現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

森忠明「少年電報配達員」少年時代の画集所収

2017-09-27 09:51:01 | 作品論
 森少年のおじいさんの話です。
 おじいさんは、父親が亡くなったために学校をやめて少年電報配達員になりました。
 真夜中に電報を配達しに行く仕事で、墓場で怖い思いをしたり、小説家の先生に受賞の知らせをして五円(賞金の百分の一で、少年電報配達員の一晩の賃金の六倍以上)もらったりしました。
 おじいさんは、そのまま郵便局に勤め続けて、定年の時に四百五十枚も挨拶状を出したのに、誰も返事をくれないのでがっかりしていました。
 しかし、しばらくして、いつかの小説家の先生が、長いそしてかつての少年電報配達員のまじめさや努力をほめた返事をくれました。
「最後の部分に、「あなたがわたしにはこんでくれた電報やゆうびんは、ほとんどが福音でした。ありがとう。」と書いてありました。おじいさんは四百五十分の一の福音に目を細めていました。」
 他人が、自分が思っているほどこちらに気をかけてくれていないということは、自分の経験でも多々感じるところです。
 そんな時、遠い昔のことを覚えていてくれたことは、どんなにうれしいことでしょうか。
 こうしたささやかな喜びに敏感なのも森少年の特長なのですが、この作品はたんなる思い出話になっていてもう一つの出来だと思います。
 
少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ)
クリエーター情報なし
講談社
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ジョン・シェスカ文、レイン・スミス絵「三びきのコブタのほんとうの話」

2017-09-27 08:50:29 | 作品論
 これも「三びきのコブタ」のパロディ絵本です。
 元のストーリーに忠実に、ただしオオカミの視点から描いています。
 「3びきのぶたたち」(その記事を参照してください)よりもこちらの方が個人的には好みなのですが、年少の読者にはあまり向いていないかもしれません。
 文章も絵のタッチも、やや大人向けな感じです。
 まあ、これくらいの古典になると、いろいろな二次創作が楽しめるのかもしれません。
 
三びきのコブタのほんとうの話―A.ウルフ談 (大型絵本)
クリエーター情報なし
岩波書店
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森忠明「木馬のしっぽ」少年時代の画集所収

2017-09-27 08:48:40 | 作品論
 卒園式の二日後に交通事故で死んで、小学生になれなかったいとこの想い出です。
 いとこは、ピクニックの時に大の方を漏らしたり、お祭りの出店ではあまり面白くないビーバーのお面を欲しがったり、回転木馬では怖くてたづなをつかめずに耳のところを握ってしがみついたりしています。
 小学校上級生だった森少年は、この陰気でかわいげのないいとこの面倒を、よく見させられていました。
 そっけない態度をとったり、悪口を言ったりしていましたが、森少年はその子のことをかわいがっていました。
 「木馬のしっぽ」というのは、そのいとこが誤って引きちぎってしまった、細いロープ製の木馬のしっぱのことです。
 翌年のお祭りで、森少年は、その青い木馬にまだしっぽがないことを見つけて思います。
(つぎの夏も、そのつぎの夏も、しっぽのない青い木馬が、ぼくの前に回転してきたら、ぼくはぼくにしか見えない顕(いとこの名前です)と、ぼくにしか見えないビーバーのお面に手をふることにしよう。)
 大人の欺瞞や権力者の横柄さなどには猛烈に反発する森少年は、その分、自分よりも弱い者へはぶっきらぼうな優しさを見せます。
 それが、森作品の魅力の一つでしょう。

少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ)
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講談社
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森忠明「22口径」少年時代の画集所収

2017-09-27 08:11:46 | 作品論
 森少年は、まだ小学六年生なのに、人生のどん底にいました。
 なにもかもいやになって、学校をほっぽって、病院の精神病棟に入院しています。
 両親は別居していて、離婚しそうです。
 春休みに切れ痔で大出血した時には、その公衆便所の外では、ストリップ劇場の宣伝カーが「きんぱつ、がいじん、ヌードショー」と繰り返していました。
 脳波をとりにいった都内の慶応病院では、偶然出会った人気喜劇俳優に憎たらしい顔をされます
 お祭りの出店では、香具師たちにからかわれます。
 そんな時、森少年は、ポケットの中の22口径の弾(米軍基地の番兵にもらいました)を握りしめて、大人になったら拳銃を手に入れてこの弾を込めて、そいつらを打ち殺すことを夢見ています。
 しかし、拳銃で22口径の弾を富士山目がけて発射する夢を見てから、そうした大人たちにもそれぞれの事情があったのかもしれないと思うようになり、取りあえず自分もなんとか生き延びてみようと思います。
「きみはサヨナラ族か」や「花をくわえてどこへいく」などの初期の長編のモチーフが、ここではより生な形で描かれています。
 森作品の通奏低音である「人生への諦念」と、それに反してなんとか生き延びようとする主人公像は、こうしたところから生み出されているのでしょう。

少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ)
クリエーター情報なし
講談社

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森忠明「秋草日記」少年時代の画集所収

2017-09-27 08:03:59 | 作品論
 仲のいい女友だち(美人で、習字では大きな賞を取り、女医を目指す優等生で、学校一の俊足と何拍子もそろった、森少年とは不釣り合いな女の子です)のことを、十月の日記の形で、習字塾、運動会、彼女の通う無慈悲な進学塾(定期テストに欠席すると、所属するクラスのランクを大幅に落とす)などをからめて書いています。
 断片的で統一したイメージがつかみづらく、正直言ってあまりいい出来ではありません。
 特に、六年生にしては大人びた価値観(なんでも力を発揮しないといけないと思いこんでいる。そうした自分の気持ちを、これみよがしに男友達(森少年)に話す。)に凝り固まった女の子に、陰で悪口を言う同級生の女の子たちと同様、読者もあまり好感は持てないでしょう。

少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ)
クリエーター情報なし
講談社
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