私が写真に目覚めたのは20歳頃でしたから、
勿論、デジカメなどというのはまだ無く、全部がフィルムカメラの時代でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/26/f6f385faa5ee73ceb3484a874c9870af.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/09/8990c5e44449ae62c44119d39a2be5d2.jpg)
白黒フィルム・カラーはネガカラーフィルム・リバーサルフィルム。
その他にもコピーフィルムという真っ黄色のフィルムがあって、
それで撮ると、独特の不思議な写真が撮れて、とても面白かったのです。
白黒は主にフジのネオパンか、コダックのトライXが双璧でした。
中にはコニカの良さを主張する人もいましたが、あまり受けなかった。
私は主にネオパンのASA100ではなく、ASA400の高感度ネオパンSSSを使っていました。
時々トライXを使った事もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/2b/d316ed4ce69a3127acbffdbb4b3fb764.jpg)
と言っても、一般的な36枚撮りの小さなパッケージを買っていると高くつくので、
100フィートの長尺フィルムを買ってきて、
それを普通のパッケージに自分で詰め替えるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/3e/1d6b5b2756bb71321c4b18f052e8c226.jpg)
その為にはこういった暗箱に両手を入れて、手探りで詰め替えるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/72/3b957d71e93cd3bc0d96515d525b85af.jpg)
その為には使用済みのパッケージを大量に使います。
しかしそれは、新宿ヨドバシカメラに行くと、
階段の踊り場にそういった人の為に、使用済みパッケージの置き場があって、
そこから好き勝手にいくらでも持って行って良かったのです。
ある写真家が、教え子の生徒に「君は一日で何本撮るのかね?」と訊いたら、
生徒は胸を張って「2本くらい撮ります」と言ったら、
先生は「そんなに撮るって凄いね。僕は1本くらいかな」と言いました。
生徒が言ってるのは36枚撮りフィルム2本。
先生が言ったのは100フィートの長尺フィルム換算での1本。
よく覚えていないのですが、36枚撮りフィルムで20本近かったような・・
生徒が1日で72枚撮ってるのに、先生はその20倍近く撮ってる。
プロとアマの考え方には、その位の差があるのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ec/4631287c819150062e22f3fba3504ed9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/e0/c4b65e6b8ac7d2f9f5ee4dece4fa5129.jpg)
で、撮って来たネガをどうするのか?
こういった赤い電球の暗い部屋で現像をするのです。
私はラッキー製の引き伸ばし機を使っていました。
その当時、私の部屋は4畳半。
ベッドがあって、その隣の机が作業台でした。
年がら年中暗室作業をするので、その度にいちいち黒いカーテンで目張りをするのが面倒で、
真っ黒い暗室カーテンは張りっ放し。
タバコも当時は喫っていたので、小窓の部分だけ開けておき、
暗室が始まると、そこも閉めて目張りをしていました。
つまり部屋で暗室以外の作業をする時は蛍光灯を点け、
暗室では真っ赤な、それでいて薄暗い部屋が私が20代をおくった部屋だったのです。
部屋は煙草のヤニで汚れ切って、黄土色。
俺はというと髪の毛までも煙草臭い男をやってました。
でも写真仲間には俺など及びもしない凄まじい男もいました。
彼の部屋(6畳)は、ど真ん中に万年布団が敷きっぱなし。
部屋には布団以外には座る場所が無く、部屋の出入りには布団からピョンと飛び跳ねての出入りでした。
その片隅の流しで彼は暗室作業をやっていたみたいです。
ちなみに彼はその流しで、オシッコもしてました。
しっかしな~、思えば暗~い青春だったな~(涙)
勿論、デジカメなどというのはまだ無く、全部がフィルムカメラの時代でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/26/f6f385faa5ee73ceb3484a874c9870af.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/09/8990c5e44449ae62c44119d39a2be5d2.jpg)
