白夜の炎

原発の問題・世界の出来事・本・映画

2月28日の放射線量

2013-02-28 16:58:40 | 放射能
新潟県内、窓締め切り、室内、天気は晴れ。

0.07μ㏜/h。

暖かい一日。

駐車場には山となった雪。

かといって一々全国ニュースで取り上げるのは愚劣。

解決策を提示するのでもない。

そもそも地元は数年に一度の大雪は織り込み済みで動いている。

大変かと言われれば、大変だから「大変だ」と答えるが、そう言わせてなになにになる。

そう思います。

中国指導部へのノーベル賞受賞者による公開書簡

2013-02-27 16:33:47 | アジア
「ノーベル賞受賞者・劉暁波の釈放を要請する

2012年12月4日

中華人民共和国
中国共産党中央委員会総書記
習近平閣下

拝啓

閣下が中華人民共和国の主席就任への第一歩を踏み出されたことで、私たちは斬新な指導力と新しい着想を歓迎したく、筆を取りました。

この機会をお借りしまして、閣下にノーベル平和賞受賞者としてはただ一人、獄中にいる劉暁波博士と、軟禁中である妻の劉霞さんの解放を強く要請するしだいです。

貴国政府は2009年12月25日、高名な知識人であり民主活動家である劉博士に対し、「国家転覆扇動罪」で11年の刑を言い渡しました。容疑は、博士が政治関連のエッセーと共著「08憲章」で、人権と自由と民主主義の原理に基づいた平和的政治改革を中国にもたらそうと呼びかけたことです。

ノルウェーのノーベル賞委員会が劉博士に平和賞を授与して間もなく、劉霞さんは自宅軟禁に置かれ、起訴もなく法的手続きも許されず、2年間外部との連絡を絶たれたままです。専門家からなる、独立かつ中立的機関である国連恣意的拘禁に関する作業部会は、劉夫妻の継続的な身柄拘束は国際法に違反するという見解(No.15-16/2011)を発表しました。にもかかわらず、事態は未解決のままです。

あらゆる専門分野にまたがる私たちが、ノーベル賞受賞者として認められた際立った要素は、私たちが人類の進歩に向けて私たちなりに貢献するために、自らの知的自由と創造性という力を標榜してきたことです。

国家が思想の自由や結社の自由を制限すると、人間の革新的発想や活動に必ず悪影響をもたらします。実際に貴国はノーベル賞公式サイト(www.nobelprize.org)へのアクセスを遮断してしますが、私たちノーベル賞受賞者はこのことに心を痛めています。

胡錦濤前国家主席が2011年に米国を訪問した際、「中国での人権についてはまだやるべきことがたくさんある」と認められました。私たちはこうした率直な評価を歓迎します。同時に、中国の新指導部が人権問題の存在を認めるだけにとどまらず、この重要な機会を逃さず、すべての中国の人びとの基本的権利を保障する具体的な方策を講じることを希望します。その第一歩として不可欠なことは、ただちに無条件で劉暁波博士を釈放し、劉霞さんの軟禁を解くことです。

敬具

※アムネスティは1977年の受賞者として、ともに署名しています。

ノーベル賞受賞者134名(の署名あり)

アメリカの奴隷-日本・安倍政権

2013-02-27 14:45:51 | アジア
「孫崎享氏のTwitterより”奴隷根性丸出し安倍首相”など

2013年 2月 26日 時代をみる 孫崎享

<孫崎享>

<2月25日>
奴隷根性丸出しの安倍首相、安倍首相、CSISでのスピーチ次で開始。「ハムレさん。アーミテージさん、ありがとうございます。グリーンさんもありがとうございました。」そして「アーミテージさん、わたしからお答えします」で演説開始。驚愕。 演説の冒頭は、重要な来客に向けて行うもの。主な来客が、ハムレ、アーミテージ、グリーン。とても一国の首脳が行う時の主要ゲストのレベルでない。更に「アーミテージさん、わたしからお答えします」とジャパンハンドラー・アーミテージに報告の形で演説開始。全く奴隷根性露出の演説。考えてみればマッカーサー、トルーマンは、日本を奴隷国家と表現していた。オバマ大統領の外交顧問だったブレジンスキーは日本を保護国と呼んだ。奴隷国・保護国、日本の伝統が見事、安倍首相に引き継がれている。そして日本国民が拍手喝采、奴隷国家日本の面目躍如」

http://chikyuza.net/n/archives/30845

福島原発の現状/地球座より

2013-02-27 14:43:49 | 原発
「福島原発事故後2年、炉内の状況はなお深刻 ~ 朝日新聞が、決死的な潜入ルポ
2013年 2月 26日 時代をみる 池田龍夫
<池田龍夫(いけだたつお):毎日新聞OB>

廃炉作業が進められている福島第1原発の1~4号機について、東京電力が現状報告を怠っているので、炉内の状況がサッパリ分からない。心配でたまらなかったが、朝日新聞2月21日付朝刊が潜入ルポを伝えた。原子力規制庁検査官に同行したもので、高濃度汚染の各炉を4時間にわたり見て回った報告は貴重だ。規制庁検査官の現地調査を察知、危険を押して同行取材した努力は、特筆に価する。

汚染水が激増、4号機には近寄れず

「1~3号機で溶けた燃料を冷やした水と、建屋に流入した地下水が混ざって汚染水は増え続けている。汚染を除去しきれず、敷地内にタンクで保管している。2011年7月に約1万㌧だった汚染水は、今年2月には23万㌧に増え、今も1日数百㌧ずつ増えている。汚染を取り除いたとしても処理水の海洋放出は当面難しい。1~3号機建屋は現在も放射線量が非常に高く、作業員が容易に近づけない」との報告に肝を冷やした。

最も危険視されている4号機については、「4号機建屋最上階からは鉄骨がぐにゃりと曲がって鳥の巣のようになっている建物が見えた。炉心溶融事故で水素爆発を起こした3号機の建屋だ。4号機にいる作業員の姿はない。無人操縦のクレーンが屋上のガレキを撤去していた」と記しており、特に4号機には潜入できるような状態でなかったようだ。

屋根が吹っ飛んだ4号機上部には、使用済み核燃料約1500本が保管されたまま。昨年2本だけ引き抜いたが、全部撤去するには10数年かかるという。欧米諸国が最も危険視しているのは4号機で、1日でも早い決着が望まれる。

廃炉作業の完了は2050年ごろ?

