現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

「雨ニモマケズ」の謎

2021-01-24 11:38:22 | 作品

 ぼくが、まだ小学生の頃の話だから、もう二十年以上前のことになる。

 ガガンガガン、ガガンガガン、……。
 頭の上を電車が通る音がする。
(上り電車だ)
 シュンは、視線を改札口から奥にある階段へと移した。
 まず、集団の先頭を切って、シュンと同い年ぐらいの男の子がかけおりてきた。つづいて、制服やコートを着た高校生たちが、ガヤガヤおしゃべりしながらおりてくる。最後に、デパートの紙袋をさげたおばさんたちが、ゆっくりと歩いてきた。
降りてきたお客は、ぜんぶで十人ぐらいしかいなかった。駅の時計は、16時51分を示している。つとめ帰りの人たちがいないので、まだそれほど混み合っていなかった。
 改札口には、駅員が一人だけいる。最後の客が通り過ぎると、その駅員もいなくなった。
 四つ先のターミナル駅にある進学教室に、シュンが毎日通うになって、早くもひと月近くになる。
 いっしょにいっているケンタとの待ち合わせ時刻は、5時だった。ケンタは、いつもぎりぎりにやってきていた。いや、少し遅れてくることさえある。
 でも、シュンはいつも十五分前には到着していた。だれもいない家にいてもしかたがないし、たくさんの人たちがいきかう駅の構内は、気分がまぎれて好きだった。
 シュンが立っているのは、改札口の一番すみだった。
すぐそばには、携帯電話がない時代に、待ち合わせのために使われていた伝言用の古い黒板がおいてあった。深い緑色をしていてところどころそれがはげている。今日の日付だけがチョークでくっきりと書き込まれていた。その頃でも、伝言板のまわりだけは、人の流れからからも、時の流れからも取り残されたように、ひっそりしていた。まるでエアポケットか何かのようだ。
 降りてきた人たちの波がとぎれたとき、シュンはいつものように伝言板を読みはじめた。
『良平、遅刻するから先へ行くぞ。 剛』
『サヤちゃん、『コロラド』で待っています。 ヨーコ』
『レオのバカヤロー!』
『・・・・・・・・・』
 そんなに数は多くないが、まだ書き込みがされている。
伝言はみんな、思い思いに自分の言葉で書いてあった。シュンには、それだけではなんだかわからないものもある。きっと見る人が見れば意味がわかるのだろう。
 ガタンガタン、ガタンガタン、……。
 頭上では、下り電車が到着している。今度は上り電車と違って、大勢の人たちが改札口に押し寄せてくることだろう。

 下り電車から降りてきた人波が、ようやくとぎれた。
 シュンは、伝言板をもう一度はじめから順番に読んでいった。きちんと読みやすい字で書かれたものもあれば、力いっぱい書きなぐったものもある。
 一番最後まできたとき、
(おやっ?)
と、思った。
 そこには、ていねいな字でこう書かれていたからだ。
『雨ニモマケズ
 風ニモマケズ JU』
 どこかで、聞いたことがあるような気がする。
(なんだっただろう?)
シュンは、それが何かを思い出そうとしていた。
「おーす、シュンちゃん」
 いきなり声をかけられた。ふり返ると、ケンタがやってきていた。ジャンパーに手をつっこみ、急いでかけてきたのか、白い息をはいている。ケンタのほっぺたと半ズボンから出ている両足は、寒さで赤くなっていた。
二人は、すぐに今熱中している携帯ゲームの話をしながら、改札口の方へ歩きだした。

「2X+4Y=22。そして、X+Y=8」
 算数担当の門井先生が、黒板に書いた方程式について説明している。
 シュンは、今、方程式に夢中になっていた。
本当は、方程式は中学に入ってから習うのだが、この塾では受験対策として先月から教え始めている。
もともとシュンは算数が得意だったが、方程式の魅力にはすっかりまいってしまっていた。これを使えば、めんどうな旅人算も、時計算も、つるかめ算も一発なのだ。
(えーっと、Xイコール2マイナスY)
 だから、これを代入すると、……。
 シュンは、熱心にノートに計算していった。
「じゃあ、この問題は、 ……。吉村、おまえ、やってみろ」
 門井先生がシュンを指名した。
「はい。Xイコール5、Yイコール3です」
 シュンは、自信をもってこたえた。
「よし、いいぞ。 正解だ」
 門井先生が、笑顔でほめてくれた。
シュンはほこらしさで少し顔を赤くしながら、席にこしをおろした。

 翌日も、シュンはいつもの待ち合わせ場所に来ていた。やっぱりあの伝言板の前だ。
 今日も電車が着くたびに、たくさんの人たちが改札口を通りぬけていく。でも、その誰一人として、知っている人はいない。
 いつのまにか、シュンはまた伝言板をながめはじめていた。
「えっ?」
 シュンはびっくりしてしまった。一番最後に、こう書いてあったからだ。
『雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ JU』
 シュンは、いそいで昨日の文句をうかべてみた。
『雨ニモマケズ 
風ニモマケズ JU』
 たしかこうだった。
(今日のは、昨日の続きなんだ)
 有名な詩だったような気がする。
でも、誰の作品なのかまではわからなかった。
 ケンタがやってくるまでのあいだ、シュンはその文章をながめ続けていた。

 その晩、塾から帰ってからの遅い夕食の時だった。めずらしく帰りが早かったとうさんも、シュンといっしょに食べていた。
 おなかの虫がようやくひといきついたところで、シュンはとうさんに話しかけた。
「ねえ、おとうさん」
「うーん」
 生返事のとうさんは、ビールを片手にテレビのニュースを見ている。そこでは、レポーターがどこかの国の戦争のことを話していた。
「雨ニモマケズ、風ニモマケズって、なんだっけ?」
「えっ、なんだい?」
 とうさんが、ようやくテレビから目を離して聞きかえした。やっぱり、ちゃんと聞いていなかったんだ。
「雨ニモマケズ、風ニモマケズだよ」
「ああ、なんだ。宮沢賢治じゃないか」
 とうさんは、すぐに答えてくれた。
「宮沢賢治?」
 その人なら、シュンも聞いたことがある。たしか国語の教科書にも、『セロひきのゴーシュ』という童話がのっていた。授業の時に、たくさんの童話や詩をのこして、若くして亡くなったと教わった。

