白夜の炎

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ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける 中年ネトウヨ「ヨーゲン」(57歳)の哀しすぎる正体

2014-11-18 14:11:55 | 社会
「サイバー犯罪で逮捕されていた

朝鮮人など虐殺してやる──ネット空間でそう息巻いていた差別主義者の男は、両脇を二人の警察官に支えられて法廷に姿を見せた。

よれよれのジャージ姿だった。両手には手錠がはめられ、腰縄がされた状態である。肩口まで無造作に伸びきった髪は白いものが目立ち、まるで落ち武者のような印象を与えた。肌艶もなく、顔には吹き出物が目立つ。その疲れ切った表情と虚ろな目つきは57歳という年齢以上に老けて見えた。逮捕されてから三か月にも及ぶ勾留生活が、初老の域に差し掛かった男の生気を抜き取ってしまったようにも見える。

手錠を解かれた男は被告人席に座ると、傍聴席を見まわした。男の視線が最前列に座る私を捉える。その瞬間、「おっ」という感じで照れたような表情を顔に浮かべた後、彼はなぜか私に向けてちょこんと頭を下げた。私も合わせて軽く会釈する。

それが私たちにとって二度目の"対面"だった。
9月17日、宇都宮地裁栃木支部(栃木県栃木支部)。被告人の罪名は商標法違反、私電磁的記録不正作出、同供用である。

福島県いわき市に住む自称ホームページ製作業の男は、マイクロソフト社のソフト「オフィス」や「ウィンドウズ」の認証コード(プロダクトキー)を販売するサイトを開設していたが、その際、同社のロゴを無断でサイトに使用したことにより、6月16日、まずは商標法違反で逮捕された。

また、その後の調べにより、男が販売していたプロダクトキーは、すべて違法に入手したものであることも発覚する。

男はマイクロソフト社製のソフトをダウンロードできるIT技術者向け有料サービスに加入。転売禁止の契約を破り、入手したプロダクトキーを個人や法人に市価の約半額で販売し、約400万円の利益を得ていたことで7月4日に二度目の逮捕となった。

さらにテレビの有料放送を視聴できるB-CASカードの偽造に手を染めていることも取り調べの過程で判明する。

「摘発したのは栃木県警のサイバー犯罪対策室です。県警は今年に入ってから情報セキュリティーの研究者2人をアドバイザーとして迎え入れるなど、サイバー犯罪の摘発を強化しています。連日、サイバーパトロールが行われており、彼もその網に引っ掛かったというわけです」(地元記者)

男には多額の借金があり、その返済に行き詰まったことが犯罪のきっかけだったという。
特に世間の注目を集める事件でもなかった。各紙とも逮捕時は県警の発表文書を垂れ流すだけのベタ記事扱いで、その後のフォローは一切ない。

そして私の興味と関心も、事件そのものには向いていない。
私が知りたかったのは──来る日も来る日もネットで差別と憎悪をまき散らしていた、この男の暗い情念である。



ネット上において、男は「ヨーゲン」と名乗っていた。

私がヨーゲンを知ったのは2011年の冬である。
その頃、私はヘイトスピーチを用いてデモや街宣を繰り返す在特会(在日特権を許さない市民の会)を取材し、講談社のノンフィクション雑誌『g2』にルポを発表したばかりだった。当時はまだ在特会メンバーに直接取材した媒体はほとんどなく、主要メンバーの生い立ちにまで触れた私の記事には大きな反響があった。

もちろん、それは記事への評価、賞賛を意味するものではない。この場合における「反響」とは、ネット空間による非難、中傷、罵倒の類である。在特会メンバーの素顔をあぶり出し、さらに同会への批判を加えた私の記事は、いわゆるネトウヨの逆鱗に触れたのであった。

私に対する悪意に満ちた言葉がネットであふれた。
なかでも私のツイッターには、在特会を支持するネットユーザーからの抗議が大量に寄せられた。

国賊、売国奴、反日──。お定まりの悪罵に加えて、私の殺害を匂わせるようなツイートや、あるいは私の名前を騙り、アイコンをコピーし、ツイッターで「朝鮮人虐殺」を主張するような「なりすまし」まで登場する始末である。

そうした状況にあって、もっとも執拗に私を攻撃してきたのがヨーゲンだった。
彼は「朝鮮人の安田が書いた記事を信用するな」「安田を祖国に追い返せ」といった低レベルな書き込みを繰り返した。約3年の間にヨーゲンから私に振られたメンションの数は軽く1千回を超える。ほぼ毎日のように必ず、私に向けて悪罵を投げつけなければ気が済まないようであった。

むろん私に対してのみ醜態をさらすのであれば、たかが「ネットの暴走」として片づけることもできたはずだった。

問題は、彼がフダ付きのヘイトスピーカーだったことにある。ネットに疎い私は、実は自分自身がツイッターで攻撃を受けるまで、「ネトウヨ界の超有名人」であるヨーゲンの存在をまるで知らなかった。

最悪のネトウヨを探し出せ

自らのプロフィールに「朝鮮人虐殺」などと記すヨーゲンは、ツイッター上で在日コリアンのユーザーを発見しては、昼夜を問わずただひたすら差別と偏見に満ちた醜悪なメッセージを送りつけていたのである。

