現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

灰島かり「現代英米絵本はパロディの花ざかりvs日本の絵本はパロディ嫌い?」シンポジウム資料

2017-09-26 09:06:26 | 参考文献
 パロディについて代表的な定義をあげた後で、日本にはパロディの伝統があるのに、絵本では敬遠されている訳を以下のように述べています。
1.昔ばなしへの高い評価。子どもには本物の昔ばなし(だけ)を与えるべき。
2.皮肉や風刺は子どもの本にはふさわしくない。
3.感動や情緒、そして「オリジナリティ」を大切にする。
4.ナンセンスは許容するが、パロディはその元になっている作品を嘲笑しているようで、不愉快。
など。
 そして、欧米の優れたパロディ絵本を紹介しています(内容については、それらの個別の記事を参照してください)。
<先駆的な作品>
1.ロアルド・ダール文、クェンティン・ブレイク絵「へそまがり昔ばなし」
2.ジョン・シェスカ文、レイン・スミス絵「くさいくさいチーズぼうや&たくさんのおとぼけ話」
<21世紀のパロディ絵本>
1.デイヴィッド・ウィーズナー作「3びきのぶたたち」
2.エミリー・グラヴェット作「オオカミ」
など。
<さまざまなパロディ絵本>
1.バベット・コール作「トンデレラ姫物語」
2.ジョン・シェスカ文、レイン・スミス絵「三びきのコブタのほんとうの話」
3.ユージーン・トリビサス文、ヘレン・オクセンバリー絵「3びきのかわいいオオカミ」
4.ローレン・チャイルド作「いたずらハープ、えほんのなかにおっこちる」
など。
 おそらく子どもたちはパロディが好き(自分たちの遊びの中では自然にパロディをしている)なのでしょうが、子どもたちに本を手渡す媒介者(両親(特に母親)や教師たち)がそれを阻害しているのだと思われます(大人たちも自分たちの世界ではパロディが好きなのに、子どもたちには「教育的配慮」というのをつい発揮してしまうのでしょう)。

へそまがり昔ばなし (児童図書館・文学の部屋)
クリエーター情報なし
評論社
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森忠明「鼻が上をむいた少女」少年時代の画集所収

2017-09-26 09:02:50 | 作品論
 「ひとりっ子のままだとわがままな男になるからな、弟がわりか、妹がわりをあずかって育てればいい。それがあいつの将来のためだぜ。」などという祖父の身勝手な遺言に従って、両親はまるでペットでももらってくるような感覚で、相談所(森少年いわく、赤ちゃんのうちに両親においてきぼりになった子どもたちのための施設のようです)から、早幸(さき)という六歳(森少年は二歳年上)のかわいい女の子を預かってきます。
 森少年は、大きな花びらを懸命に運ぼうとするアリをこちらも一所懸命に見ていたり、狂犬病の予防注射の時に森少年の年取った愛犬を侮辱した口の悪いデブの獣医をにらんで「ばか。」と言ってくれたりした早幸と、しだいに心を通わせるようになります。
 しかし、おねしょ癖のあった(施設からは説明されていなかった)早幸は、母親から夜中に廊下に立たせておく罰を受けるようになり、とうとうわずか約百日で、森少年が遠足に行っている間に、施設へ返されてしまいます。
 むだになったおみやげをひろげながら、森少年はつぶやきます。
「名前のとおり、早く幸せになりな。」
 それから、むねのなかだけでいってみた森少年の言葉が、読者に突き刺さります。
(みなしごにむごいことをした森家は、みんな不幸せになりな。)
 この「みんな」には、実際にむごいことをした両親だけでなく、妹か弟をもらってくるのを止めたり、早幸をかばえなかったりしなかった森少年自身も含まれているのです。
 この作品でも、生きていくことのむごさ、大切な人との別れ、欺瞞に満ちた大人社会への反感など、森作品の重要なモチーフが散りばめられています。
 作品世界の時代(1950年代)から60年以上、出版されてからも30年以上がたち、文中には不適切な用語もありますし、こうした子どもたちに対する制度も大きく変わっていますが、格差社会によって貧困に苦しんでいる子どもたちの問題が再び深刻になっている現在にこそ、こういった作品が再び生み出される必要があります(村中季衣「チャーシューの月」(その記事を参照してください)のような作品もありますが、非常にまれでしょう)。


少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ)
クリエーター情報なし
講談社

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森絵都「出会い直し」出会い直し所収

2017-09-26 08:16:39 | 参考文献
 女性イラストレーターとかつての担当編集者の、九年前、七年前、現在と三回の出会いを描いています。
 九年前の出会いは、二十五歳の彼女にとっては初めての週刊誌の連載の挿絵の仕事で、それまで他人に身構えて仕事をしていた彼女のスタンスを変えるきっかけを、その三十一歳の男性編集者が作ってくれました。
 七年前の再会は、二年間のフランス留学(彫刻の勉強のためで、結果として限界を悟ってイラストの世界戻ってきます)の後で、ファッション誌に移っていた編集者と対談の挿絵の仕事をしますが、彼の方はもっと大きく変貌してしまっていて、どうやら仕事にも行き詰っているようです。
 現在の出会い直しは、アマチュアとして続けていた彫刻の初めての個展においてです。
 仕事を辞めた彼は、妻の実家の造り酒屋を手伝っています。
 この時点で、彼女は、ようやく彼と友人としてフランクに付き合えるようになった(初めて一緒に食事に行けそうです)ことを悟ります。
 さりげない心の機微を、品よく、そしておしゃれな題材(イラスト、彫刻、週刊誌、ファッション誌、芸能界、フランス留学、フルーツタルトなど)を散りばめて描いています。
 でも、「ふーん。森絵都は、児童文学ではなくて、結局こんなのを書きたかったのか」というのが、かつて「宇宙のみなしご」に衝撃を受けた者の、正直な感想です。

出会いなおし
クリエーター情報なし
文藝春秋
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