原子炉の圧力容器底部の温度が100度以下になり、放射性物質の放出を管理、被曝線量を大幅に抑制できることを「冷温停止状態」というが、その状態がほぼ達成されたとして、2011年12月に野田佳彦首相(当時)は「冷温停止」を宣言した。しかし、格納容器や建屋の密閉機能を失い、核燃料がどのようになっているのかも分からず、長大なホースを引き回した仮設装置で注水を続けているのが現状という。

安倍晋三政権は「福島第1原発廃炉対策推進会議」を立ち上げたが、以上の潜入報告が伝えたシビアな現状を見つめ、「まだまだ冷温停止と言えない状況だ」と、国民に伝える責任がある。東電に対しても、必要な情報開示の徹底を厳命すべきだ。

東電は2015年までに敷地内に70万㌧収容可能なタンクを増やす計画というが、これとて中間的対策に過ぎない。原子力規制庁福島第1原発規制事務所の小阪淳彦所長は「放射能が局所的に高いホットスポットもいまだに把握しつくされていな」と述べており、廃炉作業完了は、2050年ごろと言われている。こんな状況下で、原発再稼働や新増設が論議されていることなど、時代錯誤ではないか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/

http://chikyuza.net/n/archives/31372

中国国内論壇における「愛国主義」「民族主義」批判

2013-02-24 21:51:30 | アジア
「中国青年報(中国) 2012年9月5日

メディアは「愛国」をだしに商売をするな

 4?5日に訪中しているヒラリー・クリントン米国務長官は、数日前に、「太平洋諸島フォーラム」(PIF)に出席した際、「南太平洋は果てしなく広く、米中の共存を受け入れることができる」と述べた。これは習近平国家副主席が先の訪米前にワシントン・ポスト紙の書面取材に対し語った言葉、すなわち「広い太平洋は、中米両大国を受け入れるに十分な空間を持っている」という指摘に積極的に応えたものと見なすことができる。
 だが残念なことに、中米双方の政策決定層がこのような新しい言語方式で意思疎通を図っているときに、一部の「提言者」は依然として古い言語環境にとどまっている。例えばある学者は新聞上に、米国務長官への公開書簡を発表し、米国の「スマート戦略」を非難した。

 その言い方は闘争的な語彙を用いて文章を表現するスタイルで、その背後にある対抗的な心情は明らかだ。また米国務長官が北京訪問するその当日、一部の新聞は社説で彼女を「中米の猜疑心を強めた人物」と呼んだ。

 大国間の綱引きは存在する。しかし国益の表明には外交的技巧を必要とし、国際関係も(時には)平和的な表現が必要なのだ。この世界はいつも一触即発の情勢下にあるわけではなく、国益や国際関係を狭く理解してはならない。(一部メディアの)とてつもなく勇ましい言説を解析するなら、その背後にあるのは、古い思考と、新たな市場(の開発)─である。

 古い思考は根が深く、捨て去るのは容易ではないが、社会や心理状態の開放は時の流れであり、理性の回帰は大いに見込める。だがより警戒に値するのはもう一つの狭隘さ、つまり販売部数あるいは視聴率を稼ぐために「愛国」をだしに商売をすることだ。近年、メディア市場の新たな動向は、まず非常にどぎつい話を持ち出して公衆の感情をあおり、それによって市場を「育て」、再度続けて、どぎつい話を出して公衆の感情に迎合し、市場で大きな利益を獲得するというものだ。

 最近、釣魚島(日本名:尖閣諸島)をめぐって一部の新聞と地方の衛星テレビ評論員は、中日は一戦を交えるべしとまで言い放った。こうした言論は、責任を負わず、大局を顧みないもので、われわれが反対している他国の極端な勢力とほとんど大差ない。

 新聞紙上であれテレビの放送であれ、公共の世論の場で朝から晩までああした対抗的な感情、ひいては戦争の感情に訴え、騒ぎ立てるのは、憶測被虐症か、さもなければ商業民族主義を利用して愛国を消費するものだ。前者は悲しむべきことであり、後者は憎むべきことだ。」

http://www.worldtimes.co.jp/wtop/paper/html_fr12/sr120906.html

「米国に冷遇された安倍首相」/新華社

2013-02-24 21:06:11 | アジア
 以下が日本のメディアでも報道されている安部首相訪米に関する新華社の社説。

 この通りだと思う。

 出迎えに国務長官はおろか、次官クラスの出迎えもなく。

 着いた日はほったらかしで全く日程なし。

 翌日一回限りの会談を行って、そのあと講演が1本。

 財界の動向もなければ、先方からの働き掛けもなし。

 アメリカは政府も官僚も、経済界もメディアも安部を無視し、軽視し、警戒している。

 それが実情であろう。


「米国に冷遇された安倍首相
 日本の安倍晋三首相が21-23日に訪米したが、米側の応対は低調なものだった。訪米中の具体的活動は2つしかなかった。1つは22日午前のオバマ大統領との会談、もう1つはワシントンのシンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)で行った講演「Japan is back」だ。

 オバマ大統領と安倍首相は会談後、非常に簡単な記者会見を行った。オバマ大統領は「米国にとって日本は最も親密な同盟国の1つであり、米日同盟は地域の安全保障とアジア太平洋地域における行動の中心的礎だ」と述べた。釣魚島(日本名・尖閣諸島)についてはオバマ大統領は一言も触れず、安倍首相が「日米同盟の存在は地域の平和と安定に寄与する安定要素だ。われわれは一貫してこの問題--釣魚島問題に冷静に対処しており、引き続きそうする」と表明したのみだった。

 経済問題では、オバマ大統領は「両国は経済成長の推進、および両国民に繁栄実現の機会を確保することが最も重要な課題との認識で一致している」と述べた。

 ホワイトハウスは声明で「米日は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への日本の参加について引き続き交渉を行い、全ての物品が交渉対象となることを確定した」と表明。その一方で「二国間貿易、特に農産物に関わる貿易の問題が非常に敏感であることを考慮し、最終的な交渉結果が出る前に一方的な関税撤廃を事前に日本に要求することはない」とした。