たとえば、次のようなツイートを彼は毎日のように書き込んでいた。

<在日は踏み潰されても気持ちの悪いヒゲだけ動いているゴキブリ>
<在日は虚言妄言の精神病。頑張っても糞食い人種は糞食い人種だ>
<不逞鮮人は日本から出ていけ><在日こそ人殺し。在日殺すぞ!>
<朝鮮民族を絶滅させよ!>

書き起こすだけで胸糞が悪くなる。しかもターゲットが在日コリアンの女性である場合には、さらに居丈高に、そして下劣なツイートを送り付けた。民族差別的な罵倒に、性差別が加わるのだ。容姿を貶め、ときに卑猥な言葉を交えて在日女性を罵った。おぞましい画像を送り付けられた在日女性も少なくない。しかも心無いネトウヨがそれを囃し立て、ヨーゲンを愛国者のごとく持ち上げるものだから、当人はますます図に乗るのだ。ヨーゲンは賞賛と扇動を燃料にネット上で"大暴れ"した。

ヨーゲンから受けた"被害"を警察に相談した人も少なくはない。だが、顔も名前も所在地もはっきりしないネット上の匿名アカウントに対し、警察は動こうとはしなかった。結局、被害者は泣き寝入りするしかなかったのである。

大阪府に住むフリーライターの李信恵さんもその一人だ。
李さんはこの8月、自らに向けられた在特会などのヘイトスピーチをめぐり、同会や保守系「まとめサイト」に対して損害賠償請求の訴訟を起こした。

実はそれに先立つ昨年初め、李さんはヨーゲンに対する刑事告訴を検討していた。
「ゴキブリ」「不逞朝鮮人」などと連日にわたってヨーゲンから読むに堪えないヘイトスピーチを送り付けられていた李さんは、地元の警察に"被害"を訴えたのである。しかし、警察の対応は冷淡だった。その頃はまだ、ヘイトスピーチがもたらす被害について、警察の認識が浅かったということもあろう。担当した警察官は李さんに同情しつつも、まるで単なる口げんかや口論で苦しんでいるかのように受け止め、これを事件として扱うことはなかった。

口論も議論も、対等な力関係のなかでおこなわれるのであれば問題ない。しかし、ヘイトスピーチは社会における力関係を利用して、マジョリティがマイノリティを一方的に傷つけるものである。こうした認識に欠ける警察には、往々にして深刻な被害の訴えが伝わらない。李さんもまた、法的救済を受ける機会もなく、その後もヨーゲンの下劣なヘイトを浴び続けることになった。

これに憤慨したのが、ネット上に存在する在日女性からなる小さなコミュニティだった。もともとはツイッターでK-POPやコスメなどの情報を交換していただけの、なんら政治色を持たない集まりである。

年齢も職業も異なる彼女たちは、それぞれ面識はなく、「在日女性」であることだけで緩やかにつながっていた。

しかしネット上にあふれるヘイトスピーチは、K-POPやコスメについて語るだけの彼女たちをも脅かしていた。ツイッターで韓国に触れると、脅迫じみたメッセージが寄せられる。韓国旅行の思い出を呟いただけで「日本に帰ってくるな」と見ず知らずの人間から罵倒される。そうした日常を、彼女たちもまた、ずっと耐えてきたのだ。そうするしかなかった。生きることを否定され、人間としての尊厳を否定されてもなお、彼女たちは屈辱に耐え続けた。

しかし、どんなに目をそむけても視界に飛び込んでくるヘイトスピーチ──なかでも李さんに向けられたヨーゲンの度重なる悪罵に対して、ついに彼女たちの忍耐も限界値を超えたのである。

「もともと私たちはツイートするたびに『(韓国に)帰れ』『ゴキブリ女』と差別的なメンションを受け続けてきました。しかしフォロワーだった同胞の男性たちでさえ、巻き込まれるのが嫌なのか、いつの間にか私たちのフォローをはずしていた。結局、味方なんていないのかと絶望的な気持ちにもなりました。ただ日常の些細な会話を交わしていただけの私たちも、ヘイトスピーチの前では一人ぼっちだったんです」とそのうちの一人は打ち明ける。

「だからこそ李さんに対する攻撃を他人事だと傍観できるわけがなかった。ライターとして発言を続ける李さんは、攻撃の対象となりやすい場所に立っていただけで集中砲火を受けていました。もし私と李さんが入れ替わったとしても同じ。ヨーゲンが発するヘイトは在日女性全体に向けられたものだと思いました。私たち在日女性全員への攻撃でもあるんです。だから、絶対に李さんを孤立させてはいけないと、皆で話しました」

もちろんヨーゲンだけがヘイトの使い手であったわけではない。しかし、彼は間違いなく差別を煽るネット右翼の象徴的な存在だった。実際、ヨーゲンには何千人ものフォロアーが付き(そのなかには保守派を自称する有名ジャーナリストや評論家もいた)、在日コリアンに向けられた醜悪なツイートは日々、拡散された。

彼女たちは公開の場であるツイッターから撤退。仲間内だけで情報交換できるLINEに足場を移して何度も議論を重ねた。

「ただ励ますだけでは意味がない。李さんとヨーゲンのツイッターのやり取りに割って入ったとしても、女性相手ではヘイトが勢いづくだけです。本質的にヨーゲンのヘイトを止めるにはどうしたらいいか、具体的な案を出し合いました。警察は動かないし、そもそも同胞の男性たちも見て見ぬふりをするばかりで頼りない。日ごろは『在日として戦え』などと威勢の良いことを言うわりには、李さんへのヘイトを放置させているのですから」

