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もっこす亭の生きざま日誌

 「自然と人・人と人」の“いいかげん・いいあんばい”な生き方を求めています。

おだやかな冬晴れ

2011-12-20 10:59:03 | Weblog
  今朝も"ごん”の水には氷が張った。
 
 雲の端を金色に縁どりながら昇ってきたお日様はまもなく南中。
  
 梢の上の白雲はゆったりと流れていく。

 蔵王の連峰は雪雲の中。

この冬の鳥たちは・・・?

2011-12-19 21:19:36 | Weblog
  先日やっと62個の干し柿を吊るした。
 昨年までの半分だ。
 (ここに干し柿の写真を貼りたいけど、うまく貼れないでいる)
 
 例年だとヒヨドリなどがしつこくつつきに来るのだが、今年はまったく来ない。
 ベランダに熟した柿を10個以上並べていても、食べに来る鳥はいない。
 
 鳥たちに何か起きているのだろうか?

ごめんな

2011-12-18 18:27:05 | Weblog
  寒くなると人こいしくなる。
 タカと妻を見舞った後、タカを施設に送った。
 雰囲気が暗いので「お家がいいの?」と声をかけると「うん」とこっくり。

 これが一番つらい。
 この前は施設が楽しいような感じだったのだけど・・・
 「ごめんな」

 来週はクリスマス。
 お母さんもいっしょに楽しいパーティーができるといいなぁ。

 さあ~、これから晩飯の準備だ!

この冬の「初積雪」

2011-12-16 21:32:34 | Weblog
  平地では朝9時ころから周りが静かになった。
 外を見ると雪が降り出していた。
 この冬の初積雪だ。

 雪の中、妻の入院費を払いに行った。
 病院近くのジャスコのATMで30万円を下ろし納入。大きな負担である。
 ついでに、講座引き落としやカード払いができるように要望。

 今日はタカを連れてくる日だったが、この雪で明日に変更。
 施設は標高200mくらいにあるので雪が多いのだ。
 小生の軽トラは、まだ冬タイヤに履き替えていないのだ。

 さむ~い夜。

妻の闘病記 127

2011-12-15 22:38:43 | Weblog
  妻が今の病院に転院して2ヵ月半。
 やっと入院費の請求がきた。
 10月11月分で30万円。

 「えっ!これじゃ入院続けられないよ!」と会計窓口へ行った。
 「3割負担で毎月15万円くらいかかります。相談室で相談してください」だって。

 相談室ではケースワーカーがにこにこして待っていた。
 「減額認定証を出さなかったでしょ。それを出すと今月から半分近くになるよ」と言う。

 「先月請求書がこなかったのは?」と訊くと
 「毎月は出しません。2ヶ月以上の滞納者には出します」との返事。
 患者や家族は窓口に確認しに行かねばならないのだそうだ<emoji code="a006" />

 それから前の病院ではよかったクレジットカード払いはダメ。現金払いなのだ。
 大金を持ち歩くのは問題だと思うが・・・

 今回分は後で戻ってくるそうだが、こんな説明はなかったのでうっかりと言えばうっかりになるのかな~・・・腑に落ちない<emoji code="a004" />

 事務処理のあり方に問題を感じた一日だった。

富士山 2-富士山と浜岡原発

2011-12-04 23:09:18 | Weblog
 {宝永大地震と大噴火と浜岡原発」
 再度“宝永噴火口”
 DSCN7391.jpg
 「宝永大噴火」は約300年前の江戸時代は徳川綱吉の治世、宝永4年旧暦11月23日(1707年12月16日)に始まった噴火で、規模としては非常に大きなものだった。

 「宝永地震」
 噴火の始まる49日前の10月4日(10月28日)にマグニチュード8,6~8,7と推定される大地震が起きた。
 この地震は定期的に巨大地震を起こしている遠州沖を震源とする東海地震と紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生したと考えられている。
 その被害は、東海道、紀伊半島、四国に及び、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋2万戸に達したという。
 
 その翌日辰の刻(8時頃)、富士宮付近を震源とする強い余震あり。この付近では本震より強く感じれれ、11月10日(12月3日)頃から山麓で地響きが始まる。
 この4年前の元禄16年11月23日(1703年12月31日)発生した元禄地震の後にも12月29日(1704年2月4日)頃から山鳴りが始まったと『僧教悦元禄大地震覚書』
に記されている。

