現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

大石真「光る家 「眠れない子」第一章」児童文学 新しい潮流所収

2017-09-18 08:57:27 | 作品論
 1980年に雑誌「びわの実学校」100号に掲載され、断続的な連載の後に、書き改められて「眠れない子」(1990年)にまとめられた作品で、編者の宮川健郎によって転載されました。
 なぜか毎晩眠れなくなった(今で言えば、不眠症の一種の中途覚醒でしょう)主人公の四年生の男の子が、ふとしたことから家(スナック勤めのママと二人暮らしなので夜は誰もいません)を抜け出して、都会の街をさ迷い歩きます。
 深夜の街は人気がなくて、知らない街(世界に大戦争がおこって人類がほとんど死に絶えた後の街とか、宇宙のどこかにある宇宙人の街)のようでした。
 引き返そうとした時、主人公は明るく光った家を見つけます。
 そこは、眠れない人たちが集って明け方まで話をする家でした。
 玄関のところにいた女の人に招き入れられた家の中では、大勢の人たちが話をしていました。
 ほとんどが大人の人たちばかりでしたが、中に一人だけ同じ四年生の女の子がいて、主人公は彼女と話し始めます。
 普段は学校でもおしゃべりをしない主人公は、不思議なことにその女の子とならいくらでもおしゃべりができるのでした。
 そして、明け方になってその会がお開きになった時には、その女の子が好きになっていました。
 二人は、再会を約束して手を握り合いました。
 しかし、その後、毎晩のように深夜の街を探しても、その「光る家」を発見することはできませんでした。
 編者は、この章を「夜の都市にただよう孤独感を作品に定着させた例としては、(中略)ずいぶん早かったのだ。」として、児童文学研究者の石井直人が「いつも時代のすこしさきを歩いている」と大石真を評していたことを紹介しています。
 しかし、その後の解説は、「眠れない子」(野間児童文芸賞と日本児童文学者協会賞特別賞を受賞)全体の論評になってしまい、「光る家」の部分しか読んでいないこの本(「児童文学 新しい潮流」)の読者には不親切です。
 このような解説は、「眠れない子」全体に関する文章を発表する場で書くべきでしょう(実際に、どこかで使われた文章の使いまわしなのかもしれませんが)。
 ここでは、石井および編者が触れた大石が常に時代を先取りしていた「新しさ」について解説した方が、この本の趣旨に会っていたのではないでしょうか。
 以下に私見を述べます。
 他の記事にも書きましたが、1953年9月の童苑9号(早大童話会20周年記念号)に発表した「風信器」で、その年の日本児童文学者協会新人賞を受賞して、大石は児童文学界にデビューしました。
 この作品は、いい意味でも悪い意味でも非常に文学的な作品です(詳しくはその記事を参照してください)。
 おそらく1953年当時の児童文学界の主流で、「三種の神器」とまで言われていた小川未明、浜田広介、坪田譲治などの大家たちに、「有望な新人」として当時28歳だった大石は認められたのでしょう。
 しかし、ちょうど同じ1953年に、早大童話会の後輩たち(古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒など)が少年文学宣言(正確には「少年文学の旗の下に!」(その記事を参照してください))を発表し、それまでの「近代童話」を批判して、「現代児童文学」(定義などは他の記事を参照してください)を確立する原動力になった論争がスタートしています。
 「風信器」は、その中で彼らに否定されたジャンルのひとつである「生活童話」に属した作品だと思われます。
 「現代児童文学」の立場から言えば、「散文性に乏しい短編」であり、「子どもの読者が不在」で、「変革の意志に欠けている」といった、否定されるべき種類の作品だったのかもしれません。
 しかし、大石はそうした批判をも吸収して、その後は「現代児童文学」の大勢よりも、常に時代を先取りしたような重要な作品を次々に発表しています。
 まず、1965年に「チョコレート戦争」(その記事を参照してください)を発表して、エンターテインメント作品の先駆けになりました。
 この作品のビジネス的な成功(ベストセラーになりました)は、大石個人が編集者の仕事をやめて専業作家になれただけなく、児童文学がビジネスとして成り立つことを実証して、児童文学の商業化のきっかけになりました(日本の児童文学で最も成功したエンターテインメント・シリーズのひとつである、那須正幹「ズッコケ三人組」シリーズがスタートしたのは1978年のことです)。
 次に、シリアスな作品においても、1969年に「教室203号」(その記事を参照してください)を発表して、「現代児童文学」のタブー(子どもの死、離婚、家出、性など)とされていたものを描いた先駆者になりました(その種の作品がたくさん発表されて、「現代児童文学の「タブーの崩壊」が議論されたのは、1978年ごろです)。
 ここで注目してほしいのが、1978年というタイミングです。
 児童文学研究者の石井直人は、「現代児童文学1978年変質説」を唱えています(それを代表する作品として、那須正幹「それいけズッコケ三人組」(エンターテインメント作品の台頭)と国松俊英「おかしな金曜日」(それまで現代児童文学でタブーとされていた離婚を取り扱った作品、その記事を参照してください)をあげています。)。
 他の記事にも書きましたが、これらの変質が起きた背景には、その時期までに児童文学がビジネスとして成り立つようになり、多様な作品が出版されるようになったことがあります。
 では、大石真は、なぜ時代に先行して、いつも新しい児童文学を発表することができたのでしょうか。
 もちろん、彼の先見性もあるでしょう。
 しかし、それだけではないように思われます。
 その理由は、すごくオーソドックスですし、作家の資質に関わる(これを言っては身もふたもないかもしれません)ことなのですが、大石真の作品を支える高い文学性(文章、描写、構成など)にあると思われます。
 そのために、つねに他の作家よりも作品の水準が高く(奇妙に聞こえるかもしれませんが、大石作品はどれも品がいいのです)、新しいタイプの作品でも出版することが可能だったのではないでしょうか(大石自身のように作家志望が多かった、当時の編集者や出版社を味方につけられたのでしょう)。
 そして、そのルーツは、彼の「現代児童文学」作品ではなく、デビュー作の「風信器」のような抒情性のある「生活童話」にあると考えています。

眠れない子 (わくわくライブラリー)
クリエーター情報なし
講談社
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竹下文子「ひらけ!なんきんまめ」

