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・・・🌸  春です、花です  🌺・・・

南八ヶ岳縦走キレットⅱ

2021年09月29日 | 日本百名山

赤岳~権現岳に続く「キレット:標高差400m」

26日赤岳へ

5:20 (豪華な)朝食

日ノ出は今一つ

雲海に浮かんでました

6:00 赤岳へ

 

手前)中岳 奥)阿弥陀岳

県界尾根(野辺山~赤岳へ直登の道)

赤岳展望荘です

6:40 赤岳南峰

八ヶ岳の最高峰、山肌が赤色をしているためその名がある。

山頂は南北に分かれ南峰に一等三角点がある。

中央に権現岳、雲海の奥は南アルプス

梯子を降りて、キレットへGO

文三郎尾根(中岳~阿弥陀岳~行者小屋へ)

ミヤマダイコンソウも紅葉してます

チョウノスケソウの葉も

真教寺尾根分岐(牛首岳~清里へ降ります)

いよいよキレットの核心部へ

📸はザックへ収納、両手はフリーにして臨みます。

もポツポツ落ちてきました・・・・『集中』

雨に濡れた梯子滑ります

7:30~7:50 ザレの下りです、マーキングがサポートしてくれます。

ガレた長いルンゼ:水の浸食作用でできた急で険しい岩壁の溝(独語)

の中落石を起こさないように降りた(見上げて)一安心

8:20 キレット小屋(休業中)

ここまで二組のパーティと会いました

権現岳へ登り返します 8:45 ツルネ(ハイ松と砂礫の小さなピーク)

 8:50 旭岳:2672m(三角点あり)通

権現岳へ最後の草付き岩登りです

右から赤岳(双耳峰)中央)中岳 左)阿弥陀岳

 手前の稜線にツルネ(赤岳の前)と少し下って旭岳

9:40 長い60段(m)源治ハシゴ、  

 雨で濡れた手袋に金属の冷たさが伝わります(秒かかった)

権現岳です(ここは南八ヶ岳縦走Ⓜツアーで歩いている)

西岳~編笠山~青年小屋~権現岳を経由して三ツ頭~天女山へ降りた

ここは権現小屋(休業中)へ降ります

ギボシ山腹の岩場を「へつって」下ります

鞍部に青年小屋、編笠山:2524m

ノロシ場を過ぎ針葉樹林の中下ると青年小屋へ

11:10 青年小屋で昼食、雨に霞む編笠山

大きな岩を越えて20分で山頂ですが、雨で滑ってもと判断しトラバース

12:30 押手川、道は岩の道、水溜まりもあるし容易ではなかった

ゴゼンタチバナの実

ここからの道は樹林を抜け、開放感のある道が続いた

13:10 海展望台、雨は上がった

空は晴れ、も差してきたカラマツ林

📸もザックから出して撮ります

ミヤマアキノキリンソウ

霧が出てきた、一本道でも表示は心強い

テンナンショウ

14:00 東屋のある場所に「観音平」に着いた

 雨は降ったりやんだり

ヒカリゴケ

ツリガネニンジン

15:00 予約した”MOUNTAINTAXI”に乗って

 無事小淵沢駅へ戻りました。(右膝も持ってくれた)

  行程:標高差175m(下り1332m)約15.7km、8時間

  6:05 赤岳展望荘 ⇒6:40 赤岳 ⇒(キレット:7:05~7:50)

   ⇒8:20 キレット小屋 ⇒8:45 ツルネ ⇒8:50 旭岳:2672m

   ⇒9:40(60段の階段)⇒9:50 権現岳:2715m ⇒11:10 青年小屋

   ⇒(編笠山トラバース)12:30 押手川 ⇒13:10 雲海展望台

   ⇒14:00 観音平 =15:00(Ⓜ TAXI)15:20 小淵沢駅


南八ヶ岳縦走ⅰ

2021年09月28日 | 日本百名山

9月25~26日と赤岳~キレット越へで観音平へ縦走してきた。

25日は美濃戸から行者小屋経由で赤岳展望荘まで。

10:15  Its Fine 

トリカブト、この時期花が少なく主役ですね?

林道(車も通る)を・・・・・    

赤岳も見えてきました

11:00 美濃戸山荘(車はここまで)

「南沢」を行きます

苔生した森の中、岩をかわして歩きます

ダイモンジソウ

お地蔵さん?観音様?

