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D-WAVE 量子コンピュータ?

2015-01-08 14:57:29 | 科学
「NASA、Googleが注目する「D-Wave」は、本当に量子コンピューターなのか?

グーグルやNASAを顧客にもつ、世界初の「商用量子コンピューター」企業D-Wave。まったくのゼロからマシンをつくった創業者は元レスラーだ。世界中の科学者が注目する、このブラック・ボックスは、ホントに「それ」なのか?(本誌VOL.14より全文転載)

TEXT BY CLIVE THOMPSON
PHOTOGRAPHS BY NAOYA FUJISHIRO
TRANSLATION BY ATSUHIKO YASUDA @ XOOMS

2015年1月3日に放送されるNHKスペシャル「NEXT WORLD 私たちの未来」第1回放送では、D-Waveをフィーチャー。『WIRED』では番組取材班が得た成果を独占公開! 詳しくはこちらのページにて。

グーグルの最強マシン

グーグルは、膨大な数のコンピューターをもっている。百万台規模のサーヴァーが相互に接続され、地球上で最も高速で、最も強力な人工知能をつくり上げてきた。しかし、昨年の夏、この検索エンジンの巨大企業がNASAと共同で手に入れたハードウェアは、さらにも増して最強かもしれない。少なくとも、これほど不可解なコンピューターはない。
カリフォルニア州・マウンテンヴューにあるグーグルプレックス(グーグル本社)から数百マイル離れたNASAエイムズ研究センター内に設置されたその機械は、文字通りブラックボックスだ。高さ10フィート(約3m)ほどの、巨大な冷凍庫のようなその黒い箱の中には、ある革新的なコンピューター・チップが収められている。

それは、一般的に使われるシリコンの代わりにニオブ(耐熱合金として使われる金属)でつくられた微小なループ状回路で構成され、宇宙空間の150分の1という極低温に冷却されている。箱の側面には、その名前──それは、開発した企業の名前でもある──が、SFチックな大きな文字で書かれている。「D-Wave」。

この黒い箱は、最先端の物理学を応用して、現存するどのコンピューターよりも高速にデータを処理できる、世界初の実用的な量子コンピューターだと、企業の幹部は説明する。もしそれが正しいなら、革命的なブレークスルーだ。しかし、それは本当なのだろうか?
高速化の限界は近い

グーグルのコンピューター・サイエンティスト、ヘルムート・ネヴンは、NASAと共同でD-Waveを導入するよう、グーグルの上層部を説得した人物だ。

現在、彼の研究室では、このコンピューターにさまざまな問題を解かせて、いったい何ができるのかを検証している。学者風の言葉遣いの快活なドイツ人、ネヴンは、かつて画像認識サーヴィスの会社を起業した経歴をもつ。2006年、グーグルはネヴンの企業を買収した。PicasaやGoogle Glassといった、さまざまな画像認識プロジェクトを進めるためだ。ネヴンが担当するのは、「最適化」と呼ばれる数学の領域だ。与えられた問題の数学的な解をさまざまな制約のもとで見つける分野で、例えばある目的地へ行くにはどの経路が最適か、石油掘削の現場でどこを掘ればよいか、産業用ロボットをどう動かすのが最も効率的か、といった問題を解くのに使われている。
最適化は、データを魔法のように扱うグーグルにとっても鍵となる技術だ。しかし、その高速化はそろそろ限界に近づいている、とネヴンは言う。「理論的に考えうる速さに、ほぼ到達しているのです」。

そのような状況のもとでグーグルに(あるいは、コンピューター・サイエンス界全体に)残された選択肢は2つしかない。ひとつは、さらに巨大で、より多くの電力を消費する、シリコン製のコンピューターをつくること。そしてもうひとつは、現在のコンピューターを数百万台集めて数年かけてもできないことを一瞬でやってしまうような、革新的な計算方法を見つけることだ。
その答えになるのが量子コンピューターだ、とネヴンは考えている。わたしたちが使うノートPCやグーグルを支える巨大なサーヴァー群(量子科学者たちが愛情をこめて「古典的機械」と呼んでいるコンピューター)はすべて、「ビット」を使って計算を行っている。ビットとは計算の最小単位で、0か1、どちらかの値をとる。

一方、量子コンピューターで使われる量子ビット、いわゆる「キュビット」は、0と1の状態を同時にとることができる。欲しいだけの数を同時に処理できるのだ。一般には信じ難く、突拍子もないこの概念によって、量子コンピューターは超高速に計算を行うことができる。
ただしそれは、本当に量子コンピューターを実現できれば、の話だ。

量子コンピューティングにはまだよくわかっていないことが数多くあり、D-Waveが本物の量子コンピューターなのか、あるいは、ただ風変わりなだけの古典的コンピューターなのか、まだ誰にもわかっていない。開発者でさえ、D-Waveがどんなメカニズムで作動し、どんな能力をもっているのかを正確に把握できていないのだ。これを解明するためにネヴンは毎日、研究室に閉じこもってD-Waveと会話する方法を忍耐強く探している。もし彼がこのパズル──この黒い箱が、ほかのコンピューターには不可能などんなことを、どのように行うのか──を解けば、とんでもないことがおきる。

「わたしたちはそれを『量子的優越性』と呼んでいます」と彼は言う。「本質的に、現在のコンピューターではとうてい実現できないようなことです」。それは、新しいコンピューターの時代、と呼んでもいいだろう。


イノヴェイターは元レスラー

D-Waveの創業者、ジョーディー・ローズは、かつてカナダのレスリング・オリンピックチームに選ばれた経歴をもつ。胸板は樽のように厚く、両腕は懐疑論者を簡単に地面に押さえ込めるくらいに太い。
「俺たちが目指すのは、インテルやマイクロソフト、グーグルのような会社だ」。ブリティッシュコロンビア州バーナビーの本社でローズと面会したとき、彼は太い眉をわずかにひそめながら、そう言った。「まったく新しいテクノロジーとエコシステムを生み出す1,000億ドル規模の大企業さ。俺たちはそこに近づいている。俺たちがつくろうとしているのは、この世界の歴史上、かつて存在したことがない、とんでもないコンピューターなのさ」。

オフィスでは人々がせわしなく働いていた。奥の部屋では技術者たちが顕微鏡をのぞき込み、製造されたばかりの量子チップのロットに欠陥がないか、丹念に調べている。肩の高さほどある1組のヘリウムタンクの横に金属製の巨大な黒い箱が3つ並び、その横でさらに多くの技術者が床に広がった配線をつなぎ合わせている。

D-Waveでプロセッサー開発を担当する副社長、ジェレミー・ヒルトンが、箱のひとつを手で示して言った。「見かけは立派ですが、あくまでも開発用です。市販の安価な部品を寄せ集めてつくっただけのものです」。最もお金がかかった工程は、量子コンピューターをつくる方法を世界で初めて見つけるための作業だった。


ファインマン先生の発想

ほかの多くの物理学の概念と同じく、量子コンピューターもまた、リチャード・ファインマンの発想から生まれた。
1980年代、ファインマンは量子コンピューティングがまったく新しい計算手法になりうることを示した。宇宙からわたしたちの脳まで、マクロスケールの世界はきわめて安定しているように見える。しかし、それはわたしたちが原子より小さな量子の世界を知覚できないがためにすぎない。そこは、はるかに奇妙な世界だ。

例えば光子(光やX線のような電磁エネルギー)は、わたしたちがどう見るかによって、波のようにも粒子のようにも振る舞う。さらに奇妙なことには、2つの素粒子の量子状態を互いに関連づけ、一方を変化させるとそれにあわせて他方も変化するような状態をつくることができる。これは、量子もつれと呼ばれ、2つの粒子がたとえ数マイル離れていても、その間を光速より速く情報が伝わっているように見える、未知のメカニズムだ。

これら量子力学の知見をもとにファインマンは、もし思い通りに素粒子の状態を制御でき、量子重ねあわせ状態(2つ以上の状態が同時に存在するような状態)をつくることができれば、まったく新しい計算方法が得られることを示した。古典的なコンピューターでは、ビットは電荷によって実現され、オン/オフ、あるいは、0/1のどちらかをとる。一方、量子コンピューターではその両方の状態を同時にとることができる。


素因数分解のアルゴリズム

長らく思考実験にすぎなかったこの概念が大きな注目を集めるようになったのは、1994年、数学者、ピーター・ショアが、巨大な数を素因数分解する量子アルゴリズムを発見したことによる。暗号化・復号化を扱う分野である暗号学の根幹には、ある数学的知見がある。それは、2つの巨大な素数を掛けあわせてできた数を、元の2つの素数に分解する作業は恐ろしく困難である、というものだ。この作業を行うには膨大な数のプロセッサーと長大な時間が必要で、現実的には不可能だ。しかし、もし量子コンピューターとショアのアルゴリズムを組み合わせれば、この状況はまったく変わる。現存するあらゆる暗号が解読できてしまうのだ。「突如として」と前置きし、IBMの量子コンピューター研究者、ジョン・スモリンは言った。「誰もが量子コンピューターに飛びつきました」。

そのひとりが、ローズだった。学者夫婦の家庭に生まれた彼は、オンタリオの田舎で育ち、やがて物理学と人工知能に興味をもつようになった。ブリティッシュコロンビア大学の博士課程に在籍していた1999年、彼は、スティーヴン・ホーキングの研究助手を務めた経歴をもつNASAの科学者、コリン・ウィリアムズが書いた『量子計算の探索(Explorations in Quantum Computing)』という本を読んだ。量子コンピューティングの黎明期に、その原理を示した本のひとつだ(ウィリアムズは現在D-Waveで働いている)。

その本を読みながら、ローズは2つの思いを強めていた。そのひとつは、自分は学問の世界に進むことはないだろうということ。「科学の世界に俺の居場所は見つけられなかった」と彼は言っている。もうひとつは、レスリングで鍛えた粘り強さや不屈の精神は、起業家に向いているということだ。「俺は野心的なものごとをまとめあげるのに長けている。どんなことでも、けっして不可能とは思わないからね」。当時、賢い人々でさえもが量子コンピューターは実現不可能と考えていたころ、ローズはそれを実現するだけでなく、実際に販売もしたいと考えるようになった。
 
起業論を教える教授から10万ドルの投資を受け、ローズは大学の同僚たちと共同でD-Waveを設立した。彼らが目指したのはインキュベイター型の経営だった。この機械を実現できそうな人材を見つけたら、とにかく投資しようと考えたのだ。問題は、そんな人材はどこにもいなかった、ということだ。


「ゲートモデル」のパラドックス

当時、ほとんどの科学者は「ゲートモデル」と呼ばれる量子計算手法を研究していた。この方法はイオンや光子を量子ビットとして使い、それらをつないで現在の電子回路と同等の論理ゲート(AND、OR、NOTなど)をつくり、その組み合わせによって演算回路を構築するものだ。現在のコンピューターとの違いは、言うまでもなく、重ねあわせや量子もつれ、量子干渉という物理現象によって、量子ビットはより複雑な方法で互いに干渉しあうことにある。

