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「中国問題」と私のかかわり 子安宣邦(大阪大学名誉教授)

2016-02-27 22:38:18 | アジア
「「中国問題」と私のかかわり ~語り終えざる講演の全文~ 子安宣邦(大阪大学名誉教授 近世日本思想史)


  1)私は「中国」の研究者でも専門家でもない。私は「中国問題」についての一人の外部的な発言者である。外部的というのは、私の発言は日本からの、日本思想史という専門的立場からの、そして方法論的な外部的視点からの発言だということである。このような外部的発言者としての私の「中国問題」についての発言が意味ありとして、私はここに招かれたのであろう。そうであれば外部者である私がなぜ、どのようにして「中国問題」の発言者になったのか、あるいはなぜ私に発言すべき「中国問題」が構成されていったのか、その由来を語ることが、私にここで求められていることではないかと考えた。

  2)私の「中国問題」とのかかわりは台湾から始まった。90年代の終わりの時期、私が対話を求めた「中国儒教」はそこにしかなかったからだ。私がもっとも頻繁に台湾を訪ねた今世紀の初めの時期に、台湾で「東亜儒学」という概念が形成され始めた。私はむしろこの概念形成に必要な人間として呼び出されたのである。私は台湾で儒教の多元化と日本に展開した儒教、ことに江戸儒教の独創的展開とその意義との認知を要求していった。だが私のこの要求はそのまま「東亜儒学」概念に包摂されてしまうことを知った。「東亜儒学」とは一元的「中国儒学」を一元多様体的儒学世界として再構成したものである。

  3)一元多様体的儒学世界とは中華帝国的儒学世界である。この世紀のはじめに台湾から「中華帝国」的文化概念が発信されたのだ。「東亜儒学」が「中華帝国」的文化概念になるのは、「東亜」を「中国文化圏」として実体化することによってである。私は「東亜」を実体としてではなく、方法概念として、「方法としての東亜」として考えるべきことを主張した。ここには「方法としてのアジア」「方法としての中国」として論争的に構成された問題と同種のものがある。ところで大陸中国から距離をもった台湾という位置は、大陸中国に先駆ける形で「中華帝国」的文化概念としての「東亜儒学」概念を形成し、発信させてしまうのである。私は台湾の「東亜儒学」にやがて大陸中国から発信される「帝国」文化的メッセージを予見した。それゆえ私は溝口や汪暉らによってやがて発信されていった「帝国」的言説を読み間違えることはなかった。

  4)「東亜儒学」といった「帝国」的メッセージは台湾の中心・台湾大学が発信したものである。だが台湾南部の成功大学は「台湾儒学」を表題とした国際シンポを開いた。「台湾儒学」という儒学的実体があるわけではない。それは台湾を場として、そこにおける儒教・儒学の多層的・重層的な展開の相を顕わにしながら、一元的儒学を解体する方法論的立場をいうのである。台湾には明代儒学があり、日拠時代のシナ学的儒学があり、土着化した民間儒教があり、そして国民党がもたらした正統儒学がある。中国の内部的他者ともいうべき台湾は、「中国儒学」といった一元論的な閉鎖的文化言説を多層化、多様化して多元論的な地平に開放していくような視点を構成する場でもあるのである。このことは台湾の自立性が中国の政治的多元化にとってもつ重大性を教えている。私の台湾の学生たちによる民主化運動へのサポートはこの台湾認識に基づいている。

  5)私の思想史的作業を通じての中国への認識論的かかわりは、「近代の超克」論をめぐってなされていった(『「近代の超克」とは何か』青土社、2008)。日本の現代思想史における「近代の超克」の問題は、最終的には竹内好の「方法としてのアジア」と溝口雄三の「方法としての中国」にしぼられていった。「近代の超克」とは西欧中心的世界史のアジアによる転換をいう昭和前期日本の西対東という政治地理学的関係性に立った歴史哲学的な理念であった。竹内も溝口も戦後日本においてなお「近代の超克」の課題をそれぞれに持ち続けている。私もまた私なりにポスト構造主義的立場で「近代の超克」の課題を持ち続けている。このことは本書における「近代リベラリズム」をめぐる議論に対するある距離感を私に与えている理由でもある。

  6)竹内は近代を構成してきた民主主義や人権思想に代わる何かが実体として東洋にあるとは考えない。だが「方法」として、民主主義や自由をもう一度世界史的な普遍的概念として輝かす何かがアジアにあるだろうというのである。それが何であるかを竹内はいわない。恐らくそれはアジアとその民衆が歴史的体験を通じてもった何かであるのだろう。その何かを見出していくのはわれわれの課題である。その意味では竹内の「方法としてのアジア」とは未来に向けた問いかけである。この竹内の問いかけを私もまた自分の課題として受け取っている。

  7)溝口は竹内の「方法」とは「実体」に対するものであることを理解しなかった。彼は竹内にならって「方法としての中国」をいいながら、溝口は竹内を読んでいないようだ。彼は竹内の語法だけを模倣して、竹内とは反するテーゼを構成してしまった。彼は歴史的中国を実体化して、この中国を通じて、中国によって世界史を見ること、あるいは読み直すことを「方法としての中国」だというのである。これは昭和戦時期の「近代の超克」論の戦後的な、東洋の盟主を日本から中国に移した形での再現である。溝口は竹内よりも京都学派の高山岩男を熱心に読んだのであろう。溝口は歴史的中国に「独自的近代」の形成を読み出しながら、彼の「方法としての中国」論を基礎づけていった。私は中国の「独自的近代」を読み出していく溝口の中国研究は現代「社会主義」中国の弁証論にしかならないといった(『日本人は中国をどう語って来たか』青土社、2012)。中国の「独自的近代」「独自的社会主義」論は中国共産党といわゆる「左派」社会主義者のイデオロギーである。

  8)私が現代中国の問題に直接かかわるようになったのは、いいかえれば中国が私における「中国問題」を構成するようになったのは、「08憲章」(2008.12.10.)の起草者の一人である劉暁波の拘留問題へのコミットを通じてである。「08憲章」とは現代中国におけるはじめての市民(公民)的立場からする〈もう一つの政治〉への希望の提示であった。この〈劉暁波問題〉にコミットしたことは、実に多くのことを私に教えた。それは中国についてだけではない。日本についても、東アジアについても教えた。第一に私は中国政権を一党支配の専制的全体主義政権としてはっきり認識した。「社会主義」とは全体主義の別名でしかないことを理解した。中国における市場経済の進展と世界経済への参入は中国の政治改革を導くだろうという期待は幻想にすぎないことをはっきりと知ったのである。天安門事件以降、中国政権は「六四」の記憶を地底に埋め込むとともに、一切の体制批判を封じて、一党支配の専制的体制に開き直ったのである。〈劉暁波問題〉にコミットすることを通じて私はこのことを知るとともに「中国問題」の用意ならぬ困難を知ったのである。

  9)この問題が私に教えたもっとも痛切なことは、〈劉暁波問題〉について耳を塞ぎ、口を封じるのは中国だけではない、日本もまたそうだと知ったことである。「08憲章」と劉暁波を抹殺することは中国だけがやるのではない。日本の知識人も研究者たちもまたこれに眼を塞ぐのである。中国における劉暁波の抹殺は党 - 国家権力による抹殺である。日本でなされるのはこの権力に配慮する〈進歩派〉知識人・言論人による抹殺である。私はこうした日本の言論状況の中で〈劉暁波問題〉をめぐる二册の論集を出版され、いま『現代中国のリベラリズム論集』を出版された藤原書店に深い敬意を表せざるにはいられない。

  10)中国の政治体制的問題については問わないという政経分離という国家間関係は経済優先の馴れ合い的関係であって、それは中国の反民主的な全体主義的な政治体制を容認するだけではなく、日本の民主的政治体制をも劣化させていくと私は考えてきた。中韓両国、ことに中国と日本との間にこの数年来強い政治的緊張関係が続いてきた。国際的緊張関係の増大は、国内政治体制の全体主義化と相関的である。中国も韓国も日本も、一党的国家体制であるか、多党的議会主義的国家体制であるかのちがいをこえて、それぞれに政治的自由を抑圧しながら、反民主的な寡頭的専制的政治支配の体制を作り出している。日・中・韓の国家間緊張関係は相互規定的である。国内の全体主義的傾向を相互に作り出しているのである。

  11)だが21世紀的世界は、ナショナリズムの軋みを相互に起こしながら諸国家が、新たな〈帝国〉的統合と分割の過程に入ったとみなされる。この過程が容易ならざるものであることは、ISという反〈帝国〉的過激派国家をこの過程そのものが作り出していることに見ることができる。この過程は私などの予見や予測を許すものではないが、ただ東アジア世界はすでにこの〈帝国〉的再統合の過程にあることを私はいいたい。われわれが直面しているのは21世紀のそうした東アジア世界であり、われわれにおける自由も民主主義もまたこの東アジアの現在から考えられねばならない。