2017-09-17 11:16:28 | 作品論
 児童文学研究者の宮川健郎は「声をもとめて」という論文(その記事を参照してください)の中で、「声が聞こえてくる」幼年文学のひとつとして、この作品をあげています。
 たしかに、この作品は主人公の「ぼく」の軽快な語り口でテンポよく進みますし、「ひらけ!ごま」のパロディである「ひらけ!なんきんまめ」の呪文も響きます。
 冒頭でけんかしたあすかちゃんと仲直りするラストシーンも読み味を良くしています。
 でも、不思議の国の冒険が、あまりにあっさりしすぎていませんか?
 故安藤美紀夫が、三十年も前に「日本語と「幼年童話」」という論文(その記事を参照してください)でなげいた「文字数が少なくてストーリー展開のない幼年童話」のステレオタイプが今でも健在(いやむしろそればかりになっているかもしれません)なようです。
 この作品の不思議の国の魅力は、ほとんど田中六大のちょっとレトロな感じの挿絵に依存しています。
 そう、幼年童話というよりは絵本に近い感じです。
 宮川の言う「声」による聴覚よりも、挿絵による視覚イメージに頼った作品です。
 もしこの本の印税が10パーセント(8パーセントかもしれません)ならば、3対7か2対8で、田中にたくさんあげたいと思いました。

ひらけ!なんきんまめ (おはなしだいすき)
クリエーター情報なし
小峰書店
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中脇初枝「祈祷師の娘」

2017-09-16 10:55:45 | 作品論
 春永は中学一年生の女の子です。
 おとうさんとおかあさんと高校二年生のおねえさんである和花ちゃんと四人家族ですが、実は複雑な家族です。
 おとうさんとおかあさんは、夫婦でなく本当は兄妹です。
 和花ちゃんはおかあさんの実の子だけど、春永はおとうさんともおかあさんとも血のつながりがありません。
 おとうさんが結婚していた女の人の連れ子なのです。
 春永の家は、おばあさんの代から祈祷所をやっています。
 今はおかあさんが祈祷師です。
 この作品では、祈祷師は占いをするのではなく、サワリと呼ばれるツキモノを払うのを仕事にしています。
 また、いわゆる新興宗教のようなもうけ主義ではなく、家は貧乏で農業もやっていると描かれています。
 前半は春永のクラスメートの久美ちゃんや初恋の相手である山中くんたちも描かれますが、祈祷所にやってきた山中くんに祈祷師を差別することをされて、久美ちゃんも春永を裏切って山中くんと付き合うようになってからは、二人は登場しなくなります。
 春永は祈祷師の娘としておかあさんの後を継ぎたくて、おとうさんと水行をやったりしますが、祈祷師の能力は春永でなく和花ちゃんの方に引き継がれていきます(血がつながっているので当たり前のように思えますが)。
 祈祷所に居場所がなくなったように感じた春永は、家出して実の母親を訪ねていきますが、すでに亡くなってしまっていました。
 春永は和花ちゃんのような能力はないものの、今の家族と祈祷師の娘として生きていこうと思います。
 どこまでが作者の実体験で、どこからが取材によるものかわわかりませんが、ツキモノ(この作品ではサワリと呼ばれている)やお祓いや予知能力やこっくりさんなどが実在する物として、リアリズムの手法で描かれているのでかなりめんくらいました。
 私は作中の山中くんと同じようなリアリストなので、このような超常現象をまるで信じていないからです。
 神秘的な部分を除けば、この作品は登場人物の描き方もしっかりとしているし、風景描写や心理描写も巧みで、作品の完成度も高いと思います。
 奥付けを見ると作者は一般文学でかなり著作があるようなので、筆力のある方なのでしょう。
 また、血のつながりのない家族が結びあっていくというラストも、春永のおかあさんが死んでいたのはややご都合主義な感じがするものの、新しい家族のあり方を示していて興味深かったです。
 しかし、こういう超常現象を無批判に肯定的に描かれることには、やはり抵抗があります。
 若い女性読者は、パワースポットや占い(この作品では否定的ですが)やコックリさんや予知能力などのようなスピリチュアルなものが大好きなので、こういった作品は非常にうけるでしょうが、内容を無批判に信じてしまわないかと、老婆心ながら心配してしまいます。
 
祈祷師の娘 (福音館創作童話シリーズ)
クリエーター情報なし
福音館書店


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村中季衣「たまごやきとウインナーと」児童文学 新しい潮流所収