そこで行き着いた結論が「ヨーゲンを探し出すこと」だった。

「せめてネトウヨとして一番目立っているヨーゲンの所在をつかみ、ネットは決して匿名が担保されているわけではないのだと、ヘイトを繰り返しているヨーゲン、いや、ネトウヨ全体に突き付けたかった。何よりも、李さんに1人じゃないんだということを伝えたかった」

ネット上の痕跡から追い詰める

さて、ネット上のヘイトスピーチがやっかいなのは、匿名性が保たれているからである。悪質なヘイトの担い手たちが実名を明かしているケースは皆無に等しい。そればかりか年齢も住所も勤務先もわからない場合がほとんどだ。自分だけは物陰に隠れて他者を罵倒、攻撃する。実に卑怯極まりない。

ヨーゲンも例外ではなかった。
彼のツイッター上のプロフィール欄には、わずかに「北海道在住」とだけヒントらしきものが書き込まれているだけで、実際、それが事実どうかも確かめようがない。

実は私も彼の素性を暴くことができないかと、ツイートを丹念に読みこんだことがある。しかし、男性であること以外の属性はまるで把握できず、せいぜい「フェラーリを所有していた」「豪邸に住んでいる」といった真偽不明の断片的な情報しか得ることができなかった。

しかし、本気で「捜索」に当たる女性たちには特筆すべき才能があった。
誰もが皆、ネットの知識に長けていたことである。

ここで詳述するわけにはいかないが、彼女たちは持てる知識を総動員し、ヨーゲンに関するあらゆる情報をかき集めた。ツイッターはもちろんのこと、彼が書き込みをしたと思われる掲示板、保守系サイトなどを虱潰しにチェックし、その痕跡を追った。政治的な側面だけから調査したわけではない。趣味、嗜好、食生活に至るまで、いわばプロファイリングを重ねたのである。

例えば、ヨーゲンがネット上にアップした一枚の風景写真を発見すれば、そこに写り込んでいる樹木や建物、道路標識、商店の看板まで見逃さなかった。不鮮明な山の稜線まで拡大し、撮影場所の特定に務めた。また、彼がオーディオの愛好家だったことも把握し、マニアの集まるサイトを片端からチェック。その中に、ヨーゲンらしき人物が書き残した文章とIPアドレスがあった。ヨーゲンは数年前に、とあるネトウヨ観察ブログに管理人を罵倒するコメントを投稿したことがあり、その際にIPアドレスを迂闊にも残していた。この二つのIPアドレスが一致したのである。これは「捜索」するうえでの重要な端緒となった。

広大な砂浜で一粒の砂金を探し当てるかのごとく、気の遠くなるような作業だったという。

それぞれが育児の合間に、あるいは仕事を終えてから、ひたすらネット空間での捜索を続け、その日の「成果」をLINEの掲示板で報告しあう毎日が続いた。

そのうち徐々に、おおよその人物像と生活圏が浮かび上がった。そこへ疑わしき人物を次々と当てはめ、ふるいにかけ、最後に残ったのが福島県いわき市に住む一人の男性だった。捜索を開始してからすでに2か月を要していた。

もちろん、当該人物が本当にヨーゲンであるのかどうか、確定するには、まだ材料に乏しかった。その時点で判明していたのは男性の氏名と、「いわき市在住」ということ、そしてIT関係の仕事に従事している可能性が強いといったことである。多方面から得た情報で、この男性が「ネトウヨ的な思考」を抱えていることじたいは間違いなかったが、それだけで彼がヨーゲンであると決めつけるわけにはいかない。まだ"容疑者"の段階である。

結局、確定するためには詳細な住所を調べたうえで本人に問い質すしかない。しかし、仮に住所が判明し、直撃できたとしても、その人物がヨーゲンであることを否定すれば、それで終わりである。

そこで現地調査を依頼されたのが、私だった。彼女たちは知り合いのつてをたどって私とメールで連絡を取り、それまでの調査結果を報告すると同時に、ヨーゲンを探し出して欲しいと持ちかけたのである。

私としても望むところではあった。超有名ネトウヨであるヨーゲンは、ぜひとも取材してみたいひとりではあったのだ。

IPアドレスの開示請求など法的手続きを取らず、ただ自分たちの知恵と努力だけでヨーゲンに迫っている彼女たちの情熱に、私は激しく心を揺さぶられた。私も単なる傍観者でいたくなかった。

彼女たちから容疑者にまつわる資料がメールに添付されて送られてきたのは昨年秋のことだ。
氏名、年齢、ネット上の痕跡、ヨーゲンだと推察される理由が記された書面に加え、いわき市内の住宅地図もそこには添えられていた。地図上には容疑者と同じ苗字の家が、数十か所も蛍光ペンで塗りつぶされていた。

人物特定に必要なファクトとしては十分だ──と私は思った。



だが、調査は予想以上に難航した。
後にわかったことだが、この人物は友人関係も近所づきあいもほとんどなく、また、自宅から外に出ることもめったになかった。

そのせいで闇雲に聞き込みを重ねても、それらしき人物が浮かび上がってこない。たとえ彼の名前を知っている人がいたとしても、「ネトウヨのヘイトスピーカー」であることなど知っているわけがない。

