この一週間、私のこのブログへ多くの訪問者に来ていただいております。何と一週間の総計が始めて8000の大台に乗りました。それで、ついつい「ええきになって」ではないのですが、私の持っているもう一冊の本を自慢がてらにご紹介します。まあ、そんじょそこら転がっているような本ではないと内心では思っているのですが?。それは
安永7年に出た「奥の細道菅菰抄」と言う本です。
昨日紹介した芭蕉の「奥の細道」と今日取り上げた「奥の細道菅菰抄」と、どう違うのかと言うと、この松島の部分だけを見ても、この2つの書物の間には随分と違いがあります。それをええ気になったついでに書いてみます
(なお、この菅菰抄は芭蕉の旅に付き添った曾良の書いたものだそうですが。)
芭蕉の奥の細道の方には
「・・・欹ものは天を指ふすものは波に圃匐<あるは二重にかさなり三重に畳て左りにわかれ右につらなる負るあり抱るあり>児-孫愛す・・・」
とありますが、この菅菰抄では、この<・・・>の中に書かれている赤の字の部分の文章はありません。之は、「恐らく、此の旅を終えた後から、芭蕉が其の文学的な価値を高めるために付け加えたのではないか」と、偉い学者の先生が言っていたのを聞いたように思いました。
まあ、それにしても、2つ比べて読んでみると、やっぱり芭蕉が何回か推敲して書き起こしした「奥の細道」の方がど迫力があるように思われます。
この部分は何回読んでもよ読み飽きると云うことのないくらいにほれぼれする名文です。日本の名著の一冊であることは確かです。
お節介かもしれませんが、再度、取り上げておきますので、もう一度御読みになって見てください。
抑松嶋は扶桑第一の好風にしてをよそ洞庭西湖を恥ず、東南より海を入て江の中三里淅(セツ)江の潮(ウシホ)をたゝふ嶋ヽの数を尽して欹(ソハタツ)ものは天を指ふすものは波に圃匐(ハラハウ)あるは二重にかさなり三重に畳(タタミ)て左りにわかれ右につらなる負るあり抱(イダケ)るああり児-孫愛すかことし 松のみどりこまやかにして枝-葉汐風に吹たはめて窟-曲をのつからたけたるがことし其気色窅然(ヨウゼン)として美人の顔を粧ふ千早振神のむかし大山すみのなせるわさにや造-化の天工いつれの筆をふるひ詞をつくさむ・
安永7年に出た「奥の細道菅菰抄」と言う本です。
昨日紹介した芭蕉の「奥の細道」と今日取り上げた「奥の細道菅菰抄」と、どう違うのかと言うと、この松島の部分だけを見ても、この2つの書物の間には随分と違いがあります。それをええ気になったついでに書いてみます
(なお、この菅菰抄は芭蕉の旅に付き添った曾良の書いたものだそうですが。)
芭蕉の奥の細道の方には
「・・・欹ものは天を指ふすものは波に圃匐<あるは二重にかさなり三重に畳て左りにわかれ右につらなる負るあり抱るあり>児-孫愛す・・・」
とありますが、この菅菰抄では、この<・・・>の中に書かれている赤の字の部分の文章はありません。之は、「恐らく、此の旅を終えた後から、芭蕉が其の文学的な価値を高めるために付け加えたのではないか」と、偉い学者の先生が言っていたのを聞いたように思いました。
まあ、それにしても、2つ比べて読んでみると、やっぱり芭蕉が何回か推敲して書き起こしした「奥の細道」の方がど迫力があるように思われます。
この部分は何回読んでもよ読み飽きると云うことのないくらいにほれぼれする名文です。日本の名著の一冊であることは確かです。
お節介かもしれませんが、再度、取り上げておきますので、もう一度御読みになって見てください。
抑松嶋は扶桑第一の好風にしてをよそ洞庭西湖を恥ず、東南より海を入て江の中三里淅(セツ)江の潮(ウシホ)をたゝふ嶋ヽの数を尽して欹(ソハタツ)ものは天を指ふすものは波に圃匐(ハラハウ)あるは二重にかさなり三重に畳(タタミ)て左りにわかれ右につらなる負るあり抱(イダケ)るああり児-孫愛すかことし 松のみどりこまやかにして枝-葉汐風に吹たはめて窟-曲をのつからたけたるがことし其気色窅然(ヨウゼン)として美人の顔を粧ふ千早振神のむかし大山すみのなせるわさにや造-化の天工いつれの筆をふるひ詞をつくさむ・
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