2017-09-15 12:21:11 | 作品論
 1992年に刊行された同名の短編集から、編者の宮川健郎が転載しています。
 主人公の三年生の男の子は、なぜか保育園に通う妹の面倒を一人で見ています。
 朝食を作り、おべんとうを持たせます。
 朝食のおかずはちょっぴりの海苔の佃煮だけだし、おべんとうのたまごやきはこげたり生だったりします。
 でも、主人公はいろいろと工夫して(自分の貯金箱からお金を出しておべんとう用の赤いウィンナーを買ったり、レンジ台が高いので踏み台をおいたり背伸びしたり)、少しでもましなおべんとうを妹に持たせられるように頑張ります。
 はじめはそうしたおべんとうに不満だった妹も、だんだん二人での生活になじんできます。
 しだいにわかってくるのですが、二人の父親は長距離トラックの運転手で、仕事が立て込んでいて予定通りに水曜日に帰れなくなったのです(その代りに、同僚に母親あてのお金を届けさせます)。
 母親は、父親が水曜日には帰ってきていたと思い込んでどこかへ遊びに行っていたようで、金曜日の夜にやっと帰ってきます。
 そして、両親が不仲だということも、母親のセリフからわかります。
 主人公は、母親のみやげの極上のにぎりのすしおりを力いっぱい払いのけて、
「ハンバーグをつくれ! 
 カレーライスをつくれ! 
 サラダをつくれ! 
 みそ汁をつくれ! 
 野菜いため! 
 おでん! 
 てんぷら! 
 ロールキャベツ! 
 すぶた! 
 マーボードウフ! 
 つくれ! つくれ! 今すぐつくれ!」
と、叫びます。
 母親が帰ってきてはしゃいでいた妹も、主人公のそばに行って手を握って連帯をしめします。
 無責任な両親や無関心な(あるいはとおりいっぺんの関心しか持てない)大人たちに対して、二人だけで月曜日から金曜日までを懸命に生き抜いた二人には確かなきずなが出来上がっていたのです。
 全体を通して、主人公が口にする「にんじゃとっとりくん」(その頃人気のあったアニメの「忍者ハットリくん」のパロディでしょう)の歌やセリフが、作品が過度に深刻になることを救っています。
 編者は、この作品と、1986年に雑誌へ発表された初期形との違いを分析しています。
 初期形では、オーソドックスな「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)の作品らしく、もっと状況(日曜日に両親が大げんかをして、家を飛び出していた)を説明し、ラストに土曜の朝のシーンがあって母親がやり直そうとする姿を描いて、物語は明るい方向付けを得て終わっていると紹介しています。
 そして、それ以外の部分でも余計な説明は省いて文章を簡潔にしようとしていると指摘しています。
 そして、完成形で生まれた余白が読者の想像力を強く刺激して、物語と読者の強い結びつきを求めていると、ヴォルフガング・イーザー「行為としての読書」(1982年)や単行本のカバーの袖に書かれた作者自身のことばや作者の「おねいちゃん」(1989年)を引用して解説しています。
 こうした物語と読者を強く結びつけて、主人公たちの思い(決意)を読者と共有できるのが村中作品の特長(今までの「現代児童文学」にない)であるが、読み終えた後でもその決意は生きつづけられるだろうかが、私たちの課題になるとしています。
 編者の指摘は、それはそれでその通りなのですが、思わず「そこかよ!」とつっこみをいれたくなりました。
 この作品の本当の新しさと歴史的価値は、そうした創作技術的に優れた点(それはそれですごいのですが)とは、全く違うところにあるように思われます。
 ここに書かれた編者の読みは、あまりに児童文学の世界だけに閉じていて、社会的な視点が欠けているように思いました。
 この作品は、ネグレクトの問題を、当事者である子どもの視点で描いた先駆的な作品です。
 編者が指摘しているように、1986年の初期形よりも1992年の完成形の方がはるかに優れています。
 それは、たんに作者が指摘しているような技術的に作品の完成度があがったことだけでなく、ネグレクトに対する作者の考えがその6年の間に深化しているからです。
 ネグレクトが発生したのは、初期形では偶発的(両親の大ゲンカが理由であることが明記されています)であったのに対して、完成形では恒常的(両親が不仲で、少なくとも母親側は父親をまったく信頼していません(父親側は母親あてにお金をおくる程度の信頼は残っているようです)し、母親は水曜日には父親が帰ってくることを承知(だから子どもの面倒は見てもらえるだろう)で金曜日まで遊びにいっていました)であることが疑われます。
 また、初期形では主人公の叫びと妹の連帯で母親は一応改心するのですが、完成形では二人の必死の訴えが母親に届いたかどうかは留保されています。
 1986年から1992年の間に、世の中では何が起こったでしょうか?
 1988年に有名な巣鴨子供置き去り事件(母親に一年近くネグレクトされた四人の子どもたちのうち、一番幼い女の子が、コンビニ弁当などでみんなの面倒を見ていた長男の、友人たちに暴行されて死亡し、その後も白骨になって発見されるまで放置されていました)(カンヌ映画祭で、主役の男の子が最年少で主演男優賞を獲得して、一躍有名になった映画「誰も知らない」(その記事を参照してください)のモデルになったと言われています)が起きて、ネグレクトの深刻さが一般社会でも広く認知されるようになっていました。
 病気などで体や心が傷ついた子どもたちを治療する現場にいた作者が、こうした問題に人一倍敏感であったことは容易に想像されます。
 常に子どもを取り巻く今日的な問題を扱った作品を書き続けている作者に敬意を表したいと思います。


たまごやきとウインナーと (偕成社コレクション)
クリエーター情報なし
偕成社







 
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児童文学におけるショートショート集のまとめ方

2017-09-15 11:58:48 | 考察
 児童文学の世界でも、同じテーマ(怪談、昔話、メルフェン、ナンセンス、ユーモアなど)のショートショート(400字詰め原稿用紙で5枚以内程度)を集めた作品集が出版されることがあります。
 そうした時に大事になってくるのが、作品集のまとめ方です。
 普通の短編のアンソロジーでは、個々の作品がそれぞれの作品世界を比較的しっかりと持っているのでそれほどでもないのですが、ショートショートの場合にはそれほどはっきりしない(作品によっては既存のイメージに頼っている場合もあるでしょう)ので、その本全体のイメージや方向付けをはっきりさせることが重要です。
 その場合に考えられる有効な方法は、大きく分けて二つあるように思われます。
 ひとつは、作品集の前後にプロローグとエピローグ(あるいはどちらか)をつける方法です。
 プロローグの場合には、この本のイメージや方向付けを、多少説明的になっても構わないので書いておくと、読者はそれに続くショートショートの作品世界に入りやすいでしょう。
 エピローグの場合には、このショートショート集のまとめのような文章をつけると、読者が作品群の余韻に浸っている間に、全体としてのイメージを再確認できるでしょう。
 もう一つの方法は、プロローグもエピローグもつけずに作品だけで勝負する方法です。
 この場合に、最初の作品と最後の作品がもっとも重要であることは言うまでもありません。
 最初の作品では、このショートショート集のテーマに沿った最もインパクトのある作品(例えば怪談だったら最も怖い作品)をおいて、読者がこの本を読み続けたいと仕向けなければなりません。
 また、最後の作品では、このショートショート集の全体のイメージを作り上げられるような(難しいですが)完成度の高い作品が必要です。
 
 
学校の怪談(5) (講談社KK文庫)
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講談社
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誰も知らない