「あった、あった」
 シュンがお風呂上りにバラエティ番組を見ていると、とうさんが一冊の古い文庫本を持ってきた。
『宮沢賢治詩集』
 表紙にそう書かれている。本はほこりだらけで、ページは黄色くなりかかっている。ずいぶん長い間、読まれていなかったようだ。
 とうさんは手でほこりをはらうと、本をめくりはじめた。
「これだ、これ」
 とうさんがさし出したページに、その詩、『雨ニモマケズ』はのっていた。
『雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 ……』
 おとうさんが、声に出して読んでくれた。
 シュンにもわかるような、やさしいことばで書かれた詩だった。繰り返しに不思議なリズムがあって、シュンはしだいにその詩の世界に引き込まれていった。

 翌日、シュンは学校の図書館で何冊か本を借りて、宮沢賢治の他の作品も読んでみた。「春と修羅」のような詩集。「注文の多い料理店」のような童話集。
特に、「なめとこ山の熊」、「けんじゅう公園林」といった童話に強くひかれた。それらの作品には、世間一般の常識から考えると、なんにも役にたたないような主人公たちが出てくる。解説を読むと、賢治はかれらをデクノボーと呼んで愛していたようだ。
 いつのまにか、シュンの中にも、賢治の描くデクノボーへのあこがれが強まっているのに気がついた。
世間での評価からはまったく無縁だが、まわりの人や動物たちからは深く愛されている純粋な人たち。
 今まで、シュンは、大人になったら、弁護士か、医者になろうと思っていた。それには、とうさんの考えが影響していたかもしれない。
「ただの勤め人はつまらないぞお」
 それが、サラリーマンのとうさんの口癖だった。
 でも、弁護士や医者になるには、司法試験や医師国家試験に受かる必要があった。
そのためには、東大のようないい大学に進んでおくと有利だ。いい大学に進むためには、有名な私立の中高一貫校に受からなければならない。さらに、有名な私立の中高一貫校に受かるためには、塾でいっしょけんめいに勉強する必要がある。
今までは、ばくぜんとそんなふうに思っていた。

 その日、シュンはいつもよりも少し早く駅に行くことにした。先まわりしておいて、JUの正体を突き止めたかったからだ。昨日もおとといも、JUの書き込みは伝言板のいちばん最後だった。もしかすると、シュンが来る直前に書いていたのかもしれない。
 駅の構内は、いつものように大勢の人たちで混み合っていた。
(やったあ!)
 シュンは思わず小さくガッツポーズをしていた。期待どおりに、JUの伝言がまだ書かれていなかったからだ。
 シュンは、キオスクの横に場所を移した。そこから、掲示板を見張ろうというのだ。
(どんな人かなあ?) 
 JUの字は、きちょうめんでていねいだった。その感じからすると、若い女の人のようだ。高校生か、大学生か、あるいは若いおかあさんかもしれない。
 シュンは、そういった人たちが通りかかるたびに、期待をこめて見つめていた。
 でも、なかなか伝言板の前に人は立ち止まらない。
やっと伝言板の前に女の人が立った。
(JUか?)
 シュンはキオスクのものかげから、じっとようすをうかがった。
 思ったより、年を取った人だ。シュンのおかあさんぐらいの年令かもしれない。なんだか少しがっかりしたような気分だった。
 女の人は、何かを伝言版に書き込んでいる。
 書き終わった女の人が立ち去ったとき、シュンはそっと伝言版に近づいた。
 そこに書かれていたのは、
『礼子さん、遅くなるので先に行っています。 芳江』
 JUではなかったのだ。なんだか、ホッとしたような気分だった。

 ケンタとの待ち合わせ時間が、だんだん近づいてきた。
(JUは、今日は来ないのかなあ)
と、シュンは思い始めていた。
 と、そのとき、掲示板の前に、シュンと同じぐらいの女の子が立った。私立の子なのだろうか、紺の制服を着ている。赤いランドセルを背負っているから、学校の帰りらしい。
(まさかなあ。この子はJUじゃないだろう)
と、シュンは思った。
きっと何か他の伝言を書くのだろう。
 女の子は、わりとすぐに何かを書き終わった。満足そうな表情を浮かべてそれをしばらくながめると、やがて立ち去って行った。ふっくらしたほほと、ピョコピョコはねまわるようなポニーテールが、シュンの印象に残った。
 女の子がいなくなるのを待ちきれないようにして、シュンは伝言板にかけよった。
 そこに書かれていたのは、
『慾ハナク
 決シテイカラズ
 イツモシズカニワラッテヰル JU』
 意外にも、JUはシュンと同じ小学生の女の子だったのだ。

翌日、シュンは昨日よりもさらに早く伝言板の所へ行った。予想どおりに、JUは今日もまだ伝言を書いていない。
 シュンは少しためらっていたが、やがてチョークを手にした。
『一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ SY』
 シュンは手についたチョークの粉をはたきながら、すばやくキオスクの横へ移動した。
 しばらくして、JUが現れた。今日も、紺の制服に赤いランドセルだ。
 JUは前に立ち止まって、じっと伝言版をみつめていた。書こうと思っていたことがすでに書かれているのを見て、びっくりしているようだった。あわてたように、あたりを見まわしている。
 でも、やがてチョークを手に取ると何かを書き出した。
 書き終わっても、JUはしばらくあたりをキョロキョロとさがしていた。誰かを探している大きな黒い瞳。一瞬、目が合いそうになって、シュンはあわててキオスクの陰に隠れた。
 やがてJUは、何度も振りかえりながら立ち去っていった。
 JUの姿が見えなくなると、シュンは急いで伝言板にかけよった。
『アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ JU』
 急いで、かばんからあの宮沢賢治詩集を取り出した。
(合っている!)
 正確に詩の続きが書かれていた。どうやら、JUはこの詩を完全に暗記しているらしい。

