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・・・🌤  やっと秋山へ  ☀・・・

笠ケ岳(尾瀬)

2015年07月30日 | 関東百名山

7月27日、日帰りで笠ケ岳(尾瀬:2058m)と至仏山へ行ってきた。

:笠ケ岳は群馬県利根郡水上町と片品村の境にある。

 至仏山の南方にあり、藤原湖から尾瀬へ抜ける登山道が通る。

 山頂は円錐状で、南方に片藤沼がある、関東百名山に指定されている。

 

5:17 鳩待峠へ(12年ぶりになる)

コースはまず笠ケ岳をピストンし、帰りに余力があれば至仏山へ向かう。

が顔を出しました。

      

:エンレイソウ             :ツクバネソウ             :ゴゼンタチバナ

初夏の花、頑張っていました。

:half

      

:ミドリユキザサ(春の花)三態です。

:お花畑

樹林を抜けてお花畑へ出ました。

:蛇紋岩

蛇紋岩(滑る岩の代名詞ですね)のテーブルです。

         

:ミネウスユキソウ           :クルマユリ              :ダイモンジソウ

:至仏山

はじめて姿を見せた至仏山です。

6:40 オヤマ沢田代、この上が湿原になっています。

:ワタスゲ

      

:ワタスゲ                :モウセンゴケ             :ヨツバシオガマ

:笠ケ岳分岐

6:50 笠ケ岳分岐です、湯の小屋まで12kmとありました。

  

      

:ハクサンチドリ            :イワカガミ             :ミツバオウレン

:小至仏

:悪沢岳

7:00 悪沢岳通過

笠ケ岳への登山道は、樹林帯はヌタ場が半分、足元は緩い。

虫も多く、油断ならない道でした。

       

:ハクサンコザクラ            :ハクサンフウロ           :オトギリソウ 

樹林帯を抜け、笠ケ岳が姿を見せました、手前が小笠です。

上越の山らしい雰囲気が臭ってきました。

:上州武尊山

笠ケ岳の奥に上州武尊の山並みが見えます。

樹林帯といくつか抜けると・・・・。

:小笠

7:40 小笠、お花畑を踏んで山頂へ。

:小笠頂

7:45 「小笠」頂、上越国境の山々と藤原湖が眼下に見えました。

 

小笠からの眺望です。(待っててね)

      

:ミヤマコゴメグサ           :コウリンカ               :ウラジロヨウラク

:笠ケ岳

笠ケ岳の山裾を縫うように登山道が、ニッコウキスゲが主役です。

      

:ミヤマリンドウと稚児車      :イブキジャコウソウ          :アズマギク

は全て揃っていました。

      

:トキソウ                :イワイチョウ(多かった)      :ハクサンイチゲ(少数派)

:分岐

道なき道を歩いて・・・・

:笠ケ岳

8:35 山頂です、3組4人で眺望を楽しみました。(早い昼食?です)

       

:カワラナデシコ(元気がなかった) :トウチソウ              :ヒメシャクナゲ(一つ見つけました) 

:片藤沼

分岐から 9:10片藤沼へ足を伸ばしました。燧ケ岳です、「影燧」とはいきません?

植物が豊富な山域(保護地区)と書かれていました。

      

:?                    :?                    :ハクサンボウフウ(色の付いたのは受粉済み)

:稚児車

山は旧暦で動いています、もう晩夏でしょうか?

      

:アキノキリンソウ           :タケシマラン             :ウメバチソウ

樹林帯に咲いていた「地味」な花です。

      

:ギンリョウソウ            :ゴゼンタチバナ            :ツマトリソウ

10:40 オヤマ沢田代に戻ってきました。

気合いを入れ直し、ゆっくり小至仏へ向かいます。

      

:尾瀬草                 :チングルマ(残っていました)   :シナノキンバイ

 尾瀬草:尾瀬の植物の中でも貴重性は高い。

至仏山、谷川岳に生育するほかは、北海道の天塩山地のみに知られる日本固有の蛇紋岩残存植物 

:笠ケ岳 

:小至仏

11:07 小至仏、見覚えのある(お墓)ではなく山頂です。

      

