現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

岩瀬成子「きみは知らないほうがいい」

2019-09-07 08:55:39 | 作品論
 五年の時にクラスでシカトされて不登校になった経験のある、六年生の女の子が主人公です。
 今のクラスにも、からかいやいじめ(主人公も認識していますが、いじめられた子が自殺に追い込まれるようなひどいものではないです)が横行しています。
 いじめが原因で転校してきたがいつも正論を述べるのでこの学校でも孤立してしまっている男の子、太っていることを理由に男子に理不尽な目に合っている女の子、作文がネットに載っていたものをパクッたと疑われてクラスで孤立している女の子など、主人公以外にもからかいやいじめの標的になっている子どもたちがいます。
 子どもだけではありません。
 北から流れてきて南へ向かっているホームレス(この用語は作者は嫌いなようなので言い換えると自由人)の男性、作家志望でバーテンダーをやっている主人公の叔父、子どもたちの世話になりたくないと意地を張っている主人公の祖母など、大人たちも孤立しています。
 ラストでは、孤立している子どもたちが、それぞれ自立しながらも連帯していこうときざしを見せて、物語は終わります。
 作品のつくりは一種の成長物語で、そういう意味ではオーソドックスな「現代児童文学」なのですが、こうした作品が2014年に出版されていたことに驚きました。
 今でも、女の子には、こういったかたい作品(主人公と正論を述べる男の子は、とても小学生とは思えない大人っぽい考えや発言をしますし、大人の私が読んでも息苦しさを感じます)を読みこなす読者がいるのでしょうか。
 また、担任の教師があまりに無能なのには、イライラさせられました。
 作者には、教師なんかこんなものという固定観念があるように感じられました。
 それに、クラスの悪者が男の子ばかり(消極的な悪者は女の子にもいますが)なのも、女の子の読者には読んでいて気分がいいでしょうが、少々偏見があるようにも思えました。

きみは知らないほうがいい (文研じゅべにーる)
クリエーター情報なし
文研出版

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