河童の歌声

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友人の墓参りに房州へ

2024-05-15 04:39:56 | 日記
先月75歳で亡くなった友人の墓参りに5人で行って来ました。
私は3人だけだと思っていたら、千葉に着くと総勢5人だったのでした。

まずは東金のY君の家へ。
私は5時15分に家を出て、東金に7時過ぎに到着。
「俺の車は5人乗れるから」と言っていたY君の車は、古車、
おまけにバッテリー上がりで使えず、
キャンプ道具満載で2人しか乗れない私のクラウンと、
栃木県足利から来たN君のトヨタ高級車の2台で向かう事になりました。



最初に向かったのは、五井の近くの八幡宿だったか?のK君の墓でした。
右端が今回の発起人、千葉の写真師Y君。
その隣2番目が、たった46歳で急死したK君で、
彼はヒッチハイクの達人で、持ち金50円で北海道に1ヵ月も行ったり、
ヒッチハイクで知り合った人に誘われてアメリカに何ヵ月も行ったりした、
我々の仲間では伝説の男でした。



K君の墓で左から、今回の発起人、千葉の写真師Y君。
彼はK君が亡くなった時に、「あいつが居たから、あいつが居たから」
(現在の俺が在るんだ)と言って泣き崩れた姿は忘れられない。
本当に、あの時ほど(悲しい)と思った事は無かった。
2番目は、横浜のY君。後は大田区からのK君。
手前に私、右端は足利からのN君。
みんな頭が淋しくなってる(笑)

そこからは高速道路・館山道を鋸南町方面へ、120キロで飛ばす。
私は土地勘が無いので千葉の写真師Y君の指示のままに。
着いた先は、鋸南富山だったような・・・
そこは房総半島のかなり先で、まるで何にも無い、ド田舎でした。
亡くなったN君が、よく「私の出身は房州です」と言っていた訳がよく理解できました。
都会である千葉とは全然違って、何にもないのが(房州)なんです。
「あ~こういったトコで彼は育ったんだな」とド田舎房州を眺めたのでした。

後で地図を見たら、そこは安房勝山駅の近くでした。



2011年に私は新宿の歌声喫茶で知り合った大阪からの、
猫が大好で「世界の猫グッズ博物館」の為に来た女性と、
前日は船橋の歌声喫茶ゴリで一緒に唄い、船橋に一泊して、
翌日、安房勝浦へと一緒に行ったのでした。



今回の主目的は、この男Nの墓参りです。
墓には(ぐい飲み)が置いてあります。
それは私達の仲間であった唯一の女性Aさんが、作った物です。
彼女は岐阜(土岐市)で家業であった陶芸の道を継ぎ、
現在は息子さんも陶芸家としての道を歩んでいるみたいです。

写真学校時代、彼は横浜の相鉄線、和田町のアパートに住んでいました。
そこから遠くない場所に私は住んでいたので、
何度も彼のアパートに行きました。
6畳一室の本当に汚い彼の部屋は、真ん中に万年床の布団が敷いてあり、
部屋に入ると、万年床までピョーンと飛んで行って、そこからは何処にも行かれないのです。



そこで彼はバカみたいにバンジョーをかき鳴らす生活をしていました。
小便は部屋の長し台に排泄、写真の定着液、停止液は窓から外に捨て、
故に外の土には雑草一本も生えていなかった。

ある日、彼は「渓流釣りがしたい」と会津若松に突然引っ越し。
写真館に入り、会津若松城(鶴ヶ城)の旅行客の記念写真を撮っていましたが、
そこを辞めたあとはタクシードライバーになりました。
私が飯豊連峰単独縦走に行ったのは、20年以上前だったか?
私の宿で彼と会いました。それが彼との最後でした。

チョッとどもりの彼は、ある日、居酒屋でケンカになり、
負けたのが悔しくて家からオノを持って来て、警察沙汰になった。
嘘か本当か、初体験の女性は、小学校時代の担任の先生だったとか。
いいよな~、そんな素敵な初体験を俺もしたかったよ。

墓所に行くと、そこには彼の兄(90歳)が私達を待っていました。
もう、み~んな老人達なんですね。
しかし、写真学校時代の仲間達13人のうちで、
これで4人が亡くなってしまいました。
全員が千葉に係る人で、残る今回の発起人Yだけです。
それは本人も自覚しているのですが、もう千葉はやめてほしい。
というのは房総半島は広大で、今回の私の車の走行距離は600キロ。
大阪に行くより遠いのです。

その夜は銚子のラブホテルへ独り泊り。
12000円でしたが全然、良かったのです。
もう二度とセコイ、ビジネスホテルなど泊まる気にはなれません。
部屋・ベッド・浴槽・テレビ・全部が広くて嬉しい。
しかも面倒な予約など無関係。
これからは絶対にラブホテルにします。



そこで目当てだった動画を撮る事が叶いました。
ワンカットいいのが撮れればいいのです。
帰宅は3時前、いい風呂に入って思うのは、「房州」
みんなそれぞれ「想い」のある場所ってあるんだよ。
今回は、(あいつ)の想う、房州を感じたのでした。

長居よ、さようなら。
俺はお前との付き合いはそう多くはないけど、
俺はお前の事は忘れないよ。
お前は、いい奴だった。
そう思ってる女も、きっと居ると、俺は思ってる。
じゃーなー。





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