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もっこす亭の生きざま日誌

 「自然と人・人と人」の“いいかげん・いいあんばい”な生き方を求めています。

熊本名物がいっちょ(ひとつ)きゆってたい(消えるそうだよ)

2011-12-25 22:06:10 | Weblog
  今日の「くまにちコム」(熊本日日新聞の電子版によると、熊本市の名物饅頭がなくなるという<emoji code="a006" />

 江戸時代から続く味、閉店へ 熊本市の慶徳饅頭 2011年12月25日


来年1月下旬で150年以上の歴史に幕を下ろす老舗甘酒まんじゅう店「本家慶徳饅頭」の吉永美知子さん(左)と弟の徳一さん

 熊本市慶徳堀町で150年以上続く甘酒まんじゅうの老舗「本家慶徳饅頭[けいとくまんじゅう]」が来年1月下旬、のれんを下ろす。鶴屋百貨店(同市)内の店舗は今月31日で営業を終了。弟と昔ながらの手作りの味を提供してきた吉永美知子さん(76)は「後継ぎもおらんし、自然の流れタイ」と言うが、なじみ客からは惜しむ声が尽きない。

 創業は江戸末期。「当時、市中心部で甘いものを売る店と言えば、朝鮮飴[あめ]が園田屋さんともう一軒。あとはうちぐらい。細川家にも御紋入りのお重で納めよった。祖母や母から聞いた話タイ」と美知子さん。

 1945年7月の熊本大空襲。10歳だった美知子さんは花岡山から見た光景をはっきり覚えている。「見渡す限りの焼け野原で、うちの店も赤いレンガの煙突しか残らんかった」。戦後は砂糖が手に入らず、両親はバラックを建て、まんじゅうの代わりにたばこやげたを売った。

 戦後6年経ってようやく現在の店舗兼住宅を建て、まんじゅう作りを再開した。その2年後に「6・26水害」が発生。被害も受けたが、店は繁盛した。

 「当時、長六橋につながっていた店の前の道を、多くの人や車が通った。家の修繕をする大工さんへの差し入れも多く、まんじゅうは作るだけ売れた」

 鶴屋には73年に出店。母は誘いを拒んだが、美知子さんが「私がする」と申し出た。本店は79年、母の骨折を機に弟の徳一さん(63)が6代目として継いだ。隣には明治初期創業の「元祖慶徳堀饅頭」があり、「本家と元祖の対決」と喧伝[けんでん]された時期もあった。

 ただ、92年の長六橋の架け替えに伴う一帯の道路整備により、店の前は「裏通り」に。通行する車、人が減り、売り上げも落ちた。よきライバル「元祖」も02年に廃業した。

 美知子さんと徳一さんが作る「慶徳饅頭」は、米こうじともち米でつくった甘酒で小麦粉をこね、砂糖だけで練り上げたこしあんを包み、発酵させて蒸す。素朴な甘酒の香りと味が常連客を引きつけてきた。

 「寂しくなりますね」と閉店を知った客から声が掛かるようになった。「まんじゅう屋のあったなぁ、うまかったなぁ、と時々思い出してもらうなら、それでよか」。まんじゅうを蒸す白い湯気の向こうで、美知子さんが笑った。(田川里美)
                      (熊本日日新聞「くまにちコム」より)   
 この饅頭屋は熊本市電“慶徳校前”?電停の前に並んでいた。
 子どものころ、熊本の土産にいただくととてもうれしかったことを思い出す。
 
 江戸の時代から続く甘酒饅頭というのがなんとも残念である。