2017-09-15 11:28:43 | 映画
 とある2DKのアパートに、スーツケースを抱えた母親のけい子と息子の明が引越ししてきます。
 アパートの大家には「主人が長期出張中の母子2人だ」とあいさつをしますが、実はけい子には明以外の子どもが3人もおり、スーツケースの中には次男の茂、次女のゆきが入っていました。
 長女の京子も人目をはばかり、こっそり家にたどり着きます。
 子ども4人の母子家庭――事実を告白すれば家を追い出されかねないと、嘘を付くのはけい子の考え出した苦肉の策でした。
 けい子は、大家にも周辺住民にも事が明らかにならないように子どもたちに厳しく注意しています。
 子どもたちはそれぞれ父親が違い、出生届すら出されておらず、学校に通ったことさえありません。
 当面はけい子が百貨店でパートタイマーとして働き、母の留守中は明が弟妹の世話をして暮らしていましたが、新たに恋人ができたけい子は留守がちになり、やがて生活費を現金書留で渡すだけでほとんど帰宅しなくなってしまいます。
 そして、兄弟だけの「誰も知らない」生活が始まります。
 けい子が姿を消して数か月がたちました。
 渡された生活費も底をついて、子どもだけの生活に限界が近づき、料金滞納から電気・ガス・水道も止められてしまいます。
 そんな中、4人は遊びに行った公園で不登校の女子高生の紗希と知り合います。
 兄弟の惨めな暮らしぶりを見た紗希は協力を申し出て、援助交際で手に入れた現金を明に手渡そうとしますが、その行動に嫌悪感を抱いた明は現金を受け取りません。
 だが、食料はなくなって、明は知り合いのコンビニ店員から賞味期限切れの弁当をもらい、公園から水を汲んでくるなどして、兄弟たちは一日一日を必死に生きのびることになります。
 ある日、言うことを聞かない妹弟たちとけんかをして、うっぷんの爆発した明は衝動的に家を飛び出してしまいます。
 飛び出した先で、ひょんなことから少年野球チームの助っ人を頼まれ、日常を忘れて野球を楽しみますが、家に戻った明が目にしたのは、倒れているゆきと、それを見つめながら呆然と座り込んでいる京子と茂の姿でした。
 ゆきは椅子から落ち、そのまま目が覚めないといいます。
 病院に連れて行く金も薬を買う金もないので、明は薬を万引きします。
 兄弟は必死で看病しますが、翌日ゆきは息絶えていました。
 明は紗希を訪ね、ゆきに飛行機を見せたいのだと、そして、あのとき渡されるのを断った現金を貸して欲しいと伝えます。
 兄弟たちと紗希は、スーツケースの中にゆきの遺体と大量に買い込んだゆきの好きだったアポロチョコを入れます。
 明と紗希は2人でゆきの遺体が入ったスーツケースを運びながら電車に乗って、羽田空港の近くの空き地に運びだして、敷地内に土を掘って作った穴に旅行ケースを埋めました。
 そして、2人は無言でマンションに戻りました。
 ゆきがいなくなった明と京子と茂と紗希の、「誰も知らない」生活が、これからも続いていきます。
 他の記事で、現在の児童文学が今日的な問題を描かないことへの批判の引き合いにこの映画を出しましたので、久しぶりに見てみました。
 驚いたのは、この作品が作られたのが2003年で元になった事件は1988年ともう四半世紀以上も前だったことです。
 今回、「誰も知らない」を見直して、母親による単なるネグレクトだけではなく、父性や母性の欠如(彼らの生育過程にも問題があったと思われます)、行政の怠慢及び不備(主人公の少年は前に行政によって兄弟がバラバラにされた経験があったので、今回は行政に頼りませんでした)、公教育の欠陥(不就学児童への対応の不徹底など)、周囲の大人たちの無関心、子どもたちの万引き、いじめ、援助交際など、さまざまな今日的問題が描かれているのに気づきました。
 確かに、見ていて息苦しさを覚えるような悲しい作品ですが、時々、子どもらしい遊びをする場面で流れる明るい音楽が、それでも彼らは生きていくことを象徴しているようでせめてもの救いになっていました。
 確かにこういう映画は見ていて楽しくないでしょうが、いつも楽しさや面白さばかりを求めるのではなく、時にはこのような見続けることが困難なシリアスな作品も必要です。
 そして、児童文学の世界でも、売れ線だけをねらうのではなく、こういった作品も世に出す社会的な義務を負っていると思います。
 現在の子どもたちや若者たちを取り巻く環境は、「だれも知らない」が描いた時代よりもさらに悪くなっています。
 他の記事にも書きましたが、かつて子どもたちの今日的な問題をシノプシスにまとめる作業を半年間続けました。
 いつまで続けられるかと危惧していましたが、新聞、テレビ、ネットニュースを見るだけで毎日題材には困りませんでした。
 その時は、それらを作品化するには旧来の現代児童文学の方法論ではだめだということに気がつき、創作することは断念しました。
 それが、現代児童文学の終焉ないしは衰退と社会の変化の関係を研究しようというきっかけになったのです。
 そして、二年間の研究の末に自分がたどりついた結論は、子どもたちや若い世代を取り巻く問題を描くには、児童文学ではもうだめだということです。
 こういった作品の読者はほとんいませんし、出版や流通もそういった本には全く対応していません。
 そのため、一般文学の形で現在の子どもたちや若い世代の困難な状況を描くことが、「ポスト現代児童文学」の現実的な創作理論だと思っています。
 しかし、この「ポスト現代児童文学」は、出版や流通の問題があって、読者(大人が中心になると思われます)の手に届けるのは困難ですし、あまりお金にもならないでしょう。
 こういった「ポスト児童文学」の創作は、児童文学の創作で生活の資を得ている人や、自分の作品が本になるのを夢見ている新人たちにはすすめられません。
 自分自身で創作もして、その出版や流通の方法についても、自力で開拓していかなければならないと思っています。

誰も知らない [DVD]
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バンダイビジュアル
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舞城王太郎「バーベル・ザ・バーバリアン」短編集五芒星所収 群像2012年3月号 

