「今年(2011年)の11月19日はロシアの偉大な啓蒙者でモスクワ大学の創始者であるミハイル・ロモノソフの生誕300周年にあたる。 ロシアの詩人アレクサンドル・プーシキンはロモノソフについて「この人物はあらゆることを見、あらゆることを身をもって経験した」と評している。ロモノソフは多方面の知識をその巨人のような活動で実践する中で教育と科学は強力な国家の根幹を成すことを実証した。
ロモノソフの生誕300年はロシアの科学、教育、歴史にとっての祝日であるだけでなく、世界文化にとっての祝日といえる。ロシア科学アカデミーのアカデミー会員であるアレクサンドル・チュバリヤン氏は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が今年11年をロモノソフ年と制定したことにもれっきとした理由があるとして、次のように述べている。
「ユネスコは制定する場合、狭い民族的定義ではなく、全ヨーロッパ、全世界的規模で影響を及ぼした人物に敬意を示して人物を特定している。これはロシアの、そして全人類の文化に貢献した人物であるロモノソフを高く認識した結果だ。ロモノソフはもちろん偉大な博識家であった。化学者であり、地質学者でもあり、歴史についての書物を執筆し、長編小説もオードも詩もしたためており、あらゆる方面に長けた本当の意味で稀有な人物だった。ロモノソフは多くの学術的方向性を打ち立てており、モスクワ大学の創設者でもある。この人物の多面的な活動は彼の生きた18世紀のみならず、現在においても大きく目を引く。」
ロモノソフの生涯は驚くべきものだった。北海沿岸の村で農民の子として生まれたロモノソフは、独学で身を立て、あくなき知識欲に突き動かされ、魚の輸送隊とともにモスクワへと向かう。モスクワのスラヴ・ギリシャ・ラテン語アカデミーで学んだ後、今度は首都ペテルブルグで、そしてドイツで学業を続けた。ドイツでは化学、鉱物学を学び、マールブルグとフライブルグに5年暮らす。そのマールブルグでは先日、ロモノソフの記念碑が除幕式を迎えた。ロモノソフの学術的業績、図案、絵を多く収めるマールブルグの市立図書館は、今年は今までにないほど多くの閲覧者であふれている。
そのドイツでロモノソフはドイツ人女性のエリザヴェータ=クリスチーヌ・ツィリフと結婚し、生涯仲睦まじく暮らした。
ロシアに戻ったロモノソフは次々に学術的業績を出版していく。化学、物理で非常に重要な発見を行い、ロシアで初めての化学実験室を作った。またユニークな天文学的観測を行い、ガラスや陶磁器の製造に従事し、北海を行く北極への航路計画を考案するかたわら、詩やオードを書いて、詩作法のセオリーを打ち立てた。その上ロシアの学者としては初めて、外国の数々の科学アカデミーの名誉会員に選ばれている。
ロシア科学アカデミー、準会員のアンドレイ・サハロフ氏は、ロモノソフはロシアの歴史を全ヨーロッパ的コンテキストの中で捉えたとして次のように語っている。
「ロモノソフは初めて文明の発達の観点にたった歴史家だった。彼にとっては、ロシアは世界の発展の歴史の一部をなすものだった。ロモノソフが、ロシアの歴史の源やノヴゴロド、キエフを中心として形成された古代ロシア国家を、スラブ世界全体の発展の歴史の一部として捉えたことは偉大な業績といえる。」
フランスの化学者アントワーヌ・ラヴォアジエに半世紀先駆けて質量保存の法則を発見し、12の外国語を自由に操ったロシア版「ダ・ヴィンチ」、ロモノソフが、実はヘリコプターのプロットタイプとなる垂直離陸を行う飛行物体を設計していたことはあまり知られていない。この人物の発明の領域はとどまるところを知らなかった。