白黒フィルム・カラーはネガカラーフィルム・リバーサルフィルム。
その他にもコピーフィルムという真っ黄色のフィルムがあって、
それで撮ると、独特の不思議な写真が撮れて、とても面白かったのです。
白黒は主にフジのネオパンか、コダックのトライXが双璧でした。
中にはコニカの良さを主張する人もいましたが、あまり受けなかった。
私は主にネオパンのASA100ではなく、ASA400の高感度ネオパンSSSを使っていました。
時々トライXを使った事もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/2b/d316ed4ce69a3127acbffdbb4b3fb764.jpg)
と言っても、一般的な36枚撮りの小さなパッケージを買っていると高くつくので、
100フィートの長尺フィルムを買ってきて、
それを普通のパッケージに自分で詰め替えるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/3e/1d6b5b2756bb71321c4b18f052e8c226.jpg)
その為にはこういった暗箱に両手を入れて、手探りで詰め替えるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/72/3b957d71e93cd3bc0d96515d525b85af.jpg)
その為には使用済みのパッケージを大量に使います。
しかしそれは、新宿ヨドバシカメラに行くと、
階段の踊り場にそういった人の為に、使用済みパッケージの置き場があって、
そこから好き勝手にいくらでも持って行って良かったのです。
ある写真家が、教え子の生徒に「君は一日で何本撮るのかね?」と訊いたら、
生徒は胸を張って「2本くらい撮ります」と言ったら、
先生は「そんなに撮るって凄いね。僕は1本くらいかな」と言いました。
生徒が言ってるのは36枚撮りフィルム2本。
先生が言ったのは100フィートの長尺フィルム換算での1本。
よく覚えていないのですが、36枚撮りフィルムで20本近かったような・・
生徒が1日で72枚撮ってるのに、先生はその20倍近く撮ってる。
プロとアマの考え方には、その位の差があるのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ec/4631287c819150062e22f3fba3504ed9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/e0/c4b65e6b8ac7d2f9f5ee4dece4fa5129.jpg)
で、撮って来たネガをどうするのか?
こういった赤い電球の暗い部屋で現像をするのです。
私はラッキー製の引き伸ばし機を使っていました。
その当時、私の部屋は4畳半。
ベッドがあって、その隣の机が作業台でした。
年がら年中暗室作業をするので、その度にいちいち黒いカーテンで目張りをするのが面倒で、
真っ黒い暗室カーテンは張りっ放し。
タバコも当時は喫っていたので、小窓の部分だけ開けておき、
暗室が始まると、そこも閉めて目張りをしていました。
つまり部屋で暗室以外の作業をする時は蛍光灯を点け、
暗室では真っ赤な、それでいて薄暗い部屋が私が20代をおくった部屋だったのです。
部屋は煙草のヤニで汚れ切って、黄土色。
俺はというと髪の毛までも煙草臭い男をやってました。
でも写真仲間には俺など及びもしない凄まじい男もいました。
彼の部屋(6畳)は、ど真ん中に万年布団が敷きっぱなし。
部屋には布団以外には座る場所が無く、部屋の出入りには布団からピョンと飛び跳ねての出入りでした。
その片隅の流しで彼は暗室作業をやっていたみたいです。
ちなみに彼はその流しで、オシッコもしてました。
しっかしな~、思えば暗~い青春だったな~(涙)
ちなみに、いまも当時も貧乏な私は、10代後半は超普及機の2眼レフでした。
6枚撮りのライトバンSS、 余裕のある時はネオパンFでした。ミニコピーも流行りましたね。
アサカメにもミニコピーで撮ったチョーコントラストの作品がのってましたね。
友達から譲ってもらった、部品の欠けた引き延ばし機を修理して、洗面所の窓に黒模造紙を張って、家族が寝た夜中に引き伸ばししたりしてました。
学校の暗室も使えました。
写真部の上手い人達は、トライXみたいでしたね。
カメラについても詳しく・・・希望します。