『問1 今、時計の針は七時をさしています。次に長い針と短い針が重なるのはいつでしょうか?』
 門井先生が、黒板に大きく問題を書いた。時計算だ。
 でも、方程式を使えば、かんたんにとけてしまう。
(えーっと、長い針のスピードをXとすると、……)
 シュンは、答案用紙にスラスラと計算式を書いていった。
 答は、……。
 その瞬間、シュンの頭の中にJUの姿が浮かんだ。伝言板の前に立ちすくんでいる。JUはどんな思いで、宮沢賢治の詩を伝言板に書いているのだろう。
 今日、学校の図書館で、シュンは宮沢賢治について調べていた。
 37年間の短い生涯の間に、賢治は驚くほどたくさんのことに挑戦している。
詩人、童話作家、教師、農業技師、宗教家、……。
 身を削るようにしていろいろなことにチャレンジした賢治に、シュンは強くひかれていた。シュンにとって、初めての憧れの人といってもいいかもしれない。
 『雨ニモマケズ』は、賢治が死の床で手帳に書きつけたものだった。デクノボーにあこがれながらもデクノボーになりきれずに死んでいった賢治。そんな思いが、『雨ニモマケズ』には書かれていたのだろう。
(JUにも、賢治やデクノボーへの憧れがあるのだろうか?)
 シュンは、それを聞いてみたい気がした。
「吉村、どうした?」
 門井先生が、不思議そうな顔をしてみていた。
「あっ、いいえ。何でもありません」
 シュンは、あわてて問題の世界へ戻っていった。

 翌日も、シュンは早めに駅に着くと、すぐに伝言板に続きを書いた。
『ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ SY』
 そして、いつものキオスクの横から伝言板の方を見ていた。
 やがてJUがやってきた。
伝言板にすでに詩の続きが書かれていても、今日は特に驚いた風もなく、すぐに伝言板に何かを書いている。 
書き終わると、あの黒い大きな瞳でまたあたりをみまわした
 でも、やがて満足そうな表情を浮かべて去っていった。
 シュンは完全にJUがいなくなったことを確認してから、急いで伝言板に近づいた。
 そこには、
『野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ JU』
と、書かれていた。
 やっぱり今日も、正しく詩の続きが書かれていたのだ。やっぱりJUは完全に暗記している。
シュンも、JUと同じく満足そうな笑みを浮かべた。
 ケンタがやってくるまでには、しばらく時間があった。その間、シュンは宮沢賢治とJUのことを考えていた。

その後も、二人は交互に「雨ニモ負ケズ」を書いていった。
 翌日、シュンが書いたのは、
『東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ SY』
 すると、JUは少しもためらわずにすらすらと続きを書いた。
『西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ JU』
 その次の日に、シュンがそれに続けて、
『南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ SY』
と、書くと、JUは、
『北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ JU』
と、続けた。
そして、その翌日は、
『ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ SY』
『ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ JU』
 交互に「雨ニモマケズ」を伝言版に書いていくのは、完全に二人だけの秘密の習慣になっていた。

 二人が交互に書き始めてから六日目。
とうとう最後の日が来てしまった。今日のシュンの分で、「雨ニモマケズ」はすべて書き終わってしまうのだ。
 この日、シュンはかばんには塾のテキストを入れずに駅に向かった。塾はさぼるつもりだった。こんなことは通い始めてから初めてのことだ。
 シュンは、今日こそJUと話してみたかった。宮沢賢治のこと。なぜ伝言板に「雨ニモマケズ」を書いていたのか。そして、もちろんJU自身のことも聞きたかった。
 いや、 それだけでなく、もっとたくさんのことを、この未知の少女と話し合ってみたかった。それはシュンにとっては、塾へいくことなんかより、ずっとずっと大事なことのように思えたのだ。
 駅に着くと、いつものようにたくさんの人たちが行き交っていた。その中には、誰一人として知っている人はいない。でも、今日は、その一人一人が見知らぬ人のようには思えなかった。ふとしたきっかけで、JUの時と同じように心をかよい合わせることができるかもしれない。そう思うと、通り過ぎていく人々が、まったくの他人のようには感じられなかった。そして、そう考えただけで、心の中がほんわかとあたたまってくるのだった。
 シュンは伝言板の前に立つと、いつもよりも力をこめてていねいに最後の部分を書いた。
『サウイフモノニ
ワタシハナリタイ SY』
 書き終わっても、シュンはしばらくそれを見つめていた。やりとげた満足感にまじって、なんだか終わってしまうのがおしいような複雑な気分だった。
 やがて、シュンはキオスクの横のいつもの場所に移った。そして、静かにJUがやってくるのを待った。
 前を通り過ぎる人たちをながめながら、ぼんやりと考え始めていた。
(ぼくがみんなのためにできることって、なんなのだろう?)
 勉強して私立中学に合格する。さらに勉強して、有名な大学に進む。もっと勉強して、司法試験か、医師国家試験に合格する。いつものように、そんなことが頭に浮かんだ。
そのあとは?
 シュンには、それからどうしたらいいのか、ぜんぜんわからなかった。
でも、なぜかもっと大事な事があるような気がしてならなかった。
しばらくすると、いつものようにJUがやってきた。詩が書き終わってしまったことを確認している。そして、今日は何も書かずにいつまでもそこに立ち止まっていた。いつかのように、誰かをさがすようにキョロキョロしている。あの大きな黒い瞳で。
 やがて、シュンは思い切ってキオスクの横を離れると、少しずつ、でも確実にJUに近づいていった。

      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野崎 孝「新潮文庫版「大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア―序章―」あとがき」

