩行者専用の吊り橋。

日本一高く長い歩行者専用橋である。

 長さ390m、高さ173m(日本一)の吊橋、500円払って往復してきた。

 *?滝

九重観光ホテルで昼食後、約300kmを移動し、鹿児島の霧島温泉へ。

今日の宿舎はホテル霧島キヤッスルホテル(2度目)温泉で汗をだし、風邪薬を飲んで就寝。

 

⇒ B)九州百名山5座登頂Ⅲへ続く

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 


九州百名山5座登頂Ⅰ

2014年09月26日 | 日本百名山

「毎日贅沢登山!名峰めぐりここに極まる! 阿蘇山・祖母山・九重山・霧島山・開聞岳」

ツアー会社がうった、フレーズです。 まさに大名旅行の登山でした。

主催はCT この時期よく利用していました。 参加費は 138,000円でした。

2010年5月25~5泊6日の旅程です。

5月25日(初日)

 今日は羽田~熊本へ飛び、阿蘇高岳~中岳を麓の阿蘇に泊まります。

      羽田=熊本空港=仙酔峡 ⇒仙酔尾根 ⇒高岳(1592m) ⇒中岳(1506m)

       ⇒火口東 ⇒仙酔峡=阿蘇(司ビラパークホテル)泊

       (行程:標高差700m、約7km、約4時間)

        

 阿蘇山と呼ぶ時には、カルデラの中の火丘群を指す。

根子岳・高岳中岳・杵島岳・烏帽子岳の五岳、今回は最高峰の高岳と、中岳を歩いてきた。

「阿蘇の熔岩の拡がりは、鹿児島県を除く九州六県に及ぶと言われる。

分離していた大昔の九州を新しい陸地に形成したのは、阿蘇の爆発の結果だという。 

そういう夢のような話はともかく、現在私たちの眼に裾野と映じる部分だけでも、その広大さは

富士裾野も遠く及ばない」    (日本百名山 阿蘇山)

 

:鷲ケ峰

12:00 昼食後、仙酔尾根(バカ尾根)を行く、鷲ケ峰の岩峰が見える。

登山道は溶岩を石で固めてあるが、歩きずらい。 東風が吹き体を冷やしてくれる。

   

登山道脇に咲く「ミヤマキリシマ」初対面だ。:バカ尾根

ガイドが「稜線は風が強いので歩けるかどうか?」と脅かす?

風は強く、雲も大きく動いている、下山者に聞くと「風が強く、周囲は何見えない」といっている。

:高岳

13:45 高岳火口壁(稜線)に出る、風はあるが歩行可能。

:高岳山頂

14:00 高岳(1592m)ガスで何も見えません。

寒い!!高岳から中岳へのガレ場の下りでフリースを着た。

:中岳

14:20 中岳(1506m)あいかわらずのガス。

中岳からの下りは馬の背と呼ばれ、中岳火口壁(活動中)の直近を歩く。

風向きによっては火山性ガスの中を歩く、今回はまさにそのケ-ス、走って下った。

16:00 仙酔峡の駐車場に無事下山、今日の宿舎「阿蘇の司ビラパークホテル」へ。

5人部屋、4名の先輩と、とくに気を使うことなく過ごした。

                                       日本百名山46 阿蘇山完登

 

**

5月26日(2日目) 曇り時々晴れ

 今日は祖母山(1756m=宮崎県最高峰)に上る。

   阿蘇=北谷登山口 ⇒千間平 ⇒茶屋場 ⇒国観峠 ⇒祖母山 ⇒神原=牧ノ戸温泉

     (行程:標高差656m、約8km、約5時間)

 祖母山(そぼさん)別名姥ケ岳とも呼ばれる。

   祭神豊玉姫命は神武天皇の祖母にあたることから山名がきたのだという。

 「九重山の最高点に立った時、南のかなた遥かに、雲海の上に一連なりの山が見えた。 

 ~中略~九重は火山で、明るくのんびりした高原の見応えあるに反して、祖母は古生層の山で、

 黒々とした森林に覆われている。その対照にも心惹かれた」  (日本百名山 祖母山より)

 

