現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

森川成美「アサギをよぶ声」

2017-09-05 09:31:54 | 参考文献
 この作品を読んだ時に、二つのことが気になりました。
 ひとつは、大長編の出版方法です。
 この作品では一応のエンディングはあるのですが、続きの話があるような雰囲気もかなり濃厚に漂っています。
 今の出版状況では、分厚く高価な本(例えば、理論社の大長編シリーズのような)を出版することは難しくなっています。
 読書力のおちている現代の子どもたちは分厚く字数の多い本を敬遠しがちですし、高価な本は公共施設でも購入しずらいでしょう。
 しかし、分冊にして、一気にあるいは一定の期間をおいて、出版することは、出版社側のリスクが高いので、作者に全部の刊行をコミットできないかもしれません。
 そうした時には、まず一冊出して売れ行きを見るということが、よくなされます。
 売れた時は問題ない(幸いにこの本も続編が出版されました)のですが、売れ行きが芳しくない時は尻切れトンボに終わる危険があります。
 次に、古代を舞台にしたファンタジーの書き方の問題があります。
 この作品に限らず、作者たちから見れば、いろいろと制約の多い現代を舞台にしたリアリズム作品よりも、フリーハンドが得られるこういった作品の方が、のびのび書けるかもしれません。
 しかし、野放図にこのような世界を認めてしまうと、かつての無国籍童話のように根無し草の作品になってしまう恐れがあります。
 そういったことを防ぐためには、借りてきた舞台においてコモンセンスになっているような事象についてはきちんと押さえることは常識としても、創作している部分についてもあたかもそれが実在しているかのような(本の外側にもその世界が広がっているように感じられる)リアリティの保証が求められます。
 「子どもと文学」(その記事を参照してください)にも紹介されていますが、リリアン・スミス「児童文学論」で提示されているファンタジーの語源は、「「目に見えるようにすること」という意味のギリシア語」だそうです。
 ファンタジー作品の世界観を構築することは非常に魅力的ですが、大変な作業であることを作者たちは肝に銘じるべきでしょう。

アサギをよぶ声
クリエーター情報なし
偕成社
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宮川健郎「「原風景」の考古学について」現代児童文学が語るもの所収

2017-09-05 09:20:17 | 参考文献
 いくつかの現代児童文学作品や戯曲などにあらわれる「原風景」について、著者の実体験(高島平団地周辺)を取り混ぜて、エッセイ風にまとめた文章で、この本に含まれている他の論文と同じように読もうとするとかなり違和感があります。
 紹介されているのは、
乙骨淑子「ピラミッド帽子よ、さようなら」
唐十郎「唐版犬狼都市」
奥野健男「文学における原風景」
大石真「街の赤ずきんちゃんたち」
いぬいとみこ「みどり川のぎんしょきしょき」
斉藤敦夫「グリックの冒険」「冒険者たち」「ガンバとカワウソの冒険」
わたりむつこ「よみがえる魔法の物語」
天沢退二郎「魔の沼」「光車よ、まわれ!」
などです。
 文学作品に作者の原風景が投影されているのは当然のことですし、著者に限らずほとんどすべての人たちに原風景は存在するでしょう。
 この文章ではそれらがたんに紹介されているだけで、その文学史や現代日本史における意味合いを読み解こうとしていないので、読んでも「だから、なに?」という感じです。
 まあ、「エッセイだから」と言われればそれまでですが、この本に収録するのが妥当だったかは疑問です。


現代児童文学の語るもの (NHKブックス)
クリエーター情報なし
日本放送出版協会
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