2021-01-22 15:12:32 | 参考文献

 1963年に出版されたサリンジャーの最後の単行本の翻訳(1980年出版)の「あとがき」です。
 訳者は、サリンジャーの本では日本で一番売れている(私の持っている本は1974年5月25日発行の第28刷です)と思われる白水社版「ライ麦畑でつかまえて」(1964年第一刷発行)の翻訳者で、サリンジャーが特に日本でこれほど有名になったことへの最大の功労者です。
 この文庫本では共訳の形になっていますが、「あとがき」にはサリンジャーへの変わらぬ愛情が感じられて好感を持ちました。
 「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」で、サリンジャーのいわゆるグラス家サーガの構想が固まり、「長兄シーモァ」の自殺の謎を核にして、次兄バディ=サリンジャーが語っていくというスタイルが確立したとする訳者の見解には、うなずける点が多いと思われます。
 また、一般的には失敗作ないしはサリンジャー文学の行き詰まりと考えられている「シーモア―序章―」に対しても、「立ちはだかる障壁を突破して新しい方法を実現しようとする大胆な実験」と好意的にとらえている点にも共感させられました。
 惜しむらくは、サリンジャーの最後の発表作品である「ハプワース16,一九二四」に関する訳者の評価が書かれていなかったのが残念です。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恩田 陸「蜜蜂と遠雷」

2021-01-21 13:59:03 | 参考文献

 直木賞と本屋大賞を同時に受賞して話題になったエンターテインメント作品です。
 読み始めてすぐに、懐かしい少女マンガの世界(例えば、くらもちふさこの「いつもポケットにショパン」など)だと思いましたが、読み進めていくうちに懐かしい少年マンガの要素も持った、より多くの読者を獲得できる作品だということがわかってきました。
 懐かしい(最近の作品は読んでいないので)少女マンガだと思った理由は、取り上げている素材(国際的なピアノコンクール)や登場人物(主なコンテスタント(コンクールへの参加者)四人のうち三人がタイプの違った天才(全く無名だが世界的な巨匠の最後の弟子で推薦状を持参した16歳の少年、アメリカのジュリアード音楽院を代表する大本命の19歳の青年、母の死とともに音楽界から姿を消したかつての天才少女(年齢は20歳と一番上だが、作者は繰り返し少女と表現して幼さを強調しています))の処理(特に男性陣は、天衣無縫の美少年と、身長188センチのイケメンで、女性読者へのサービス満点です)です。
 一方、懐かしい(一部を除いて最近の作品は読んでいないので)少年マンガだと思った理由は、コンクール出場のオーディション(16歳の無名少年だけ)、本大会の第一次予選、第二次予選、第三次予選、本選と勝ち抜いていく構成が、スポーツ物や戦闘物の少年マンガの形式を踏襲しているからです。
 そのため、この作品ではコンクールでの演奏シーンが非常に多いのですが、純粋な少女マンガファンにはやや退屈に感じられたかもしれません。
 しかし、これこそが少年マンガの大きな特徴で、他の記事にも書きましたが、こうしたマンガでは人気が落ちる(マンガ雑誌は、毎週の人気投票という過酷な手段で、掲載しているそれぞれのマンガの人気をチェックしています)と、試合のシーンや戦闘シーンを増やすそうです。
 これも他の記事にも書きましたが、登場人物の人間性をより深く描いたことで他のスポーツ物と一線を画したと言われる、ちばあきおの「キャプテン」(その記事を参照してください)や「プレイボール」(その記事を参照してください)でさえ、試合のシーンが圧倒的に多いことに驚かされます。
 そういった意味では、コンクールが深まっていくにつれて演奏シーンが盛り上がっていく書き方は、男性読者の方が読みやすかったかもしれません。
 音楽の魅力を文章で描くのは非常に困難な作業なのですが、作者は圧倒的な筆力で強引にねじ伏せてみせます。
 ここに書かれたクラシックの楽曲の解釈が、どれほど音楽的に正しいのかを判断する知識を持ち合わせていませんが、何曲かの知っている曲での表現はそれらしく感じられました。
 また、読んでいて無性にクラシック音楽(特にピアノ曲)が聴きたくなるのは、作品の持っている力でしょう(途中からは実際にバックに流しながら(作品に出てくる楽曲とは限りませんが)読みました)。
 作品の書き方は、典型的なエンターテインメントの書式(偶然の多用(桁外れの天才が三人も同じコンクールに参加する。天才のうち二人は実は幼なじみで、コンクールで奇跡的な再会を果たす。女性の天才は、もう一人の天才ともたびたび偶然出会う。外国人も含めて主な登場人物が全員日本語を話せるなど。)、スパイスとしてのロマンス(コンテスタント同士だけでなく、審査員同士やコンテスタントと取材者まで)、デフォルメされた登場人物設定(三人の天才だけでなく、四人目の主なコンテスタント(28歳の楽器店勤務の既婚男性。このコンクールを記念に音楽活動を退く予定で、そのために社会人生活や家庭生活や経済面もかなり犠牲にして一年以上準備してきた)、審査員や関係者まで)、強引なストーリー展開(三人の天才が上位入賞を果たすのは当然としても、途中敗退した四人目のコンテスタントにも十分に花を持たしている。敵役の有力コンテスタントの意外な敗退など)です。
 他の記事にも繰り返し書きましたが、こうしたことを非難しているのではありません。
 純文学とは書式が違うことを言っているだけです。
 むしろ、二段組み500ページを超える大作を、コモンリーダーと呼ばれる一般の読者に読んでもらうためには、こうしたエンターテインメントの書式は適していると思っています。
 最後に、これも他の記事にも書きましたが、「本屋大賞」は、あまり知られていない「書店員が売りたい本」をより多くの読者に読んでもらうためにスタートしたはずですが、最近はますます「売れる本」の人気投票と化しているようです。
 そのため、小川洋子の「博士の愛した数式」のような芥川賞タイプ(純文学寄り)の作品から、今回のような直木賞受賞作品(エンターテインメント)に、受賞作品が変化しているようで、存在意義が問われるところです。