  12)2008年以来、中国はこの東アジア地域における核心的利益を主張するようになった。それは大国中国によるこの地域の再編成の要求である。当然それは日米安保というこの地域の軍事的安全保障体制の見直しの要求を含んだものである。だが日本政府は、ことに安倍政権は日米軍事体制を自立的・軍事的に強化するという方向でしか対応しなかった。そこから〈歴史認識問題〉を切り札にした国家間の緊張がこの地域を支配することになった。

  私は東アジアにこの半世紀余を通じて一つの〈歴史認識〉問題があったのではないと考えている。いまあるのは世界の超大国中国によって、またすでに経済先進国である韓国によって主張される21世紀の〈歴史認識〉問題である。そしてこれはそれぞれにナショナリズムを喚起しながら為される国家的主張である。

  13)しかし対外的なナショナリズムは本質的に国内問題に起因しながら、その問題を隠蔽する。東アジアのそれぞれの国・地域にあるのは増大する経済格差と社会分裂の危機である。われわれが正面せねばならないのはこの社会的危機である。ナショナリズムは国家とともにこの危機を隠蔽し、人びとをそれに直面させることをしない。私は21世紀のナショナリズム(国家主義・民族主義)を歴史的な反動思想だと考えている。〈大中華民族主義〉は中国の〈帝国〉的存立を正当化し、〈帝国〉の厖大な棄民を見捨てようとする。日本のナショナリズムは日米安保による対抗〈帝国〉化のなかで沖縄の住民に長い隷従を強いるのである。ナショナリズムは東アジアに緊張を作り出しながら、この地域を〈帝国〉間の緊張と〈帝国〉的再編の場にしてしまっているのである。

  14)だが繰り返されてきた政経分離という馴れ合い的和解は東アジアの〈帝国〉間でもあるいは再び実現するかもしれない。すでにそのように動いている。しかしそこからもたらされる東アジアの平和とは、みせかけのものでしかない。政治的には何も変わることはない。われわれはこのみせかけの平和ではない、東アジアの本当の平和を、すなわち〈もう一つの東アジア〉を提示し、それを実現しなければならない。それを可能にするのは社会的危機に直面するそれぞれの国・地域における市民たちによる〈もう一つの政治〉を要求し、それを実現しようとする力であり、運動であるだろう。この〈民の力〉を小田実は〈でもくらてぃあ〉といったのである。〈もう一つの東アジア〉を可能にするのはこの〈民の力〉であり、その連帯である。私が台湾における〈もう一つの台湾〉を求める学生・市民の民主的決起に東アジアの希望を見出したのはそれゆえである。

  15)私はやっと「台湾から」という私における始まりの問題にもどった。台湾から「中国問題」へのかかわりを始めた私は、いま台湾の学生・市民の運動に〈もう一つの中国〉〈もう一つの東亜〉への大事な第一歩が踏み出されたことを知ったのである。21世紀のわれわれにおける市民的自由の課題は、この台湾の第一歩を東アジアのわれわれの大きな歩みにしていくことにある。

(  詳しくは子安『帝国か民主かー中国と東アジア問題』(社会評論社、2015)を参照されたい。)

  [今日12月6日、シンポ『現代中国のリベラリズム思潮』(明大現代中国研究所主催)でした講演の語り終えざる講演原稿の全文である。私に40分という講演を依頼する方が間違いなのか、40分に手際よくまとめない講演者が悪いのか。ともあれ思う存分語り得ぬ講演ばかりが続いている。だがこれは国内での話だ。台湾でも韓国でも私は思う存分語ることができたのだが。]

子安宣邦 (大阪大学名誉教授)

※本稿は子安氏のブログからの転載です。

■子安宣邦さん
  思想史家として近代日本の読み直しを進めながら、現代の諸問題についても積極的に発言している。東京、大阪、京都の市民講座で毎月、「論語」「仁斎・童子問」「歎異抄の近代」の講義をしている。近著『近代の超克とは何か』『和辻倫理学を読む』『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社)
(子安氏のツイッターから)

■子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/49587022.html」

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201512072209271

中国・国家統計局長の解任と統計の改革/丸山知雄

2016-02-25 14:51:31 | アジア
「 1月19日に中国の国家統計局が2015年のGDP成長率は6.9%だったと発表し、私を含めて世界の少なからぬ中国ウォッチャーが「予想通り『盛った』数字を出してきたな」と思ったのもつかの間、その数字を発表した国家統計局長の王保安氏が「重大な規律違反」によって解任されました。重大な規律違反とは要するに汚職のことですが、王保安氏の前職である財政部時代のことに関して嫌疑がかけられているようです。

 王保安氏の解任を聞いて、私は「さもありなん」との思いを禁じ得ませんでした。というのも彼が局長になってから国家統計局が発表するGDP統計の質がにわかに低下し、統計局が進めようとしていたはずの改革も停滞してしまったからです。

 GDP統計の質の低下というのは、以前このコラムで指摘した工業の成長率の過大評価の疑いです。王保安氏が統計局長に就任した2015年4月に発表された2015年第1四半期のGDP統計以来、工業の成長率と、工業を構成する主要な品目(鉄鋼、電力、自動車、石炭、非鉄金属、半導体など)の生産量の成長率との間に矛盾がみられるようになりました。この矛盾は王氏の局長としての最後の仕事になった2015年通年のGDP統計にもあります。各品目の成長率からみて、工業の成長率は公式発表の6.1%よりずっと低く、0%前後だったと私はみています。もっともこの問題については以前このコラムで詳しく論じましたので、今回は統計の改革について書きます。

中国の所得格差を明らかに
 王氏の前任の国家統計局長は馬建堂氏でした。馬氏はもともと国務院発展研究センターに所属する経済学者だったこともあり、国家統計局長だった間、統計によって中国の真の姿を明らかにすることに情熱を燃やしていました。特に彼の任期(2008~2015年)の最後の数年間にいろいろな改革を進めました。

【参考記事】中国経済「信頼の危機」が投資家の不安をあおる

 まず、2013年1月には、中国の家計所得の不平等度をあらわすジニ係数が2003年まで遡及して一気に公表されました。それまでも世界銀行などによるジニ係数の計測は行われておりましたが、初めて中国の権威ある統計機関によってジニ係数が発表され、中国がアジアの中で所得分配がもっとも不平等であることや、2008年まで所得格差が拡大したのち縮小に転じたことなどが明らかになったのです。

 彼が次に取り組んだのが、地方のGDP統計に含まれる「水分」を抜くことでした。中国では国家統計局が全国の経済計算を行いますが、各省にも統計局があって、そこが省レベルのGDPを計算します。さらにその下の市のレベルでも自分のところの経済統計を作ります。地方に調査に行きますと、「わが省の経済は昨年15%成長した」、「わが市の経済は昨年20%成長した」と景気のいい話が多く、下へ行けば行くほどホラ話が多くなる感があります。

 その結果、中央の国家統計局が発表する全国のGDPと、各地方が発表する地方のGDPとの間に明らかな矛盾がみられるようになりました。中国は31の省・市・自治区で構成されますから、理屈から言えば31の省・市・自治区が発表するそれぞれのGDPを合計すれば、全国のGDPと等しくなるはずです。ところが、図に示すように、実際には31の省・市・自治区のGDPの合計は全国のGDPをかなり上回っています。

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 両者の乖離が一番ひどかった2013年などは、地方のGDPの合計が全国のGDPを6兆元以上、率にして11%も上回っていました。この年は、全国のGDP成長率(7.7%)を下回った地方が一つもないという珍事もおきました。もし31の省・市・自治区の合計が全国と等しいとすれば、伸び率でみてもおよそ半数ぐらいの地方は全国の成長率を下回るはずですが、下回った地方が一つもないというのは、およそ半数ぐらいの地方がホラ吹きだったということになります。

 馬建堂局長は誰の目にも明らかなこうした矛盾をなくすために、省・市・自治区のGDPを各地方の統計局ではなく、国家統計局が計算して発表するという改革案を打ち出しました。馬氏は2014年に準備をして2015年から正式に実施するつもりだとも言いました(『21世紀経済報道』2014年1月9日)。

なかなか止まらない地方の成長率誇大報告
 図にみるように2014年には、地方のGDPの合計と全国のGDPとの乖離(水分率)は前年の11%から8%に下がっています。これは改革の結果というよりも、2015年から改革を実施すると馬氏が発言したことのアナウンス効果の現れです。つまり、地方政府が2014年をあんまりかさ上げしすぎると、2015年に国家統計局が正確なGDPを発表した時にマイナス成長になってしまってみっともないことになる、と一部の地方が恐れて2014年の成長率を控え目に出したのです。

【参考記事】鉄鋼のたたき売りに見る中国の危ない改革先延ばし体質

 ところが、2015年4月に馬建堂局長が国家行政学院副院長に転出し、後任の局長に王保安氏が就任するや、地方のGDP統計の改革がうやむやになってしまいました。2015年も相変わらず各地方がそれぞれのGDP成長率を発表しています。国全体の成長率(6.9%)を下回ったのは遼寧省(3.0%)、山西省(3.1%)、黒竜江省(5.7%)、吉林省(6.5%)の4省に限られ、他の地方の多くは相変わらずホラを吹き続けています。