宿から北谷登山口までタクシーで約90分、深い山だ。

9:30 登山口へ、雨がポツリと落ちてきた、スパッツを付けて歩きはじめる。

霧の中、新緑が眩しい、鹿でも歩いていれば絵になるロケーションだ。

:鹿が・・・

この鹿の死骸があるのでトラバースを考えたが、沢沿いの道も先日の雨で増水しており

当初予定通りの道へ、道を塞ぐほどでもないので横に見て通過した。

11:00 三県境(大分・熊本・宮)を通過、

11:20 国観峠、平坦なところ、霧で視界が悪く何も見えない。

:シャクナゲ

9合目を過ぎて、山頂直下の登りは足場も悪く渋滞?周囲を見るとシャクナゲが咲いている。

期待していなかっただけにうれしい。

:山頂

12:10 祖母山頂、厚いガスで何も見えない、昼食。

:お弁当

昼食もそこそこに山頂を散策、東側の斜面にツツジを見つけた。

:アケボボツツジ

アケボノツツジだった、ゆるい足元(堆積したコケ)に注意しながら。

山頂避難小屋を経由して国観峠へ戻り、往路を下山する。

:笹の花

年に1回しか咲かない笹の花に出会った。  

:御杜の滝

国観峠から神原(こうばる)へ下る、沢沿いの道、渓谷美を楽しんだ。

余談だが、九州では『原』を ばる と読む、田原(たばる)坂はお馴染みだ。

15:50 神原登山口へ下山、日差しは戻っていた。

ここから明日の九重山登山口になる、牧ノ戸温泉の九重観光ホテルに移動。

源泉掛け流しだが、人の少ない温泉は薄ら寒かった。

天井でネズミが運動会をやっていた。

                    日本百名山 47 祖母山完登

 

  twins  

   

mei 集中してます。               hinata レゴブロックでキリン作りました。

 

 

 

  

 

 

 

 


谷川岳~大源太山縦走

2014年09月07日 | 日本百名山

B)過去の記録から谷川岳~大源太山縦走を紹介します。

このツアーで "噂の若いTD ”U山H美”Ⓜaitaibi デビユーしました。

現地ガイドはY瀬(尾瀬にも詳しい)さんでした。

期日は2011年7月10 ~ 11日(変則2泊3日)

 Ⓜaitabiも夏シーズン当初「猫の手も借りたいほど忙しい時期」だったかと記憶している。

7月9日 19:30 新宿を発ち、雷鳴の関越道を走り22:30 宿舎の「土合山の家」に入った。

この日、関東地方は梅雨明け宣言、現地群馬は未だ出ていない。

 「土合山の家」は谷川岳登山の歴史を刻む宿、今年で創立80周年とか、記念品をもらった。

 即就寝・・・・・。

**

7月10日(初日)  晴れ

   今日は、土合山の家 =天神平 ⇒熊穴沢の頭 ⇒トマ耳・オキの耳(谷川岳)

         ⇒一ノ倉岳 ⇒茂倉岳 ⇒武能岳 ⇒蓬ヒュッテ(泊)

     (行程:標高差650m、約12km、8時間)

▼谷川岳へ登るのは2回目、前回は雷雨で熊穴沢避難小屋から撤退している 

 これほど有名な山もあるまい。 しかしそれが「魔の山」という刻印によってである。

いま手許に正確な調査はないが、今日までに(注:昭和39年)谷川岳で遭難死亡した人は

  二百数十人に及ぶという。 そしてなおそのあとを絶たない。

この不幸な数字は世界のどの山にも類がない。

私の年少のある山好きの友人は、母から登山の許しは受けたが谷川岳は除外、

  という条件つきだったそうである。 

~中略~ マチガ沢、一ノ倉沢、幽ノ沢等のみごとな岩壁がある以上、

岩登り好きな連中がここにくるのも無理はない。

そして谷川岳遭難の大半はこの岩壁であった。  【日本百名山:谷川岳より引用】

 朝一番のロープウェーで天神平へ向かう、快晴、雲一つ浮かんでいない。

暑い、天神平(標高1319m)の温度計は21℃をさしている。

:谷川岳(天神平から)