鉄砲水の脅威」を教えてくれました

トゲブキも紅葉してます

苔の森で見た「スギゴケ」

稜線が姿を見せました

13:10 行者小屋、昼を食べました

13:20 「地蔵尾根」を登ります

階段・鎖場と登山道の整備は進んでます

硫黄岳

三叉峰」あたりでしょうか

右)阿弥陀岳:2805m 左)中岳

ここは「地蔵」尾根

もう少しで稜線、「地蔵の頭」

14:15 「地蔵の頭」の地蔵仏

ガンコウランとイワカガミの紅葉

14:30 赤岳展望荘、,円の宿泊費

   モンベル割引でバック、コーヒーは飲み放題    

夕食、豚汁とライスお代わり自由

明日の予報は崩れ気味、

 赤岳山頂でキレットへ行くかジャッジすると決め就寝。

三人部屋で二人、

 相棒はタップリお酒を飲んで「熟睡」していた。

   行程:標高差1234m、4.6km、4時間

  9:25 JR中央線茅野駅BS =10:00 美濃戸口BS ⇒11:00 美濃戸山荘(南沢)

   ⇒13:10・20 行者小屋・昼食 ⇒(地蔵尾根)14:15 地蔵の頭

   ⇒14:25 赤岳展望荘 (泊)


茅ケ岳ⅱ、金ケ岳

2021年09月21日 | 二百名山

9月19日、お騒がせな台風14号一過、瑞牆(みずがき)山へ出かけた。

韮崎駅BSで並んでいると、ドライバーさんが何かアナウンスしている。

「昨日から増冨温泉から先の林道が閉鎖されており、みずがき山荘まで行けないかもしれません。

 それでもいい人は乗車して下さい・・・・」と。

増冨温泉からみずがき山荘までは約7.5km、往復急いでも3時間余分にかかる。

お爺ちゃん二人はギヤンブルはしない、茅が岳へした。

9:20 深田記念公園BSに着いた

(田﨑さんは3回目、私は2回目になる)

ゲンノショウコ

キンミズヒキ

コアジサイ:ユキノシタ科 全山いたるところにあった。

女岩は崩壊して危険なのでトラバース

女岩(崩壊で通行禁止)🥅 より

ソバナ:桔梗科

シラヤマギク

アキノキリンソウ

11:10 急登が終わって稜線へ、晴れてます

11:15 深田久弥(日本百名山の著者)終焉の地 <m(__)m>

昭和46年3月21日、山の仲間と共に茅ケ岳にむかった。

女岩を経て頂上まで10数分ほどの稜線を歩いていて、突然脳溢血

で倒れた。仲間の「この辺りはイワカガミが咲いてきれいです」

との言葉にうなずき「そうですか」が最期の言葉だった。

享年68歳、今年は五十回忌とも

              【深田記念公園表示板より】

岩のミックスした道を行くと

11:35 茅ケ岳:1704m(南峰)

山を構成する酸性土壌から「茅」が全山麓を覆っていることに由来する。

茅ケ岳は南の茅ケ岳、北の金ケ岳の二峰より構成されている。

山頂からは金峰山をはじめとする奥秩父の山々、八ヶ岳、南アルプス、

南側には御坂山塊、奥に🗻と360度のパノラマが楽しめる。

    

南アルプス    金峰山       🗻 

右中央)金ケ岳 後ろに八ヶ岳

昼を食べて 11:50 (単独で)金ケ岳をピストンします

相棒のお守をお願いした”赤蜻蛉”です 

12:10 石門(登山道唯一の見せ場?) 

(数えるぐらしかなかった貴重な)ハクサンフウロ

コイワカガミの葉

  

トリカブトが多く咲いてました

12:40 金ケ岳:1762m(北峰) 

茅ケ岳(南峰)

韮崎市街地

トモエシオガマ

タカネママコナ:ゴマノハグサ科(小さい花が多い)

観音峠への分岐

ドウダンツツジの紅葉  

ブナの大木

13:30 (おじいちゃんの待ってる)茅が岳へ戻りました

13:40 尾根道経由で下山です

カラマツ林も

ヤマハギも

カシワバハグマ

地味な花しかない山でした。✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌

15:30 バスには早いのでここでゆっくりしました

「百の頂に 百の喜びあり」薀蓄の深い言葉です。

16:20 🚌で韮崎駅へ戻りました

茅ケ岳@韮崎駅

八ヶ岳に似ている山容「ニセ八」との異名があるそうです

   行程:標高差823m、8.8km、6時間

   8:50 中央線韮崎駅BS =9:20 深田公園BS ⇒9:30 女岩・登山口

    ⇒10:40~11:10 女岩トラバース(急登) ⇒11:15 深田久弥終焉の地

    ⇒11:35 茅ケ岳・昼食 11:50 金ケ岳へ ⇒12:40 金ケ岳

    ⇒13:30 茅ケ岳 (尾根道下山) ⇒15:30 深田公園 16:20 韮崎駅へ

🤥🤥🤥『みずがき山荘までバスは行ったようでした』😢😢😢


乾徳山ⅱ

2021年09月14日 | 二百名山

8:30 JR中央線塩山駅BS「西澤渓谷」行きの🚎で乾徳山登山口へ 

9:10 徳和集落の舗装道路を上っていきます

秋明菊:キンポウゲ科

栗 🌰 栗

秋  桜 

9:20 「乾徳山前宮神社」通過 

9:30 乾徳山登山口 (直進すれば徳和渓谷へ)

よく手入れされた植林帯

マツカゼソウ

10:05 水、一息入れました

灌木帯~林道を横断して「駒止」

ここまで🐎できた、ここからは・・・

苔生した岩混じりの道に、稜線も見えてきた。

水、水量は多かった

道は傾斜が緩み眺望が開く、乾徳山が姿を見せた

10:55 国師ケ原十字路   

鹿が(肥気味?)

