「 昨年12月20日、私は沖縄タイムス「行政の継続性 国の切り札」の中で、国の主張は「時代錯誤」とし、県との間で本格的な法廷論争を期待すると記した。というのも、国側の訴状を見れば明らかなように、国側は今回の代執行訴訟における主要争点を二つに限定している。
(1)翁長知事が仲井真前知事の埋め立て承認を取り消したことは、「行政の継続性」(以下、公定力)を破壊するもので、明らかに違法。
(2)埋め立てについて仲井真前知事の承認は正当・合法である(埋め立て論争)。
注意しなければならないのは、国側はこの二つについて、並行的なものではなく、(1)が主要論点であり、(2)は付随的なもの、つまり、前者を判断すればもう後者は審理するまでもなく、国側の勝訴は明らかであると主張しているということである。
この国側の自信のほどは、県側が複数の証人申請を行っているのに対し、国側は全く証人申請を行っていない、という事実からも推測されよう。つまり、軍事基地優先か、それともジュゴンの保護が重要かの優位性を証明するには多くの専門的な証人や証拠が必要となるのに、これをほとんど無視しているのは、公定力の理論一つで勝てるともくろんでいるとみてよいのではないか。
先の紙面ではこの公定力について詳しく触れることができなかったので、今回はこの公定力とはいかなるものか、「学説」(判例の検討は別途行う)を中心にして検証を行い、国側の論理破綻を指摘したい。
■国側の主張する「公定力」とは何か
国側の訴状によれば
「行政処分はそれが仮に違法であったとしても、無効の場合は別として、取り消し権限あるものによって取り消されるまでは、何人もその効果を否定することはできない」というものであった。
その上であえてそれを取り消す場合には
「処分の取り消しによって生ずる不利益と、取り消しをしないことによる不利益を比較衡量し、しかも該処分を放置することが公共の福祉の要請に照らして著しく不当であると認められるに限り、これを取り消すことができる」(最高裁判所昭和43年11月7日判決)というのである。
この主張を簡単に解説すると
(1)前知事の処分には公定力がある。したがって原則として取り消すことができない。
(2)翁長知事はあえてこれを取り消したが、この場合、二つの要件を満たさなければならない。
・取り消すことによって得られるもの、大浦湾(辺野古湾)の環境回復は、軍事基地を造るよりもはるかに価値がある。
・このまま埋め立てを続けることは、県民・国民の幸福(公共の福祉)にとって著しく不当である
(3)一方、国側は翁長知事の取り消し処分は(1)と(2)に違反している。なぜなら、軍事基地の建設は、日本とアメリカの長年の検討の結果であり、これを中止させることは、双方の「国益」を失う。そもそも辺野古移設は、普天間基地被害を解消するためのものである。すでに辺野古基地建設のため莫大な費用(税金)が投入されている。これらと比較すると大浦湾の保全の価値の利益は問題にならないくらい少ない。
付け加えれば、このような「利益考量」を行えば、埋立が合法か違法かなどという論は、無意味なことであり、仮にそれが違法だったとしても、あくまで軍事基地の建設は必要で、取り消すことは認められないというのである。
しかし、誰が見ても、埋立が「違法」であっても、軍事基地が認められるというのはおかしい。なぜこのような理論が通用するのか。これがこの代執行裁判の大きな特徴であり、マジックなのである。
これまで、市民が国や自治体を被告とする行政裁判は、全国で山ほど行われてきた。もちろん、この公定力をめぐる裁判例も若干ある。しかし、今回のように国側が自治体を相手に真正面から公定力を論じるのはおそらく史上初めてである。
少し皮肉っぽく言うと、国側にとっても高等裁判所裁判官の人事あるいは国側代理人の最強メンバーの編成という舞台装置の整備と並んで、このような大上段の理論武装をしなければならないほど、今回の裁判は史上かってない「大裁判」だということなのであろう。
