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Brugge Style
つかの間の幻想
モエは「人間にとって美とは何か」「人間は世界をどう解釈するか」という話が三度の飯よりも好きだ。
長い間、この話の無駄に長いブログを読んでくださっている方は、「またその話か」とすら思われるだろう。
旅行が好きなのも、美術、バレエ、クラシック音楽、建築、神話や民話、風習、セレモニー、ファッション、読書、果ては美男美女、犬や猫が好きなのも、全部そこからきている。
「目的なき合目的性」という形式に人間はまず「美」を感じる(カント)というが、当然モエは「人間にとって美とは何か」を知っているわけではない。
美を説明できないからこそ、美しいものが好きなのだ。
時々、人間は世界をとてつもなく美しい流れのようなものであると認知しており、それをなんとか取り出してピンで留めようと頑張っているのではないか、と思う。
プロコフィエフの「つかの間の幻想」はコンスタンティン・バリモントの詩行(「あらゆる刹那の瞬間に私は世界を見る、虹色にちらつく光に満たされた世界を」)から取られているという。
つまり芸術活動はそういったものかと思う。
ではわれわれが留めおこうとする「美」とは何なのか。
芸術は美的体験を直接起動させる記号だが、たぶん、流れからその美しいきらめきだけを取り出そうとしても不可能なように、世界からそれだけを切り取って説明するのはほとんど不可能なのではないかと思う。
時に天才が現れて完全に「美」を取り出して再現するのに成功していたとしても、それがいったい何であるかを説明するのは不可能に近い。
至高天で白い光の薔薇を見、この世の原理が「神の愛」であることを知った。
原理が「神の愛」というのはダンテの持つ文化背景による「比喩」だが、
いわんとすることはどんな文化圏の人でも理解できると思う。
こちらはメルチ邸のもの。
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