水分補給して扇平へ上る

マルバタケブキ(もう終わり)

ウメバチソウ 

アザミ   意外と花は少なかった 

扇平、月見岩 へ行けば「道満尾根~徳和」への道

扇平から乾徳山に続く「岩」の道へ

奥秩父らしい原生林と岩が続く 

「雷岩」鎖場の直登も

最後の「鳳岩」鎖場、前回は登りましたが・・・・・

爺さんは右の「迂回路」へ、梯子を二つ上って

ホツツジ

12:30~12:45 乾徳山:2031m

元徳2年(1330)塩山の恵林寺を開山した夢窓国師が

 一夏座禅を組んで修行した山である。

この恵林寺の乾(いぬい、易学では北西の意味)にあり、

 徳和村にあるので『乾徳山』となったそうだ。  

東側

北側 笠盛山:2072m~黒金山:2232m 方向です

イワチンチン:キク科

扇平:文字通り🚅 🚅 🚅で下りました

13:45 国師ケ原十字路(最後の水分補給)

14:40 乾徳山登山口通過

14:50 徳和川(一級河川)

15:08 塩山駅行きの🚎に間に合いました。

恵林寺山門

快川:かいせん 国師は、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗の名僧です。

 天正10年、武運つたなく、最後の当主勝頼と共に甲斐武田家が壮絶な滅亡を遂げたのち、

 侵入してきた織田信長の軍勢は恵林寺を取り囲み、国師以下、

兵火を逃れて恵林寺に身を寄せていた老若、僧俗を問わず百名近くが、

 山門の楼閣上に押し込められ、放たれた火によって焼き殺された。

 安禅不必須山水(安禅は必ずしも山水をもちいず)

滅却心頭火自涼(心頭を滅却すれば 火も自ずから涼し)

 という言葉は、炎に包まれて落命するこの最後の瞬間に、

 国師が唱えたものだといわれています。  

* *

   行程:標高差1203m、約5.5時間、10km

   8:30 JR塩山駅 =9:05 乾徳山登山口BS ⇒9:30 乾徳山登山口

    ⇒10:05 銀昌水 ⇒10:55 国師ケ原十字路 ⇒11:25 扇平(岩の登山道)

    ⇒12:30~45 乾徳山・昼食 ⇒13:45 国師ケ原 ⇒14:40 登山口


パラリンピック

2021年09月07日 | 日記

今週も秋雨前線の停滞で山は雨模様、家で停滞

パラリンピックの話題を・・・・・。(*_*) 吃驚 (+_+) (@_@) (@ ̄□ ̄@;)!!

バドミントンの医療統括責任者を務める中村太郎医師)に、話を聞いた。

父の裕さんが「日本パラリンピックの父」と呼ばれる人物と知ったからだ

1927年、大分県生まれ。

国立別府病院の整形外科医だった60年、英国の病院を訪れ、衝撃を受ける。

日本でなら再起不能とみなされそうな患者が半年ほどで退院し、

 社会復帰を果たしていたからだ ,秘訣はスポーツにあった。

車いすで卓球やバスケットボールに打ち込み、リハビリ効果をあげていた。

〈失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ〉。

指導を受けたグットマン博士の理念を体現しようと、帰国直後から奔走。

障害者体躯大会を開き、64年の東京パラオリンピックでは団長を務めた。

                     【朝日新聞天声人語より】

パラリンピック卓球“できないことはない”エジプト選手の思い

東京パラリンピック、卓球の男子シングルス、腕や足に障害のあるクラスの

エジプトのイブラヒーム エルフセイニ・ハマドトゥ選手(48歳)。

口にラケットをくわえてプレーするハマドトゥ選手は、

 27日の試合に敗れたことで予選リーグ突破はならなかった。

口にラケットをくわえ、首を振って左右にショットを打ち分けるプレー。

さらに足の指でボールをはさんでサーブトス。

そのスタイルは、数多くの努力を積み重ねてできあがったものでした。

**

試合後は

「不可能はないということを証明したい。

        できないことはないと世界中の人に知ってほしい」

とメッセージを残しました。

Q:これから挑戦したいことを尋ねました。

「私と同じように両腕がない人はたくさんいる。

  そういった人たちが平等に戦えるチャンスを得るため、

    腕のない人のクラスを作ってもらうよう、

       国際パラリンピック委員会に働きかけていきたい」

                      【朝日新聞より】

***

人が生きていくためには何かモチベーションがないと、、、、

                 障害のある人も、健常者も

 素直に驚いたパラリンピックの選手たちでした。