では学説はこの公定力はどのように説明してきたか。国がその震源として挙げたのが「行政学の父」としてのドイツの行政法学者オットー・マイヤーである。
■「公定力の震源」 オットー・マイヤー
オットー・マイヤーは、今からほぼ100年前、立憲君主制を背景とするプロイセン憲法(1850年)、ビスマルク憲法(1871年)、そして当時世界で最も進歩的、自由主義的・民主主義的な憲法といわれたワイマール憲法(1919年)の体制下で「行政権」を研究。ドイツ最大の「論理的教条主義者」といわれるようになった。
彼の学説は、その後も、ワイマール憲法とは正反対のファッシズムを構築したナチス憲法(1933年)の下でも揺らぐことなく、君臨し生き続けた。ここから有名な「憲法変われど、行政法変わらず」という格言が生まれている。
それでは、マイヤーの行政法はどのようなものであるか。
端的に言うと、
・行政権は本質的に「偉大なる事実としての国家」に源泉を持つ万能なものである
・だが、それはあくまでも「法規」のもとにあり、その中で、行政権の優越的地位に基づき、国民を支配する。
この理論は、一方で立憲君主制の中では「法規」の名前で「君主」の裸の権力による暴走を抑え、他方でナチズムの下では国民の権利を守るために機能したといわれる。
「公定力理論」はこのような全体の脈絡を背景に、行政権の神髄を語る骨太な理論として構築された。
「行政処分は、権限ある行政庁が公益のため、自ら適法なものと確認して行う国家権力の発動であるから、裁判所の判決と同様、それ自体権威を有し、適法性が推定される」とする。
そしてこの理論は、国側は戦前の美濃部達吉によって紹介され、戦後も田中二郎、塩野宏、そして、藤田宙靖など名だたる行政法学者(最高裁判所判事や文化勲章受章者など)に受け継がれてきたとし、これを、今回の代執行裁判で、最も早くかつ簡単に勝てる議論として、訴状の冒頭に持ってきたという次第である。
■公定力理論の変化
しかし、現代日本は「立憲君主制国家」ではなく「国民主権の近代国家」である。国家の思想も制度も180度変わった。
オットー・マイヤーの行政法はプロイセン憲法時のものであり、ここでの国家体制は「君主」が頂点にある。日本はこのプロイセン憲法をモデルに明治憲法を制定したが、君主は日本の場合「天皇」であった。明治憲法によると「天皇イコール神」であり、行政は神の僕として、神の言葉にしがって仕事を行う。それは「権威」あるものであり、原則として誤りはない。それゆえ、国民の行政に対する異議申し立ても厳格に制限される。このような体制の下では、マイヤー行政法の導入もある意味で至極自然なことであり、この行政法が天皇体制を支えた。
しかし、昭和憲法の制定は革命的なものであった。権力者は、天皇から国民に転換されたのである。行政権は「偉大なる事実としての国家」から演繹されるものではなく、主権者たる国民から信託されたのである。行政権は、天皇ではなく内閣に属するものであり、かつ三権分立のもと最高で唯一の国会のコントロール下に置かれとして具体化された。そして、行政は国会の定める法律を実施するだけでなく、国民に対し、情報を公開し、裁判を含めて、様々な異議申し立てや参加を許容しなければならないとされるようになったのである。
明治憲法から昭和憲法への転換はいわば「革命」とでもいうべき根源的な価値観の転換であり、マイヤーからみても、ワイマール憲法およびナチズム体制をもはるかに超える事態が出現している、と認識され納得されたであろう。したがって、このような行政をめぐる環境の大きな変化は当然のことながら「公定力理論」にも大きな変化を生み出す。
■公定力理論の終焉
つまり、行政は、もはや「権威の象徴」ではなく、国民の信託の下での代行者である。また、行政行為は、裁判所内部での異議申し立てしか認めない「判決」と同じようなものではなく、いつでも、誰でも、どこでも、異議を申し立てることができる「意思表示」の一つとして考えなければならない。さらに「違法ではあっても取り消されるまで有効」というような不可侵で永久不変なものではなく、適宜、修正されたり、撤回されたりしなければならない。