7:50 天神平を後に、熊穴沢ノ頭へ向かう。

日曜日とあって、山ガール、家族連れも多い。小灌木の樹林で暑さは少しは和らぐ。

8:45 熊穴沢ノ頭避難小屋で小休止、ここからは日差しをまともに受けた登りがはじまる。

:谷川岳

上部に雪渓が確認できる。

風はない、熱中症にならないよう、足元だけを見て、ヒタスラ登る。

「何でこんなところで、重い荷物を背負って歩いているのか?自問自答しながら、まさに【行】だ」

30分歩いて「天狗のトマリ場」へ、ここで休憩。尾根を渡る涼風に出会う。

岩に登って自然の恵みを満喫する、つかのま”出発!”の声で重い腰をあげる。

肩の小屋直下にある雪渓もガスに霞んできた、風も出てきた。

登山道がガレ場に、雪渓が確実に近づいてくる。 ガスが日差しを遮り、重い体をサポートしてくれる。

10:15 雪渓を越えて肩の小屋へ、ミヤマキンポウゲがきれいだ。

肩の小屋で休憩し、約10分歩いて、10:45 トマノ耳(耳峰)山頂へ。

ガスで周囲は見えない、一度下って登り返し、11:10 オキノ耳へ・昼食。

ここからはスリリングな稜線歩き、

:覗き

覗き」と呼ばれる場所から、一ノ倉沢の岩峰群を俯瞰する。

油断できない稜線だが、花が多いこと。

      

:ミネウスユキソウ      :ミヤマダイモンジソウ  :イブキジャコウソウ

:ハクサンコザクラ

         

:イワショウブ       :ウツボグサ      :イワカガミ      :シラネアオイ    

         

:ハクサンチドリ  :ハクサンフウロ      :カラマツソウ       :タカネバラ

この稜線は、日本を代表するクライマーが冬、未踏の岩壁群を命を賭けて登り、征服し、

歴史のその名を刻み、満足感を胸に歩いた道であることを考えると、感慨もひとしおだ。 

:一の倉岳

12:30 一ノ倉岳(1974m)、13:20 茂倉岳(1979m)、一度笹平へ降りて登り返し、

15:20 武能岳(1760m)、笹原を下り、16:00 今日の宿舎、蓬峠にある「蓬ヒュッテ」に着いた。

蓬ヒュッテに入ってから遠くで雷鳴が、雨も降り出した。

ヒュッテはカマボコ兵舎を改造したもの、夕食はカレーライス、料理人はどこかで見た顔、

 記憶を辿ると、苗場山荘(現在は休止)のご主人だった。

 

                日本百名山 谷川岳 62完登

**

7月11日 (2日目) 晴れ

     今日は、蓬ヒュッテ ⇒七ツ小屋山 ⇒大源太山 ⇒登山口 =湯沢駅 =新宿駅

    (行程:標高差150m、約6.5km、7時間)