2017-09-15 11:10:53 | 参考文献
 非・連作短編集の第四作です。
 バーベルと呼ばれる男の物語です。
 なぜバーベルと呼ばれるかというと、人にバーベルの様に持ち上げられるからです。
 バーベルを最初に持ち上げたのは、友人の鍋うどんでした。
 鍋うどんは、癌にかかって死んでしまいます。
 鍋うどんの妹の夫が別人に入れ替わってしまい、警察官になったバーベルに相談にきます。
 夫は秘密組織にねらわれて外国人と入れ替わり、家の地下に秘密のアジトを作られてしまいます。
 バーベルは、その外国人と格闘して倒します。
 しかし、その時のトラウマで、バーベルはアメリカのワイオミングへ行きます。
 バーベルは密猟者を殺しながら、鍋うどんのことを思い出しています。
 次々と場面が転換していって取り留めもないのですが、シュールな味わいのある短編でした。
 児童文学でも、かつては岩瀬成子の「あたしをさがして」のような筋のない作品もありましたが、現在の出版状況ではこのような作品は世に出ないでしょう。
 こうして実験的な作品を書こうとすると、一般文学の世界へ越境するしかないのかもしれません。

群像 2012年 03月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
講談社
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丹下健太「夜の住人たち」仮り住まい所収

2017-09-14 11:16:46 | 参考文献
 作品論を述べるのではありません。
 正直言って、この作品は質量ともにそれをするだけの価値のあるものではありません。
 それならなぜこの作品について述べるかというと、この出版社がよくやるつまらない小細工を批判したいからです。
 この本の表題作の「仮り住まい」は、文藝2012年春号に掲載されたばかりの作品です。
 それを単行本にするに際して、「オリジナリティ」を出すために、この原稿用紙で10枚程度の作品を「書き下ろし」として加えたわけです。
 はっきり言って、この本の価値は、この駄作を追加したためにひどく下がったといわざるを得ません。
 この手のことは児童文学の世界でもよくやられていて、ある作家が代表作(十年以上も前に出版されていて、児童文学の世界ではかなり有名な賞も受賞しています)が文庫になる際に、書き下ろしの短編を追加するよう求められていました。
 さすがにその本の短編は、丹下健太のこの本ほど足を引っ張ってはいませんが、やはり不要だったと思います。
 紙の本では、流通などの関係でこのようなことが必要だったかもしれませんが、電子書籍ではそのようなことはありません。
 必要ならば、短編だけでも購入が可能です。
 ただ、現在は最低価格(アマゾンの場合は99円)の関係があって、短編は割高に感じられるかもしれません。
 最低価格を撤廃あるいは非常に安く10円ぐらいに設定できれば、電子書籍のマーケットがさらに自由度が増して拡大していくと思われます。


仮り住まい
クリエーター情報なし
河出書房新社

 
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森忠明「楽しい頃」児童文学 新しい潮流所収

2017-09-14 11:14:23 | 作品論
 作者の代表作とされる「少年時代の画集」(1985年)から、この本の編者の宮川健郎が転載しています。
 小学校六年生の「おれ」はビールス性肝炎の薬の副作用で、くちびるのみぎはしに葉っぱの形をした枯葉色のシミができています。
 「おれ」の母ちゃんは、なんとかそのシミを消そうとして、祈祷師のばあさんや「ご教主様」のじいさんのところへ連れて行き、お金をぼったくられます。
 「おれ」は、彼らの欺瞞を即座に見抜いて、威勢のいい啖呵を切って、その場を去ります。
 その後、「おれ」は、脳腫瘍で亡くなったクラスメイトの沢辺の墓参りをします。
 沢辺は、「おれ」の肝炎を心配して、いろいろな薬や体操などを調べてきて教えてくれていました。
 沢辺の両親は離婚していて、今は愛知県豊橋市に住む(ほとんどの森作品の舞台は、彼が生まれ育ち今でも住んでいると思われる(一時期離れましたが)東京都立川市とその周辺です)母親は沢辺の死を今でも知りません。
 沢辺の墓の前に一人で立った「おれ」は、沢辺に教わった「肝臓」にいいという体操のポーズを奉納するのでした。
 「楽しい頃」という表題は、「おまえは口がわるいから、口のはじにしみなんかできるんだ。人生でいっとう楽しい頃なのに、けちがついたみたいでいやなんだよ。その口が。」という母ちゃんのセリフからきています。
 つまり「楽しい頃」とは「子ども時代」のことを指すのですが、それとはうらはらに、この作品には、大人たちの欺瞞(母ちゃんも含めて)、大事な人の死(沢辺)、両親の離婚(沢辺)、飲んだくれの父親(沢辺)、クラスの女の子たちの裏側など、「楽しくない」ことばかりが描かれています。
 しかし、それでもしぶとく生き延びようとする「おれ」の姿が、小気味のいいセリフとともに描かれています。
 編者は、「少年時代の画集」に掲載されている他の作品(「22口径」「木馬のしっぽ」「少年時代の画集」(その記事を参照してください)「小さな紅海」(その記事を参照してください))も紹介しながら、森作品が「子ども時代の影を描いている」としています。
 編者も触れているように、「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)は、小川未明たちの「近代童話」などを批判することで1950年代にスタートしました。
 「現代児童文学」の主張の中には、未明童話などにあった人生のネガティブな部分を切り捨てて、ポジティブな作品を子どもたちに提供しようということも含まれています。
 解説用の紙数の関係からか編者は端折っていますが、そのために「現代児童文学」には作品に描かれないタブー(死、離婚、家出、非行などのネガティブなもの)が生み出されて、それらが破られるのは1970年代になってからでした。
 ちょうどそのころに登場した新しい作家の一人が、森忠明だったのです。
 彼の出世作は「きみはサヨナラ族か」(1975年)(その記事を参照してください)ですが、「少年時代の画集」で描かれているようなシニカルで一見人生に諦念しているように見える(実は内面では強く他者との連帯を求めている)少年像が確立されたのは、「花をくわえてどこへいく」(1981年)(その記事を参照してください)以降だと思われます。
 編者は、「現代児童文学」の代表的な書き手であった後藤竜二と比較して、後藤作品が「子ども時代」の「光」を、森作品が「子ども時代」の「影」を描いていて、その両方が子ども読者には必要であることを、編者の子ども時代の実体験もふまえて述べています
 編者の主張はその通りだと思うのですが、子ども読者に対する両者のスタイルはかなり異なります。
 後藤は、非常に多様な作品(エンターテインメントに近い作品や絵本、歴史ものも含めて)を書き分ける、稀有な才能の持ち主でしたが、このことは編者も十分承知していることなので、森作品と比較するために一般文学で言えば純文学的な後藤作品に限って比較します。
 後藤作品は、デビュー作の「天使で大地はいっぱいだ」(1966年)とその続編は、自分の実体験に近いところをベースにして、編者のいう「子ども時代の「明」の部分をストレートに描こうとしています。
 しかし、以降の作品では、社会や子どもたちを取り巻くさまざまな問題を、オーソドックスな「現代児童文学」らしく、「変革」しようとする子どもたちや大人たちの姿をポジティブに描いています(時には、敗北感に満ちた作品もありますが)。
 それに対して、森作品は、あくまでも自分自身の子ども時代の体験に基づいて、彼の創作のモチーフである生の多愁(死、病気、孤独、親しい人との別れ、離婚、家庭崩壊、欺瞞に満ちた大人たちなど)と、それゆえに内面で強く求めている他者との連帯を描いているのです。
 初めは、発表時期(1970年代後半から1980年代前半ごろ)に合わせてアレンジしていましたが、途中からそれもやめて彼の少年時代(1950年代後半から1960年初頭ごろ)の立川周辺の世界を描いて言います。
 おそらく森は極めて早熟で、1960年前後の子ども時代に、すでにそうした現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きることのリアリティの希薄さなどで、近代的不幸(貧困、飢餓、戦争など)と対比して使われる用語です)に直面していたのでしょう。
 そして、高度成長期を経て、近代的不幸が克服されたと言われる1970年代や1980年代に、様々な理由(離婚、家庭崩壊、いじめ、受験競争など)で現代的不幸に苦しむようになった当時の子どもたちの「影」の部分にフィットしたのでしょう。
 この本が出た1985年ごろに創作を始めた私の周辺にいた多くの書き手たち(長崎夏海、横沢彰、廣越たかし、最上一平、ばんひろこ、斉藤栄美など)も、一様に早熟でかつ大人社会と折り合いをつけることが苦手で、その創作のモチーフに森と同様のものを抱えていました。
 他の記事にも書きましたが、1987年に、そのうちの何人かと一緒に、森忠明に話を聞きに立川へ行きました。
 彼自身は、森少年がそのまま大人になったような、極端にシャイでその裏返しで人前ではサービス精神旺盛な人でした。


