白夜の炎

原発の問題・世界の出来事・本・映画

内田樹氏の論考に寄せて

2016-03-24 16:47:53 | 文化
内田樹氏の論考を勝手にこのブログに転載した。昨日の次の記事である。→ 「日本はこれからどこへ行くのか」( http://blog.goo.ne.jp/baileng/e/3ee4ac9c21fdd9774c830d532960373a )

 この中で内田氏は現在では金はこんピユーターが1/1000分の一秒単位で稼いでいる。そしてとてつもなく金を稼ぐそのスピードと蓄積は、人間の肉体的限界を超えていると指摘している。それはアメリカの証券市場などを考えれば明らかだ。半分以上、おそらく七割程度がコンピュータによるプログラム売買によって処理されるそれは、光ファイバーで情報がやり取りされるその距離さえも問題にするほど高速化しているのであり、さらにその処理に当たるプログラム自身が自己成長することが認められている可能性が高く-AI化しているということ-その実態は私たちにはほとんどみえなくなっている。

 このように金の稼ぎ方も人間には追いつけなくなっているが、その結果を享受し様にも、そちらもほとんど無意味になっている。食事にせよ、服にせよ、何百億あるいはそれ以上の富があって、すきなだけすきなものを手に入れられるからと言って、それはもう喜びにはならない。かつてヨーロッパの貴族は1日に何回も服を変えたりしていたが、現代人には苦痛だろう。

 現代の経済は金融に支配されている。メディアは経済情報の伝達と市場経済擁護の宣伝機関だ。そして金融がAI化しているとすれば、人間はAIに既に支配され、彼らが要求する経済的成果を上げるために働いていることになりはしないだろうか。かつてSFではそのような設定がたくさんあったが、私たちが築かないうちに、もう事態はそのようになっているのかもしれない。

 30年前と比較しても労働生産性は格段に上がったはずだ。あらゆるものの製造コストもさがったはずだ。なのに貧困がなくならず、先進国ではむしろ新たな貧困の広がりが見られるのか。あらゆる生産性の伸びは金銭に換算されて金融分野に吸い上げられ、私たちのもとには還元されない。

 AIに酷使され、その中で破綻する人間たち。私たちはAIとともにある金融権力の奴隷になっているのではないだろうか。

 
 

日本はこれからどこへ行くのか/内田樹

2016-03-23 18:00:48 | 文化
「日本はこれからどこへ行くのか

先日若い研究者たちと話したときに、自分の立ち位置はどこかということが話題になった。私は自分の立ち位置を「大風呂敷を広げること」だと思うと言った。「餅は餅屋」、人はそれぞれ自分の得意なスタイルで研究すればよいのではないかと申し上げた。

私は若いときからいつも「ウチダの論文は、話は面白いが論証が雑だ」と批判され続けてきた。その通りなので反論したことがない。でも、「面白い話」を思いつくと、どうしても黙っていることができないのである。
助手の頃、フランスの文芸理論家モーリス・ブランショがナチ占領下のパリで出した『文学はいかにして可能か?』という文体論を「検閲を逃れるために暗号で書いた自らの30年代の政治活動に対する総括」だという仮説から逐語的に読み直すという大風呂敷論文を書いたことがあった。学界では「バカなことを言うな」と一笑に付されたが、その後ブランショ自身が「あれは暗号で書いた政治論文である」とカミングアウトしたので面目を保つことができた。大風呂敷もたまに「当たる」ことがある。

メディアからの寄稿依頼にはせっかくの機会なのだから、「私以外の誰かも書きそうもないこと」だけを選択的に書くことにしている。「それでは困る」という人も(大手の新聞などには)いるが、「それがいい」と言って下さるところもある。

本誌は後者の方である。担当編集者が今号で編集部を去るというので、餞別代わりに現代日本がどういう歴史的文脈のうちにあるかについて大風呂敷を思い切り拡げさせてもらうことにする。

世界史的スケールで見ると、世界は「縮小」プロセスに入っていると私は見ている。「縮小」と言ってもいいし、「定常化」と言ってもいいし、「単純再生産」と言ってもいい。「無限のイノベーションに駆動されて加速度的に変化し成長し続ける世界」というイメージはもう終わりに近づいている。別にそれが「悪いもの」だから終わるのではない。変化が加速し過ぎたせいで、ある時点で、その変化のスピードが生身の人間が耐えることのできる限界を超えてしまったからである。もうこれ以上はこの速さについてゆけないので人々は「ブレーキを踏む」という選択をすることになった。別に誰かが「そうしよう」と決めたわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。相互に無関係なさまざまなプレイヤーが相互に無関係なエリアで同時多発的に同じ行動を取る。今起きているのはそれである。「変化を止めろ。変化の速度を落とせ」というのが全世界で起きているさまざまな現象に通底するメッセージである。

そのメッセージを発信しているのは身体である。脳内幻想は世界各地で、社会集団が異なるごとにさまざまに多様化するが、生身の身体は世界どこでも変わらない。手足は二本、目や耳は一対。筋肉の数も骨の数も決まっている。一日8時間眠り、三度飯を食い、風呂に入り、運動し、酔っ払ったり、遊んだりすることを求める。それを無視し続けて、脳の命令に従わせて休みなく働かせ続けていれば、いずれ身体は壊れる。そして、いま世界中で身体が壊れ始めている。戦争で破壊され、放射性物質で破壊され、ブラック企業で破壊され、学校で破壊され、医療で破壊されている。
速度という点ではグローバル資本主義での経済活動が圧倒的である。今、株の取引は人間ではなくアルゴリズムが行っている。1000分の一秒単位での株の売り買いはもう人間の身体ではそこで何が行われているかを想像的にも追体験することができない。成功した投資家や起業家の中は個人資産が天文学的数字に達している者がいるが、その金額は生身の人間の生理的欲求を満たすレベルをはるかに超える。日替わりで自家用ジェット機を乗り換えても、分刻みで上から下まで服を着替えても、毎食を三つ星シェフたちに作らせても、身体はそれを「愉しい」とはもう感じられない。けれども、彼らは「もう限度を超えて儲け過ぎたから、この辺で手じまいにして、貧者にトリクルダウンしよう」と思ったりはしない。限度というのは、身体にしかない。そして、グローバル資本主義のトッププレイヤーたちはもう身体を持っていない。

こうして経済活動は限度なく加速化してきた。そしていま人々はそれに疲れ始めてきた。しつこいようだが、ことの良し悪しを言っているのではない。疲れたのに良いも悪いもない。そして、「ちょっと足を止めて、一息つかせて欲しい」という気分が全世界的に蔓延してきた。

私がそれをしみじみと感じたのは、昨夏の国会前のSEALDsのデモに参加したときである。国会内では特別委員会が開かれ、法案の強行採決をめぐって怒号が行き交い、殴り合いが演じられていた。一方、国会外では若者たちが「憲法を護れ。立憲政治を守れ」と声を上げていた。
不思議な光景だと思った。

私が知っている戦後の政治文化では、つねに若者が「世の中を一刻も早く、根源的に変えなければいけない」と主張し、老人たちが「そう急ぐな」とたしなめるという対立図式が繰り返されていた。だが、2015年夏の国会では、年老いた政治家たちが「統治の仕組みを一刻も早く、根源的に変えねばならぬ」と金切り声を上げ、若者たちが「もうしばらくはこのままでいいじゃないですか」と変化を押しとどめていた。
構図が逆転したのである。

「変わり続けること、それもできるだけ速くかつ徹底的に」ということそれ自体が「善」であるというある種の思い込みが私たちの社会をせき立ててきたが、今その「思い込み」に対する疑念が生じてきたのである。変化に対する膨満感と言ってもいいかも知れない。逆説的な表現だけれど、変化することに飽きるということがあるのだ。「変化しなければならない」という説教をエンドレス再生で聴かされているうちに「そういうお前が変われよ」と言いたくなってくる。それが生物の本性である。
本来なら今よりもっと前のどこかの段階で、「私たちはずいぶんさまざまな変化をしてきたけれど、それはほんとうに必要なことだったのか、適切な選択だったのか、それについて立ち止まって総括をすべきではないか」という提案がなされるべきだったと思う。けれども、誰もそんなことを口にしなかったし、思いつきもしなかった。なぜか。理由は簡単である。メディアはそのような問いを思いつかないからだ。

メディアは構造的に「変化の是非を問う」ということができない。メディアにとってあらゆる変化は変化であるだけですでに善だからである。当然のことだが、メディアの頒布している唯一の商品は「ニューズ」である。「新しいもの」、それしかメディアが売ることのできる商品はない。「ニューズのない世界」にメディアは存在理由を持たない。「今日は特筆すべき何ごともありませんでした」というのは、生活者にとってはとても幸福なことであるが、メディアにとっては地獄である。だから、メディアは原理的に変化を求める。変化を嫌い、定常的に反復される制度文物があれば進んで手を突っ込んで「変化しろ」と急かし、場合によっては破壊しさえする。そして、メディアで働く人たちは、自分たちが「変化は善である」という定型的信憑に縛り付けられて、そこから身動きできなくなっているという事実に気づいていない。
私はそれを学校教育の現場で身にしみて味わった。私が教育現場にいた過去30年間、メディアが「学校教育のこの点については『これまで通りでよい』と思う」と書いた記事を読んだ記憶がない。教育に関してメディアは「なぜ、もっと早く、もっと根本的に変わらないのか」しか書かなかった。これは誇張ではない。

だが、学校や医療や司法のような社会的共通資本の最優先課題は何よりもまず定常的であること、惰性的であることなのである。それが生身の人間の等身大の人生を安定的に保持するための装置だからである。そのような装置はそのつどの支配的な政治イデオロギーや消費動向や株価の高下や流行などに左右されてはならない。定常的・惰性的であること、急激には変化しないことが手柄であるような社会制度というものがこの世には存在するのである。政権交代するごとに変わる教育制度とか、景況が変わる毎に変わる医療制度とか、株価の高下で変わる司法判断とかいうものはあってはならない。
勘違いして欲しくないが、それは政治イデオロギーがつねに邪悪であるからとか、経済活動はつねに人間を不幸にするという理由からではない。政治イデオロギーの消長や市場での消費者や投資家の行動は「複雑系」であって、わずかな入力の変化によって劇的に出力が変わる。複雑系は安定的な制御が困難であり、次のふるまいを予測することが不可能である。だから、人間が集団的に生きるために安定的に管理運営されていなければならない制度は複雑系に委ねてはならならないのである。

政治イデオロギーや消費欲望は高速かつランダムに変化する。それが「持ち味」なのだから、「やめろ」と言っても始まらない。でも、社会的共通資本をイデオロギーや消費欲望の動きにリンクさせることは集団的な自殺に等しい。変化してよいものと変化してはいけないものを切り分けねばならない。「変化してはいけないものには手を着けない」という当たり前のことを常識に登録しなければならない。

中国の大気汚染や水質汚染や鉄道事故や建造物の崩壊などは、経済的利益を最優先して、人間の生身の体を配慮しないと何が起きるかを示す好個の例である。大気や水質は基本的な社会的共通資本である。それなしでは人間が生きてゆけないものである限り、空気や水は何が起きようと安定的に管理されていなければならない。いっときの経済成長のために汚染するに任せてよいものではない。

でも、そんな当たり前の理屈がもう通らなくなっている。それがグローバルスタンダードなのだ、それを基準にして最速で行動しなければ経済競争に遅れを取るのだと言われて、これまで人々はそんなものかとあいまいに頷いてきたけれど、ようやく「ちょっと待ってくれ」と言い始めた。すると、気色ばんだ人たちがやって来て、「待てというが、おまえに対案があるのか? 原発を稼働させ、増税し、武器を輸出し、生産性の低いセクターを淘汰する以外にどうやって経済成長する道があるのだ?」とがみがみ言い立てる。けれども、生身の人間が生きてゆくのが困難になるようなことをしておいて「文句があれば対案を出せ」と急かすのはことの筋目が違うだろう。1916年にサイクス=ピコ協定について英仏の外交官が地元の遊牧民たちに向かって「これ以外にオスマントルコ帝国の瓦解のあとの中東の安定的な統治システムがあるのか。あれば対案を出せ」と凄む権利があると私は思わない。地元の人が「対案はないが、とりあえず勝手に国境線を引くのは止めてくれ」と言ったとしても、それを一蹴する権利は英仏にあると私は思わない。

私たちは「いくらでも変化してよいもの」と「手荒に変化させてはならないもの」を意識的に区別しなければならない。繰り返し言うが、人間が集団として生きて行くためになくてはならぬもの、自然環境(大気、海洋、河川、湖沼、森林など)、社会的インフラ(上下水道、交通網、通信網、電気ガスなど)、制度資本(学校、医療、司法、行政など)は機能停止しないように定常的に維持することが最優先される。「大気が汚染されたので産業構造を再設計するまでしばらく息を止めていてください」という訳にはゆかないし、「教育制度の出来が悪いので、制度を作り替えるまで、子どもたちは学校に来ないでください」という訳にもゆかない。生身の人間を相手にしている場合には軽々に「根本的変化」ということを企てることができない。生身の人間が自然環境・社会環境との間でなしうるのは「折り合いをつける」ことまでであって、それ以上のことは求めてはならない。

それくらいのことはわかっていいはずなのだが、それくらいのことさえわかっていない人間たちが現代世界では、政官財メディアの世界を仕切っている。彼らはつねに浮き足立っている。つねに何かに追い立てられている。「一刻の猶予もない」「バスに乗り遅れるな」というのが、彼らが強迫的に反復する定型句である。彼らは「浮き足立つ」とは、「状況の変化に絶えず適切に対応してこと」と同義だと信じているようだが、それは違う。彼らはただ「浮き足立つ」という不動の定型に居着いているに過ぎない。

それが最も端的かつ病的に現われているのが先に述べた通りメディアである。メディアは「変化」に依存し、「変化」に淫しているビジネスなので、あらゆる変化は、それが劣化や退化であっても、メディアに「ニューズ」を提供する限り「よいもの」と見なされる。だが、彼らは自分たちがあらゆる変化を歓迎する定型的なものの見方に居着いて、自らは全く変化していないという事実は意識化することができない。だから、「ニューズ」を売って生計を立てることがビジネスとして成立しなくなりつつあるという「ニューズ」はこれを取材することも分析することもできないのである。
例えば、全国紙の消滅というリスクはもう間近に迫っている。これがどういう理由で始まり、どう進行し、やがてどのような社会的影響をもたらすかということについてまともな分析をしている全国紙のあることを私は知らない。

私が朝日新聞の紙面審議委員をしていた数年前、朝日新聞は年に5万部ずつ部数を減らしていた。「重大な事態ではないか」という私の懸念を朝日の首脳陣は「800万部がゼロになるまで160年かかります」と一笑に付した。だが、その朝日新聞は過去2年は月に5万部ずつ部数を減らしている。部数減の速度がほぼ10倍になったのである。ということは、あと15年ほどで朝日新聞の発行部数はゼロになる勘定である。誤報問題で朝日を叩き、自社の発行部数を上げようとした讀賣新聞も60万部減という煮え湯を飲まされた。もうどの新聞も、購読者の高齢化と、若者たちの新聞離れと、新聞自身のメディアとしての機能劣化によって「ゼロまで」のカウントダウンに入っている。

現場の若い記者たちは、果たして定年になるまで自分の会社が存在するのかどうかについて不安を隠さない。だが、同様の危機感を新聞社の上層部からはほとんど感じることがない。ある全国紙の幹部社員は「部数がゼロになっても不動産がありますから、テナント料でしばらくは食いつなげます」と自嘲的に言った。不動産のテナント料で定年まで給料をもらう人間を「ジャーナリスト」と呼ぶことが可能だろうか。

全国紙の消滅は「たいした変化をもたらさない」と言い放つ人もいる。紙の新聞がネットニュースに取って代わられるだけのことだ、と。私はその見通しは楽観的に過ぎると思う。あまり知られていないことだが、日本のように数百万部の全国紙がいくつも存在するというような国は他にはない。『ル・モンド』は30万部、『ザ・ガーディアン』は25万部、『ニューヨークタイムズ』で100万部である。知識人が読む新聞というのは、どこの国でもその程度の部数なのである。それが欧米諸国における文化資本の偏在と階層格差の再生産をもたらした。それに対して、日本には知識人向けのクオリティーペーパーというものが存在しない。その代わりに、世界に類例を見ない知的中産階級のための全国紙が存在する。それがかつては「一億総中流」社会の実現を可能にした。一億読者が産経新聞から赤旗までの「どこか」に自分と共感できる社説を見出すことができ、それを「自分の意見」として述べることができた時代があった。結論が異なるにせよ、そこで言及される出来事や、頻用される名詞や、理非の吟味のロジックには一定の汎通性があった。この均質的な知的環境が戦後日本社会の文化的平等の実現に多いに資するものだったことについて、すべての新聞人はその歴史的貢献を誇る権利があると私は思う。

けれども、当の新聞人自身は、日本の全国紙が世界的に見てどれほど特殊なものであるのか、どのような特殊な歴史的条件で出現してきたものであり、それゆえどのような条件の欠如によって消滅することになるのかについてほとんど何も考えてこなかった。当事者が何も考えていないうちに、遠からず全国紙はその歴史的使命を終えることになる。それがもたらす社会的影響は、記者の失業というようなレベルの問題にはとどまらない。それは「言論のプラットフォーム」が消失するということであり、文化資本分配における「総中流」時代が終わるということを意味している。

ネットでニュースを読む人たちは、「自分たちが読みたいと思っている記事」だけを選択することによって、「自分たちがそうあってほしいと思っている世界像」を自ら造形している。そのリスクに気づいている人もいるはずだが、もう止めようがない。
主観的に造形されたばらばらの世界像を人々が私的に分有する社会では、他者とのコミュニケーションはしだいに困難なものになってゆく。それはギリシャ神話の伝説の王が手に触れるものすべて黄金にする能力を授けられたために、渇き、飢え、ついには完全な孤独のうちに追いやられたさまに少し似ている。自分が選んだ快適な情報環境の中で人々は賑やかな孤独のうちに幽閉される。情報テクノロジーの発達とグローバルな展開が情報受信者たちの「部族化」をもたらすという逆説を前にして私は戸惑いを隠せない。