イワツメクサ             :ハクサンボウフウとナデシコ    :シャジン

:至仏山 

11:39~11:48 (やっと)山頂、トンボと人が同じくらい賑わっていました。

尾瀬ヶ原の奥に燧ケ岳が、霞んで見えました。 

:鳩待峠

14:10 夜行バスで一緒になったナースと 下り「トウチャコ」です。

 

           関東百名山 84 笠ケ岳  完登です 

 いろいろなものを見ました 

            

:蜂たちがDNAを残す仕事をしていました。

     

:オブジェです 


伊吹山

2015年07月21日 | 日本百名山

7月19~20日、夜行日帰りで伊吹山を歩いてきた。

(2012年10月に荒島岳の帰りに寄っている。

風雨のなか、バスで山頂駐車場へ行き、お花畑を歩き、山頂で写真を撮った。

前回は「行った」だけ、登ってはいない、今回あらたに「登山」を試みた。)

伊吹山の一三七七メートルは、関ヶ原の真上に巨大なケモノのようにうづくまっている。

              (田中澄江:新 花の百名山 伊吹山 イブキジャコウソウより)

こんな姿を見てこの書き出しになったのか。(注:新幹線は余計だが) 

:近江長岡駅

23:15 横浜駅~(長距離バス:琵琶湖ドリーム号)5:30 米原駅へ、JR東海で6:20 近江長岡駅へ。

近江長岡駅からピストンしました。

やっと伊吹山の標示が出てきました。

:日本武尊

「日本武尊像」の背に伊吹山が(帰りに撮ったもの)

:三之宮神社

7:40 三之宮神社、この裏から「上野口登山道」がはじまります。

今日は「旗日=海の日」でした。

~中略~

伊吹山は目立つ山であるから、古くから世に知られて歌や詩に詠まれた。

『景行記』の中にすでに伝説が現れる。日本武尊が東征からの帰途、この山に

妖神がいると聞き、それを退治に登ったところ、その化身の大蛇の毒に当てられ

麓の醒ケ井の水を飲んで毒から醒めたが、ついに伊勢で亡くなったという。

その伝えから頂上に日本武尊の像が立っているが、尊にお気の毒なくらいみっともない

作りであるのは残念だ。                  (日本百名山:伊吹山)

登山口

朝食後、登山口へ。1合目までは樹林帯、朝尚暗い道を行きます。

山頂までは約6km、標高差は約1200mあります。

登山口~3合目までは徳蔵山(旧スキー場)までの登りです。

1合目~2合目へ、この炎天下をものともせず登って行きます。

1合目を振り返る。(セメント工場が見えます)

:蝗

草原であることの証左です。

:蜘蛛の巣

      

◎クサフジ               :ハクサンフウロ             :カワラナデシコ    ◎は薬草の意味

3合目

9:05 3合目、ここまでは車で来られます(ツアーはここから登る)

ここから伊吹山登山がはじまります。

:5合目

9:30 5合目、炎天下遮るものない、登山道を登って行きます。

行」に近い、久しぶりに「自問自答」しながらこの「行」に耐える時間が続きます。

:6合目

:避難小屋

      

:ニガナ                  :イブキジャコウソウ

:8合目

10:22 8合目通過、ここから道は斜度が増します。

手掛岩

:西登山道

ピークは山頂から離れた「西登山道コース」のトップです。あと一息・・・

:9合目

鞍部まできました、一安心。

      

◎タカネヨモギ             :タテヤマウツボグサ        ◎オオハナウド

:武尊像

 頂上に日本武尊の像が立っているが、尊にお気の毒なくらいみっともない

作りであるのは残念だ。 (深田久弥の感想)

金沢兼六園にあった日本武尊像です。

(個人的な感想を言えば、材質が違うので風化し、このような姿になったのでは)