少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ)
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ときありえ「森本えみちゃん 「クラスメイト」第一章」」児童文学 新しい潮流所収

2017-09-13 19:36:44 | 作品論
 作者の「クラスメイト」(1993年)の第1章で、宮川健郎「児童文学 新しい潮流」に転載されています。
 主人公と一番の親友の森本えみちゃんとの、学校でもらった蚕の分配方法における、ちょっとした仲たがいと仲直り(主人公の心の中だけで行われた、言ってみれば独り相撲です)を、徹底して主人公の内面を語る手法で鮮やかに描いています。
 長編の一部なので、クラス内や主人公の家庭の人間関係がわからないので少し読みにくいですが、それでも十分に主人公の心の動きを読者に納得させる作者の腕前は相当なものです。
 編者は、この主人公による語りを、例によって後藤竜二「天使で大地はいっぱいだ」(1966年)を引き合いに出して、「子どもの語りの仮装」とよんでいます。
 そして、これも例によって柄谷行人「日本近代文学の起源」(1980年)を引用して、「「言文一致」という表現形式が確立して、はじめて「内面」が発見されたのであって、その逆ではない」と、この「子どもの語りの仮装」が「子どもの内面」を描くのに有効な手法であることを解説しています。
 そして、そうした「語り」が発見されていない時代の新見南吉「久助くんの話」(1939年)と比較して、当時は「外面」でしか描けなかったとしています。
 しかし、作品を、主人公の語り(話し言葉による一人称と言ってもいいかもしれません)で描くのは特に新しいことではありません。
 編者も触れていますが、日本でも千葉省三「虎ちゃんの日記」(1925年)のような先駆的な作品(話し言葉という点では徹底していない点があるかもしれません)もあります。
 また、この「語り」が日本の児童文学に普及した大きな理由は、編者が言うような後藤作品によるものではなく、他の記事にも書きましたがそれ以前に世界中(特に日本)で大ベストセラーになったサリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(1951年)(その記事を参照してください)のホールデン・コールフィールドやアラン・シリトー「長距離ランナーの孤独」(1960年)の「おれ」(1960年)などの「少年の語り」を用いた海外文学の影響が大きかったと思われます。
 後藤作品よりは後ですが、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の影響(似ている点は語り口だけではありません)を受けたと言われる、芥川賞を取ってこれもベストセラーになった庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1969年)の影響もあったかもしれません。
 いずれも、当時もっともその「内面」を知りたいと思っていた若い世代(それは、空前の豊かさを誇った1950年代のアメリカで何不自由のない身の上ゆえに逆にアイデンティティを失った少年だったり、1950年代のイギリスの階層社会に行き場のない怒りを爆発させる少年だったり、1960年代の日本において70年安保直前の激動に隠されていた絶対多数のノンポリの高校生だったりしました)を描くのに、そうした「少年の語り」がピッタリだったのです。
 高度成長期を経て豊かになった日本で、こうした現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄さなど)が低年齢化してきた1980年代ごろから、こうした「子どもの語り」を用いた児童文学が日本で多くなったことは、ある意味当然のことのように思えます。
 私が本当の意味で児童文学の創作をしていたころ(1984年から1988年までの5年間)に、私の周辺にいた書き手(森忠明、村中李衣、長崎夏海、泉啓子、横沢彰、最上一平、廣越たかし、ばんひろこ、斉藤栄美など)は、ほとんど同じような語り口で作品(特に高学年や中学生向き)を描いていました。
 それは、編者が言う「子どもの語りを仮装する」というような人為的なものではなくて、自らの「内なる子ども」(それは自分自身の子ども時代かもしれませんし、周辺にいた子どもたちかもしれません)が、同時代を生きる子どもたちに向けて、「自然と語りだした」という感覚だったと今でも思っています。


クラスメイト (創作のとびら)
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文溪堂
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三度目の殺人