 共同通信は「米国は安倍首相が歴史認識問題などで『タカ派路線』を強調した場合、日中関係、日韓関係が一層悪化することを懸念している。オバマ大統領はアジアを重視することで景気回復の道を見出そうとしているため、安倍首相に対して隣国関係を慎重に処理するよう求める」とした。(編集NA)

 「人民網日本語版」2013年2月24日」

http://j.people.com.cn/94474/8140859.html

隕石が落ちたチェリヤビンスクとはどういうところか/日刊ベリタより

2013-02-23 18:50:21 | 原発
 隕石落下で話題になったチェリヤビンスクは、ソ連時代の核開発拠点の一つであった。

 今も関連施設が残るこの地域に隕石の直撃がなかったことは、人類にとっての幸運だった。

 それにしても、隕石が落下するぐらいの危険、といえばほとんどないに等しいことの例えだが、あるんですねぇ-。

「【たんぽぽ舎発】ロシア、チェリャビンスクに隕石落下-ロシアの核施設からわずか90キロの近さ あわや第二のチェルノブイリ   山崎久隆


 「異常な天災地変とは隕石落下など」と説明されて、「まあそんなことは、ほとんどあり得ない」と妙に納得していたのではないだろうか。2月15日にロシア、ウラル地方に落下した隕石は、最も近い町の名前が「チェリャビンスク」と聞いたとたんに、背筋が凍り付いた人もいたであろう。ソ連時代に核兵器開発の拠点だった「秘密都市チェリャビンスク65」と「プルトニウム生産施設マヤーク核施設」は、核実験場とともに、旧ソ連の大規模放射能汚染現場になった施設だからだ。

 東西冷戦時代に、米国と競った核兵器開発競争で発生した大量の放射性廃棄物が、チェリャビンスクの近郊テチャ川に捨て続けられた。また、核兵器の開発のためにプルトニウム生産が行われ、それが1990年まで続いた。

 1957年9月29日、この原子力施設で爆発事故が発生した。当時5基の原子炉と再処理施設を有していたマヤーク施設で、高レベル廃液を貯蔵していたタンクの冷却装置が故障し、崩壊熱で高温になった廃液タンクが爆発した。
 爆発規模はTNT火薬に換算して70トンほどで、およそ1000メートル上空まで放射性廃棄物を巻き上げ、北東方向に幅約9km、長さ約105kmの帯状で汚染地域を形成、約1万人が避難した。これら避難者は1週間の間に平均520ミリシーベルト、最高720ミリシーベルトを被曝した。レベル6の事故とされた。チェルノブイリ原発事故までは史上最悪の事故だった。

 隕石が落下したのは、この地域である。ここには再処理工場から出た放射性廃棄物貯蔵施設があり、BN600と建設中のBN800高速増殖炉がある。

 隕石は空中でいくつかに分かれ、大半は大気圏で燃え尽きたとみられるが、近くの湖などにも落下した破片があり、全部が燃え尽きたわけではないようだ。
 幸い、地上落下ではなかったが、発生した衝撃波で少なくても4474棟の建物に被害が出ている。1158人が負傷し、中には隕石にあたり重傷を負った人もいるようだ。幸い、まだ死者は確認されていない。

 もし、この10~15トンの隕石が、地上の核施設を直撃していたらと思うと、ほんとうに恐ろしくなる。マヤークの核分裂生成物を貯蔵しているサイトから隕石の一部が落下したとみられるチェバルクリ湖との間は90キロメートルしか離れていない。直撃を免れたとしても、核施設周辺に今も広がる汚染地帯に落ちれば、巻き上げられた放射性物質を含む塵が拡散し、再度大規模汚染事故を起こす恐れ
もあった。

 この地域は今でも高いレベルの空間線量を観測している。
 隕石の核施設落下は「荒唐無稽」な話ではなかったのだ。

◆[マヤーク核施設] 中国新聞より
 正式名称は「マヤーク生産協同体」。ソ連時代は、施設内の工場などで働く労働者らが住む秘密都市(現オジョスク市)と併せ「チェリャビンスク65(旧チェリャビンスク40)」のコード名で呼ばれ、地図にも表記されなかった。
 1948年6月、兵器用プルトニウム生産のための最初の原子炉が稼働。半年後の12月には再処理施設も操業を開始。1949年2月、プルトニウムを初めて取り出した。その後、同じ目的の原子炉を5基造ったが、1990年11月までにいずれも閉鎖された。
 このほか、約200平方キロの工場敷地内には、現在も使用中の兵器用トリチウムと民生用のアイソトープなどを取り出す原子炉2基、約60個の廃棄物貯蔵タンク、廃棄物貯水池、高レベル放射性廃液ガラス固化体施設などがある。従業員は約1万5千人。」

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201302220021015

斑目氏は失敗した-証言 (1)

2013-02-21 16:14:47 | 原発
 以下はJB PRESSより。3.11時点での原子力安全委員長だった斑目氏の証言。

「3.11当時の原子力安全委員会委員長だった班目春樹氏(元東大教授)にインタビューした。直接のきっかけは、2012年11月、3.11当時を振り返った回顧録『証言 班目春樹』(新潮社)が出版されたことである。新潮社の説明によると、この本は班目氏の話を教え子である岡本孝司・東大大学院工学系研究科教授ら数人が聞いてまとめたものだ。著者は岡本教授になっている。


『証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?』(岡本孝司著、新潮社、1470円、税込)
 本を一読して、政府中枢で福島第一原発事故対応に関わったキーパーソンの証言として、非常に貴重な内容が含まれていることが分かった。当時官邸にいた人間の中で、班目教授は数少ない原子力の専門家である。そして原子力安全委員長(内閣への助言機関)という重要なポジションにいた。事故対応で、班目氏が分からなかったことは、他の官僚や政治家も分からなかったと考えることができる。

