水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

#通読+α 2022年12月分まとめ

2022年12月31日 08時15分33秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆12月7日
新改訳第三版 ミカ書5章12〜14節「わたしはあなたの手から呪術師を断ち、占い師をあなたのところからなくする。わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち滅ぼす。あなたはもう、自分の手の造った物を拝まない。わたしは、あなたのアシェラ像をあなたのただ中から根こぎにし、あなたの町々を滅ぼし尽くす。」を読んで、落ち着いた。
牧師先生ですら、目に見えるもの(人間の手で造ったもの)を崇めるような偶像崇拝に幻惑されてるんじゃないか?と思える時、御言葉の辛辣さは、本当の意味で精神を生かす。

◆12月19日
自作の聖句ポストカード販売は、計96枚売れた(1週目19枚/2週目35枚/3週目20枚/4週目22枚)。50円×96枚=4800円が売上。そこから葉書用紙(スーパーファイン紙)代(1枚8.5円を切り捨てで8円と計算)を差し引き、4032円が売上利益。小銭を貰っても昨今は困るだろうし、4000円を他教会の会堂建築に献げることにした。
笑っちゃうような少額だろうけど、マルコの福音書12章41〜43節のやもめの献金〈それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたく さん投げ入れました。〉(新改訳第三版)を思って、献げる。
3週目に買って下さった方がカードを見ながらボソッと「高い…」と呟いたので「高いですか?安いと思いますけど。用紙代もインク代も結構しますし」と答えると、コスパ的な意味で高いと仰ったようだった。その方は別の教会員が以前販売してたイラストのポストカードの売値に触れた。私は「クオリティ的には100円で売っても良いものだと自負してます。でも儲けたいというより、もっと教会員の皆さんに気軽に人を励ましてほしいと思ったから、50円にしました。100円にしたら2枚でやめとこうとなる方に、じゃあ3枚買おうか?と思ってほしかったので。この聖句ポストカードを使えば、誰かを励ます葉書を書くハードルが少しでも低くなるんじゃないかと思って」と答えた。その方は「今年のクリスマスカードはこれにするわ」と喜んで10枚買っていかれた。

◆12月27日
私は3箇所の教会(横浜の日本キリスト教団の教会/東京の母教会/現在所属の山梨の日本キリスト教団の教会)しか通ったことがないので、これから書くことには反発を覚えるクリスチャンもいるかもしれない。
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今の所属教会では「伝道」という言葉が出るとみな一様に硬直する。(本当はしたくないけど、イエスは伝道するよう仰ってる……)というような。それで「伝道は教会に必要である」とか、ただの自己膨張理論的な「べき論」に終始してるのが現状。何か違うよね。礼拝に来るのは喜びがあるからなんでしょう?人間的なこと以上の何かに支えられて教会に来続けてるなら、それを語ればいいのに(勿論、言語化が難しかったり、伝えようと気負うと空振りになりがちというのも解るが)。伝道って色んな言い方あるけど、母教会では「シェアリング」とも言ってた。要は、喜びの分かち合い。
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<新改訳第三版 コリント人への手紙⑵ 8章1〜4節>
さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。
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(糧となった聖句を語るのは偉そう、牧師でもないのに……)と思ってるのかな、教会員は。じゃあ伝道って何よ?教会で大掛かりにイベント打って、一時的に人を動員することなの?多くの信徒は、主からいただいた恵みを自分の内にがっちり握り締めて、独り占めし過ぎてるように見える。

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