2017-09-13 12:00:55 | 映画
 最近の全国ロードショー映画には珍しい純文学風の作品です。
 過去に殺人事件を起こして三十年間服役した男が、映画の冒頭で再び殺人を犯します。
 犯人の過去を知りながら雇ってくれていた食品会社の社長を、背後から撲殺してガソリンで燃やしたのです。
 映画は、犯人とひょんなことから彼を弁護することになったリアリスト(法廷は真実を明らかにするところではなく、依頼者に有利になるような主張を通すところだと考えています)の弁護士(犯人による三十年前の殺人の時の裁判官の息子)との間の、裁判に関する協力、対立、妥協などを描いていきます。
 この裁判でも、犯人は殺人自体は自白しているので、財布を初めから盗むつもりはなかったと主張して、強盗殺人をまぬがれて死刑を無期懲役にしようという作戦です。
 被害者の財布からガソリンの臭いがすることが明らかになった(被害者を殺して、ガソリン(徒歩で十分もかかる離れた工場にわざわざ取りに戻っている)をかけてから、財布を取ったと推定できます)時点で、作戦は成功するように思えました。
 ところが、被害者の高校生の娘が、「実の父親にレイプされていた自分を救うために男が殺した」と、法廷で証言しようとしていることを知った犯人は、前言を翻して殺したこと自体を否認します。
 そのために、裁判の争点が、「強盗殺人か怨恨による殺人か」から、「殺人をしたか否か」に変わったために、娘の証言も別のものに変わってしまいます。
 本来ならば、争点が変わった時点で裁判はやり直しするべきなのですが、裁判の関係者の思惑(早くこの裁判を済ませて裁判の数をこなさないと評価が下がる裁判官、争点が殺人したか否かなら裁判に勝てる(死刑にできる)検事、娘に過酷な証言をさせたくない弁護士(犯人))が一致したために、裁判はそのまま続行されて、予想通りに犯人は死刑の判決を受けます。
 証言をころころ変える犯人、30年前の温情判決(本来だったら死刑が妥当なところを、犯人の生い立ちや家族(三歳の娘がいた)を考慮して無期懲役になった)を後悔している弁護士の父親(犯人は新たな殺人を起こさずに済んだ)、離婚寸前で被害者の娘と同じ年頃の非行に走っている娘がいる弁護士、前科のある人たちを安くこき使い食品偽装までしている被害者、犯人との不倫が疑われている被害者の妻、足の不自由なけなげな被害者の娘などが、複雑にしかも投げ出されたようにからんでいて、時折思わせぶりな空想シーン(弁護士と犯人と被害者の娘が雪原に並んで横たわるなど)もあるので、観客を見終わってからもすっきりとしないでしょう。
 おそらく、監督は、現行の裁判制度の問題点を批判したかったのでしょう(被害者の娘に「ここでは誰も真実は言わない」というとってつけたようなセリフを吐かせています)が、現在の平均的な映画の観客には、展開がスローな眠くなる難しい映画という印象が残ったでしょうから、映画祭(ベネツィアに出品されているようです)で賞を取らない限り、興業的には成功しないかもしれません。
 見どころとしては、犯人役の役所広司と弁護士役の福山雅治の迫力ある演技(特に拘置所の面会室で仕切りを挟んで対決するシーン)でしょう。
 なお、題名の「三度目の殺人」は、裁判による死刑判決を意味しているようです。

三度目の殺人【映画ノベライズ】 (宝島社文庫)
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グードルン・パウゼヴァング「ランマー」そこに僕らは居合わせた所収

2017-09-13 10:45:47 | 作品論
 主人公の少年は、第二次世界大戦の終戦の一年前に十六歳でした。
 父は一年前に戦死して、母と祖父と暮らしています。
 彼は、自分が大人になる前に戦争が終わってしまうことを心配していました。
 自分が兵士にならないうちに、戦争が終わってほしくなかったのです。
 戦争末期に、十六歳から六十歳までのドイツ男子が全員参加する「国民突撃隊」ができます。
 それだけ、兵員が欠乏していたのでしょう。
 主人公は、喜んで「国民突撃隊」に参加します。
 第一次世界大戦にも従軍した五十九歳の彼の祖父も、「国民突撃隊」に参加しています。
 翌年の二月に、いよいよ二人は戦場に召集されます。
 出征の前日、主人公は祖父にランマーという農具で、誤って足の指を複雑骨折されてしまいます。
 そのため、主人公は出征できなくなり、祖父だけが従軍します。
 主人公のけがが治った時には終戦を迎えていて、祖父や一緒に出征していったクラスメートたちは全員戦死してしまっていました。
 それから数十年たって、主人公は今でも少し足をひきづっています。
 そして、あの事故が、実は祖父が主人公を戦争に行かせないためにわざとしたことで、そのために自分が生き延びたことを理解しています。
 「自分が二十歳になる前に戦死することを当然のことだと思い、兵士になる前に戦争が終わってしまうことが最大の心配事だ」という考えは、今ではとても信じられないことでしょう。
 しかし、ドイツだけでなく日本でも、少年たち(兵士になるのは男性に限られていました)は、まったく同様な考えで生きていました。
 例えば、柏原兵三の「長い道」(藤子不二雄Ⓐのマンガや映画の「少年時代」の原作)という疎開小説でも、その主人公はこの作品と同様に「戦死することと、兵士になる前に戦争が終わらないこと」を願っていました。
 当時の軍国教育が、いかに恐ろしいものだったかをうかがわせます。
 そして、児童文学者たちの多くも、その教唆の一翼を担っていたことを、決して忘れてはいけないと思います。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
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グードルン・パウゼヴァング「スカーフ」そこに僕らは居合わせた所収

2017-09-12 10:50:36 | 作品論
 十二歳のフランツィは、学校でナチス時代のことを勉強しています。
 フランツィは、八十二歳になるひいおばあさんのウッファと仲良しです。
 ある日、フランツィは、村のナチス時代のことをウッファに尋ねます。
 なかなか答えようとしないウッファを、フランツィは執拗に追及します。
 問い詰められたウッファは、とうとう泣き出してしまいます。
 そして、色あせたスカーフと一枚の手紙を、フランツィに差し出しました。
 それらは、終戦直前に捕虜収容所からSS(突撃隊)に他へ送られていく途中で、納屋で死んだユダヤ人から預かったものでした。
 戦後数十年が経過しても、ウッファのように心の傷を抱えたままでいたドイツ人はたくさんいるのでしょう。
 この作品でのフランツィのウッファへの追求は、かなり誇張されているようにも思えます。
 しかし、世代を超えて負の記憶も伝えていくことの大切さは、日本でも同様であることは、言うまでもありません。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
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太宰治「人間失格」