おまけに、肝心の自宅がわからない。住宅地図を片手に同じ姓の家を訪ねてまわったが、ヨーゲンらしき人物を当てることができなかった。

いったい何度、東京といわきを往復したことだろうか。

そのうち、私も苛立ってきた。もしかしたら彼女たちが探し出した容疑者は、ヨーゲンとは別人物ではないかとも思うようになった。そもそも57歳という容疑者の年齢が、私が想像していたヨーゲンと重ならなかった。

福島・いわき市内の男を特定

ネット上のヨーゲンは、あまりに幼稚だった。知性や理性の欠片も見ることができず、あらんかぎりの罵倒語と卑猥な言葉を送り出すだけの人物である。社会経験をもたない20代前半、あるいは高校生くらいかもしれない、とまで私は考えていた。還暦を前にした大人が、まさか下劣な言葉の持ち主であるとは考えにくかったのだ。

事態が動いたのは昨年末のことだった。
いわき市内の飲み屋街で、バーやスナックを聞き込みしていた時だった。
たまたま知り合った酔客から興味深い話を耳にした。

「韓国人をやたら敵視する中年の男を見たことがあるんですよ」

彼によると、その男はあるスナックで、その場に居合わせた韓国人の女性客に向かって、「俺は韓国人が嫌いだ」「出ていけ」などと突っかかっていたという。しかも日頃から韓国や在日コリアンへの差別的な暴言が目立っていたらしく、客に迷惑がかかるといった理由で、いまはそのスナックを「出入り禁止」になっているというのだった。

さすがに肝心のスナック店主は「客の情報は漏らせない」と口が重たかったが、出入り客などからの聞き込みを重ねることで、その暴言男の名前が在日女性たちが割り出したものと一致した。年齢も50代後半、仕事はIT関連であることも判明。プロファイリングと合致する。さらに取材を進めると、その男の趣味や嗜好、性格、言動などが、彼女らが提供してくれたヨーゲン情報とすべて一致したのだ。

ヨーゲンであることは間違いない。そう確信した私は、この男の周辺に的を絞って関係者をまわった。取材するごとに、彼の人物像がさらに鮮明となった。

男は県内沿岸部で開業医の息子として生まれた。
地元の中学を卒業した後、彼は県内では名門として知られる高校に進学している。

「ちょっと風変わりなヤツでした」

そう振り返るのは同級生の一人だ。

「落ち着きがないというか、空気を読めないというか、突飛なことを口にしては周囲をシラケさせるようなところがありましたね。とはいえ問題児であったわけではありません。彼を苦手とする人が多かった、という程度です。音楽が好きで、ドラムをやっていたと記憶しています」

卒業後は周囲に「ミュージシャンになる」と言って、一度、地元を離れたという。ほとんどの同級生が大学へ進学するなかにあって、男の選んだ進路は学校でも珍しいものであった。

しかし、音楽の道で成功した形跡はない。
数年後、男は県内に戻り、地元私大の歯学部に入学した。

「おそらくは音楽では食えないことを悟り、開業医だった親の勧めで同じような道を選ぶことにしたのでしょう」(前出、同級生)

だが、それもうまくいかなかった。
もともと医師になることに積極的でなかったこともあり、男は大学を中退する。

その後、しばらくして男が始めたのは、インターネットビジネスだった。ネットが大衆化されたばかりの頃である。おそらく早い時期からコンピューターへの興味と関心を深めていたのだろう。

1996年、電気事業通信業者の認可を得て、いわき市内でプロバイダー業を開業した。地元の商店街などを回り、月額2千円でネット加入できるサービスを売り込んだ。

同年3月には地元の経済誌『財界ふくしま』で、男の事業が取り上げられたこともあった。「ネットで開く、世界への道」と題された記事において、同誌記者の問いに対し男は次のように述べている。

「難しがられていますけれど、インターネットは車の免許を取るより簡単ですよ」

「妥協なしで、安くて良いものを提供していく」

「ビジネスマンの名刺に電子メールのアドレスが書いてあるのは、もう珍しいことじゃないですよね。いまは講師に呼ばれることも多くて、インターネットの啓蒙活動しているようなもんです」

新しい情報ツールを売り込まんとする、男の並々ならぬ意欲は感じることができる。このビジネスの舞台が大都市であれば、そして彼にもう少しの才覚と資金があれば、ネット草創期という"時代の利"を生かして、あるいは彼もネット長者の道を歩んでいたかもしれない。

この時代、東北の小さな衛星都市では、彼の意気込みも「啓蒙活動」も、空回りせざるを得なかった。

「結局、うまくいかなかったんです」と話すのは、その頃の男を知る知人の一人だ。

「彼はよく嘆いていましたよ。『この街では誰もインターネットの可能性を理解していない。本当に遅れている』と」

ネット加入を勧めても、地元商店主たちはまだ、そこにどんなメリットがが生じるのか、どんな利益につながるのか、まるでわからなかった。どれだけ将来性を説いたところで、男は「啓蒙」することができなかったのである。

