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衛宮士郎の傲慢――Fate/stay night批評1

2007年01月12日 12時15分42秒 | アニメ・コミック・ゲーム
士郎は70年代に先祖がえりしたかのようなキャラクターだ。まだ、「正義の味方」や「人を救う」ために生きることが許容されていた時代。もちろん士郎とてこれらの思いが単純に成立しないことも知っている。それを為す力以上に、何が「正義の味方」で何が「人を救う」ことなのか見極めることが困難だから。

大火事でただ一人助けられた少年という事実。衛宮切嗣に助けられ引き取られ彼のようになりたいと願う気持ち。これらの体験が彼を形作っている。しかし、形成された彼の精神はいびつだ。
彼は簡単に身を挺して人を救おうとする。「正義の味方」「人を救う」という言葉には、正義を実現しようという理念は無く、あるのはただ救われない人を見たくないという思いに過ぎない。

物語の中で彼は再三足手まといとなる。物語終盤まで実力の乏しい魔術士なのに、自分の考えだけで動き回り、その結果災いを引き起こす。決して自分の実力を弁えない。ただ自分の思いだけが優先される。
セイバーを女性扱いすることでも顕著に現れている。それが彼の魅力の一部になっていることは認めるが、性別や容姿に囚われて、相手の意思を封殺し自分の思いだけを主張する。

セイバーの心情にまで踏み込んで可愛そうなどとは一体何様のつもりかと感じるが、そうした傲慢さが彼の特徴となっている。自分勝手でも誠実で優しい士郎はむしろ女性にはもてるだろうとは思うが。

Fate/stay nightの物語は彼の物語だ。
セイバー編ではセイバーの救済に重点が置かれているが、凛編では彼は自分自身と対決し、桜編では彼の思いが打ち砕かれる。
自己の克服という意味で凛編はよくできている。自己を否定する自己に共感し、それでも自己の実現のためにそれを倒す。作中でも再三指摘されているように彼には「大切な自分」がない。それは「自分」よりも大切なものがあるということだ。彼にとってそれは、助けられないという思いをしたくないことだ。
彼にとって他人が大切なのではない。自分がないのではなく、他人がないのだ。自分が傷ついたら他人がどんな思いをするか全く考えない。彼が他人の意思を尊重しないのも当然だし、自分勝手に行動するのも他人の思いを省みないからだ。
だから、彼が乗り越えるのも自分だけだ。もちろん乗り越えたからといってその性格が変化したわけでもない。ただ自分の思いを強くしたということ。それでも、彼のその性格がその生い立ちによるものであり、生涯変わりえないものと考えれば、この戦いには大きな意味がある。
彼にとっての救いにはならない。成長にも繋がらない。だが、乗り越えなければ彼には何も残らなかった。彼にとってはどうしても必要なことだったのだ。

一方、桜編は本来は士郎の救済の物語となるはずだった。つまり、自分よりも大切なもののために戦い、「愛」を知ることで彼は救われると。
桜編は散々な出来となる。これまで描いてきた士郎の思いを上回る魅力を桜に与え切れなかった。士郎の心情を読み手に伝えるためには言葉を増やさざるを得ず、それによって間延びして作品のパワーが落ちた。そこまでしても士郎の救済は果たせなかった。
桜と「正義の味方」が二律背反となるように描き、どちらかを選択するしかないようにした時点で失敗した。唐突に桜を士郎にとって特別な存在とすることには無理があった。士郎が「正義の味方」を放棄することもありえない。作者と言えど登場人物を自由にすることはできない。無理をすれば作品は破綻する。
破綻したからそれを繕おうとして間延びする。しかもここで二つ目の失態をやらかしている。それがアーチャーの腕だ。桜を守るべき力は士郎自身のものではなく与えられたものとなった。
桜編のTRUE ENDは、士郎も桜も凛もライダーもいるエンディングだ。これを士郎の救済の一つの形という神経を疑ってしまう。これはリセットボタンを押したようなものだ。セイバー編で否定したことを士郎の救済としてやってしまうとは。
桜編で本来最も大切なことは、桜、士郎、凛が負うべき罪である。彼らが望んでなかったにせよ多くの犠牲者を出した事実。その一人一人の思いは、繰り返し描かれる大火事のものと同じはず。士郎にとって前回は巻き込まれた災厄だったが、今回は知りながら止められなかったものであり、その罪は重く深い。NORMAL ENDがそうした意識の下で描かれていることを思えば、あのTRUE ENDは皮肉なのかもしれないが…。

他者を知らない士郎は当然「愛」を知らない。桜編でものの見事に失敗した挑戦は可能だったのか。私の士郎の印象は思春期、特に小学生高学年程度というものだ。これから他者を知り、「愛」を知っていくだろう予感はある。
単純に二者択一のものと描いてしまったからおかしくなった。そんな分かりやすい図式では無理というものだ。自分の思いを貫く中で他者を知ることを描く必要があった。一成をマスターにして正面から対決したり、慎二の性格を変えてもっとライバルのようにするとか手はあったとは思う。

傲慢さが鼻に付くので決して好きなキャラクターではないが、桜編を除けばその造型はよくできていた。今風ではないけれど、傲慢さも含めて魅力あるキャラクターだった。それだけに桜編が残念だ。


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