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古来から、吉備津では、歴史的人物を多く生み出していますが、特に一番と言えば、何と言っても臨済宗を伝えた茶祖「栄西」です。
生誕の地は、現在の岡山市東山にある、吉備津神社の神主であった賀陽氏館址だと言う事です。
この栄西は晩年、東大寺の再建のための勧進職に就いたのですが、老齢のため、その職を弟子の「重源」に譲ったそうです。
この重源が勧進職として、東大寺造営料地備前の「一宮」に来ており、栄西の生誕と深く関わりのある吉備津神社に、特別な思いがあって何度も足を踏み入れただろうことは想像がつきます。
その思いが、吉備津神社への「釣鐘」を奉納だったのですが、残念ながら今ではありません。おそらく観応年間に起った火災のために焼失したものと思われます。
でも、当時、建造中であった吉備津神社の中に、重源が伝えただろうと思われる建築用様式をいくつも見ることが出来ます。
その一つが最初の写真にある隅扇垂木です。これはお釜殿の軒の垂木です。この建物は江戸時代にたれられたものですが、この地方では、他に例を見ない様式です。
このほか、拝殿の貫にある木鼻や本殿の挿肘木、連子窓、藁座、化粧垂木など重源の影響と思われる建築様式が至る所に顔を覗かせています。
豪放磊落な建築です。一度見て下さい。
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