もちろん、行政の意思表示は、私人と私人との個別的な意思表示と異なり、一方的に、一度に多くの国民を対象として行われることがある。
道路建設を一つの意思表示としてみると、計画決定から事業決定、土地収用などへというように「連続展開」し、さらには民事や刑事裁判と異なって、行政に独特な行政不服申立・行政事件訴訟法があるなど、通常の市民間の意思表示とは異なる部分も多く持つが、国民の信託に基づき、それは適宜修正されなければならないという本質は変わりないのである。
これは、行政の今日的な実態をみればさらに説得力を増す。
日本では戦後高度経済成長以降、行政は従来の消極的な権力行政(軍隊・警察そして税と個別的な許認可など)の執行から、福祉・公共事業、国際的な対応などへと国民の生活に全面的かつ広範囲に介入するようになった。それこそ、朝起きて就寝するまで、水道、電気、交通、教育や労働、介護、保険、そして医療から葬儀まで「行政」なしには、一日たりとも過ごすことができない時代となっているのである。
ここではそれぞれの行政には触れないが、行政の仕事は、時代の変化を受けて変転極まりなく、絶えず「変化と修正」の連続を不可避としている。「違法であっても取り消されるまでは有効である」というような行政の固定化は、行政だけでなく、国民の生活全体を窒息させてしまうだろう。変転し、絶えず修正される行政には「間違い」も必然であり、国会・国民はもとより、内閣も既存の行政について絶えず、時代や国民の要望に応えて点検していかなければならないのである。
重要なことは間違いを認めないことではなく、間違いを犯した場合の被害者に対する損害賠償などをルール化したうえで、直ちに修正することである。このような行政の実態と考え方は、公定力論に関する「学説」にも変更を迫るであろう。
国側の引用した学説は、古くは明治憲法下のものから、戦後初期から中期にかけての学者のそれが多く、そこには残念ながら、ここまで見てきた行政概念の転換は、充分には反映されていないようである。
現にそれ以降の学者、例えば桜井敬子・橋本博之著「行政法」(第4版 弘文堂、2010年)は「公定力の根拠」として
「かっては、行政行為には適法性の確定が働くからであるという説明がなされた。この見解は、国家は正しい処分を行うものである公権力に対する信頼が背景にあり、一種の権威主義的な考え方があるといえる。
しかし、行政が行う判断が正しいという論理必然性はなく、今日、このような国家権力に対する権威主義的な考え方を維持することはできない。現在、公定力は、過去の行政法理論の延長上に、脆弱な根拠に基づいてかろうじているにすぎない」
と断言していることに、注目すべきであろう。
公定力理論は破綻したのである。
■二重効果論と利益衡量
公定力理論の終焉は、オットー・マイヤーの「憲法変われど、行政法変わらず」ではなく、「憲法変わり、行政法も変わる」によって生まれた。そしてそれは国側の公定力論だけでなく、それに引き続く「利益考量論」にも変化をもたらす。
そこでもう一度、国側の利益考量論を復習しておくと、原則、仲井真知事の処分は取り消せない。やむを得ず翁長知事がこれを取り消す場合には、取り消したほうが圧倒的に国民の利益になる、ということを証明しなければならない、というのであった。これについて国側は、軍事をめぐる日米双方の国益を筆頭に置き、これに勝る価値はほかに存在しない、としていた。
しかし、裁判は政治の場ではなく法律の場である。法律の場であるということは、軍事が上か、ジュゴンが上かというような命題を「裸」で持ち出すのではなく、あくまで両知事の処分が公有水面埋立法に照らして、合法・正当かということ判断するということなのである。この点はまず、国側の主張が公定力理論にこだわりすぎたためか、冒頭に見たように、いきなり利益衡量論として日米双方の国益などを持ち出すようなそれこそ、自ら県を批判してやまない「政治論」に堕してしまっているのではないか。これが第一の問題点である。次いで、公有水面埋立法の下での解釈にあたっても、国側の主張はいかにも公定力論に引きずられているようである。
