梅の開花が今年は随分と遅い感じがします。まだ、その硬い蕾を小枝の先で、北風に曝しながら来るであろう春をじっと待つようにしているいじらしい姿を目にしながら、私も、毎日、炬燵の中で「ゲギョ」????とした時間に流されながら、テレビと共になんとなく過ごしています。
ところがです。昨日の事です。古女房の声がします。
「随分と温かい朝ですよ」
と。
その声に誘われてですが、「そうか、そんなにぬきいか」と、久しぶりの朝の散歩と洒落てみるかと、玄関を出ました。3月中旬の気温だそうです。コートも必要ないぐらいの温かさです。私の家のすぐ前の山は吉備津一帯の墓地でもある「向山墓地」です。此の墓地にはあの藤井高尚のお墓もあります。其の裾野を通っているのが旧山陽道です。近くには一里塚も近くにあります。
久しぶりにあの高尚先生のお墓にでもお参りして見るかと墓地の山坂に歩を進めます。その山道に入った途端です。是も今年は少々遅めですが、未だ耳にしたことのないあの懐かしい鳴き声が藪の中から聞こえてくるではありませんか。4月になった頃のあの元気良い「ホーホケキョ」という美声ではありません。たどたどしい恰も遠慮がちに、それでも春を告げる今朝の空気を体の中にいっぱいに吸い込んでいるのでしょうか、それとも、来た春を幾度となく確かめるのでしょうか、何回となく鳴き続けていました。
「初音」という言葉のイメージからすると、春は名のみの風の寒さの中で小さな声で、ほんの数回ぐらいしか鳴かないウグイスの声ばかりと思っていたのですが、実際は何回も何回も、それこそ「どよめくばかり」にではないのですが、春を歓迎しているよう何回も何回も、これもウグイスの「囀り」かと思われる様な鳴き方で鳴き続けておりました。「笹鳴」という言葉がありますがそれがどのような鳴き方かはしりませんが「ホーホケキョ」ではなく、今朝の鳴き声はどちらかというと「ホーボゲギョ」に近い初音のように思われました。
でも、随分と暖かい日です。今日は久しぶりに炬燵の中から外に出て、「ケキョ」「ケキョ」と飛び跳ねてみたいような気分になります。
ところがです。昨日の事です。古女房の声がします。
「随分と温かい朝ですよ」
と。
その声に誘われてですが、「そうか、そんなにぬきいか」と、久しぶりの朝の散歩と洒落てみるかと、玄関を出ました。3月中旬の気温だそうです。コートも必要ないぐらいの温かさです。私の家のすぐ前の山は吉備津一帯の墓地でもある「向山墓地」です。此の墓地にはあの藤井高尚のお墓もあります。其の裾野を通っているのが旧山陽道です。近くには一里塚も近くにあります。
久しぶりにあの高尚先生のお墓にでもお参りして見るかと墓地の山坂に歩を進めます。その山道に入った途端です。是も今年は少々遅めですが、未だ耳にしたことのないあの懐かしい鳴き声が藪の中から聞こえてくるではありませんか。4月になった頃のあの元気良い「ホーホケキョ」という美声ではありません。たどたどしい恰も遠慮がちに、それでも春を告げる今朝の空気を体の中にいっぱいに吸い込んでいるのでしょうか、それとも、来た春を幾度となく確かめるのでしょうか、何回となく鳴き続けていました。
「初音」という言葉のイメージからすると、春は名のみの風の寒さの中で小さな声で、ほんの数回ぐらいしか鳴かないウグイスの声ばかりと思っていたのですが、実際は何回も何回も、それこそ「どよめくばかり」にではないのですが、春を歓迎しているよう何回も何回も、これもウグイスの「囀り」かと思われる様な鳴き方で鳴き続けておりました。「笹鳴」という言葉がありますがそれがどのような鳴き方かはしりませんが「ホーホケキョ」ではなく、今朝の鳴き声はどちらかというと「ホーボゲギョ」に近い初音のように思われました。
でも、随分と暖かい日です。今日は久しぶりに炬燵の中から外に出て、「ケキョ」「ケキョ」と飛び跳ねてみたいような気分になります。