量子ビットは、コヒーレンスと呼ばれる重ねあわせ状態にいることを好まない。空気中のたったひとつの分子でも、量子ビットのコヒーレンス状態を壊してしまう。量子状態を観測するという単純な行為すら、すべての状態が同時に存在する量子状態を壊し、確率論的で単調な、非量子的な現実世界に連れ戻してしまう。熱(物理学用語で言う「ノイズ」)が量子コンピューターを破壊し、役に立たないものにしてしまわないよう、量子ビットをあらゆるものから遮断する必要がある。

ここで困難なパラドックスが立ちはだかる。たとえ量子計算に成功しても、その結果を簡単に取り出すことができないのだ。観測した瞬間に量子の重ねあわせ状態は壊れ、単一の状態になってしまう。これでは、いくつもの可能性のひとつをただランダムに取り出しているだけで、正しい答えは得られない。コンピューターに問いを投げかけても、返ってくるのはただのゴミというわけだ。

このやっかいな原理が存在するために、科学者たちはせいぜい数量子ビットのシステムしかつくることができず、高速に作動はしても、取るに足らない小さな問題しか解くことができなかった。ローズにとって数量子ビットではなんの意味もない。彼は、1,000量子ビットのシステムを実現し、10年以内に実際に販売したいのだ。そのためには、ノイズに強く、壊れにくい量子ビットをつくる方法が必要だった。


量子アニーリングの可能性

2003年、NASAジェット推進研究所のエリック・ラディジンスキーと出会ったローズは、ついにその方法を見つけた。
ラディジンスキーは背の高い、スポーティな科学者で、超伝導量子干渉計(SQUID)の専門家だった。彼は、ニオブ製の微小なループ回路を絶対零度近くまで冷却すると、ループのまわりに互いに逆方向を向いた2つの磁場が同時に現れることを見つけた。物理学者にとって電場と磁場は同じものなので、ラディジンスキーはこれを2つの電子の重ねあわせ状態だと解釈した。彼はまた、各ループの間に量子もつれ状態をつくれば、量子トンネル効果によって、あるループからほかのループへ電荷を移動できるだろうと考えた。つまり、ニオブ製のループは量子ビットになると考えたのだ(ある方向の磁場を1、逆の方向の磁場を0と考えればよい)。そして、なにより好都合なのは、ループのサイズは数分の1mmと比較的大きく、一般的な半導体工場でも製造できそうなことだった。

2人は最初、このニオブ製ループを使ってゲートモデルの量子コンピューターを開発しようと考えていた。しかし、ゲートモデルは外部のノイズやタイミングのずれの影響を受けやすいという懸念があったため、より容易に製造できる別の方法を採用することにした。断熱アニーリングと呼ばれるその方法は、数学的なルールをもつ最適化問題を解くのに特化した手法だ。最適化は、とりわけ重要な応用分野で、機械学習を行う者なら──グーグルでも、ウォールストリートでも、医療分野でも──日常的に使っている。人工知能にパターン認識を学習させるのも最適化だ。誰もが知っているが、実際に扱うのはとても難しい。もしこの計算を高速化できれば、巨大な市場価値を生み出すだろう。ローズはそう考えた。

従来のコンピューター上で行うアニーリングは、次のようなものだ。まず、与えられた問題を数学的な山と谷をもった平面に変換する。目標はこの平面上で最も低い場所を探すことで、すなわち、そこがシステムの最適状態をあらわす点になる。このたとえに沿って言えば、コンピューターは平面上で石ころを転がし、石ころが止まった場所が、求める答えになるという理屈だ。しかし、石ころが止まった場所が必ずしも最も低い場所とは限らない。通常のアルゴリズムでは、周囲を囲む山の向こうにさらに低い場所があるかどうかを知ることができないからだ。量子アニーリングならこの限界を乗り越えられるはずだと、ローズとラディジンスキーは考えていた。量子ビットで満たした各チップのエネルギー状態を調整し、問題に対応する起伏のある平面に変換する。量子ビットどうしの重ねあわせや量子もつれのおかげで、各チップは山をすり抜けることができる。このため、最低地点ではない場所に量子ビットがつかまるおそれは従来の手法に比べてはるかに小さく、また、はるかに速く最適解にたどりつけるのだ。

さらに、量子アニーリングは先述したゲートモデルほど壊れやすくないはずだ、とローズとラディジンスキーは考えていた。個々の量子ビットが相互作用するタイミングを厳密にあわせる必要もなくなる。しかも、一部の量子ビットが量子もつれ状態やトンネル効果を示すだけでもより高速に解を計算することができ、量子コンピューターとして十分作動すると考えられた。そして、量子アニーリングが導く解は最低エネルギー状態であるため、解を取り出すための観測にも耐えやすく、よりロバストな(強靭な)システムだと予想された。
「断熱アニーリングは本質的に、ノイズの影響を受けにくいのです」。ローズがこの道に進むきっかけとなった本の著者、ウィリアムズは言う。


ベゾス・ウオール街・CIA

2003年には、この構想は投資家の関心を集めるようになっていた。ヴェンチャーキャピタリストのスティーヴ・ジュルヴェトソンはD-Waveが、検索エンジンから自律走行車まで、あらゆる人工知能開発を加速するコンピューター界の次の大波になると予想し、参入を決めた。
ウォールストリートの聡明な銀行が他社に先がけて量子コンピューターを導入し、まだ誰ももっていない優秀な売買アルゴリズムを開発すれば、間違いなく競争優位性を獲得できるだろう、とジュルヴェトソンは言う。彼は、D-Waveを所有する銀行家になることを想像する。「うまくやれば、莫大な金が転がり込むよ」。銀行にとって、1,000万ドルというコンピューターの価格は取るに足らないものだ。「D-Waveの独占的利用権を買ってもいい。すべての権利を手に入れたいね。わたしにとって考えるまでもないことさ」。

D-Waveは、アマゾンのジェフ・ベゾスやCIAのヴェンチャーキャピタル部門、In-Q-Telのような投資家や投資機関から、1億ドルを引き出した。
D-Waveの開発チームは、ブリティッシュコロンビア大学のレンタル・ラボに閉じこもり、この小さなニオブ製ループをどうやって制御すればよいかを試行錯誤しながら学んでいった。まもなく、1量子ビットのシステムができあがった。「ガムテープでつなぎあわせただけの、安っぽいものだったけどね」。ローズは言う。「その後、2量子ビットをつくり、さらに4量子ビットができた」。システムはさらに複雑になり、彼らはより大きな産業用施設に引っ越しした。

2007年までに、D-Waveは16量子ビットのシステムをつくることに成功した。実用的な問題を解く能力をもつ、最初のシステムだ。彼らはこのシステムに、数独パズル、ディナー・テーブルの着順問題、特定の分子と分子データベースとの照合という、3つの具体的な問題を解かせてみた。問題自体は旧式のデルのPCでも解けるようなものだが、いずれも最適化の問題だ。ローズたちのチップはそれらの問題を実際に解くことができた。「そのとき初めて、『これはすげえ』と思ったよ。だって、そいつは俺たちが計画した通りのことをやってのけたんだからね」。ローズは言う。「それまでは、うまくいくかどうかまったくわからなかったんだから」。しかし、16量子ビットのシステムでも、顧客が金を出してでも解きたいような問題を扱うには、まだほど遠いものだった。彼は開発チームに檄を飛ばし、1年間で3つの新しい設計を完成させた。そのたびに量子ビットの数は増えていった。

昼食をとるために一同が社内の会議室に集まったとき、ローズは、自分は人使いの荒い現場監督と呼ばれているんだ、と冗談を言った。開発を担当するヒルトンが、グーグルが購入したばかりの512量子ビットのチップを見せにやってきたが、ローズは1,000量子ビットのチップを要求した。「俺たちはけっして満足することはない。つねに、より良いものを求めているんだ」。
「ジョーディー(・ローズ)が考えているのは、目標に到達することだけです」。ヒルトンは言う。「いつも『次』を要求するんですよ」。


ロッキード・グーグル・NASA

2010年、D-Waveの最初の顧客が現れた。ロッキード・マーチンは当時、飛行制御システムに関する非常にやっかいな最適化問題と格闘していた。そこで、グレッグ・タラントというマネジャーが、チームを引き連れてバーナビーのオフィスを訪れたのだ。「そこで見たものに、わたしたちは強い関心をもちました」と、タラントは言う。しかし、彼らは確証が欲しかった。そこで、D-Waveを評価するため、あるアルゴリズムのなかのバグを見つけるという課題を与えてみた。数週間後、D-Wave上でバグを探索するプログラムが開発された。確信を得たロッキード・マーチンは、128量子ビットのコンピューターを1,000万ドルでリースし、南カリフォルニア大学の研究室に設置した。

次の顧客はグーグルとNASAだ。ローズの古い友人であるネヴンは、ローズと同じく機械知能に強い興味をもち、以前からグーグルに量子研究所をつくりたいと思っていた。NASAが関心を示したのは、数々の困難な最適化問題に直面していたからだ。「例えば、火星探査機キュリオシティをある地点Aから別の地点Bへ移動させるとき、可能な経路はいくつもあります。これは古典的な最適化問題です」。NASAのルパック・ビスワスは、そう説明する。しかし、グーグルの上層部に数百万ドルを投資させるためには、D-Waveが実際に使えることを示す必要があった。2013年の春、ネヴンは、D-Waveを一般的なコンピューターの最適化ソフトウェアと競わせる、一連のテストを考案した。このテストを実施するため、ローズは外部パートナーを雇うことに同意した。アマースト大学のコンピューター・サイエンティストであるキャサリン・マッギオークが、結果を公表することを条件に、テストの実施を担当することになった。


デスクトップPCとの対決

ローズは内心、うろたえていた。これまでさんざん大口をたたいてきた彼だったが──D-Waveは定期的にプレスリリースを出し、新しい機械を自信たっぷりに宣伝してきた──今回の対決に、彼の「ブラック・ボックス」が勝てる確信はなかった。「もしかしたら大失敗に終わるかもしれない」。ローズは言った。「彼女がそれを公表したら、目も当てられないことになる」。

マッギオークはD-Waveを、3種類の既存のソフトウェアと競わせた。そのひとつ、IBMが開発したCPLEXは、例えばコンアグラ・フーズ社で、世界市場と気象のデータから、小麦をいくらで売ればよいかを決定するのに使われているツールだ。残りの2つは、広く知られたオープンソースの最適化ソフトウェアだった。マッギオークは数学的に難易度の高い問題を3つ選び、D-Waveとレノボ製のデスクトップPCに解かせた。

