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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

チャンピオン

2016-11-21 08:17:33 | キンドル本
 主人公のおとうさんは、電機メーカーで取扱説明書を作るテクニカルライターをしていて、会社へは行かずに家で仕事をしていることが多いです。
 そういうのを、在宅勤務といいます。
 家が狭くて、コンピューターが置いてある自分の部屋を仕事の時に使われてしまうので、主人公は不満に思っていました。
 それに、小柄で地味でさえないおとうさんのことを、主人公は自慢に思えませんでした。
 そんなおとうさんが、家族に秘密にしていた趣味は、ビリヤードでした。
 いつも仕事の息抜きに、駅前のビリヤード店へ通っています。
 そんなおとうさんが、ビリヤードの都大会に出場することになりました。
 地区予選を勝ち抜いたのです。
 主人公は、気が進まないまま、大会の応援に行くことになってしまいました。
 その前に、少しはビリヤードのことを知ろうと、主人公はおとうさんとビリヤード店へ行きます。
 意外なことに、おとうさんはビリヤード仲間では人気者でした。
 ビリヤード店の常連たちが、わざわざ大会の応援に来てくれていました
 そして、おとうさんはみんなの声援を受けながら、トーナメントを勝ち進みます。
 はたして、おとうさんはチャンピオンになれるでしょうか?

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チャンピオン
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平野 厚


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桜木紫乃「ギフト」ホテルローヤル所収

2016-11-21 07:56:45 | 参考文献
 短編集の最後(発表された時期も最後)で時間は一番遡り、ホテルローヤルの誕生譚になります。
 ここまであざとく作り上げられると、やや食傷気味です。
 家族を捨てて、無理な借金でラブホテルを開業して、若い女と一緒になった男を、いくら身内とはいえあまりにも正当化しすぎていないでしょうか。
 児童文学でもご都合主義のひどいエンターテインメントはたくさんありますが、ここまで自己正当化している作品は少ないかもしれません。

ホテルローヤル
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集英社
 
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進級記録会

2016-11-20 08:21:52 | キンドル本
 主人公は、スイミングスクールに通っています。
 スイミングの進級記録会で、ようやく合格します。
 合格のご褒美に、おとうさんにカードを買ってもらいます。
 主人公は、少年野球チームにも入っています。
 スイミングと野球のかけもちは、けっこうしんどいです。
 少年野球チームの監督は、よく怒ります。
 そのために、チームメイトが、チームを辞めそうになります。
 でも、まだ迷っているようです。
 主人公自身も一緒に辞めて、スイミングだけにしようかと迷っています。
 主人公とキャッチボールをした時に、やめようとしている子がまだ野球が好きなことを確認できました。
 でも、主人公はチームに留まることを決意しましたが、チームメイトは練習を無断で休んでしまいます。
 次の練習試合もその子は集合時間に来ませんでしたが、試合の途中にユニフォーム姿で現れます。
 でも、監督に怒られるのが怖くてなかなかベンチまで来られません。
 その子がチームに戻れるために、主人公がしたことは?

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進級記録会
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平野 厚


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児童文学における「努力」について

2016-11-20 08:17:43 | 考察
 児童文学において、主人公が努力する姿はよく描かれてきました。
 努力が報われて何事かが成し遂げられる過程を通して、主人公の成長する姿を描く、いわゆる「成長物語」は、児童文学における一つのパターンと言ってもいいかもしれません。
 もともと「成長物語」は、現代児童文学が1950年代に掲げた理念のひとつである「変革の意志」を、本来の意味である「社会の変革」だけでなく、「個人の成長(変革)」にも適用したものです。
 それは、1950年代から1960年代には信じられていた「社会の変革」(多くの場合は社会主義型の社会への変革を意味していました)が、70年安保の敗北、その後の革新勢力の低迷、ソ連などにおける共産主義国家の崩壊などを通して、書き手の多くが変革後のあるべき社会を、読者である子どもに提示できなくなったことが、変革の対象が社会から個人へ変化した理由のひとつでしょう。
 また、現代児童文学がスタートしたころには克服しなければならなかった近代的不幸(飢餓、貧困、戦争など)の多くが、1970年代までの高度成長時代に克服され、多くの若い世代にとって新たな現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄さなど)の方が問題になり、変革の対象が社会から個人に変化したことも、その理由に挙げられるます。
 しかし、現在では、変革の対象があまりに個人に偏りすぎて、努力する目標も個人的な成功(優れたスポーツ選手や芸術家になる、お金持ちになる、名声を得るなど)に限定されすぎています。
 現代の若い世代を取り巻いている新たな問題(格差社会、世代間格差、ネグレクト、ハラスメント、DVなど)を、克服するための「努力」ももっと描かれるべきでしょう。

