奇想庵@goo

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感想:『ICO -霧の城-』

2009年12月01日 18時55分41秒 | アニメ・コミック・ゲーム
ICO  -霧の城-ICO -霧の城-
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2004-06-16


またゲームをやりたいと思った。

2001年12月に発売されたゲームのノヴェライズ。シンプルながら独特の雰囲気を持ったアクションアドベンチャーだった。思わずサントラ盤を買ってしまったほど。ゲーム本体を売ってしまったことを悔やんでいる。

それを宮部みゆきがノヴェライズした。ゲームは設定も削ぎ落とされていて想像力を掻き立てる作りとなっていた。
ハードカバーで500ページを越す大著に仕上げた。

確かに、あの「空気」は伝わってくる。
城の不気味なほどの静けさ。ヨルダを呼ぶイコの声。謎に満ち溢れた世界を一歩一歩踏みしめるように物語は綴られている。
しかし、読んでいて面白いとは思わなかった。ゲームで味わったドキドキとする気持ちは小説の中にはなかった。メディアの差は仕方がないけれど、心を惹き付けるような物語だったとは言えない。

確かに、あの「空気」は描かれている。
霧の城の静寂。迷いながらも少しずつ前へと進んでいく感覚。ヨルダの儚げな様子とイコの勇敢な姿。手を取り合って走る情景は思い浮かぶ。
それを文章で見事に描き上げた点は賞賛に値するが、小説として本来最も重視すべき物語性については物足りなさしか感じなかった。過去の残滓を織り交ぜながら描く手法は特に目新しいものではない。設定や世界観はゲームではほとんど触れられていなかったが、これもまた独創的とは言い難い。
丁寧に描かれた物語ではあるが、心を沸き立たせたり、或いは心に深く沈み込ませるような何かは感じられなかった。「空気」は伝わった。けれども、それ以上の何かがない。

以前、アニメ化された『ブレイブ・ストーリー』をTVで見たけれど、途中で投げ出した。原作のせいかどうかは分からないが、見るに堪えなかった。ファンタジー作家としての宮部みゆきに対する疑念さえ浮かぶ。多芸な作家ではあるが、ジャンルごとに相性もあるのだろう。(☆☆☆)

ICO PlayStation 2 the BestICO PlayStation 2 the Best
価格:¥ 1,800(税込)
発売日:2004-08-05





これまでに読んだ宮部みゆきの本の感想。(☆は評価/最大☆10個)

蒲生邸事件』(☆☆)
火車』(☆☆☆☆☆☆)


感想:『さよならピアノソナタ』

2009年12月01日 18時54分54秒 | 本と雑誌
さよならピアノソナタ (電撃文庫)さよならピアノソナタ (電撃文庫)
価格:¥ 641(税込)
発売日:2007-11


初めての杉井光。『このライトノベルがすごい!2010』において作家別では1位であり、興味を持って読んだ。

世の中には、二種類の小説があります、とはあとがきの冒頭に書かれた言葉である。私にとってその二分法で真っ先に思い浮かぶのは、主人公に共感できる小説と共感できない小説との二種類ということになるだろうか。共感の有無が作品の評価とはイコールで結べないことは間違いないが、それでも読む楽しさは確実に違ってくる。

人に対して同様に二分法を用いる場合、その人のリソース、つまり、時間や労力、金銭などを、自分のために使うか、他人のために使うか、どちらにより多く振り分けるかで分類できると思う。この場合、モテたいという欲求は他人のためへの原動力である。一方、他人より優位に立ちたいという思いは自分のためと考えられる。実際には、この二分に更に仕事や勉強への分配を加えた三角構造(底辺が自分と他人でその上位に仕事・勉強を配置する構図)とするのが妥当だと思うが、仕事や勉強への意欲は自分や他人のためであったりするので、ここでは省く。
オタクと呼ばれるような自分の趣味を最優先に考える生き方は当然自分のためにリソースを多く使っている。それが悪いわけではない。どう振り分けようが個人の自由だ。ただそうした場合、他人とのコミュニケーションは緩慢になる。恋愛の基本は相手のためにリソースを優先して使用することであり、それを怠れば原則として成り立たない。

ライトノベルなどで多く見られる、ゼロ年代男性主人公はまさに自分のためにリソースを使う存在である。例えば、”文学少女”の井上心葉は、遠野先輩のために毎日三題話を書いてはいる。しかし、それは要求に応えてのものに過ぎず、自分からの積極性を伴ってはいない。自分から他人のために何かをしようという心が欠けている。
誰に対しても優しいという性格もまた他者を慮って成り立つものではない。自分が傷付きたくないから誰にでも易しいだけだ。
こうしたキャラクターを描くことは構わない。気になるのは、こうしたキャラクターが周囲から甘やかされていることだ。
現実ではありえない理想或いは幻想を描くことが悪いわけではないが、こうも量産されると辟易としてしまう。他人のために自分のリソースを振り分けようとしないキャラクターが周囲から一方的に与えられる姿を見ていると気持ち悪く感じるのは私だけだろうか。
もちろん、友情や愛情は打算だけではないので、一方的に見える関係は存在する。それでもその多くは当人たちの間では決して一方的とは言えないものとなっている。

本書の主人公ナオはゼロ年代男性主人公の典型に近い。一言目に平凡を口にするようなうざったさはないが、彼が行動した多くは周囲の言葉に従ってである。それに対して彼が周囲に与えたものは釣り合いが取れているように思えない。考えて行動しているというよりはその場の思い付きといった雰囲気が漂うし、積極的に他人のためにリソースを分け与えようという姿勢も乏しい。
それでもギリギリ許容範囲内で済んでいたので、主人公に共感を持ちはしないが最後まで苦痛を感じずに読み通すことはできた。

構成にも不満があるし、主人公以外のキャラクターもライトノベルにありがちのレベルに感じた。音楽への熱意は感じたが、小説で音楽を描く難しさの方が強く伝わってきてしまった。コミックでは『のだめカンタービレ』に限らず音楽を絵で表現する手法が確立されている感があるが、小説では困難な道と言わざるをえない。
もっと繊細な青春小説風を期待していただけに、残念ながら期待外れと感じてしまう。この一冊だけで著者への評価を下す気はないので、もう少し読もうとは思っている。(☆☆☆)