「市内の雑居ビルに事務所を構えていましたが、そこも家賃の滞納で追い出されてしまう始末でした。金には困っていたようですね」

他人の駐車スペースに無断で車を停めるなどして、近隣とのトラブルも絶えなかったという。

おそらくは事業の失敗が、彼の方向を誤らせたのであろう。ほどなくして男はプロダクトキーの違法販売に手を染めることになった。

昨年末にそのことを知った私は、客を装って、男がネット上に開設したプロダクトキーの販売サイトに電話したことがある。

ネットに詳しくない私は、彼の商品説明がさっぱり理解できない。何度も繰り返してシステムの概要を求める私に、男は「そんなこともわからないのか」と半分キレかかっていた。客の問い合わせに対してぞんざいな口調で応じる彼には、客商売は難しいだろうなあと思うしかなかった。

さて、男の"人となり"は理解できた。だが転居を何度か繰り返しているので、肝心の住所がわからない。昔からの知人はほとんどが男とは没交渉で、私が取材した人物の中に現住所を知る者はいなかった(あるいは知っていたとしても教えたくはなかったのだろう)。

決め手となった1枚の写真

今年1月5日。この日も私はいわき市内で聞き込みを続けていた。
だが、歩いても歩いても、彼の所在はわからない。人物像だけで住所を「当てる」ことは難しい。しかもその段階において男が犯罪者であるという確信を持っていたわけでもないので、通常の事件取材とは違い、聞き込みするにあたっても最低限のプライバシー配慮をせざるを得ない。捜索は困難を極めた。

途方に暮れていた時、一通のメールが私のスマホに届いた。ヨーゲン情報を集めていた、例の在日女性たちである。

メールには一枚の写真が添付されていた。ヨーゲンが不用意にネットへアップした自室の写真である。外の風景や家屋の外観が映っているわけでもない、ただの室内写真だ。こんな写真で何かわかるというのだろう。

呆れる私に対し、彼女はメールで次のように記してきた。

「窓枠に特徴があります。このタイプの窓枠は集合住宅に多く使われるものです。よって、ヨーゲンはアパートやマンションに住んでいる可能性が強いと思われます。この窓枠の形に注目して探してみてください」

目の付け所が、さすがに女性らしい。注意深く、そして繊細な視点だ。
私は窓枠の形に最大の注意を払い、市内の集合住宅を訪ねまわった。

数時間も歩き回った後、私は一軒の二階建てアパートの前で棒立ちになった。窓枠の形が、まさにメールに添付されていた写真のものと一緒だったのだ。

アパートの部屋をひとつひとつ確認してみる。ほどんどの部屋に表札はかかっていない。集合ポストにもネームプレートはなかった。だが、ある部屋の前で、私は再び足が止まった。

「NHKの集金、お断り」

そう記されたステッカーが貼られていたからである。

ヨーゲンは日ごろから、メディアに対する敵意を露骨にネットに書き込んでいた。なかでもNHKと朝日新聞は「左翼の牙城」だとして、常に攻撃の対象となっていた。

そこがヨーゲンの自宅であると100%の自信があったわけではない。だが、なぜか背中の筋肉が強張った。事件取材などで、重要な証言者にめぐりあったときの感覚と似ている。

私はとりあえずその場を離れ、近所の酒店で少しばかり高価な日本酒を購入した。私の目的は彼を恫喝するためでも、脅すためでもない。なぜにヘイトスピーチを繰り返すのか、それを聞いてみたかった。そしてできるならば、在日女性に対する攻撃をやめてもらえるよう頼むことにあった。だからせめて酒でも一緒に飲みながら話すことはできないかと思ったのだ。

酒を手にした私はアパートに戻り、ドアのインタホンを押した。
「はい」と応答したのは女性の声だった。彼の妻であろう。

私は「御主人はいらっしゃいますか」とだけ告げた。

「お待ちください」と返答があってからしばらくした後、男性の声が響いた。

「どなたですか?」

少し前にプロダクトキーの販売サイトに電話した際、応じた男の声と同じだった。

さて、どうしたものか。ここでヨーゲンであるかと訊ねたところで、否定されてしまえば終わりだ。私は「安田です」とだけ名乗って反応を待った。

少しの間、インタホンからは何の応答もなかった。いったいどこの安田なのかと考えているのか、あるいはスコープ越しに私の姿を確認しているのか。

もしも「どこの安田なのか」と問われた場合には、私は正直に答えるつもりでいた。
しかし、インタホンからは意外な反応が返ってきた。

「帰れ! なんで来たんだよ! 帰れ!」

怒声が響いた。彼は私を確認することもせず、突然に激昂したのである。
当たりだ。完全にヨーゲンだ。

面前では何も言えない男

しかしヨーゲンは私が来意を告げようとしてもそれを無視し、ひたすら「帰れ!」と怒鳴るだけだった。とりつくしまがないとはこのことだ。ヨーゲンは散々に怒鳴り散らした後、インタホンを切った。再び話しかけても何の応答もない。

しかたなく私は一度その場を離れ、近くの喫茶店に入った。私はヨーゲンのツイッターアカウントに向けてDMを送信した。

突然に訪問した非礼を詫び、あらためて取材を申し込んだのだ。
すると、これまた意外な返信が届いた。

「30分後に来てくれ」

あれだけ激昂しながら、今度は自宅まで来いというのだ。気が変わったのか、それとも何かの罠か、いずれにせよ会ってくれるというのだから、私にとっては悪い話ではない。

私は30分後に再訪した。
喫茶店から大通りを突っ切り、踏切を超えて細い路地を歩く。ヨーゲンの住むアパートが見えてきた。ここで、風景が少し前と違っていることに気が付く。