古代伝説上の英雄日本武尊・倭建命(ヤマトタケルノミコト)終焉の地と云われる伊吹山。

民族学者の谷川健一氏がこんなことを書いている。

ミコトの東征といいのは、鉱山探しの旅で、鉱毒を含んだ水で水俣病になって亡くなられたと

その著の『青銅の神の足跡』に書かれている。

 ミコト伝説を持つ東国の山々は、必ずといっていいほど、その近くに鉱山のあとがある。

両神山、上州武尊、黒川鶏冠山、八溝山、足柄山、武甲山、武州御嶽等々。

          (田中澄江:新 花の百名山 伊吹山より抜粋)

納得できる内容だと思う。

:待ちます

撮影待ちの「善男善女」です。

この絵を見ながら、汗を”拭き拭き昼食を食べました。

:デザート

珍しく)涼を求めて、食べました。

「看板に偽りあり!!!」少ない花に驚きました。

      

:キンバイソウ             :コバノミミナグサ            :シモツケソウ

      

:イブキトラノオ             :アザミ                 :メタカラコウ

       

:ベンケイソウ             :ハクサンフウロ            :キヌタソウ

下ります、まだ登ってくる人もいます。

:1合目

伊吹山ともお別れです。

13:48 三之宮神社へ無事下山

.Lの水分を補給しました。

:大阪セメント

靴を洗って、休む間もなく駅へ向かいます。

伊吹山の西麓を”採掘する「大阪セメント」のベルトコンベアー。

:伊吹山は石灰岩の岩、セメント材料になるこの岩は、当然「採掘」の対象となります。

秩父にある武甲山のような運命をたどるのでしょうか。

石灰岩の山は、めずらしい花も多い。

この山が、植物の種類が多い、一つの理由になっています。

 

          行程:標高差1200m、約13km(伊吹山のみ)、約5時間   

         7:50 三之宮神社上野登山口 ⇒9:05 3合目 ⇒9:30 5合目 ⇒10:00 7合目

          ⇒10:54~11:40 山頂・昼食・お花畑散策 ⇒12:30 6合目 ⇒12:43 5合目

          ⇒13:30 1合目 ⇒13:48 三之宮神社         (⇒14:50 近江長岡駅)

**

 6月の「横浜walking」の結果です          

  横浜市:参加者70,832人中  2,698 位     

  中 区:参加者 1,883人中      78 位    

  歩    数:   413,750 歩(13,792/日)           

  距    離:  246.6km

  消費カロリー:  11,698kcal

  脂肪燃焼量 :  734g                 

すべての数字で<carrer high>を記録しました。 

 体重も 63 ⇒ 60kg へ

7月の目標は気温も考慮し , 歩数(12,000×30日+α)です。 


幌尻岳Ⅱ

2015年07月15日 | 日本百名山

7月10日 快晴の中、満を持して幌尻岳をピストンします。

4:00 起床、食事をとって4:55 小屋を発ちました。

 歩程は、(9.3km:標高差1072m、約7時間)

 幌尻小屋・・・命の水(森林限界)・・・稜線・・・北カール・・・新冠分岐・・・幌尻岳・・・(往路下山) 

幌尻(ポロシリ)岳は日高山脈の最高峰である。

十勝と日高の国境を仕切って長々と延びたこの山脈から、

もし一つの山を選ぶとしたらどれだろう、という疑問が、まだ地図でしか日高を知らぬ

私の胸に久しく宿っていた。そしてこの地域の山々に詳しい人々が、異口同音に

答えてくれたのが幌尻岳であった。日高で唯一の二千米峰であるのみならず、その山容

からいっても、貫録からいっても、日高の代表として十分の資格を持っている、ということであった。

アイヌ語でポロは「大きい」、シリは「山」の意。その名もまた快いではないか。

しかし・・・・・。                         (日本百名山:幌尻岳より)

:v字谷

樹林の中、急が続く、樹林の有難みを意識しながら。

      

:ゴゼンタチバナ            :ツマトリソウ              :ミツバオウレン

        

:エンレイソウ              :ミヤマキヌタソウ           :ツクバネソウ

樹林帯に咲いていた花、本州でもお馴染みのものばかりだ。

:戸蔦別岳

6:30 稜線に出ました、戸蔦別岳(右から戸蔦別岳、中戸蔦別岳、北戸蔦別岳)