その結果はどうだったのか? 全体としてD-Waveは互角に戦い、あるケースでは圧倒的な勝利を収めた。2つの数学的問題では、D-Waveは古典的なコンピューターとほぼ同じ速度、ほぼ同じ精度を示した。しかし、最も難易度の高い問題では、はるかに高速に問題を解いたのだ。CPLEXでは30分かかった問題を、D-Waveは0.5秒で解いた。これは、D-Waveが通常のPCの3,600倍高速なことを示し、D-Waveがその量子計算の威力を示した初めての客観的証拠に思えた。ローズはほっとした。彼はのちに、ベンチマーク部門の長としてマッギオークを雇い入れている。グーグルとNASAは購入を決断し、D-Waveは人類史上初めて量子コンピューターを実際に販売した会社となった
しかし、同時に問題も現れはじめた。


それはローストビーフサンドである

量子力学分野の科学者たちは、長らくD-Waveに懐疑的だった。学術界は一般的に、民間から生まれた大きな科学的進歩には疑いをもつものだ。彼らは「プレスリリースによる科学」を不快に思い、ローズの大げさな言動を怪しいと感じていた。当時、D-Waveは開発中のシステムについてほとんど情報を開示していなかったのだ。2007年、ローズが16量子ビットのシステムの記者会見を行った際、MITの量子科学者、スコット・アーロンソンはD-Waveが「産業界の最適化問題にとって、ローストビーフサンドイッチと同じくらいには役に立つだろう」と皮肉を述べている。加えて、科学者たちはD-Waveが最先端の技術レヴェルをはるかに超えていることにも疑念をもっていた。それまで得られていた最大の量子ビットは8個だった。D-Waveは500量子ビットのコンピューターだと主張している。そんなことは馬鹿げている。「D-Waveはノイズモデルを適切に考慮していないように思えたのです」。IBMのスモリンは言う。「当初は誰もが否定的で、うまくいくはずがないと思っていました」。
2011年、ロッキード・マーチンと南カリフォルニア大学がD-Waveを購入したことで、状況は変わった。この正体不明の機械がそれまでの誇大広告に値するものなのかどうかを、科学者たちが実際に試せるようになったのだ。D-Waveが南カリフォルニア大学に設置されてからの数カ月間に、D-Waveのテストをしたいと世界中から科学者が訪れた。


それは量子コンピューターなんですか?

知りたいことは、いたってシンプルだ──D-Waveは本物の量子コンピューターなのか?
D-Waveは問題を解くことはできるかもしれない。しかし、もし外部のノイズが量子もつれの状態を壊しているなら、量子のスピードは得られない。ただの高価な古典的コンピューターにすぎないのだ。ロッキード・マーチンにD-Waveの購入を勧めた、南カリフォルニア大学の量子科学者ダニエル・リダーは、この問いに答えるための巧妙な方法を見つけた。彼はD-Waveに数千個の問題を解かせ、その「正答率」(どれくらいの割合で正しい答えにたどりついたか)と、試行回数の関係をグラフ化した。最終的に得られたのはU字型のカーヴだった。これは、このコンピューターは、ある問題に対して常に正しい答えを出すか、常に誤った答えを出すか、そのどちらかだということを示していた。古典的なコンピューターでアニーリング法による最適化を行った場合はまったく逆の傾向になった。中央が隆起した、丘のような分布になったのだ。D-Waveはあきらかに古典的コンピューターとは異なった振る舞いを示していた。

リダーはまた、古典的コンピューター上で量子計算を模擬するアルゴリズムを走らせてみた。高速ではないが、量子コンピューターと同じ方法で計算していると考えられる。その結果は予想通り、D-Waveと同じU字型を示した。D-Waveの振る舞いは少なくとも、古典的コンピューターよりも、量子コンピューターのシミュレーションに近かったのだ。
これにはアーロンソンでさえ動揺した。彼は、この結果は量子的振る舞いの「合理的な証拠」であり、リダーの実験で得られた解答パターンを見る限り、「量子もつれを否定することはできない」と述べた。多くの科学者が同じように答えた。


インテルPCに勝てない

しかし、真に量子コンピューターと呼ぶには、アーロンソンの言う「量子的かつ有効(プロダクティヴリィ・クオンタム)」である必要がある。要するに、実際に計算を高速化できなければならない。量子科学者たちは、マッギオークが行った比較は公平でないと指摘した。D-Waveのコンピューターは最適化問題に特化したものだが、マッギオークは汎用なソフトウェアと比較しただけだ、というのだ。

そして、この勝負を五分五分に戻したのが、マシアス・トロヤーだ。チューリヒにある理論物理学研究所でコンピューター・サイエンティストを務めるトロヤーは、プログラミングの天才、セルゲイ・イサコフに、20年前クレイ・スーパーコンピューター用につくられた最適化ソフトウェアを改造させた。数週間かかって改造が完了すると、トロヤーとイサコフは何万個もの問題をD-Waveと、改良したソフトウェアをインストールしたインテルのデスクトップPCに解かせた。

今回は、D-Waveは高速だとは言えなかった。従来機より勝ったのは、ある分野のいくつかの問題だけで、それ以外ではほとんど互角だった。「量子的な振る舞いの証拠は何ひとつ見つからなかった」。トロヤーは論文でそう結論づけた。ローズは数百万ドルを費やしたが、インテルPCを打ち負かすことはできなかった。

さらに悪いことに、問題が難しくなるにつれてD-Waveと古典的コンピューターの計算時間はほぼ同じように増加した。これは大きな問題だ、とトロヤーは言う。もしD-Waveが本当に量子力学を応用したものなら、このような結果にはならない。問題が難しくなればなるほど、インテルPCとの差は広がるはずだ。トロヤーたちは、D-Waveが量子的な性質をもっているのは事実だが、それを有効に利用できていない、と結論づけた。その理由としてトロヤーとリダーは、おそらく十分な「コヒーレンス時間」がとれていないのだろう、と言う。何らかの理由でニオブ製ループの量子状態が持続できず、量子ビットが壊れてしまっているのではないか。

もしこれが真の原因なら、この問題を解決するひとつの方法は、より多くの量子ビットを使ってエラー訂正を行うことだ。D-Wave上で演算の正誤を確認するには、さらに100個──あるいは1,000個──規模の量子ビットを加える必要があるだろう、とリダーは考えている(ただし、この物理的現象は新しく、なじみがないものなので、どのようにエラー訂正を行えばよいかについては彼もはっきりとわかっていない)。「誰もが合意しているのは、エラー訂正がなければこの機械は離陸できない、ということだ」と、リダーは言う。


コードネーム「ワシントン」

トロヤーの調査にローズはこう反応した。「まったく、くだらないね」。
D-Waveはカナダのひと握りの人間が、まったくのゼロから革新的なコンピューターをつくり上げた野心的なスタートアップ企業だ、と彼は言う。この点で言えば、トロヤー側は有利な立場にある。標準的なインテルCPUと旧式のソフトウェアとはいえ、数十年の実績と何兆ドルにも値する投資に支えられているからだ。D-Waveにとっては、互角に戦っただけでも十分といえるかもしれない。「トロヤーは世界最高峰の科学者チームによって開発された最高のアルゴリズムに、俺たちのプロセッサーと対抗するための精巧なチューニングを加え、人類がかつてつくった最速のプロセッサー上で走らせたものだ」と、ローズは言う。そしてD-Waveは「いまや、それと互角に戦えるようになった。これは素晴らしい進歩だ」。

しかし、速度の問題はどうなるのだろう?「キャリブレーションエラーだよ」と彼は言う。D-Waveのプログラミングは人間が行う。それぞれの量子ビットを、問題の解空間上で適切なレヴェルになるようにひとつずつ調整していくのだ。もしその値が微妙に違っていても「間違った問題をチップに設定してしまうことになる」とローズは言う。ノイズについてはまだ課題だとローズも認めている。しかしこの秋に完成する次のチップ(コードネーム「ワシントン」と呼ばれる、1,000量子ビット版)では、ノイズをさらに低減できる見込みだ。開発チームはループの材質をニオブからアルミに変え、酸化物の蓄積を低減することを目指している。「月と同じくらい巨大なやつ(古典的コンピューター)を光速のケーブルでつないで、グーグルがかつて開発した最高のアルゴリズムを走らせたとしても、関係ないね。それでも俺たちの機械にはぶったまげるさ」。ローズはそう言い、少し控えめに付け加えた。「そう、誰もがそこに行きたいと期待しているけど、ワシントンではまだ無理だ。ただ、ワシントンはそこへ向かうためのひとつのステップになる」。


ゴルフ場とアルプス山脈

こういう見方もある、と彼は言う。いままで行われてきたD-Waveの評価の原因は、間違った問題を与えてきたことにある、というのだ。このコンピューターは、もっと難しい問題を必要としているのではないか。
これは、表面的には馬鹿げて聞こえる。もし旧式のインテルPCがD-Waveに優るなら、どういう根拠で、問題が難しくなればD-Waveが勝つといえるのか? トロヤーがD-Waveにランダムに問題を与えた結果、D-Waveが勝てたのは特定の狭い分野だけだった。ローズは、なぜその分野でD-Waveが古典的コンピューターに対して優位性があったのかを詳しく調べることが鍵だ、と考えている。つまり、D-Waveが得意とする問題がどのような種類のものかを見出す必要があるというのだ。

テキサスA&M大の量子科学者、ヘルムート・カーツグラバーは、この春、ローズと共著で出した論文で、ローズの考察を支持している。カーツグラバーは、いままでD-Waveに与えてきた最適化問題は単純すぎると主張する。最適化問題を、でこぼこの平面上で最も低い場所を探すことにたとえるなら、いままでの問題は「起伏の大きなゴルフコース程度にすぎない。D-Waveは、もっと過激な、アルプス山脈のような最適化問題を必要としていると思う」。

これは、よくある、目標を変えるだけのごまかしにも思える。D-Waveは、自分が勝つまで問題を再定義し続けているだけではないのか。しかし、D-Waveの顧客は、実際にそうする必要があると考えている。彼らは何度もテストを重ね、D-Waveが得意なことを見つけようとしている。ロッキード・マーチンのグレッグ・タラントは、D-Waveはある種の問題は高速に解くが、ほかの問題ではそうではないという結果を得た。グーグルでは、ネヴンが50万個ものプログラムをD-Wave上で走らせ、同じような発見をしている。彼は、モバイル機器向けの、従来よりはるかに効率的な画像認識アルゴリズムの学習プロセスにD-Waveを活用した。また、シリコンベースのPC上で走るどのプログラムよりも優れた自動車認識アルゴリズムを開発した。現在はGoogle Glass用に、人が(故意に)ウインクしたことを認識し、写真を撮影する方法を開発中だ。「手術を行う外科医は、大小さまざまな種類のメスを使います。量子最適化は非常に鋭いメス、つまり、特別な用途にのみ使う道具だと考えるべきでしょう」。