蜜蜂と遠雷
クリエーター情報なし
幻冬舎
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庄野潤三「夕べの雲」

2021-01-20 14:55:24 | 参考文献

 昭和39年9月から昭和40年1月まで、日本経済新聞に連載され、昭和40年3月に講談社から出版されて、翌年の読売文学賞を受賞した作品です。

 作者の分身である主人公と、その妻、高校生の長姉、中学生の弟、小学生の末弟の五人家族のゆったりした暮らしが、開発(団地)で失われていく周囲の自然(神奈川県の小田急線生田の周辺のようです)への哀惜と共に、作者独特の滋味深い文章(一見、平易に見えますが、一言一言が詩心に裏付けされていて、とても真似できません)で描かれています。

 こうした一見平凡に見える日常を描いた作品を、新聞小説として受け入れる当時の新聞社の度量の大きさに驚かされます。

 もっとも、作者の場合は、その10年前にも、「ザボンの花」(登場する子どもたちが小学生と幼児なので、児童文学とも言えます)が同じ新聞社で連載されて好評だったせいもあるでしょう。

 各章は子どもたちのエピソードが中心ですが、その中に作者の子ども時代や両親や兄弟の思い出も描かれていて、家族の歴史に立体感を与えています。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プリティ・ウーマン

2021-01-19 17:35:03 | テレビドラマ

 1990年公開のアメリカ映画で、リバイバル・ヒットしたロイ・オービソンの主題歌とともに日本でも大ヒットしました。
 ロサンゼンルスのコールガールが億万長者に見初められるシンデレラ・ストーリーですが、彼女の純真さに億万長者の方も精神的に救われる話にして、うまくバランスを取っています。
 ジュリア・ロバーツの魅力を全開させるための映画と言っても過言でなく、こうしたマイ・フェア・レディ的なストーリー(「マイ・フェア・レディ」主演のオードリー・ヘップバーンにはこの種の作品が多く、「ローマの休日」(この場合は逆方向ですが)、「麗しのサブリナ」(その記事を参照してください)、「パリの恋人」などがそうです)は、一人の女優の魅力を多面的にファッショナブルに表現するのに適しているようです。
 ジュリア・ロバーツが、コールガールのセクシーなファッションから、エレガントなカクテル・ドレス、スポ−ティなファッション、フォーマルなイブニング・ドレスなど、まるでファッション・ショーのように様々な衣装を楽しませてくれます。
 身長175センチのモデル体型なので、どのような服を着ても最高に似合うので、女性ファンだけでなく男性ファンも魅了されます。
 ただし、時々挿入されるラブシーンには、ボディダブル(替え玉)が使われたそうです。
 それにしても、ラストで白馬の騎士よろしく彼女にプロポーズをしに行くリチャード・ギアを見ると、彼の出世作の「愛と青春の旅立ち」(1982年)の有名なラスト・シーン(空軍パイロットの学校を卒業直後に、彼を諦めていた女性に、彼女の勤め先の工場で軍服姿のままプロポーズして、抱き上げてそのまま工場を出ていきます)を思い出さざるを得ません。
 そう言えば、その映画の主題歌も大ヒットして、アカデミー歌曲賞を受賞しています。
 これらの作品のような男女の役割を固定化(男性が主で女性が従)した映画は、ジェンダーフリーな現在はもちろん、1950年代から1960年代の女性の自立が叫ばれていた当時のアメリカでは難しかったと思われますが、当時(1980年代)は日本がバブルだった時期で逆にアメリカ経済は不調でジェンダー観の揺り戻しがあったようです(景気とジェンダー観の変化の関係については、関連する記事を参照してください)。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江國香織「子供たちの晩餐」温かなお皿所収

2021-01-18 21:14:07 | 作品論

 1993年6月初版の短編集の中の一編です。
 ママとパパが外出するので、四人の子供たちだけで夕食をすることになります。
 いつでも用意周到なママは、もちろん夕食を用意しています。
 チキンソテーとつけあわせのにんじんとほうれん草(子どもそれぞれに合わせて量が調整してあります)、サラダとレモンジュース、パンとりんごで、今日も栄養のバランスは完璧です。
 しかし、六時になると、四人は庭に穴を掘り用意してあった夕食を埋めます。
 そして、小遣いを出し合って準備しておいた「晩餐」をします。
 彼らが禁止されていてそれゆえ憧れていた食べ物、カップラーメン、派手なオレンジ色のソーセージ、ふわふわのミルクせんべいと梅ジャム、コンビニエンスストアの正三角形の大きなおむすび、生クリームがいっぱいの百円で売っているジャンボシュークリーム、それに飲み物は水に溶かす粉末ジュースです。
 これらを、好きな場所で、好きなだけ食べたり飲んだりして満足感を感じたのです。
 児童文学研究者の石井直人は、「現代児童文学の条件」(「研究 日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」所収、内容についてはそれについての記事を参照してください)において、この作品を山中恒の「ぼくがぼくであること」と並べて、「グレードやスタイルがちがうけれども、読者にとっては、「離婚児童文学(注:石井は岩瀬成子「朝はだんだん見えてくる」、末吉暁子「星に帰った少女」、今江祥智「優しさごっこ」、ワジム・フロロフ「愛について」を例に挙げています)」と同じようにはたらくにちがいない。」と述べています。
 おそらく石井は、管理主義の両親への子どもたちの反乱としてこの作品を捉えているのでしょうが、そんなごたいそうなものではありません。
 現代児童文学史において重要な位置を占めている山中恒の「ぼくがぼくであること」とこの作品を並べているのは、買いかぶりが過ぎます。
 だいいち、ここで子供たちが食べている物は、1993年当時でも普通の子供たちの常食ばかりなので、これに憧れる子どもたちというのはかなり特殊な環境で育っているとしか言いようがなく、普通の生活をしている読者たちにはまるでピンときません。
 あるいは、江國香織自身がこれらの食べ物が禁止されるほどのお嬢様育ち(もしかすると石井直人も同じようなお坊ちゃま育ち)なのかもしれませんが、一般の読者たちにとってはとても子どもたちの行動にシンパシーが持てないので、他の「離婚児童文学」のような働きは期待できません。
 この作品に対する妥当な評価は、才気あふれる作者のちょっとした思い付きによる小品といったところだと思います。