 原発事故や住民避難対応の失敗について、班目氏にはバッシングに近い激しい非難が加えられてきた。しかし一方、制度や法律枠組みで、本来法的な権限のないこと、任務ではないことまで混同して同氏のせいにして、非難するのは筋が違うと思った。そうした「原子力安全委員長はここまではできるが、これはできない」という制度や法律の制限を無視した批判が多すぎるように思えた。

 また政治家や官僚が失敗の責任を班目氏に押し付けようとしている気配も感じた。そうしたことをすべて含めて「班目春樹・原子力安全委員長から見たら、3.11はこう見える」という話を聞いておきたかった。こうした班目氏にまつわる話には、本人に取材して言い分や反論を聞いた報道がほとんどない。そこで新潮社を通じて取材を申し込んだ。班目氏からは、快諾の返事がすぐに来た。

「自分が知っている事実」を語った班目氏

 インタビューは2013年1月11日午後、東京・矢来町の新潮社の会議室で行われた。時間は約2時間である。机をはさんで班目氏と私が向かい合い、横で担当編集者が立ち会った。インタビュー中は、新潮社側からの介入はなかった。班目氏が回答を拒否した質問もなかった。

 取材申し込みの段階で、班目氏にいくつかの点を伝えた。記者としての私は原発否定論・推進論いずれの立場も取らないこと。班目氏を糾弾したり一方的に非難したりするつもりはないこと。記憶が曖昧だったり、忘れたり、知らないことは無理をせずその旨告げてほしいこと。ニュアンスを読者に伝えるよう、発言をできるだけそのまま書くこと。インターネットという媒体は紙媒体と違ってスペースに制限がないので、一問一答をできるだけそのまま再現すること。言葉をできるだけそのまま再現し、削除したり、強引にまとめたり、書き換えたりしないこと。

 インタビューは非常に内容が濃密だった。著作とインタビューを通じた筆者の印象として、班目氏は誠実かつ率直に「自分が知る事実」を話しているという印象を持った。「誤解していた」「考えが至らなかった」と自分の誤ちや失敗をいくつも認めているからだ。その中には「家に帰って就寝していたら官邸に電話で呼び戻された」など、本来「認めるのが格好が悪い事実」も含まれている。また、自ら言わなければ知られることのなかった誤解や失敗も明かしている。

 世間が言う「学者・官僚がもたれ合う原子力ムラ」とはまったく違って、法律上は原発事故や住民避難の要になるはずだった原子力安全・保安院と経産省がまったく機能しなかったことを厳しく批判している。あるいは過去の原子力安全委員はじめ学界も痛烈に批判している。これはもちろん、班目氏が失敗の責任を他者に転嫁していると理解することもできる。最終的に同氏の発言をどう評価するかの判断は読者に委ねる。

 事故対応で重要な点を挙げておく。

(1)班目氏は、福島第一原発が冷却用の電源をすべて失った後も「直流電源は生きている」と根拠なく思い込んだ。

(2)本来は住民避難開始の「ヨーイドン」になるはずだった原災法15条通報を「水位が見えないための念のための通報」と過小に理解した。

(3)根拠なく「見えない所でしかるべきことをちゃんとやってくれている」と思った。過小な行動しか取らなかった。

 この(1)~(3)を念頭に置くと、班目氏が提案、あるいは政府の実施した対策すべて過小あるいは後手であることの理由の一端が分かってくる。

 もちろん、班目氏の誤解や失敗が原発事故対応の失敗の原因のすべてではない。私はこれまでの取材で福島第一原発事故対応は「長年にわたる巨大で醜悪な無作為と無責任の集積」という感触を持っている。班目氏の誤解や失敗はそのほんの一部にすぎないと考えている。

 インタビューはすべて班目氏の了解を得て録音した。終了後録音を書き起こし、班目氏にメールで送った。校正・校閲のためである。班目氏からは一部「発言を取り消したい」という要請があった。しかし校正・校閲の範囲を超えるものは断った。該当部分と理由は文中に記す。インタビュー終了後にこちらがメールで再質問したもの、班目氏から補足があったものは、そのように書いておいた。誤認や記憶違いも、可能な限りそのままにして、注釈で訂正した。「班目氏がもう覚えていない」ことも事実として記録すべきだからである。

「官邸で何があったか」が伝わっていない

──ずっとお話を伺いたかったので、お目にかかれてうれしく思っています。3.11のあと私は福島・浜通りに20回以上取材に通いました。そうした現場から取材を始めて、東京に戻ってきて、政府内部の取材を始めました。当時、首相官邸内部でのみなさんのいろいろなやりとりを後から知りました。そして、次第に「なるほど福島で見たものは、政府でのこういう決定や判断があって、ああなったのだな」という順番で、認識してきたんです。そして国会事故調や政府事故調などの報告書が出ました。菅直人首相はじめ政治家のみなさんの回顧録も出ました。それらに目を通すうちに、班目さんの本にも接することになりました。今回、インターネットは紙媒体と違ってスペース制限がないですから、お話にできるだけ編集を加えない形にしようと思っています。糾弾しようというつもりは全くございませんので、どうぞおくつろぎください。

班目春樹氏(以下、敬称略) 「どうぞ何でも聞いてください。私はもう、どこでも平気でこうやってしゃべってます」

──ご存じないことやお忘れになったことはそのままおっしゃってくだされば結構です。

班目 「ほとんど忘れているんですよ。本当に飛んじゃってるんですよ。断片的にだけど覚えているシーンがいくつかあって、でも順番がめちゃくちゃだったり。例えば東電のビデオのような動かぬ証拠を突きつけられて認めざるを得なくてそうだったんだと思ったり、当時の私の知識からいって、質問に対していかにも私が答えそうな内容を喋ったと言われると、これは私自身認めてしまってそうだと思うようになったりといったところです。とにかくいろいろな段階の記憶らしきものが、積み重なっています」

──分かりました。おそらくああいう大混乱の現場ですので、ご記憶も完璧とは言えないと思います。そういうところはそのままおっしゃってください。

班目 「はい」

──月並みな質問から始めさせていただきますが、今この本(『証言 班目春樹』)を出そうと思われた動機はなんだったんですか?