それは突然はじまらない

量子コンピューターへの夢は、暗号解読や多元的宇宙、あるいは、計算の世界が根底から覆されてしまうというような、SF的な期待や過熱した報道のなかで語られてきた。しかし、現実の量子コンピューターは、問題を表現するのに特別な言葉が用いられる特殊な分野から、少しずつ、傍流的に実用化されるのではないだろうか。量子コンピューターはわたしたちのスマートフォン上では動かない。しかし、グーグルが行う量子計算のなかから、スマートフォンの音声認識学習を高度化するものが生まれ、その結果、音声認識の精度は改善されるだろう。もしかしたら、顔認識や手荷物の判別の学習に使われるかもしれない。あるいは、かつての集積回路と同じく、安定して動く製品ができるまで最適な利用方法は誰にもわからないかもしれない。それが、この長らく期待されてきた革命的なテクノロジーに対する、より正しい見方かもしれない。量子時代は突然はじまるのではなく、じわじわとやってくるのだ。

CLIVE THOMPSON | クライヴ・トンプソン
D-Waveと同じカナダ出身のジャーナリスト。VOL.10では現代美術家ダグ・エイケンの記事を執筆。著書に『Smarter Than You Think』がある」

http://wired.jp/2015/01/03/dwave-vol14/

湯川秀樹、坂田昌一、武谷三男等が原発製造の中心にいた事実

2014-05-27 18:56:20 | 科学
 戦時中の原発開発計画には湯川秀樹、坂田昌一、武谷三男等、戦後の反核運動の中心人物がいた。彼らはまずなぜ核開発にたずさわり、そしてなぜ戦後は立場を変えるのか、きちんと表明すべきだったと思う。

 詳しくは→福井「日米の原爆製造計画の概要」http://watanaby.files.wordpress.com/2013/03/fukui-6a.pdf

イプシロン打ち上げ成功

2013-09-14 17:21:00 | 科学
 イプシロン打ち上げ成功。

 ⇒http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130914/t10014538891000.html

 良かった。もっと予算を投入し、航空宇宙産業を本格的に育てる必要がある。

 でないと日本の製造業は単なる部品屋になってしまう。

「すべてを公開せよ」と宣言した若きネット活動家の最期

2013-01-29 19:48:35 | 科学
「「すべてを公開せよ」と宣言した若きネット活動家の最期

アーロン・スワーツが目指した理想のネット世界

The Economist  【プロフィール】 バックナンバー2013年1月25日(金)1/3ページ

 ]若き天才プログラマーであり、ネット活動家として知られたアーロン・スワーツ氏(26歳)が自殺した 。同氏は、何の規制も制約もない自由な情報の公開・流通を目指した。スワーツ氏は、どのような人物だったのか]

 アーロン・スワーツ氏*1の人生には、狭くて暗い、散らかった場所が欠かせなかった。極端な近視だったスワーツ氏は、ケーブルの束が床を這い、ハードディスクが積み重なる寝室で、ノートパソコンのMacBook Proの上にかがみ込み、画面に触れるほど顔を近づけて日々を過ごした(どうしてノートパソコンの画面は目の高さにないのだろう、と彼は疑問に思っていた)。

 多くの利用者を集めるコミュニティサイト「レディット」*2のシステムを猛烈な勢いで開発していた2005年、スワーツ氏は同サイトの3人の共同創業者と一緒に、マサチューセッツ州サマービルのシェアハウスで暮らしていた。彼のベッドはクローゼットの中だった。

 スワーツ氏が2010年11月に、自分のノートパソコンを密かに隠しておいたのも、米マサチューセッツ工科大学(MIT)の地下にある狭い配線室の中だった。そこは鍵のかからない小部屋で、ホームレスがここに荷物を置いたりしていた。スワーツ氏はこの部屋で、隠したパソコンをMITのコンピューターネットワークに直接接続した。

囲い込まれた学術論文を“解放”

 スワーツ氏の目的は、学術誌のアーカイブ、JSTOR*3から、できる限り多くの論文をダウンロードすることだった。JSTORを利用するには有料登録が必要。図書館や学術機関などからしかアクセスできなかった。

 スワーツ氏は、JSTORのこのようなあり方は道徳的に間違っていると考えた。そこに収められた知識は、誰でも無料で利用できなければならない、と(結局のところ、その知識の多くは公的な資金によって得られたものなのだ)。

 そして、この知識を誰でも利用できるようにすることは、ばかばかしいほど簡単だった。スワーツ氏は図書館のネットワークへのアクセス権を既に有していたため、システムに不正に侵入する必要などなかった。自分のパソコン上で「keepgrabbing.py」というプログラムを普通に走らせ、JSTORから480万本の論文を恐ろしいほどの速度で“解放”した。

 MITはこの流出を食い止めようとしたが、スワーツ氏はその都度対策の裏をかいた。ついにはMITの配線室でネットワークに直接ノートパソコンをつなぐという手段に出たのだった。

 スワーツ氏は、これ以外でも同じことをしている。それも何度もだ。2006年には連邦議会図書館の蔵書目録(この閲覧には法外に高い利用料が必要だった)を手に入れ、「オープン・ライブラリー」*4に投稿して誰でも無料で閲覧できるようにした。

*1=Aaron Swartz。カタカナでシュワルツとも表記されるが、実際にはスワーツまたはスウォーツに近い音で発音されることが多い。

*2=Reddit。誰でも自由にコメントや他サイトへのリンクを投稿できるスレッド形式の掲示板。投稿やコメントをプラスとマイナスで評価することができる。このタイプの掲示板としては、現在最も多くの利用者を集めている。

*3=Journal Storage。現在約1500タイトル、40万号の学術誌を電子化してアーカイブしている。非営利団体のITHAKAが運営する。

*4=Open Library。スワーツ氏自身が主導して立ち上げたウェブ上のデジタル図書館。カリフォルニア州立図書館とケール・オースティン財団が出資する非営利団体が運営する。

2009年には、連邦裁判所のすべての電子記録を保存するPACERシステムから誰にも気づかれないうちに1990万ページの文書をダウンロードし、クラウドのデータベースにアップロードした。この時は、PACERシステムが試験的に無料利用を実施したのに乗じて、ある公共図書館からアクセスした。これもまた容易な仕事だった。Perl(パール)というエレガントで軽量なプログラム言語を使い、文書を手にした。

ウェブの進化に貢献

 プログラムを書いて情報を自由化すること――どうやらスワーツ氏は、幼い頃からこの作業をずっとやってきた。父親はIT企業の経営者で、アーロンが生まれた時、家の書斎にごく初期のマッキントッシュがあった。ぽっちゃりとした読書好きのアーロン少年は、12、13歳の頃には、ウィキペディアの先駆けとも言える「theinfo.org」というサイトを立ち上げた。世界中の知識を1つのウェブサイトに集めようという試みだった。

 それからほんの1年ほど後、ワールドワイドウェブの開発者であるティム・バーナーズ=リー氏と協力して「セマンティック・ウェブ」の構想を立ち上げた。そして、データ共有の方法を進歩させ、動画やニュース記事の配信に用いるRSS 1.0という規格の開発に携わった。

 また、著作権のライセンス供与を単純化するクリエイティブ・コモンズの開発にも貢献した。

 スワーツ氏はこういった活動で莫大な収入を得られたかもしれない。だが、金銭的なことにはあまり関心を抱かなかった。彼は世界をより良く、より自由で、より進歩的な場所にすることを望んでいた。

ネット自由主義の活動家として

 スワーツ氏は、高校もスタンフォード大学も中退した。その後、膨大な本(それも多くは哲学書)を読み、独学で学んだ。友人を作っては大喧嘩をして別れた。理由は、彼らが自分のような完全主義者ではないことだった。会合に出席する時は、髪の毛はぼさぼさで無精髭も剃らず、内気なオタクといったいでたちだった。だが黒い目の光は強く、ときおり、社会をひっくり返してやるというような青年らしい不敵な笑みを浮かべた。

 レディットを2006年に米コンデナスト*5に売却した時には大金が入ってきたが、新しいオフィスでの仕事には惨めな思いが募った。米グーグルからの誘いがあったが、刺激的でないからと断った。スワーツ氏の気持ちを捉えたのは政治運動だった。

 スワーツ氏は、オンラインですべてが自由に入手できる世界--エリートや金持ちによって何かを隠されたり、検閲を受けたりすることがない――を求めた。2008年に書いた「ゲリラ・オープン・アクセス・マニフェスト」で、彼はこう宣言している。情報は力である。ネットに接続する自由を得るための戦いは、「こっそりと」「暗闇の中で」「秘密裏に」行わなければならない、と。

*5=Conde Nast Publications。ファッション誌『ヴォーグ』、『GQ』のほか、技術カルチャー誌『ワイアード』(ウェブ版も含む)などを発行する世界的な出版社。

 米下院の超党派グループが2011年にオンライン海賊行為防止法案(SOPA)*6を提案した際、スワーツ氏は最も激しく反対の声を上げた。2012年、法案の死を最も誇らしげに宣告したのもスワーツ氏だった。

心身を病んだ末に

 だが、JSTORの一件が大問題となって降りかかってきた。MITの配線室にノートパソコンを取りに戻ったスワーツ氏を、大学警察が逮捕したのだ。容疑は通信詐欺、情報窃盗など13件。この春には裁判が行われることになっており、有罪になれば最大35年、刑務所に入る可能性があった。

 連邦検察官の起訴内容は、実際にスワーツ氏が行ったことに比べてあまりにも大げさすぎた。MITもJSTORもスワーツ氏と和解していた。特にJSTORは、その後、アーカイブの一部を公開した。まるでスワーツ氏に言われて目が覚めたと言わんばかりだった。だが検察官は、盗みは盗みだと言い張った。

 こうした事柄が長年にわたり、スワーツ氏に少しずつのしかかっていった。彼はブログの読者に向けて、「上を見よう。下を見るな」と書いている。「自分の欠点を認めよう」。「痛みを進んで受け入れよう」。だが、自身がそのアドバイスを受け入れることは難しかった。

 体調は崩れていった。同時に複数の病気に苛まれた。偏頭痛が頭を切り刻み、身体は焼けるように痛んだ。1日の大半の時間を暗い気持ちで過ごした。悲しみが痛みの筋となって身体を貫いた。本も、友人も、哲学も、ブログでさえ救いにならなかった。唯一彼が望んだのは、部屋の灯りを消し、ただひたすらベッドに横たわっていることだった。

 スワーツ氏は2002年に、自分が死んだらどうしてほしいか、という希望を自身のサイトに投稿した(最後に「まだ死んでないけどね」と付け加えている)。

 墓に埋めるのはかまわないが、身体の上に土をかけずに、酸素が通るようにしておくこと。そして自分のハードディスクに残っている内容はすべて公開すること。何も削除してはいけない。何も公開を控えてはならない。何も秘密にしてはいけない。一切、課金してはならない。あらゆる情報を白日の下にさらすこと。すべてがそうあるべきであるように。*7

*6=Stop Online Piracy Act。著作権者や行政の権限を大幅に拡大する法案。ある著作物のオンラインでの掲載を禁止するよう、裁判所に求められるようにする内容だった。スワーツ氏らの反対運動や、オバマ政権による一部条項への反対などにより、2012年初めに事実上の廃案となった。

*7=この部分は、スワーツ氏の言葉を引用したものはない。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130123/242693/?P=1

「日本人は「ロボットの心」を創れますか?」

2013-01-29 19:43:09 | 科学
「日本人は「ロボットの心」を創れますか?

