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捕鯨について
ロンドンでは捕鯨反対のデモ行進がさかんに行われ、実際にそれを見かける。
「日本をあらゆる点で尊敬しているが、捕鯨をやめないのだけは納得がいかない」と冗談ぽくであるにしても友人から言われたこともある。
例えば今、大英博物館では『まんが展』が開催され賛否両論の大盛況だそうで(後日見に行くつもり)、こちらが日本の陽の話題だとしたら、捕鯨は陰といったところかも。
先日、7月1日付「日本が商業捕鯨を30年ぶりに再開」というBBCの記事を読んだ。
(今朝も31年ぶりにその肉の取引が再開され、人々が舌鼓をうったという記事を読んだ)
娘も捕鯨に関して上のように問われることがあるというので、ちょっとわたしの考えを話してみた。あくまでもわたし個人の考えです。
わたしはいろいろな理由で個人的には捕鯨はやめた方がいいと思っている。
やめたほうがいいと思っている日本人は9割近くにはなるのではないか。
わたしの世代は学校給食でクジラ肉を食べた経験がある人がいるが、下の世代は食べたことも見たこともない人が大多数だろう。
現在、捕鯨に携わるのは300人ほどだそうだ。
この「文化」が消えて無くなるのも時間の問題だと思う。
ちなみに「鯨神社」のエピソードには日本人として一種の切なさを感じる。
文化というものは、つくづく、蛮性を隠蔽するための装置なのだな、と。
捕鯨は日本の伝統文化だという(南極捕鯨は伝統ではないにしても)。
伝統文化について外国(欧米)からあれこれ口出しされたくないというのはその気持ちを理解できる。
特に西洋的な一律の価値観で「文化」継続を停止せよと言われたら、普段はやめたほうがいいのではと思っていたとしても頑なになってしまうという心理も理解できる。
2つの問題があると思う。
自国の文化に対して外国から口出しされたくない、という感情の問題。西洋が自分たちの価値観を押し付けてくる! またか! という反感だ。
そういう人はカンガルーを食べるのはいいのか、キツネを狩るのはいいのか、絶滅危惧でなければ殺してもいいのか、知能が低ければいいのか、他のは残酷ではないのか...と言う。
もうひとつは捕鯨関係者が多い選挙区から選出された国会議員が議席を守りたいがためとか、捕鯨関連の官僚が自分の所属する部署とその仕事を守るためなど、つまり政治的な問題だ。
一つ目の問題に関して、わたしがもてあそんでいる想像があるので話したい。
戦後、焼け野原となった日本で人々が飢えていた時、マッカーサーのアドバイスで米戦艦2隻を捕鯨船に改造し、南極海まで捕鯨に出かけた、という有名な話がある。
飢えを満たしたのはたいしてうまくもないクジラ肉だったのだ。
「あの大戦で焼け野原にされ、食べるものがなくなり、人が飢え、敗戦国となり、捕鯨船を出さざるをえず、クジラ肉を食べて飢えをしのいだのは欧米のせいだ。それなのに、今度はその欧米が捕鯨をやめろと言う。勝手ばっかり言うな。もううんざり。」
敗戦国となったという事実は日本をあらゆる意味でがんじがらめにしていると思うが(例えば日本は実質主権国家ではないですよね)、捕鯨に関しても日本はそのダブルバインドにはまっているのではないか。
まずは主権回復から始めないといけないような深い傷があると思うのだがどうだろうか。
馬鹿ものの考え過ぎかもしれない。
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