全国紙が消え、「コミュニケーションのプラットフォーム」が失われるというのは、巨大な「事件」である。なぜ、そのような「事件」の予兆がありありと感じられながら、メディアはその「事件」を報道しないでいられるのか、それをとどめるための手立てを講じずにいられるのか。いやしくも知性というものがあれば、この現実からは目を背けることができないはずである。私はこの自己点検能力の欠如のうちにメディアの深い頽廃を感じるのである。

新聞の社説は相変わらず「経済成長戦略の必要」を書き続けている。だが、書いている記者たち自身はもう自分の書いている記事をそれほど信じてはいない。もう経済成長はしない。それは「アベノミクスの失敗」というわかりやすい事実としてもう経済部の記者たちには熟知されているはずである。けれども、それについてはまだ書くことができない。他の全国紙がまだ書いていないからである。他が書き出せば、続けて書くことはやぶさかではないが、口火を切って、官邸やスポンサーからの圧力を単身で引き受けるだけの度胸はない。

「経済は無限に成長する」というありえない前提を信じるふりをして経済記事を書き続けてきたせいで、グローバル資本主義はいつどういう仕方で終わるのか、社会はどのようなプロセスを辿って定常的なかたちに移行するのか、脱市場・脱貨幣というオルタナティブな経済活動とはどのようなものか、といった緊急性の高い問いに今の経済記事は一言も答えていない。そのような問いそのものを意識から追い払おうとしているからだろう。

たぶんこういうことなのだ。商品としての「ニューズ」を右から左に機械的に流しているうちに、彼らはある定型にあてはまる「変化」しか「変化」として認知できないようになったのである。「半年ごとにイノベーションを達成すること」を従業員に課したせいで経営危機に陥ったある大手家電メーカーのことを私は思い出す。イノベーションというのは、ふつうはそれまでのビジネスモデルを劇的に変えてしまうせいで、既存モデルの受益者たちがいきなり路頭に迷うような劇的変化のことを言う。「半年ごとのイノベーション」で収益増と株価高をめざした経営者が思い描いたのは「飼い慣らされたイノベーション」のことであって、その語の本来の意味での「イノベーション」ではない。だから、業界全体を地殻変動的に襲った「野生のイノベーション」には対応することができなかったのである。

メディアも同じである。「ニューズ」を売り買いしているうちに、メディア業界の消長という「本質的な変化」についてはこれを「ニューズ」としてとらえ、報道することができなくなってしまったのである。

取り散らかった話をまとめよう。
私が言いたいことの第一は、グローバル資本主義はその末期段階を迎えたということである。それを象徴する最大の出来事は、アメリカが主導してきたグローバリズムが、それとは価値観を異にする「もう一つのグローバル共同体」に衝突して、地球を覆い尽くすことが不可能になったことである(「地球を覆い尽くすことができないグローバリズム」というのは形容矛盾である)。

「もう一つのグローバル共同体」とはもちろんイスラーム共同体のことである。宗教、言語、生活規範、食文化、服飾規範などを共有し、モロッコからインドネシアに至る16億人から成るグローバル共同体は1300年前から存在した。けれども、それが政治単位として前景化することは近代以降にはなかった。東西対立の時代にも、南北問題の時代にもなかった。なかったから「ないもの」として欧米はその存在を忘れていた。けれども、それがグローバル化の加速度的な進行によって、アメリカ標準によるグローバル化が包摂できない「異物」として不意に前景化してきたのである。パレスチナ、アフガニスタン、湾岸戦争、イラク戦争、タリバン、シリア内戦、ウイグル独立運動、イスラーム国・・・国際社会における解決不能問題は、それが欧米国家の手持ちの政治問題解決ウェポン(金、軍事力、民主主義)では理解もできないし、操作もできない因子によって構成されていることをあきらかにした。

この二つのグローバル共同体の間の非妥協的な対面状況がもたらしている直接的な政治的現実は戦争とテロである。戦争とテロを停止させるためには、とりあえず双方が理非はさておき、今まで「よかれ」と思ってしてきたことを一時的に止めるしかない。それは問題の解決ではないし、矛盾の止揚でもない。ただの「停止」である。けれども、ものには順序がある。まず「Cease fire」を宣告して、引き金から指を離さなければならない。

私たちの世界が今求めている言葉はそれである。「止まれ」である。「落ち着け」である。「浮き足立つな」である。停止することが決定的な変化を意味するような局面というものがある。自分たちがこれまで使ってきた度量衡や価値観や効果的なはずのウェポンが無効になる局面になったときには、「どうしていいかわからない」と素直に認めるところからしか話は始まらない。

グローバル資本主義は「停止」局面を迎えた。何度も言うが、私はシステムの理非について述べているのではない。停まるべきときには停まった方がいい、と言っているだけである。「停めろというなら対案を出せ」と言われても、私にはそんなものはない。すべてのステイクホルダーが納得できる対案が出るまで戦い続けるという人たちはどちらかが(あるいは双方が)死ぬまで戦いを止めることができないだろう。
それが世界史的文脈における「停止要請」の実相である。いったん時計の針を止める。そして、「とりあえずこれについては合意できる」というところまで時計の針を戻す。そしてそこから「やり直す」しかない。
国内的にも私たちがするべきことは立ち止まることである。「成長だ、変化だ、イノベーションだ、リセットだ」と喚き散らしながら、いったいこれまで何を作り上げ、何を壊して来たのか、その一つ一つについて冷静な点検を行うべき時が来ている。」

http://blog.tatsuru.com/

再掲「お前は人権のにおいがする」/中村文則

2016-03-17 16:40:28 | 文化
 もう一度載せます。人権や、憎しみなど、人間の感情と基本的な尊厳が耕作する問題を伝えることは、大事な問題ですが、上手に伝えるのは難しいことです。この中村さんの文章はその点で優れたものだと思います。

「「 僕の大学入学は一九九六年。既にバブルは崩壊していた。

 それまで、僕達(たち)の世代は社会・文化などが発する「夢を持って生きよう」とのメッセージに囲まれ育ってきたように思う。「普通に」就職するのでなく、ちょっと変わった道に進むのが格好いい。そんな空気がずっとあった。

 でも社会に経済的余裕がなくなると、今度は「正社員になれ/公務員はいい」の風潮に囲まれるようになる。勤労の尊さの再発見ではない。単に「そうでないと路頭に迷う」危機感からだった。

 その変化に僕達は混乱することになる。大学を卒業する二〇〇〇年、就職はいつの間にか「超氷河期」と呼ばれていた。「普通」の就職はそれほど格好いいと思われてなかったのに、正社員・公務員は「憧れの職業」となった。

 僕は元々、フリーターをしながら小説家になろうとしていたので関係なかったが、横目で見るに就職活動は大変厳しい状況だった。

 正社員が「特権階級」のようになっていたため、面接官達に横柄な人達が多かったと何度も聞いた。面接の段階で人格までも否定され、精神を病んだ友人もいた。

 「なぜ資格もないの? この時代に?」。そう言われても、社会の大変化の渦中にあった僕達の世代は、その準備を前もってやるのは困難だった。「ならその面接官達に『あなた達はどうだったの? たまたま好景気の時に就職できただけだろ?』と告げてやれ」。そんなことを友人達に言っていた僕は、まだ社会を知らなかった。

 その大学時代、奇妙な傾向を感じた「一言」があった。

 友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の癒着、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、彼が僕を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。

 「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。

 当時の僕は、こんな人もいるのだな、と思った程度だった。その言葉の恐ろしさをはっきり自覚したのはもっと後のことになる。

 その後東京でフリーターになった。バイトなどいくらでもある、と楽観した僕は甘かった。コンビニのバイト採用ですら倍率が八倍。僕がたまたま経験者だから採用された。時給八百五十円。特別高いわけでもない。

 そのコンビニは直営店で、本社がそのまま経営する体制。本社勤務の正社員達も売り場にいた。

 正社員達には「特権階級」の意識があったのだろう。叱る時に容赦はなかった。バイトの女の子が「正社員を舐(な)めるなよ」と怒鳴られていた場面に遭遇した時は本当に驚いた。フリーターはちょっと「外れた」人生を歩む夢追い人ではもはやなく、社会では「負け組」のように定義されていた。

 派遣のバイトもしたが、そこでは社員が「できない」バイトを見つけいじめていた。では正社員達はみな幸福だったのか? 同じコンビニで働く正社員の男性が、客として家電量販店におり、そこの店員を相手に怒鳴り散らしているのを見たことがあった。コンビニで客から怒鳴られた後、彼は別の店で怒鳴っていたのである。不景気であるほど客は王に近づき、働く者は奴隷に近づいていく。

 その頃バイト仲間に一冊の本を渡された。題は伏せるが右派の本で第二次大戦の日本を美化していた。僕が色々言うと、その彼も僕を嫌そうに見た。そして「お前在日?」と言ったのだった。

 僕は在日でないが、そう言うのも億劫(おっくう)で黙った。彼はそれを認めたと思ったのか、色々言いふらしたらしい。放っておいたが、あの時も「こんな人もいるのだな」と思った程度だった。時代はどんどん格差が広がる傾向にあった。

 僕が小説家になって約一年半後の〇四年、「イラク人質事件」が起きる。三人の日本人がイラクで誘拐され、犯行グループが自衛隊の撤退を要求。あの時、世論は彼らの救出をまず考えると思った。

 なぜなら、それが従来の日本人の姿だったから。自衛隊が撤退するかどうかは難しい問題だが、まずは彼らの命の有無を心配し、その家族達に同情し、何とか救出する手段はないものか憂うだろうと思った。だがバッシングの嵐だった。「国の邪魔をするな」。国が持つ自国民保護の原則も考えず、およそ先進国では考えられない無残な状態を目の当たりにし、僕は先に書いた二人のことを思い出したのだった。

 不景気などで自信をなくした人々が「日本人である」アイデンティティに目覚める。それはいいのだが「日本人としての誇り」を持ちたいがため、過去の汚点、第二次大戦での日本の愚かなふるまいをなかったことにしようとする。「日本は間違っていた」と言われてきたのに「日本は正しかった」と言われたら気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである。

 そして格差を広げる政策で自身の生活が苦しめられているのに、その人々がなぜか「強い政府」を肯定しようとする場合がある。これは日本だけでなく歴史・世界的に見られる大きな現象で、フロイトは、経済的に「弱い立場」の人々が、その原因をつくった政府を攻撃するのではなく、「強い政府」と自己同一化を図ることで自己の自信を回復しようとする心理が働く流れを指摘している。

 経済的に大丈夫でも「自信を持ち、強くなりたい」時、人は自己を肯定するため誰かを差別し、さらに「強い政府」を求めやすい。当然現在の右傾化の流れはそれだけでないが、多くの理由の一つにこれもあるということだ。今の日本の状態は、あまりにも歴史学的な典型の一つにある。いつの間にか息苦しい国になっていた。

 イラク人質事件は、日本の根底でずっと動いていたものが表に出た瞬間だった。政府側から「自己責任」という凄(すご)い言葉が流れたのもあの頃。政策で格差がさらに広がっていく中、落ちた人々を切り捨てられる便利な言葉としてもその後機能していくことになる。時代はブレーキを失っていく。

 昨年急に目立つようになったのはメディアでの「両論併記」というものだ。政府のやることに厳しい目を向けるのがマスコミとして当然なのに、「多様な意見を紹介しろ」という「善的」な理由で「政府への批判」が巧妙に弱められる仕組み。

 否定意見に肯定意見を加えれば、政府への批判は「印象として」プラマイゼロとなり、批判がムーブメントを起こすほどの過熱に結びつかなくなる。実に上手(うま)い戦略である。それに甘んじているマスコミの態度は驚愕(きょうがく)に値する。

 たとえば悪い政治家が何かやろうとし、その部下が「でも先生、そんなことしたらマスコミが黙ってないですよ」と言い、その政治家が「うーん。そうだよな……」と言うような、ほのぼのとした古き良き場面はいずれもうなくなるかもしれない。

 ネットも今の流れを後押ししていた。人は自分の顔が隠れる時、躊躇(ちゅうちょ)なく内面の攻撃性を解放する。だが、自分の正体を隠し人を攻撃する癖をつけるのは、その本人にとってよくない。攻撃される相手が可哀想とかいう善悪の問題というより、これは正体を隠す側のプライドの問題だ。僕の人格は酷(ひど)く褒められたものじゃないが、せめてそんな格好悪いことだけはしないようにしている。今すぐやめた方が、無理なら徐々にやめた方が本人にとっていい。人間の攻撃性は違う良いエネルギーに転化することもできるから、他のことにその力を注いだ方がきっと楽しい。

 この格差や息苦しさ、ブレーキのなさの果てに何があるだろうか。僕は憲法改正と戦争と思っている。こう書けば、自分の考えを述べねばならないから少し書く。

 僕は九条は守らなければならないと考える。日本人による憲法研究会の草案が土台として使われているのは言うまでもなく、現憲法は単純な押し付け憲法でない。そもそもどんな憲法も他国の憲法に影響されたりして作られる。

 自衛隊は、国際社会における軍隊が持つ意味での戦力ではない。違憲ではない。こじつけ感があるが、現実の中で平和の理想を守るのは容易でなく、自衛隊は存在しなければならない。平和論は困難だ。だが現実に翻弄(ほんろう)されながらも、何とかギリギリのところで踏み止(とど)まってきたのがこれまでの日本の姿でなかったか。それもこの流れの中、昨年の安保関連法でとうとう一線を越えた。

 九条を失えば、僕達日本人はいよいよ決定的なアイデンティティを失う。あの悲惨を経験した直後、世界も平和を希求したあの空気の中で生まれたあの文言は大変貴重なものだ。全てを忘れ、裏で様々な利権が絡み合う戦争という醜さに、距離を取ることなく突っ込む「普通の国」。現代の悪は善の殻を被る。その奥の正体を見極めなければならない。日本はあの戦争の加害者であるが、原爆・空襲などの民間人大量虐殺の被害者でもある。そんな特殊な経験をした日本人のオリジナリティを失っていいのだろうか。これは遠い未来をも含む人類史全体の問題だ。

 僕達は今、世界史の中で、一つの国が格差などの果てに平和の理想を着々と放棄し、いずれ有無を言わせない形で戦争に巻き込まれ暴発する過程を目の当たりにしている。政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々として煽(あお)る危険なメディア、格差を生む今の経済、この巨大な流れの中で、僕達は個々として本来の自分を保つことができるだろうか。大きな出来事が起きた時、その表面だけを見て感情的になるのではなく、あらゆる方向からその事柄を見つめ、裏には何があり、誰が得をするかまで見極める必要がある。歴史の流れは全て自然発生的に動くのではなく、意図的に誘導されることが多々ある。いずれにしろ、今年は決定的な一年になるだろう。

 最後に一つ。現与党が危機感から良くなるためにも、今最も必要なのは確かな中道左派政党だと考える。民主党内の保守派は現与党の改憲保守派を利すること以外何をしたいのかわからないので、党から出て参院選に臨めばいかがだろうか。その方がわかりやすい。

     ◇

 1977年生まれ。2005年、「土の中の子供」で芥川賞。近著に「教団X」「あなたが消えた夜に」。「掏摸(スリ)」をはじめ、作品は各国で翻訳されている」

http://digital.asahi.com/articles/ASHD23R1JHD2UPQJ003.html?iref=comtop_6_01

身勝手な日本人が、日本の国宝をダメにする/東洋経済

2014-12-09 17:33:29 | 文化
 素晴らしい日本論だと思います。特に今自己満足と嫌韓ブームの中で、本当にまともな議論で気持ちが表れました。


「バブル崩壊後、不良債権問題が深刻さを増す一方の時代、いち早く警鐘を鳴らし、実効性ある打開策を発し続けた気鋭のアナリストが今、百八十度異なるフィールドで日本の“現実”と向き合っている。


──第一線の銀行アナリストを辞めたのは42歳という若さでした。

自分の役割は終わったと思ったんですね。ゴールドマン・サックスのパートナーを辞めた2007年ごろには、ほとんど自分の提示した形で不良債権問題の最終処理、担保不動産の処分が進んだ。邦銀も2~4行あれば十分と主張して結局主要3行になり、多くの問題にメドがついた。

自分は経済全体から見た金融システムの構造問題を分析するスタンスなので、「EPS(1株当たり利益)は何円か」などに興味がない。自分が得意とする分析はもう必要とされないと思いました。引退後は茶道をしたり京町家を買って修復したり、2年ほど自由にしていました。

そこへたまたま、別荘が隣同士という縁で小西美術の経営を見てくれという話が来て、フタを開けたらこれは大変だと。文化財保護の職人を尊重しているようで、現実には潰している世界であること知りました。

小西美術は漆塗りの老舗ですが、業界のほとんどが新しい会社なんです。本物の伝統技術を持つ本物の老舗はほとんど残っていません。明治以降の修復技術が横行し、それがダメとは言わないけれど、長い時を経て受け継がれてきた方法はそれ自体が一つの文化。でも新しい会社と競争することで財政的に厳しくなり、本来発揮できる技術が使えず、技術のよさがかなり薄れていました。

銀行の上層部には何を言ってもムダ

──アナリスト時代に謎だった日本経済の強さの理由がわかったとか。

この会社に来て、日本を支えているのはいちばん下の勤勉な労働者だと知りました。まあアナリスト時代に接していたのが銀行の上層の人間、というのが悪かったんだけれど。何を言っても無駄。行動しない。日本人は農耕民族だからと平気でバカげた理由を語り出したり。何でこの国が世界第2の経済大国なのか、ずっと不思議に思っていました。