 「噴火の始まり」
 宝永地震の余震と宝永火口付近直下の浅い地震活動が続く中、11月22日(12月15日)の夜から富士山麓一帯では強い地震が数十回起こった。
 23日(16日)の10時頃より南東斜面から白い雲のようなものが湧き上がり急速に大きくなっていった。噴火の始まりだ。
 東斜面には高温の軽石が大量に降り家屋を焼き田畑を埋め尽くし、夕暮れには噴煙の中に火柱が見え、火山雷による稲妻が飛び交うのが目撃された。
  
 (以上Wikipediaより)
 
 宝永大噴火から約300年、「宝永火口」の歴史を振り返ると、富士山の麓にある「浜岡原発」がいかに危険な状態にあるかが分かってくる。

 DSCN7414.jpg
 こちらの斜面には、まだ解け残りの雪が見られた。
 東富士演習場の場所などを確認しながら下る。

 東名から“山手トンネル”(まるでモグラの道だ!こんなトンネルができているとは知らなかった。)を抜けて東北道へ。
 DSCN7424.jpg
 夕日ににじむ富士。
 東北道に乗る頃には夕日が沈むころ。

 運転をずっと引き受けてくれた相棒とは国見インターで別れ、我が家に着いたのは10時半。大変いい旅だった。

 余分なことだが、退職して〇年。15歳も若い現職から声をかけられるとは平で終わった冥利に尽きる思い<emoji code="a001" />

富士山 1

2011-12-03 21:41:29 | Weblog
 5合目を目ざす。
 DSCN7375.jpg
 ほぼ一直線に登る。
 海抜1,000メートルは一気だ。

 途中相棒が道路の確認に商店に寄る。
 そこで通行止めになっていることを教えられる。
 でも、ひょっとしたら通れるかも?・・・と行けるところまで行くことにする。
 
 ところがやっぱりダメ。
 DSCN7379.jpg
 同じ思いの人たちが次々とやってくる。
 カーブを曲がったところに本物のゲートが・・・<emoji code="a004" />

 あきらめて御殿場方面へ。
 富士のお山がどんどん近づく感じ。
 ちょっとした空き地にはどこも車が数台停まっている。きのこ採り?
 「お~い 富士山にちょっと登ってくるぞ~」と、手が届く感じ。

 水ケ塚の公園に着く。
 DSCN7401.jpg
 コーヒーを飲みながら“宝永噴火口”にひきつけられる。
 DSCN7391.jpg
 
 今日はここまで。続きは明日。
 タカを風呂に入れねばならない。 

 

富士市で一泊

2011-12-02 12:09:02 | Weblog
  「浜岡原発11・26ひまわり集会」の後富士市の富士山の見えるホテルへ。

 夕食は近くのファミレス風居酒屋で。
 対応は多少つっけんどんだが、さしみ定食?(1,300円)を注文すると山盛り!
 それも5種類。中でも嬉しかったのは、当地名物の“しらすの生”。
 
 こういう地の物が並べば、森の石松
 「よっ おあ兄さんがた浜岡の原発つぶしに陸奥からおいでなすったんだって。
ありがてぇねぇ。駿河のさしみじゃんじゃん食ってきねぇ!」
 と声をかけてきそう。清水の次郎長にっこりだ<emoji code="a002" />

 翌朝、窓を開けると
 DSCN7334.jpg
 目の前に富士山!
 登ったことはあるけれど、こんなに間近に見たことはなかった。
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 山頂も手の届くところだ!
 周りを見渡して自分の位置を確認。
 食堂からは裾野がばっちり!
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 5合目まで行くことに決定。バイキング式の朝食を腹いっぱいに詰め込む

 フロントで道を確認し外へ。
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 駐車場の脇に鮮やかな黄色!あたたかい。

 
 


浜岡原発周辺の観察

2011-12-01 23:23:17 | Weblog
  浜岡原発周辺で観察したことを二三。
 
 道路わきの雑木林の淵には“マテバシイ”たくさん生えており、その実(ドングリ)が歩道にたくさん落ちていた。食用となる。

 その林と歩道の境には“ムベ”(アケビ科)のつるが薮を作っていた。
 DSCN7275.jpg
 これは“ムベ”の実。この実は割れない。
 我が家の丹庭や周辺には“ミツバアケビ”がほとんどないので珍しかった。

 道の端には粒子の細かい砂粒?
 畑も白い。
 DSCN7301.jpg
 よく見るとサツマイモの畑。
 とり残しを見るとイモも白い。コガネセンガン”か?

 会場近く。アパート群の周りには茶畑があるが、放り出された茶畑も目立つ。
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 手入れができるところでは数種類の柑橘類が実っていた。
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 この大粒の実は、“バンペイュ”か?

 家々の生垣には“マキ”が多かった。
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 その根元に“スイセン”ガ裂いていた。