2017-09-11 10:45:52 | 参考文献
 何十年かぶりに、この無頼派の代表作と言われる小説を読んでみました。
 自堕落な主人公の手記の形を借りた私小説(私は児童文学以外の近代日本文学に詳しくないので、どこまでが太宰の体験でどこからが創作なのかはわかりませんが)ですが、ここまで赤裸々に駄目な男の姿が描かれると、むしろ潔い感じさえします。
 意志薄弱ですが女だけにはもてる主人公の、女性遍歴、情死(相手のみ)、自殺未遂、アルコール中毒、薬中毒などが、徹底的に自己をさらけ出す形で描かれています。
 といって、私はここで作品論をするわけでなく、新しい近代日本文学の楽しみ方について述べたいと思います。
 私はこの本をすでに文庫で持っていますし、所有の日本文学全集にもこの作品は入っています。
 また、この作品が青空文庫(著作権の切れた名作をボランティアが電子化書籍化したインターネット上の文庫)に入っているのも知っていました。
 しかし、文庫(ましてや全集)を手にするのもおっくうですし、パソコンで読むのも読みにくいと思っていました。
 それが、キンドル(電子書籍リーダー、その記事を参照してください)にダウンロードしてみると、気軽にすいすい読める(古い言葉は内蔵の辞書でワンタッチで調べられます)のにびっくりしました(スマホやタブレット端末でも読めます)。
 近代日本文学は私の専門領域ではありませんが、いい意味でも悪い意味でも現代日本文学の土台になっているのは事実でしょう。
 この機会に、太宰ばかりでなく、漱石や芥川や安吾、それに近代童話の賢治や南吉や未明などの代表作を読み返して、自分の文学観の根本を見つめ直してみたいと思っています。

人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))
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児童文学におけるスポーツ物の書き方

2017-09-10 10:25:59 | 考察
 児童文学には、スポーツを題材にした作品がたくさんあります。
 以前は野球やサッカーを題材にしたものが圧倒的に多かったのですが、最近は、卓球、テニス、陸上競技、水泳など、いろいろな種目を扱った作品も増えています。
 そうしたスポーツ物を書き方で分類すると、おおざっぱには以下の三通りになります。
 まず、その競技自体を物語の中心に据えたものです。
 その場合、練習や試合のシーンが頻出しますので、書き手の方にもその競技への深い理解が必要です(実際の競技経験あるいはかなり突っ込んだ観戦経験はなくても、取材や調査などである程度はカバーできますが、その場合は出来上がった原稿を専門家や詳しい人などに目を通してもらって、間違いがないかチェックしてもらった方がいいでしょう)。
 こうした作品では、主人公たちは、苦しい練習や試合の勝ち負けなどを通して成長していくので、内面描写などよりは、練習や試合のシーンをいかに迫力と信憑性をもって描けるかがカギになってきます。
 そういった意味では、純文学的な作品よりも、エンターテインメント的な作品の方が親和性は高いと思われます。
 また、スポーツをやる舞台も、部活よりはクラブチームの方が、学校の人間関係などの余計なシーンは描かなくてすむので書きやすいかもしれません。
 強豪チームの中でライバルとレギュラー争いするストーリーでもいいですし、弱小チームを徐々に変革して大会の優勝などの最終ゴールへ導くストーリーでもいいかもしれません。
 次に、そのスポーツ自体よりも、一緒にやる仲間たちとの人間関係に重きを置いた作品が考えられます。
 この場合は、書き手にそのスポーツの経験や知識がなくてもは、取材や調査などで十分にカバーできます。
 練習や試合のシーンは最小限にとどめて、そうしたスポーツを通して生じる仲間との葛藤や連帯感などの人間ドラマの方を、丹念に描写していく必要があります。
 そういった意味では、いわゆる「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)的な成長物語を描くことになります。
 また、スポーツをやる舞台は、登場人物が同じ学校で一緒に行動しやすい部活の方が、描きやすいかもしれません。
 しかし、今まであげた二つのタイプでは、現在ではよほどうまく書かないと商業出版にたどり着くのは難しいでしょう。
 なぜなら、前者は、迫力という点で、ビジュアルなメディア(マンガ、アニメ、ゲーム、映画など)に対して、活字媒体である児童文学は大きなハンディキャップを負っているからです。
 後者の方は、すでに「現代児童文学」が終焉(その記事を参照してください)した現在では、正統派の成長物語ではなかなか本になりにくいと思われるからです。
 そこでおすすめなのは、その中間的な作品です。
 一応スポーツを舞台にはしますが、一番目ほどはスポーツ自体には突っ込まず、主人公とその周りを取り巻く人たちとの人間ドラマ(二番目ほど重くない)を描いた作品です。
 その場合に求められるスポーツの知識は、二番目と同等で大丈夫ですが、ところどころに読者にサービスするような魅力あるシーンも必要なので、そういったものはあらかじめ取材や調査で仕込んでおく必要があります。
 書き方も、あまり詳しい描写などはしないで、スピード感のあるストーリー展開に主眼をおいた方がいいと思われます。
 そして、主人公たちのキャラクターを際立たせて、ユーモアを忘れずに、特に読みやすさ(文章自体の読みやすさだけでなく、構成などの工夫で読者への伝達性を高めます)に注意を払う必要があります。
 また、舞台は、部活やクラブチーム(プロのコーチがいるような)よりも、同好会や地域チーム(ボランティアのコーチが運営しているような)などが向いていると思われます。
 言ってみれば、中間小説(すでに死語ですが、一般文学の世界で、純文学と大衆小説(これも死語ですね)の間のような小説を指します。こういった作品を掲載する雑誌は、文芸誌と娯楽誌の間の意味で中間誌と呼ばれていました)的な児童文学作品なのですが、ここでも本になるような作品を書くためには当然かなりの修練が必要です。
  
 
キャプテンはつらいぜ キャプテンシリーズ(1) (講談社青い鳥文庫)
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講談社


 


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