現代児童文学の語るもの (NHKブックス)
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日本放送出版協会
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児童文学の同人誌における長編の合評について

2016-11-19 09:33:02 | 考察
 児童文学の同人誌の合評会には、短編が提出されることが多いです。
 特に、月例で合評会をやっている場合には、短編を同人に評価してもらって、それを書きなおすなり、次の作品に生かすなりして、筆力を向上させていくのは、特に初心者にはうってつけです。
 それでも、時には、合評会に長編が提出されることもあります。
 その長編が一括して提出される場合は、それも短編と同じように評価でき問題ない(読むのは大変ですが)のですが、時には、長編の一部(ほとんどの場合、冒頭の部分)だけが提出されることがあります。
 提出する方は完成前に同人の反応が知りたいのでしょうが、読む方は全体像が分からないので評価が難しいことが多いです。
 提出者がその長編を完成させられるようにうまくコメントができればいいのですが、合評会に出したために同人の批評に迷ってしまい、かえって書き続けることが困難になる場合もあるようです。
 そんな時は、提出者が長編の全体を示すシノプシスを一緒に出せば、読み手の方もより的確な批評ができ書き手にとって有益かもしれません。
 ただ、人によっては、シノプシスを書くと、それだけで満足してしまって、肝心の作品の方が書けなくなる場合があるので注意が必要です。
 
児童文学の書き方
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ポプラ社
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オープンテスト

2016-11-19 09:07:11 | キンドル本
 主人公は、友だちの付き添いで、大手進学塾のオープンテストをうけます。
 オープンテストとは、塾に通う子たち以外にも開放されているテストのことです。
 主人公のテストの結果は信じられないほどよく、全国でも上位に食い込んでいます。
 そのため、授業料免除の特待生に選ばれてしまいます。
 一方、主人公は、少年野球チームでは、レギュラーの座が危なくなっています。
 下級生のライバルに追い上げられているのです。
 おかあさんの勧めで参加した塾の説明会で、いくつもの塾に特待生として入って、塾からお金までもらっているプロの受験生の存在を知ります。
 一緒に話を聞いていたため、主人公も塾からお金をもらえることになりそうです。
 でも、塾に入ると、曜日が重なるので、チームの自主練に出られなくなってしまいます。
 週末の正式練習の日は試合が多いので、自主練は実力をあげるための大切な時間です。
 自主練に参加できなくなれば、レギュラーのポジションは、下級生のライバルに奪われてしまうでしょう。
 一方で、塾に通って勉強すれば、日本中のどんな中学校でも合格できることを太鼓判を押されています。
 塾と少年野球、主人公の最終選択は?

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オープンテスト
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平野 厚


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児童文学と職業

2016-11-18 09:06:43 | 考察
 児童文学でも、いろいろな職業が描かれることがあります。
 しかし、それらは、農家や商店(食べ物屋さんが人気)や医師(獣医を含む)や先生や職人などのことが多く、世の中の大半を占めている普通の会社を描いた作品はほとんどありません。
 普通の会社ではドラマが作りにくいと思われていることもその理由でしょうが、現在の書き手に女性が多く普通の会社の様子に詳しくないためかもしれません。
 一般小説でも、津村記久子などの一部の例外を除いては、あまりすぐれたワーキング小説はありません。
 また、作家によっては、華やかな職業(例えば、パイロット、キャビンアテンダント、テレビのプロデューサー、デザイナーなど)よりもガテン系の職業の方が尊いといった、変な偏見を持っている人もいます。
 しかし、読者の子どもたちのおとうさんやおかあさんの大半は、普通の会社に勤めているのです。
 そういった大人の働く姿を作品に描くことも、児童文学作家の大事な務めだと思っています。

ワーカーズ・ダイジェスト
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集英社

 
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無心の一射

2016-11-18 08:38:09 | キンドル本
 主人公は、高校の弓道部に属しています。
 同期の誰よりも上達が遅く、基礎訓練をクリアして的の前に立てるようになったのも、初めて的中したのもダントツのビリでした。
 ところが、最近になって、急激に的中率が上がってきました。
 同期の一年生たちをごぼう抜きして、上級生の的中率に肉薄しています。
 そして、はじめてレギュラーに選ばれて、弓道の大会に出場することになりました。
 しかし、主人公が選手に選ばれたのには、人には言えない秘密がありました。
 試合中に、そのことをひきずってしまっていた主人公は、いつもの弓射ができません。
 そんな主人公を、補欠にまわった先輩は励ましてくれます。
 ようやく無心になれた最後の一射の行方は?