スタンフォード大学名誉教授、エドワード・ファイゲンバウム氏に聞く

原 隆 、 瀧口 範子  【プロフィール】 バックナンバー2013年1月28日(月)1/6ページ


 [日経ビジネスが新年より4回に渡って掲載してきた「動き出す未来」のシリーズ特集も1月28日号で最終回を迎える。1月28日号の特集のテーマは「インターネット」。普及期に入ってからまだ20年にも満たない歴史の浅いインターネットだが、今では企業、個人問わず、仕事や生活に欠かせないライフラインとしてその存在感を増している。日進月歩で急速な変化を続ける、この業界の未来を描くのは難しい。特集の執筆にあたり、日経ビジネスは様々な賢人たちに取材を進めた。「賢者が描く10年後のインターネット」では、世界の賢者の中から、選りすぐったインタビューを掲載する。第1回目はスタンフォード大学で名誉教授を務め、AI(人工知能)分野における「エキスパートシステムの父」と呼ばれるエドワード・ファイゲンバウム氏。本誌の特集「シリーズ動き出す未来(4)ネット化する70億人」とあわせてお読みいただきたい]


AI(人工知能)分野で長きにわたって活躍されています。インターネットの行く末をどう見ているのでしょうか。

 インターネットは例えて言うならばハイウェイです。交通インフラの整備が人々の未来をどう変えたのかを語る上で、道路そのものを見てしまうと問題は正しく捉えられません。むしろアトム(物質)からビット(デジタル)への世界を見ることが正しい解へと導いてくれるでしょう。

 私に今、レンズを向けているカメラマンの方を例に取りましょうか。15年前、カメラマンはフィルムを使ってアトムの世界の写真を撮影していました。今、誰しもがデジタルカメラで撮影します。家に帰れば写真のデータをパソコンに移し、画像編集ソフトで操作するでしょう。このインタビューは紙に載るのかな?オンラインに載るのかな?もしこれがオンラインに記事として公開されるのであれば、写真はずっとビットのままです。つまり、アトムが存在しない社会が訪れているという点が重要です。

 米国の映像制作会社でピクサーという会社があります。米アップルの創業者である故スティーブ・ジョブズ氏が買収した会社として有名ですよね。ピクサーはディズニーのアニメで活躍していた300人のアニメーション制作技師の仕事を消失させました。デジタルで制作し、デジタルで転送して、デジタルでプロジェクターから映す。アトムが入る余地は無くなったわけです。電子書籍も同じ。米国での電子書籍の売り上げは昨年、一昨年の2倍に膨れあがりました。加速度的にアトムが消えゆく世界になっている。

 こうしたことを踏まえた上でインターネットを見てみましょう。ハイウェイをドライブする上で最も重要なものは何か。それはインタフェースです。素晴らしいインタフェースが無ければドライブそのものが快適ではなく、遠くまで行くこともできなくなる。インタフェースを差異化するものこそ、AIのプログラムなんです。

 私はアップルのスマートフォン「iPhone 4」も「iPhone 4S」も持っています。どちらも見た目は一緒ですが、1つだけ違う点がある。それは音声で様々なアシスタントをしてくれる「Siri(シリ)」です。Siriはもともと政府の補助金によって、3億ドルもの大金をかけて始められました。スタンフォードリサーチセンター(SRI)で研究が始められ、そこからスピンアウトして「i」を付けて「Siri」と名付けられました。

AIの重要性に気づいたジョブズ氏

 ジョブズ氏はAIのプログラムがハイウェイを走る上で重要で、かつ差異化のために必要不可欠であるということを認識していました。だからこそ買収に動いた訳です。

 Siriはまだ完璧ではありません。ただ、インタフェースの意味を変えました。昔だったら電話を見て、手で指図していましたが、今なら自然言語で「ノースビーチの一番よいイタリアンレストランはどこ?」「誰々に電話をかけてくれ」といったことができます。そして「日本のGDPデータの過去10年間分を取ってきて米国のGDPと比べてグラフ化してくれ」といったこともできるようになっていきます。

 私はAIはITのどこに統合されるようになるのかという質問をよく受けます。ここでよく話すのは「How(どのように)」と「What(何)」の違いです。Howというのはステップごとに指示が必要で、これをやったら次はこれをやってという非常に馬鹿なステップを踏まなければなりません。

 ところが、Whatというのは「こういうことがやりたい」「あの人のことが知りたい」に答えるということです。Whatで問いかければAIがそれを理解する訳です。つまり、AIはWhatという問いかけに返すために最も重要な要素な訳です。とはいえ、ちゃんとした話し方、分かりやすい言葉を使わなければならないなど、完成型には至っていません。ただ、「なぜ空は青いのか」とグーグルで検索すれば様々な答えが返ってきます。これは過去に検索した人がいたからです。いずれは、もごもご話をしても、曖昧な問いかけをしても、AIは理解するようになります。

 これをITで実現していくのは、とても難しいことなんですね。というのは、AIを鍵に素晴らしいインタフェースを作るのは、過去の延長線上でやっていれば実現できるということでもない。イノベーションとしての飛躍がなければならないんです。だから米国防総省の機関であるDARPA(国防高等研究計画局)が3億ドルもかけてSiriを開発したのは、それだけのイノベーションが必要だったということなんです。

AIの観点から見て、どの企業が次の10年の主導権を握ると見ていますか?

 グーグルは創業当初から世界の情報を整理すると語っていたように、極めてAIの傾向が強い会社です。そのうえ、自動走行車の実験をしたり、超高速光ファイバー事業を始めたりと、何にでも挑戦する文化を持っています。世界中の最も優れた人々が集まっている会社で、まさにイノベーターにとっての天国と言える。次の10年も覇者であり続ける可能性は十分あるでしょう。

 一方、アップルもまたデザイン、品質、カスタマーサービスの分野で驚くべきことを成し遂げた企業と言えます。この会社には昔から偉大なソフトウエアを作るんだという意気込みがありました。アップルは今、AIの技術を習得する過程にあります。恐らく、様々な端末やサービスでAIを活用するようになるでしょうね。

 今年、米アップルがテレビを出すと噂されていますが、Siriを載せてくるでしょう。例えば「黒澤のサムライの映画で無料放映があったら録画をしておいてくれ」と音声で指示すれば勝手に理解して録画してくれるようになる訳です。もちろん手でも操作できますが、どうしても時間がかかってしまいます。アップルは今後のロードマップにおいてSiriが大切になるということを理解しています。

 パソコンの時代を引っ張ったマイクロソフトの存在も忘れてはいけません。「マイクロソフトリサーチ」は世界で最も優れたコンピューター、及びIT(情報技術)の研究所です。マイクロソフトはつい最近まではIT業界における売上高1位を目指していたが、革新的な製品に対する需要が高まっていると見て、死に物狂いで企業文化を変えようとしている。今後、優れた研究の多くが製品となって生み出されていくでしょう。眠れる巨人が目を覚ましつつある、とでも言いましょうか。

 ただ、いずれにしてもどの会社も大きな障害にぶち当たるのは分かっています。インタフェースをAIと統合するテクノロジーを成功させるためには、長い時間、何度も繰り返して取り組むことしか解決策はありません。

 そして日経ビジネスの読者の皆さんに特に申し上げたいことがあります。次の10年間を主導していく企業の話の中で、日本企業がこうした議論に列挙されることがありません。この背景を特に私は主張したいのです。

目に見えないソフトウエアを軽視する日本

確かにインターネット業界における日本企業の存在感は現時点で薄いと言わざるを得ません。教授は日本企業の弱点がどこにあると見ていますか。

 先ほども申し上げたような世界を実現するのは極めて難しいことです。日本企業がアップルやグーグル、マイクロソフトに追いつくのは不可能と言わざるを得ない。この理由は明確です。日本はこの手の開発をしてこなかったからです。

 ソフトウエア開発が得意ではないことに加え、この問題を真剣に捉えようとしませんでした。ソフトウエアは蒸気のようなもので目に見えません。つまりアトムではありません。日本のビジネス文化は目に見えないソフトウエアの重要性を理解しませんでした。大学を卒業し、電気エンジニアとして働くことが良しとされ、プログラマーは活躍の場もなく、正当な評価もされなかった。

 そのうちプログラマーはソフトウエアエンジニアと名を変えましたが、このときも日本の人たちは笑いました。空気をやり取りしているだけじゃないかとね。この認識は日本の文化に根深く残っており、その認識が大学や企業、デザイン分野に関してまで影響を及ぼしています。

 ソニーがアップルのiPodを見たときに「これはウォークマンキラーになってしまう」ということには気付きました。そしてiPod対策として実に綺麗なプロダクトを作りました。ただ、それは形こそ綺麗でしたが、ソフトウエアが極めてお粗末でした。ソニーが今、うまくいっていないのは必然と言えます。

 日本がこの状況を正しく理解するためには、Siriが開発され、iPhoneに統合され、我々が使うまでのプロセスに目を向けなければなりません。まず、Siriの原型は米政府の補助金でプロジェクトとして始まりました。DARPAの中に、その必要性を理解するマネージャーがいたわけです。もちろん日本でも補助金の出るプロジェクトはあります。だが、その後が決定的に違う。

 プロジェクトの終了とともに、米国では製品化するために企業が興される訳です。そして大企業がその会社を買収した。こういう一連のプロセスがあって、革新的な技術が実用化されているということが、日本ではあまり理解されていないように思います。

 もちろん米国でもグーグルやフェイスブックのように、買収されずに巨大化する企業はあります。あのマイクロソフトですら検索エンジンの開発には乗り遅れました。グーグルの対抗策として彼らは「Bing(ビング)」と呼ぶ検索エンジンを開発しましたが、AIの要素が必要になり、ワシントン大学の先生が開発していたものを買い取り統合させました。それで登場したのが「Bing Travel」です。私はこのサイトはかなりいいサイトだと評価しています。だがこうした動きは、日本ではあまり理解されていません。

教授が日本のテクノロジー業界に造詣が深い理由に、過去、深く関わったプロジェクトがあります。日本で1981年、通商産業省(現:経済産業省)が立ち上げた国家プロジェクトです。世界で先を行こうとする「第五世代コンピューター」を作る構想が生まれ、92年に開発が終焉しました。570億円もの大金を投資して実にならなかったとして当時、話題になりましたね。

 教授は「第五世代コンピュータ― 日本の挑戦」と題した書籍を出すなど、同プロジェクトに多大な関心を寄せ、深く関わられていました。大きな失敗として語られることの多いプロジェクトですが、この理由をどう分析していますか?


