河童の歌声

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暗かった青春

2022-09-19 07:26:08 | 日記
私が写真に目覚めたのは20歳頃でしたから、
勿論、デジカメなどというのはまだ無く、全部がフィルムカメラの時代でした。





白黒フィルム・カラーはネガカラーフィルム・リバーサルフィルム。
その他にもコピーフィルムという真っ黄色のフィルムがあって、
それで撮ると、独特の不思議な写真が撮れて、とても面白かったのです。

白黒は主にフジのネオパンか、コダックのトライXが双璧でした。
中にはコニカの良さを主張する人もいましたが、あまり受けなかった。
私は主にネオパンのASA100ではなく、ASA400の高感度ネオパンSSSを使っていました。
時々トライXを使った事もありました。



と言っても、一般的な36枚撮りの小さなパッケージを買っていると高くつくので、
100フィートの長尺フィルムを買ってきて、
それを普通のパッケージに自分で詰め替えるのです。



その為にはこういった暗箱に両手を入れて、手探りで詰め替えるのです。



その為には使用済みのパッケージを大量に使います。
しかしそれは、新宿ヨドバシカメラに行くと、
階段の踊り場にそういった人の為に、使用済みパッケージの置き場があって、
そこから好き勝手にいくらでも持って行って良かったのです。

ある写真家が、教え子の生徒に「君は一日で何本撮るのかね?」と訊いたら、
生徒は胸を張って「2本くらい撮ります」と言ったら、
先生は「そんなに撮るって凄いね。僕は1本くらいかな」と言いました。
生徒が言ってるのは36枚撮りフィルム2本。
先生が言ったのは100フィートの長尺フィルム換算での1本。
よく覚えていないのですが、36枚撮りフィルムで20本近かったような・・
生徒が1日で72枚撮ってるのに、先生はその20倍近く撮ってる。
プロとアマの考え方には、その位の差があるのですね。





で、撮って来たネガをどうするのか?
こういった赤い電球の暗い部屋で現像をするのです。
私はラッキー製の引き伸ばし機を使っていました。

その当時、私の部屋は4畳半。
ベッドがあって、その隣の机が作業台でした。
年がら年中暗室作業をするので、その度にいちいち黒いカーテンで目張りをするのが面倒で、
真っ黒い暗室カーテンは張りっ放し。
タバコも当時は喫っていたので、小窓の部分だけ開けておき、
暗室が始まると、そこも閉めて目張りをしていました。

つまり部屋で暗室以外の作業をする時は蛍光灯を点け、
暗室では真っ赤な、それでいて薄暗い部屋が私が20代をおくった部屋だったのです。
部屋は煙草のヤニで汚れ切って、黄土色。
俺はというと髪の毛までも煙草臭い男をやってました。

でも写真仲間には俺など及びもしない凄まじい男もいました。
彼の部屋(6畳)は、ど真ん中に万年布団が敷きっぱなし。
部屋には布団以外には座る場所が無く、部屋の出入りには布団からピョンと飛び跳ねての出入りでした。
その片隅の流しで彼は暗室作業をやっていたみたいです。
ちなみに彼はその流しで、オシッコもしてました。

しっかしな~、思えば暗~い青春だったな~(涙)

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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更に詳しく希望 (tachinon)
2022-09-19 14:43:55
 いーですねぇ。こういう記事。
 ちなみに、いまも当時も貧乏な私は、10代後半は超普及機の2眼レフでした。
 6枚撮りのライトバンSS、 余裕のある時はネオパンFでした。ミニコピーも流行りましたね。
アサカメにもミニコピーで撮ったチョーコントラストの作品がのってましたね。
友達から譲ってもらった、部品の欠けた引き延ばし機を修理して、洗面所の窓に黒模造紙を張って、家族が寝た夜中に引き伸ばししたりしてました。
学校の暗室も使えました。
写真部の上手い人達は、トライXみたいでしたね。
カメラについても詳しく・・・希望します。
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暗いね~ (河童)
2022-09-19 15:31:36
タチノンさん、貴方の青春も暗かったんですね~。
返信する

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