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無心の一射
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平野 厚


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神沢利子「海のたまご」いないいないばあや所収

2016-11-18 08:32:36 | 作品論
 いよいよ札幌を離れて樺太へ向かう日がきました。
 主人公たちを乗せた列車が発車した時、ばあやは泣きながらホームで後を追いました。
 かあさんやにいさんも泣いています。
 しかし、主人公だけは泣けませんでした。
 新しい旅立ちのために、新調したよそゆきのかっこうをしていたからでしょうか?
 汽車と連絡船を乗り継ぐ長く苦しい旅の末に、ようやく樺太の島影が見えてきました。
 主人公は、樺太での新しい生活にむけて決意を新たにします。
 子どもの日々と決別して新しい世界へ出発する日は、児童文学では重要なモチーフです。
 ミルンの「プー横丁にたった家」、モルナールの「パール街の少年たち」、皿海達哉の「野口くんの勉強部屋」など、多くの印象に残るシーンが思い出されます。
 この作品では、最も幼い時期への決別が鮮やかに描かれています。

 
いないいないばあや (岩波少年少女の本)
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岩波書店
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児童文学における老人の役割

2016-11-17 09:20:43 | 考察
 最近、老人が登場する児童文学作品がたくさん書かれるようになってきました(私の参加している同人誌のメンバーだけかもしれませんが)。
 中には、登場人物は老人だけで、子どもが一人も登場しない作品もあります。
 私は、そういった作品を、老人児童文学と呼んでいます。
 老人児童文学の作品を読んでいると、長い間生きてきた人たちの生活知やユーモアなど、現代の生活で忘れがちなことを思い出させてくれます。
 現代の子どもたちは、核家族化が進んだことで、老人たちと一緒に暮らす経験が少なくなっています。
 また、彼らの祖父母の世代にあたる六十代、七十代の人々は、昔と違って若々しい人が多く、老人とは呼べないかもしれません。
 そうすると、現代の子どもたちにとっての老人とは、彼らの曽祖父母の世代に当たる八十代、九十代、百歳超えの人々なのかもしれません。
 両者の間には三世代ものギャップがあり、なかなか交流の機会はないでしょう。
 それらの老人たちの多くは、遠くに住んでいたり施設に入っていたりして、子どもたちにとってはたまに会いに行く存在にすぎないのかも知れません。
 そんな状況において、児童文学に老人を登場させてその魅力を語ることは、それだけでも十分に価値のあることだと思っています。

ぬくい山のきつね (風の文学館2)
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新日本出版社
 
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初めてのバイト

2016-11-17 08:48:24 | キンドル本
 主人公の中三の男子は、夏休み前に野球部を引退しました。
 でも、なかなか受験勉強に身が入りません。
 暇を持て余していた彼は、姉の代わりに初めてのアルバイトをすることになりました。
 本当は中学生はだめなのですが、背が高いので高校生だと言ってごまかすことになっています。
 バイトの内容は、スーパーの入り口前の露店で、100円均一の化粧品を売ることでした。
 バイトの内容を知らされていなかった彼は、「まさか化粧品とは」と、すっかりだまされた気分でした。
 主人公は、バイト先で、テイクアウトコーナーのバイトの女の子たちと知り合います。
 そのうちの一人の子は、やはり年をごまかしていた中学生でした。
 慣れない、しかも女性向きのバイトは、苦労や失敗の連続でした。
 でも、初めてお金を稼いだ喜びは大きなものでした。
 バイトの帰りに、女の子たちとカラオケに行くことになりました。
 そこで主人公を待ち受けていたハプニングは?

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初めてのバイト
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平野 厚