 馬局長が取り組んだもう一つの改革が失業統計の改革でした。中国の公式の失業率は「都市登録失業率」というものです。都市登録失業率は、都市戸籍を持ち、年齢は16歳以上、法定退職年齢(男性60歳、女性50歳)以下で、職がなく、職安に失業者として登録されている人たち、すなわち登録失業者が就業者と登録失業者の合計に対して何パーセントを占めるかを計算して求めます。

本当の失業率を求めて
 その推移をみますと、2003年に4.3%だったのが、その後緩やかに低下して2007年には4.0%になり、2008-9年はリーマンショックの影響でいったん4.3%に上がりますが、翌年に4.1%に下がり、昨年末時点で4.05%、ときわめて狭い範囲で推移しています。この数字自体が捏造されている可能性は低いと私は見ていますが、問題は「登録失業者」が都市部に実際にいる失業者の一部しかカバーしていないことです。

 例えば、1990年代後半には国有企業で大胆な雇用削減に踏み切り、4000万人以上の労働者が解雇されて、東北部などは文字通り失業者であふれたのですが、その時代に都市登録失業率はずっと3.1%で安定していました。国有企業から解雇された人たちには特別の待遇が与えられ、「登録失業者」にはならなかったからです。

 また今日中国の都市では総計1億7000万人近くの「農民工」(農業戸籍を持っていて工業やサービス業で働いている人)が働いていますが、彼らは失業しても都市戸籍を持たないため登録失業者になることができません。景気の変動の影響をもっとも敏感に受けるのは農民工ですから、失業率統計から農民工が除外されてしまうと、失業率は景気のバロメーターとしての機能を余り果たさなくなってしまいます。

 そこで国家統計局では1996年から「都市部登録失業率」に代わる「調査失業率」という統計を試験的に作り始めました(『21世紀経済報道』2015年7月6日)。これは都市部の家庭をサンプル調査して就業や失業の状況を調べて集計するもので、ILOが推奨する失業率の計算方法に沿ったものです。2005年から正式の調査を開始し、10年には調査対象を全国31都市に広げ、13年は65都市に、15年には全国に291あるすべての地区レベルの市(蘇州市、無錫市、桂林市・・・などです)に広げました。そのデータは馬建堂局長らが記者会見などで断片的に触れる以外にはまだ公表されていません。きわめてインパクトが大きい数字なので、準備に慎重を期しているのでしょう。

 「調査失業率」は毎月、都市ごとに作られますし、そこには農民工の失業者や国有企業からの失業者もカウントされますから、もし毎月、都市ごとに公表されるようになれば、例えば今年行われることになっているキョンシー企業退治(前回の本コラム参照)によって遼寧省や山西省で失業者が増える様子がきめ細かく観察できるようになるでしょう。

 国家統計局は今年から調査失業率を公式の失業率として公表し、政府はこれを政策目標の設定などでも活用するとしていました。ところが、昨年8月以降は12月末に全国の調査失業率が5.01%だったと発表されただけで、調査失業率に関して何の情報も公表されませんでした。

 やはり王保安氏は統計改革に対する熱意が低く、彼が局長だった10か月間、統計の改革が停滞したと言わざるをえません。新たに国家統計局長になる人には、ぜひ中国の統計の信頼性と客観性を高めるよう頑張っていただきたいものです。」

http://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2016/02/post-8_1.php

スパイク・リー監督がラジオでバーニー・サンダース支持を訴える/ベリタより

2016-02-25 14:32:39 |  北米
「  映画監督のスパイク・リー氏がラジオでバーニー・サンダース候補の支持を訴えた。次の民主党の大統領予備選は南部のサウスカロライナ州で行われるが、ここは民主党有権者の55%くらいが黒人だとされる。これまでヒラリー・クリントン候補が黒人票をおさえていた。予想でもヒラリー・クリントン候補支持が60%台で、サンダース支持が20%台と大きく開いていた。

  ヒラリー・クリントン候補の夫、ビル・クリントン候補は南部アーカンソー州知事をつとめていたこともあり、南部の黒人の間で強い支持がある。今、全米でサンダース支持が広がりつつあるとはいえ、まだ壁がある。そうした中で、黒人に影響力がある映画監督のスパイク・リー監督が登壇した。
https://www.youtube.com/watch?v=sXmCJgzmoP0

  リー監督は「サウス・カロライナよ、目を覚ませ!」と呼びかける。「サンダースは企業から資金をもらっていない。ということはホワイトハウスに入った時に縛りがなく正しいことができるということだ。」

  2008年にリーマンショックが起きて以後、多くの人々が職を失ったが、一般に黒人の解雇の方が白人より早く、また米経済が持ち直してからも白人の雇用の方が黒人より早いという差別的な状況が報じられてきた。2014年に続発したミズーリ州やニューヨーク州など各地の黒人の暴動やデモは米警察の黒人に対する差別的な姿勢に端を発するものだったが、その背景には不況の中で拡大してきた白人と黒人の間の収入の差があった。2014年の風刺漫画には黒人暴動を呆然とテレビでホワイトハウスで見守るオバマ大統領の姿が描かれた。

  しかし、スパイク・リー監督はリーマンショック以後のオバマ大統領の経済政策を基本的に肯定し、サンダース氏が上院議員として黒人系のオバマ大統領を支えてきたことを強調。さらにキング牧師とともに歩き、人種間の平等を求めた公民権運動の活動家だったことも伝えた。


■2014年 全米に暴動が伝播、「白人警官不起訴」の衝撃(東洋経済)
http://toyokeizai.net/articles/-/54516


■ネバダ州でヒラリー・クリントン候補が僅差で勝利 民主党予備選で鍵を握る黒人票
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602221217381


■「アメリカを探して」 バーニー・サンダース陣営の選挙広告にサイモン&ガーファンクルの歌を使用
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201601312049490

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602242247503

アメリカ人は馬鹿じゃない! - 米大統領予備選からブッシュを追放、次はクリントン? -/ちきゅう座より

2016-02-25 14:27:14 |  北米
「 ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事(63)は20日、米大統領予備選が行われた南部サウスカロライナ州で支持者に向かって、選挙戦からの撤退を発表しました。 ジェブは、ご存知イラク戦争の戦犯であるジョージ・ブッシュ元大統領の弟です。 ブッシュと同じく前評判では、民主党大統領候補指名間違いなしと自負してきたヒラリー・クリントン元国長官、、 社会主義者のバーニー・サンダースに追い上げられてアップアップしています。 彼女もイラク戦争を支持し、<アラブの春嵐>に火を点けた戦犯です。 憎まれ口をたたくトランプはアンチ・イラク戦争です。 ブッシュ元大統領にぶら下がるジェブに向かって、「イラク戦争は間違いだった!」と、攻撃しました。 良くも悪くも正直な人です。

(1)オバマVSトランプ、法王VSトランプ:
 2016年2月16日、米国と東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議のためカリフォルニア州を訪れていたオバマ大統領は、記者会見でドナルド・トランプに関する質問を受け、「トランプは大統領にならないと信じている」と、明言した。「大統領は真剣な仕事だと、国民は思っている。私は国民を信頼している。トランプを大統領に選ばない」と、述べた。さらにオバマ大統領は、「大統領職は、トーク番組とかリアリティー番組の司会とは違う。プロモーションでもマーケティングでもない、大変な仕事だ。ニュースの話題になるためなら、何でもやる、何にでも媚びるという類のものではない」と、マジ顔でトランプを批判した。
 これに対してトランプは、「アメリカに大損害を与えた大統領にけなされるのは、褒められているようなもんだ」と、切り返した。

 2月16日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は、メキシコから帰路の機中会見で、米大統領選でトランプについて問われ、「橋ではなく壁を築くことを考える人は、キリスト教徒ではない」と述べた。これに対し、トランプ氏は「宗教指導者が他人の信仰を疑問視するとは恥ずべきことだ。俺は紛れもないキリスト教徒だ」と反論し、「お祈りだけしてろ!俺が大統領になるよう祈ってろ!!」と支持者の前で捨て台詞を吐いた。

(2)トランプのご意見:
 2016年の2月も末に近づくと、マスコミも一般アメリカ国民も、何かあるとトランプにお伺いをたてるようになってきた。アップル・ソフトウエア多国籍企業とFBIの裁判事件がその一例だ。ことは、FBI=連邦捜査局が死亡したテロ容疑者のアイホンのロック機能を解除できず、FBIを管轄する司法省は裁判所を通じて、製造元のアップルに対してロック機能の解除に協力するよう命令したが、アップルは2月16日に拒否したことから騒動が持ち上がった。これを受けて司法省は19日、裁判所に対して、協力を促すようアップルに強く命じることを改めて求める異例の要請を行った。要請では「アップルは、技術的にはロックを解除できるのに、ビジネス・イメージを気にして協力することを拒んでいる」と強く批判している。一方のアップルは「協力を拒む理由として、これが前例となれば、政府が利用者のメッセージの傍受や居場所の追跡などを行うソフトの開発をアップルに強いることもできるようになる」と、反発している。
 そして、ここでトランプの登場となる。トランプは19日のサウスカロライナ州での集会で「アップル製品をボイコットしよう!」と主張。集会後はツイッターに「これからはサムスン電子の製品だけ使おう!」と投稿し、アップルにFBIの捜査への協力を迫った。
アメリカ国民はトランプの言うことに耳を傾ける。一刀両断に切り捨てる小気味良さが、アメリカ人に受けているようだ。残念ながら、オバマの意見を聞かなくなってきた。もう、トランプがアメリカ大統領みたいだ。トランプの横で頷く大統領夫人候補は文字通りのスーパーモデルで、オバマ夫人には太刀打ちできない。あの、格差反対デモでセントラルパークに立てこもった99%派のニューヨークっ子たちが、「次期大統領はトランプ」と、言うようになってきた。ヒットラーが台頭してきた時のような、雰囲気だ。ちなみにトランプはドイツ系移民だ。

