現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

児童文学における老人の役割

2016-11-17 09:20:43 | 考察
 最近、老人が登場する児童文学作品がたくさん書かれるようになってきました(私の参加している同人誌のメンバーだけかもしれませんが)。
 中には、登場人物は老人だけで、子どもが一人も登場しない作品もあります。
 私は、そういった作品を、老人児童文学と呼んでいます。
 老人児童文学の作品を読んでいると、長い間生きてきた人たちの生活知やユーモアなど、現代の生活で忘れがちなことを思い出させてくれます。
 現代の子どもたちは、核家族化が進んだことで、老人たちと一緒に暮らす経験が少なくなっています。
 また、彼らの祖父母の世代にあたる六十代、七十代の人々は、昔と違って若々しい人が多く、老人とは呼べないかもしれません。
 そうすると、現代の子どもたちにとっての老人とは、彼らの曽祖父母の世代に当たる八十代、九十代、百歳超えの人々なのかもしれません。
 両者の間には三世代ものギャップがあり、なかなか交流の機会はないでしょう。
 それらの老人たちの多くは、遠くに住んでいたり施設に入っていたりして、子どもたちにとってはたまに会いに行く存在にすぎないのかも知れません。
 そんな状況において、児童文学に老人を登場させてその魅力を語ることは、それだけでも十分に価値のあることだと思っています。

ぬくい山のきつね (風の文学館2)
クリエーター情報なし
新日本出版社
 
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初めてのバイト

2016-11-17 08:48:24 | キンドル本
 主人公の中三の男子は、夏休み前に野球部を引退しました。
 でも、なかなか受験勉強に身が入りません。
 暇を持て余していた彼は、姉の代わりに初めてのアルバイトをすることになりました。
 本当は中学生はだめなのですが、背が高いので高校生だと言ってごまかすことになっています。
 バイトの内容は、スーパーの入り口前の露店で、100円均一の化粧品を売ることでした。
 バイトの内容を知らされていなかった彼は、「まさか化粧品とは」と、すっかりだまされた気分でした。
 主人公は、バイト先で、テイクアウトコーナーのバイトの女の子たちと知り合います。
 そのうちの一人の子は、やはり年をごまかしていた中学生でした。
 慣れない、しかも女性向きのバイトは、苦労や失敗の連続でした。
 でも、初めてお金を稼いだ喜びは大きなものでした。
 バイトの帰りに、女の子たちとカラオケに行くことになりました。
 そこで主人公を待ち受けていたハプニングは?

 (下のバナーをクリックすると、スマホやタブレット端末やパソコンやKindle Unlimitedで読めます)。


初めてのバイト
クリエーター情報なし
平野 厚


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児童文学において新しい知識を得ることについて

2016-11-17 08:41:42 | 考察
 現代児童文学がスタートした1950年代、60年代ごろは、本は子どもたちにいろいろな新しい知識を提供する媒体でもありました。
 例えば、見知らぬ外国の人びとや町や自然などは、当時の子どもたちには直接体験することなど想像もできないことでした。
 それらを、翻訳児童文学や海外生活を体験した人の作品などで、間接的な体験をしていたのです。
 また、社会や科学などの新しい知識なども、本を通してしか知ることができませんでした。
 それが、テレビの普及によって、そういった知識はもっと身近に得られるものになりました。
 さらに、インターネットが普及すると、新しい知識の伝搬は加速度的に速くなりました。
 現在では、スマホの出現により、インターネットもモバイルで利用できるようになり、こういった知識を得るのに時間や場所の制限はなくなりました。
 ある記事には今の人々は常に図書館を手にして歩いているようなものだと書かれていましたが、知識を更新するスピードやそれを得る利便性は、比べられないほどスマホの方が優れています。
 なにしろ、スマホは1980年代のスーパーコンピューターよりも優れた性能を持っていますし、インターネットは世界中を結んでいるのですから。
 SiriやGoogleを使えば、検索できない情報はほとんどないでしょう。
 こんな現代において、児童文学が新しい知識を与える役目は終わってしまったのでしょうか。
 そうは思えません。
 なぜなら、インターネットから得られる情報は玉石混交だったり、ビジネスや政治のために恣意的だったりするからです。
 こんな時代だからこそ、児童文学の書き手には、たんなる暇つぶしとしてのエンターテインメントだけではなく、子どもたちに何かを考えるきっかけになるような「新しい知識」を提供する使命があるのではないでしょうか。
 それが、ポスト現代児童文学の時代において、作家性を発揮するひとつの方向性だと思っています。

英語圏諸国の児童文学I[改訂版]: 物語ジャンルと歴史
クリエーター情報なし
ミネルヴァ書房
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