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児童文学において新しい知識を得ることについて

2016-11-17 08:41:42 | 考察
 現代児童文学がスタートした1950年代、60年代ごろは、本は子どもたちにいろいろな新しい知識を提供する媒体でもありました。
 例えば、見知らぬ外国の人びとや町や自然などは、当時の子どもたちには直接体験することなど想像もできないことでした。
 それらを、翻訳児童文学や海外生活を体験した人の作品などで、間接的な体験をしていたのです。
 また、社会や科学などの新しい知識なども、本を通してしか知ることができませんでした。
 それが、テレビの普及によって、そういった知識はもっと身近に得られるものになりました。
 さらに、インターネットが普及すると、新しい知識の伝搬は加速度的に速くなりました。
 現在では、スマホの出現により、インターネットもモバイルで利用できるようになり、こういった知識を得るのに時間や場所の制限はなくなりました。
 ある記事には今の人々は常に図書館を手にして歩いているようなものだと書かれていましたが、知識を更新するスピードやそれを得る利便性は、比べられないほどスマホの方が優れています。
 なにしろ、スマホは1980年代のスーパーコンピューターよりも優れた性能を持っていますし、インターネットは世界中を結んでいるのですから。
 SiriやGoogleを使えば、検索できない情報はほとんどないでしょう。
 こんな現代において、児童文学が新しい知識を与える役目は終わってしまったのでしょうか。
 そうは思えません。
 なぜなら、インターネットから得られる情報は玉石混交だったり、ビジネスや政治のために恣意的だったりするからです。
 こんな時代だからこそ、児童文学の書き手には、たんなる暇つぶしとしてのエンターテインメントだけではなく、子どもたちに何かを考えるきっかけになるような「新しい知識」を提供する使命があるのではないでしょうか。
 それが、ポスト現代児童文学の時代において、作家性を発揮するひとつの方向性だと思っています。

英語圏諸国の児童文学I[改訂版]: 物語ジャンルと歴史
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ミネルヴァ書房
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児童文学における怖いお話

2016-11-16 18:08:54 | 考察
 児童文学の世界では、昔も今も怖いお話が大はやりです。
 怪談や妖怪など、怖いお話は、今の主力の読者である女の子だけでなく男の子も大好きです。
 そのため、いくら出版しても確実に売れるので、いろいろな出版社でシリーズを出しています。
 私自身も、だいぶ前の話ですが、出版社から依頼されて短編を怪奇シリーズのアンソロジーに入れてもらったことがありましたが、再版のピッチが早いのにはびっくりしました(といってもアンソロジーの中の一編ですから、印税は微々たる物ですが)。
 このように、毎年多くの怖いお話の本が出版されているのですが、大半は短いお話のようです。
 大人向けのホラー、例えば、鈴木光司の「リング」や貴志祐介の「黒い家」やトマス・ハリスの「羊たちの沈黙」のようなしっかりとした骨組みを持った本格的なホラーは、あまり見当たりません。
 しいて言えば、小野不由美の「魔性の子」あたりでしょうか。
 ファンタジーでは、ハリー・ポッターを初めとした大長編シリーズがいっぱいあるのですから、ホラーでもそういった作品があれば、多くの読者を獲得することでしょう。
 案外、児童文学の書き手にとって、穴場なのかもしれません。

リング (角川ホラー文庫)
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角川書店
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児童文学における会話

2016-11-16 18:06:11 | 考察
 児童文学の同人誌に提出された作品の会話の場面で、このセリフは誰が言ったのか、わかりにくいことがります。
 特に、初心者の作品の場合、会話がだらだらと続いて、どのセリフをどの登場人物が言ったのかわからなくて混乱します。
 こんなとき、英文だったら、セリフごとに誰が言ったか明示されるので問題ないのですが、和文でそのような書き方をしたらくどくて読めたものではありません。
 話し方に個性があればセリフだけで誰が言ったかわかりますが、そうでない場合は、発言者の最小限の明示は必要でしょう。

すごい「会話力」 (講談社現代新書)
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講談社
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月曜日は自転車に乗って

2016-11-16 07:49:12 | キンドル本
 主人公は、毎週月曜日に学校へ行きたくなります。
 でも、いったん学校を休めば、月曜日の夕方にはすっかり元気になって、火曜日からは普段通りに学校へ行かれます。
 そのため、クラスメートからは「週休三日」と言われています。
 主人公は、月曜日に家にこもっている運動不足を解消するために、室内自転車を使ったトレーニングをするようになりました。
 その室内自転車は、おかあさんがダイエットのために購入したのですが、すぐに飽きてほったらかしになっていた物です。
 凝り性な主人公は、室内自転車によるトレーニングに熱中して、短い期間に運動能力を飛躍的に高めることに成功しました。
 室内トレーニングだけでは物足りなくなった主人公は、戸外でも自転車に乗るようになりました。
 クラスにサイクリング好きの友だちがいたので、いろいろアドバイスを受けられました。
 彼の紹介で、自転車屋さんにも出入りするようになります。
 初めての遠出の行き先は、高尾にすることにしました。
 友だちは一緒に行くと言ってくれましたが、主人公はことわりました。
 実は、そこには、離婚した父親が再婚した新しい家族と住んでいるのです。
 そして、その家を一目見て来てやろうと思ったのです。
 初めての遠出のサイクリングは、苦労の連続でした。
 主人公は、ようやく目的地にたどり着きます。
 主人公が、そこで出会ったものは?

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月曜日は自転車に乗って
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平野 厚



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