オタク評論家の大塚による、小説家養成の専門学校での講義をまとめたものです。
大塚は、「小説には特別な才能は不要で誰にでも書ける」とし、その訓練で大事なのは文章を磨くことではなく、「おはなし」を作ることだとしています。
そして、その「おはなし」も訓練すれば誰でも作れるとして、その証拠として五才の子が作った「おはなし」を紹介しています。
誰でも「おはなし」が作れるのはその通りですが、訓練して習得したレベルでの「おはなし」などたかがしれています。
本物のストーリーテラーは、幼いころからほとんど無意識に「おはなし」(それを実際に文章にして書くかは別問題です)を作る習慣があるので、それこそ無数に「おはなし」体験を持っているのです。
そういう人たちに対して、講義で習って「おはなし」作りを始めたのではあまりにも遅すぎます。
大塚はキーワードを書いたカードをシャッフルしてプロットを作る方法を得々として紹介していますが、こんなことは、小説を書いたことのある人ならば、実行するかどうかは別として誰でも思いつくことです。
例えば、五十年以上も前に書かれた北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」において、友人の劇の研究者が北に同様のアイデアを説明するシーンがあります。
これを使っていくらトレーニングしても、できあがる「おはなし」はたかがしれています。
そして、この講義のタイトルは「本当は誰にでも小説は書けるということ」でしたが、いつのまにか「「おはなし」は誰にでも作れる」にすり替わってしまいました。
「小説」と「おはなし」の間には、大きなギャップがあります。
これでは「羊頭を掲げて狗肉を売る」のたぐいで、大塚が批判している「小説家志望者」を食い物にする業者(自費出版会社、専門学校など)と大差はないでしょう。
大塚は、「小説には特別な才能は不要で誰にでも書ける」とし、その訓練で大事なのは文章を磨くことではなく、「おはなし」を作ることだとしています。
そして、その「おはなし」も訓練すれば誰でも作れるとして、その証拠として五才の子が作った「おはなし」を紹介しています。
誰でも「おはなし」が作れるのはその通りですが、訓練して習得したレベルでの「おはなし」などたかがしれています。
本物のストーリーテラーは、幼いころからほとんど無意識に「おはなし」(それを実際に文章にして書くかは別問題です)を作る習慣があるので、それこそ無数に「おはなし」体験を持っているのです。
そういう人たちに対して、講義で習って「おはなし」作りを始めたのではあまりにも遅すぎます。
大塚はキーワードを書いたカードをシャッフルしてプロットを作る方法を得々として紹介していますが、こんなことは、小説を書いたことのある人ならば、実行するかどうかは別として誰でも思いつくことです。
例えば、五十年以上も前に書かれた北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」において、友人の劇の研究者が北に同様のアイデアを説明するシーンがあります。
これを使っていくらトレーニングしても、できあがる「おはなし」はたかがしれています。
そして、この講義のタイトルは「本当は誰にでも小説は書けるということ」でしたが、いつのまにか「「おはなし」は誰にでも作れる」にすり替わってしまいました。
「小説」と「おはなし」の間には、大きなギャップがあります。
これでは「羊頭を掲げて狗肉を売る」のたぐいで、大塚が批判している「小説家志望者」を食い物にする業者(自費出版会社、専門学校など)と大差はないでしょう。
物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫) | |
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