私の視界に飛び込んできたのは、アパート横の空き地に停められたパトカーだった。

状況は飲み込むことができた。ヨーゲンは警察に通報したのであろう。とはいえ、記者稼業をしていればこうしたことは珍しいものではない。ましてや週刊誌屋にとっては日常茶飯事だ。

私はその後の展開を予測しながらも、再びインタホンを押した。
ドアが開き、姿を見せたのは案の定、制服姿の警察官だった。
その際、玄関に立っているジャージ姿の男が見えた。初めて目にするヨーゲンである。

室内だというのに、なぜかヨーゲンはサングラスで顔を隠していた。私に顔を見られたくなかったに違いない。それにしても自室でサングラスとは、なんとも奇異な姿であった。
私はヨーゲンに話しかけようとしたが、警察官はそれを制し、私を室外に押し出した。

警察官によると「安田という男が脅しに来た」という通報があったという。
私は身分を明かし、目的は取材であることを説明した。警察官は「そうだったんですか」と驚いた表情を顔に浮かべ、「じゃあ、私どもがもう一度、彼に取材を受けるかどうか聞いてみます」とまで言ってくれるではないか。親切な警察官だった。

私は警察官と一緒に三度目のインタホンを押した。警察官が私に代わって「取材で来たようですよ」と説明してくれる。私も脅迫目的ではないと横から訴えた。しかしヨーゲンは「帰れ」「個人情報保護法違反だ」などと喚き散らすだけだった。結局、再びドアが開くことはなかった。

「無理みたいですね」と警察官も苦笑しながら、引き揚げたらどうかと促す。

仕方がない。相手が嫌だと言ってるのに敷地内に留まれば不退去罪だ。

私は後ろ髪をひかれる思いでアパートを後にし、その日のうちにいわきを離れた。

さて、その後──
間を置かずして彼の反撃が始まった。

「安田が襲撃に来た」「朝鮮人を引き連れて自宅まで襲いに来た」などと、妄想まみれの言葉をツイッターで書き連ねたのである。

私に電話してきたこともある。一方的に罵声を飛ばしたかと思えば、一転して、あなたも悪い人じゃない、などと口にすることもあった。

要するに彼は身元がバレたことで混乱していた。初めての経験に戸惑っていた。
私がときたま記事を発表している講談社の「g2」編集部に電話をし、担当編集者ばかりか社長を出せと詰め寄ったこともあった。

あるときには「私がネットで違法なビジネスをしているという噂が出ている。安田も取材しているようだが、そんな事実はまったくない。だから記事にするならば、私のビジネスについては一切触れないという誓約書を出せ」と編集者に迫ったこともあった。私はそのときにあらためて、彼が自らの商売に後ろめたさを感じていることを悟った。

いずれにせよ、ヨーゲンのこうした反応は予測できたことでもある。むしろ、それでよかった。少なくとも彼が私への敵意を募らせている間に関しては、在日に対するヘイトスピーチは抑制されていたからだ。いや、彼にとってはそれどころじゃなかったのかもしれないが。

一方、今回の件(ヨーゲン取材のあらまし)を私がツイッターに書き込むと、私に対する批判、非難も相次いだ。

「自宅を急襲した」「脅した」といったヨーゲンの書き込みを信じた者たちが、一斉に声をあげたのである。

「安田を許すな」「ひどいことをする」

そうした書き込みがネット上に氾濫した。

また、「匿名空間を破壊した」「個人情報を安田が暴露した」といった批判も少なくなかった。

ちなみに私はヨーゲンの本名も、正確な所在地もネットに書き込んだことはない。また、ヨーゲンの「被害者」を名乗る人々から彼の個人情報がほしいと何度も迫られたが、すべて丁重にお断りをしてきた。「仇討ち」の心情は当然理解できるが、それを煽ることが私の仕事ではないからだ。

とはいえ私が匿名であることを隠れ蓑としてヘイトスピーチに明け暮れる者を、現実社会に引きずり出したことは事実だ。しばらくの間、「安田許すまじ」の声はネット空間を飛び交った。

なかでも必死に安田批判の書き込みを重ねていたのは、ヨーゲンの取り巻きたちだった。

不毛だった「ニコ生対決」

「命を賭けてヨーゲンを守る」とまで豪語する女性は、イタリアのマフィアに私の殺害を依頼したかのようなツイートを書き込んだり、あるときは「オウム真理教の幹部が刺殺された事件を思い出せ」といった内容のメッセージを発することもあった。

余談ではあるが、私の殺害を示唆し、在日コリアンへの誹謗中傷を繰り返していたこの女性に関しても、所在を確認した上で私は自宅に直接足を運んでいる。

千葉県内に住む50代の女性だった。ひなびた漁師町で、彼女は夫と、年老いた父親との3人で暮らしていた。ネット上の彼女はときおり、都心での優雅で華やかな日常を記していたが、暮らしぶりからはそうした気配を見ることはできなかった。

