現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

フランク・カーモード「ガラスの動物園」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2019-09-07 10:04:24 | 参考文献
 1963年に書かれた「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ/シーモァ ― 序論」(それぞれの記事を参照してください)について書かれた書評(というよりは罵倒)です。
 前者の作品は1955年に、後者は1959年に、それぞれ「ニューヨーカー」誌に発表されていますが、この年に一冊にまとめられて出版されています。
 先行する二つの書評から予想できたのですが、二作を「公案(禅宗で、悟道のために(修行者に)与えて工夫させる問題)もどき」の作品と、酷評しています。
 特に、「シーモァ ―序論」については、「シーモァの聖性についての散漫な研究」「屑みたいな作品」「「ズーイ」以上の失敗作」と、口を極めて罵っています。
 さらに、読者についても、「利口そうな顔はしていても、禅について何も知らず、弓道といえば的を射ぬく遊びだと思っているような手合い」「幼稚な読者」「面白いと思うのは誇張の好きな人だけだろう」「何が面白くてかくも多くの人がサリンジャーをまともに相手にするのか」と、サリンジャー以上に軽蔑しています。
 要は、「サリンジャーの禅は、西洋禅(西洋に輸入された半可通の禅)だし、弓道についても、詩(特に俳句)についても、本質的には理解していない(「俺の方が正しく理解している」という感じが全面に出ています)が、読者はもっと無知なので有難がって読んでいる」ということのようです。
 しかし、著者の禅、、弓道、俳句に対する理解も、日本人(私は弓道以外は門外漢ですが)の眼から見れば、サリンジャーと五十歩百歩で、むしろ語り手のバディを通して表明しているようにサリンジャーの方が西欧人の限界をわきまえているだけ、まだましなように思えます。
 それにしても、こうした罵詈雑言が、きちんとした本の中に収められ(ということは著者にとっては、お金になったということです)ること自体に、当時のサリンジャー・ブームのものすごさが感じられて興味深いです。
 なお、タイトルの「ガラスの動物園」については本文では一言も触れていませんが、おそらくテネシー・ウィリアムスの有名な戯曲から来ていて、バディ(サリンジャー)のシーモァに対する「劣等感」を表わしている物と思われます。


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