写真:KOICHIRO HAYASHI
 まず、最初に申し上げたいのは、当時、研究者のトップであった渕一博さんは、それはそれは素晴らしいアイデアを持っていた方ということです。このプロジェクトにはAI分野の進化を大幅に進めること、主要なAIアプリケーションを創ること、並列コンピューターを使って処理を高速化させることなど複数の目的がありました。私はこのプロジェクトに関心があり、淵さんを含めかなりの方々と親交を深めました。

 あれはちょうどプロジェクトの中間地点である5年が経過したときです。私は日本で開催されたシンポジウムで講演をしました。そこで私はとにかく早くアプリケーション開発に着手すべきだと口を酸っぱくしてアドバイスしました。私はアプリケーション側の人間ですから、開発に時間がかかることは分かっていました。10年くらいは軽くかかってしまいますから。

 当時、このプロジェクトは極めてベーシックなハードウエアとソフトウエアの開発に時間をかけ過ぎていて、アプリケーションの開発は手つかずになっていたのです。今思えば、プロジェクトの最初から手掛けなければならなかったのかもしれません。

 プロジェクトの実施期間である10年が経過した時点で、アプリケーションの開発は半分ほどしか進んでいませんでした。当時、あと5年欲しいと要望が出されましたが、政府はあと1年だけと言ってプロジェクトは終わりました。しかし、期間を延ばさなくて正しかったのでは、とも思います。あのプロジェクトは10年でできるものだったと思っていましたし、もし15年かけていたら、ほかのプロジェクトに予算が回らなかったでしょうから。

 私は第五世代コンピューターの開発プロジェクト自体、失敗だとは思っていません。ただ、アプリケーションができていなかったため最終的なプロダクトに、パンチが欠けていました。当時のメディアはプロジェクトの失敗を次々に言い立てました。ただ、これは恐らく失敗ではなく時間が足りなかっただけです。スケジューリングの失敗とも言えるかもしれません。失敗ではないという理由の1つに、並列コンピューターの分野では多大な成功を収めました。若手を育てることにも成功し、その時の若者が大企業に入ってその後、活躍しました。今、超並列コンピューターで日本が世界でもトップクラスにあるのは、こうした当時のプロジェクトの成果だと言えます。

“アトム”よりも“ビット”を破壊するほうが簡単

今後、ファイゲンバアム教授がインターネットの未来を考える上で懸念していることは何でしょうか。

 最重要の課題はサイバーセキュリティでしょう。インターネットの先祖はARPANET(アーパネット)いう研究者たちが使っていたネットワークですが、当時は利用者が限定されたネットワークだったため、サイバーセキュリティにまで考えが及びませんでした。ところが、その後インターネットとして利用者が爆発的に増え、10億人が使うようになった今、セキュリティの問題が大きく顕在化しています。これは、セキュリティが統合された形でインターネットが発展してこなかったことに起因しています。

 冒頭で申し上げた通り、アトムからビットに急速に変化している現在、何をしても生活や経済はビットで表現されていきます。対岸に外国の兵士がいるとします。相手に攻撃を加えることは同時に自分の身体も傷つける可能性が高くなりますが、今では外国のネットワークを経由して相手のビットを破壊する方が簡単になっています。ロシアを破壊したいと思えば、2日間でインフォメーションインフラを破壊すれば良いし、イラン人が米国の原子力燃料を攻撃したければ金融システムにDOS攻撃をかければいい。サウジアラビアのコンピューターを混乱させて原油の生産を1分間止めることだってできる訳です。

 米国ではこうした問題に敏感でした。なぜか。米国には非常に大きな防衛組織があり、そこに多大な費用をつぎ込んできています。これを守らないわけにはいかないのです。既にサイバーセキュリティを何とかしなければならないと赤信号の状態です。

中国とボートが行ったり来たりの騒ぎではない

 私は2004年から2006年の頃、日本の政府やしかるべき部門の関係者にサイバーセキュリティ問題の重要性について一生懸命、説得しました。しかし、全然関心を持ってもらえませんでした。今、黄色信号くらいには認識しているでしょうか。日本は世界第3位の経済大国にも関わらず、あまりにも無意識過ぎる状況は非常に問題だと考えています。

 日中の間で紛争があり、ボートが行ったり来たりしているのは知っています。ただ、そういうことでは済まないのです。中国が本当に怒れば、日本のネットワークを徹底的に破壊するなど難しいことではありません。

 米国は重要性を認識し、かなり長い時間をかけて開発してきましたが、1つ分かってきているのは「シルバーブレッド(銀色の銃弾:一発で治る対策の意味)」はないということです。だが、インターネットの将来を考えるに避けては通れない課題であることに変わりません。私は今後、今とは異なるセキュリティと統合した新たなインターネットが登場するのではと見ています。今のインターネットはあまりにも大きくなり過ぎて、すぐに無くすことはできません。しかし、別途新たなインターネットを立ち上げて並列に運用し、徐々にユーザーを移行させることはできるはずです。

 セキュリティの問題は、すなわちソフトウエアの問題です。だからここでも日本がイノベーターになる可能性は低い。日本は今までソフトウエアにおいてイノベーターだった歴史はありません。

日本と米国でそこまで危機意識に差が出る理由はなぜでしょうか。

 私が空軍の科学者をしていた94年から97年、幹部向けの最後のレポートでこう記しました。「何よりもソフトウエアが重要な世界が今後、来るんだ」と。米国はこれを理解しましたが、日本はやはり理解してくれませんでした。今でも理解できていないのではないでしょうか。日本は美しいロボットを創り出す技術を持っています。ただ、ソフトウエアはどこにあるのでしょうか。ロボットの心はどこにあるのでしょうか。

 大学で何を教えるのかということも影響を及ぼしていて、日本にはソフトウエアに関して十分に教育できる先生がいない。私が在籍するスタンフォード大学はアップルのコンテンツ配信プラットフォームである「iTunes(アイチューンズ)」上で大学の講義を公開する「iTunes U(アイチューンズユー)」に最初に乗り出しました。そこで最も人気のあるコースはソフトウエアに関する講義で、iPhoneやiPodのアプリのプログラムを学ぶコースです。それだけ世界中の人達が知りたいと思っている訳です。

 スタンフォードは数多くのソフトウエアで著名な人材を輩出している大学です。日本の大学で果たしてこうしたことが起こっているのでしょうか。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130124/242708/?P=1

久々に武田邦彦氏のブログの転載/ノーベル賞の意義を再考する

2012-12-21 16:23:59 | 科学
 武田邦彦氏のブログは震災直後の被ばくの危険が高かった時ずいぶんお世話になりました。

 その後も参考にしています。以下にノーベル賞の意義についての文章を転載します。

「ノーベル賞と原発事故

「ノーベル賞は今やすっかりお祭りになり、テレビではスウェーデン王室の晩餐会などを放映している。そして、国別のノーベル賞受賞数などがでて、あるいは国威発揚の道具になっている。でも、ノーベルが優れた科学技術に自らの財産を出したのは、そんなことではない。

 ノーベルはダイナマイトを発明して巨万の富を得たのだが、同時に彼の発明は戦争に使われ、多くの犠牲者を出した.その様子は当時の文学書などにも描写され、「悪魔の兵器」と呼ばれた。ダイナマイトを使った兵器によって戦場で粉々になった兵士がこの世を去って行く光景はまさに科学による人間性の喪失だったからである。

 一方ではダイナマイトがないと道路の建設、石炭の生産は滞り、豊かな社会を作ることができない。科学技術が持つこの基本的な矛盾を何とか解決しようとして作られたのがノーベル賞である。その精神は時代とともにさらに重要になっている.

 核爆弾を保有する国が増え、電気を得るために被曝しなければならなくなった現在、得に日本ではノーベル賞の受賞を祝うとともに、ノーベル賞の意味を考え、福島原発事故、それに核武装についての国民の議論を深めなければならないときである。

 テレビや新聞の質が落ちたことはここで言うまでも無いが、マスメディアの人が全員、お金と利権、目先の浅薄なことに振り回されているわけでもない。是非、見識有る方が「ノーベル賞と原発事故」の関係について、科学技術の持つ矛盾と政治や経済について深く論じて欲しいものである。私も論じる.

(平成24年12月13日)」

http://takedanet.com/2012/12/post_d9a2.html

自分のDNAを解析してみませんか-99ドルで/Wired Visionから

2012-12-13 17:07:01 | 科学
 自分のDNA解析の価格が大幅に下がりそうだ。

 2008年には1000ドル、今は299ドルする価格は、新しいビジネス展開によって、一気に99ドルになるらしい。

 おそらく日本からの依頼も可能だと思うが、このようなことを知ってどうするのだろうか。

 と言っているうちに、それが-まるで携帯を持ってネットを使うのが当たり前になったように-常識になる日も近いのかもしれない。

 しかし中には絶望に打ちひしがれるケースもあるだろう。

 その場合はこれまた新種のカウンセリングが心をいやしてくれるのだろうか。


「自分のDNAの秘密を解読するための値段が、クリスマスのプレゼントの範囲にまで下がった。グーグル等が出資する23andMe社が12月11日(米国時間)、新たな大型投資により、個人の遺伝子のスキャンを99ドルで提供できるようになったと発表したのだ。

23andMe社は、グーグルの共同創設者セルゲイ・ブリンの妻であるアン・ウォジツキが共同創設者として経営する会社だ。同社は11日、最新のラウンドでヴェンチャーキャピタル等から5,000万ドルの資金を調達したと発表した。

ウォジツキ氏はWIREDに、この資金は「ゲームを変える」ものであり、これによりDNAスキャンの価格を、それまでの299ドルから本日付けで99ドルに値下げできたと語った(2008年には1,000ドルだった)。

目標は、現在18万人の顧客が2013年末までに100万人まで拡大されることだとウォジツキ氏は言う。これは顧客層を広げるだけでなく、同社の遺伝子情報データベースを拡大させるという意味がある。遺伝子データが多ければ多いほど、遺伝子と健康との結びつきを新しく発見できると期待できるからだ。

「積極的に関与する人が100万人いれば、分子医学の時代が本格的に始まるだろう」とウォジツキ氏は語る。個人の遺伝子構成に従って医学的判断が下せるようになる時代だ。

23andMe社が提供するスキャンのサーヴィスは、約30億の塩基対からなる個人のゲノムをすべて突き止めるわけではない。既存研究によって、特定の健康上のリスクや身体的特性の原因となる遺伝的変異の位置だとわかっているDNAの部分に沿って、100万カ所だけを分析する。

23andMe社はそうした変異を分析し、アルコールを飲むと赤くなる遺伝的素因があるか、子どもが嚢胞性線維症になるおそれがある突然変異を持っているかなど、200件を超える所見を報告する。

顧客はこのデータを23andMe社のデータベースに入れることに同意するかどうか選択できる。遺伝子情報はまさに個人情報だが、ウォジツキ氏によれば90%の顧客が情報を共有することを選ぶという。