玄関先で来意を告げると、彼女は私の顔を見るや否や「なんで、ここにいるのよ!」と素っ頓狂な声を発し、雨戸をぴしゃりと閉めた。そして室内から「警察に通報します!」と叫んだのち、二度と顔を見せなかった。このあたりの対応はヨーゲンと同じである。

その後、彼女はツイッターのアカウントに鍵をかけ、自らのツイートは公開していない。



話をヨーゲンに戻そう。彼もまた、周囲に煽られるように奇行に走った。

「安田対策」と称し、ネット通販で手錠や警棒型スタンガン、ボーガン、催眠ガススプレー、手錠などを購入し、その写真をネット上にアップするなど"武装"を整えたのである。

彼は次のような書き込みをしている。

「催眠ガススプレーはほんとうにゴキブリのように警察が来るまで地面でのたうちまわり動けなくなるらしいです。そのあとスタンガンで狙い撃ち、手錠、もし逃げたらボウガンを発射」

「平常心でできると思うな。やっぱ武器はいいわ」

いくら突然に取材をかけられたとはいえ、ここまでくると、まさに「平常」ではない。私も呆れるしかなかった。

それでも私はその後も幾度か取材を申し込んだが、ヨーゲンはそれを拒むばかりか、私への誹謗中傷をエスカレートさせていた。

そのうち、私がまったく関知していない別のグループが、そのころネット情報だけでヨーゲンの所在をつかみつつあった。それがツイッターなどで明らかになると、おそらくはヨーゲン周辺の人物がさらに新たな情報をネットに書き込むなどして、私の思惑を超えた形でヨーゲンも追い詰められていた。

それがネットの伝播力でもあり、また、怖いところでもあった。

こうした状況のなかで事態は思わぬ方向に動いていく。
追い詰められていたヨーゲンが突然、突飛な提案を私に振ってきたのである。

「スカイプで対決しよう。その模様をニコ生(ニコニコ生放送)で実況中継したい」

直接に私と向き合うのは嫌だが、スカイプであれば議論してもよいというのだ。しかも、実況中に顔出しするのは私だけで、ヨーゲン自身は声だけの出演にしたいなどと、なんとも身勝手な提案だった。

私は即座に断わった。そんなの取材じゃない。そもそもネット音痴の私はスカイプなど利用したことがないし設定の仕方もわからない。それに悪意あるコメントが流れるニコ生も好きじゃない。

だが、ヨーゲンは諦めなかった。提案を放置している私に対し、「安田は逃げている」「安田は臆病」などとツイッターに書き込んで挑発した。

結論から言えば、私は挑発に乗ってしまったことになる。「逃げている」と言われ続けることに我慢ならなかったのだ。そのあたり、私も「スルー力」が足りない。

ネットに疎い私は、すぐに知人に頼んでスカイプの設定をしてもらった。生まれて初めてニコ生のアカウントも取得した。私にとっては極めて難作業であった。

さらにヨーゲンは「双方に中立な司会者」を用意するよう注文をつけてきた。自分から提案をしておきながら、ニコ生のアカウント取得から司会者の選定まですべて私任せである。しかも司会者はヨーゲンが納得する人物でなければ許可しない、というメチャクチャな要求であった。

幸いなことに、私とヨーゲンのやりとりを見ていた人物から、司会役を引き受けたいとの申し出があった。その人物が保守的な思考の持ち主であることから、ヨーゲンも二つ返事でそれを受け入れた。

かくして1月19日の夜10時、「朝鮮人の手先である安田と愛国者ヨーゲンの対決」(ネットに書き込まれた文言 前編/後編)が相成ったのである。

このときの様子はいまでも動画サイトに残っているので、興味ある方はご覧いただきたい。

自分で記すのもなんだが、おそろしくレベルの低い「対決」であったことは間違いない。到底、議論と呼べるものではなかった。

しかたなく「ニコ生対決」に付き合った私は、どこか投げやりで、しかもぞんざいな態度でまくしたてるばかりであった。一方ヨーゲンはロジックも話芸もなく、自分から仕掛けたわりには、思春期の子供のように稚拙な罵倒を繰り返すばかりである。

復活してしまったヨーゲン

「今後、朝鮮人がウチを襲いに来たらどうするんだ」と私の取材を非難し、「朝鮮人の反日思想こそが問題」だと自らの正当性を訴える。私が少しでも反論しようものなら、「やめてくれ」とわめくだけだった。

やたら「朝鮮人」を連呼し、自身のヘイトスピーチは「反日に対する抵抗」なのだと主張するヨーゲンは、まさにネットの文言そのままの一本調子で何のひねりもない。

いま、あのときを振り返りながら、こうして書き起こしているだけで気恥ずかしくなる。いや、なんともバカバカしい。やはり、こんなのは取材じゃない。オーディエンスを意識している以上、私も好きなことが言えない。ヨーゲンの本名すら口にすることができないのだ。私はつくづく映像向きの記者ではないと実感した。

ただし唯一興味深く感じたのは、彼が在日コリアンを嫌悪することになったきっかけとして「生活保護問題」を挙げたことにある。

ヨーゲンは興奮した口調で次のように述べた。

「朝鮮人が生活保護を受給できていることが許せない。日本では生活保護が受給できないことを理由に、年間1万人もの人が自殺している。それは朝鮮人などが不当に生活保護を奪い取っているからだ。つまり60年間で60万の日本人が朝鮮人のせいで死んでいる。いま日本に住んでいる朝鮮人と同じ数の人間が、これまで命を奪われてきたことになる」