:蓬ヒュッテの朝

今日は新潟県のマッターホルン、大源太山まで縦走し、湯沢駅へ降りる。

5:30 今日も快晴、笹原が雨露に濡れているので、下だけ合羽を履いて歩く。

一面に続く、笹原ゆるやかな稜線を上り下りしながら歩く。

:七ツ小屋山

7:15 七ツ小屋山へ、日差しは強いが、稜線を渡る涼風でまだ元気だ。

:ギボシ

:ニッコウキスゲ

笹原に咲いていた数少ない花です。

:南側の山々

:大源太山

大源太山へのルートが俯瞰できる。 一度鞍部まで下り、登り返すお馴染みのルートだ。

七ツ小屋山からの下りは急だ、足元も滑る、転ぶ人も多い。

鞍部に出た。「周辺鎖場多し、要注意」とガイドの朝の言葉がよみがえる。

足元はよくなるが、日差しがきつい、二つピークを越え、鎖場の自然渋滞で休みながら、

8:50 大源太山頂へ。360度の眺望、上信越の山々がパノラマで見る事ができる。

:縦走路

左のピークが七ツ小屋山、右奥が左から一ノ倉岳、茂倉岳、武能岳、右奥が谷川岳

:上信越の山々、大きな山容で名のある山が多いが・・・。

大休止の後尾根道を下る。

約3km、笹原ではなく小灌木が続く、日差しをまともに受けるので下りでよかった。

待望の樹林帯に入ると道の傾斜がきつくなるし、滑る。

:涼を癒した沢

最後の沢の水で涼を入れ、喉も潤し、林道を30分歩いてバスの待つ登山口へ。

ここでトラブル発生、最後部を歩いていた男性の足元がおかしい。

熱中症の症状だ、新人TDが担いで降ろすという。

ツアー客はガイドに委ね、自分は男性に肩を貸し、降りてきた。

我々は湯沢駅のお風呂で汗を流し、ビールで体を冷やし、時間をつぶした。 

幸いにも湯沢駅で合流し(お風呂はパスしたが)、新宿駅に戻れた。

頼もしい、責任感の強い、TD U山h美だった。

 

  twins  

   

「アンパンマン・ミュージアム」デビユーです、ハマっているようです。 


黒部五郎岳~薬師岳縦走Ⅱ

2014年09月03日 | 日本百名山

B)黒部五郎岳~薬師岳縦走Ⅱです。

8月20日(3日目)  

  今日は、黒部五郎小屋 (カール)⇒黒部五郎岳 ⇒中俣乗越 ⇒赤木岳(昼食) 

         ⇒北ノ俣岳 ⇒太郎山 ⇒太郎平小屋 

  (行程:上り標高差850m、下り標高差880m、約10.8km、7時間)

今日も朝から雨、予報は午前中雨、午後から曇りと出ていた。

合羽は今日も手放せない。

6:10 小屋を発ち、木道を歩く、カールへ出るまでは一つピークを越える。

7:00 カールの下へ出る、稜線はガスで何も見えない。

  黒部五郎は人名ではない、山中の岩場のことをゴーロという。五郎はゴーロの当て字で、それが

 黒部川の源流近くにあるから、黒部のゴーロ、即ち黒部五郎岳となったのである。

 北アルプスには、ほかに野口五郎岳がある。二つのゴーロを区別するため、黒部と野口を上に

 冠したのである。  ~中略~ 私も黒部五郎は大好きな山である。これほど独自の個性を持った

 山も稀である。雲の平から見た姿が中でも立派で、中村さん(中村清太郎画伯)の表現を借りれば

 「特異な円錐がどっしりと高原を圧し、頂上のカールは大口を開けて、雪の白歯を光らせている。

                                      【日本百名山:黒部五郎岳より引用】

雷鳥の子が散歩しているのに出会う(雨の恩恵か?)

カールを歩き、岩が出てきたら、尾根へ出る最後の登り、急登だ。

 :肩

約20分かけて、「肩」にリュックをデポし、大きなゴーロ(岩)の上を歩く。

 :雨男K地さん

8:50 山頂へ、小さな祠が二つ祭神が祀られていた。

 :

 :

下山、「肩」へ戻り、ガレ場を北ノ俣岳めざし下る。

ハイマツの間にトウヤクリンドウぐらいしかない、登ってくればかなりつらい登山道。

雨こそないが、ガスで何も見えない。

:トウヤクリンドウ

中俣乗越あたりから小さなアップダウン、雨も落ちてきた、気温も下がり、寒い。

稜線に出ると冷たい風に吹かれる。

11:20 赤木岳で弁当の昼食、幸いにも雨は小降りに。

腹が満ちたところで、気合いを入れ北ノ俣岳へ向かう。

:北ノ俣岳

12:05 北ノ俣岳へ、雨は止まず、休むと体が冷えるので立ち休憩

周囲はあいかわらずのガス、薬師岳に向かっているのかさえわからない。

登山道が下りになると、視界の中に太郎平小屋の赤い屋根が入ってきた。

   

:イワショウブ

木道脇にイワショウブの花が多く見られる。(月山で見て以来の花だ)

大きさといい、花の数といい、ここは半端ではない。

  $太郎平小屋(太郎山から)

13:10 太郎平小屋へ、ここで荷を解く。

小屋は多くの泊り客でごったがえしていた、6人部屋に7人、一人は押入れで無事決着。

明日の天気を気にしながら、グダグダと時間をつぶす。 

              日本百名山 黒部五郎岳67 完登

** 

8月21日(4日目)  

