ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

アグルーカ文庫化とフランクリン隊の船発見について

2014年09月19日 14時30分23秒 | 雑記


『アグルーカ』が文庫化された。基本的に大きな加筆・修正はないが、イヌイットの名前や言葉の発音の表記を直した。単行本のときは正確な発音がわからず、ローマ字読みで表記したのが多かったのだが、文庫化に際し、カナダ北極圏のイヌイット文化に関しての著作がある清水弘文堂の磯貝日月さんに協力していただき、現地の研究者に見てもらって、なるべく正確な表記に直すことにした。あとはあとがきを書いたのと、書評家の東えりかさんの丁寧な解説が加わっている。

そういえば、『アグルーカ』文庫化とタイミングを合わせるかのように、カナダからフランクリン隊の船が発見されたとのニュースが届いた。ぼくらがこの旅をしていた頃から、カナダ政府はフランクリン隊の沈没船を捜索していたので、そのうち見つかるとは思っていたが、まさかこのタイミングで……と驚いた。

近年、北極圏では氷の減少に伴い、カナダ、ロシア、アメリカ、北欧諸国、さらには中国も加わり、将来の資源開発や利権をめぐる綱引きが激しくなっている。『アグルーカ』でも描いた北西航路はこれまで年間のほとんどの期間が氷に覆われたため、航路としては事実上使えなかったのだが、温暖化に伴う氷の減少で数十年後には本格的に開通すると言われている。数世紀前の探検家の夢であるヨーロッパからアジアへの近道がついに一本のルートとして地球上に姿を現すかもしれないのである。

その北西航路はグリーンランドを南から回り込み極北カナダの多島海を抜けてベーリング海峡へつながっていく。そのためカナダは航路の主権を主張し、一方、カナダに航路の利権を奪われたくないアメリカは反論している。今回のカナダ政府の沈没船捜索事業はこうした国際政治の流れのなかでの一種の政治的パフォーマンスとしての性格が強いのだと私は理解している。なにしろフランクリン隊は北西航路探検の象徴だったのだ。

ちなみに報道ではこの発見された船について、フランクリン隊のエレバス号かテラー号のどちらかわからないと報じられているが、これはおそらくテラー号に間違いないと思われる。フランクリン隊が遭難した後に多くのイギリスやアメリカの探検隊が捜索に向かったが、そのなかのある隊が今回カナダ当局が捜索していたあたりの海域で、現地のイヌイットがフランクリン隊の沈没船のものだとする遺物を発見しており、そこには〝or″、つまりTerror号の名前の一部だと思われる文字が残っていたと記録されているからだ。

当時、この海域はOotgoolikとイヌイットから呼ばれていた。イヌイットは漂流するテラー号と思われる船に何度も入り込み、橇や生活道具に使うために木材を運び出していた。彼らの証言によるとこの船の中には体の大きな白人の死体や、まだ手を付けていない未開封の缶詰などが残っていたらしく、もしかしたら今回の沈没船の中からそうした物証が見つかるかもしれない。またOotgoolikの近くのアデレード半島には、この漂流船を脱出したフランクリン隊の生き残りと一匹の犬の足跡が東に向かって続いていたらしく、この生き残りの行方はまったく知られていない。

『アグルーカ』ではこうしたテラー号にまつわる謎にまでは触れることができなかったが、フランクリン隊に関しては興味深い謎がまだたくさん未解決のまま残されており、今回の発見で何かヒントになるような面白い遺物が見つかるかもしれない。

ちなみにイヌイットの証言によると、この沈没船を沈ませたのは、ほかならぬイヌイットたちだった。もっと木材を手に入れるために船体の横に穴を開けたところ、夏になって氷が解けるとその穴から海水が進入し沈没したという話が残っている。その穴も残っているのではないかと、私はひそかに調査の行方を注視している。


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