現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

グードルン・パウゼヴァング「ランマー」そこに僕らは居合わせた所収

2017-09-13 10:45:47 | 作品論
 主人公の少年は、第二次世界大戦の終戦の一年前に十六歳でした。
 父は一年前に戦死して、母と祖父と暮らしています。
 彼は、自分が大人になる前に戦争が終わってしまうことを心配していました。
 自分が兵士にならないうちに、戦争が終わってほしくなかったのです。
 戦争末期に、十六歳から六十歳までのドイツ男子が全員参加する「国民突撃隊」ができます。
 それだけ、兵員が欠乏していたのでしょう。
 主人公は、喜んで「国民突撃隊」に参加します。
 第一次世界大戦にも従軍した五十九歳の彼の祖父も、「国民突撃隊」に参加しています。
 翌年の二月に、いよいよ二人は戦場に召集されます。
 出征の前日、主人公は祖父にランマーという農具で、誤って足の指を複雑骨折されてしまいます。
 そのため、主人公は出征できなくなり、祖父だけが従軍します。
 主人公のけがが治った時には終戦を迎えていて、祖父や一緒に出征していったクラスメートたちは全員戦死してしまっていました。
 それから数十年たって、主人公は今でも少し足をひきづっています。
 そして、あの事故が、実は祖父が主人公を戦争に行かせないためにわざとしたことで、そのために自分が生き延びたことを理解しています。
 「自分が二十歳になる前に戦死することを当然のことだと思い、兵士になる前に戦争が終わってしまうことが最大の心配事だ」という考えは、今ではとても信じられないことでしょう。
 しかし、ドイツだけでなく日本でも、少年たち(兵士になるのは男性に限られていました)は、まったく同様な考えで生きていました。
 例えば、柏原兵三の「長い道」(藤子不二雄Ⓐのマンガや映画の「少年時代」の原作)という疎開小説でも、その主人公はこの作品と同様に「戦死することと、兵士になる前に戦争が終わらないこと」を願っていました。
 当時の軍国教育が、いかに恐ろしいものだったかをうかがわせます。
 そして、児童文学者たちの多くも、その教唆の一翼を担っていたことを、決して忘れてはいけないと思います。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
クリエーター情報なし
みすず書房
 



 

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