温かなお皿 (メルヘン共和国)
クリエーター情報なし
理論社
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉川英治「三国志」

2021-01-18 16:57:59 | 参考文献

 言わずと知れた、古代中国の戦乱時代を描いた歴史ロマンです。
 三国志自体は、中国の三国時代の歴史書なのですが、古来さまざまに脚色された本が流通しています。
 日本でも様々な「三国志」が存在しますが、吉川英治の本が日本での決定版といっていいでしょう。
 また、三国志はマンガや様々なゲームになっていますが、それらも吉川英治版をベースにしています。
 三国志は、劉備、関羽、張飛の義兄弟が序盤の主役ですが、中盤は魏、呉、蜀の三国の成立が描かれ、終盤は劉備の軍師で蜀の丞相になった諸葛亮孔明が主役になります。
 夥しい登場人物の中には、劉備、関羽、張飛、呂布、曹操、司馬懿、周瑜、陸遜などの魅力的なキャラクターが描かれていますが、なんといっても最大のスターは孔明でしょう。
 歴史上天才と呼ばれる人はたくさんいますが、「千年に一人の大才」と言われているのは孔明だけです。
 この本を読んで、かつての私のように、自分は孔明の生まれ代わりだと信じている少年は今でもたくさんいるのではないでしょうか。
 この本は、私にとっては中学高校時代の最大の愛読書でした。
 不思議に、中間テストや期末テストの前になると読みたくなるので、この文庫本で八冊以上にもなる大著を何度読んだかわかりません。
 きっと、試験勉強という現実を逃避して、古代の歴史ロマンの世界に身を置きたかったのでしょう。
 「泣いて馬謖を斬る」とか「死せる孔明、生ける仲達を走らす」といった名文句はいつも心の中にあります。
 今回、久々に電子書籍で読みましたが、少しも古びることがなく著者の格調高い文章で語られる真のエンターテインメントを楽しむことができました。

三国志 (1) (吉川英治歴史時代文庫 33)
クリエーター情報なし
講談社

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボブ・グリーン「男のなかの男」チーズバーガーズ所収

2021-01-18 16:55:57 | 参考文献

 55歳の配管工の男を取り上げたコラムです。
 彼は、家庭の事情で教育を受けられなかったために、読み書きがまったくできません。
 それでも、配管工の仕事を見よう見まねで覚え、結婚もし子どもも孫もいます。
 しかし、文字が読めないために職を失ったのをきっかけに、一念発起してボランティアの先生について読み書きの勉強を始めます。
 私はこのブログで主に本について書いていますが、彼のことを思うと、本が読めるということ、それからそういう環境を与えてくれた両親への感謝の思いを新たにします。
 また、現代の日本にも、彼のように家庭の事情で教育を受けられない子どもたちがたくさんいることも、思い返さざるを得ません。
 ボブ・グリーンは、後にはかなり変わってしまいましたが、元々は彼のような普段はスポットライトが当たることのない市井の人々を取り上げた優れたコラムをたくさん書いています。

チーズバーガーズ―The Best of Bob Greene
クリエーター情報なし
文藝春秋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万城目学「趙雲西航」悟浄出立所収

2021-01-18 16:54:22 | 参考文献

 これまた中国の古典で、日本でも人気のある三国志を舞台にしています。
 そして、ここでも、主役の劉備でも、一番人気の関羽でも、千年に一度の大才といわれる諸葛亮孔明でもなく、趙雲子竜にフォーカスをあてています。
 趙雲と言えば、天下無双の槍の名手で、男の中の男という言葉がふさわしい武人ですが、そこに生きることや故郷への哀愁を与えたことが、この作品のミソでしょう。
 でも、作中には三国志マニアではないと何だかわからないエピソードが満載なので、すべてにピンとくる読者は限られる(特に女性には難しいでしょう)かもしれません。
 もっとも、現在は、三国志はコーエーのテレビゲームやパソコンゲームなどで若い世代に人気があるので、案外大丈夫かもしれません。
 私が三国志に夢中だったのは、小学生から高校生にかけて吉川英治の「三国志」(その記事を参照してください)を何十回も読みふけっていたころ(なぜか定期試験の前になると読みたくなります)と、子どもたちとコーエーのゲームをやっていたころです。
 電子書籍になったので久しぶりに読んでみました(その記事を参照してください)が、相変わらず面白く昔ほどではありませんがかなり夢中になれました。

悟浄出立
クリエーター情報なし
新潮社

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボブ・グリーン「チーズバーガーズ」

2021-01-18 16:51:26 | 参考文献

 1985年に出版された同名のコラム集から、訳者が選んだ31編を翻訳して、1986年に出版されました。

 その前年に「アメリカン・ビート」というコラム集が紹介されて、当時は日本でも作者のコラムは盛んに読まれていました(私の持っている本は1990年1月20日10刷です)。

 無名の人から有名人(例えば、モハメド・アリやメリル・ストリープなど)までの人生のある面を鮮やかに切り取って、その中に1980年代のアメリカの姿を浮かび上がらせる作者の腕前はさすがのものがあります。

 特に、この本では、1947年生まれの作者が30代の経験とフレッシュさが一番バランスの取れていた時期に書かれたものなので、数ある作者の本の中でも最も優れている作品の一つだと思われます。

