水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(10):河野愛子「亡き後に恋しさおそふ」

2015年06月08日 11時22分20秒 | 一首鑑賞
亡き後に恋しさおそふ人間のつみと臥しをり春吹雪せり
河野愛子『反花篇』


 掲出歌の前後には、次のような歌が並ぶ。

  父も弟も死顔をもて括りつつ墓苑はほのと春立つ梢
  わが言葉のするどきを責むる人の言葉もするどしや野に入日落ちつも

 とすれば、亡くなった人というのは父親や弟と考えるの順当なところだ。身内の死後しばらくを経てから故人について色々思い出して遣る瀬ない心持ちになるのは、ある程度の年齢に達すれば避けようのないことなのかもしれない。
 私は諍いの絶えない家庭にあって、父と反目しながら暮らしてきた。だから、父亡き後ふとした時に父に対する後悔の念が湧いてくるということは全くの想定外だった。くよくよと思い返すことの一つは、キャスター付きのパソコンデスクの組み立てが自分では上手くできず、群馬と山梨を行き来し忙しくしていた父に面倒をかけてしまったことである。もう一つは、私が持っていたVHSのビデオテープをDVDに変換したく、ブルーレイのレコーダーしか持ち合わせていない父を煩わせてしまったことである。しかもその時は、父は食道がんの治療中でかなり体力を消耗していた。だが、それらの面倒に対して私は父に十分感謝しただろうか…。掲出歌にある「人間のつみ」といったものは、私の場合はこういうことであった。

 話を河野の歌に戻そう。河野もまた父や弟との間で言い争いがあったのだろうか。お互いに裁き合って、とげとげしい思いを抱えて日は没した。結局、父や弟との関係は未修復のままに終わったようだ。このことについて私は一言を呈することはできない。ただ、この河野の悔いも、また父君や弟さん自身の心も神様が受け止めてくださることを信じて祈るばかりだ。最後に聖句を引いておく。

 しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。(詩編51編19節)
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