11月19日夜、ロモノソフ生誕300年を祝い、モスクワの雀が丘では大掛かりな花火が打ち上げられる。その前にモスクワ大学のキャンパスでは、学生たちがロモノソフの故郷であるアルハンゲリスク州ホルモゴルィ村から持ち帰った松明を用いて、象徴的な火が点される。」
ロモノソフの生誕300年はロシアの科学、教育、歴史にとっての祝日であるだけでなく、世界文化にとっての祝日といえる。ロシア科学アカデミーのアカデミー会員であるアレクサンドル・チュバリヤン氏は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が今年11年をロモノソフ年と制定したことにもれっきとした理由があるとして、次のように述べている。
「ユネスコは制定する場合、狭い民族的定義ではなく、全ヨーロッパ、全世界的規模で影響を及ぼした人物に敬意を示して人物を特定している。これはロシアの、そして全人類の文化に貢献した人物であるロモノソフを高く認識した結果だ。ロモノソフはもちろん偉大な博識家であった。化学者であり、地質学者でもあり、歴史についての書物を執筆し、長編小説もオードも詩もしたためており、あらゆる方面に長けた本当の意味で稀有な人物だった。ロモノソフは多くの学術的方向性を打ち立てており、モスクワ大学の創設者でもある。この人物の多面的な活動は彼の生きた18世紀のみならず、現在においても大きく目を引く。」
ロモノソフの生涯は驚くべきものだった。北海沿岸の村で農民の子として生まれたロモノソフは、独学で身を立て、あくなき知識欲に突き動かされ、魚の輸送隊とともにモスクワへと向かう。モスクワのスラヴ・ギリシャ・ラテン語アカデミーで学んだ後、今度は首都ペテルブルグで、そしてドイツで学業を続けた。ドイツでは化学、鉱物学を学び、マールブルグとフライブルグに5年暮らす。そのマールブルグでは先日、ロモノソフの記念碑が除幕式を迎えた。ロモノソフの学術的業績、図案、絵を多く収めるマールブルグの市立図書館は、今年は今までにないほど多くの閲覧者であふれている。
そのドイツでロモノソフはドイツ人女性のエリザヴェータ=クリスチーヌ・ツィリフと結婚し、生涯仲睦まじく暮らした。
ロシアに戻ったロモノソフは次々に学術的業績を出版していく。化学、物理で非常に重要な発見を行い、ロシアで初めての化学実験室を作った。またユニークな天文学的観測を行い、ガラスや陶磁器の製造に従事し、北海を行く北極への航路計画を考案するかたわら、詩やオードを書いて、詩作法のセオリーを打ち立てた。その上ロシアの学者としては初めて、外国の数々の科学アカデミーの名誉会員に選ばれている。
ロシア科学アカデミー、準会員のアンドレイ・サハロフ氏は、ロモノソフはロシアの歴史を全ヨーロッパ的コンテキストの中で捉えたとして次のように語っている。
「ロモノソフは初めて文明の発達の観点にたった歴史家だった。彼にとっては、ロシアは世界の発展の歴史の一部をなすものだった。ロモノソフが、ロシアの歴史の源やノヴゴロド、キエフを中心として形成された古代ロシア国家を、スラブ世界全体の発展の歴史の一部として捉えたことは偉大な業績といえる。」
フランスの化学者アントワーヌ・ラヴォアジエに半世紀先駆けて質量保存の法則を発見し、12の外国語を自由に操ったロシア版「ダ・ヴィンチ」、ロモノソフが、実はヘリコプターのプロットタイプとなる垂直離陸を行う飛行物体を設計していたことはあまり知られていない。この人物の発明の領域はとどまるところを知らなかった。
11月19日夜、ロモノソフ生誕300年を祝い、モスクワの雀が丘では大掛かりな花火が打ち上げられる。その前にモスクワ大学のキャンパスでは、学生たちがロモノソフの故郷であるアルハンゲリスク州ホルモゴルィ村から持ち帰った松明を用いて、象徴的な火が点される。」