備前備中の国堺にある両国の一宮は吉備の中山の懐に抱かれるように建っています。両宮とも大変美しく壮麗で、其のお姿は神聖で、えもいわれぬ聖霊さを醸し出し、太古より都の人々を始め多くの人から信仰の対象として崇められていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/84/e75f9393ec10703fbe38ad8be6aa6813.jpg)
此のお宮さんにある古地図(一番古い記録)によると、康永元年等という文字も見えます。1342年ですが、なお、其の時の備中国吉備津神社は相当大きな建築物があり、まだ、あの重源の記録によりますと「結縁の為に梵鐘を備中国吉備津神社に奉納した」とあります。是は1200年頃のことだそうです。
なお、其の当時の備前吉備津神社の大きさですが、「本社八間八間、丑寅向也、但し椙わだぶき也」と在ります。
しかし、その位置は現在の位置より違う所にあったと云うことも分かっているそうです。当時の位置は現在依り東寄りにあって、今の忠魂碑が立っている辺りに立ていたのではないかと言われているようです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/84/e75f9393ec10703fbe38ad8be6aa6813.jpg)
此のお宮さんにある古地図(一番古い記録)によると、康永元年等という文字も見えます。1342年ですが、なお、其の時の備中国吉備津神社は相当大きな建築物があり、まだ、あの重源の記録によりますと「結縁の為に梵鐘を備中国吉備津神社に奉納した」とあります。是は1200年頃のことだそうです。
なお、其の当時の備前吉備津神社の大きさですが、「本社八間八間、丑寅向也、但し椙わだぶき也」と在ります。
しかし、その位置は現在の位置より違う所にあったと云うことも分かっているそうです。当時の位置は現在依り東寄りにあって、今の忠魂碑が立っている辺りに立ていたのではないかと言われているようです