現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ときありえ「森本えみちゃん 「クラスメイト」第一章」」児童文学 新しい潮流所収

2017-09-13 19:36:44 | 作品論
 作者の「クラスメイト」(1993年)の第1章で、宮川健郎「児童文学 新しい潮流」に転載されています。
 主人公と一番の親友の森本えみちゃんとの、学校でもらった蚕の分配方法における、ちょっとした仲たがいと仲直り(主人公の心の中だけで行われた、言ってみれば独り相撲です)を、徹底して主人公の内面を語る手法で鮮やかに描いています。
 長編の一部なので、クラス内や主人公の家庭の人間関係がわからないので少し読みにくいですが、それでも十分に主人公の心の動きを読者に納得させる作者の腕前は相当なものです。
 編者は、この主人公による語りを、例によって後藤竜二「天使で大地はいっぱいだ」(1966年)を引き合いに出して、「子どもの語りの仮装」とよんでいます。
 そして、これも例によって柄谷行人「日本近代文学の起源」(1980年)を引用して、「「言文一致」という表現形式が確立して、はじめて「内面」が発見されたのであって、その逆ではない」と、この「子どもの語りの仮装」が「子どもの内面」を描くのに有効な手法であることを解説しています。
 そして、そうした「語り」が発見されていない時代の新見南吉「久助くんの話」(1939年)と比較して、当時は「外面」でしか描けなかったとしています。
 しかし、作品を、主人公の語り(話し言葉による一人称と言ってもいいかもしれません)で描くのは特に新しいことではありません。
 編者も触れていますが、日本でも千葉省三「虎ちゃんの日記」(1925年)のような先駆的な作品(話し言葉という点では徹底していない点があるかもしれません)もあります。
 また、この「語り」が日本の児童文学に普及した大きな理由は、編者が言うような後藤作品によるものではなく、他の記事にも書きましたがそれ以前に世界中(特に日本)で大ベストセラーになったサリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(1951年)(その記事を参照してください)のホールデン・コールフィールドやアラン・シリトー「長距離ランナーの孤独」(1960年)の「おれ」(1960年)などの「少年の語り」を用いた海外文学の影響が大きかったと思われます。
 後藤作品よりは後ですが、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の影響(似ている点は語り口だけではありません)を受けたと言われる、芥川賞を取ってこれもベストセラーになった庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1969年)の影響もあったかもしれません。
 いずれも、当時もっともその「内面」を知りたいと思っていた若い世代(それは、空前の豊かさを誇った1950年代のアメリカで何不自由のない身の上ゆえに逆にアイデンティティを失った少年だったり、1950年代のイギリスの階層社会に行き場のない怒りを爆発させる少年だったり、1960年代の日本において70年安保直前の激動に隠されていた絶対多数のノンポリの高校生だったりしました)を描くのに、そうした「少年の語り」がピッタリだったのです。
 高度成長期を経て豊かになった日本で、こうした現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄さなど)が低年齢化してきた1980年代ごろから、こうした「子どもの語り」を用いた児童文学が日本で多くなったことは、ある意味当然のことのように思えます。
 私が本当の意味で児童文学の創作をしていたころ(1984年から1988年までの5年間)に、私の周辺にいた書き手(森忠明、村中李衣、長崎夏海、泉啓子、横沢彰、最上一平、廣越たかし、ばんひろこ、斉藤栄美など)は、ほとんど同じような語り口で作品(特に高学年や中学生向き)を描いていました。
 それは、編者が言う「子どもの語りを仮装する」というような人為的なものではなくて、自らの「内なる子ども」(それは自分自身の子ども時代かもしれませんし、周辺にいた子どもたちかもしれません)が、同時代を生きる子どもたちに向けて、「自然と語りだした」という感覚だったと今でも思っています。


クラスメイト (創作のとびら)
クリエーター情報なし
文溪堂

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