ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

千の顔を持つ英雄、などなど

2015年05月15日 21時05分30秒 | 書籍
千の顔をもつ英雄〈上〉
クリエーター情報なし
人文書院


千の顔をもつ英雄〈下〉
クリエーター情報なし
人文書院



今回の旅は一年以上の予定なので、村に滞在中などに読むための本を大量に持ち込んできた。実際に来てみると装備の整備だとか情報収集だとかで結構時間がなく、本なんか読む暇ないなあと思っており、実際にそのような内容のエッセイもどっかで書いてしまったのだが、なんだかんだと言って読了した書籍がじわじわと目の前に積み上がってきた。

以下、簡単に言及。

ジョン・ターク『縄文人は太平洋を渡ったか』…途方もないカヤックの冒険記。二年かけて北海道から千島をわたり、カムチャッカからアリューシャン、アラスカへと到達する。縄文人は丸木舟でアメリカ大陸へ渡っていたとの説を、自ら実証しようというのが旅立ちの動機である。

著者は何度も、縄文人が舟で海に漕ぎだしたのは食糧が足りなくなったとか、居住地が狭くなったとか、そういう必然性に迫られたからではなく、未知へのロマンが引き金になったからではないかとの自説を記している。たしかに私もいろいろと自分の本で冒険とか探検への動機について書いてきたが、結局なんだかんだいって、地の果てに対する本能的、直観的な感情がその根底にあるのではないかという気もする。腹が減ったらご飯をたべたくなるのと同じように、人間にはある一定の割合で、知らない島を見たら行きたくなる人間がいるのだ。その気持ちを、そうではない人々に言葉を尽くして説明するのは非常に難しい。この本の著者はそのことを何度も繰り返し言及している。われわれみたいな人間は縄文時代もいて、そういう人間にとって知らない土地を知ったら行きたくなるのは当たり前で、その感情は止められない。そういう俺たち変人が、人類の居住地を拡散して、歴史を動かしてきたんだ! ということである。

同じ変人としては同感だが、気になった点が一つだけあった。どうも、縄文人がアメリカ大陸に渡った時代は、陸橋によってベーリング海が陸続きだった時代らしい。だとすると縄文人は舟ではなく、歩いて渡ったのでは? どうも著者も途中からこの点に気づいていた節があるのだが、そこに触れると遠征の意義が崩壊しかねないので、この問題にはちょっと触れただけで蓋をして一気にアラスカまで渡ってしまっている。それが正解だと思います。

辻邦生『嵯峨野明月記』…圧巻の文章。芸術の崇高性を謳っている。辻邦夫の本は何冊目だろう。五冊目、六冊目ぐらい? 基本的には真実を希求する無償な人間をすさまじい文章力、叙述力で一気に語りつくすのが辻邦生の物語である。この本も素晴らしいが、個人的には『西行花伝』のほうが上と感じた。

車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』…著者が実際に大阪の下町でモツの串サシを延々としていた頃の体験をモチーフにした私小説ということであるが、物語の展開力、それに人間存在の深みに迫るようなスリリングな文書は、読者を打ちのめすこと必至である。素晴らしい小説を読ませていただきました。それにしても、これはどこまで実体験なのだろう。全部だとしたら、すごい。

あとは大沢真幸『自由という牢獄』、吉岡忍『M/世界の、憂鬱な先端』、佐藤泰志『海炭市叙景』、山本七平『空気の研究』、R・ドーマル『類推の山』、ミル『自由論』、メルロ=ポンティ『知覚の哲学』、オリヴァー・サックス『色のない島へ』など。全部、ひとこと言及しようと思ったのだが、力尽きましたので書名だけにします。ちなみに最近、自由という概念について考察することが多く、サルトルの自由論を知るためについついアマゾンで『存在と無』をぽちっと押してしまった。三巻で五千数百円。それが最近自宅にとどいたらしく、さっそくスカイプで妻から嫌味を言われた。たしかにこんな本、読んでいたら、シオラパルクでは何もできない……。

ところで、書きたいのはジョゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』について。いやあ、この本は私の執筆にかなり深い影響を与えそうだ。

キャンベルの本は『神話の力』を読んで、非常に感銘を受け、そのエッセイを日々本々のなかにも書いたが、こちらの『千の顔をもつ英雄』はより具体的に神話がもつ物語上の構造と、神話が共同体の個人に与える認証について解きあかす内容になっている。

内容は神話における英雄の冒険の物語が第一部で、第二部が神話が説明する宇宙創成の構造で、第一部のほうが私には面白かった。テーマは神話についてなのだが、これは冒険や旅に出る現代の旅人の動機の説明にもなっている。つまり、古代の神話の英雄譚のなかに込められた行動の原理は、現代のわれわれにも当てはまるということである。

この本を読んで、私は自分が何を書きたいのかはっきりと整理された。私が今、書いているのは、マグロ漁師の漂流の物語と、自分自身の極夜の探検の話で、この両者がどのように自分のなかで関連しているのか、もやもやっとしており明確に言葉で説明できなかったのだが、そうか、そういうことだったのかと合点がいきました。たぶん、読んでいる人は何のことかさっぱりわからないと思うのだが、まあ、勝手に想像してください。言えるのは、この本はすごい。物語に興味がある人なら、読んで損はないでしょう。

それにしてもジョゼフ・キャンベル恐るべしである。この人は私が何をやりたいのか、何を求めているのか、全部知っているのではないか。



縄文人は太平洋を渡ったか―カヤック3000マイル航海記
クリエーター情報なし
青土社



嵯峨野明月記 (中公文庫)
クリエーター情報なし
中央公論社



赤目四十八瀧心中未遂 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« デポ設置旅行から帰村 | トップ | 紋切型社会 »
最新の画像もっと見る

書籍」カテゴリの最新記事