  今日は、太郎平小屋 ⇒薬師峠 ⇒薬師平 ⇒薬師平山荘 ⇒薬師岳

         ⇒(往路下山) 太郎平小屋(昼食) ⇒折立 =平湯温泉 =新宿

     (行程:上り標高差626m、下り標高差1700m、16km、8時間) 

 朝汽車で富山に着いて、その夕方には太郎兵衛小屋へ。小屋から薬師岳への道は、

 広々とした高原を一旦鞍部まで下ってそこから森林帯を登って行くと、丈の低いオオシラビソと

 小さな池の配置がよろしい、美しい小庭園のような原にでる。それから先は白い砂礫の

 ザクザクした尾根で、右手には黒部の谷を隔てて雲の平の大きな大地を望み、左手には

 有峰のダム湖が覗かれる。稜線と言うより斜面と言いたいくらい幅の広い尾根であるから、

 もし吹雪かれて視界を失うと、かっての愛知大学の大量遭難のようなことも起こる。

 頂上に近ずくと、右手に大きなカールが眼下に口を開けていて、その内壁の縞模様が

 美しい。もう昔の祠はなくなり、宝剣の破片も片ずけられていて、新しい祠が岩の間に

 祀られていた。                          【日本百名山:薬師岳より引用

 昨夜も雨がトタン屋根を叩いていた、明け方近くになって強くなった。

5:00 朝食、3人がこの天候で小屋待ちを決めた。

(CTのツアーは早々と中止を決めたようだ、昨日登ってきて、何もしないで降りていった)

この雨で薬師岳登頂も心配だが、下山場所の「折立」への有峰林道が、「通算降雨量」が

 80mmを越えると通行禁止になるという。 ガイドが現在の降雨量を確認した、16mmと聞いて、

6:00 小屋を出発した(雨よりも風が心配、行けるところまで行こうとの判断だった)

:こんな状況

 $晴れていれば・・・

小雨の中、太郎平から木道を歩く、もちろん周囲は何も見えない。

薬師岳のテント場を過ぎ、沢の登りに入る。

雲の流れが早い、足元を確認しながら、進む。

15分程登ると、薬師平に、花の多い場所だがゆっくり花を撮る余裕もない。

      

:ゴゼンタチバナ   :イチゲ          :稚児車

ここから薬師平山荘まではお花畑が続く、イチゲやチングルマ、(ゴゼンタチバナは実)

遅い夏を惜しむかのように咲いていた。

 $薬師平山荘

7:50 薬師平山荘に、美人女将がいると評判の小屋だが、この天候を考え小休止。

雨も強くなり、風も出てきた。

「尾根道に出た時の風が心配だね」と言っていたガイドの言葉が重くのしかかる。

山頂まではガレの道、富士山を登るようだ。

下山者とすれ違う、山頂は風雨が強く、雹も降っていたと話している。

先頭を行くガイドの傘が風に大きく揺れている、あの傘が閉じられたら登頂断念か?

 と推測しながら歩く、足取りは重い。 

山頂

後30分の道標、そこから15分足らずで、8:45 薬師岳山頂。

風雨共に強いので、記念写真はなし。

  $晴れると

往路を急ぎ下り、小屋に戻りカレーライスの昼食。

11:40 雨も小降りになり、(形だけの登頂になったが)折立登山口へ下る。

標高差900m、約3時間の歩程になる。

   

:シロウマリンドウ      :ネバリノギラン

木道脇の草原にイワショウブの群落だ。

キンコウカ、ネバリノギラン、これは珍しいシロウマリンドウも一輪咲いていた。

標高が下がると樹林帯に、気温も上昇し、汗が出る。

足元はぬかるんでいるので、最後まで気が抜けない登山道だ。

 

 $折立登山口

14:30 折立登山口へ、待機していたバスに乗り、有峰林道を山越えで平湯温泉へ。

 4日間の垢を落とし、夜行バスで新宿へ戻った。 

                日本百名山 薬師岳68 完登

 

  twins  

  

地元の”夏祭り”へいざ出陣!!!甚平はババのお手製、今年も着れました。