(3)アメリカ・ユダヤ人のお好みは:
 2016年2月⒛日のサウスカロライ米大統領予備選挙結果を受けてイスラエル紙ハーレツは、「トランプは共和党大統領指名争いで、トップに立った。しかし、彼はフォックス・ニュースに噛みつき、9・11テロ対策でのブッシュ前大統領をこき下ろし、ローマ法王をこけにした。彼にははっきりした政策も目標もないうえに、昨日言った事を今日ひっくり返す。彼は女性も中南米人も黒人も手当たり次第に侮辱し、「アメリカを再び偉大にする」というスローガンを叫ぶ。この一言で彼のファンは参ってしまう」と、分析している。そして、「ユダヤ系アメリカ人が支持する共和党の希望はマルコ・ルビオしかいないのでは?」と、語っている。ドイツ系アメリカ人のトランプは、ユダヤ系アメリカ人のお好みではないらしい。トランプも「お前ら(アメリカのユダヤ人財閥)は俺を支持しないんだから、俺もお前らの金を当てにしない。これって、クレイジーか?」と、強がってみせる。彼の娘、イヴァンカはユダヤ教徒で、自動的に彼の孫はユダヤ人になる。
 2月の初めに行われたユダヤ系アメリカ人の共和党集会で、トランプは「俺に任せてくれたら、もっとうまくイスラエルとやっていける」と、ユダヤ教に精通していることを強調している。これって、、マジ?

(4)イスラエル・ユダヤ人のお好みは:
 2016年2月⒛日のイスラエル紙ハーレツによると、「アメリカには、二人の偉大なユダヤ人がアメリカ大統領選挙にからんでいる。一人目は大富豪のアデルソンで、二人目は大統領候補のバーニーだ。アメリカに移住したユダヤ人にとってこの大統領選挙は、ユダヤ社会主義の伝統とユダヤ資金の活用という、外見上は相反する問題をつきつけている」と、分析している。特にアデルソン財閥の金が共和党大統領候補の誰にわたるのか?注目の的になっている。アデルソン旦那はマルコ・ルビオが、アデルソンかみさんはテッド・クルーズがお気に入りだそうだ。これからの大統領予備選を見てどっちにするか決めるそうだ。
 もう一人のアメリカ大統領候補バーニー・サンダースに関して、イスラエルのユダヤ人は暖かく応援している。バーニーは純血のユダヤ系アメリカ人だ。

 バーニーは学生の頃、イスラエルのキブツで学んだことがある。キブツはヘブライ語で<集団>を意味し、集産主義的共同村で、そこで社会主義に基づいた共同生活をする。
2月17日、キブツの同窓生たちが、「我々が若いころ、ユダヤ人がアメリカ大統領になれるなんて夢にも思ってなかった。バーニーには頑張ってほしいね!」と、キブツ本部からエールを送った。2月9日、ガイ・ポルニクがイスラエル紙ハーレツに、「74才のユダヤ爺さんがアメリカの体制をどうやって変えていくのか?貧しい人々はアイホン持ってるか?サンダースは無視された、そして馬鹿にされた。しかし、刻々と無力無能になっていくアメリカの体制を変革できるスーパーマン、、それは多分、彼に違いない」と書いた。
 イスラエル紙ハーレツの<2016U.S.選挙>特集項では、「もし我々が元イスラエル・ロビーストのジャック・アブラモッフの説を信じるなら、<バーニーは、選挙資金徴収に集中すべきだ。さもなければ大統領選に敗れる>ということになる。それは、ワシントン流の考えにすぎない」と、書いた。

 2016年2月20日のネバダ米大統領予備選結果を受けてBBC英国TVが「ヒラリーの勝利はバーニーの敗北を意味するものではない」と、解説しました。 「数か月前、ヒラリー陣営はネバダでバーニーを撤退に追い込むと息巻いていた。結果はヒラリーが勝ったが、バーニーは25%の大差を5%までに縮めた。バーニー陣営は11の州で一斉に選挙が行われる3月1日のスーパーチューズデイに向け戦うと誓った」と、BBCは付け加えました。 
 日本の米大統領選挙野次馬としては、トランプVSバーニーの本番対決に期待しています。 億万長者VS社会主義者、ドイツ系移民VSユダヤ系移民、けばいかみさんVS地味な女房、、などなど、とても分かりやすい争点になります。
 バーニーさんとバーニーさんを支持するアメリカ99%の貧乏人の皆さん、もうひと踏ん張りお願いします。」

http://chikyuza.net/archives/60549

メディア管理を強める中国/遠藤誉

2016-02-25 13:54:35 | アジア
「2月18日、中国における昔の身分を公開することへの警告が中国政府の公的機関から来た。その翌日、習近平総書記が新聞世論工作座談会を開催したことを知る。中国でいま何が起きているのか、当事者として分析を試みたい。

◆中国政府のシンクタンク中国社会科学院から警告メールが
2月18日、中国政府のシンクタンクの一つである中国社会科学院社会学研究所から一通のメールが届いた。社会学研究所の公印が捺してある公文書だ。
そこには「あなたは確かにかつて我が研究所の客員教授だったが、今は違う。もう十数年も学術的交流を持っていない。したがって公的な場において“中国社会科学院社会学研究所客員教授”(現任)という肩書を使ってはならない」という趣旨のことが書いてある。
さらに「この文書を受け取ったら、必ずすぐに返事をするように」とのこと。

いったい何が起きたのか?
あるいは何が起きようとしているのか?
このような警告メールをもらったのは初めてのことなので驚いた。

筆者はすぐに返事を書いた。おおむね以下のような内容だ。
――懐かしいお便りをありがとうございます。貴方も書いておられる通り、私はかつて、まちがいなく貴研究所の客員教授でした。したがって「歴任したことがある」と、過去の履歴として書いています。「現任」と書いたことは、ここ十数年ほどありません。過去の履歴を偽りなく書くことは、むしろ義務であり、正当な権利だと思います。ご安心ください。

ついでに、「なぜまた突然このような公文書を出すのか」に関しても質問をしておいた。
もちろん返事は来ない。
何かあるなと思っていると、翌19日、習近平総書記(以下、敬称省略)が党としての宣伝活動に関して重要講話を発表したことを知った。
なるほど。これだったのか。
社会科学院では、党と政府に何か大きな動きがあるときには、事前にスタッフ全員に緊急招集がかかり、党と政府の方針に忠実に従って行動するよう指令がかかる。
公文書の捺印日時は2016年2月13日だ。
つまり1週間以上前から、すべては19日の重要講話に向かって、一糸乱れず動いていたことになる。

◆党の「新聞世論工作座談会」開催
19日の中央テレビ(CCTV)は、習近平が人民日報社、新華社、中央テレビ局を訪問した様子を特集番組で伝え続けた。いずれも党と政府の最大宣伝メディア機関である。
迎える各社の職員たちは、大歓声と熱烈な拍手で習近平を迎え、「好(ハオ)!」という声を一斉に発した。
「好(ハオ)!」というのは、好きか嫌いかではなく、良いか悪いかを評価するときの「良い!」「「すばらしい!」を表現するときに使う言葉だ。たとえば京劇などの芝居を見るときに、すばらしい場面になると、役者さんへの賞賛の言葉を表すためなどに対して使われてきたという習慣がある。
この「ハオ!」を、迎える職員が一斉に発したということは、「上から」の命令があってのことだろう。
中国政府と党の3大メディアを視察した後、習近平は人民大会堂で「党の新聞世論工作座談会(中国共産党メディア世論活動座談会)を主宰し、おおむね以下のような「重要講話」を発表した。

――真実性は報道の命だ。マスコミは取り上げた問題をまっすぐに捉え、批判的な報道をする際には事実を正確に述べ、客観的に分析しなければならない。報道活動では理念、内容、ジャンル、形式、方法、手段、業態、体制、メカニズムなどを刷新して、方向性と効果を強化しなければならない。時代の変化に合わせた改革を指導し、(インターネットなど)新しいメディアを活用して、政治的方向性の堅持を優先せよ。党性を保つという原則、マルクス主義の報道観や世論の正確な方向性、ポジティブな宣伝を主導とする方針をしっかり堅持していくべきだ。