オットー・マイヤーの時代、あるいは日本の戦前あるいは戦後初期まで、行政は、国家と国民・個人の間を規律するものであった。そこでは、行政の国民に対する優越性が認められていた。日本の多くの学者が追随したのも、この行政法が「国家と国民の関係」つまり二面的な関係を規律する法である、という観念が前提になっていた。しかし、先に見たように現代の行政は、国家と国民の関係を大幅に、しかも質的に転換させている。
公有水面埋め立てについてみれば、埋め立て自体は、確かに、国家と国民(沖縄防衛局はそもそも国民かという根源的な問題はここでは触れない。以下、受益者とする)の関係の問題である。しかし問題は、現代の行政の困難は、国と受益者以外にこの行為によって不利益を受ける国民(環境や財政あるいは文化といったようなものも含む)というものを無視できない、ということなのである。これは先の二面的関係に比していえば三面関係から成り立っているといってよい。これを学界では「二重効果論」という。
二面関係から三面関係へ、このような行政の本質に変化が認められるようになったのは、それこそ国民の側からの、工場建設の認可と公害の発生、薬の認可と薬害あるいは、商品表示と消費者、そしてダム、道路、埋め立てなどをめぐる公共事業と強制移転や環境破壊などの問題提起があったからである。不利益者の存在とその法的位置づけの重要性はもはや行政だけでなく、裁判所にとっても、また議会にとっても回避できないものになっている。
二重効果論に即していえば
(1) 古典的な行政法理論では、不利益を受けるものの、法による行為で国民が間接的に受ける利益は「反射的」なものにすぎないとして無視した。
(2)無視された側は、情報公開、人権侵害などの実態の宣伝、審議会などへの参加要求、議会での追及などを開始し、不服審査や裁判を行うようになった。
(3)政府もこれら国民の要求や運動により、次第に情報公開法、不服審査・行政事件訴訟法などの一般法の制改定、さらには裁判所による原告適格の拡大や処分の取り消し、さらには行政処分に対する様々な懐疑を生み出し、
(4)河川法など一部実定法の改正や自治体による条例の制改定
などとして発展し、具体化されていっているのである。
この流れを概括的に言えば、受益者だけでなく、不利益を被る国民も「対等」に行政処分の当事者として位置づけられる、というものであり、場合によって、受益者が受ける利益よりも、国民の受ける不利益が大である場合には、処分は行われないし、すでに行われた処分を取消しあるいは撤回もありうるということなのである。ここには国家の国民に対する優越性とか、受益者は保護されるが不利益者は保護されない、などという法理論は存在し得なくなったということを確認しておこう。
■代執行訴訟はこう見る
そして、このような視点で代執行裁判を見ると、国側の公定力理論とそれに引き続く利益衡量論は、この受益者・沖縄防衛局の利益にのみ固執し、対等な当事者である国民を軽視。さらに公有水面埋立法の下での法的な利益考量を飛び越えていきなり政治論を行っているように見えるのである。
反対に、このような視点で見ると、私が世界2015年12月号「沖縄・辺野古 公有水面埋め立て承認の取り消しを考える」で分析・解説したように、翁長知事が任命した第三者委員会の「検証検査報告書」(2015年7月16日)は、この二重効果論の展開に誠実に答える優れた傑作である、と思えて仕方がないのである。報告書の結論は公有水面埋立法の下で、利益者と国民の利益考量を行った結果、仲井真前知事の処分には「法的な瑕疵がある」、つまり「違法」であるということであった。国も県も、この点について世界最高の「知と証拠」を持って正々堂々議論する、というのが私が先に指摘した「本格的な法廷論争」という意味なのである。」
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