5,000万ドルの資金は、ウォジツキ氏と夫のブリン氏のほか、これまでも同社に投資してきたNew Enterprise Associates社、Google Ventures社、MPM Capital社、そして、新しくロシアのユリ・ミルナー等から投資されている。ミルナー氏はFacebookやZynga、Groupon、Twitterなどに投資している投資家だ(日本語版記事)。

なお、米食品医薬品局(FDA)は2010年、23andMe社を含むいくつかの企業に対して、こうしたサーヴィスは医療検査に該当するため、FDAの認可が必要だと警告した。23andMe社は現在、FDAと交渉中だという。」

 なお写真は会社の共同創設者でベンチャー投資家でもある、アン・ウォジツキ

http://wired.jp/2012/12/13/23andme-99-dollar-dna-scan/

超高層ビルの耐震実験・長周期地震動対策

2012-12-07 17:11:11 | 科学
 3.11からあと数カ月で2年になる。今これを書いている最中に地震が来ているが、実に気持ちが悪い。

 長周期地震動が本当に超高層ビルに壊滅的被害をもたらすものならば、それは日本の大都市圏に人が住めないということ。

 是非とも対策、頑張ってほしいところだ。
 

「大地震の際に起こる長周期地震動と呼ばれるゆっくりとした周期の揺れに、超高層ビルが繰り返し襲われたらどうなるのか。

ビルの骨組みを実際に変形させて影響を調べる実験が行われ、6日、公開されました。

この実験は、独立行政法人・建築研究所と大手建設会社など6社で作る研究グループが茨城県つくば市で先週から行っていて、6日、公開されました。

長周期地震動で超高層ビルが大きく揺れた場合、例えば30階建てであれば10階付近の中層階に最も力が集中するため、実験は中層階に見立てた鉄骨のビルの骨組みを作って行われています。

骨組みは高さ13メートルで、上の部分を油圧で動く大型のジャッキで、1秒間に1ミリずつ、片側10センチに達するまでゆっくりと繰り返し押したり引いたりして、どのように変形するかを調べました。

実験は先週から始まり、6日までに去年3月の巨大地震のような揺れに相当する変形を100回あまり繰り返した結果、建物の構造に影響はないものの、肉眼でわずかに確認できる小さな亀裂が数か所できたということです。

実験は7日以降も続けられ、骨組み自体がどこまで耐えられるのかも調べることにしています。

建築研究所の長谷川隆主任研究員は、「南海トラフ巨大地震など長く続く長周期地震動に対し、現在のビルの安全性がどのくらい保てるかを明らかにしたい」と話しています。



実験のねらいは

長周期地震動はガタガタと短い周期で揺れる揺れと違って、ゆっくりと長い周期で揺れる揺れです。
去年3月の巨大地震では、東京や大阪などで超高層ビルが大きく揺れて一部のビルで天井や壁などが損傷しました。
しかし、長周期地震動が発生するような大地震は極めてまれで、建物などに実際にどのような影響が出るのか詳しく分かっていません。

このため国は、去年3月の巨大地震をきっかけに「長周期地震動」に対する設計指針などを検討するため、独立行政法人・建築研究所や大手ゼネコン各社に委託して建物への影響を調べる実験を繰り返しています。
ことし8月には、鉄筋コンクリート造りの超高層ビルの大型模型を震動台に載せて、南海トラフの巨大地震で想定される最大級の「長周期地震動」で揺らす実験が行われました。

ビルが倒壊することはありませんでしたが、内部の床が波を打ってたわむ様子が初めて確認されたほか、柱やはりの部分には大規模な修繕が必要なほどのひび割れなどの損傷が出ました。

中に人がいれば固定していない家具で危険な状態になることや、天井の配管など設備が損傷して長期間使えなくなることが予想されます。

高さ60メートル以上の超高層のオフィスビルやマンションは平成に入ってから急増し、全国の都市部を中心におよそ2500棟が建設されています。

建築研究所では、今回の実験と合わせて長周期地震動が超高層ビルの構造にどのような損傷を与えるのか分析し、超高層ビルの設計技術の向上につなげることにしています。」

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121206/k10014009651000.html

人工光合成プロジェクトに関する記事

2012-12-07 16:43:54 | 科学
 人工光合成プロジェクトがスタートとのこと。2021年度の達成が目標。

 「太陽エネルギーを利用して水を光触媒により分解し、得られた水素と二酸化炭素(CO2)からプラスチックなどの製造に欠かせないエチレンなどをつくりだす「人工光合成プロジェクト」が本格的に始まった。先月30日には、実施主体となる人工光合成化学プロセス技術研究組合(ARPChem)が発足。経済産業省と文部科学省の連携による未来開拓研究プロジェクトの初年度案件として、今年度から2021年度までの10年間で約150億円をかけて実用化を目指す。

化学産業は日本の基幹産業であり、国際競争力の高い製品を多く生み出している。しかし、製造工程で化石資源を大量に消費するため、石油価格の上昇や枯渇リスクのあおりを受けやすい。また、地球温暖化への影響も心配されている。今回のプロジェクトはこうした現状を受けて、石油に依存しない化学品製造を実現するために始まった。

技術研究組合には国際石油開発帝石や住友化学など5企業と、ファインセラミックスセンターが組合員として参画し、東京大学など7大学との共同研究を行う。今後、実用化に向けて光触媒のエネルギー変換効率の向上や、水素と酸素を安全に分離する膜技術の確立などに取り組む。2016年度に小規模でのオレフィン合成プロセスを確立し、2021年度に光触媒のエネルギー変換効率10%を達成。規模を拡大して原料への転換を図っていく考えだ。」

http://eco.goo.ne.jp/news/ecotrend/ecotrend_20121206_618.html

新たな蓄電技術と送電システム/ダニエル・フォン

2012-09-11 14:51:49 | 科学
「ライトセイル・エナジー共同創業者のダニエル・フォンが12歳になったとき、母親のトゥルーディ・フォンは娘を直接大学に進ませたいと考えた。

ダニエルは高校卒業生を対象にした学業適性試験でも、すでに上位1%に入る結果を出していた。しかし、担任の教師は「ダニエルをまずはハイスクールに入れたほうがいい」「直接大学に行かせたら、彼女の教育が台無しになる」として母親の考えに反対。それでも、結局ダニエルは直接大学に進むことになった。自分も15歳で大学に入学した母親のトゥルーディは、この当時のことを振り返って、こう説明している。「自分の子どもを、あと6年もくだらない環境に置かなくてはならない理由は何だろう」「自分の子どもが嫌な目に遭うような世界──頭がきれることがかえっていじめられる原因になるような世界に、彼女を進ませたりはしなかった」

その後、ダニエルはカナダのダルハウジー大学を卒業し、17歳でプリンストン大学大学院に進むと、プラズマ物理研究室で博士課程の勉強を始めたが、結局ここを中退することに(学術研究の世界も小学校と同じようにつまらないと思ったのが理由)。そして20歳の時にライトセイル・エナジー(以下、ライトセイル)というヴェンチャー企業を知人と創業し、現在は同社の主席科学者(Chief Scientist)として働いている。

カリフォルニア州バークレイにあるこの小さなヴェンチャー企業は、ダニエルの教育にも劣らないほど型破りなアイデアを実現するために立ち上げられた。そのアイデアとは、世界中の余剰エネルギーを圧縮空気にして巨大なタンクに保存する、というもの。この蓄電用タンクを風力発電や太陽光発電装置に接続し、生み出されたエネルギーを電力がもっとも必要とされる時に備え、蓄えておけるようにする──ライトセイルではそんな雨水の貯水タンクにも似た蓄電装置の開発と普及を目指している。

主要な再生可能エネルギー源とされる風力発電や太陽光発電にも、発電量が一定しないという弱点がある。しかし、ライトセイルが実現を目指す圧縮空気タンクが使えるようになれば、こうした弱点も解決され、電力系統(送配電網)はいまよりずっと効率的なものになる。そして、それが最終的には世界をもっと環境に優しい場所に変えることにつながる。ダニエルやライトセイルの仲間はそう説明する。

2010年に、ダニエルと仲間たちは、エネルギーを圧縮空気に変えて保存するというこのアイデアを、米エネルギー省(DOE)の先端研究計画局(Advanced Research Projects Agency:ARPA)に持ち込み、研究開発助成金の支給を求めた。それに対し、DOEではこの申請を却下。ダニエルたちは会社経営には不向きで、またこのアイデアはうまくいかず、空気圧縮装置も爆発する可能性が高い。ARPAの役人はそう判断した。

しかし、ダニエルはそんな意見に耳を貸したりはしなかった(そんなところは母親譲りらしい)。彼女は、グリーンテクノロジー分野への投資で知られるヴェンチャーキャピタル、コースラ・パートナーズ(かつてサンマイクロシステムズを創業した4人組の1人であるビノッド・コースラがその後立ち上げたVC)から1500万ドルの投資を引き出した。現在、彼女は総勢32人のチームで、電力網をまったく新しいものに作り替えるという計画を先へと推し進めつつある。ダニエルの考えでは、圧縮空気タンクの潜在的市場規模は今後20年間で1兆ドルを超える可能性があるという。

「人間は臆病で過剰に反応しやすいもの。だから、自分自身のリソースと、そして本物の取り組みを手にしていれば、あとは世間の人たちがどう思おうが関係ない。人がどう思うかというのは、だいたいが『戦うか、それとも逃げるか』ととっさに判断する神経反射みたいなものだから」


ダニエルたちが実現しようとしている技術は、ある意味で先祖返りともいえる。すでに19世紀後半には、圧縮空気タンクを使ったエネルギーの保存が実際に行われていた。その当時、パリや英バーミンガムから、アルゼンチンのブエノスアイレスまで、世界中の都市にこうしたタンクが設置されていた。また、ドイツでは30年ほど前から同様の技術が使われてきており、1991年には米国でもアラバマ州の電力会社が同様の蓄電施設を使い始めている。

エネルギーを圧縮空気に変えてタンクに保存する──このアイデア自体はシンプルなもの。電力源があればこのタンクにはどんなエネルギーでも保存できる──ガスや石炭を燃やしてつくった電気であろうと、あるいは風力発電などでできた電気であろうと関係ない。その仕組みはこんな感じだ──高校の物理の授業で習ったように、空気を圧縮すると温度が上昇する(自転車のタイヤに空気を入れる時のことを思い出してもいいが)。そして、保存した熱は、あとでエネルギーが必要になったときに電力に戻すことができる。これはバネを縮めたり、逆に緩めたりする感覚にも少し似ている。

ただし、いくつか問題もある──エネルギーを転換するたびにその一部が失われること、そしてタンクで保存中の空気は熱が失われることなど。この変換・保存効率の悪さから、これまで圧縮空気タンクが大規模に普及することはなかった。現在の圧縮空気タンクをつかったシステムでは、当初の発電量の50%以上が失われることもめずらしくない。いったん保存したエネルギーを後で電気として取り出す際に、あらためて発電機を回すことも効率低下の一因になっている。

