現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

三度目の殺人

2017-09-13 12:00:55 | 映画
 最近の全国ロードショー映画には珍しい純文学風の作品です。
 過去に殺人事件を起こして三十年間服役した男が、映画の冒頭で再び殺人を犯します。
 犯人の過去を知りながら雇ってくれていた食品会社の社長を、背後から撲殺してガソリンで燃やしたのです。
 映画は、犯人とひょんなことから彼を弁護することになったリアリスト(法廷は真実を明らかにするところではなく、依頼者に有利になるような主張を通すところだと考えています)の弁護士(犯人による三十年前の殺人の時の裁判官の息子)との間の、裁判に関する協力、対立、妥協などを描いていきます。
 この裁判でも、犯人は殺人自体は自白しているので、財布を初めから盗むつもりはなかったと主張して、強盗殺人をまぬがれて死刑を無期懲役にしようという作戦です。
 被害者の財布からガソリンの臭いがすることが明らかになった(被害者を殺して、ガソリン(徒歩で十分もかかる離れた工場にわざわざ取りに戻っている)をかけてから、財布を取ったと推定できます)時点で、作戦は成功するように思えました。
 ところが、被害者の高校生の娘が、「実の父親にレイプされていた自分を救うために男が殺した」と、法廷で証言しようとしていることを知った犯人は、前言を翻して殺したこと自体を否認します。
 そのために、裁判の争点が、「強盗殺人か怨恨による殺人か」から、「殺人をしたか否か」に変わったために、娘の証言も別のものに変わってしまいます。
 本来ならば、争点が変わった時点で裁判はやり直しするべきなのですが、裁判の関係者の思惑(早くこの裁判を済ませて裁判の数をこなさないと評価が下がる裁判官、争点が殺人したか否かなら裁判に勝てる(死刑にできる)検事、娘に過酷な証言をさせたくない弁護士(犯人))が一致したために、裁判はそのまま続行されて、予想通りに犯人は死刑の判決を受けます。
 証言をころころ変える犯人、30年前の温情判決(本来だったら死刑が妥当なところを、犯人の生い立ちや家族(三歳の娘がいた)を考慮して無期懲役になった)を後悔している弁護士の父親(犯人は新たな殺人を起こさずに済んだ)、離婚寸前で被害者の娘と同じ年頃の非行に走っている娘がいる弁護士、前科のある人たちを安くこき使い食品偽装までしている被害者、犯人との不倫が疑われている被害者の妻、足の不自由なけなげな被害者の娘などが、複雑にしかも投げ出されたようにからんでいて、時折思わせぶりな空想シーン(弁護士と犯人と被害者の娘が雪原に並んで横たわるなど)もあるので、観客を見終わってからもすっきりとしないでしょう。
 おそらく、監督は、現行の裁判制度の問題点を批判したかったのでしょう(被害者の娘に「ここでは誰も真実は言わない」というとってつけたようなセリフを吐かせています)が、現在の平均的な映画の観客には、展開がスローな眠くなる難しい映画という印象が残ったでしょうから、映画祭(ベネツィアに出品されているようです)で賞を取らない限り、興業的には成功しないかもしれません。
 見どころとしては、犯人役の役所広司と弁護士役の福山雅治の迫力ある演技(特に拘置所の面会室で仕切りを挟んで対決するシーン)でしょう。
 なお、題名の「三度目の殺人」は、裁判による死刑判決を意味しているようです。

三度目の殺人【映画ノベライズ】 (宝島社文庫)
クリエーター情報なし
宝島社

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