実はこの会社も、技術は落ちているのに何も変えようとしていなかった点で同じでした。社長になって、職人の正社員化や先行投資としての若手育成、数字に基づいた議論をしよう、と変えていった結果、社員の働きは期待した以上でした。全部門に職人上がりの役員を置き、彼らが決め自分が決済する。社長や親方の権限がものすごく強い業界で、小西はチームで成り立つ会社にしていこうとしています。何かを決める際は時間をかけてみんなの意見を聞き、そして徹底的に実行していく。

百八十度の転身と言われるけど、障壁は感じませんでした。そもそも伝統技術という人工的な線引き自体を否定しています。200年前、漆塗りは通常の技術だった。現代のペンキ塗りやプレハブ住宅を将来は伝統技術と呼ぶかもしれない。よく職人は10年がかりというけど、じゃあ10年かからない職種を教えてほしい。金融マンだって医者だって同じでしょ。だからこの業界を特別視してはいなかった。自分としてはあくまでもビジネスの常識を実行していくだけ。考え方を普通のビジネスに戻しましょうと。古くからの職人たちが理解・共有してくれてるかどうかはわからないけど、以前は高かった離職率は今はゼロに等しいです。

──本の中に「ミステリアスジャパニーズ現象」が出てきます。

非科学的なことを大まじめに語る、数字を直視せず精神論になる…。

最近では例の「おもてなし」です。日本では財布を落としてもほぼ確実に戻ってくるってよくいうでしょ。でも警視庁の数字では、現金では届け出があった額の40%にすぎない。残り60%にはいっさい触れず、都合のいい少数を大げさに持ち上げる。サッカーW杯のとき、日本人観客のゴミ拾いが日本人の美徳として話題になった。なら、鎌倉の花火大会の後を見てください。ゴミだらけです。立派なおもてなしは確かに存在しても、それで日本が世界一のおもてなし国である客観性にはならない。

日本の鉄道は定刻運行、犯罪も少ないなどと自慢しますが、それは単なる住民目線でいいだけで、それがおもてなし? それを確かめるためにわざわざ外国から観光に来たりしないでしょ。本当に観光立国を目指すなら、住民目線で見た日本のよさと、観光の魅力とを結び付けるのは違う。

よく「クールジャパン」でアニメやマンガなどを挙げますが、観光=ポップカルチャーでも、文化財でもない。アニメ、和食、歴史、自然と多様な選択肢がそろって、初めて観光立国は成り立ちます。2000年の歴史がある国で感動したのが自販機、コンビニ、アニメ、それだけ? 日本の魅力ってこの程度? って思う。見てると悲しくなるんですよ。

文化財に関しては国の予算が少なすぎる。文化財を楽しんでもらおうという意識がなくて、ただ保護するだけ。文化財修理の現状は、30年とか50年に1回しか手を加えずギリギリまで置いておくので、ボロボロになっている案件が多いです。

「観光立国」を目指すには発想の大転換が必要

──日本人の場合、逆に摩耗した柱に感じ入ったりするのですが。


「イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る」講談社+α新書(840円+税/200ページ)
それは見慣れた風景に愛着を感じているだけ。実際に宇治の平等院や出雲大社が大修理を終えてきれいになったら行列ができていますね。美しくよみがえると人は来るんです。外国人にももっと楽しんでもらうための工夫が必要です。京都の神社や寺はただハコモノを見せるだけで500円の拝観料が入る。建物は国が補助金で保護してくれる。しかも頑張れば頑張るほど補助率が下がるのが問題です。

観光立国するなら発想の転換が必要ですよね。京都に来た外国人観光客の不満は「英語が通じない」の次が「解説がなく何を見ているのかわからない」。そうした表記や街のゴミ箱、道標、食事場所やトイレの整備などに配慮し、楽しく過ごしておカネを落としてもらって初めて観光立国。ビザを緩和して1000万人を超えたという数字に意味はない。

──文化財修復の予算が少ない点以外でも、問題は多そうですね。

この業界では、いつどこの寺社をどう修繕したかという資料があるようでないんです。入札業者の財務状態や品質など何のチェックもない。髪を切る理容師に国家資格は必要でも、文化財修復には何の資格もいらないんです。いったん傷つけてしまえばもう戻せない。国のチェック機能が著しく低いと思います。

小西美術の社長を引き受けた理由の一つは、この会社が業界最大手だから。最大手がアクションをもって変えていけば業界全体を変えることができる。それが狙いなんです。」

http://toyokeizai.net/articles/-/55068

カジノについて/内田樹より

2014-11-04 13:18:37 | 文化
「「実は、身内にかなりのギャンブル依存症がいます。優れたビジネスマンですし、他の面ではいたってノーマルな人物なのですが、ことギャンブルとなると熱くなる。若いころは給料日に競馬場へ行って1日でボーナスをすってしまうというようなこともありました。海外出張の時はカジノに通っていました。なぜそんなふうにお金を無駄に使うのか聞いたことがあります。これで負けたら全財産を失うという時のヒリヒリする感じが『たまらない』のだということでした」
 ――依存症は青少年や地域社会、治安への悪影響と並んで反対派、慎重派が最も懸念する点です。やはりカジノはやめたほうがいい、と。
 「僕は別に賭博をやめろというような青臭いことは言いません。ただ、なぜ人は賭博に時に破滅的にまで淫するのか、その人間の本性に対する省察が伴っていなければならないと思います。賭博欲は人間の抑止しがたい本性のひとつです。法的に抑圧すれば地下に潜るだけです。米国の禁酒法時代を見ても分かるように法的に禁圧すれば、逆にアルコール依存症は増え、マフィアが肥え太り、賄賂が横行して警察や司法が腐敗する。禁止する方が社会的コストが高くつく。だったら限定的に容認した方が『まし』だ。先人たちはそういうふうに考えた。酒も賭博も売春も『よくないもの』です。だからと言って全面的に禁圧すれば、抑圧された欲望はより危険なかたちをとる。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクールな結論です」
 ――カジノ法案は、政府内に管理委員会を置いて、不正や犯罪に厳しく対処するよう求めています。推進派の議員らは、十分な依存症対策も取る方針を明確にしています。それなら賛成できますか。
 「賛成できません。法案は賭博を『日の当たる場所』に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを『欺瞞だ』という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要な儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは『日の当たる場所』でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです。競馬の出走表を使って高校生に確率論を教える先生はいない。そういうことは『何となくはばかられる』という常識が賭博の蔓延を抑制している。賭博はあくまでグレーゾーンに留め置くべきものであって、白昼堂々、市民が生業としてやるものじゃない。法案は賭博をただのビジネスとして扱おうとしている点で、賭博が分泌する毒性についてあまりに無自覚だと思います」
 ――安倍晋三首相は、シンガポールでカジノを視察して、日本の経済成長に資すると発言しました。経済を活性化する良策ではないですか。
 「賭博は何も生み出しません。何も価値あるものを作り出さない。借金しても、家族を犠牲にしても、人から金を盗んででも、それを『する』人が増えるほど胴元の収益は増える。一獲千金の夢に迷って市民生活ができなくなる人間が増えるほど儲かるというビジネスモデルです。不幸になる人々が増えるほど収益が上がるビジネスである以上、そのビジネスで受益する人たちは『賭博に淫して身を滅ぼす人』が増大することを祈ることを止められない。国民が不幸になることで受益するビジネスを国が率先して行うという発想が、僕には信じられません」
 ――しかし観光振興の起爆剤になり、自治体財政にも寄与する可能性はある。デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか。
 「安倍政権の経済政策は武器輸出三原則の見直し、原発再稼働などいかに効率的に金を稼ぐかにしか興味がない。でも、当然ながらリスクが高いほど金は儲かる。一番儲かるのは戦争と麻薬です。人倫に逆らうビジネスほど金になる。でも、いくら金が欲しくても、あまり『はしたないこと』はできない。その節度が為政者には求められる。その『さじ加減』については先人の経験知に謙虚に学ぶべきですが、安倍政権には節度も謙虚さも何も感じられません」
 「為政者の本務は『経世済民』、世を治め、民を済うことです。首相は営利企業の経営者じゃないし、国家は金儲けのためにあるんじゃない。福島の原発事故対策、震災復興、沖縄の基地問題の解決の方がはるかに優先順位の高い国民的課題でしょう。厳しい現実に目を背け、なぜ金儲けの話ばかりするのか」
 ――でも、安倍内閣の支持率は一定の高さを保っていますよ。
 「メディアは選挙になれば『景気を何とかしてほしい』『経済の立て直しを』という『まちの声』を繰り返し報道してきました。国民は政党間のこむずかしい政策論争よりも民生の安定を望んでいると言ったつもりでしょうが、メディアはそれを『有権者は経済成長を望んでいる』という話に矮小化した。有権者は何より金が儲かることを望んでいるというふうに世論を誘導していった」
 「武器輸出も原発再稼働もカジノも『金が儲かるなら、他のことはどうでもいい』という世論の形成にあずかったメディアにも責任の一端があります。メディアはなぜ『金より大切なものがある』とはっきり言わないのか。国土の保全や国民の健康や人権は金より大切だと、はっきりアナウンスしてこなかったのはメディアの責任です」
 ――理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、成熟した大人にとって、現実的な議論とは言えないのではないでしょうか。
 「それのどこが『大人の態度』なんです? 人間は理想を掲げ、現実と理想を折り合わせることで集団を統合してきた。到達すべき理想がなければ現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。それとも何ですか? あなたはいまここにある現実がすべてであり、いま金をもっている人間、いま権力を持っている人間が『現実的な人間』であり、いま金のない人間、権力のない人間は現実の理解に失敗しているせいでそうなっているのだから、黙って彼らに従うべきだと、そう言うのですか」
 ――理想を語らず、目先の金。嫌な世の中になりました。
 「時間のかかる議論を『決められない』と罵倒してきたのは、あなた方メディアでしょう。『決められない政治』をなじり、『待ったなし』と煽ったせいで、有権者は独裁的に物事を決めていく安倍さんを『決断力がある』と見なして好感を持った。合意形成に時間がかかる民主制より、独裁的な方が政策決定の効率はいい。そう思うようになった。それならもう国会なんか要らない。安倍さんがどれほど失政をしようと『劇的に失敗する政治』の方が『決められない政治』よりましだ、そういうニヒリズムが蔓延しています」
 ――ニヒリズムですか……。
 「米ソ冷戦の1960年代、米ソの外交政策に対して日本人は何の発言権もなかった。国内でどんな政策を行っても、ある日、核ミサイルが発射されれば、すべて終わりだった。そういう時代に取り憑いていた虚無感を僕はまだ覚えています。いまの日本には、当時の虚無感に近いものを感じます。グローバル化によって海外で起きる事件が日本の運命を変えてしまう。どこかで株価が暴落したり、国債が投げ売りされたり、テロが起きたり、天変地異があれば、それだけで日々の生活が激変してしまう。自分たちの運命を自分たちで決めることができない。その無力感が深まっています」
 「『決められない政治』というのは政治家の個人的資質の問題ではなく、グローバル化によって、ある政策の適否を決定するファクターが増え過ぎて、誰も予測できなくなったので『決められなくなった』というシステムそのものの複雑化の帰結なのです。何が適切であるかは、もうわからない。せいぜい『これだけはやめておいた方がいい』という政策を選りのけるくらいしかできない」
 ――私たちは政治とどう向き合ったらいいのでしょう。
 「民主制のもとでは、失政は誰のせいにもできません。民主制より金が大事という判断を下して安倍政権を支持した人たちは、その責任をとるほかない。もちろん、どれほど安倍政権が失政を重ねても、支持者は『反政府的な勢力』が安倍さんのめざしていた『正しい政策』の実現を妨害したから、こんなことになった。責任は妨害した連中にあるというような言い訳を用意することでしょう。そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労ですけれど、それでも『金より大切なものがある。それは民の安寧である』ということは、飽きるほど言い続ける必要があります」」

http://blog.tatsuru.com/

【終戦記念日対談 金子兜太×いとうせいこう】 <戦前の空気に抗って>

2014-10-09 17:49:23 | 文化
「 69回目の終戦の日にあわせ、俳人の金子兜太(とうた)さん(94)=写真(左)=と作家のいとうせいこうさん(53)=同(右)=が対談した。海軍主計大尉としてトラック島で敗戦を迎えた金子さんと、東日本大震災を題材とした小説「想像ラジオ」が大きな共感を広げたいとうさん。俳句をテーマにした共著もある旧知の二人に、5・7・5の17文字がつくりだす小宇宙を手掛かりに、戦争と平和、社会を覆う空気などを縦横無尽に語り合ってもらった。

権力に 寄り添う構図 繰り返し

 ともに伊藤園の新俳句大賞の選考委員を務めた縁で、俳句の新潮流について語り合った対談本「他流試合」(二〇〇一年)がある二人。再会のあいさつもそこそこに、金子さんは、さいたま市の公民館が九条を詠んだ市民の俳句を掲載拒否した問題についておもむろに切り込んだ。
 

◆自由を毛嫌い

 金子 <梅雨空に『九条守れ』の女性デモ>。これを出す出さないでもめているんですね。これについて、あんたに聞いてみたいんだけど。

 いとう こういう自粛という形が連続している。下から自分たちで監視社会みたいにして、お互いを縛っていく。戦前は上から抑え付けられたように戦後語られてきたけど、本当はこうだったんだろうと。
 金子 やっぱり、そう言ってくれますか。(満州事変から始まる)十五年戦争の体験者なんだけどね。旧制高校に入ったころに中国との戦争が始まって。そのころの空気の中で、官僚とかお役人とか、いわゆる治安当局が、こういう扱い方をした。あのころは治安維持法が基準ですが。みんな自分たちでつくっちゃうんですよ。
 いとう 國分功一郎さんという若い哲学者が著書の中で、こういった下からの抑圧の問題を言っているんですね。自由を担いきれないので、自分から手放してしまう人たちがいると。手放した人たちにとっては、自由を求めて抵抗している人がうっとうしい。なので、その人たちを攻撃してしまう。そうすると、権力がやらなくても、自動的に自由を求める人たちの声がだんだん小さくなってしまう。だから自由っていうものを背負うことをもっと楽しめる社会にしなければならないというふうに彼は言っていて。

 金子 戦前、新興俳句運動っていうのがあったんです。渡辺白泉の<戦争が廊下の奥に立つてゐた>は今でも有名です。その連中が、日華事変開始の三年後に、かなり勾留されるんですよ。司直の手に挙げられるわけです。その火つけ役がね、今ちょうどあんたが言ったようにね、(俳壇内部から)新興俳句運動なんてやつはうるせえと、いい機会だから追っ払っちまえと動いた者がいたと聞いています。「京大俳句」なんかは十五人も捕まったわけです。風潮を利用するという傾向が今また出てきているわけですな。

 いとう 一気呵成(かせい)にここまでオセロのようにひっくり返っていくかというような感じがしています。もちろんそれに抵抗する人たちも必ずきちんといる。前回の戦争の教訓が生きていると信じたいので、あるとは思いますけど、ちょっと目立たないというか。僕はメディアの中にいる者としては心掛けてはいるんですけれども。でも、やっぱり兜太さんとかが、この光景は実際にもう見たよという方が一番説得力がある。

 金子 十五年戦争で拝見済みということで。それはね、私はこれから大いに言おうと思っているんです。

 いとう 十五年戦争の場合は、そういう雰囲気になってから、ほんの数年で戦争になった?

 金子 そうです。俳句弾圧は昭和十五年。日米開戦はその翌年の暮れ。「京大俳句」に続く新興俳人の拘引、これを俳句事件と呼んでいるんだが、私の属していた「土上(どじょう)」という俳句雑誌があったのですが、主宰の嶋田青峰先生なんかも獄につながれるわけです。ところが尋問中に喀血(かっけつ)しましてね。家に戻されてた時期があって、ちょうどそのときの青峰先生に会っているんです。その後間もなく他界しましたがね。この人がボソボソボソボソ言っていたことも思い出しますけどね。治安維持法が過剰に使われた。何とかこういうことはいろんな形で訴えていかにゃいかんと。

 いとう 特定秘密保護法を見たときに治安維持法だと私は思いました。目立つところで言うことを聞かなさそうな人たちを引っ張っていく、ということが既に始まっているんだという実感はすごくある。デモなどでもそこまで勾留するに値するかなと思われるような人が、いなくなったまま、まだ勾留されていたりとかですね。先ほどの下からの自粛と同時に、大きな権力に便乗するような欲望が動いて、結局はみんなで権力をつくっていく。特に自分たちが得もしないであろう人たちがそれをやって、他人の自由や良心を手放させていくことに快感を覚える時代になっちゃっている。
 金子 そうそうそう、誇り顔をしてね。

 いとう 十五年戦争の前に、個人的な誇りが持てないような時代が来てたわけですか。何か違う形で取り戻そうとするような形でそんなことが起こったという感じなんですか?

 金子 そうですねえ。私の狭い田舎の例で言うんですけどもね、秩父という所に育ちまして。山国なもんですから、繭が命の中心だったんですね。ところが繭の値が下がってましてね。世界恐慌の影響でもってね。ちょうど満州事変が始まったばかりでしたけど、戦争に勝てばね、楽になるんだということをしきりに言ってましたよ、みんな。私はちょうど中学生で、戦争に行く時は勝って、この人たちを楽にしたいと、そんな気持ちでいたわけですよ。国のために戦え、国もおまえも楽になるというご託宣がひどく影響力を持つわけです。そうすると学校の先生の中などにも、得意になってそういうことを言うのが出てくるわけですな。一種の便乗派というか、そういうものが露骨だったのを今でも覚えていますよ。
 →世界恐慌 1929年発生。高関税など自国産業保護の経済政策が広がり、第2次大戦の一因となった。

◆論理 粗雑すぎ

 いとう それで自己満足していく。
 金子 中学の終わりの時に二・二六事件が起こりまして、中学生はかなり肯定的に受け取った。若い軍人がよくやったという気持ちで受け取らされた。ああいうのが怖いですな。やっぱり、分かる人はちゃんとこれは駄目なんだと言わないといけない。

 いとう 思い付く限りの言葉はなるべく言い、伝えるようにはしていますけど、非常にこう有効な、つまり、一番ここを突けばいいだろうという言葉がなかなか見つからない。なぜかというと、起きていることがあまりに非論理的だからですね。内閣だけで憲法の実質的な変更を決めてしまうことも、法の論理として見てみると非常に粗雑ですよね。

 金子 粗雑です、粗雑です。

 いとう 法を扱う人たちの論の立て方ではない。でも、知性というものが世の中を駄目にしている、というような不満がある人たちの気持ちを利用しているので、理性でそれを批判しても嘲笑で終わらされてしまう。上手に言うことができない。もちろんそこでより有効な言葉を探すのが、文学者の仕事なのですが。

 金子 せいこうさんの小説「想像ラジオ」を読んで、今の話とかかわってくる印象を持ったんですがね。東日本大震災だけに問題を限定しているのではなくて、それを含むもっと大きな現実の中で生きている一人の人間として、いとうせいこうは戦っていると。散文詩としての美しさがあって、一気に読んだ。

 いとう 宇宙的な何かとか、歴史的な何かとか、大きなものとつながるようなフィクション(虚構)を有効に使わなければならないと考えた。最近「三田文学」というところに百枚ぐらいの短編を載せているんですが、伯父のような人と主人公の関係なんです。先ほどの金子さんとの話と重なり不思議だと思ったんですが、両親が信州の人間という設定なんで、繭の問題が出てくる。繭で日本が豊かになったけれども、世界恐慌で一気に不況になった。日本全国で一番の輸出産業だったわけですから、これがなくなったことから戦争に進む雰囲気になったと語る伯母のシーンがある。そこから飛んで二十世紀末ですけど、ガザ空爆の問題が出てきて、やっぱりここにも、経済と大きな権力のようなものというか、軍産複合体のようなきな臭い問題があって、でもその下に生きている人がいる。今の日本の感じを前にあったことと重なり合わせて、もう一回それぞれが考えなければならないと無意識的に思った時に、僕にとって象徴的な何かとして繭や蚕糸が出てきてた。

 金子 長野とか埼玉・秩父は繭の大産地でしたからね。


死の現場 知らぬ政治家 得意顔

◆戦争詠む必要

 いとう 僕がまだ伊藤園の新俳句大賞の選考委員だった時に湾岸戦争が起きて、戦時下の俳句をあえて採りたいと言ったら兜太さんが一番共鳴してくれた。社会の問題をすぐに庶民がすくい取って読める詩が、日本の場合は俳句としてある。そうなるとまさに「梅雨空に九条…」のようなものがあってしかるべきだし、そこが一番の表現の自由の最前線のつばぜり合いだと思う。ただ、名もない表現者の句がそのような象徴となるのは、自分がある程度のプロとして、フィクションのことを考えている人間としては、恥ずかしいですね。文学者がそこを打破しなきゃいけないんじゃないかと。ここで何でもないものをただ書いていて戦争になったら、戦後恥をかくよと。「戦後」と言うと戦争があるということを含み込んでしまっていて良くないが、でも今の自分を支えているのは、戦後恥ずかしくないように発言していなければならないという思いです。そのことが前回の戦争の大きな教訓なので、沈黙しているわけにはいかないと。未来の人から見られていると思って、僕は物を書いています。

 金子 あまり生なリアリズムじゃなくて、現実と泥まみれになっている叙事詩というか、薫り豊かな、しかも現実に対して厳しい矢を射ている、そういう小説が出たら素晴らしいと思って、せいこうさんのふんどしに期待している。
 いとう 兜太さんの俳句、もちろん過去の戦争を描いたものもそうですし、今はセシウムが出てきたり、それが日本の深層にある風景として、季節として描かれていることが大きい。詩人や俳人の、特に短詩形であるところの刺さり方の強さがある。長編小説を書いていると三年も四年もかかっちゃう。その間に社会がどんどん違ってきてしまう。人間というか社会を、今という季節を、断面を見せてくれるという意味で、俳句のような動きをやらなきゃいけないというふうに読ませてもらってます。

◆一句の説得力

 金子 一人の俳句作家がいとうせいこうのようにというのは無理ですね。十人なら十人、その人が生み出す五百句なら五百句の総合力ですよ。今日も見てもらおうと思って、最近拾った俳句を書いてきた。先ほどの<梅雨空に『九条守れ』の女性デモ>。これ、本当に優しい日常句ですけどね。それと中村晋という福島県の高校の先生ですが、この人は福島原発事故の重圧をまともに取り上げた。というのは奥さんがセシウムを心配して、子どもと一緒に山形県に入っちゃって。<春の牛空気を食べて被曝(ひばく)した>などいろいろ句を作っている。同じ福島の人で坂本豊という人の句もある。<ものの芽をみな攫(さら)いけり除染という>。3・11の直後に出てきて俳句だけじゃなく、エッセーでも有名になった人で照井翠(みどり)さんの句も<螢(ほうたる)や握りしめゐ(い)て喪(うしな)ふ手>。手を失う思いがあるという。それから蛇笏(だこつ)賞をもらった高野ムツオの句、これは<四肢へ地震(ない)ただ轟轟(ごうごう)と轟轟と>とその時の映像だけを書いてある。それから私の句でも3・11では<津波のあと老女生きてあり死なぬ>。福島の被ばくの句では<被曝の牛たち水田に立ちて死を待てり>。十五年戦争で誰の記憶にも残っているのは、先ほどの渡辺白泉の句がありますが。川柳の鶴彬の<手と足をもいだ丸太にしてかへし>、これも著名で一句で結構な説得力を持つわけです。

 →鶴彬(つる・あきら) 反戦川柳作家。新興俳句より早い1937年に摘発され、留置中に死亡。

 いとう 国民運動ではありませんが、そういうものがネットワークされないといけないなと。例えばこうしたものが一万句あることが力になると思う。僕も一緒に何かできるといいと思います。それと一緒に小説もあるという形で。今はインターネットの時代になって、例えばツイッターとか百四十字しか書けないような、そんな場所で情報はたくさん発信されている。まさにツイッターに出てくるような俳句を募集してそれを新聞に出すとか。放送に出すとか。連動して少しでもやらないと、歴史が全く凡庸な反復になってしまう。

◆過半は餓死者

 いとう 金子さんは現実、戦時中に南洋へ行かれていた。大岡昇平の「野火」を読んでも分かるように、戦死者は決して勇ましいものではなくて、過半は餓死者であるということを、なぜこんなに隠して勇ましいことのように美化するのか。意味が分からないくらい情報が隠されている。本当に先進国なのかと思うくらいひどい。

 金子 おっしゃるとおり。私がいたトラック島は死の現場として、いまいっぺん伝えたい。安倍さんをはじめ、今の政治家は、集団的自衛権を実現させようと、憲法の事実上の改悪を考えたりして戦争へ一歩近づいているが、なんであんな平気な顔で、得意顔でできるのかと考える。そうしたら分かりましたよ。死の現場をほとんど踏んでない人たちなんだ。トラック島は日本軍の連合艦隊の基地だったんだけど、アメリカの機動部隊にばんばんやられた。連合艦隊は逃げて、第四艦隊が残ったがぜんぜん弱い。そこで武器がなくなった。手りゅう弾をたくさん作り、実験をやったんです。「俺がやる」と志望したのは、兵隊さん以下として扱われている民間の工員さん。やったとたんにボーンって右手がすっ飛んじゃって。背中が破片でえぐられて、運河のようになっている。それで即死したわけです。餓死ってのは、いたましいわけでね。しかも工員さんは、国に殉ずるなんて考え方で来ていない。本当に無知な人たちが力ずくで生きてきて、結局食い物がなくなって死んでいく。仏様のような顔で。逆に悲惨なんですよ。戦場という死の現場を分かっていない政治家は、自衛隊の連中をすぐそのまま戦場へ持って行くことを平気で思っているけどね。自衛隊の人が足りなくなって徴兵制度が敷かれるようになることが心配なんですよ。

 いとう 今、イスラエルがガザに対してやっていることも、僕はすぐ東京大空襲のことを思った。下町に育ちましたから。いろんな種類の爆弾が使われて火の海にされて、民間人がやられていく。政治家は、このことを日本の問題として考えてないんですね。国連決議も棄権したりして。ついわれわれが何十年か前に首都でやられたことをやられているという、そこが結び付かないのが僕には信じられない。そういう人たちが世の中を動かすようになってしまった。過去と、今起きていることはつながっているし、われわれの問題でもある。それを喚起するには言葉が問われていると思います。おじいちゃんおばあちゃん、兜太さんの話も聞いてきた人間としてつなげていかなければと思う。

僕たち選者で「戦後俳句」選ばせて

 金子さんは、トラック島で終戦を迎え、島を去るとき<水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る>と詠んだ。自分は一度死んだようなもの。生きて帰るのだから、これからは戦争のない世の中のためにできるだけのことをしようと決意した。

◆戦争への自虐

 金子 今の人に想像できないような無残な死に方をしていった人のことを思った時に、報いなきゃならないと。こっちも若いですから、余計身に染みた。私が学生のころ、俳句を始めたのは、出沢三太という無頼で非常に面白い人間がやっていたから。その人が俺を連れてった句会の中心に高等学校の英語の先生がいた。水戸っていうところは、聯隊(れんたい)もあって軍国臭ぷんぷんなんですけどね、お二人とも全く無視して、軍人が来ても頭下げない。俳句はそういう自由人が作るもんだと思い込んだんです。兵隊行くまで、自由人でありたい、ありたいと。ところが、戦争に行って、目の前で手がふっ飛んだり背中に穴が開いて死んでいく連中を見たり、いかついやつがだんだん痩せ細って仏様みたいに死んでいくのを見て、いかなる時代でもリベラルな人間でありたいと考えていた自分がいかに甘いかということを痛感した。自己反省、自己痛打が私にそういう句を作らせたと同時に、その後の生き方を支配した。年取ってもその句が抜けません。自分を緩めることができない。それぐらいの痛烈な体験でした。今の政治家諸公は、少なくとも俺のような戦争への自虐を感じないのだろうか。

 いとう 東京新聞でぜひ、何俳句と呼ぶか分からないけれども、募集してほしい。あえて戦後俳句と言っていいかもしれません。僕たち選者になって、戦争体験のことも、体験していないけれど自分たちは戦争体験をどういうふうに考えるかということも俳句にしてもらって選んで、ばあーっと載せたらいいじゃないですか。それで大賞、準大賞があって、その中から時代の代表作が生まれてくるってことが文学とかジャーナリズムを含めた、やっぱり言葉の力だから。
 金子 二人でやるとなると、ちょっと面白いと思いますよ。変なやつが二人でやってるっていうのは。

    ◇

【対談後記】「戦後」を続けていく決意 社会部長・瀬口晴義

 仲間内の句会で時々駄句をひねる。東日本大震災の取材経験からこんな句もつくった。<春泥にまみれし母子のフォトグラフ><こどもの日鯉(こい)の泳がぬ浜通り><秋風や倒れたままの忠魂碑>。俳句は見たままを詠めばよい。挑戦したことがないのは戦争をテーマにした句だ。観念的になりそうだからだ。

 多くの軍属が餓死したトラック島を去る時、金子さんは彼らの死に報いることを誓う。復職した日本銀行では出世を求めず、俳句一筋の人生を送った俳壇の重鎮は「体験を語ることが最後の仕事だと思っている」と旧知のいとうさんとの対談を快く引き受けてくださった。

 <梅雨空に『九条守れ』の女性デモ>の句が、さいたま市の公民館の月報に掲載されなかった問題は、戦前の新興俳句運動の弾圧の歴史と重なることが金子さんの話で理解できた。共通する時代の空気は「自粛」だろうか。どきりとしたのは「今の自分を支えているのは、戦後恥ずかしくないように発言していなければならないという思いです」という、いとうさんの言葉だ。いつまでも「戦後」を続けることがジャーナリズムの使命と私は考えているが、いとうさんはその先まで射程に入れていた。

 金子さんから<原爆忌被曝(ひばく)福島よ生きよ>の句が届いた。「戦後俳句」を募集したらどうか、という宿題もお二人からいただいている。「戦後」をいつまでも続けてゆくという決意と願いのこもった句。私も挑戦してみたい。」

http://www.tokyo-np.co.jp/feature/taidan140815/

小林よしのりも「カルト」と批判! 山谷えり子をなぜ放置するのか/LITERAより

2014-10-08 16:02:40 | 文化
「 いったいなぜなのか。山谷えり子拉致問題担当相兼国家公安委員長や高市早苗総務相など、安倍内閣の閣僚とネオナチや在特会など極右団体との関係が明らかになってから2週間。その間に「知らなかった」という彼らの弁明が真っ赤なウソであることも次々に明らかになった。ところが、新聞やテレビなどのマスコミではこの問題はほとんど報道されていないのだ。先日、始まった国会でも彼らを追及しようという動きはまったく出てこない。

 とくに信じられないのは、山谷えり子がなんの責任も問われず放置されていることだ。周知のように、山谷はヘイトスピーチ団体「在特会」との密接な関係を暴露されたのだが、その報道に対する姿勢はウソとごまかし、開き直りに満ちたものだった。

 山谷はまず、「週刊文春」(9月25日号)で在特会の関西支部長(当時)だった増木重夫氏と20年来の付き合いがあることを指摘され、この増木氏、京都支部長になるN氏、在特会の関連団体「チーム関西」のリーダーのA氏の3人と一緒に写った写真が誌面に掲載された。ところが、「文春」の取材に山谷は「ザイトクカイってなんですか?」と会の存在そのものを知らないふりをし、増木氏についても「在特会の人とは知らなかった。政治家なので写真をといわれれば撮る」とその関係を完全否定した。

 しかし、その後、山谷と増木氏の関係を物語る証拠が次々出てくる。増木氏のホームページには、別の日に議員会館で山谷と一緒に撮った写真や、親しい関係を物語るこんな日記も存在していた。

〈山谷先生の宿泊されているホテルへ押しかけ、少々遅い「夜明けのコーヒー」。諸々の事案を相談。いつものことながら、先生ハイテンション。あのエネルギーはどこから来るのか。「えりこ先生ホの字の会」(勝手応援団)の設立を検討中。〉
 また、山谷には、「文春」の写真とは別の議員会館の写真で増木氏と一緒に写真に写っていた在特会の関係者から2010年に2回にわたって献金を受け取っていた事実も発覚した。

 さらに信じられないのが、9月25日、日本外国特派員協会で行われた山谷の会見の内容だった。この会見では、当然、在特会元幹部との関係に質問が集中したのだが、山谷はこれだけさまざまな証拠が出てきているにもかかわらず、「選挙区が全国でありまして、たくさんの人々とお会いいたします。そのマスキさんという方が在特会の関係者ということは存じ上げておりません。」とあいかわらずの回答をくりかえしたのだ。

 しかし、これに対して、警察組織のトップである山谷が在特会幹部を「知らなかった」といいはり、文春のインタビューで「在特会そのものを知らない」と発言したのはおかしい、という批判が複数の記者からとんだ。これだけ国連から問題とされているという団体のことを知らなくて、警察行政のトップが務まるのか、と。

 すると、山谷は一転して「在特会を知らないとはいっていない」「週刊誌のやりとりは事実ではない」と、今度は「文春」の記事を捏造よばわりしたのだ。  

 だが、このウソもあっけなくバレてしまう。会見での発言を知った「週刊文春」は山谷とのやりとりを録音したテープを「週刊文春デジタル」にアップしたのだが、そこには、記者が在特会について何度も説明しているのに、「何ですか、ザイトクカイって」「ザイトクカイって何ですか」「私ちょっとよくわかりませんので」と、シラを切り通す山谷の声がはっきり残されていた。

 閣僚がこれだけ言を左右し、虚偽をふりまいているだけでも普通なら進退問題に発展しかねないが、この会見でもうひとつ見逃せないのは、山谷が明らかに在特会をかばい、在特会と同じ思想をもっていることを思わず表明してしまったことだ。

 山谷は在特会との関係を否定しながら、在特会についてどう思うかと問われると、「色々な組織についてコメントすることは適切ではない」と発言をさけ続けた。また、在特会によるヘイトスピーチの問題点を指摘されても、「ヘイトスピーチをする人、そしてそれにまた反対する人々との間で暴力的な行為すら起きている。遺憾に思っています」「色々なグループがぶつかっている」と、必ず反ヘイト側を持ち出して、在特会を擁護し続けたのだ。

 そして、もっと決定的だったのが、この会見に出席していたTBSラジオ「荻上チキ・Session-22」のプロデューサー・長谷川裕氏からの質問内容だった。

 長谷川プロデューサーは同番組が山谷に対して事前に「在特会をどのような団体と認識しているか」という質問をしたところ、書面で「同団体については、在日韓国人・朝鮮人問題を広く一般に提起し、彼等に付与されている「特別永住資格」の廃止を主張するなど、「在日特権」をなくすことを目的として活動している組織と承知しています。」という回答があったことを公開。そのうえで「在日特権」とは何か、と質問したのだ。

 すると、山谷は「今、お読みになっている部分は恐らく、在特会のHPから引用したものをそのまま記しているんだろうという風に思います。」と信じられない弁明をしつつ、「法律やいろいろなルールに基づいて特別な権利があるというのは、それはそれで、私が答えるべきことではないと思います。」と、発言したのである。

 そもそも「在日特権」自体がまったく根拠のない、ヘイトスピーチのためのフィクションであることは今や国際社会の常識だ。ところが山谷は「私が答えるべきことではない」といいながら、思わず「特別な権利がある」と完全に認めてしまったのだ。しかも、在特会のHPそのまま引用して自らの認識としている事実……・
 当然、会見場は騒然となり、海外記者やフリージャーナリストから疑問の声がとびかった。しかし、山谷はそれに答えず、一方的に会見を打ち切ってしまったのである。

 いずれにしても、国家公安委員長が特定のレイシスト団体に明らかにシンパシーをもち、同一の差別思想を会見で口にしたのだ。普通なら、確実に閣僚辞任に発展する話だろう。

 ちなみに、山谷えり子については、保守派の小林よしのりもブログで警鐘を鳴らしている。
「山谷えり子は在特会だけではなくて、統一協会とも繋がりがあるらしい。」

「しかし、朝鮮人差別の「在特会」と、朝鮮人・文鮮明教祖の「統一協会」の二股をかけている山谷えり子とは、一体何者だ?」

「この山谷を「国家公安委員長」に任命した安倍晋三は、一体何を考えているのか? まったく恐ろしい! 日本はカルトに支配されつつあるのではないか?」

 だが、冒頭でもいったように、大新聞やテレビはこの問題を一切報道していない。日本外国特派員協会で行われた会見についても、その内容を詳しく報道したのは、前出のTBSラジオ「荻上チキ・Session-22」と「日刊ゲンダイ」くらいだった。

「朝日問題で、マスコミは完全に安倍政権に対して及び腰になっていますからね。下手に批判したら、自分たちも朝日と同じ目にあう、と。とくに山谷や高市は安倍首相のお気に入りで、警察やテレビの許認可権をもっていますから、ほとんどさわれない」(ジャーナリスト)
 もはや、この国に言論の自由はないのか。
(エンジョウトオル)」

http://lite-ra.com/2014/10/post-525.html

あの蛭子さんが「安倍首相の右翼的な動きが怖ろしい」と発言する理由/LITERAより

2014-10-08 15:56:14 | 文化
「 蛭子能収が絶好調だ。太川陽介と目的地までひたすらバスを乗り継ぐという変わり種の旅番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)がきっかけとなり、本人曰く「過去に経験がないくらい」仕事のオファーが殺到しているらしい。

 飄々として、何を考えているのかよくわからない。空気を読まない発言を連発して周囲を慌てさせる。それでいてなぜか憎めない。そんな蛭子さんが“生き方本”を出したというので、いったいどんなことを書いているのか、気になって、その本『ひとりぼっちを笑うな』(蛭子能収/角川oneテーマ21)を手に取ってみた。すると、そこには想像以上にまっとうな蛭子さんの“哲学”が綴られていた。

 蛭子さんはまず、東日本大震災における“絆”について疑問を口にする。

「正直なところ、僕にはちょっとそれがよくわからなかったんですよね」

 もちろんあの震災は二度と起こって欲しくないし、被災者への思いを蛭子さんだって持っている。しかし“絆”や“がんばろう”という言葉を強調することに蛭子さんは違和感を覚えているのだ。

「あくまでも人は自由だから、絆の外にいる人、がんばらない人がいてもいいし、それを(略)説教や強要をするのは好ましくない」

 おっしゃる通り! しかし多くの人はそんな“本音”を言いたくても言えない。だってそんなことを言えば非国民だとか人間の心がないと非難されることは容易に想像できるからだ。

「いまの日本には、そういった無言の圧力みたいなものが存在しているように感じるんです。とはいえ、それもその人たち次第だと思うんですよね。だって、その人自身は不謹慎なことを言ってるつもりはないんじゃないですか?」

 だから蛭子さん本人も決して不謹慎なことを言っているつもりはない。その根底にあるのは「自由」だ。誰かに束縛されたり、自由を脅かされることが何よりも大嫌いだという蛭子さんは、だから“群れ”は危険だと思っている。本音を言えないのは、グループに所属しているからで、そこから「無言の圧力」を受けるからだ。

 ゆえに蛭子さんは「ひとりぼっち」を選ぶ。いや選ぶのではなくそれが蛭子さんにとっての自由であり、快適で自然なことだから。そしてこう思う。「『友だち』って必要なのかなあ」と。

「長いこと、自由であることを第一に考えていると、いわゆる“友だち”と呼ばれるような人は、あまり必要でなくなります。むしろ、友だちがたくさんいると、面倒くさいと感じることも多々あるくらい。友だちはいい存在でもある一方で、ときには、自由を妨げる存在になるからです」

 逆に自分が誰かを誘えば、その人の自由や時間を奪ってしまうことにもなると指摘する。

 蛭子さんは競艇にも映画にも基本はひとりで行くし、共演者とは外で会ったこともない。仕事の打ち上げやみんなと一緒に食事もするのも苦手。ついでに大皿料理も「他人が箸をつけたものを自分の口にいれるっていうことが、生理的にダメ」なので大嫌い。テレビでも思ったことは正直に話す。

「共演者や視聴者からの顰蹙を買うようなことがあっても、自分自身でいるためにはそれしか手段がなかった(それしかできなかった?)。(略)『もっと視聴者受けすることを言わなくっちゃ』とは、絶対に思いませんでした。だって、それではウソになってしまうから」

 そして自由であるためには自分だけでなく他人も尊重するし、他人に迷惑はかけないという。

「他人に迷惑をかけるようなことはしないっていうのが、僕にとって絶対的なものとしてある」

「僕自身が自由であるためには、他人の自由も尊重しないといけないという信念であり、それが鉄則なんです。人それぞれ好きなものは違うし、ライフスタイルだって違う。そこをまず尊重しない限り、いつか自分の自由も侵されてしまうような気がしてなりません」

 自由をこよなく愛し、自分を偽りたくないという蛭子さんは、だからこそ「自由を奪う」戦争は断固として反対だという。そして集団的自衛権について「手出せば倍返しされる」と朝日新聞(6月24日)でこんなことを言っている。

「正直、難しいことはよく分かりませんが、報復されるだけなんじゃないですか。 『集団』っていう響きも嫌いですね。集団では個人の自由がなくなり、リーダーの命令を聞かないとたたかれる。自分で正しい判断ができなくなるでしょ。(略)手を出すと倍返しされ、互いにエスカレートして、ナイフを持ち出すことになりかねません。歯止めがかからなくなり、最後には死を想像してしまう。漫画ならいいけど、現実に起きてはいけない」

 なるほど蛭子さんらしい率直な発言だ。そして本書でも戦争についてこんな考えを吐露するのだ。

「ここ最近の右翼的な動きは、とても怖い気がします。安倍首相は、おそらく中国と韓国を頭に入れた上で、それ(集団的自衛権)をとおそうとしているのでしょうけれど、僕はたとえどんな理由であれ、戦争は絶対にやってはいけないものだと強く思っています」

「戦争ほど個人の自由を奪うものなんて、他にはないんですよね。誰かの自由を強制的に奪うようなものは、いかなる理由があっても断固として反対です」

 なによりも自由が大切で、自由が好き。群れない個人を尊重し、あくまで“個人”として戦争に反対する。そんな蛭子さんの「ひとりぼっち」は素敵だ。だが、それ以上にすごいのは、自身の性格を「内向的」と分析し、恥ずかしがり屋で決して目立ちたくはないと言う一方、「誰かに『嫌われている』と思ったことがない」という点だ。

 その理由は「僕は誰かに嫌われるようなことをなにひとつしていない」から。だから自信を持って「戦争は反対」「友だちはいらない」「絆は強要されるものではない」と本音を言える。いや、本音しか言えないのだろう。

 本音を言えず、KYと指摘されるのを恐れ、同調圧力に苦しむ多くの人々、特に若い世代には是非読んで欲しい蛭子さんの人生哲学だった。
(伊勢崎馨)」

http://lite-ra.com/2014/10/post-514.html

NHKで「原発いらない」発言! 過激でまっとうな加賀まりこのルーツとは?/LITERAより

2014-10-08 15:52:55 | 文化
「 今、女優の加賀まりこが熱い。女優としての活躍はもちろんだが、老いてますます、その発言の過激さに拍車がかかっているのだ。少し前にもNHKのトーク番組『スタジオパークからこんにちは』にゲスト出演した際の発言が大きな話題を呼んだ。

「生きて行く上で、たまたま私たちはこの地球に、つかの間お邪魔しているだけじゃない? 着飾ったり、気負わなくてもいいと思う。だから戦争もいらないし、原発もいらない」

 籾井勝人が会長となって、安倍政権の広報機関になりさがってしまったNHKで、政権の政策に真っ向から対立するような発言を堂々と行ったのである。しかも、この発言は戦争や原発について訊かれたものではなかった。加賀の普段から飾らぬ自然体について司会の戸田恵子に訊かれ、現在のパートナーと付き合ってから着飾る事をやめたことを明かした後の発言だった。そのためネット上では「さらりと持論を言えて素敵!」「彼女の発言だからこそ説得性がある」「凛々しくて憧れる」「あっぱれ」と反響を呼び、ネット検索ランキングも急上昇したのだ。

 だが加賀の歯に衣きせぬ発言は、何も今に始まったものではない。自身も「小さい時から思った事は何でも口にする毒舌家」と公言し、そのために若い頃から「生意気」とのレッテルさえ貼られてきた。 

 特に加賀が『夜のヒットスタジオSUPER』(1989~90年/フジテレビ系)の司会を務めた時の発言の数々は、その後の加賀の「小悪魔」「生意気」というイメージを決定づけた。

 番組初回で「歌手に媚びない司会」と宣言した加賀は、その言葉の通り出演アーティストたちをこき下ろした。人気絶頂のB`zが出演した際には、ボーカルの稲葉浩志に向かって、「稲葉クンはいい男だと思いこんでたけど、リハーサルですっぴんの顔見たら『なんだ』って思っちゃった」と笑い、一方の松本孝弘に対しては「こっちは不細工ね」と言い放つ。

 南野陽子には「案外と色黒ね、時代劇では 綺麗な人だと思ったけど」、CHAGE and ASKAには「(CHAGE)Cを取ったらハゲじゃない」などなど。またステージで歌う直前の吉幾三の頬にキスをして、吉がキスマークをつけたまま歌ったこともあるなど、まさに言いたい放題。
 
 しかも、こうした毒舌は年下の芸能人にだけ向けられる訳ではない。こんな大物作家との痛快トラブルもある。当時、仲良しだった作家の長部日出雄と銀座で飲んでいた加賀。同じ店に偶然居合わせたあるベストセラー作家が長部に「いいねぇ、女優さんと仲良くして」「僕なんて映画の原作持ってても、口なんかきいてもらったことないよぉ」とネチネチと話しかけてきた。次の瞬間、加賀は立ち上がり、こう啖呵を切ったという。

「アンタなんか最低よ! 本が売れたからってナンボのもんよ、書いているものと人格はエラい違いじゃないの!」

 この時、加賀はその作家の顔を知らなかったが、実は彼女はこの作家の原作映画に3本も出演していたという。「権威にたてつくチンピラでいたい!」という、いかにも加賀らしいエピソードではないか。

 こうした加賀の気質はどこからきたものなのか。加賀の著書『純情ババァになりました。』(講談社文庫/2008年)には、そのルーツが描かれている。

 1943年に東京神田で生まれた加賀は、かつては色街だった神楽坂育ち。「日本に初めて入ってきたバーバリーのトレンチコートを買うために1カ月分の給料をはたいてしまうような」ダンディな洒落者で大映プロデューサーの父と、専業主婦の母との間の3兄姉の末っ子として生まれた。家には映画関係者が頻繁に出入りする環境で、また10代の加賀はダンディな父に、レディとしてエスコートされホテルに出入るような生活を送っていた。

 父親からは「一人前の人間として見ているから、自分で考え、何でもやりなさい。但し、家族に迷惑をかけるようなことはしなさんな」という自由な教育を受け、母親からからはその生き様を教わったという。

「(母は)派手なことは好まず、世間体や体裁をかまうことも一切なかった。〈世間体〉なんてものを生きる物差しにしてどーする!? という、私の価値観の一端はこの母から継いだと思う」

 さらに彼女の気質についてはもうひとつ興味深いルーツがあった。

「神田錦町で〈松本亭〉という料亭を営んでいた祖母(母方)は、自由民権運動と社会正義のために一肌脱いだ女大夫だった。(略)家には、足尾銅山鉱毒事件の田中正造、幸徳秋水、犬養毅父子など、時の政局を動かす政治家や多くの志士たちが出入りし、彼らのパトロンでもあった」

 加賀自身、自分の気質をこの祖母からの隔世遺伝だと分析するが、まさに反骨の血が流れていたことになる。

 だが、最近の加賀の発言を見ていると、毒舌、過激さだけでなく、冒頭のNHK発言のように「シンプルさ」「まっとうさ」なども加わった気がする。その部分で大きな影響があったと思われるのが、私生活でのパートナーである“ダーリン”との出会いだ。

 今年で付き合い始めて10年という“ダーリン”は、そもそもは30年以上前に仕事で知り合ったテレビマンだった。その間、友だちとしての付き合いが続いていたが、加賀が60歳を目前にした頃、加賀自身が「恋人として付き合って欲しい」と告白して始まった関係だという。加賀によると“ダーリン”はこんな男性らしい。

「自分の損得では絶対に動かない人。通りすがりの人が駅で倒れたら、自分が急いでいても助けることがすんなりできる人。誠実が服を着て歩いているような人で、どんなときでもすくっと立っていられる人」(日経BP社「日経ヘルス プルミエ」08年6月号)

「“魂の清潔さ”みたいな部分は全然変わらない。地位や立場で人を差別しないし、嫌なオヤジの部分もでてこない。いるでしょ、出しゃばりで『俺が、俺が』ってタイプ。その真逆」(主婦の友社「ゆうゆう」13年2月号)

 仕事がオフの時は必ず一緒に過ごすというダーリン。彼の存在は、これまで以上に加賀をシンプルに、そして素直にさせたようだ。60歳を迎えたとき、加賀は、それまで所有していた専用車を手放した。

「いるものと、いらないものが見えてきたのね。きっと。私には丈夫な足があるんだから歩こう!って」」(同上「ゆうゆう」より) 

 そして加賀は「正義が好き」と言い切り、それを貫こうとする。

 「人がどう思うかは私には重要じゃないの。大事なのは自分が信じた通りに行動すること」(同上「日経ヘルス プルミエ」より)

 正義のため、自分信じたことだからこそ、加賀は「戦争もいらないし、原発もいらない」と臆することなく自然と口に出すことができるのだろう。こんな60代の女性が沢山出現してくれれば、日本はもっといい国になるはずだ。
(林グンマ)」

http://lite-ra.com/i/2014/10/post-523-entry.html

佐村河内氏の盗作問題について/仲村ひふみ氏のブログ

2014-02-06 17:59:49 | 文化
 個人的には赤字にした部分に共感しましたが、それいガの部分からも勉強させていただきました。


「2014-02-06  聴くことの困難をめぐって

 仲山ひふみです。久しぶりにブログを更新します。といっても、すでにあるところで閲覧者を限定して公開したものなのですが、もっと多くの人に読まれるべきだろうという勧めを受けたのでこちらに転載します。

 ところで、この記事のタイトルはダブルミーニングになっています。最後まで読めばその意味は察せられるでしょう。

***

 広島出身で聴覚障碍を抱えた独学の作曲家、佐村河内守の作品の作曲を、彼が実質的にデビューしてから現在にいたるまで、ほぼ無名の現代音楽作曲家である新垣隆が代行していたことについて書く。

 最初にことわっておくと、僕は佐村河内の音楽を主に『鬼武者』のサントラで聴いて知っているが、別段評価に値するものだとは思っていなかった。それは当時も今も変わらない。

 こうした日本的情緒を織り込みつつベートーヴェンからストラヴィンスキーまでのクラシック音楽の語彙を有効活用した管弦楽曲というのは世にいくらでも存在するからだ。

 戦前の伊福部昭や早坂文雄からそうした作品は枚挙にいとまがなく、権威ある作曲コンクールが前衛的な現代音楽作品しか受け付けなくなった現在でも吉松隆のようなひとがクラシカルな構成と汎調性的響きをもった音楽を作曲して、最近では大河ドラマの劇伴をこなしたりしている。

 佐村河内の名を一躍有名にした交響曲第一番『HIROSHIMA』にしても、広島(ヒロシマ)をテーマにした現代音楽というのはこれまた腐るほどあって、NAXOSのシリーズで知られるようになった大木正夫のようなマイナーどころから、細川俊夫や芥川也寸志のような大家もこのテーマでかなりの大作を書いている。ペンデレツキの『広島の犠牲者に捧げる哀歌』もそうだ。(ちなみにペンデレツキのその作品は当初広島とはまったく関係ない動機で作曲して、日本初演の際に松下眞一のアドヴァイスによって広島をタイトルに含めることが決まったことが知られている。)

 佐村河内の交響曲第一番『HIROSHIMA』は、現代音楽におけるこうした「広島もの」の系譜に結びつく暗い音響、すなわち金管のトーンクラスターと音程変更しながらトレモロするティンパニ、鳴り止まないシンバルといった要素をしっかり押さえている。そこにマーラーやシベリウスを薄めたような叙情的旋律、というかジョン・ウィリアムズによって確立された現代ハリウッド映画音楽のデータベースをなぞったようなそれを添加することで、全体としてはショスタコーヴィチの交響曲第五番「革命」、第七番「レニングラード」、第八番あたりの作風のほとんど引き写し――晦渋には違いないがシリアスであるということは大衆的に理解可能なものとしてのそれ――に落ち着いている。

 総合的には佐村河内の作品は、標題によって暗示されたテーマと、参照される過去の音楽の結びつき方の分かりやすさにおいて、ある種の職人的な「正しさ」を示しており、またその「正しさ」によって積極的に規定されているということになるだろう。

 そういうわけで、僕は彼の音楽を別段評価していなかったし、交響曲第一番『HIROSHIMA』のCD録音の発売以降も言及したことはなかった。
 
 ではなぜ僕は彼のスキャンダルが暴露されたいまになって、それについて言及することを選んだのか。

 一つは、佐村河内の悲劇的な境遇を強調することで作り上げられた「現代のベートーヴェン」という神話が、これほどまで多くの人に支持され、あまつさえプロの音楽家たちからの賞賛すら誘ったという事実に、音楽批評に関わる者として強い興味を覚えたからだ。

 ところで、いま僕が行ったような佐村河内の音楽への批判は、スキャンダルが明らかになる前から公言していたほうが効果が高い。つまり「俺は前から、あいつの作品は明らかに無個性でダメなのに、みんなアイツの境遇ばかり見て音楽を聴いてないよねと言ってたら、これだよ」と言える強みがある。しかしこうした批判そのものもまた、誰もがひとしなみに口にする決まり文句なのであって、その無個性ぶりでは批判対象と瓜二つという側面を持っている。いわば「過去のクラシックや映画音楽の表層をパッチワークしただけのなんらオリジナリティのない作品」という批判そのものが、まさにオリジナリティの神話が崩壊したポストモダンの芸術の状況のアイロニカルな反映にならざるを得ないのだ。

 主にクラシック・現代音楽オタクによって構成されるそうした無自覚なアイロニーの共同体に、僕は加わりたくなかった。だから佐村河内守が話題になった早い段階で彼の曲を聴いていながら、それについて言及することを徹底して避けていたのだった。

 そもそも。佐村河内の作品が他人の手になるものだったことが明らかになったことでその音楽に対する評価が一気に反転するのは、それ自体おかしなことである。なぜ多くの人はそのことに気付かないのか。この音楽は新垣隆という作曲家が、その技術をふんだんに、あるいはほどほどに投入して書き上げた立派な交響曲なのであり、それは最初から最後まで紛れもなく新垣隆によるオリジナルな音楽としてこの世界に存在していたのだから、いままでどおり聴けばいいではないか。同様の理由で「佐村河内の音楽がまがいものであると誰もが見抜けなかったこそ椿事である」という主張も完全に的を外している。

 そもそもの初めから、この音楽は「まがいもの」などではなく、新垣隆の脳と手を通じて、一回性、正統性、真正性(ベンヤミンが複製技術によって失われるとしたアウラの条件)を帯びてこの世界に生み出されたのだ。音楽を聴いただけで、作曲者が聴覚障害者かどうか、広島出身かどうかが判別できるものだと思っている連中のほうがどうかしている。初めからわかっていたことは、この音楽は単に「正しい」だけだという、ただその一点のみである。

 しかし。
 しかし僕にとってむしろ衝撃だったのは、ジョン・ケージやマウリツィオ・カーゲル、もしくはフランコ・ドナトーニあたりを意識した、沈黙と引用とパフォーマンスからなるポストモダンの諧謔性の領域を探究していた一人の作曲家、すなわち新垣隆が、もう18年もの間、他人の名義で、1960年代ぐらいまでの日本の現代音楽の主流な作風をそのままなぞったような作品を書き続けていたこと、この事実が現在の音楽をめぐる状況に対して持つ、複雑な意味だった。この衝撃と動揺こそ、僕が佐村河内について言及することを自分に許した二つ目の理由である。

 簡単にいうと、僕は新垣隆という人物が単に報酬目当てでこうした音楽の作曲を請け負っていたとは思えないのだ。

 彼はもしかしたら、現代音楽のシーンの硬直性に飽き飽きし、ゲーム音楽や映画音楽の世界で羽を伸ばしたくて、佐村河内からの仕事を引き受けるようになったのかもしれない。世代的なことを考えると、吉松隆や三輪眞弘がそうだったように、プログレッシヴ・ロックに影響されて、それでクラシック・現代音楽の道に進んだということもあるかもしれない。吉松や、あるいは商業音楽の世界に進んだ同じ音大の元同級生達が、現代音楽の楽壇関係者たちからそれとはなしに、あるいははっきりと遠ざけられているのを横目に見ておびえながら、同時に自分とはまったく異なる出自を持つがゆえにメディア受けのいい佐村河内を通すことで自分の音楽が多くの人の耳に触れることに喜びを覚えながら、18年間にわたるゴーストライターならぬゴーストコンポーザー稼業を続けていたのかもしれない。

 実際、『鬼武者』のサウンドトラックを編曲した交響組曲『ライジング・サン』は新垣の手で指揮され、またライナーノーツの楽曲解説も新垣の手によって書かれたのだ。それがどんなスタイルに基づくものであれ、一つの管弦楽曲を書いて仕上げることには大変な労力が伴う。自分が精力を傾けて書いた作品に愛着を覚えない作曲家はいない。その愛着が裏返しになったものとして作品破棄ということも起るわけだが。

 もちろん最初の頃の請負では、彼も若い音大出身者にありがちな経済的困窮という問題を解決するためにこの仕事を受けたのかもしれない。現在の音楽界全体の不況と比較すれば、90年代中盤の音楽業界は比較にならないほど潤っていただろうが、クラシック音楽、特に現代音楽の世界は昔から「食えない」と相場が決まっている。金がなければ作曲し、演奏者にギャラを出して、コンサートを開くこともできない。作曲家として真剣に身を立てることを考えていたのであればこそ、その技術によって得られる報酬に対して目が眩んだとしても仕方がなかったといえるのではないか。

 だが彼がこうしたゴーストコンポーザーの仕事を引き受けた理由が内発的なものか外発的なものかに拘わらず、おそらく本質は、日本の現代音楽、音大、楽壇のシステムの性質と、音楽というものがメディアを通して現代の日本で流通する際に生じるさまざまな問題にこそあったのだ。その意味では、かねてから現代音楽の閉鎖性に批判的であり、『機動戦士ガンダム』の劇伴とオペラ『忠臣蔵』で有名だった三枝成彰が、佐村河内の交響曲第一番『HIROSHIMA』を芥川作曲賞に推していたというのは象徴的である。ショスタコーヴィチの交響曲を日本で幾度となく振った大友直人が、その音楽をベルリンフィルでやれば聴衆にウケるだろうと述べていたこともそうだ。

 現代音楽における不協和音やノイズの氾濫とは異なる、重厚で劇的な構成と、旋律に溢れた交響曲を聴きたい、演奏したいという欲望は、音楽関係者のなかではそれほど珍しいものではなかった。そしてその欲望はある程度まで、正当化しうるものだった。しかしその欲望を成就するための方便として、ヒロシマ、身体障碍者、あるいは東日本大震災の被災者への献呈といったポリティカルコレクトネスの要素を意識的にかどうかは知らないが利用してきたことについては、大きな責任を問われざるを得ないだろう。

 ちなみに今回の問題は、楽壇やマスコミにおける右翼/左翼対立ということからは切り離して考えられると思う。自己暴露の直接のきっかけとなったのはおそらく、ソチオリンピックに出場する日本の男子フィギュアスケート選手である高橋大輔のショートプログラムに、佐村河内の『ヴァイオリンのためのソナチネ』の使用が決定されたという事実だろう。それが広島出身の障碍者の手になるものであるという情報が、演技と審査に影響し、もし仮に高橋選手を優勝にまで導いてしまった場合、国際関係まで巻き込んで騒ぎが大きくなる可能性もあり得たのだから。佐村河内の神話の背景にある政治的利害は、左翼系市民団体だけでなく、浮動的ナショナリズム支持層にも届いているのだ。そこから飛躍すると、10万枚売れたという佐村河内の交響曲第一番『HIROSHIMA』を聴いて彼のファンになったと宣言する人々のうちには、自民党とアベノミクスの支持者も、細川小泉連合の脱原発推進の支持者も大きな割合で含まれていたのではないかという想像が浮かんでくる。彼らの多くにとって、音楽が現実にどのように作曲され、演奏され、聴かれるかということが関心を惹かないのと同様に、たとえば現実の原発がどのように稼動し、放射能がどのように人体に作用するかは主要な関心事ではないのではないか。おそらく彼らの多くは単に昭和的なものに戻りたいだけなのだ。

 佐村河内と新垣がこれからどのように活動していくのかについては、僕の個人的予想だが、共作名義ということになっていくのではないかと思う。いまさら新垣隆作曲という風に全ての楽曲情報を訂正してみたところで仕方がないし、そもそも彼のファン層というのはいわゆる「スピリチュアル系」の人々であることは明らかなのだから、佐村河内守はじつは頭の中に音楽のイメージをかなり明確に持っていて、友人である新垣隆だけがそのイメージを正確に譜面に起こせるのだという「物語」に移行したほうが、いろいろ都合がいいのではないか。今は消された公式サイトの佐村河内守のプロフィールには、五歳のときに『マリンバのためのソナチネ<無の弾劾>Op.1』を作曲したと書かれていたらしいが、そのことからも彼の神話を真面目に受け取るのは、五歳の子供が作曲を行うのは充分あり得るにしても、「無の弾劾」という題名をつけるのはあり得ないのではないかと思わない(あるいはそう思ったとしても佐村河内の「天才」については疑わない)人々なのだとわかる。

 新垣は佐村河内に対して批判の姿勢をうかがわせているようだが、僕が思うにそれは逆効果だ。18年も組んでやってきた以上、自分だけ被害者を装うのは通らないし、何より、結局人々の耳に触れ、三枝成彰の賞賛を勝ち取ったのは新垣自身の音楽なのだから。ポスト・ケージ主義的な現代音楽の世界、つまりケージを通過していないような新古典主義風の作品など言語道断とみなすクライテリアが支配する世界に気を使って、彼は交響曲第一番『HIROSHIMA』や交響組曲『ライジング・サン』を自分の音楽ではないと主張するのだろうか。社会主義リアリズムを強制されて、スターリンを賛美する映画『ベルリン陥落』の音楽を書いたショスタコーヴィチですら、そういうことは言わなかった。新垣もまた佐村河内として書いた音楽を自分の音楽であると認めた上で、新しい段階に進んで行って欲しい。

 最後に言い添えておくが、交響曲第一番『HIROSHIMA』は最近の日本のクラシック音楽には珍しく、ライヴではなくスタジオでレコーディングした作品だけあって、音質や演奏の質はそこそこ高いし、ロシア音楽から強い影響を受けていた戦前、戦中の日本の現代音楽を好む人々からすれば、聴きどころもあるのだろうと思われる。つまりこの音楽は、凡庸で、「正しさ」しか感じさせないものではあるが、しかしある種の好事家にはそれなりに魅力的に響く作品には違いないのだ。あるいはまた、佐村河内守の名義で書かれた音楽は、新垣隆という作曲家が「天才作曲家の苦悩を演出する」というプログラムのもとさまざまなイメージやシチュエーションの要求に創意工夫をもって応えつつ仕上げた作品なのだと捉えれば、別の面白さをもって聴けるようにもなるだろう。そしてそういったオリジナルとコピーの区別が蒸発してしまったポストモダンの世界におけるアイロニカルな作曲・聴取を実践する作品という意味では、、佐村河内守の音楽は新垣隆の名義で探究されていた領域ともまったく無縁ではなかったのだとすらいえる。

 ターンテーブルとピアノ、打楽器を使用するジョン・ケージの『Credo in Us』では、使用するレコードの楽曲として、おそらくはメディアを通じて広く流通するクラシックの有名楽曲というものに備わっている典型的に全体主義的な響きというものへのアイロニカルな着目から、ショスタコーヴィチやドヴォルザークの交響曲が理想的な素材として指定されている。ショスタコーヴィチは1936年のプラウダ批判の以前には、同時代のメイエルホリドなどからの影響もあるだろうが、音楽における笑いの重要性を見過ごされてきているものとして指摘し、諧謔的かつ前衛的な作風を採用しながら、またステージ音楽や黎明期の映画音楽への関わりも持っていた。この二人の作曲家が生前に出会っていたとして、お互いの音楽を理解した可能性は極めて低いだろうが、ある種の軽やかさの中にこそ音楽の自由な可能性を見出していたということについては共通していた。新垣隆が自らの名の下に目指していた音楽も、本来はそういう軽やかさのうちにあるものだったはずだ。音楽はただそこで鳴り響き消えていくもなのであり、「天才」や「悲劇」といった意味などは初めから担ってはいない。その軽やかで透明な無意味の中にこそ、旋律、ハーモニー、音色、リズムの解放された喜びが存在する。それをただ聴くことの困難。

 おそらくこれから、マスコミ主導かツイッター主導かはわからないが、佐村河内守ないし新垣隆とその音楽を批判するキャンペーンが張られることになるだろう。ここまで読んできた人には分かるとおり、そんなキャンペーンに乗る人に限って、音楽を何もわかっていないものなのだ。


追記:朝 のニュースで佐村河内が新垣に送った指示書が公開された。A4用紙一枚に楽曲の音量、楽想の変化の仕方がまとめられた、一種の図形楽譜だった。シュトック ハウゼンやリゲティが電子音楽の作曲のためにエンジニアに渡したものとよく似ているよう感じた。ポピュラー音楽の世界であれば、彼らはプロデューサーとコンポーザー という関係で通ったかもしれない。」

このブログで一番人気の記事は…山口組組長のインタビュー記事

2013-10-21 16:55:17 | 文化
 このブログで一番人気の記事は、山口組組長-司忍-への産経新聞のインタビュー記事だ。

 →http://blog.goo.ne.jp/baileng/e/8f4140aab492628f14087b6740c46a92?fm=entry_awp

 この記事は産経新聞が行った長時間のインタビューで、いろいろと興味深い内容で、類似のものも見当たらないので転載した。

 私が興味深いと感じたのは、もう一つ別の発言と重ね合わせたからだ。それは公安調査庁にいた菅沼光弘が、外国人記者の前で行った講演である。

 →http://www.youtube.com/watch?v=kr1rvu5vR40

 この講演で菅沼は暴力団が、在日の人々と、もう一つ出身者が有力な構成メンバーになっていると話している。

 司も日本社会の差別が生み出す社会的に排除される人々の受け皿として、暴力団組織が必要だと主張している。

 日本最大の暴力団のトップと、日本の公安組織の元高官が、ともに暴力団が差別される人々を多く構成員として抱え、彼らの受け皿になっていると主張している。そしてこの組織が日本社会に必要だとしている。

 本当だろうか。

 まず構成員の中に日本社会で排除され、差別されている人が多く含まれていることは事実だと思われる。そして司は暴力団が彼らを構成員として抱えなければ彼らはアメリカのギャングのように地下にもぐった犯罪者集団になる、と言っている。

 でもそもそも暴力団自体が犯罪組織なのではないか。

 歓楽街を取り仕切って資金源にし、各種の薬の販売から売春、脅し・ゆすり、あらゆるところに暴力団が顔を出すというのが、一般の理解であるように思われる。

 しかし司は暴力団の資金源は「正業」だと答えている。またその暴力団組織は、暴対法による規制は受けつつも、事実上日本社会に組織として公認されている。そもそも公安組織の高官が、大きな暴力団幹部と「友達だ」と公然と話して何のおとがめもないのだ。


 江戸時代の関八州取り締まりを弾左衛門が行ったことはよく知られている。近年の研究では、被差別民たちの集団は士農工商的社会の下におかれた、のではなく、それとは別個の論理と倫理を持ったもう一つの「社会」を構成していたのではないか、という見解が出されるに至っている。

 そして弾座衛門が取り締まりを行うことで、関八州の秩序が維持されるという、社会的機能が期待されていたということである。

 今の暴力団には、これと同じ役割が求められているのではないか。それを求めているのは日本の治安・公安組織であり、彼らを必要としてきた日本社会の支配層-漠然とした言い方になってしまうが-ではなかろうか。

 そして構成員の関係にも、江戸以来の伝統と、明治以降の日本の植民地支配の影が色濃く残っている、ということなのではないだろうか。

 公安は暴力団を通じて政治ような市民社会に威圧を加え、あるいは体制にとって害をなすと考える政治家の排除・暗殺にもこの組織を利用できると考え、また実際活用してきたのではないか。そして暴力団は実質的な体制庇護のもと、表に出にくい経済的案件を通じて太り続けてきたのではないだろうか。

「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」/大友良英

2013-07-24 10:44:32 | 文化
 あまちゃん、の音楽担当の大友良英さんが3.11後、東京芸大で行った講演です。

 今まで知りませんでしたが大変勉強になったのでここに転載します。

「Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese

文化の役目について:震災と福島の人災を受けて

大友良英
2011年4月28日 東京芸術大学での特別講演から

大友です。よろしくお願いします。本日の講義のタイトルは、「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」です。僕はこの10年ぐらい、芸大で年1回くらい講義をやっていて、音とか、ノイズとか、アンサンブルってなんだろうとか、そういう話をしてきたんです。なので、最初にこのオファーをもらった段階では、今日のようなことは想定外だったんですけれども、3月11日の震災があり、僕は福島で育ったこともあって、今、福島と東京を行き来して、福島に関する新しいプロジェクトを立ち上げようとしていて、今日は、その話をしようと思っています。といっても、政治の話でもなく、原発をどうやれば収束させられるかという科学の話でもなく、あくまでも文化の面から、自分が関われる面から話していければと思っています。

僕は、1959年横浜生まれです。戦争が終わって14年後かな。まだ米兵が街をうろうろしていたような時代に生まれ育ってます。物心ついたころは高度成長期で、1968年、小学校3年の秋に、父親の仕事の関係で福島に引っ越しました。これが僕の福島との縁の始まりで、親戚もいないし、それまでは縁もゆかりもなかったんです。それから大学に入る1978年までの10年弱、福島にいました。18歳のときに東京に出てきてからは正月に実家に帰る以外はほとんど福島と縁がなくなって、3月11日以前は福島の友達ともほとんど縁がない感じで過ごしてきました。なので、正直に言うと、福島には望郷の念もなければ、何もなかったんです。

それが、3月11日の震災のあと、こんな薄情な人間でも心配になるんですね。最初は親のことが心配で。でも、親の安否が分かったら安心したかというと、全然そんなことはなかった。おそらく皆さんもそうだったろうし、周りのミュージシャンを見ていてもそうだったんだけど、何とか東北のために動きたい、とみんな思ったんですよね。周りのミュージシャンなんか、普段、「人のために」なんてひと言も言ったことがないヤツらばっかりなんですよ。音楽だけはいいけど、みたいなしようもないヤツらが、みんな、「人のために」とか言い出したんですよね。オレもその1人なんですけど。

それだけじゃなくて、原発がボンッ! といきましたよね。福島に10年も住んでいれば、あそこに原発があるのはもちろん知っていて、地震が来たら危ないというのはみんな知っているわけです。でも、誰でもそうだけど、毎日地震におびえて生きているわけではなくて、僕も含めた大多数の人は、知っているけど考えずにきたんですよね。その原発が、ああいうことになった。特に、東京の水道水から放射能が出たとき、オレ、今考えると、東京はうっすらとパニックだったと思うんです。わーっと人が逃げたわけではないけど、僕自身もパニックになっていたと思うんです。でも、それとは比較にならない量の放射能が、そのとき、福島では降ってたわけですよね。

そんなことを考えると本当に心配で、両親が心配ということもありますけど、両親は、80歳前後の方たちな上に、すでにがんですから。放射線を浴びたら元気になるかもしれないくらいのブラックギャグをオレは考えてたんですけど(笑)。こんなことも言えない雰囲気だよね(笑)。今日、原稿起こしをしてもらってちゃんとUPしようと思ったんだけど、ダメだ、もう。話そらしたい。ちょっと一瞬。

東京から200キロのところで静かに殺りくが起こっている

あのさ、こんなおもしろい世の中ないじゃないですか。おもしろいっていうか、もうモンティ・パイソンの中にいるような感覚を覚えるんですけど。おかしいよ。おかしいよっていうかさ、だって、殺りくに近いことが起こっているんだよ。ただし、ゆっくり殺すっていう、ものすごいDEATHな感じだよね。何十年かかけて殺す。死なないかもしれない。法に触れないやり方でジワジワと住めなくしたり。オレはこれは、非人道的な事態だと思うんです。

なのに、いまだにテレビを見ると、火力発電だってCO2を出すでしょうとか、そういう話になるんですよ。火力発電がCO2出すのはその通りで、原発にも欠点もあるし、いいところもあるんだと思う。だけどこれは、非人道的な事態だということを、オレは、はっきり言った方がいいと思うんです。人殺しに近い、と僕は思っているんですよね。実際に、ナイフでグッて刺すと分かりやすいけど、そういう分かりやすい事態ではないことはとても厄介で。ナイフで刺すという例えはこの先もしていきますけど、すごく分かりやすいじゃない。ナイフでグッて刺したら、それは良くないよなって思いますよね。刺された人は、それは良くないよなって思う暇もなく、痛てっ!となると思うんですけど、これが、ものすごく長いスパンをかけて起こっている、と僕は思っているんです。

それだけじゃなくて、いきなり住む場所を奪われるということも起きている。水力発電も同じじゃないかという意見もありますが、水力発電で村が消滅することとは、僕は、比べちゃいけないと思います。水力発電の場合も非人道的かもしれないけど、合意の下に形成されている。だけど、今回の事態は、少なくとも合意ではないし、明らかに非人道的な事態が今、起こっているんだと思います。僕はそのことをまず、みんなに押さえておいてもらいたいと思っています。原発推進でも反対でもいいです。それは、それぞれが考えることだけど、少なくとも今、福島では、非人道的なことが起こっていて、僕は、非人道的なことは良くない、と思ってます。それが、イコール原発が良くないかどうかということは、僕が今ここで言うことじゃない。それぞれが判断すればいいと思ってますが、まずそこは押さえておいてください。その上で話を進めたいと思います。

福島の話をしましょう。3月はそんなわけで、僕もみんなと一緒で、毎日ネットとテレビに明け暮れました。にわか科学者になって、シーベルトって何だよとか、ベクレル? マイクロ? とか、100掛けると何? とか言いながら。本当に勉強してないっていうのはこういうときに出ますよね。それで3月は、正義感とベクレルの狭間に立って知恵熱を出して、もうダメだってなった。もうひとつ、福島に行けなかったという事情もあった。行っても邪魔になるって言われたんですよね。こんな何のスキルもないヤツがただ行っても邪魔になるし、ガソリンが福島では手に入らないので、車で行っても帰って来られなくなっちゃう可能性もあって、3月は行けなかったんです。だけど、もうやっぱり素朴に、心配でしようがなかった。そんなに望郷の念なんてなかった人間ですら、こうなっちゃうんですね。

そうしたら3月末ごろ、遠藤ミチロウさんから電話が来たんです。ミチロウさんも福島県出身で、僕の高校の先輩に当たるんですけど、9歳上なので学校では一緒ではないんですが、スターリンというバンドをやっていた日本のパンクの先駆けの1人ですよね。過激なステージで知られている人ですけど、そのミチロウさんから僕に電話があって、ちょっと相談したいことがあると言う。オレもミチロウさんに電話しようと思ってたんで、ミチロウさんに会って、福島ヤバいっていう話になった。ほかの被災地域ももちろん大変だし、本当にカオスだけど、福島の一番マズいところは、震災、津波、地震の被害だけじゃなく、やっぱり原発なんですよ。原発が収束しない。放射能が都市部でもかなりの値を示している。そんな中で、福島で復興って言っていいの? と。こんな状態で復興なんかできるのかよっていうのが、ぶっちゃけ正直なところで、それよりも、今この状態を何とかしなくちゃって。小学校の放射性物質を何とかしなくちゃとか、オレたちのところ、住めなくなっているんだよという中で、ほかは復興に切り替えられようとしているけれど、福島は今まだ、そんな状態ではないんですよ。

そんなふうにミチロウさんと話したあと、とりあえずオレ、福島に行くんで様子を見てくるって言ったんです。福島で何が必要なのか、考えてから動きましょうと。ミチロウさんもまったく同意見で、ミチロウさんの弟さんは二本松の病院に勤めているんですが、震災以降、1日も家に帰っていないという状態で、とにかくいろいろなことが大変なんです。そのとき、僕はもう、何をしたいとかじゃなくて、とにかく福島に行きたかった。まず親に会いたいし、弟が先に福島に乗り込んでたんですけど、弟は山登りとかラリーに出るので、サバイバルスキルがあって、援助活動をしているようなんですが、僕はそういうのがないので、ちょっと落ち着いて、福島でもガソリンが買えることがはっきりして、物資がそろってライフラインが整ったころに行きました。震災から4週間後でした。福島市に住んでいるミュージシャンや、音楽の企画をやっている人、福島市内のいろいろな人に会ってきました。

どんな報道よりもリアルに福島を伝えてくれた『詩の礫』

行く前に、福島発信の情報をネットで知りたいと思ったときに、一番便利だったのがブログとツイッターでした。福島で子どもを育てている普通のお母さんのツイッターとか、そういう人たちもフォローしてたんですが、その中で、僕がすごく注目して読んでいた和合亮一さんという詩人の方がいて、その方は最初は、避難所のこととかをつぶやいていたんですけど、途中から急激に、彼のツイッターが詩になっていったんですよね。『詩の礫(つぶて)』というタイトルで、どんどん詩を発表していて、それを読んでいたんです。和合さんのツイートは、詩を読むというより福島をのぞく窓になっていて、僕にとってはそれはどんな報道よりもリアルなものとして響いてきたんです。

それまで僕は、詩にはそんなに興味がなかった。正直に言うと、あんまりおもしろいと思っていなかったです。なんですが、初めて和合さんの詩を読んで、詩がおもしろいと思ったのではなくて、必要なものとして僕は読んだんです。今日は「文化の役目について」というタイトルだと思うんだけど、役目どうこうではなく、人間はやっぱり、言葉を発しないと生きていられなくて、その言葉の発し方にはいろいろあると思うんです。ひとつは報道するとか、友達と話すとか。だけどその中に、ある普遍性をもって発せられる言葉というのがあって、和合さんのツイートを見ていて僕はそのことにだんだん気付いていった。

なので、和合さんに会いたいと思って連絡をしたら、すごくうれしいことに、和合さんは僕のことをすでに知っていてくれたんです。たまたま、高校の後輩で、彼は7歳年下なんですけど、同じ高校からこういう音楽の人が出ているという感じで、何となく認識していてくれたみたいで、和合さんとも会うことができて、いろいろ話をしました。

みんな心からだらだらと血を流している感じがした

それで実際に福島に行って、人と会うと、みんな、ずいぶん話すんです。すごく明るく見える。だけど、話せば話すほど、これはもう僕だけの感じ方かもしれないですけど、それはもう、福島で会った人、ほぼ全員に言えるんですけど、会った人に対してすごく失礼な例えになったら申し訳ないんだけど、もうみんな心に傷を受けてるというか、心から血がだらだら流れているような感じがして。僕は今までにこんな人たち、見たことがないと思った。それは、家が壊れたり、追い出されて住めなくなった人たちじゃなくてもですよ。後々、そういう人にも会っていくんですけど、そうじゃなくて、ちゃんとライフラインも整って、普通に生活している人ですらそんな感じで、よくよく話を聞くと、例えば、ご家族が疎開しているとか。お店に客が来ないとか。ちょうどそのころ東京のテレビで、「福島は今、人が全然いません。シャッターも閉まってます」という報道があったんだけど、オレは良く知ってるんだけど、それは昔からだよ、と思うんだよね。そんなもの、日本中の地方に行ってごらんよ。人はいないし、シャッターも閉まってるよ。放射能のせいじゃないよ、と思うんだけど、報道でそうやってしまうと、まるで、それまで活気があったところがゴーストタウンになったように見せられてしまう。テレビマジックですよね。

オレはもう東京に30年住んでいて、生まれは横浜だし、福島には10年間しか住んでいないんで実質よそ者ですけど、福島に行って、福島の人たちと話して一番感じたのは、多くの人がものすごい被害者感情にさいなまれている。みんなが最初に共通して話すのは、風評被害のことなんです。実際に、風評被害はありましたよね。農作物が売れないとか、ホテルで宿泊を拒否されるとか。ほかにもたくさんあったと思うけど、福島で広がっている風評被害はそのレベルを超えていて、オレが聞いたことないのもあったんですよ。東京駅で福島の人だけにバッヂをつけようという話が進行してるとか。こんなの、東京ではほとんど誰も言ってないけど、福島ではみんなに、東京じゃそういうこと言ってるでしょって言われるんですよ。あと、福島の女の子とは結婚しないとか。それも1人だけじゃないんですよ、何人にも言われたんです。郡山市でも福島市でも。そういう話が向こうでブワッと広がって、こっちで言われている以上の状態になっている。これはすごく象徴的だと思うんです。オレが思うにそれは多分、どうしていいか分からない、自分たちは孤立しているという感覚、見捨てられているという感覚だと思うんですよね。現実に今それが、起こりつつあると思うんです。

見えない放射能の中で健全な精神が保てるか

オレが一番心配しているのは、実はそこなんです。福島の原発の問題、9カ月で何とかすると言っているけど、9カ月で収束して欲しいと思っているだけだと思うんだ。そのくらい事態は厄介だとみんな何となく思っている。首相が「10年、20年住めない」と言ったと怒っている人がいるけど、もしかしたら本当にそういう可能性もあって、特に原発の近所は本当にヤバイかもしれない。そういう中で、現実を正面から見るのは本当にコワイと思うんですよ。どうしていいか分からない。家族は疎開している。放射能値も高い。政府が発表している値も高ければ、YouTubeに載ってる学校の校庭にガイガーカウンター当てた値も、ビューンって上がったりしてる。そんな中で、健全な精神が保てるわけがないと思ってる。みんな「日常」とか言うけど、日常じゃねえとこで日常とか言ってんじゃねえよ! と言いたくなるし、ほかの地域はもう「復興」という方にだんだん今、切り替わり始めていますよね。それもすごく大切で、団結してそうしていかないとダメなところも本当にあると思うんだけど、福島はなかなかそうなれないということは、行ってひしひしと感じました。

放射能のとても厄介なところは、見えないんですよね。空を見ると、青空はすごいし、すてきだし、夜は、本当に東京なんかよりよっぽど月もきれいで、空気を吸い込むと空気もおいしいんですよ。放射能に味がついてたらいいよね。でも実際には味もないし、しかも、何年か後に何パーセントの確率で影響が出るという。放射能に関してはすごくいろいろ説が出ていて、何が正しいか見極めるのが本当に大変ですよね。ネットを見ると、放射能は全然平気です、体にいいです、と言ってる人も出てきていて、すっげぇ、体にいいんだ!? とびっくりしたけど、わらにもすがる気持ちの人はそれを見ちゃうと思うし、水道水から90何パーセント放射能を除去します、2万5千円と言われたら、やっぱりわらにもすがる気持ちのおばあちゃんとか、買っちゃうと思うんだよね。そんな状況。これは本当にコメディの世界なんじゃないかという、現実からひゅーっと自分が浮いていくようなことが福島では起こっている。…これじゃちっとも状況、分からないね。でも本当にこれはとっても分かりにくいんですよ。

海沿いに行くとすごく分かりやすい。ぐしゃぐしゃだから。だけど、福島市や郡山市は本当に分かりにくい。もちろんビルが傾いているところもあるし、屋根が落ちたりしているけど、そんなことじゃないんですよ。原発擁護派の人が、チェルノブイリで人が死んだのは、放射能よりも精神的にやられたからだというすり替え理論がありますよね。だけどオレ、それは事実だと思ってる。今は、放射能で直接被害が出ているというよりは、心の傷、心的障害だと。東京の人だってすごいと思うんだよ。テレビの映像をあれだけ見て、水道水から放射能が出ているって言われただけであんなになっちゃうのに、福島の状況たるや、ですよ。しかも、ちょうど僕が福島にいたときにレベル7の発表があった。福島のすぐ東隣にある川俣町とか飯舘村は計画的避難区域に指定されて、本当に福島は大丈夫なのか、ということが迫ってきている感じがするんですよね。誰にも、絶対大丈夫とも言えないし、本当にやべぇから逃げろよと言っていいのかどうかの判断もつかない。

みんな自信を失って心に傷を負っている

福島で和合さんに会ったり、いろんな人たちと会って、オレ、伝えたんです。遠藤ミチロウさんが福島でフェスをやりたいって言ってるって。みんな、最初、え? フェス? って言うんですよ。しかも、ミチロウさんのことだから、「原発なんかクソ食らえ」って歌うと思いますよって。『天罰なんかクソ喰らえっ!!! 』って歌ありますからね。「原発なんかクソ食らえ」っていう歌でミチロウさんがフェスをやりたいって言ってるけど、どう思う? って聞いたら、原発のことは言わないでと言う。これ、びっくりするでしょ。福島の人たち、原発に怒り狂ってると思うでしょう? 怒ってますよ、もちろん。怒ってるけど、言えない感じもあるんですよ。それは福島に育った人なら分かると思うけど、福島のいろいろな土壌もある。原発を推進してきたという負い目ももちろんあるけど、そんなことじゃない。

その本質的なことは何かというと、さっきのナイフの例えになるんですけど、ナイフで刺されて倒れている人がいるとするでしょ。まだ息はあって死んではいないし、病院に運べば大丈夫という人がいる。その人の前に、突然、東京から元気な正義感に燃えた人が来て、「ナイフ、ヤバイっすよね。ナイフ反対運動をしましょう!」と言うのにニュアンスとしては近いと思うんだよ。それはマズイ。マズイというか、まだその時期ではない。それよりも、そのけがをしている人たちをどうしたらいいか、という問題がひとつ。

だけど、ナイフで差されたけがならお医者さんのところに連れて行って縫えばいいよね。だけど今回のけがは、僕は、福島だけの話ではなくて、東京の人も含まれると思うけど、やっぱり「心」だと思うんですよね。「心」とか、オレ、今まであんまり、恥ずかしくて使わなかった言葉なんだけど、心の傷を治していくのは精神科のお医者さんだって言われるかもしれないけど、そういう傷とも違うんですよね。個人の問題ではなく全体が傷を負っている。その大きな原因は、これはもう素朴に、自信を失っていることだと思うんですよ。

僕らだって失いましたよね。自分が何していいか分からない。自分がひとつも役に立たないと思った人、いっぱいいると思うんだ。だけど、落ち着いて考えたら普段から役に立ってないんだけど、役に立ってないことを突きつけられたことがなかったんだよね。普段だったら、銀行に行ってオレが口座を作れなかったとしても、オレは役立たずだって落ち込まないんだけど、こういう状況の中だと、落ち込むっていうか、要するに、どうせ普段から役に立ってない人が、急に役に立つわけがないんだけど、みんな役に立たないって思った。役に立ちたいというのはとても尊い気持ちだと思うし、被災地以外の人ですら、そういう傷つき方をしてると思うんですよ。

「福島」をポジティブな名前に変換する

実際に被災地では、精神的にも財産的にも肉体的にも傷ついたというレベルの人から、本当に傷ついて心臓が止まってしまった人もいて、いろいろなレベルがある。そういうことでいうと、福島市の場合は本当に見えにくいし、それを認めたがらない人もいると思います。これを見て、そんなことはないと怒っている人もいるかもしれない。だから、あくまでもこれは僕の感じ方だけど、福島市とか郡山市の人たちの傷つき方というのはちょっと特異で、しかも、とても非人道的な事態で傷ついていると思ってる。それは何に起因しているかというと、さっきも言ったように、自信喪失だと思うんです。もうひとつは「福島」という地名に関することです。人は、自分の住んでる場所に対するある誇りみたいなものを持ってこそ生きられる、ということはあると思うんですよ。福島の野菜はうまいんだ、とかさ。東京より田舎だけど空気は美味しいとか、居心地がいいとか、何でもいいんだけど、オレはここが好きだとか、嫌いだ、でもいいんだけど、そういう思いの上に成り立つと思うんですよ。ところが、その住んでる土地全体に対する「福島」という名前が、チェルノブイリと同じような、原発事故を起こしてしまった不名誉な土地として、しかもそれまで、日本の外ではほとんど発音されることすらなかった名前がですね、いまや、めっちゃブランドのイメージ高いっちゅうか。世界中でこの名前、知らない人いないですよね。

海外のさ、ドイツのデモ見ると、「No More Fukushima」とか書いてあるわけね。そんなよその国のプラカードに「Fukushima」と書いてあること自体が、福島出身のオレとしては奇跡のような、不思議な感じなんだよ。自分たちの街にこれを置き換えてみれば分かりますよ。普通、よっぽどのことがない限り、そんなに有名にならないからね。だけど福島は、とても不名誉な形で有名になっちゃって、こんなもの、有名になったってうれしいわけがないよね。このことも、自信喪失の最も大きな根源のひとつになると思う。

それで、和合さんと話しているときに思ったんですよ。福島っていう名前が、不名誉な名前のままだったら、多分、福島の人たちはやっていけなくて、自信喪失したままだと。あともうひとつ、とても心配してるのは、すでに起こっていると思うけど、福島が切り捨てられていく。さっきも言ったけど、ほかが復興で明るい方向に向かってますよね。そのときに、復興に向かっていない福島のことは、やっぱり伏せておきたいという感情が働くと思うんですよ。そうすると、これまで日本でいろいろ起こってきた公害病と一緒になってしまって、そこの地域だけで起こっている特殊な事情だということにして、ふたを閉めていく。手厚く補償はするけれど、とりあえずこれはその地域の問題だということで収められていく。

だけど僕は本当に言いたい。これは福島だけの問題なのか。日本だけの問題ですらないと思ってる。チェルノブイリのときと一緒だと思う。オレ、これ、原発反対運動に持っていきたくて言ってるんじゃないですよ。そういうことじゃなくて、これは福島だけの問題じゃないとオレは思ってるんです。だけどそれを、福島だけの問題じゃないと言うためにはどうしたらいいか、ということですよね。ここでオレが、いくら福島だけの問題じゃないと言ったって、説得力はないですから。オレは、そういう意味では、チェルノブイリの方たちには本当に失礼だけど、チェルノブイリの名前は今までずっとネガティブなままで、例えば、原発をなくすための運動の象徴の名前として、オレたちもチェルノブイリを見習え、にはなってないと思うんですよ。なぜかといえば、チェルノブイリからは文化が出てないからだとオレは思ってるのね。あるのかもしれないけど伝わってないと思ってて、もしあったらゴメンなさい。オレ、こういうこと、今まですごく無知だったから。だけど、原発とはまた違う問題ですけど、広島は「No More Hiroshima」と言われるけど、それが不名誉な響きではない感じがしてるんですよね。平和運動の象徴として、広島の人たちは誇りを取り戻したような気がしている。だったら、福島という名前を、ポジティブな名前に転換していけばいいんじゃないか、と思ったんですよ。今、せっかくネームバリューが最高にあるんだから。

そのためには、イメージ戦略とかじゃない、本質的なことをやっていかないといけない。その本質的なことをやって、福島という名前をポジティブなものに転換していくものは何なんだろうと考えると、それは例えば、今ゴーゴーいってる福島の原発が、何らかの技術ができて止められたとします。それで、例えばだけど、福島がクリーンエネルギー特区になって、今まで効率が悪いと言われていた風力発電とか太陽発電とか、効率のいい技術に変貌して福島から出たとしたら、それだけでも多分、福島という名前はポジティブなイメージに変わると思うんですよね。

文化の役目はポジティブな「FUKUSHIMA」の未来図を描くこと

現実にそれをやるのは本当に大変だと思うけど、こういうイメージや夢を語るのは、最初は文化の役目でいいとオレは思うんですよ。文化にもいろいろあると思う。とっても傷ついている人の前で、現実を見せないで楽しい夢を見せるというのもあっていいと思うのね。そういう音楽があってもいいし、そういう映画があってもいい。今、福島の人たちに緊急に必要なのはそっちかもしれない。こんなに傷ついてる人たちに。だけどオレは、大量に楽しいものを投入するだけではなくて、その次の段階として、現実から目を背けさせるための文化だけではいけないと思うんですよ。福島をカジノ特区にしようという案も出てるよね。でも、カジノ特区だけでは福島という名前はポジティブな名前にならないと思う。

福島の名前をポジティブに転換していくということを具体的にやるのはすごく大変だと思うんだけど、日本で侍が刀を捨てて明治維新をしてからたった数十年で飛行機が実用化してるんですよね。そう考えると、できるんじゃねえか。100年後はどうせオレ死んじゃうから、無責任に言ってるんですけど。だけど、夢見る自由はあるだろう、というのがひとつ。その夢見る自由を失ったら、本当に福島は死んでいくと思うんだよ。オレ、福島に住み続けろと言ってるんじゃないですよ。放射能が本当に危険な場所に、オレたちは夢見る自由があると言って住み続けてはいけない気もしてる。放射能を除去する技術ができない限り、住めない場所があるのは事実だと思うんです。だけど、福島が全部住めなくなっているわけではないので、そのことを冷静に見つつ、住めないとなったときは、ものすごい厳しいけれど、それを判断することも必要で、それをごまかす文化じゃダメだと思うんですよ。ちゃんと見る。それは文化だけの話ではなくて、科学や政治も協同してやっていかなければならないことだと思う。福島という言葉をポジティブに変えていくために、オレはおそらく、科学や政治だけでは絶対に不可能で、文化の役目だと思ってる。

「FUKUSHIMA」から世界に文化を発信していく

その福島から最初に出てきた文化というのが、オレは和合亮一さんの詩だと思うんですよ。オレは、震災後の福島から出てきた文化を、福島から発信していく土壌を作る必要があると思ってるんです。今、現実には日本中が東京の文化をメインにしていて、圧倒的に東京の文化の情報発信で生きてきたと思うんですよね。東北地方、特に福島は微妙な位置で、新幹線が通ったおかげで2時間弱で東京に来られるし、東京文化圏にほぼ完全に治められている端っこみたいな位置付けだと思うんですよ。震災が起こる前は、福島から東京に向けて情報を発信することはあったかもしれないけど、でも東京の側でそれを受け取るという発想はなかったと思うんです。そもそもそういう必要、東京の人は感じてなかったし、福島の人もあきらめていた気もするんですよ。だけど、今必要なのは、福島からの発信の回路、東京経由じゃない発信の回路が必要だと思うんですよ。それで、東京から発信しているUstreamのTVのDOMMUNEが、福島からも発信されることになりました。「DOMMUNE FUKUSHIMA!」の名前で独立した放送局として、福島から情報を発信します。第1回の放送は5月8日です。福島の郡山市のKOCOラジというコミュニティFM、そこがUstreamを発信できるスタジオを持っているので、そこで、前半トーク、後半音楽とかDJでやります。ここから発信されるトークには、福島の人、東京の人、宮城の人、いろいろ出ます。初回は、東京の人は私、福島市の人は和合さんです。それから、仙台メディアテークのキュレーターの小川さん、南相馬の被災地から避難してきた消しゴムアートをやっている人もトークに出ます。東京からDOMMUNEの宇川直弘さんも来ます。後半は、オレのソロとか、七尾旅人のソロとか、レイ・ハラカミなんかが出たりします。という感じで、まず福島から発信できる回路を、2週間に1回くらい日曜日にやっていこうと思ってます。

そのときに、これからやっていこうと思っているプロジェクトを発表するんですが、重要なのは、まず福島から発信するということです。福島を孤立させないという意味もあります。その発信は、差し当たり日本語で、福島から国内に向けてになりますが、最終的には海外にも発信したいと思っていて、なるべくいろいろな国の言語に訳して、文章も発表していければと思っていますが、とにかく福島発のものを作っていく。あとは、8月のお盆のあたりに福島で大きな野外フェスティバルをやろうと思っています。これは放射能が大丈夫ならという前提です。野外フェス以外にも、屋内でいろいろなことをたくさんやっていこうと思っていて、もうすでに30人くらいの有志が、会社とか関係なくいろいろな人が集まってくれて、福島にゆかりのある人もない人も、それぞれいろいろなスキルでやっててくれて、ただまだ、素人集団なんで、もう少しプロフェッショナルが欲しいと思いながら動き出しているところです。このプロジェクトのひとつの大きな目的はやっぱり、単に音楽をやるとか娯楽をやるとかっていうことじゃなくて、福島の現状をどう見ていくか、ということですね。今の傷ついてる段階ではとにかく現実を忘れられるっていう娯楽も必要なんで、それも両立させつつ。この苛酷な現実と、まぁ正面から向かったら死んじゃうからね。最高に正面から向かうのは原発の前に行くことですからね。

今日、言いたかったのは、本当にひと言です。福島という言葉をポジティブに転換する。それはごまかしなどではなく、本質的に転換する。その為には何が必要か。ただ単に福島からすてきな文化が出たら転換するなんてまったく思ってない。そんなすてきな文化なら世界中にいっぱいあるからね。ロンドンだって、東京だって、大阪だって、京都だって、山のようにすてきな文化があるから。それだけじゃなくて、本質的には今の問題にどう向かうか。福島が次の未来図を作っていけたら、福島は今の負けの状態じゃなくなると思う。そのときに、現実をどう見ていくか。その見方の問題を最初に提示するのは、オレは文化の役目だと本当に思ってる。それがあった上で政治と科学がついてきてくれれば一番いいと思ってる。というのは今もう、原発を止める科学がなさ過ぎるから。それは誰かがやってくれないと。オレ、本当に無知で恥ずかしいけど、知らなかったんですけど、壊れてない原発止めるのにも何十年もかかるんだね。

今、本当に「不謹慎」なことは一体何なのかということ

僕らは相当無責任な音楽をステージでやっていて、フィードバックを勝手にするのが美しいとか言いながら、ギャーッ、ビャーッとか、勝手にさせてるわけですが、オレたちだって、ピュッてやればスイッチ切れるんだよ。だけど今の状態というのは、ビャーッてずっと鳴り続けている、スイッチを切れないフィードバックマシーンのような感じ。だからオレ、そういう機械を作ろうかなと思って。ゲンパツ君1号っていう名前なんですけど。スイッチ切れないんですよ。ノイズ出っぱなし、ダダもれ。バン! ってスイッチ入れた途端に2万年ぐらい音が出続けるんですよ。バーガガッ! 電源抜くと爆発するとかね。ゲンパツ君1号は最強のノイズマシーンとして、ノイズミュージックの世界にこれから君臨すると思うんですけど。すごく残念なのは、それを作る技術がないんだな、オレ。やばいかなこんなこと言うの。不謹慎?

でも、不謹慎なこと、言いたいよねぇ。あれ、同意を求められない(笑)。オレ、福島に行って現状を見て、それでもすごい不謹慎なこと言いたくなったよ。だって不謹慎だよ、この世の中のほうがよっぽど。こんな非人道的な事態を前に、非人道的とは誰も言わなくて、原発どうしましょうとか、テレビでのんきなこと言ってるんだよ。原発の良いところはですねぇとか。そりゃ良いところもあるよね。コストが安いとか。賠償金のことを考えなけりゃ、めっちゃ安いよね。賠償金どうすんだよって。朝日新聞に東浩紀さんが寄稿した「原発20キロ圏で考える」<朝日新聞 2011年4月26日(火)号 朝刊・文化欄>という文章を読んだ人いる? 原発の避難指示区域を取材して、小学校にランドセルがそのときのまま置いてあるところを見てきたレポートなんだけど、原発のコストにはここにランドセル置き去りにしなければならなかった子どもたちの分は入っていない。オレ、本当にその通りだと思う。家を無くした人に家を与えるコストは入るかもしれないけれど、子どもたちの心に残った傷のコスト、あるいは、僕らだってさ、臆病と言われるかもしれないけど、水道から放射能が出たと言われたとき、ビビったよね。オレ、やっべぇ、と思った。そういうコストは入ってないよね。こんな人として当たり前のことも通用しないなんて世の中の方がよっぽど不謹慎だよ。

もう話がぐるぐる回りになっちゃうけれど、正面から向かう、という話にもう1回戻ると、今の現状をどうとらえるか。解釈なんかできないよ。オレは、非人道的だ、ということと、これは不条理でコメディのようだっていう解釈しか、今はできません。だけれども、そこから何かを表現しないことには始まらない。だから、オレがここで不謹慎なことを言いたいっていうのも、すごく素朴な表現の種だと思うんです。ゲンパツ君1号を作りたい、みたいなことも。だけど、そういう直接的なパロディみたいなものが有効なのは瞬間的なことで、大切なのはその先だと僕は思っている。その先が何なのかは、オレは分からない。本当に分からない。でも多分、文化の役目だろうということだけは直感として思っている。芸術をやっている人はみんな福島に向かえと言っているわけではないんですよ。そういう意味ではないんだけれども、和合亮一さんの詩は、そこからやむにやまれず出てきた表現なわけで、そうしたものを抜きにして、この現状を正面にとらえることなんて出来ないと思うんです。

和合さんと会ったときに、和合さんがすごく象徴的なことを言っていた。「もう自分は壊れてもいい」と言ったんです。それは、「死んでもいい」という意味に取れるかもしれないけど、もうちょっと狭い意味にとらえると、詩人としての自分のキャリアはどうでもいい。現代詩とか何とかっていうのもどうでもいいっていうことだ、と僕は解釈したんです。その気持ちはすごくよく分かって、オレも、もともとそういうことはどうでもいいと思ってたけど、もっとどうでもいいというか、そんなことより、今、本当に必要なものは何か、だと思う。自分がこれからそういう中で、音楽で何をやっていくか、ということを考えていくしかない。これでも音楽家ですから。

黙って静かな殺りくに加担するか、未来を切り開く夢を見るか

今、やることがあまりにも多過ぎて途方に暮れつつ、でも、人と話すとずいぶん整理できるんです。だから、こういう場にも出てくるし、和合さんと話したときも、福島の街でラーメン屋のおばちゃんと話していても分かってくることはあって、ツイッター上で140文字でやりあうくらいなら、直接会って話した方が絶対にいいと思ってる。会って話すのは、例えば、賛成・反対の人がいたとして、賛成の人が反対の人を説き伏せるとか、反対の人が賛成の人を説き伏せるとかそういう話じゃなくて、もうちょっと違うところだと思ってます。単に言葉だけじゃなく、目や体の動き、表情、全部が表現だし、それをどう互いにとらえるかが文化です。そこから始めるしかない。

そういう意味で、福島に行ったり水戸に行ったり、同じ時期に京都にも行ったんですけど、いろいろなところに行って、いろいろな人と会うと、精神衛生上すごく良い。しゃべっているだけで、くだらないことを言うだけで。だから、ツイートでくだらないのを見るとホッとしたりしてね。タバタって知ってる? ギタリストの。初期ボアダムスにいて、今はNullとやってるゼニゲバとか。タバタくんのツイートがすごくいいんですよ。ものすごく正義感に燃えて原発のこととか書いてるんだけど、最終的にくだらないとこにどんどん落ちていく。そういうのを見るとホッとするというか。人間、立派なことだけで生きてるわけじゃないからね。人と会って、会うと大体くだらない話とくだらなくもない話が交互に飛びまくるんですけど、その重要さを本当に感じて。まぁそもそも、顔を見るのが良いやね、というのをすごく感じて。4月に入ってからこの1カ月間、今までの人生で一番、多くの人と会って話してるような気がします。ちょっと躁状態なのかもしれないと思うくらいよくしゃべってる。会った人もよくしゃべって、僕がずっと聞いてると30分もしゃべる人は福島に大勢いて、福島だけじゃないよね、多分みんな、しゃべりたいよね。しゃべりたいし、誰が何を言うか聞きたいという気持ちがすごくあると思う。今日ここにきてくれた人たちも、そういう気持ちが多分、あると思うんですよね。大友が今、何を考えているのか知りたい、と思って来てくれた人がいると思います。

最後にもう一度繰り返します。今福島で起こってるこの事態に対してどうしていくか、そこからどう未来を見つけて行くか。私たちの未来はそのことに本当にかかっていると思います。そしてそれが出来るのは、今この事態を最も身にしてみて体験している福島の人たちであり、この事態を引き起こしてしまった我々だと思うんです。将来「FUKUSHIMA」という言葉が、ネガティブな響きのままでいるか、それとも新しい未来を切り開く先駆けになった名誉ある地名として世に残るのかに私たちの未来はかかってると言っても過言ではありません。今この過酷な現実をどう解釈し、どう未来を切り開いてくか。文化の役目はそこにあると思ってます。今日はありがとう。

文責:内田理惠」

http://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/essays/fukushima.html

変質者が作り上げた日本の芸能界/ジャニーズとAKB

2013-07-06 16:57:51 | 文化
 ジャニーズの創始者で今でもトップであり続けるジャニー喜多川氏と、おにゃんこ・AKBで少女アイドル路線を確立した秋元氏はともに変質者だ、というのが私見である。

 ジャニー氏についてはかつてNYTも取り上げたほど有名であり、かつて事務所にいたタレントの告発もあるところからよく知られているとおり。

 小児・男児性愛者であることは明白である。

 なおジャニー氏は敗戦後日系人であることから、通訳として進駐軍の一員として日本に入ってきたとの事。

 あの時代米兵相手のいかがわしいサービスが横行した時代にビジネスの基礎-人脈を築いたと想像される。

 秋元氏はそれほどはっきりとはしていないが、おにゃんこもAKBもロリコン少女趣味のビジネス版であることは明白だろう。

 彼自身の性癖は不明だが、結婚した相手がおにゃんこの人気アイドルの一人であり、その他にもいろいろなうわさが飛び交った。

 さてこの二人以外を考えると、演歌界で相変わらず暴力団関係のうわさが絶えない。というよりも芸能界全体である(You Tubeで暴力団家計を検索すればすぐ出てくる)。

 変質者と暴力団。

 「あまちゃん」は好きだけど、子供に薦められる世界ではないね。