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michael landy, saints alive




今朝も太陽輝くロンドン。
ホテルのテラスを吹き抜ける朝風は涼しくとも、葡萄棚からもれる光の明るさが気温30度まで上がるという予想を裏付ける。

先ほどわたしがまだ朝食のパンケーキを食べている最中に夫は仕事へ。


昨日はサーチ・ギャラリーで一番時間を使った。
それで今日は先月末からの課題となっていたサーチの "Paper" 展について書こう...と思っていたのだが(例えば沖縄出身の Yuken Teruya さんの作品「LVMH」!好き!)、一昨日ナショナル・ギャラリーで予備知識なしになんとなく立寄った展示会への印象がわたしの中で大きくなってきたのでそちらのことを先に。


マイケル・ランディの "Saints Alive" は、ナショナル・ギャラリー内に展示されている初期ルネサンスの聖人(当時最も好まれたモチーフ)をコラージュし、それらを巨大な立体に起こし、しかも中古の機械部品によって不器用に執拗に残酷に、爆音とともに動くように仕上げてある。

例えば可憐(同時に巨大)な聖アポロニアは、彼女の象徴の「すべての歯を抜かれた」という宿命を背負って入り口すぐの所に立ちつくしている。
彼女の足下には観客が踏みつけて作動させられるスイッチがあり、そのスイッチが踏みつけられるたびに彼女は手にした”やっとこ”で自分の歯を引き抜く仕草をする。それはまるで「賽の河原」や「シュシュポスの受けた罰」のようであり、彼女は死んでなお、聖人でありながら(聖人ゆえ?)この宿命、罰(=痛み)を永遠に負うのである。
しかも罪多き「われわれ」によって。
聖人はわれわれの犠牲なのだ。

同じように聖ヒエロニムスは裸体の胸に岩を打ち付け続け、イエス・キリストは「疑り深いトマス」によって脇腹の傷に継続的に指をつっこまれる(<これは一時故障中だった。よかったね!イエス様!)。

ランディは制作フィルムの中で、「彼ら聖人は自分たちの身体を破壊することを引き換えにする」と発言しており、別のシーンで彼自身、作品制作途中に頭を壁に打ち付けたりの自傷行為があることを告白していたので、聖人と芸術家を結びつけずにはいられなかった。


故障中の機械が2体ほどあったため(指を突っ込まれるキリストを含む)、後日また見に行ってみたい。
ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」の中に迷い込んでしまった?! という感じがするのもこの作品群がとても好きになった理由。
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