1933年に出版されたドイツの児童文学です。
おもちゃ屋に勤めるおとうさんと二人暮らしの12歳の男の子クリックと、彼のガールフレンドのアリーを中心に、当時の都会(おそらくドレスデン)の人々の暮らしを生き生きと描き出しています。
クリックが買った宝くじ(二等に当選して二万マルク(現在の日本の貨幣価値で言えば2000万円ぐらいか?)がもらえます)を隠してあった毛糸の帽子をなくし、それを見つけ出すまでがお話のメインですが、ストーリーそのものよりも彼らの暮らしや登場してくる人物(大人も子どもも)たちをリアリティを持って描いている方が魅力です。
エーリッヒ・ケストナーの諸作品(「エーミールと探偵たち」など)とほぼ同時代の作品ですが、この作品の一番の特長は子どもたちだけでなく、動物屋(今の言葉で言えばペットショップですね)のぜんそくおじさん、ザサフラス(元)船長などの個性豊かな大人たちが、クリックたちを子ども扱いせずに一人前の人間として付き合っている点でしょう。
今回、50年以上ぶりに読んで気づかされたのは、当時のドイツの貧困や子どもたちの不幸(クリックはおかあさんがなくなっていますし、アリーは赤ちゃんの時に両親を失っています)が、かなりしっかりと書き込まれていることです。
子どものころ(1960年代初め)に読んだ時にクリックたちの貧困に気付かなかったのは、当時の自分のまわりの方がもっと貧しかったからでしょう(特に私の家だけが貧しかったわけではなく、東京オリンピック前なので日本中がまだ貧しかったのです)。
この作品の場合、貧困を抜け出す手段が宝くじ当選なので、安易な感じを受けるかもしれませんが、この宝くじは当時(第一次大戦敗戦後の復興も行き詰まりを見せていました)のドイツの貧しい人たちにとっては、未来への希望の象徴だったのでしょう。
そういった意味では、文中に出てくる「いつかアメリカ帰りの大金持ちのおじさんが現れないかなあ」という儚い夢と、等価だったのかもしれません(同じように敗戦国だった私の子どもの頃の日本では、「アメリカ帰り」ではなく「ブラジル帰り」のおじさんでした)。
しかし、ご存じのように、ドイツではこの本が出版されたころに、ヒットラーのナチスが台頭し、第二次世界大戦の泥沼に突入します。
なお、この作品も全集に収める紙数の関係で抄訳なのですが、今回探してみましたが残念ながら日本では全訳は出版されていないようでした。
おもちゃ屋に勤めるおとうさんと二人暮らしの12歳の男の子クリックと、彼のガールフレンドのアリーを中心に、当時の都会(おそらくドレスデン)の人々の暮らしを生き生きと描き出しています。
クリックが買った宝くじ(二等に当選して二万マルク(現在の日本の貨幣価値で言えば2000万円ぐらいか?)がもらえます)を隠してあった毛糸の帽子をなくし、それを見つけ出すまでがお話のメインですが、ストーリーそのものよりも彼らの暮らしや登場してくる人物(大人も子どもも)たちをリアリティを持って描いている方が魅力です。
エーリッヒ・ケストナーの諸作品(「エーミールと探偵たち」など)とほぼ同時代の作品ですが、この作品の一番の特長は子どもたちだけでなく、動物屋(今の言葉で言えばペットショップですね)のぜんそくおじさん、ザサフラス(元)船長などの個性豊かな大人たちが、クリックたちを子ども扱いせずに一人前の人間として付き合っている点でしょう。
今回、50年以上ぶりに読んで気づかされたのは、当時のドイツの貧困や子どもたちの不幸(クリックはおかあさんがなくなっていますし、アリーは赤ちゃんの時に両親を失っています)が、かなりしっかりと書き込まれていることです。
子どものころ(1960年代初め)に読んだ時にクリックたちの貧困に気付かなかったのは、当時の自分のまわりの方がもっと貧しかったからでしょう(特に私の家だけが貧しかったわけではなく、東京オリンピック前なので日本中がまだ貧しかったのです)。
この作品の場合、貧困を抜け出す手段が宝くじ当選なので、安易な感じを受けるかもしれませんが、この宝くじは当時(第一次大戦敗戦後の復興も行き詰まりを見せていました)のドイツの貧しい人たちにとっては、未来への希望の象徴だったのでしょう。
そういった意味では、文中に出てくる「いつかアメリカ帰りの大金持ちのおじさんが現れないかなあ」という儚い夢と、等価だったのかもしれません(同じように敗戦国だった私の子どもの頃の日本では、「アメリカ帰り」ではなく「ブラジル帰り」のおじさんでした)。
しかし、ご存じのように、ドイツではこの本が出版されたころに、ヒットラーのナチスが台頭し、第二次世界大戦の泥沼に突入します。
なお、この作品も全集に収める紙数の関係で抄訳なのですが、今回探してみましたが残念ながら日本では全訳は出版されていないようでした。