 個人的な好みもありますが、有名人や彼自身の知人を書いたものより、全く無関係の無名の人々を書いたコラム(例えば、55歳にして初めてアルファベットを習うところから書くことを学び始めた男を描いた「男の中の男」(その記事を参照してください)や寂しさを紛らわすために自殺した夫が残した飛行機の格安(国内線だったら1フライト4ドルから8ドル)パス(夫がユナイテッド航空の従業員だったため)を使って飛行機を乗り継いでいる女性を描いた「飛行機のなかの他人」や亡くなった母の思い出を語る娘を描いた「母と娘」など)に優れたものが多いと思います。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボブ・グリーン「アメリカン・ヒーロー」

2021-01-18 16:49:01 | 参考文献

 1990年出版のいわゆる「ボブ・グリーン」ものの一冊です。

 あとがきにも書かれているように、このころのボブ・グリーンは、日本ではアメリカ国内よりも有名(CMにも出ていました)なぐらいで、それこそ雨後のタケノコのように彼のコラムを訳した本が出版されていました。

 この本も元になる自選集がある訳でなく、毎日書かれている彼の夥しいコラムの中から日本人にもわかるようなものを選んで訳して、「週刊プレイボーイ」に連載された後に本にしたのですから、「チーズバーガーズ」(その記事を参照してください)のような粒よりのコラムばかりではなく玉石混交です。

 また、作者自身も年齢を重ねるうちに、かつての若者らしい批判精神は次第に薄れて、かなり保守的な内容の物が多くなってきています。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海よりもまだ深く

2021-01-18 15:02:02 | 映画

 2016年公開の日本映画です。

 離婚した男女とその一人息子を、月一度の面会交流の日を中心にして、描いています。

 夫が育った古い団地に一人で住む夫の母親を絡めて、修復できない二人の関係を際立たせています。

 小説家くずれで、探偵事務所に勤めている(本人はいまだに取材のためと証しています)駄目人間(平気で依頼主を裏切ったり、金持ちの高校生の弱みを握って脅したりして、違法な小銭を稼いでいますし、同僚に借金して競輪をしたりしています)を阿部寛が熱演しています。

 彼は、長身でイケメンなのですが、このようなやや病的なところのある人間(例えば、「テルマエ・ロマエ」(その記事を参照してください)や「結婚できない男」(その記事を参照してください)など)を演じると、不思議とはまります。

 樹木希林や小林聡美やリリー・フランキーなどの芸達者は役者が多数出演していて、作品のリアリティを保証しています。

 ただし、前半にダメ男ぶりを描きすぎたために、後半の家族ドラマや、樹木希林のいかにもそれらしい台詞にも、素直に感動できませんでした。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庄野潤三「静物」プールサイド小景・静物所収

2021-01-17 16:46:31 | 参考文献

 1960年6月号の「群像」に掲載されて、同じ年に、この作品を表題とした作品集にまとめられた中編です。
 作品集はその年の新潮社文学賞を受賞していますが、この作品が受賞理由の中心であったことは言うまでもありません。
 この作品は、作者の前期の代表作であるばかりでなく、戦後文学の代表作の一つであると評されています。
 実際の作者の家族をモデルにしたと思われる五人家族(主人公である父親、その細君(こう表記されている理由は後で述べます)と、女、男、男の三人兄弟)の一見平凡に見える日常些細なことを描きながら、それがいかに危うい均衡(あるいは男女としての関係の諦念)の上に成り立っているかが、浮かび上がってくる非常にテクニカルな作品です。
 文庫本にして70ページほどのこの中編は、18の断章から構成されています。
 その大半は、父親を中心にした穏やかな日常風景(部分的には子ども(特に長女)が小さかった頃が回想されます)が描かれています。
 しかし、1、2には、長女が1歳のころに妻が自殺未遂を図ったことがにおわされて、作品全体の通奏低音のように、この一見円満に見える家庭がもろくも崩壊してしまうかもしれない不安感を漂よわせます。
 さらに、3には新婚の時のあどけない女性だった頃の妻の追憶が挿入され、かつて彼らが父親とその細君でなく、愛し合う若い男女だったことが示されます。
 そして、後半になると、14には、娘が幼かった頃のあるクリスマスに、妻が唐突に彼の家の家計としてはかなり高価な贈り物を彼と娘にしたことが思い起こされたり、16には、二番目の子どもが赤ん坊の頃に、階下ですすり泣く妻の声を聞いたことが思い出されたりして、この一見平和な家庭が、いかに彼女の大きな犠牲(一人の独立した女性ではなく、家族の中心としての父親(民主的家父長制と呼べるかも知れません)である彼の「細君」としての役割を果たすことへの諦念といったほうがいいかも知れません)の上に成り立っているかを示しています。
 しかし、その後の作者の家庭小説(「夕べの雲」や「絵合わせ]など)の中では、こうした通奏低音はすっかり姿を消して、完全に父親とその細君(独立した一人の女性でも子どもたちの母親でもなく、あくまでも主人公からの相対的な位置づけなのです)としての役割を引き受けた姿が描かれています。
 こうした作者の作品世界を、「小市民的」と批判するのはたやすいのですが、作者が頑なまでにその姿勢を貫いている間に、世間ではこの民主的「家父長」とでも呼ぶような父親たちが完全に姿を消して、その作品世界は一種の古き佳き昔を懐かしむような読者の共同ノスタルジーに支えられて、一定の読者(私もその一人ですが)を獲得し続け、その老境小説が「いつも同じことを書いている」と揶揄されながらも、なくなる直前まで出版され続けたことにつながっていったものと思われます。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なまいきシャルロット

2021-01-17 13:21:22 | 映画

 13歳の多感な少女のひと夏の経験を、美しい映像とポップな音楽で描いています。
 学校や自分の住む田舎町への違和感、そこから脱出して自由に生きることの夢、大人たちへの反発、同い年の天才少女ピアニストへの憧れ、年上の男との出会いなど、思春期前期の少女の繊細な感情をビビッドに描いています。
 フランスの地方の美しい風景と主演のシャルロット・ゲンズブールの瑞々しい魅力とも相まって、さわやかな青春映画に仕上がっています。
 日本の児童文学でも、こうしたフレッシュな小説が欲しいものです。

なまいきシャルロット [DVD]
クリエーター情報なし
ハピネット・ピクチャーズ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田野倉くんて、誰?