班目 「まず『官邸で何があったか』という事実が、あまりにも伝わっていないと思いました。もちろん政治家の方々も本を書かれていますが、この手の本は多分、当時の秘書官だったような人が手伝っているのではないかと見当をつけています。私が考えていたこととは大分違っている。これはどうしても、詳しい人間と詳しくない人間とのコミュニケーションギャップだと思います。私の意図とは違う形で受け取られているということも多々ある。ある程度原子力に詳しい人間がああいう場面でどう振る舞ったかということを、きちっと出しておくべきだろうと。それが一番の理由ですね」

──特に「これは事実と違う」とお考えのものは何でしょうか。

班目 「それはいくつもあります。例えば、これはほんの一例に過ぎませんし、海江田さん(注:海江田万里氏、当時の経産省大臣)ご本人の責任だとも思いませんが(海江田氏の本には)私がヘリコプターで現地から帰ってきて、それから自宅に風呂に入りに戻ったとか書いてある。こんなことあり得ないんですよ。実際にヘリコプターが東京に戻ってきたのは11時ちょっと前で、11時30分過ぎには呼び戻されてますから。そもそも海江田さんのSPが私と事務局長を引き離したので、私は官邸のどこに行けばよいのかも分からないという状態だったのです。しょうがないから4号館まで歩いて帰っているんですよね」

──「4号館」とは霞が関にある「中央合同庁舎4号館」のことですね。原子力安全委員会の事務局がある。

班目 「よく晴れて、人っ子ひとりいない通りだったことをよく覚えています。12日の朝11時くらい。ヘリコプターが着いて徒歩で戻って、戻った途端に呼び戻されて、また官邸に車で行ったと。当時から、あたかも私が家に帰っているという噂を流している週刊誌などがあったことは私も知っていたが、政治家ともあろう方がそれを堂々と本に書いてしまうというのは、いかがなものか。ちょっと悪意を感じますから。『悪びれもせずにまた席に座った』などと」

(注:これは海江田万里氏が2012年11月に出版した回顧録『海江田ノート』<講談社>41ページの記述への反論。同著では、班目氏は3月12日午前中、菅直人首相との現地視察から帰った後、1号機の水素爆発の前に帰宅したと記述されている。班目本では3月13日午前1時ごろ帰宅したと書いてある)

──確かにそう書いてあります。

班目 「ひっでえなぁって思いました。ああいう顔をして『私はどうなっても構わないんです』とか散々国会で話した挙句こうです。実は人をかなりの悪意を持って見る人だなと。そう思わざるを得ないところはありますよ」

(筆者注)
インタビュー後、文面を見た班目氏がメールを送ってきた。上記「ああいう顔をして~ありますよ」部分を削除してほしい、と筆者に伝えてきた。「カッとして吐いた悪口雑言で、我ながらいやになりました」「刑事告発されている身の上らしいので、さらに名誉棄損で訴えられるようなことだけは避けたいとの気持ちでいっぱいです」との理由が述べられていた。また「班目氏が検察の事情聴取を受けた」と報道が流れたことで、自宅周辺をしばらく記者らしい人物がうろうろして神経質になっている、とも伝えてきた。削除の申し入れは複数回メールで来た。

 班目氏が憔悴していること、感情的になったり神経質になる気持ちはよく理解できる。個人としては班目氏の窮状に同情している。

 しかし、筆者はこの申し入れを断った。この申し出を受け入れると、報道の原則を侵してしまうからだ。

(1)3.11当時の原子力安全委員長だった班目氏は「公人」である。

(2)その班目氏が福島第一原発事故について話す内容は「公共性」が極めて高い。

(3)このインタビュー記事は報道記者である筆者(烏賀陽)が班目氏に取材して書く記事であり、執筆主体は筆者である。班目氏の口述筆記原稿ではない。

(4)インタビュー後に文面を見てもらうのは校正・校閲のためである。読者に間違った情報を伝えないことが第一目的である。その範囲を超えるものを被取材者が修正することはごく限定的な例外に留める。

(5)班目氏がいったん発言し、録音・記録され、記者が聞いたことを、読者に知らせる前に取り消す行為は、読者との信義を裏切ることになる。拡大すると、政治家など公人が「失言」しても、いくらでも後から取り消せることになってしまう。

(6)報道する際、記事内容に被取材者の合意を得る必要は必ずしもない。

 また、そもそも班目氏の発言は海江田氏の記述をきっかけとする「反論」である。加えて「3.11当時の事故対応の過程で、原発の所管大臣だった海江田氏と、班目氏の間に感情的なものが残るような出来事があった」「事故対応について、両者の記憶は食い違っている部分がある」「感情的なものは事故後2年近く経っても残っている」などの言外の事実も、歴史に記録し、読者に知らせるべきだ。筆者はそう考えた。

 インタビューに戻る。

悪かったのは保安院だけではない

──『証言 班目春樹』によるとご帰宅は「3月13日未明」となっていますね。「12日午前中ではない」とおっしゃるのですね。

インタビューに応じる班目春樹氏(筆者撮影)
班目 「あり得ません。不可能です。12日の土曜日の午前中に、官邸みたいな場所でタクシーが捕まるわけがないじゃないですか。そんなの調べればすぐ分かることなのに、調べもせずに悪意を持って本を書かれるというのは、果たして政治家としていかがなものでしょうか。海江田さんの悪口ばかり言っていますけど、各々の方々にみんなありますよ」

 「でもそれはしょうがないでしょう。あの本は海江田さんご本人が書かれたものとは思ってません。当時、海江田さんは経済産業大臣でしたから、秘書官は当然経済産業省のお役人ですよね。そういう人たちから見ると、原子力安全委員会という、これから潰れる組織になるべく責任を負わせたいわけですよね。そういう意図から一生懸命やっている。要するに経済産業省のお役人であった保安院が、ものすごい体たらくでしたから」

──それは原子力防災本部の事務局長である寺坂信昭氏(原子力安全・保安院の院長)が菅首相に詰問されたあと官邸から姿を消してしまったとか、そういった事実を指しているのですね。

班目 「逃げちゃって何もしなかった。『でも、保安院だけが悪いんじゃない』と言いたいんですよね」

──なるほど。

班目 「だからなんとなく、官僚組織全体としての悪意が多分あって、それに海江田さんなんかは踊らされているんだろうな。気の毒だな、と思っているのが私の正直な気持ちです」

──海江田さんは経済産業大臣に着任されて間がなかった(2011年1月に就任)。班目さんはその前(2010年)から安全委員会の委員長をやっていらっしゃる。その時代から保安院とのやり取りは結構あったんですか?