日頃から在特会などが主張していることでもある。実にメチャクチャなロジックではあるが、彼の憎悪が、そうした「奪われた感」に基づいたものであろうことは、ぼんやりと理解できた。結局、ネット上の真偽定まらぬ怪しげな言説に飛びつき、どうにか自我を保っているのだろう。

この「ニコ生対決」を終えてからも、ヨーゲンは懲りなかった。相変わらずネットで暴言、珍説をまき散らしていた。しかし"ニコ生効果"で必要以上に有名になりすぎたせいか、おかげでツイッターを運営する米ツイッター社にも「問題発言の多いユーザー」として認知されてしまったようだ。おそらく差別発言に対する同社への"通報"が相次いだのだろう。3月を過ぎたころには何度か「アカウント凍結処分」を受けている。

「ネトウヨ界の大物」を自称していたヨーゲンも、いつしか過去の人になりつつあった。
そしてある日突然、彼はツイッター上から消えてしまう。
彼の最後のツイートは6月17日である。
実はその日に彼は商標法違反で栃木県警に逮捕されたのであった。



裁判の過程においてヨーゲンは、多額の借金を抱えていることでプロダクトキーの販売を思いついたこと、それが犯罪だという認識が薄かったことなどを陳述した。

また、妻に対するDV(ドメスティック・バイオレンス)など、家庭内における様々な問題も露見することとなった。

朝鮮人を皆殺しにするとネットで吼えまくり、愛国者だとおだてられ、「大物ネトウヨ」を自称していた男も、法廷では虚勢を張ることもできず、叱責を受ける子どものようにうなだれているだけだった。

「もうネットに関連した商売はやらない。二種免許を取得して運転代行の仕事を始めたい」

憔悴しきった声でヨーゲンは更生を誓った。
哀れさをさらに誘ったのは、それまでヨーゲンを持ち上げ、同志だと豪語していた者たちが一人も法廷に姿を現さなかったことである。

冷たいものだ。「ネトウヨの連帯」など、その程度のものである。
ネットで踊り続けたヨーゲンに肩を差し出す者は誰もいなかったのだ。
そして10月15日、宇都宮地裁栃木支部の判決公判──。
同支部による判決は「懲役2年執行猶予4年、罰金100万円」というものだった。
今回が初犯であり、さらに更生を誓ったことが考慮され、執行猶予付きの判決となった。

その日、ヨーゲンは4か月ぶりの帰宅が許された。

量刑は妥当なところであろう。それでもなにか釈然としないものが残るのは、結局、彼のヘイトスピーチは何ら裁かれることはなく、しかも釈放された翌日から彼はツイッターを再開し、早くも私に対する罵倒を始めたためである。

まあ、私への罵倒程度ならばかまわない。しかし、彼の攻撃を受けた人々の傷は残ったままだ。なんら被害救済されることなく、ヨーゲンの復活に暗澹たる気持ちでいるに違いない。

取材の過程で、ヨーゲンを逮捕した栃木県警関係者から、私はこんな言葉を耳にした。

「容疑はすぐに認めたが、取り調べの最中にも極端に偏向した言説を口にするなどして担当者を困らせたらしい」

その様子が目に浮かぶ。取調室でも、ヨーゲンはヘイトスピーカーであり続けたのであろう。

ヨーゲンは確かに追い込まれた。今後、特定の人物に向けたヘイトスピーチが再開されれば、所在も本名も明らかとなったヨーゲンは即座に被告席に戻されることになろう。

だが、彼はおそらく変わっていない。ネットの自家中毒から覚めてはいない。
そしていまも、ネット上には無数のヨーゲンがいる。憎悪と差別と偏見を拡散する差別主義者が跳梁跋扈している。

そうした現実とどう向き合っていけばよいのか。このままでよいのか。ヘイトスピーチは裁かれないままであってよいのか。

差別を野放しにしている社会を変えるために何ができるか、私はいま、それを考えている。

<了>」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41046
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41047


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ヨーゲン 佐藤文平 福島県いわき市平仲間町55クレマンス鈴香102 (ヨーゲン 佐藤文平 福島県いわき市平仲間町55クレマンス鈴香102)
2018-12-24 07:05:49
ネトウヨキチガイ ヨーゲン の本名が 佐藤文平 住所は 福島県クレマンス鈴香102号室 ってマジ?

ヨーゲン ネトウヨ 福島県いわき市平仲間町55クレマンス鈴香102 佐藤文平 犯罪者 前科者 窃盗 性的暴行 精神障害
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ヨーゲン 佐藤文平 福島県いわき市平仲間町55クレマンス鈴香102 (ヨーゲン 佐藤文平 福島県いわき市平仲間町55クレマンス鈴香102)
2018-12-24 07:06:46
在特会 ネトウヨキチガイ ヨーゲン の本名が 佐藤文平 容疑者 の住む住所は 福島県クレマンス鈴香102号室 ってマジ?

ヨーゲン ネトウヨ 福島県いわき市平仲間町55クレマンス鈴香102 佐藤文平 犯罪者 前科者 窃盗 性的暴行 精神障害
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