2021-01-16 10:44:20 | 作品

  新聞部の編集会議の時だった。
「何か、もっとおもしろい企画はありませんか?」
 今月から部長になったぼくは、部員のみんなにたずねた。
 でも、みんなは黙っている。
 今までにみんなからあがった企画は、校外活動の報告、学校の美化週間のキャンペーン、生徒会選挙の結果、部活の対外試合の成績、……。
まったく平凡な物ばかりだった。せっかくやるのだったら、ぼくはもっと斬新な企画に挑戦したかった。
「なんか、面白くないんだよね。もっといいアイデアない?」
 ぼくは、みんなの顔を見まわしながらいった。
「うーん、そんなに凝らなくてもいいんじゃない」
 そういって反対したのは、三年二組の石岡さんだ。まったくやる気がなさそうだ。
 でも、他の部員たちも、それに賛成するようにうなずいている。みんな消去法で新聞部員になったようで、まるで情熱が感じられない。
 うちの学校では、原則として帰宅部は認められていなかった。運動部はきついから嫌。吹奏楽部や美術部も練習が面倒そう。そういった特にやりたい事がない人たちが、一番「ぬるそうなクラブ」に思えたのか、新聞部に集まったみたいなのだ。


 こういってはなんだが、ぼくだけはみんなと違っていた。実はぼくが将来なりたいものは、新聞記者だったのだ。だから、一年のときからずっと新聞部に入っていた。
でも、これまでの新聞部生活は、不本意なものだった。
先々代、先代の部長はまるでやる気がなかった。顧問の先生も、事なかれ主義だった。紙面は、学校生活における定例的なイベントの報告や学校側からの伝達事項だけで、いつもうめられていた。これでは、まるで学校の御用新聞だ。新聞の使命はどこにいったのだ!(ちょっと大げさかな)
ぼくはもっと派手な記事を書いて、みんなの注目をあびたかった。
編集会議で、ぼくは様々な提案を行った。
学校生活における不満の生徒アンケート調査。生徒たちによる先生たちの逆通信簿作成。通学区域の穴場情報マップ作製。……。
しかし、それらはことごとく先輩たちに却下された。前例がないとか、過激すぎるとかが、拒否された理由だった。
ぼくは、新聞部の現状に激しく絶望していた。
でも、
(今に見ていろ、俺たちの代になったら徹底的に改革してやる)
と、ひそかに闘志を燃やしていた。
七月になって、三年生部員が引退したとき、ぼくは部長に立候補した。
対立候補はいなかった。新聞部には、そんなにやる気のある部員は他にいなかったのだ。
例年は、互いに押し付けあってから、やっと部長、副部長が決まる。ひどい時は、くじ引きで決める時もあったのだそうだ。
こうして、ぼくははれて新聞部の新しい部長になった。

OK3.田野倉くん
「もお、もっとやる気を出そうよ」
 ぼくがもう少しでキレかかったとき、
「あのう、……」
 席の隅のほうから、おずおずと手が上がった。一年生の女の子だ。
「えーっと、麻生さんだっけ。何かあるの?」
 ぼくが怒りを押さえ込みながら聞くと、
「あの、うちのクラスに、まだ一度も登校したことのない生徒がいるんですけど、その理由を調べたら記事にならないかと思って、……」
と、麻生さんはおそるおそる話していた。
 それが「田野倉くん」だという。新年度が始まってもう一ヶ月がたとうとしているのに、まだ一度も登校していないという。
「でも、病気とか、怪我なんかじゃないの?」
と、ぼくがたずねると、
「いいえ、そうじゃないって話なんですけれど」
と、麻生さんが答えた。
「それじゃあ、登校拒否ってわけ?」
 ぼくは、急に興味をそそられてたずねた。
「それが、よくわからないんです。先生もはっきり説明してくれないし、……」
 麻生さんは、少し困ったような表情をしていた。
「いいねえ、それいこう」
 ぼくは飛びついた。他に反対する者もいなかったので、今度の特集は「田野倉くん」でいくことになった。


 それからみんなで話し合った結果、インタビュー形式で、田野倉くんの人間像を浮かび上がらせることになった。
インタビュー先は、クラスメート、担任、校長、教頭、同じ小学校の友だち、田野倉くんの両親。
それに、できたら本人。
もし、本人の言い分が聞けたら、大スクープだ。
部長のぼくから、顧問の先生の了解を得ることになった。
先生には、当然のように反対された。
例によって、前例がないだとか、内容が過激だという理由だ。それに、個人情報の保護という壁があった。
確かに、この記事には、田野倉くんの個人情報が載る可能性は大だった。
しかし、ぼくはあくまでも田野倉くんの立場に立つつもりでいた。そして、この記事が、田野倉が学校へ来るきっかけになればいいと思っていたのだ。それが、どんなに思い上がった考えだったかは、後で思い知らされることになる。
しかし、この時は、それも含めてすべてがぼく自身しか知らない事だった。
そこで、
「わかりました。それでは、他の企画を考えます」
と、顧問の先生に言って、ぼくは引き下がった。
 でも、それは表面的なことだった。学校側には秘密で取材を進めることにしたのだ。
そうすると、なんだかドキドキして、みんなもかえってやる気が起きてきた。
全員で分担して、取材することになった。
まず、真っ先に、提案者の麻生さんに、さりげなく担任の先生に様子を聞いてもらうことにした。
担任の話だと、田野倉くんはやはり登校拒否になっているようだった。
でも、原因は不明だという。
その原因を探るために、みんなの活動が始まった。
しかし、インタビューをすすめていくと、田野倉くんの多面的な人間像が浮かび上がってきた。
みんな、
(彼はこうだ)
って、決め付けるけれど、それぞれが違っていた。
(田野倉くんて、誰?)
 大きな謎が残った。

       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする