現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ウィリアム・ウィーガンド「七十八本のバナナ」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-12 10:19:12 | 参考文献
 1962年に出版された批評論文集に収められた、サリンジャーの登場人物たちは「反体制者」であるが、その主な原因は精神的な「病気」に罹っているからだととらえて、作品はその救済方法について書かられたものだと解釈して論じています。
 タイトルの「七十八本のバナナ」とは、「バナナ魚にもってこいの日」(その記事を参照してください)において、「バナナ魚がバナナを七十八本も食べたために、豚のように太ってしまい、バナナを貯蔵してある室(むろ)から出られなり、バナナ熱に罹って死んでしまう」(その後のシーモァの自殺を暗示していると言われています)と、シーモァがシビルに話すシーンから来ています。
 この「バナナ熱」に、シーモァを初めとしたサリンジャー作品の大多数の主人公たちが、強弱の違いはありますが罹っていて、そのために「社会的不適合」を起し、結果的に「反体制者」になっているとしています。
 この「バナナ熱」は、一般的には「うつ病」と考えられていましたが、現在の診断基準に照らし合わせれば、おそらく双極性障害(うつ症状と躁症状が繰り返されます。詳しくは関連する記事を参照してください)だと思われます。
 こうした著者の観点では、非常に論理的で説得力のある批評になっています。
 しかし、50年以上前に書かれた文章なので仕方がないのですが、一部社会的な影響(戦争、世俗主義、小市民的な生き方など)を認めつつも、「先天的なものであって、社会的なものではない」と、断じています。
 そのため、「バナナ熱」の救済方法についても、「反抗」、「神との再結合」を経て、「ズーイ」(その記事を参照してください)における最終的な「社会との再結合」を高く評価しています(おそらくこの評論は、「シーモァ ― 序論」(1959年)が出る前に書かれたと思われます)。
 当時の一般的な考えとして、「社会に適合できない者たち」の方だけを救済(治療)すべきで、そうした患者を生み出した「社会」自体を救済(変革)すべきだという発想はなかったのでしょう。
 ところが、サリンジャーが先駆的にとらえた(アメリカ社会が世界で初めて直面した)現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティのなさ、社会への不適合など)は、特殊な人(著者の言葉では感受性が過大な人)が罹る個人的な「病気」ではなく、多くの人たち(特に若い世代)が罹る社会的な「病気」なので、その病理を解析して救済策を生み出すためには、社会的な考察が必要なのです。



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ウィリアム・ウィーガント「J.D.サリンジャーの騎士道」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-12 09:32:49 | 参考文献
 1962年に出版された批評論文集に収められた、それまでのサリンジャー作品と書き方を変えたグラス家サーガ三部作「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」(1955年)、「ズーイ」(1957年)、「シーモア ― 序論」(1959年)についての、主に手法に関する論文です(作品については、それぞれの記事を参照してください)。
 「フラニー」までのサリンジャーの作品(長編「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、中編「倒錯の森」を除くと、すべて短編)は、初期の習作(その段階で雑誌に載って、原稿料ももらえてしまうのだから、それはそれですごいことなのですが)から、高級誌「ニューヨーカー」(短編一作の原稿料が2000ドル(約22万円、1950年前後ですから、今の貨幣価値で言えば200万円ぐらいか?))にふさわしい非常に洗練されたものへと変化していっています。
 しかし、グラス家サーガ、特に31歳で自殺した天才シーモァを語るためには、従来の手法では書き得ないために新しい手法に変わっていったとしています。
 そのもっとも重要なものとして、作中へのサリンジャーの分身であるバディの登場をあげています。
 また、「シーモア ― 序論」では、シーモァとバディの一体化が感じられるとしています。
 それは当然のことで、私自身は、シーモァはサリンジャーの精神(理想像でもあり、輪廻を通して永遠に追及されものと考えています)を、バディはサリンジャーの肉体(老いてやがては死んでいく、今生限りのものと考えています)を象徴していて、「バナナ魚にもってこいの日」のシーモァの自殺で1948年に分裂したものがで、グラス家サーガを通して回復していき、17年の時を経て、「ハプワース16、一九二四」で1965年に再び合体していったのだと思っています。
 その理由としては、「ハプワース16、一九二四」における、シーモァのバディへの激しい賛美があげられます。
 ここに、サリンジャーが今までの生き方(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を生み出した流行作家)への強い肯定と、それと同じくらい強い決別の意志を示すことにより、クラス家サーガとサリンジャーの作家人生は完結したと考えています(最近、サリンジャーの遺族が膨大は遺稿を出版すると発表したので、この私の考えが根底から覆されるのではと、内心怯えています)。
 サリンジャーの書き方の変化については、私自身は、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」では、従来のストーリー性の名残を残していて、従来の読者でも楽についていけたと思っています。
「ズーイ」では、ズーイの長い独白(というよりは、バディの語りとシーモァの遺訓との合体)が大半を占めていますが、グラス家の中だけという限られた空間ではありますがまだ演劇的要素が残っているので、大半のサリンジャー・ファンは大丈夫でしょう(別の記事に書いたように、一部の評論家からは失敗作と言われています)。
 しかし、「シーモァ ― 序論」では、バディによるシーモァの紹介という形になっていて、一般の読者にはかなり抵抗があったと思われます(評論家は口をそろえて、失敗作と言っています)。
 その後、1965年に発表された「ハプワース16、一九二四」では、この書き方はさらに徹底されて、あたかもシーモァの百科事典のようになっています(この作品になると、今までは好意的に読んでいた評論家も、シーモァの超人性についていけなくなっています)。
 他の記事にも書きましたが、文学作品は作者の自己表現であると共に、一種の商品でもあります。
 これをマーケティング用語でいうと、プロダクト・アウト(作者の中にシーズ(種)があって、そこから作品が生み出される)か、マーケット・イン(読者ないしは出版社からのニーズがあって、それに合わせて作家が作品を書く)か、ということになります。
 たいがいの職業作家は、その両方を考慮して、妥協的な作品を書くわけです(当然、生活もかかっている訳ですから)。
 しかし、サリンジャーの場合は、他の記事にも書きましたが、性格的にも、経済的(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の印税が、1951年から亡くなる2010年まで(実際には現在も)、使い切れないくらい(サリンジャーは、1953年に田舎に引っ越して以降は、生涯質素な生活を送っていました)入り続けています)にも、「マーケット・イン」の作品を書く必要はなく、読者や評論家たちが望むような「ニューヨーカー」誌的な作品を二度と書くはずがなかったのです。
 
 
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板垣巴留「BEAST COMPLEX」

2019-09-10 12:57:38 | コミックス
 BEASTARS(その記事を参照してください)の原型的な読み切り作品です。
 草食獣と肉食獣が共存する独特の世界観は、この時点でほぼ確立されています。
 絵柄もほぼ一緒なのですが、タッチが荒いのは、BEASTARSの連載が決まって、優秀な(年上の)ベテラン・アシスタントを雇えるようになったからでしょう(おそらく、編集部の紹介だと思われます。アシスタントなしでは、週刊誌の連載はこなせません)。
 児童文学の世界でも、絵本の世界では、内田麟太郎のように、優秀な絵かきたちと組んで、優れた絵本を量産している人もいます。
 やはり、勝負は作品のアイデア(漫画の場合はネーム)なのでしょう。
 そうした意味では、児童文学の世界でもシノプシス(かなり詳しく書く必要はあります)の持ち込み原稿を受け入れて、優秀な才能の青田買いをしないと、ビジネス的には太刀打ちできないかもしれません。

 各読み切り作品は、以下の通りです。

1.ライオンとコウモリ
 草食獣と肉食獣が共に学ぶ学園物で、異種動物の友情を描いています。
 BEASTARSの初期の舞台であるチェリートン学園の原型が、すでに出来上がっています。
 肉食獣の持つ隠された獣性など、BEASTARSの重要なモチーフも描かれています。
 BEASTARSの主人公のハイイロオオカミのレゴシも、チョイ役で登場します。

2.トラとビーバー
 これも学園物です。
 肉食獣の大人になる悲しみ(獣性が隠しようもなくなる)が、草食獣との変わらない友情とともに描かれています。
 これも、BEASTARSの重要なモチーフです。

3.ラクダとオオカミ
 学園を飛び出して、大人の草食獣と肉食獣の異種恋愛が描かれます。
 食い魔事件(肉食獣が草食獣を襲って食べてしまう)など、BEASTARSの世界でも大きな問題になっている事件も扱われています。

4.カンガルーとクロヒョウ
 さらに、この世界の暗部(裏市(大人の肉食獣が隠れて草食獣の肉を買う場所)や暗黒組織の存在など)が描かれています。

5.ワニとガゼル
 肉食獣と草食獣が繰り広げるかなりきわどい生放送の料理番組です。
 この世界でタブーとされる肉食問題も、BEASTARSの大きなモチーフです。

6.キツネとカメレオン
 恋愛に積極的な肉食獣の女の子と消極的な草食獣の男の子の異種恋愛物です。
 BEASTARSのレゴシとドワーフウサギの女の子のハルとの恋愛の裏返し的原型です。






3.
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赤羽末吉「おおきなおおきなおいも」

2019-09-10 08:28:17 | 作品論
 1972年10月に初版が出た古典的な絵本です。
 私が読んだのは、2000年11月の76刷ですから、子どもたちにはおなじみのロングセラーになっています。
 この絵本も、児童文学研究者の石井直人が「現代児童文学の条件」(「研究 日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」所収、その記事を参照してください)において、田島征三の「しばてん」や長新太の「キャベツくん」などと並べて、「これらの絵本の画面には、およそ(読者の)「内面」に回収できない、とんでもない力が充溢している。」と、評しています。
 たしかに雨降りでいもほりに行かれなかった園児たちが途方もない空想を展開するお話ですが、「鶴巻幼稚園・市村久子の教育実践による」と但し書きがあるように、この本は大人よりも柔軟な読み手である子どもたちの「内面」には回収できるかもしれません。
 しかし、このようなあふれるエネルギーに満ちた絵本に出会えた子どもたちは幸せです。
 天気の日には園庭で力の限りに遊び、雨の日には部屋の中でこのような絵本を好きなだけ読む、そんな幼年の日々をすべての子どもたちに味わってもらいたいものだと、心から思います。
 やたらと教育的だったり、教訓的だったりする絵本があふれている現状では、媒介者(両親、先生などの子どもたちに本を手渡す人たち)は心して本を選択しなければいけないでしょう。

おおきなおおきなおいも―鶴巻幼稚園・市村久子の教育実践による (福音館創作童話シリーズ)
クリエーター情報なし
福音館書店
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レイモンド・ブリッグス「風が吹くとき」

2019-09-09 08:25:02 | 作品論
 1982年に出版された、核戦争が過去の物でなく現在でも起こり得ることに警鐘を鳴らした絵本(漫画)です(アニメにもなっています)。
 国家が喧伝する「戦争や核」が、実際に個人(名もなき庶民)が直面する「戦争や核」といかに乖離しているかを糾弾しています。
 1976年にイギリス情報局が出した「防護して生き残れ」という「核シェルターを自分で作って生き残ろう」というパンフレットどおりに行動して、国家の救援をむなしく待ちながら死んでいく老夫婦の姿を、ブラックユーモアも使いながら淡々と描いています。
 この作品が出版されたときに、日本では「原爆の恐ろしさを伝えていない」と批難されたそうですが、このような書き方の方が放射能汚染の恐ろしさをじわじわと伝えてより迫真性があります。
 日本の漫画を読みなれた目にはこまわりが細かくセリフを多いので、子どもたちには読みにくいかもしれませんが、ぜひ読んでほしい作品です。
 今後、広島や長崎の悲惨な実態をいかに克明に描いても、「過去の事」として受け取られてしまう恐れがありますが、このように近未来に起こり得る核戦争(あるいは原発事故)による放射能汚染の恐ろしさを描けば、今日の問題として受け取ってもらえると思います。
 また、福島第一原発事故で、東京電力や国家がいかに事実を隠蔽していたかを経験した我々にとっては、自分で正しく判断するための情報収集の必要性が重要だということもわかります。

風が吹くとき
クリエーター情報なし
あすなろ書房
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フランク・カーモード「片手の鳴る音」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-08 11:07:36 | 参考文献
 1962年に書かれた「フラニーとズーイ」(その記事を参照してください)の読者論です(「フラニー」は1955年に、「ズーイ」は1957年に、ともに「ニューヨーカー」誌に発表されたのですが、1961年に一冊の本にまとめられています)。
 「片手の鳴る音」というのは、サリンジャーの1953年に出版された唯一の自選短編集「九つの物語」(その記事を参照してください)の以下の巻頭言によるものです。
 「両手を叩いて鳴る音はわかる。
  しかし、片手を叩いて鳴る音はなにか?
           ― 禅の公案の一つ」
 著者は、「フラニー」を「完璧な出来栄えである」とする一方で、「ズーイ」を「ほとんど完全な失敗作」として、この論文のほとんどを使ってこき下ろしています。
 いろいろな例をあげて批判していますが、要は、サリンジャーは「とんまな」「田吾作」(著者の言葉です)である一般読者を本当は軽蔑しているのに、彼らをキリストと考えて演技する「神の女優」になることを納得させることで、ズーイが神経衰弱に陥っているフラニーを救済するという「手品」(これも著者の言葉です)を使っているとしています。
 つまり、サリンジャーは本当は教養主義者のくせに、あたかも一般読者(観衆)側に立っているかのように見せかけているが、レトリックが完璧なので読者はまんまと欺かれているとしています。
 また、これらの作品を本当に理解するためには教養が必要なのに、その教養を否定するような書き方をしているのは二重構造だとしています。
 そのため、「ズーイ」では、「聖性などひとかけらも持ち合わせない太っちょのオバサマ(註:「ズーイ」の中で一般の観衆を代表していて、彼らすべてがキリストなのだとズーイ(サリンジャー)は主張して、フラニーも納得して精神的窮地から救済されます)が頑として手をかしてくれないので、芸術家の片手が音もなく空を打つのだ」とタイトルにかけてカッコよく締めくくっています。
 著者は、「教養」という同じ言葉を、かなり狭い意味で使っています。
 すでに評価が確立した「哲学書」や「宗教書」や「古典(文学も含みます)」も、その時代に流行しているの「芸術(文学も含めて)」や「学問」や「思想」も、その時代に必要とされる「知識」や「常識」も、それぞれある意味では「教養」です。
 便宜的に、「真の教養」、「流行の教養」、「生活の教養」と名付けておきます。
 著者は、フラニーのボーイフレンドのアイヴィー・リーグの大学生を「教養のない学生」と決めつけています。
 ここで著者が使っている「教養」の意味は、あきらかに「真の教養」のことです。
 なぜなら、このボーイフレンドを初めとしたフラニーのまわりの人たちは、「流行の教養」をひけらかせるフォニー(インチキ野郎)ばかりで、兄のシーモァやバディから「真の教養」の薫陶を受けていたフラニーには耐えられなくなっていたからです。
 著者は、「ズーイ」を理解するためには「教養」が必要だとしています。
 しかし、ここで求められる「教養」は、限られた者(グラス家兄妹のような「神童」か、著者のような人たち)たちだけが理解できる「真の教養」ではなく、「生活の教養」で十分です(「真の教養」や「流行の教養」に関しても、用語が分かればもっと楽しいかもしれませんが)。
 著者もサリンジャーも、彼ら自身が求めているのは「真の教養」です。
 しかし、決定的に違うのは、著者が「真の教養」を持たない者を本当に軽蔑しているのに対して、サリンジャーは「流行の教養」に振り回されている人間は軽蔑していますが、「生活の教養」しか持たない人までも軽蔑している訳ではなく、そうしたすべての人たちがキリストだと言っているのです。
 サリンジャーは宗教者ではなく、あくまでも文学者です。
 本を読まない(あるいは芝居を見ない)読者(観衆)までキリストだとは言っていません。
 文学者なり演技者は、その読者なり観衆なりに、理解してもらえるように最大限の努力をせよと言っているのです。
 それは、内心軽蔑しているのに、レトリックで読者を欺いていることでは決してありません。


 




 
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高橋健二「体験的ケストナー紹介」子どもと子どもの本のために所収

2019-09-08 09:19:47 | 参考文献
 この本の編訳者による、ケストナーの紹介文です。
 ケストナーとほぼ同年代(三歳年下)のドイツ文学者は、ケストナーが日本で広く読まれるようになったことの最大の貢献者です。
 私自身は、子どものころは、講談社版少年少女世界文学全集に入っていた小松太郎氏の訳による「飛ぶ教室」、「点子ちゃんとアントン」、「エーミールと三人のふたご(「エーミールと軽業師」という題名でした)」しか読んでいませんでした。
 大学に入って初めて買った本が、著者による「ケストナー少年文学全集全八巻・別巻一」でした。
 理工学部の生協で買ったので、5%引きだったのがうれしかったことを今でも覚えています。
 それ以来、ケストナーの本と言えば、著者の訳文でずっと読んできました。
 私にとっては、ケストナーと高橋健二は、ケストナーとトリヤー(ケストナーの作品の挿絵画家)と同様に、切っても切り離せない関係です。
 それは、多くの日本のケストナーファンも同様でしょう。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
クリエーター情報なし
岩波書店
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武田勝彦「年譜」フラニーとズーイ解説

2019-09-07 10:17:11 | 参考文献
 鈴木武樹訳の角川文庫版「フラニーとズーイ」(1969年)の解説に付けられた年譜です。
 1919年1月1日の誕生から、「ニューヨーカー誌」1965年6月19日号に発表された「ハップワース16,一九二四」(その記事を参照してください)までの、かなり詳細なサリンジャーの年譜がまとめられています。
 特に、1940年のデビュー作「若者たち」(その記事を参照してください)から、最後の作品の「ハップワース16,一九二四」までの全作品の初出と単行本化の情報がすべて掲載されていますので、相互の関係を知るうえで非常に参考になります。
 また、参考事項として、著者が選んだ、各年のアメリカの社会、文学、語学のトピックスを中心として、日本文学、世界史上の重要事項も書かれているので、当時の時代背景や文学との関係を知ることもできます。
 なお、この年譜は、同じ訳者の角川文庫版「九つの物語」(1969年)、「倒錯の森」(1970年)、「若者たち」(1971年)、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」(1972年)にも転載されています(この出版順は、サリンジャーの作品の実際の発表順とは無関係です。詳しくは、それぞれの事を参照してください)。
 さらに、この年譜は、東京白川書院「サリンジャー作品集」(1981年)にも転載されていますが、以下の文章が追加されていて、サリンジャーファンを心配させました。

1968年(昭和43年)49歳 妻クレアが精神的打撃を与えたとの理由で離婚訴訟を起し、サリンジャーはそれに同意した。

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武田勝彦「参考文献」大工らよ、屋根の梁を高く上げよ解説

2019-09-07 10:15:20 | 参考文献
 鈴木武樹訳の角川文庫版「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」の解説に付けられた参考文献です。 
 1969年9月までに日本で発表された、サリンジャーに関する翻訳、単行本・定期刊行物・大学紀要などに所収された関係文献、大学生の教材用のテキストなどを、著者ができうる限り収録した労作で、サリンジャーを研究しようとする人間にとっては非常に参考になります。
 なお、この「参考文献」は、同じ訳者の角川文庫版「フラニーとズーイ」(1969年)に掲載され、「九つの物語」(1969年)、「倒錯の森」(1970年)、「若者たち」(1971年)にも転載されていますが、このシリーズの最後の出版のこの「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」(1972年)のものだけに、補遺としてそれ以降1971年途中までのリストが追加されていますのでご注意ください。
 なお、この出版順は、サリンジャーの作品の実際の発表順とは無関係です。
 さらに、東京白川書院「サリンジャー作品集」(1981年)にも転載されていて、そこには1980年ぐらいまでの文献が追加されていますので、できたらそちらの方を参照した方がいいでしょう。
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フランク・カーモード「ガラスの動物園」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-07 10:04:24 | 参考文献
 1963年に書かれた「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ/シーモァ ― 序論」(それぞれの記事を参照してください)について書かれた書評(というよりは罵倒)です。
 前者の作品は1955年に、後者は1959年に、それぞれ「ニューヨーカー」誌に発表されていますが、この年に一冊にまとめられて出版されています。
 先行する二つの書評から予想できたのですが、二作を「公案(禅宗で、悟道のために(修行者に)与えて工夫させる問題)もどき」の作品と、酷評しています。
 特に、「シーモァ ―序論」については、「シーモァの聖性についての散漫な研究」「屑みたいな作品」「「ズーイ」以上の失敗作」と、口を極めて罵っています。
 さらに、読者についても、「利口そうな顔はしていても、禅について何も知らず、弓道といえば的を射ぬく遊びだと思っているような手合い」「幼稚な読者」「面白いと思うのは誇張の好きな人だけだろう」「何が面白くてかくも多くの人がサリンジャーをまともに相手にするのか」と、サリンジャー以上に軽蔑しています。
 要は、「サリンジャーの禅は、西洋禅(西洋に輸入された半可通の禅)だし、弓道についても、詩(特に俳句)についても、本質的には理解していない(「俺の方が正しく理解している」という感じが全面に出ています)が、読者はもっと無知なので有難がって読んでいる」ということのようです。
 しかし、著者の禅、、弓道、俳句に対する理解も、日本人(私は弓道以外は門外漢ですが)の眼から見れば、サリンジャーと五十歩百歩で、むしろ語り手のバディを通して表明しているようにサリンジャーの方が西欧人の限界をわきまえているだけ、まだましなように思えます。
 それにしても、こうした罵詈雑言が、きちんとした本の中に収められ(ということは著者にとっては、お金になったということです)ること自体に、当時のサリンジャー・ブームのものすごさが感じられて興味深いです。
 なお、タイトルの「ガラスの動物園」については本文では一言も触れていませんが、おそらくテネシー・ウィリアムスの有名な戯曲から来ていて、バディ(サリンジャー)のシーモァに対する「劣等感」を表わしている物と思われます。


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岩瀬成子「きみは知らないほうがいい」

2019-09-07 08:55:39 | 作品論
 五年の時にクラスでシカトされて不登校になった経験のある、六年生の女の子が主人公です。
 今のクラスにも、からかいやいじめ(主人公も認識していますが、いじめられた子が自殺に追い込まれるようなひどいものではないです)が横行しています。
 いじめが原因で転校してきたがいつも正論を述べるのでこの学校でも孤立してしまっている男の子、太っていることを理由に男子に理不尽な目に合っている女の子、作文がネットに載っていたものをパクッたと疑われてクラスで孤立している女の子など、主人公以外にもからかいやいじめの標的になっている子どもたちがいます。
 子どもだけではありません。
 北から流れてきて南へ向かっているホームレス(この用語は作者は嫌いなようなので言い換えると自由人)の男性、作家志望でバーテンダーをやっている主人公の叔父、子どもたちの世話になりたくないと意地を張っている主人公の祖母など、大人たちも孤立しています。
 ラストでは、孤立している子どもたちが、それぞれ自立しながらも連帯していこうときざしを見せて、物語は終わります。
 作品のつくりは一種の成長物語で、そういう意味ではオーソドックスな「現代児童文学」なのですが、こうした作品が2014年に出版されていたことに驚きました。
 今でも、女の子には、こういったかたい作品(主人公と正論を述べる男の子は、とても小学生とは思えない大人っぽい考えや発言をしますし、大人の私が読んでも息苦しさを感じます)を読みこなす読者がいるのでしょうか。
 また、担任の教師があまりに無能なのには、イライラさせられました。
 作者には、教師なんかこんなものという固定観念があるように感じられました。
 それに、クラスの悪者が男の子ばかり(消極的な悪者は女の子にもいますが)なのも、女の子の読者には読んでいて気分がいいでしょうが、少々偏見があるようにも思えました。

きみは知らないほうがいい (文研じゅべにーる)
クリエーター情報なし
文研出版
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神沢利子「ちびっこカムのぼうけん」

2019-09-06 08:46:20 | 作品論
 出版は1961年ですが、後半の「北の海のまき」は1960年に「母の友」に発表されています。
 石井桃子たちが「子どもと文学」で提唱した「おもしろく、はっきりわかりやすく」を体現した最初の作品と言われていますが、神沢は石井たちのグループとは直接的には関係なく、独自にこの世界を作り出したものと思われます。
 1975年に出た「現代児童文学作家案内」によると、神沢はもともとは詩人であったので、このような叙事詩的な趣を持った作品を作り上げられたのかもしれません。
 「児童文学宣言」や「子どもと文学」で否定された近代童話の大御所、小川未明も、かつて自分の童話を「わが特異な詩形」といっていましたが、そちらは典型的な抒情詩です。
 この作品のような散文性を持った叙事詩的な物語は、他の同時期に発表された児童文学の作品とは異なり、スケールの大きな新しい児童文学の可能性を拓くものでした。
 私が読んだ「新・名作の愛蔵版」の「あとがき」で神沢自身が述べているように、サハリンや北海道での幼少期の体験と、ステンベルクマンの「カムチャッカ探検記」を読んだことが、このカムチャッカを舞台にしたこの冒険物語を生み出したのでしょう。
 この作品は、カムがかあさんの病気を治すためにイノチノクサを探し出すために、クジラをつまみあげてあぶって食べているという大男ガムリイから金のユビワを奪いに行く「火の山のまき」と、ガムリイにシロクジラに変えられてしまったとうさんを救いに行く「北のまき」の二部に分かれています。
 とにかく冒頭から、冒険に次ぐ冒険で、読者に息つく暇を与えません。
 また、人間だけでなく、クマ、トナカイ、ジネズミ、ヤギ、シロタカ、オオワシ、サケ、アザラシ、クジラ、イルカ、タポルケ、シャチといった北方の動物たち、さらには、オニや岩の怪物などの超自然的なものまでが縦横無尽に活躍します。
 お話の型としては「桃太郎型」で、動物などの仲間をだんだんに増やしていって、最後には敵(この物語では大男ガムリイやシャチ)を成敗して、めでたしめでたし(この物語では病気のかあさんを元気にして、シロクジラになっていたとうさんをもとの姿に戻します)といった単純なものです。
 しかし、その過程で、子どもたちの大好きな繰り返しの手法を駆使して、たっぷりとハラハラドキドキさせて楽しませてくれます。
 また、山田三郎のスケールの大きなしかも緻密な挿絵が、物語世界の魅力を余すところなく伝えてくれます。
 そう、この本は、現代日本児童文学で最初に大成功をおさめたエンターテインメント作品なのです。
 私が読んだ本は、新・名作の愛蔵版の2001年1月の三刷ですが、1961年に出た最初の本は1968年までに22刷、1967年に出た名作の愛蔵版では1999年までになんと115刷、それ以外に文庫本も出ています。
 同じころに書かれた「現代児童文学」としてより評価が高かった作品(特に社会主義リアリズムの作品)は、とうに歴史に淘汰されて読まれなくなっているものが多い中で、この本は五十年以上にわたって読み継がれ売り続けられているロングセラーです。
 本の評価というものは本当に難しいものだと、つくづく考えさせられてしまいます。
 児童文学研究者の本田和子は、1975年に出版された「現代児童文学作品論」の中で、北欧神話の世界を舞台にしたリンドグレーンの「ミオよ、わたしのミオ」と比較して、以下のように否定的な評価を下しています。
「作者の提供した「神話的世界」とは、「その面白さ」が、ファクターアナライズ的に分析され、とり出された要因が合理的に組み合わされたもの。即ち「神話の要因と神話的形象を借りた『子どもの文学的』世界」だったのである。そして、この「子どもの文学的世界」が、余りにも公式的・モノレール的でありすぎたのであった。
 ここに、この作品の限界をみることが出来る。即ち、一九六一年という作品成立の時代は、「子どもと文学」による創作理論が、新鮮に、児童文学界を魅了した時代なのだった。」
 まず、この本のようなエンターテインメント作品を、リンドグレーンの作品群の中でも最も純文学的な「ミオ」と比較して否定的な評価を下すのは、フェアなやり方ではないと思います。
 おそらく当時の本田には(実は私自身もかつてそうだったのですが)、エンターテインメント作品を正当に評価する批評理論がなかったのだと思われます。
 また、引用文中の「子どもの文学的」といのは、前述した石井桃子たちの「子どもと文学」の創作理論に基づいて書かれた作品という意味で使われていると思われますが、先ほども述べたようにこの本の初出が「子どもと文学」が出版されたのと同じ1960年であることを考えると、本田の論には無理があるように思えます。
 本田に限らず実作経験のない児童文学の研究者や評論家は、新しい児童文学理論が出るとただちにそれが創作に反映されると考えがちですが、それは完全な誤解です。
 まず、児童文学論や評論を自分でやっていない純粋な創作者は、評論家や研究者が思っているほど児童文学理論や評論の影響は受けていません(だいいち読んですらいないことが、圧倒的に多いです)。
 また、仮に創作者が自分でも児童文学理論を考えていたり、同人誌などで研究者や評論家と一緒に活動している場合でも、その理論を創作に反映するには試行錯誤を経てある程度の時間がかかります。
 例えば、1953年の「児童文学宣言」で示された「少年小説」が初めてまとまった形になった山中恒の「赤毛のポチ」が発表されたのは、1955年前後でした(出版されたのはさらに遅く1960年です。)。
 また、先ほど述べたように、「子どもと文学」が出版されたのは1960年ですが、そのための議論は1955年ごろから始められていて、その成果としてメンバーのいぬいとみこの「木かげの家の小人たち」が出版されたのは1959年です。
 このように、創作者が新しい創作理論を自分のものとして消化し、作品に反映するのには数年はかかるものなのです。
 松田司郎は、1979年の「日本児童文学100選」で、この作品の「おもしろさ」と幼年の読者(読解力などの違いにより、現在では当時よりも年長の読者が中心になっていることでしょう)に着目して、ガネットの「エルマーのぼうけん」などを引き合いに出して、以下のように「子ども読者」の立場に寄り添った批評をしています。
「この作品の意図は小さな読者に冒険そのもの(冒険を支える魔法の世界)をスピーディに展開してみせることにあり、冒険後の目的成就もまさにハッピーエンド(物語完結の均衡)として徹底させている。」
 本田と松田の批評が出てからでも、すでに四十年以上が経過しています。
 先ほど述べたように、この本が今でも版を重ねているということは、少なくとも「子ども読者」の評価はこの作品を古典として認めていることになります。


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フランク・カーモード「適格の読者層」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-05 12:02:28 | 参考文献
 1958年に書かれた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の読者論です。
 この本がこれほどヒットした理由として、彼の作品の本来の読者である「ハイブラウ」な(知識や教養のある)読者以外の読者がすごく大きかったからだとしています。
 著者は典型的な教養主義者のようで、「ハイブラウ」な読者が少数の「真の」読者であり、「その他の読者は偶然の添え物でしかなかった」としています。
 しかし、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のその他大勢の読者は、「ありふれているがなかなか鋭い、新しい種類の読者」だとし、「目の肥えた消費者でもある」として、「彼(ら)に供給される商品は、すぐに廃れてしまう」としています。
 そして、「私が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を再読してみて、魅力がいくぶん減退していると感じた理由がこれである」と断定して見せています。
 しかし、この文章が書かれてすでに60年以上も経っているのに、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が今でも世界中で読まれていることは、ご存じのとおりです。
 
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ポール・レヴィン「J.D.サリンジャー ― <適応できない人間> ― そのテーマの展開」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-03 10:13:07 | 参考文献
 1958年ごろに書かれた「(社会に)適応できない人間」という切り口で、サリンジャー作品を批評した論文です。
 切り口自体は面白いですし、当時としては新鮮なものだったに違いありません。
 なぜなら、そうした「社会に適合できない人間」が、まとまった数でアメリカ社会に初めて(ということは、世界で初めてといってもいいと思います)登場するのは、第二次世界大戦以降のことだったからです。
 ただし、60年も前の「社会に適合できない人間」に対する認識や対応が不十分な時代に書かれたので、「適合できない」理由を個人(この場合は主人公たち)に求めて、それが「社会的な問題」であるという認識に欠けているのは仕方がありません。
 つい10年ほど前でも、日本では専門家であるべき精神科医にも、年配の人たち(はっきり言ってその分野の権威者たちです)には、そういった考えの人たちが結構いました(詳しくは、双極性障害に関する記事を参照してください)。
 そのため、「サリンジャーの読者は、彼の愛好家か、一般に悩める若者たちに限られてしまうのである」「彼の読者層は熱狂的な崇拝者だけとなり」といった誤った結論を導き出してしまっています。
 同じころに、「年齢とは精神的なものであって、時間的なのものではない」として、サリンジャー作品がアピールする「若者たち」もまた「精神的なものであって、時間的なのものではない」(「愛の求道」の記事を参照してください)としたダン・ウェイクフィールドのような先見性は著者にはありませんでした。
 そうなったことの理由としては、著者がサリンジャー作品をきちんと読んでいない疑いがあげられます。
 翻訳者も、注釈の中で、彼の読み間違いを二か所指摘していますが、それ以外にも数か所、まともなサリンジャー作品の読者なら決してしないであろう読み間違いに気づきました。
 この論文は、1962年に出版された「J.D. Salinger and the Critics」に入っていたようです。
 きっと、その当時は、サリンジャーについて何か書けば、簡単に活字になったのだと思われます(そのおかげで、当時の様子が分かるのですが)。
 本人がかたくなに沈黙を守っているので、余計に勝手な解釈の文章が氾濫していたのでしょう。
 このことからも、当時のアメリカにおけるサリンジャー・ブームのすさましさが分かります。
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アーサー・マイズナー「J.D.サリンジャーの恋歌」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-01 10:45:00 | 参考文献
 この論文の発表年度の記載はない(この論文集の大きな欠点です)のですが、元ネタになっているアメリカの論文集は1962年の発行なので、「ハプワース16、一九二四」(その記事を参照してください)の発表前で、いわゆるグラス家サーガがこれからも書き続けられるだろうと思われている時期に書かれたものです。
 題名にある「恋歌」の意味は、サリンジャーがアメリカ社会に属する様々な人々の話し言葉や物や仕草や行動の中に「恋歌」を見いだして、それを表現できる詩人であることを指しています。
 そして、それを見いだすことによって、アメリカ生活観といった抽象観念をつかまえ、それが「現代の現実生活のなかに、習慣的行動のなかに、われわれの言葉のなかに生きていることを見たこと、そしてわれわれにもそれを見させる方法を発見したこと」をサリンジャーの業績としています。
 こうした、アメリカの生活史や文学史におけるサリンジャーの位置づけに関する内容も興味深いのですが、「グラス家サーガ」の中に順不同(発表時期やグラス家サーガにおける年代もバラバラです)に散りばめられたグラス家七人兄妹の対する非常に正確な紹介が興味深いです。
 グラス家サーガをすべて読んでいる読者でも、「あれ、こんな記述あったかな」「どの作品に書かれていたかな」と思う記述も含まれています。
 簡単にユニークな点だけを紹介すると(一般的な紹介は、角川文庫版の武田勝彦による解説の記事を参照してください)、
 シーモァ(長男):自殺のいきさつに関して時系列に紹介されていますが、一番の重要人物であるシーモァに関しては、いろいろな所ですでにたくさん論じられているせいか、特に新しい記述はありません。
 バディ(次男):本名がウェッブじゃないかとしています。
 ブー=ブー:「そのふざけた名前はともかく、また全体的に美人らしさに欠けるということも(注:この部分は誤訳しているので「なくは」を追加すべきでしょう)ないけれど、小づくりな顔はとてつもなく敏感繊細な感覚を感じさせて永遠に忘れがたく、その点からすれば、彼女はまさに人の運命を決定する瞠目の美女ということになる」「グラス家の他の子どもたちよりもうまく世間と妥協しているようである」としています。
 ウェイカーとウォルトの双子については、「ウェイカーに雨が降りそうだと言おうものなら、彼は目がうるんで来る」「ウォルトはベシー・グラス(七人兄妹の母親です)の「唯一の陽気な息子」」と対照的に紹介しています。
 ズーイ(五男)とフラニー(次女)については、「フラニー」と「ズーイ」というそれぞれの作品(それらの記事を参照してください)の中で詳細に描かれているので、二人が「非の打ちどころのない美貌」と「人並すぐれた容姿の持ち主」で、ともに演劇関係(テレビの主演俳優と舞台女優)の仕事をしているといった共通性が強調されています。


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