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kissin@barbican 2018




ちょうど1年ぶりでエフゲニー・キーシンのピアノリサイタルへ。
演目に小躍り。


Beethoven Sonata No 29 in B flat Hammerklavier
Rachmaninov Preludes;Op 3 No 2, Op 23 Nos 1-7, Op 32 Nos 5, 10, 12 & 13



ベートーベンもラフマニノフも当然想像通り、いやわたしなんかの想像よりもちろんそれ以上にすばらしく、集団で瞑想しているか、宇宙空間に漂っているか、という体験をした。

事実、キーシン自身もハッピーだったようで、なんと4回もアンコールに応えてくれた!

左はバービカンの中庭。わたしはここが好き。


......


以下、オカルト注意。


宇宙空間に漂っているようだ...と、うっとりしている時、中東に住んでいる時に少し興味を持ったカバラ哲学のさわりを思い出していた。

音楽はカバラがいうところの「もっとも霊性が高い、無限定で永遠なるもの」がこの世を「創造」するプロセスをわれわれ人間にもイメージさせてくれる。

キーシンの演奏する、特にベートーベンのソナタを聴いていると、純粋なエネルギーが次第に物質化して、われわれが目に見えるこの世の中を創造する様子を追体験できるような気がする。


円をイメージして下さると分かりやすい(写真は参考に、人文書院の「カバラと薔薇十字団」より。天辺の文字はヘブライ語で右から読む。アイン ソフと読む。アイン ソフの外側にはアイン ソフが生まれ出たアインの域がある)。

純粋で無限の霊的真空は円周辺アインにもっとも濃くあり、「神」もここに近いより内心の側にいる(外側の円から数えて4本目のあたり)。

物質的で密度が高く、永続性のないものは図の中心部にある。円は周辺からエネルギーが減ずるに従ってより物質的になり、円の中心が地上に現存する化学元素を表す。振動数も中心に近い円ほど低く、それがわれわれの住む物質世界だ。

周辺の輪が自らを物質界に映し出すことによって、現象界の運動が生まれるのだ。
われわれ人間は普通、この運動を感知することはできないが、音楽はそれに一番近いところにあるのではないか...


今日は聖金曜日、明日は復活祭。
キリストの復活も上に書いたことと似たような関係があるのだろうと直感。
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