おおむねこのような内容だが、それにしても「真実性は報道の命だ」とはよく言ったものだと思う。真実を覆い隠して党に都合の良い報道ばかりをしているからこそ、このような「重要講話」を出さざるを得ないのではないのか。
「マルクス主義の報道観」とは何のことかと言うと、主として「共産党がいかに素晴らしいかを宣伝する政治的方向性を持った報道」という意味である。
これは1930年代の毛沢東たちがよく使った方法で、「民心を奮い立たせるような文言を編み出して、一般民衆を中国共産党の側に引き寄せる」魔術のようなものだ。本当は民のためなど思っていなくて、いかにして中国共産党が繁栄し強大になるかしか考えてないのに、「人民こそが主人公」と叫び、世論を形成していく。
これが中国共産党にとっての「世論の正確な方向性」なのである。

◆なぜこのような「重要講話」が必要になったのか?
それはインターネットのソーシャルネットワーク・サービスの手段が爆発的に発達してきたからだ。たとえば「微博(ウェイボー)」(中国式ツイッター)に続き、2013年からは「微信(ウェイシン)」(ウィーチャット、WeChat)が流行り始め、情報交換の自由度は格段と大きくなってきた。
誰も官製メディアなど見やしない。
中華人民共和国を建国するにあたり、中国共産党(毛沢東)が国民党(蒋介石)から政権を奪うことができたのは「銃とペンの力」だった。
毛沢東の文才は、たしかに宣伝文書を通した呼び掛けによって民心をつかんだ。その紙代や印刷機および印刷代を支えたのは日本外務省の機密費である。拙著『毛沢東 日本軍と共謀した男』に詳述したように、毛沢東は中共スパイ潘漢年に日本外務省・岩井公館の岩井英一と接触させて大金を入手し、それにより「ペンと銃」による政権奪還に成功した。

しかし今はどうか。
「銃」はしっかり充実させているが、「銃」では人心は買えない。
習近平は「第二の毛沢東」として毛沢東の威信を借りようとしているが、頼りとなる「党のペン」に、網民(ネット市民、ネットユーザー)は見向きもしないのである。特に微博も微信も、携帯で互いに通信できる。国家の検閲は徹底できない。

人民網には「強国論壇」があり、「五毛党」(安い報酬で政府のために党と政府を讃えるコメントを書く人たち)により占められてはいるが、ときどき、「あれっ?」と思うようなコメントが書いてあることがある。こういった「ミス」を生まないためにも、官製メディアの士気を高め、「重要講話」を出さなければならなかったのだろう。

◆なぜこの時期なのか?
実は3月5日には年に一回の全人代(日本の国会に近い立法機関)が開催される。そこでは第13回五カ年計画が決議され、動き始める。しかし同時に米韓の軍事演習も始まり、北朝鮮がどう動くか気が気ではない。人民の関心は、どうしても「万里の防火壁(ファイアー・ウォール)」を越えて入ってくる壁の外からの情報に目が行く。本当のことを知りたいのだ。海外メディアも全人代取材のために中国入りするから、この時期は官製メディアを引き締めておかなければならない。

2016年1月26日、中国政府の工信部(工業信息化部)は中国の携帯使用数が13.6億になったと発表した。一人が二つ以上の携帯を持っていることもあるので、携帯の使用数と人数は必ずしも一致はしない。しかし赤ちゃんやかなりの高齢者以外は、ほとんどが携帯を持っていると言っていいだろう。普及率は「100人が95.5個の携帯を使用している」という計算になるそうだ。

網民の数は6.88億人(2015年末データ)。そのうち携帯でネットにアクセスする網民の数は6.20億人に達している。
互いに携帯で通信しあい、携帯で「外界」にアクセスし、「真相」を知ろうとする。
その力を阻むことは、もうできない。」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20160225-00054733/

東電の安全マニュアル隠蔽問題

2016-02-25 13:37:01 | 放射能
東電が五年間メルトダウンを規程したマニュアルがあることを隠蔽していた。

しかしなぜメディアは隠蔽と明確に言わず、その責任を徹底追及しないのか。

マニュアルを書いた担当者。

それを承認した上司たち。

全体としての安全体制に責任を持ち、その中でマニュアルを確認していた幹部たち。

その上にたつ経営責任者。

そして現場でマニュアルを叩き込まれたはずの数多くの社員たち。

どう考えても組織的隠蔽によって今まで隠されてきたとしか言えない。

そもそもなぜ安全マニュアルのようなものをメディア自身が確認しないのか。

東電は論外だが、メディアも論外だ。

徹底的な個人にさかのぼった責任追及が必要だ。

「知ろうとする姿勢と、伝えようとする勇気」視覚・聴覚障害者が語る日本に今ない現実

2016-02-25 13:33:17 | 社会
「バレエ舞台の両脇でバレリーナたちが見つめる中、『眠れる森の美女』の妖精は、舞台上で華麗に踊る。クラシックの音色に合わせ、指先からつま先まで、正確なリズムでポーズを決めてゆく。彼女には、一緒に出演するバレリーナたちの美しい姿は見えていない。音楽も、半分しか聞こえない。

上智大学4年生の兼子莉李那さん(23)。視覚・聴覚障害者だ。

莉李那さんは、生まれつき眼球が小さい「先天性小眼球」だった。右目は、光を感じる程度でほとんど見えない。左目も障害のために視野が極端に狭く、見える範囲はストローの穴のサイズ。見える部分も視力は0.03しかない。

この記事を書く私には、重度の視覚障害のある彼女から見える世界が、想像もつかない。「視野が狭い」ということがどういうことなのか、莉李那さんの解説をもとに、イメージ図を作った。
左が莉李那さんが見ている風景、右が私が見ている風景だ。

限られた光、そして、音

障害は、視覚だけではない。
左耳は感音性難聴。ほぼ右側からしか音が聞こえないため、音がどの方角から聞こえてくるか、空間的に捉えることが難しい。
視野の外から声をかけられると、どこからその音が聞こえてきたのかわからない。立ち止まり、限られた視野で相手を探す。白杖を持って街中を歩いていると、莉李那さんの障害を知らない人たちが、ひそひそと話す声が聞こえることがある。
「あの人、本当は見えているんじゃないの?」
まるで周りが見えているかのように歩けるのは、一度通った場所は懸命に記憶しているからだ。初めての場所は戸惑うし、人と少しぶつかっただけで、方向感覚がわからなくなってしまう。ちょっとした段差やくぼみでも、彼女には難所になりうる。
目が見え、耳が聞こえる人には何でもないことが、大きな壁になる。それが、彼女が生まれたときからの日常だ。

彼女の原動力とは何か

4歳から続けるクラシックバレエで、難関で知られる英国のバレエ教師資格「Royal Academy of DANCE Vocational Graded Examination」を取得。小学生の頃から勉強してきた得意の英語を生かし、上智大に入学した。彼女の原動力は何か。
障害者は自分より絶対下の人間という見方が強いのは、悔しい」
「障害者としてのプライド」を持っているからか、ステレオタイプのせいなのか、なかなか理解してもらえない。その経験は、子供の頃から何度となく繰り返した。
「りーちゃんなんかに負けたって言ったら、ママに怒られちゃう」
「りーちゃんとりーちゃんママは、障害者らしく悲しそうにしてればいいんだよ」


教科書を拡大コピーし、地道に勉強を頑張ったり。可愛らしい服を着て親子で楽しそうに登校したり。「そういう当たり前のことすら、違って受け止められることがありました」と母の亜弓さんは振り返る。

大学の教室では最前列に座り、ルーペを使って黒板に書かれる文字を読む
知ろうとする姿勢と、伝えようとする勇気
彼女は昨年5月、上智大で開かれたイベントでスピーチをした。テーマは「沈黙は金ではない」。障害を理解してもらうには、コミュニケーションがいかに大事かを訴えた。

「障害者の中には、自分の障害についてあまり人に知られたくないという人もいるのが事実です。知ろうとしない健常者と伝えようとしない障害者。それで困ったことがなんにもないなら構わないと思います。しかし、障害者というのは健常者と比べて、すべてにおいて困難が多いから障害者なんです」
スピーチの中で、莉李那さんは白杖について説明した。視覚障害者が持つ杖だとは知られているが、弱視の人も所持が義務付けられていることはあまり知られていない。また、「視覚障害者だけではなく、障害者全員が持つのも法律上認められているという知識を広めていきたい」と彼女は話す。
白杖は障害があること、サポートが必要かもしれないということのサインになりうる。しかし、彼女と初めて接する人々の多くは、白杖について彼女に直接にではなく、周囲の人に説明や助言を求める。「コミュニケーションが不足している」と語る。
「知ろうとする姿勢と、伝えようとする勇気。この2つが生み出すコミュニケーションによって、障害者と健常者がよりよく共存する未来につながると信じています」