今回は見るだけ、寄りません。

      

:ゼンテイカ(ニッコウキスゲ)    :コバイケイソウ            :マルバシモツケ

        

:ミヤマハンショウズル        :シラネアオイ             ◎イソツツジ◎

稜線で見た花です、いずれも陽に映えて輝いています。  注)◎北海道の花◎

6:40 「命の水」へ、登山道から離れ雪渓を踏んで行きます。

        

◎カムイコザクラ◎          :チシマアマナ            ◎エゾキンバイ◎   

登る・・・

登る・・・

:山頂への稜線

北カール(ほんの一部ですが)

熊が居ないか探していたら、「北海道の雪型」を発見、命名しました。

北東側の雲海の上に「 羊蹄山」発見。

:山頂への稜線

振り返ると、北側に「 トムラウシ」

さらに雪を被った「十勝連峰」(9月に行くぞ!!)

      

◎コメバツガザクラ◎         ◎ケエジキスミレ◎          :ミヤマアズマギク

      

:ウズラバハクサンチドリ      :イワウメ                 ◎エゾヒメクワガタ◎

お花畑そのⅠです。  

:サイ岩

新冠コースの目印になっています。

:分岐

      

:シロバナユキヒゴダイ        ◎イワブクロ◎             ◎メアカンキンバイ◎

      

◎エゾノハクサンイチゲ◎      ◎ヒダカミネヤナギ◎         :タカネオミナエシ

          

:チングルマとアオノツガザクラ   :ヨツバシオガマ            :イワヒゲ 

お花畑そのⅡです。  

その他:ミヤマダイコンソウ、ハクサンボウフウ、チシマフウロ、キバナシャクナゲ、ミヤマオダマキ

     ミネズオウ、イワギキョウ、ミヤマリンドウ、ムシトリスミレ、エゾコザクラ 等々。   

9:12~10:00 幌尻岳登頂です、この標示は新冠町が建てたもの、方向も新冠町へ向いています。

一昨年登った「雌阿寒岳」

:東カール

ここを見ながら昼食を食べました。

東側の山並み(カタカナの多い名前で覚えきれません)

:北海道の山の名前はアイヌ語が多い、アイヌ語は表音のみであり、文字をもたなかったため、

漢字にあてはめることが困難なものもある。

明治時代の官僚が漢字に置き換えたが、漢字そのものに意味がない。

置き換えられなかった山(漢字が見つけられなかったもの)はそのままカタカナに。

 トムラウシ     :花や草木で覆われた山

 ニセコ・アンヌプリ:峡谷によりかかった山

 ホロカメトック   :魚の背鰭が遡上する川

 ニペッソ山     :炎になって燃える山 ・・・等々

戸蔦別(とったべつ)岳へ続く稜線です。

 昼食後往路を下山します。 

12:00 命の水・・・13:00 幌尻小屋へ無事戻ってきました。 

13:00~17:00 まで「為」に時間をつぶしました。

電源は水力発電、豊富な額平川の水量を見れば納得しました。

**

7月10日(土) ”娑婆に戻ります

:快晴

4:45 幌尻小屋・・・5:55 四ノ沢・・・7:00 取水口・・・10:30 第一ゲート

:四ノ沢

陽が昇ってきました。

シャクナゲ 

 <マイクロバス乗換>豊糠BCで休憩⇒日高・高原荘(昼食・入浴)

 帰途に着きました。

3回コケチャイました、「ジョギングシューズ」は沢の渡渉には向いていません。

:ガイド

今回同行したガイドのF越さん(青いシャツ)、何でも自分でやる先輩です。 

           日本百名山 幌尻岳96 完登

 

 twins 

発見

何か居たみたいです多分「ダンゴムシ」、二人とも触れない、meiは大丈夫らしい。 


幌尻岳Ⅰ

2015年07月13日 | 日本百名山

 7月8~11日にかけて幌尻岳へ登ってきた。

Ⓜaitabiツアー、TDはM田さんとスコップ氏の2名体制。

幌尻山荘(避難小屋)に2泊する「ユルユル」の行程です。

 

7月8日(水)日高・沙流(さる)川温泉「日高高原荘」へ移動のみ。

羽田空港は、千歳はの予報でした。

:fine

:日高山系

着陸時、滑走路が閉鎖され、一度旋回し降りた。

(何か得したような気持ち、樽前山~恵庭岳が見れた)

:千歳空港

13時過ぎ着、ピーカンでした。

:ひだか高原荘

冬はスキー場の宿舎

:最後の晩餐

暫らく(2日間)料理とは”おさらば”です。

 7月9日(木)快晴

行程は、宿舎(チャーター)豊糠山荘(BC)を経由(額平林道)を第一ゲートへ。

第一ゲート・・・(7.5km)北電取水ダム・・・(沢の渡渉)・・・幌尻山荘まで歩く

:豊糠小中学校跡

旧豊糠小中学校を改造し、ベースキヤンプになっています。

自家用車もここまで、シャトルバスに乗換える(我々はチャーターバス)

:K野TD

9:55 第一ゲートへ、幌尻山荘から降りてくるⓂaitabiメンバーと交代です。

第一ゲート(標高500m)~幌尻橋~北電ダム取水口まで歩きます。

      

:コウリンタンポポ           :クサノオウ              :エゾエンゴサク

      

:ミヤマハナシノブ           :ミヤマシシウド            :ミヤマオダマキ

本州にもある花達です。

:額平川

水量は問題ないようです。

      

:ベニバナイチヤクソウ        :ヒトリシズカ(でかい!!)     :オオバキスミレ

日高山脈が海に落ちるところが「襟裳岬」です。  

:沢仕度

問題の沢仕度、リーズナブルに「ジョギングシューズ」で挑戦です。

:mont・bell

モンベル仕様です(モデル:F島さん)

:登山口

12:20 イヨイヨ「沢の渡渉」に挑戦です。

水は冷たい、ジョギングシューズには容赦なくが入ってきますが・・・。

         

:カラマツソウ              :ユリワサビ?             :ウコンウツギ 

沢沿いに咲いていた花です。  

少し慣れてきました、せいぜい膝上まで、腰まで浸かるのが普通ですが。

:(仮設)橋

13:20 四ノ沢(中間点)仮設の橋が架かっていました。

:四ノ沢

四ノ沢は滝となって本流に合流しています。

:戸蔦別岳

正面に山が見えます、戸蔦別岳(とったべつだけ)でしょうか?

約15回の渡渉を繰り返しました、水量が少ないのが最大のサポートでした。

:幌尻山荘 

14:45 幌尻山荘(標高980m)に到チャコ、幌尻岳の”warming up 終了です。

これから2泊3日の合宿生活に突入です。

楽しみなmenuは、朝食(2回)ドライカレーと山菜御飯

            昼食(1回)各自準備、自分はパン

            夕食(2回)α米と野菜カレーとチキンカレー

昼食以外は、現地調達(Ⓜaitabi準備) これに副食(漬物、梅干し、チーズ等)が付く

長い夜が待っています・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

**

       >>> 幌尻岳Ⅱに続く >>>


石垣山

2015年07月06日 | 神奈川県の山

7月4日梅雨の間を石橋山の古戦場~石垣山の一夜城を歩いてきた。

JR東海道線根府川駅~早川駅(一駅)を歩いたことになる。

源頼朝~豊臣秀吉、中世の歴史を偲んで・・・・・。

根府川駅

10:20 今日のスタートはJR根府川駅、初めて降りました。

ヒルトン小田原リゾート&スパ」下車駅です。

:遠景

「ヒルトン小田原リゾート&スパ」  http://www.hiltonodawara.jp/ 

:相模

根府川の岡から見た東側の景色です、手前小田原市内、奥に聳えるのは大山です。

石橋山へ

ミカン畑を上り、下りし石橋山の古戦場へ向かいます。

石橋山の合戦とは・・・。 

治承4年(1180年)伊豆国を出て東に軍を進めた源頼朝(三百騎)は、8月23日、

平家方、大庭景親(三千騎)・伊東佑親(三百騎)を相手に石橋山に布陣した。

頼朝軍は力戦するが多勢に無勢で敵わず、岡崎義実の子の佐奈田与一義忠らが

討ち死にして大敗した。

『平家物語』、『源平盛衰記』などには佐奈田与一(真田余一)の奮戦が伝えられ、

この地には与一を祀る、佐奈田霊社創建されている。

また、義忠の郎党文三(ぶんぞう)を祀る文三堂も建てられている。

[源頼朝 略年譜]

久安3年(1147年)義朝の三男として生まれる。

平治元年(1159年)13歳、平治の乱に父に従い初陣、敗走。

永歴元年(1160年)14歳、父義朝、尾張で殺さる。捕えられ、伊豆に流される。

治承元年(1177年)31歳、北条時政の娘政子を娶る。

治承4年(1180年)34歳、以仁王の令旨を受け挙兵、石橋山に敗れ安房に逃げる。

鎌倉に入り、富士川の合戦で平家を破る。鎌倉に侍所を置き、武家政権を確立。

                           (日本史探訪第二集 源頼朝より)

11:16 苔むした石段の先に文三堂があります。(K池さんです)

       

文三堂を守るお地蔵さんたち。

:文三堂

:ねじり坂

佐奈田与一義忠が討ち死にした「ねじり坂」。

佐奈田霊社参道

:能書

:旧跡

与一を祀る、佐奈田霊社です。(与一塚も)

佐奈田霊社

11:25 立派な建物です、訪れる人はどうなんでしょうか?

石橋山の古戦場を後に、山道(舗装済み)石垣山へ向かいました。

小田原市内、小田原城の天守閣が見えます。

:道標

この看板が道標です、ほぼ完璧でした。

:廃車?

野猿には遭いませんでした。

:本丸

12:40 「石垣山一夜城公園」に、駐車場の東屋で昼食。

「小田原城包囲の戦い」は、天正18年(1590年)4月3日から始まり、7月5日

北条氏尚は降伏、北条氏は滅亡した。

(北条方:.万、これを包囲した秀吉側は:万とも2万ともいわれる

 まさに小田原城包囲の戦いだ)

眺望

本丸から小田原城を望むが樹木が邪魔をして見えない。

本丸跡のシャガの林、赤く見えるのはテンナンショウです。

石垣山一夜城由来は・・・

豊臣秀吉が築城に当たり、山頂の林の中に堀や櫓の骨組みを造り、

白紙を貼って白壁のように見せかけ、完成すると周囲の樹木を伐採した。

それを見た小田原城の将兵が一夜のうちに城が出現したと思ったという伝承から

石垣山一夜城と呼ばれた。

関東で最初に造られた総石垣の城の面影。

野面(のずら)積みで造られ、長期戦に備えた本格的な城造りの証左が残っていた。

(築城に約40日かかったと書かれていた)

13:00 早川駅へ下る。

この「看板」が舗装道路に掲げられている。

舗装道路を下るのは味気ないが・・・・・。

居心地が悪そうな小田原城です、もポツポツ落ちてきました。

      

:ふよう                  :やぶからし              :ハナニガナ

      

:オカトラノオ              :ノカンゾウ              :テンナンショウ(多かった)   

13:55 JR早川駅、JRの駅でいえばつ歩いたことになる。

(ちなみに運賃190円の節約?でしょうか)

        歩程:標高差140m、約11km、3.5時間 

     10:20 根府川駅 ⇒10:45 牧谷川橋 ⇒【石橋山古戦場】11:16 文三(ブンゾウ)堂

      ⇒11:25 佐奈田神社 ⇒12:20 大平橋 ⇒12:40~13:00 石垣山(一夜城)・昼食

      ⇒13:55 早川駅

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の日

twins が父の日に贈ったイです。

「ネクタイの制作」にも個性が出ていますとは、叔母keikeiのコメントです。

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      今週は日本百名山最難関 幌尻岳(Ⓜaitabiツアー)です。

      【 登頂率70~80%、南海上のが気になります 】