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プチ・トリアノン風田舎




わたしが住んでいるサリー州はロンドンへ通勤可能な距離にありながら英国一の美しい自然を誇る。
なんでも森林の割合がダントツで高いそうだ。

サリー丘陵の濃い緑の中には村々が点在し、村と村をつなぐ道は舗装はされてるものの多くが細い田舎道だ。ゆえに朝晩の渋滞は正気の沙汰ではない。

朝晩の渋滞を緩和する為に、ブルージュの高速脇やアントワープのリングにあるような立体ジャンクション(主にトンネル)を造る計画はないのかと思っているのだが、サリー州の英国人は自然を破壊してまで交通を便利にするつもりはさらさらないらしい。

サリーは教育や福祉や住環境が充実していて犯罪率も失業率も低いために中産階級に人気のエリアだ。だから今後も人口が増えるに従い高級車の数珠つなぎ渋滞はさらにひどくなり、ロンドンはさらに遠くなるのだろう。


この季節、天気がいい日に渋滞を避けてそういう道を車で走ると、爆発したかのような緑が自分の身体の細胞のすみずみだけでなく、無機的な車体にもしみわたるかのようでほんとうに気持ちがいい。
もちろん醜い看板も、コンクリートの味気ないアパートやショッピングセンターもない。ただただかわいらしい村と村をつなぐ緑のトンネルが続き、緑の向こうのキラキラした草原に真っ白な馬が佇んでいたり、丘陵と丘陵の間の浅い谷が澄んだ空気をまとって女神のように横たわっていたりするのである。


そのようなこの辺りで最も裕福な人々はどんな家に住んでいるかと言うと、細い田舎道の途中、うっそうと茂る森の中に森そのものを庭とし、家の端が森の彼方にかき消えているような大邸宅に。家と言うよりも「領地」。もちろん車がなければどこにも行けない。
こういう家を持つのが英国人のステイタスだ。

わたしは三つ星レストランや劇場に徒歩で行ったり、一日家を空けた後23時頃に犬を散歩に連れて出て馴染みのバアに寄ったりできる環境の方が好きなので、パン一斤買うにも車、郵便局で小包一個出すにも車、という緑の中の生活に簡単には馴染めないでいる。

それでこういう環境を「ど田舎」と呼んで密かに笑っていたのだが、わたしの英国生活師匠の旦那様(英国人)に言わせると、この環境はど田舎ではなく、「田舎風」なのだそうだ。

そうだ、ファッションなのだ。

そういえば田舎は田舎でも井戸から水をくんでくるわけでもなし、自分でパンを焼くわけでも畑を耕すわけでもない。

おお、それはさしずめマリー・アントワネットのプチ・トリアノンではないか。
ルソーが「自然に帰れ!」と言った(本当は言っていないけれど、それは当時のかけ声になった)のは当時本当に流行ったようだし...今の「ロハス!」みたいな感じだったんでしょうか。


ウィキペディアの「イギリス式庭園」の項には、
「この時代に最初に整形式の庭園に対して批判を述べているのは、アントニー・アシュリー=クーパー (第3代シャフツベリ伯爵)である。彼は、1709年に記した『モラリストたち』において、あるがままの自然を賛美し、これを整形式庭園の美学と正反対のものとして対比し、人工美の庭園よりも大自然の優美さを賞賛した。」
とあり、ルソーの時代の自然賛美ももうすでに何年も前からの流行りだったようで、たぶんその時代に成立した英国人の自然観、庭園観はここ300年ほどずっと変わらず、そしてきっとこの先もずっとそのままなのであろう。

最低300年の歴史があるらしいサリーの田舎風暮らし、ど田舎ではなく実は大変スノッブな生活様式なのである(笑)。



手持ちにサリー州の自然の写真が全くない...なぜならいつもそれを車から眺めるからだ。この記事の写真はサリー州ではなく、隣のハンプシャー州のものであることを断っておく。
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