班目 「実は私は東大時代には原子力安全委員会の仕事はやったことがないんです。保安院の仕事ばかりだった。総合エネルギー調査会の臨時委員など、保安院関係の審議会の委員長はいくつ務めたか、数えることができないくらいです。検査の在り方検討会の委員長とか原子炉安全小委員会の委員長とか中越沖地震の調査委員長とか、保安院の仕事はたくさん引き受けていました」

──じゃあ例えば、寺坂院長や平岡英治次長ともよくご存じだったのですか。

班目 「もちろん、昔からよく知っていました」

──ご著書には「3.11の進行中は寺坂院長と官邸で会うことはなかった」とあります。それでよろしいですね?

班目 「1回もないです。官邸では多分一度も見ていないと思います」

──ということは、班目先生が駆けつけられた時にはもう、寺坂さんは菅首相に詰問されて退出された後だったのですか?

班目 「だと思います。平岡さんしかいなかった」

安全委員会に福島第一原発の図面がなかった

──時系列で事実をお伺いしたいのですが、ご著書によりますと地震が発生した時は、中央合同庁舎4号館6階の原子力安全委員会の執務室におられたということですね。馬鹿な質問で恐縮なのですが、原子力安全委員長は常勤でやってらっしゃったのですね?

班目 「はい、もちろん常勤だったわけです。兼業は一切していませんから」

──ということは、3.11当時は執務室に出勤し、そこが仕事場でいらっしゃった。

班目 「震災の前は、大体9時前には部屋に入っていましたね。ずっと判で押したような生活をしていました」

──なるほど。霞が関に出勤されるということですね。それはちゃんと迎えが来るんですか?

班目 「ありました」

──3.11当時は、官邸との間を行ったり来たりで大変だったと思うのですが、その時は歩いて行かずに迎えが来てくれるんですね。

班目 「例外的に歩いたのはその1回くらいであとは全部車です。家内に送ってもらったこともあるし、まあいろいろなケースがありますけどね」

──ご著書に生々しい記述があります。地震が起きた14時46分に「隣の庁舎の建物が揺れているのか見た」と書いておられますね。

班目 「見れるかなと思ったのですが分からなかったですね。もう少し長く見ていればよかったんですよね、きっと」

──そのあと原災法(原子力災害対策特別措置法)の第10条通報(11日15時42分)が福島第一原発から来た(注:第10条は原子力防災管理者の通報義務を定めている)。そのあとで15条通報が来る(16時45分=全電源を喪失した、冷却不能になったことを知らせる緊急事態の通報。ここが住民避難の開始になるはずだった)。これで大体地震発生から2時間が経過しています。ご著書に「原発の専門家20人にメールを送った」とありますね。

班目 「それは10条通報の直後ですね」

──例えば他にはどんなことをしていらしたのですか?

班目 「まず、真っ先にテレビをつけて、震源地や津波のことを知るということですね。そのうち一番厳しいのは福島第一だということが分かってくるわけですね。10条通報も15条通報も福島第一から来る」

──同じ津波被災地域でも、宮城県の女川原発とかではなく福島第一原発が厳しい状況にある、ということですね。

班目 「まあ、女川が、福島第二が、東海第二がどうのこうのというのが入ってきはしますけれども」

──まず津波被災地域の原発が気になったということですね。

班目 「はいそうです。とにかく福島第一が一番凄いことになるのは確実だった。安全委員会の中に福島第一に関する資料がどれだけあるか探させた。私自身も、持ってきてくれた設置許可申請書を見て、何が分かるか一所懸命調べていましたね」

──ご著書に「福島第一原発の図面が安全委員会になかった」と書いておられます。その時からもうないことに気づかれていたんですか?

班目 「ないんです、最初から。設置許可申請書は初めて見るわけではなくて、まあ見るまでもなかったくらいでしたが、何か手がかりがあるんじゃないかと、一所懸命探してましたね」

──簡単な概略図はあっても、構造を示すような設計図がないと書かれています。

班目 「本当に概略図しかないのです。一応、熱交換機とポンプとが線でつながっているような感じのものはあったが、知りたかったのは、例えば非常用ディーゼルがどこにあるかとか、そういうことなのです。記憶ではタービン建屋の地下だとは知っていましたが、増設したものがどこにあるのかとか、そういうことが分からない。津波でやられてますから、どの程度やられているのかという話と、どういう所に何があるかということを、しっかり押さえたかったんですよ」

15条通報は「念のため」出されたものと受け止めた

──ご著書の中に「専門家にメールを送った」ということが書いてあったので、そこまで委員長がしなければならないのかと意外に思いました。

班目 「私が送ったのではないです。それはもちろん事務局に送ってもらいました。『一斉招集をかける必要がありますね』『じゃあやってください』という感じで」

──安全委員会の事務局の規模は、100人くらいと聞きました。

班目 「実際には常勤が六十数名で、あとの残りは非常勤なんです。これは原研などのOBですね。退職された方々に技術参与という形で、例えば安全審査や指針類を作るお手伝いをしてもらうと。これは専門家の方にしかできませんから。ただ非常勤なので毎日来るわけではない」

──実感として今回の3.11を乗り切って行くには、60人という人数は少なかったですか?

班目 「実際にはかわいそうなくらいバタバタになってしまった。人数の問題としては、保安院と安全委員会が別組織であるということが最大の問題で、1つの組織であるならば、保安院には300名近くいますから、十分やれる人数だと思いますけれども。それと保安院は他に、JNES(原子力安全基盤機構)という別組織を持っていますから、そこも合わせると、かなりの人数がいる。で、安全委員会の方は非常勤の人を含めても、たかだか100人という。そして仕事としても、実務というよりは安全審査のダブルチェックをやったり指針類を作ったり、そんなことですから、これはむしろ普段小所帯でやっていてよい組織なんです」

──地震が発生して15条通報、全電源喪失の知らせが来るまでに2時間くらいある。この間はそういう形で図面を探されたりしていたわけですね。15条通報が安全委員会に到達したのも、保安院と同じ16時45分と考えてよろしいですか?