1700年代以降、エネルギー保存のより効率的な方法を見つけようと、たくさんの科学者が悪戦苦闘してきた。ガルヴァーニの電池から、現代のバッテリーまで、さまざまな方法が考え出されたが、どの場合も同じ問題に突き当たった。どうすれば限りなくロスをゼロに近づけられるのか。この点に関して、ライトセイルのCEOを務めるスティーヴ・クレイン(地球物理学の博士号の持ち主でもある)は次のように言っている。「ダニエル・フォンは、この謎を解くための鍵の、少なくともその一部はすでに手にしている」「こういう言い方をすると少し傲慢に聞こえるかもしれないが、ダニエルはエジソンやほかの連中でも解決できなかった問題をすでにうまく解決していると、私はそう思っている」。

ダニエルがみつけた問題解決の鍵は水の追加──つまり、密度の高い霧状の水分を圧縮空気のタンク内にスプレーするというやり方で、これなら空気の圧縮中に発生する熱が水分に吸収される。この水分は、空気(気体)にくらべてはるかに効率よく熱を保存することができる。さらに、この霧状の水分のおかげでライトセイルのプロトタイプでは、エネルギーの保存や回収が従来の装置に比べてずっと容易にできるという。


このプロトタイプでは空気を圧縮・保存しても、タンクの周囲の空気は10~20度しか温度が上昇しない。数千度も上昇する他の仕組みとはその点が異なっている。さらに、このプロトタイプでは1立方インチあたり3,000ポンド程度の圧力になるまで空気を圧縮する(ダニエルはもっと高い圧力にしたいと考えている)が、エネルギーを保存する温度が低い分、タンクの耐圧も簡単になるという。他の圧縮空気をつかったシステムのなかには、タンクを地下深くに埋め込み、その圧力でタンクの爆発を防止するといったものもある。それに対して、ライトセイルのプロトタイプは地上に設置しても問題ないもので、その分コストも安く済むという。貯蔵したエネルギーを取り出し電気として使いたいときには、逆の手順を踏むだけでいい。

ただし、難しいのは圧縮空気の保存や取り出しの際に、どれだけの水分を加えればいいかという点で、ライトセイルではこの適正値を見つけるために40種類ちかいノズル(吹き出し口)を試してみたという(それ以外に、さまざまな形状のタンクを設計したことは言うまでもない)。こうした実験を積み重ねた結果、ライトセイルのシステムは、当初の35%程度から、いまでは約70%まで圧縮空気(エネルギー保存)の効率が高まっていると、彼女は説明している。

そんなダニエル・フォンのことを、スチームパンク小説の主人公みたいだと思う読者もいるかもしれない。近未来の世界を舞台にビクトリア朝時代の技術を蘇らせるSF小説の主人公のようだと。しかし、彼女がライトセイルで開発したプロトタイプは、空想の産物ではない。

彼女はもともと、この圧縮空気のタンクを自動車に積もうと考えていた。そして自分がロールモデル(お手本)として尊敬するイーロン・マスク──電気自動車のパイオニア、テスラ・モーターズの創業者に提案をぶつけてみることにした。内燃機関や充電式バッテリーの代わりに圧縮空気を詰め込んだタンクをクルマに載せる、熱せられた空気でピストンを動かすような新しいエンジンを積んだ自動車を。

だが結局、この事業化のアイデアはボツになった。長い歴史をもつ自動車メーカーを順番にまわって、圧縮空気のタンクを積むよう説得していく作業は至難の業と思えたからだった。そこでダニエルは別の至難の業──電力網の再発明を思いついたというわけだ。」

http://wired.jp/2012/07/05/danielle-fong/

ライトセルのHP→http://lightsailenergy.com/index.html

ダニエル・フォン自身のHP→http://daniellefong.com/

未来のエネルギーはヘリウム3-ロシアの声より

2012-07-27 11:11:10 | 科学
「 モスクワ大学天文学研究所・月研究科主任で物理・数学博士のシェフチェンコ氏は、月に埋蔵されているヘリウム3が主要なエネルギー源になる可能性があると伝えた。

ヘリウム3の1トンの価格は約100万ドルだか、25トンのヘリウム3で地球の一年分のエネルギー供給を賄うことができるという。

地球では現在、年間わずか数十グラムしか採掘されていないが、月には最低でもおよそ50万トンの埋蔵量があると考えてられている。

 【マヤークより】」

(http://japanese.ruvr.ru/2012_07_27/gakusha-chikyuu-no-mirai-no-enerugiigen-heriumu3/)


 ヘリウム3に関しては以下を参照のこと。

 ①ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A03

 ②http://2chinfo.blog88.fc2.com/blog-entry-313.html

 ③http://d.hatena.ne.jp/hidewood/20090729/1248880678
 いずれにせよ核融合の原料として利用するということです。すぐにエネルギー問題を解決してくれるものではなさそうです。

「神舟9号も打ち上げた沙漠の中の発射センター、実は見学も可能だった―香港紙」

2012-06-23 17:07:52 | 科学
「神舟9号も打ち上げた沙漠の中の発射センター、実は見学も可能だった―香港紙

Record China 6月23日(土)16時37分配信

20日、香港紙は「沙漠の中の宇宙センターはそれほど隠された存在ではない」と題した記事で、中国の大型ロケット発射場である酒泉衛星発射センター(別名:東風航天城)の詳細を紹介した。写真は東風航天城。

2012年6月20日、香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは「沙漠の中の宇宙センターはそれほど隠された存在ではない」と題した記事で、中国の大型ロケット発射場である酒泉衛星発射センター(別名:東風航天城)の詳細を紹介した。21日付で環球時報が伝えた。以下はその内容。



道路端の草むらに毛沢東時代のスローガンが書かれたミサイルがズラリと並んでいなければ、観光客はこのゴビ砂漠の小さな村が中国の弾道ミサイルと宇宙飛行計画誕生の地で、いまだに最も活躍している発射センターであるとは思わないだろう。何の変哲もない建物ばかりで、中国の地方都市で最近はやっている豪華な庁舎と比べると、ひどく見劣りする。

ロケットの打ち上げ回数が増えるに従い、この「東風航天城」の透明度も増してきた。中国本土の人は生活エリアや指揮センター、発射台などを1人400元(約5050円)、食事付きで見学できる。だが、外国人は滅多に入れないようだ。旅行会社に申し込んでも断られる。

中国本土の人の多くが「東風」は甘粛省酒泉市にあると思っているようだが、正しくは内モンゴル自治区アラシャン盟のエジン旗だ。酒泉から「東風」までは車で約4時間。ひっきりなしに軍の車が出入りしているのを見ると、ここが厳重に警備された軍の施設であることを思い知らされる。

面積は約2800平方キロメートル。その大半は居住に適さない砂漠だ。人民解放軍が進駐したのは1950年代末。ここは中国で最初の弾道ミサイルが誕生し、中国初の衛星が打ち上げられた場所で、現在の主な任務は有人宇宙船の打ち上げとなっている。

近年は生活レベルも格段に向上。浄水場も完備され、野菜や牛乳も日常的に口にできるようになった。「ここでは農薬もメラミンも心配ないですよ」と付近の住民は語る。

村で最も大きな建物は観光客用のホテルだが、打ち上げ期間中は政府高官が利用する。広大な墓地には500人の烈士の墓。科学者やエンジニア、打ち上げ事故の犠牲者の魂が眠っているという。(翻訳・編集/NN)」

(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120623-00000015-rcdc-cn)

ボイジャー・宇宙へ

2012-06-18 12:27:03 | 科学
「[ロンドン 15日 ロイター] 米航空宇宙局(NASA)のジェット推進研究所は、1977年に打ち上げた無人探査機ボイジャー1号が太陽系の境界付近に到達したと明らかにした。太陽系外への脱出も間近だという。

同研究所の発表によると、ボイジャーから地球に送信されるデータで、太陽系外からもたらされる荷電粒子の量がこの数カ月で急増していることが判明。NASAは声明で、「人類が恒星間空間に放った最初の使者が太陽系の端に達した」との見方を示した。

姉妹機の2号とともに35年前に打ち上げられたボイジャー1号は現在、太陽から約180億キロ離れた位置を時速6万キロ超で飛行中。ボイジャーからのデータが地球に届くまでには16時間38分かかる。

プルトニウムを使用した電源は2025年まで使用できるという。」

(http://www.newsweekjapan.jp/headlines/world/2012/06/75522.php)

 プルトニウムを利用した電源など使っていたのですね。

 そういえば昔旧ソ連の衛星が落下してくるとき、エネルギー源に小型の原子炉が積まれているのでおおごとだと、いわれたことがあったな。

環境の変化・・・間に合わない・・・/ニューズウィークより

2012-06-10 19:58:28 | 科学
「地球の気候変動が臨界点に近づいていると、国連が最新の報告書で警告した。

 約600人の専門家が携わり3年をかけてまとめらた報告書は525ページに及ぶ。専門家らは地球の未来について極めて暗い見通しを示した。北極などの氷床の融解、アフリカの砂漠化、熱帯雨林の森林破壊が、私たちが想像しているよりはるかに急速に進行していると指摘した。

 歴史的に見れば、氷河期など地球に突然大きな気候変動が訪れたことはある。だが専門家らは今回の気候変動は自然要因のものではなく、人為的な要因によるとみている。人間活動に伴う温暖化ガスの排出などが変動を加速し、影響は地球の生態系の破壊にまで及んでいるという。

 ネイチャー誌に掲載された報告書の要約にはこう書かれている。「人為的要因により、気候変動が限界点に迫っている、または既に限界点を越えてしまった地域がいくつもある。一度限界点を越えると、もう元には戻せない変化が起こリ始め、地球上の生命体も影響を受けるだろう。人間の生活や健康にも大きな悪影響を及ぼす可能性がある」

「今世紀の終わりまでに、この地球が現在とはまったく異なる環境になっている可能性は極めて高い」と、報告書に携わった専門家の1人、アンソニー・バーノスキーは科学ニュースサイト「ライブサイエンス」に語った。

人間が生き方を変えるしかない

「窮地に追い詰められた」人間は、環境の変動に適応するために急激な生活の変化を余儀なくされるだろうと、バーノスキーは言う。ただし生活の変化には「相当の困難を伴うため、政治紛争や経済危機、戦争や飢餓が起きやすくなる」

 科学者たちは希望を失ったわけではない。国連環境計画(UNEP)のアヒム・シュタイナー事務局長は記者会見で、今回の報告書を「告発」として受け止めるべきだと語った。

「この報告書で指摘されているように私たちは無責任な時代を生きている。(この種の報告書が初めて発表された)1992年にも、将来起こり得る変動が指摘された。それから20年後に発表された今回の報告書では、予測された数々の現象が現実になったことが証明された」

 人類はもう「生き方を変える」より他に選択肢がない地点に来たのだと、スタイナーは続けた。「針路を変えることは可能だ。違う方向に向かうことはできるはずだ」


From GlobalPost.com」