TEDxSophiaUniversityでのスピーチ 兼子莉李那さん提供
障害者とどう会話を始めればいいのかわからない人に、莉李那さんは次のようにアドバイスする。
「緊張している人もいるので、声をかけて。声をかけてもらって、不愉快な思いをする人はいないでしょう」
また、反対に障害について伝えるのに躊躇している人に対しては、こう語る。
「言わないのも、言うのも勝手かもしれないけど、言ったほうが楽だよ。言わないと、自分が苦しいだけだよ。逆に言わないから情報が入ってこなくて、ずっとずっと辛い思いしなきゃいけないのって時間も勿体無いし、その間にできることも出会える人もたくさんいると思う」
昨夏に参加したGoogle Japanでのインターンシップも、莉李那さんにとって貴重な出会いとなった。インターンシップ中、メンターには「もっとできるでしょう」とできることには積極性を求められた。
「自分でも『他の人と差をつけられて当たり前』と思ってしまう部分がありました」

Google Japanのインターンシップにて。
「健常者と障害者の線引きのなさにびっくりした」と語る莉李那さん

差をつけられて当たり前ではなく、自分から積極的に取り組む。そのことがどれだけ大切か、改めて気づいた。
莉李那さんの将来の夢は先生になることだったが、もう一つ、夢が増えた。障害者のキャリア支援だ。どちらも、自分がこれまでの人生で学んだことを伝えたい。

大学の講義を履修し終えるのに、人の数倍時間がかかる。大学卒業には7~8年はかかりそうだ。
確実にゆっくりと歩む。これまでと同じように。

バズフィード・ジャパン ニュース記者
お問い合わせ Eimi Yamamitsu at Eimi.Yamamitsu@buzzfeed.com.」

http://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/ririna-kaneko-interview#.vsVqgmv25

Xi Jinping’s News Alert: Chinese Media Must Serve the Party/NYT

2016-02-24 19:02:38 | アジア
"BEIJING ― The Chinese news media covered President Xi Jinping’s most recent public appearances with adulation befitting a demigod.

Front-page headlines across the nation trumpeted Mr. Xi’s visits to the headquarters of the three main Communist Party and state news organizations on Friday. Photographs showed fawning journalists crowding around Mr. Xi, who sat at an anchor’s desk at the state television network. One media official wrote the president an adoring poem.

The blanket coverage reflected the brazen and far-reaching media policy announced by Mr. Xi on his choreographed tour: The Chinese news media exists to serve as a propaganda tool for the Communist Party, and it must pledge its fealty to Mr. Xi.

Though the party has been tightening its control over the media since Mr. Xi became the top leader in late 2012, the new policy removes any doubt that in the view of the president and party chief, the media should be first and foremost a party mouthpiece. Mr. Xi wants to push the party’s message domestically ― and internationally ― across all media platforms, including advertising and entertainment, scholars say. That is a shift from his predecessor, Hu Jintao, who stressed the need for the state-run media to become more responsive to the modern digital environment and shape or channel public opinion.

President Xi Jinping of China, center, was applauded when he visited the newsroom of People’s Daily in Beijing on Friday. Credit Lan Hongguang/Xinhua, via Associated Press
“All news media run by the party must work to speak for the party’s will and its propositions, and protect the party’s authority and unity,” Mr. Xi told the gathered media officials on Friday, according to Xinhua, the state news agency.

Mr. Xi also wants to curb the presence of foreign media companies. Last week, government agencies announced a regulation that would prevent foreign companies from publishing and distributing content online in China. That could affect Microsoft, Apple and Amazon, among others.

Mr. Xi’s appearances on Friday were another major effort in his campaign to build a personality cult that equates him with the well-being of the party and the nation. The act of biao tai, or pledging loyalty, by newsroom leaders was one that Mr. Xi has demanded of military leaders and other important figures in the last year.

That tightening of control has come as Mr. Xi faces pressure about China’s economy, partywide corruption and widespread public frustration over pollution and environmental degradation.

An essay in China Daily, the official English-language newspaper, offered an explanation on Monday about why Mr. Xi was unveiling his policy now.

“It is necessary for the media to restore people’s trust in the party, especially as the economy has entered a new normal and suggestions that it is declining and dragging down the global economy have emerged,” the essay said.

“The nation’s media outlets are essential to political stability, and the leadership cannot afford to wait for them to catch up with the times,” it said.

Mr. Xi’s directives would also make it harder for foreign governments to determine which Chinese journalists operating in their countries are legitimate news gatherers and which ones are agents serving propaganda, intelligence or other official interests. The major party and state-run news organizations have been greatly expanding their operations overseas, including in the United States.

Mr. Xi’s new policy came about because “despite the continuing tightening of control of the media over the last three years, Xi is not fully assured that the state media, even the most central ones such as Xinhua and CCTV, are fully under his control,” said Xiao Qiang, a scholar in Berkeley, Calif., who researches the party’s information control.

David Bandurski, the editor of the China Media Project at the University of Hong Kong, said that “under Xi Jinping, the centrality of the party is explicit for every single medium.”

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“I think the sense is, ‘We own you, we run you, we tell you how things work,’ ” he said. “ ‘The party is the center, and you serve our agenda.’ This is much more central now, and it’s being defined for all media platforms, from social media to commercial media.”

On Monday, in a sign of how officials were embracing Mr. Xi’s new policy, a website managed by the propaganda unit of the Beijing municipal party committee attacked a popular property tycoon, Ren Zhiqiang, who had criticized Mr. Xi’s speech on Friday. The site accused Mr. Ren, a party member, of having “lost his party spirit” and “opposing the party” after he wrote on his microblog that the media should be serving the people and not the party. The posts by Mr. Ren have been deleted.

Under Mr. Xi, there has been a steady rollout of policies aimed at tightening control of every aspect of the media, including social networks, films and books.

The latest such regulation, announced last week by two agencies, said that starting March 10, foreign companies ― even ones that form joint ventures with Chinese partners ― would not be allowed to publish and distribute online content. Many foreign publishers and producers of online content aimed at a Chinese audience are based overseas, but a handful have significant operations or joint ventures in China that may be in jeopardy, including Microsoft and Apple, which has a Chinese App Store. Amazon sells e-books in China and operates Amazon.cn.

Articles on Mr. Xi’s policy speech, which was not immediately released in full, said the president also demanded that journalists and news organizations “strictly adhere to the news viewpoint of Marxism” and “raise high the banner” ― phrases that mean advancing the interests of the party.

Mr. Xi’s policy has been building piecemeal. In 2013, the government began requiring all Chinese journalists to take a test in order to get their press cards renewed, with the aim, among other things, of getting news gatherers to “uphold the Marxist journalistic ideals more consciously.”

That year, China’s top legal bodies said the criminal charge of “picking quarrels and provoking trouble” could apply to online speech. Since then, the authorities have used it as a cudgel to silence dissent on the Internet.

In several prominent cases, officials have persecuted journalists for everything from sharing information with foreigners to “spreading rumors” related to the stock markets and the economy.

Chinese news organizations, including formerly adventurous and commercially driven ones like Southern Weekly, are toeing the line. People’s Daily has become a publicity machine for Mr. Xi. On one day in December, his name appeared in 11 of the 12 headlines on the front page.

Some political analysts note that Mr. Xi’s attempts to impose total control over the media say as much about his personal insecurities as they do about any Marxist-Leninist ideological vision that he holds.

“The most important thing is for him to announce his absolute authority,” said Zhang Lifan, a historian. “He doesn’t feel effective and confident in dealing with problems, and he lacks a sense of security.”

Mr. Zhang added, “He worries the Chinese Communist Party will lose political power, and he also worries that his peers will shove him from his position.”"

http://www.nytimes.com/2016/02/23/world/asia/china-media-policy-xi-jinping.html?ref=asia&_r=0

[寄稿] 親日附逆者はなぜ断罪されねばならないのか/ハンギョレ

2016-02-24 18:55:46 | 政治
「 「親日」とは何か? いかなる牽制も不能でいつでも露骨な暴力に転落できる無法権力に対する附逆行為(反民族行為)だ。 今生と死の境をさまよっているペク・ナムギ農民の場合を見よ。 植民地時代の反逆者がそっくり権力を受け継いだ社会でなければ、自国民に対して植民地民のように接することは果たして可能だろうか?

 親日附逆派に対する断罪は「民族の精気」ではなく私たちの子供のために必要だ。 権力と暴力がほとんど同義語となったこの社会では、子供たちが果たして正常に成長できるか? 韓国社会の暴力化の一主犯である親日附逆派に対する明確な整理が結局は社会全般の脱暴力化の出発点になるだろう。

 親日附逆問題を論じようとすれば、民族主義者であると誤解されやすい。 実際、多くの場合に親日附逆に対する断罪はまさに民族主義的論拠によって成り立つ。 ところが親日を断罪しようとするなら、あえて「民族」というフレームを中心に論理を展開する必要は本当のところない。 日帝強制占領期間の政治的支配関係は「異民族支配」という次元ではもちろん「民族」を窮極的には避けて通れないが、「親日」の「日」は「民族」としての日本を意味するものでは全くない。 日本「民族」の言語や文化に精通し、日本の同志たちと連帯するということは決して政治的意味の「親日」につながる必然性はない。

 金天海(キムチョンヘ 1898~?)を覚えているだろうか? 蔚山(ウルサン)出身の僧侶であり、啓蒙運動家として1921年に東京に渡った彼は、そこで労働運動に飛び込み、さらには朝鮮共産党日本総局の責任者になり、朝鮮の共産主義者たちが日本共産党に吸収されてからは日本共産党の中央委員になった。 日帝時期には都合12年を監獄で過ごし、最後まで転向を拒否した金天海は多くの日本人同志たちに尊敬され、日本語や日本文化にも造詣が深かった。 ところで、多くの日本人たちと永く親しく過ごした彼を、果たして誰が「親日派」と呼ぶだろうか? 日本語で書いた小説で、日帝時期に差別を受けた朝鮮人の二重的アイデンティティや、「同化」に対する社会的圧力の内面化過程を見事に描写した金史良(キムサリャン 1914~1950)は果たして「親日派」か? 「親日」の「日」は結局「日本」というよりは「日帝」を指す。 「親日派」とは正確に言えば、日帝植民当局という正統性のない権力に参加したり「不当な取引」を自発的に行った、特にすでに広義の支配者的位置にあったか、そのような位置を占めようとした被植民社会構成員を指す。 彼らの行為は、「民族的背信」というよりは「不法な権力に対する附逆」という方が正確だろう。

 階級社会の権力は常に内在的に暴力的だ。 例えば階級支配の関係を本質的に変えようとする人々に対しては法の手続きなどは踏まないケースが多い。 最近新たに脚光を浴びた『蟹工船』で有名な日本のプロレタリア文学者の小林多喜二(1903~1933)を覚えているか? 共産党員の彼は、『1928年3月15日』という小説(1928年)で、警察の拷問を極めて写実的に描き、偶然にも本人もまた結局検挙されて筆舌に尽くしがたい拷問にあって死んだ。 共産党員やアナーキストのような体制の積極的反対者に対して体制は、たびたび拷問という露骨な暴力で対応した。 ところが通常の場合には、日本“内地”、すなわち自国内では日帝当局者といえども拷問のような極端な暴力の使用は自制した。 近代的権力はいくら内在的には暴力的だとしても、それでも「国民」多数の同意をベースにしなければならないために、少なくとも自国内では法・手続きを前面に掲げることになっている。 「国民国家」とは当然そんなものだ。

 ところが自国内ではいくら「自制」するとしても、植民地や占領地では近代国民国家の暴力性は確実に表面化してしまう。 植民地の人民は「国民」ではないか、あるいは「2等国民」であったために、自国内では想像もできないことを植民地では躊躇なくできる。 日本「内地」では急進的活動家でなければ、拷問は一般的でなかったが、植民地朝鮮では被疑者の政治的指向とは無関係に暴力的捜査は日常茶飯事であった。 共産主義者どころか熱烈な反共主義者であり大物親日派であった尹致昊(ユンチホ)のいとこ-後に李承晩(イスンマン)の側近になり朴正煕(パクチョンヒ)時期にはソウル市長と共和党議長まで務めた-尹致暎(ユンチヨン 1898~1996)さえも、穏健な有志たちの団体である興業クラブ事件で1938年に投獄され、相当な水準の拷問にあったと伝えられている。 そのような階級に属する人が、もし「内地人」、すなわち日本人ならば拷問にあったはずがない。 ところが植民地でなら、日本人刑事には最も富裕で保守的な朝鮮人名望家も一介の暴力の対象物に過ぎなかった。

 それでは「親日」とは何か? いかなる牽制も不能でいつでも露骨な暴力に転落できる無法権力に対する附逆行為だ。 「民族」を離れて、このような行為は近代的市民社会を建設しようとする所では容認されえない。 附逆行為をしたことにより、本人も結局は他者に向かってその露骨な暴力を代行することになっているためだ。 親日附逆行為は国内的には土着社会で君臨する暴力組織である植民当局の一員となって、暴力従犯になることを意味するが、国際的にも日帝の加害行為に加担して自らが加害者になることを意味した。 例えば朴正煕(パクチョンヒ)の傀儡満州国歩兵第8師団服務と(おそらく朝鮮人独立活動家を含むと推測される)中国共産党八路軍「討伐」への参加は「民族背信」の次元を越えて、後に東京裁判で有罪判決を受けた戦争犯罪である日帝の中国侵略に加担する行為であった。 事実、相当数の親日附逆派が被侵略国家では「悪質的侵略従犯」の姿を見せた。 例えば、後に韓国文教部長官や複数の大学の総長を務めて朴正煕の「歴史教師」として名を馳せた歴史学者イ・ソングン(1905~1983)は、満州国で日本軍に軍糧米を納入する安家農場を管理した時期、中国人に対する苛酷な態度で中国農民の間で悪名を駆せた。 親日派のこのような中国侵略加担は、結局後に延辺の朝鮮人を見る中国社会の一部の視線に否定的影響を及ぼすなど。長期に亘り多くの罪なき人々に苦痛を抱かせることになった。

 「民族に対する裏切り」というよりは、国内外の権力型暴力への加担こそは「親日派問題」の核心だ。 親日派を断罪するのは「民族の精気を取り戻す」というよりは、暴力社会から正常社会に進むための前提条件だ。 親日派が当初から事実上権力をそっくり継承してきた大韓民国の明白な特徴は、植民地的暴力性がそのまま引き継がれ、むしろ拡大したことだった。 朝鮮人なら誰でも無条件に拷問してもかまわない、という考え方に慣れた親日警察の出身や、中国などで現地人を虐殺することに慣れた日本軍将校出身者は、結局大韓民国という新しい枠内でも自国民に同じ方式で接することを当然視することになった。 光復(解放)70周年が過ぎた今になって、親日派の話を持ち出すのかと言う人々がたまにいるが、その話をおそらく光復100周年になっても続けなければならない理由はまさにここにある。 米国の絶対的保護下で反共の「砦」になって、新生独立国家である大韓民国で権力をそっくり引き継いだ親日派が駆使してきた植民地的対民間統治方式が今もそのままに行われているためだ。

 例えば今生と死の境をさまよっている農民ペク・ナムギ氏の場合を見よ。彼に向けて照準し放水銃を直射した警察の行為は、当然に未必の故意による殺人未遂と規定しなければならない。 正常な社会での警察の業務が「秩序維持」だとするならば、いかなる暴力行為もしなかった農民ペク・ナムギ氏にわざと殺そうとしたように放水銃を撃ったことは「自国民との戦争」に近かった。 それでも、この権力型犯罪行為に対してまともな捜査も責任者の処罰もない。 一部の支配層を除く残りの自国民に対して、言うことをよく聞けば単純な統治対象、言うことを少しでも聞かなければ制圧すべき敵と把握するような統治方式は、果たしてどこから派生したのか? 植民地時代の反逆者がそっくり権力を受け継いだ社会でなければ、自国民に植民地民のように接することは可能だろうか?

 親日派に対する断罪は、その意味が不明で抑圧的感じが強い「民族の精気」のためではなく、私たちの子供のために必要だ。 権力と暴力がほとんど同義語になったこの社会では、子供たちが果たして正常に成長できるか? 大人の社会で蔓延した暴力が学校暴力につながり、子供たちは幼い時からげんこつこそが正義だと習ってしまう。 韓国社会の暴力化の一主犯である親日派に対する明確な整理が結局は社会全般の脱暴力化の一出発点になることを、私は歴史から学び、最も熱望している。

朴露子(パンノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー オスロ国立大教授・韓国学

韓国語原文入力:2016-02-23 19:27
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/731734.html 訳J.S(3856字)」

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/23412.html

(26)外国の緊急事態条項「多数の国が採用」は誇張 首相提案は「独裁権」/沖縄タイムス

2016-02-24 18:52:48 | 政治
「 前回、安倍首相が、国会の関与なしに内閣が法律と同じ効力を持つ政令を出す仕組みを提案していることを指摘した。安倍首相は、こうした緊急事態条項は、「国際的に多数の国が採用している憲法の条文」であり、導入の必要性が高く、また濫用の心配はないと言う(1月19日参議院予算委員会)。これは本当か。外国の緊急事態条項と比較してみよう。


 戦争や自然災害が「いつ起こるか」は予測困難だが、「起きた時に何をすべきか」は想定可能だ。そして、警報・避難指示・物資運搬等の規則を細かく定めるのは、国家の基本原理を定める憲法ではなく、個別の法律の役割だ。このため、外国でも、戦争や大災害などの緊急事態には、事前に準備された法令に基づき対応するのが普通だ。


 例えば、アメリカでは、災害救助法(1950年)や国家緊急事態法(1976年)などで、緊急時に国家が取りうる措置が定められている。また、1979年に、カーター政権の大統領令により、連邦緊急事態管理庁(FEMA)という専門の行政組織が設置された。


 FEMAが関係機関の調整機能を果たすことで、地震やハリケーンなどの大災害に見事に対処してきたと言われる。フランスでは、1955年に緊急事態法が制定され、政府が特定地域の立ち入り禁止措置や集会禁止の措置をとることができる。昨年末のテロの際には、憲法上の緊急事態条項ではなく、こちらの法律を適用して対処した。

 では、憲法上の緊急事態条項は、どのような場合に使われるのか。まず前提として、多くの国の憲法は、適正な法律を作るために、立法には慎重な議会手続きを要求している。柔軟な立法のために、議会手続きを緩和するには、憲法の規定が必要になる。

 例えば、アメリカ憲法では、大統領は、原則として議会招集権限を持たないが、緊急時には議会を招集できる(合衆国憲法2条3節)。また、ドイツでは、外国からの侵略があった場合に、州議会から連邦議会に権限を集中させたり、上下両院の議員からなる合同委員会が一時的に立法権を行使したりできる(ドイツ連邦共和国基本法10a章)。

 フランスや韓国には、大統領が一時的に立法に当たる権限を含む措置をとる規定があるが、それは、「国の独立が直接に脅かされる」(フランス第5共和制憲法16条)とか、「国会の招集が不可能になった場合」(大韓民国憲法76条)に限定される。

 つまり、アメリカ憲法は、大統領に議会招集権限を与えているだけだし、ドイツ憲法も、議会の権限・手続きの原則を修正するだけであって、政府に独立の立法権限を与えるものではない。また、フランスや韓国の憲法規定は、確かに一時的な立法権限を大統領に与えているものの、その発動要件はかなり厳格で、そう使えるものではない。

 これに対し、安倍首相の提案する緊急事態条項は、発動要件が曖昧な上に、政府の権限を不用意に拡大するもので、緊急時に独裁権を与えるようなものだ。こうした緊急時独裁条項を「多数の国が採用している」というのは、明らかに誇張だろう。

 外国の憲法と比較するのであれば、もう少し慎重な態度が必要である。(首都大学東京准教授、憲法学者)」

http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=383

【社説】 内閣法制局 内部文書を国会に示せ/東京新聞

2016-02-24 18:49:05 | 政治
 東京新聞の社説は正しい。当然政府は資料を開示すべきだ。

「 どのように集団的自衛権をめぐる憲法解釈を変更したのか。内閣法制局は内部検討資料があるのに国会への開示を拒んでいる。憲法上の重大問題だけに、解釈変更のプロセスは明らかにすべきだ。

 日本は相手から攻撃を受けていないのに、武力で同盟関係にある他国を守る-。簡単に言えば集団的自衛権はそう説明できる。政府は従来一貫して、この行使は認められないとしてきた。

 有名なのは一九七二年の政府見解だ。ここでは、自衛の措置をとることはできるが、平和主義を基本原則とする憲法が無制限にそれを認めているとは解されないこと。さらに集団的自衛権の行使は憲法上、許されないことをはっきりと明言している。

 むろん、「憲法の番人」といわれる歴代の内閣法制局長官もこの見解を踏襲している。国民に対しての約束事であり、国際社会に対する約束事であったはずだ。

 ところが、一昨年七月に安倍晋三内閣がその約束事をひっくり返し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定してしまった。「専守防衛」という防衛政策を根底から覆すとともに、多数の憲法学者から「憲法九条に反する」という声が上がった。立憲主義が破壊されたという指摘も多かった。

 閣議決定に至って当然、内閣法制局内部でも検討があったはずだが、これまで同局では内部検討の経緯を示した資料を公文書として残していないとしてきた。公文書として保存しているのは、首相の私的諮問機関の資料や与党協議会の資料、閣議決定原案の三種類だけと思われていた。

 しかし、横畠裕介長官は国会で、内部検討資料とみられるデータが存在することを認めた。国会審議に備えた想定問答の作成途中のものだと考えられている。法制局が使うサーバー内に保存されているようだ。

 それならば、国会に対して開示すべきではないか。公文書管理法が定める行政文書にあたらないと判断しているらしいが、そもそも同法は行政の意思決定のプロセスを外部からチェックできる趣旨でつくられている。後の歴史検証にとっても不可欠である。
 この閣議決定は憲法改正に等しい事態だった。それを受けた安全保障関連法も憲法違反の疑いが濃厚で、野党から廃止法案が出ている。国会に提示すべき文書といえよう。内閣法制局が重要文書の開示を拒み続けるのは、国民の「知る権利」の侵害と同じだ。」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016022402000133.html

脳性まひの息子、首絞めた朝 愛した44年、母絶望

2016-02-24 18:35:20 | 社会
「 介護に疲れたり、将来を悲観したりして、年老いた親が重度障害者のわが子に手をかける事件が相次いでいる。44年にわたって介護を続けた脳性まひの次男(当時44歳)を殺害したとして、殺人罪に問われた大阪市の母親(74)は今年1月、大阪地裁の法廷で泣き崩れた。「後悔の念でいっぱい。本当にかわいい息子だった」【「介護家族」取材班】

 母親は2014年11月22日午前8時ごろ、自宅で寝ていた次男の首を腰ひもで絞めて殺害したとされる。間もなく帰宅した長男(49)が異変に気付いて119番通報した。次男が息を引き取った後、母親は仏壇の前でお経をあげていたという。

 大阪地裁判決や法廷での関係者の証言によると、次男は出生時から重い障害があった。成長しても歩いたり、話したりできず、全ての面で介護が必要だった。母親が中心となり、おむつ交換、食事、入浴などの世話をした。次男は便秘気味だったため、2日に1度は次男の肛門に指を入れて便をかきだした。

 音を鳴らすことが大好きだったから、音が出るおもちゃを持たせ、キーボードの鍵盤に触れさせて遊ばせた。

 成人すると介護の負担は増した。家の中でも車いすで移動させており、体重50キロ前後の次男を車いすに乗せたり、降ろしたりするのは重労働で、母親は腰痛に苦しんだ。次男は夜に布団からはい出すことも多く、母親は寝不足になった。

 07年に夫が亡くなってからは母親が全てを一人でこなした。11年に別居していた長男が同居してくれた。母親と長男は大阪市此花区の障害者向け施設「アミティ舞洲」に次男を連れて行き、入浴や食事を楽しませた。

 ただ、母親は12年には医師にうつ状態と診断され、抗うつ剤を飲んだ。ストレスをためた長男から暴言をはかれることも増えた。

 事件前日。母親はケアマネジャーに自分自身が施設に入りたいと訴えた。翌朝、押し入れにしまっていた腰ひもを取り出し、布団で寝ていた次男の首に巻きつけて絞めた。1、2分たつと、次男は「うーうー」と声をあげて絶命したという。

 裁判の被告人質問で母親はこう弁解した。「介護に明け暮れる生活に疲れた。でも、私が施設に入って長男だけになったら次男の介護はできないと思った」

 母親と次男は11年までの約15年間、奈良県大和郡山市に住んでいた。当時の自宅の向かいでたばこ屋を営む女性(72)は取材に「母親と車いすの次男が玄関先で日光浴するのをよく見かけた」と話した。次男は体を揺すりながらうれしそうに声をあげ、母親は目を細めていたという。

 事件当日、息をしない次男を見て涙を流した長男は法廷でこう証言した。「私は約4年前に弟の介護を始めて人を愛することを知ったが、介護自体はつらかった。それを44年続けた母親のつらさは想像を絶するものだと思う。弟にも人権はあるが、弟は立派に生きた。私は母を許している」

 地裁は2月4日、母親に懲役2年6月(求刑・懲役5年)の実刑を言い渡した。半世紀近い介護生活の苦労に同情しつつ、身勝手な犯行だと母親を批判した。弁護側は執行猶予を求めて控訴した。

高齢の親に重い負担

 川崎医療福祉大(岡山県倉敷市)の岡田喜篤前学長によると、重度の知的障害と肢体不自由を併せもつ重症心身障害児・者は2012年4月時点で全国に約4万3000人と推計される。うち約7割の約2万9000人は自宅で家族らの介護を受けて暮らしている。介護する親の高齢化が進んでおり、「自分が死んだら子供はどうなるのか」と悩む人が増えているという。

 岡田前学長は「長年介護を頑張ってきた親ほど、『まだできる』と無理する傾向がある。しかし、高齢者に重度障害者の介護は相当な負担だ。家族の状況次第では、専門家が助言して施設などが介護を担う仕組み作りを急がないと、悲劇は繰り返されるだろう」と指摘する。」

http://mainichi.jp/articles/20160222/ddn/041/040/012000c

東電、炉心溶融時対応マニュアルの存在を認める

2016-02-24 18:24:41 | 放射能
「 東京電力は24日、福島第1原発事故当初の原子炉の状況をめぐり、核燃料が溶ける「炉心溶融(メルトダウン)」ではなく「炉心損傷」と誤って説明し続けていたと発表した。事故2カ月後の2011年5月になってようやく東電は炉心溶融を認めた。これまで「溶融を判断する根拠がない」と説明していたが、同日の会見で、当時の社内マニュアルに炉心溶融の判定基準が明記されていたことが分かったといい、「もっと早い段階で炉心溶融と判断できた」と陳謝した。

 東電によると、社内マニュアルには、炉心損傷割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定すると明記されていた。」

共同通信より

ようやく。今頃になって。

テレビでこんなことをやっていますというCMを流しているが無駄金。

あんなことはやめてきちんと補償をしなさい。

そして国会事故調の問に答え、それに沿って対応をとること。