班目 「そんなには変わらないと思います。17時前だろうと思いますね。これは保安院経由で来ます」

──第一報のファクスは原発から保安院に着くはずです。

班目 「そうです」

──だから時間的にはそんなにラグはないということですよね。

班目 「まあ5~10分の差はあるかもしれませんが」

──福島第一から保安院にはファクスで来るそうです。安全委員会にはどういう形で着くんですか?

班目 「そのファクスがそのまま転送されるんじゃないかな。記憶がはっきりしませんが、10条通報の時はなかなか紙が届かなかった気がします。15条通報の時には『水位が見えないから、念のために15条通報を出す』という発表を、最初に東電が出しているんです。その『念のためというのが随分頭の中に残った気がするので、ひょっとたらその紙は割と早い時間に見ているのかもしれません」

──それは東電が知らせてきたのだが、「これは念のためだから」という注釈が付いていたということですか?

班目 「それが付いているようなものが送られて来ているんです。どっちにしろ、私は多分紙は見ていません。あとで事務局がコピーして皆さんに配るのですが、とりあえず15条通報が出されたことを口頭で教えてもらっていた。それが多分夕方の5時くらい」

──海江田さんの本によりますと、海江田さんの所に15条通報の知らせが来たのが、何と17時35分(注:つまり保安院に到達してから、担当大臣である経産大臣に到達するまでに50分かかっている=経産省内部だけで50分かかった)と書いてあったんですよ。もちろん海江田さんは「どうしてそんなに時間がかかったのか」という不満を述べてられます。班目先生のご本には16時45分と書いてある。なので、原子力安全委員会の方が早く伝達されたのかと思ったのです。

班目 「それはどうなんでしょう、分かりません。17時前に本当に見ていたどうかは分かりません。ただ1つだけ言えるのは、私は17時30分過ぎに4号館を出発するんです」

福島第一原発の様子は一切伝わってこなかった

──15条通報があって、その時点で首相官邸に向かわれたのですね。確かにそう書かれている。

班目 「というのは、15条通報があったら原災(原子力災害)本部が必ず開かれるからです」

──首相官邸の原災本部に招集がかかるわけですね。

班目 「正式メンバーではないが、助言役として必ず同席しなければいけないとルール上なっていますので。17時30分ころに出発するのですが、まだ官邸から招集がかからないのかと言っていた記憶があるので、その間に30分近く時間があった気がするので、やはり17時頃に15条通報を知ったんだと思います。行かなくてもよいのかと言いながら例の上着を着て待機して、結局行った方がよいということで17時30分過ぎには出発してますから、17時30分くらいまで知らなかったということはあり得ないですね」

──その間に、原子力安全保安院が福島第一原発の様子などを伝えてきたりはしないんですか? 原子力安全委員長に情報が届いていないのは不思議な気がします。

班目 「本当は安全委員会とERCという保安院の対策室との間に、テレビ会議システムが繋がっていろいろなやり取りができるんですけれども、15条通報が出て最初に官邸に行くまでは、テレビ会議システムを立ち上げてなかったと思います。保安院からの連絡を事務局の誰かが受けて、それを我々に伝えてくるという形だったと思いますね」

──例えばそれは、今1号機の圧力や温度がこうなっている、2号機は、3号機はというような、そういう詳しい話ではないのですか?

班目 「一切なしです。というか我々も、保安院もその情報が入ってこなくて困っているだろうと思っていましたから」

──それに対してイライラされましたか。

班目 「保安院も苦労していて分からないんだろうなと思っていました。最初に10条通報、全電源喪失の時点で非常用ディーゼル発電機がせっかく立ち上がったのに、きっと水をかぶって本当の全交流電源喪失になってしまった。そのように理解していたので、これはもう現地は本当に大変なことになっていると」

──なるほど。

班目 「そして、私は何点かずっと誤解し続けるんです。3つくらい間違ったことを考えていました」

(つづく)」

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37192

周小川・中国人民銀行総裁に留任?

2013-02-20 18:17:29 | アジア
 周小川・中国人民銀行総裁に3月以降も留任か? といった記事が飛び交っている。

 例えばロイターは以下の通り。

 「[北京 20日 ロイター] 複数の関係筋によると、中国人民銀行(中央銀行)の周小川・総裁は、定年年齢である65歳に達しているにも関わらず、3月以降も留任する見通し。」

(http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE91J04T20130220)

 周氏は先般の中国共産党大会で党中央委員を引いている。

 実際現在公表されている中央委員の名簿に彼の名前はない。
(http://cpc.people.com.cn/n/2012/1115/c351757-19591312.html)

 党中央委員を引いても中央銀行総裁はやめないということはありうるのだろうか。

 彼が今までメンバーだったといわれる、国務院や党中央機関に設けられた通貨・金融政策決定の小組からも彼は外れないということだろうか。

 党の指導を、通貨金融のような専門性の高い分野ではゆるめようということなのだろうか?

希少植物の枯死/沖縄タイムスより

2013-02-20 15:55:35 | 軍事
「 米軍北部訓練場へのオスプレイ着陸帯建設に伴い、沖縄防衛局が絶滅危惧種を含む希少植物を別の場所に植え替えたところ、6割以上が枯死していた。共同通信が情報公開を請求し、明らかになった。

 希少植物は繁殖力が弱く、生息地は競合が少ない場所が適しているとされる。希少植物といわれるゆえんであり、簡単に別の場所に移植することが困難であるとの指摘は早くから出ていた。

 着陸帯の建設は、1996年12月の日米特別行動委員会(SACO)の合意に基づく。北部訓練場の過半(約4000ヘクタール)を返還する条件として、6カ所の着陸帯を新たに建設する予定である。

 現在、東村高江の1カ所で建設が進んでいる。枯死したのはこの場所から2007年7月に移した希少植物計11株のうち7株である。

 新設される着陸帯は高江地区を取り囲むように計画され、最も近い住宅からは約400メートルしか離れていない。すでにオスプレイの訓練が行われており、住民の座り込みの反対運動が続いている。

 オスプレイの訓練は、小さな集落の静かな暮らしを破るばかりか、着陸帯の建設によってやんばるの生物多様性を損なう結果にもなっている。残り5カ所も同じ手法をとるつもりなのだろうか。

 着陸帯の建設と豊かな自然環境の保護は両立しない。自然はいったん壊されたら、復元は容易ではない。SACOの眼目である「負担軽減」とも逆行しており、政府は着陸帯建設を見直すべきだ。

    ■    ■

 防衛局は02年6月から「自主アセス」を実施してきた。着陸帯工事は、アセス法や県条例の対象とならず、法的にはアセスは求められていないというのが防衛局の見解だ。「自然環境の保全に最大限配慮する」として県条例に準ずる形で、自主アセスを進めてきた。

 ただ、自主アセスはオスプレイの配備をひた隠しにしたまま、ヘリの種類、機数、飛行ルートについて記述されておらず、環境アセスとはとても呼べない。高江区民への情報開示が決定的に欠け、真摯(しんし)さが感じられない。県が昨年10月時点でアセスのやり直しを求めたのは当然である。

 米軍も12年6月に独自の環境レビューを公表しているが、住民意見を聞いたりすることのない一方的なものだ。

 米軍はハワイでは、空港から1・6キロ離れたカメハメハ大王の遺跡がオスプレイの影響を受けると心配する住民らの反対で訓練を断念している。明らかな二重基準だ。

    ■    ■

 沖縄、鹿児島両県にまたがる「奄美・琉球」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界自然遺産「暫定リスト」に載せることが決まったばかりである。

 絞り込みはこれからだが、やんばるは世界的にも生物多様性に富んだ地域である。オスプレイは下降気流が激しく排気は高温になる。貴重な動植物への影響が懸念される。

 オスプレイ配備に反対しながら、着陸帯建設は容認する県と東村の姿勢もわかりにくい。日米両政府に着陸帯建設の見直しを求めるべきだ。」

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-02-19_45495

福島の子供に甲状せん癌/武田ブログより

2013-02-19 12:30:01 | 放射能
「原子力と被曝 福島で甲状腺ガン50倍。国は子どもの退避を急げ!




2013年2月14日、福島県健康管理委員会が3人目の甲状腺ガン(いずれも子ども)の発生を報じました。また7人が「ほぼ甲状腺ガン」と診断されています。男子3名、女子7名です。

甲状腺ガンは18才、40才ぐらいから増えるガンで、女性に多いのが特徴です。福島では18才以下の子ども18万人の対象のうち、3万8千人が検査していますので、国立がんセンターのデータでは、10万人に0.6人程度なので、3万8千人なら「0.2 人」が平均的ですから、その約50倍に当たります。

通常はお医者さんというのはできるだけ病気にならないように、注意をされるのが普通ですが、福島の医師団だけは「病気になる危険を冒せ。病気になってもかまわない」という態度に終始しています。

今回も「被曝による甲状腺ガンは4,5年かかる」と説明していますが、それは「医学的」に間違いです。というのは、「平均して患者が増えるのが5年目から」というのと、早期にガンにかかる子どもがいつからでるかというのは違うからです。



チェルノブイリの患者発生のグラフは左の通りです。このグラフを見ると1988年4月の事故から4年目から甲状腺ガンの子ども(18才以下)が増えていますがチェルノブイリの近くのウクライナ、ベラルーシに限って言えば、明らかに2年後には増加傾向にあります。

このことは、平均して甲状腺ガンがでるのは4年目からだが、早期にガンになる子どももいるということを示しています。すでに3人が手術をしたと報じられていますが、実に可哀想です。

国は直ちに次の事が必要です。

1)高濃度被曝地の子どもを疎開させる(除染は間に合わない)、
2)汚染された食材の出荷を止める、
3)ガンになった子どもを全力で援助する、
4)除染を進める。また親も含めて移動を促進する。
5)「福島にいても大丈夫だ」と言った官吏を罷免し、損害賠償の手続きを取る。

日本の未来を守るために、大至急、予防措置を取ることを求めます。

(平成25年2月14日)」

http://takedanet.com/2013/02/10_6a83-1.html


 なおこの健康管理委員会は反原発団体でもなんでもありません。県の公的機関で、逆に市民から運営方法に疑惑を盛られて調査対象になっています。その報告書は以下のサイトをご覧ください。

http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/houkokusyo.pdf

河野元官房長官、朴次期大統領と会談

2013-02-14 19:47:52 | アジア
「「歴史を直視」で一致=河野元官房長官と会談-韓国次期大統領

14日、ソウルで、河野洋平元官房長官(左)と握手する韓国の朴槿恵次期大統領(EPA=時事)

 【ソウル時事】韓国の朴槿恵次期大統領は14日、講演のため訪韓した河野洋平元官房長官と会談した。両氏は「両国関係を進めるために、歴史を直視し、歴史を学ぶという誠実な態度が双方に必要だ」との見解で一致した。河野氏と朴氏の報道官が明らかにした。

 朴氏は「『信頼外交』を新政権の外交の重要な基調と位置付けている」とし、「両国はいくらでも未来志向的に発展していけると信じている」と表明。「韓日間の協調がいつになく重要な時期に、歴史問題が国民の情緒を刺激し、関係発展の障害になってはいけない」として、「日本が被害者の苦痛を心から理解する立場に立って考えてくれることを願っている」と語った。 

 日本政府が旧日本軍の従軍慰安婦問題への関与を認めて謝罪したいわゆる「河野談話」や竹島問題など具体的懸案は話題に上らなかった。

 河野氏はその後の講演で、「対等な立場での相互信頼関係」を築くためには「軍事力を背景に韓国の独立を奪い、自国の価値観を強要した歴史的事実に真摯(しんし)に向き合い、明確な反省をすることなしに、何も始まらない」と強調した。(2013/02/14-18:34)」

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013021400823