白夜の炎

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AV出演強要被害 テレビ出演を偽装しての撮影、出演者が自殺したケースも/小川たまか

2016-03-16 15:52:08 | 社会
 酷すぎる。偉そうなことを言うのではないが、一度徹底した禁止が必要。言論の自由をこうゆうところに適用してはいけない。人権を踏みにじってもよいという権利はどこにもない。

 そしてかつて慰安婦という非道な制度を作った帝国の政治理念は、今もこのようなろくでなしとそれを受け入れる社会のありようという形で生き続けていると感じる。

「東京を拠点に活動するNPO法人ヒューマンライツ・ナウがアダルトビデオの出演強要被害について調査報告書を公表。これに関する記者会見が3月3日に行われた。

調査報告書はヒューマンライツ・ナウのHPでも確認することができる。
「ポルノ・アダルトビデオ産業が生み出す、女性・少女に対する人権侵害 調査報告書」

販売後、自殺に追い込まれたケースも
報告によれば、2009年に設立されたPAPS(ポルノ被害と性暴力を考える会)に寄せられた相談件数は、2012年の1件から2014年には32件、2015年には81件。2016年はすでに20件ほどの相談があるという。相談件数は同会の存在が知られるようになるにつれて増え続けている。相談内容は、「AV出演強要」(13件)、「AV違約金」(12件)、「AVに騙されて出演」(21件)、「AV出演を辞めたい」(4件)、「過去のAVを削除したい」(20件)など。女性からの相談が多いが、ゲイビデオに出演した男性からの相談もあったという。

具体的な相談例として報告されたのは6例。6例のうち1例は、昨年違約金裁判を起こされた出演女性が勝訴したケース(参考:AV違約金訴訟・意に反して出演する義務ないとし請求棄却。被害から逃れる・被害をなくすため今必要なこと)。このほかの被害のうち、3例について下記に要約する。

■暴力的な撮影が行われたケース
知人から「グラビアモデル」の事務所に紹介すると言われX社と面接。専属モデルになることが決まったが、面接でAVの話は一切出なかった。X社の紹介でY社の面接へ。性体験の有無などを質問され戸惑った。Y社の作品に出ることが決定したが、仕事内容は知らされていなかった。撮影開始直前にX社からAVであることを知らされ拒否したが、キャンセルには高額の違約金が発生すると言われ、応じざるを得なかった。1本目の撮影終了後に契約の解除を申し出たが、違約金をちらつかせるなどして出演を強要。

撮影内容は次第に過激になり、以下のような行為も行われたが、事前に内容が知らされることはなかった。
・撮影のため1日12リットル以上の水を飲まされる
・避妊具を付けない複数人からの挿入行為
・避妊具を付けず肛門と膣への挿入行為
・膣内に男性器に見立てた管を通し大量の卵白などの液体を何時間も続けて流し込まれる
・下半身をむき出しのまま、上半身は木の板囲いによって固定され、身体的自由を奪われたまま凌辱を受ける
・多数に及ぶ無修正動画への出演強要

全裸のままスタジオから逃げたこともあったが、そのたびに監督らから怒鳴られ撮影が強行された。一連の撮影の結果、膣炎、性器ヘルペス、カンジタ、ウイルス性胃腸炎、円形脱毛症、うつ病、男性恐怖症、閉所恐怖症などを発症。今もAVが販売され続けている事実から逃れるため整形手術を繰り返している。

■自殺に追い込まれたケース
スカウトマンから声を掛けられて勧誘。スカウトマンは女性が気の弱い性格であることを見抜き、取り囲んで説得。出演の許諾を得た。断り切れずに出演した直後に強く後悔したが、すでに次回の撮影も決まっていたため出演せざるを得なくなった。辞めたがっていることを知った会社側は矢継ぎ早に出演させ、半年ほどの間に複数のAVが制作された。その後、会社との契約を解除、被害者支援団体に相談し販売停止交渉を弁護士に依頼することを決意したが、実際に依頼する直前に自殺。

■テレビ出演を偽装して撮影されたケース
路上で「深夜番組のロケ。素人モデルさんをメイクアップして小悪魔的コスプレイヤーになっていただく企画」「出演すれば謝礼金も支払う」と声を掛けられ、その場で承諾。ロケバスで書類へのサインと身分証明書の提示を求められたが、しっかりした会社だと思ったことやロケバス内に女性もいたことから安心し、暗くて読めないまま書類にサイン。学生証を渡した。
その後、コスプレに着替えて撮影が開始され、徐々に卑猥な質問や体にさわる行為が繰り返された。恐怖のあまり身動きがとれなくなり、そのまま複数の男性から性交され、その様子が撮影された。

「身体管理に関しては自己責任」という契約内容
「暴力的な撮影が行われたケース」について、どのような契約書があったのかを質問したところ、ヒューマンライツ・ナウ事務局長の伊藤和子氏、PAPS世話人の宮本節子氏らから次のような回答があった。
「このケースについては契約書が被害女性に渡されていない。契約書が女性に渡されないケースは多い。『こんな契約書が家にあったら人に知られちゃうから預かっとくね』などと言われる場合もある」
「したがって、このケースでどのような契約が結ばれたかはわからないが、多くの場合、契約書には出演の際の具体的な内容は書かれていない。『AV』とだけ書かれていたり、『AV』と書いていないこともある」
「契約書には『身体管理に関しては自己責任』と書かれていることもある」

また、ヒューマンライツ・ナウ副理事長で千葉大学教授の後藤弘子氏は次のように話した。
「契約書は本来、弱い立場の者を守るためのもの。契約書をたてに嫌がる人に対して出演を強要することは許されない」
先述した昨年の違約金裁判でも、「アダルトビデオへの出演は、原告が指定する男性と性行為等をすることを内容とするものであるから、出演者である被告の意に反してこれに従事させることが許されない性質のものといえる」と判決で指摘されている。

「自殺に追い込まれたケース」については、「相談者の自死を確認したのはこのケースだけだが、相談者からの相談が途絶え連絡が取れなくなるケースは少なくない。相談者たちがどうしているのかわからないケースはある」と追加で説明があった。

「テレビ出演を偽装して撮影されたケース」について、女性をスカウト・契約したのはプロダクション(マネジメント会社)とメーカー(制作販売会社)のどちらかと質問した。通常の場合、女性はプロダクションと契約を結ぶことが多いが、このケースではメーカーとの契約だったという。

制作会社社員「プロダクションの契約には関知していない」
筆者は、昨年の違約金裁判の後、あるAV制作販売会社の社員と話をしたことがある。その社員に違約金裁判で女性が勝訴したことを話すと、「驚いた」と口にした。以下がその際に聞いた内容の要約だ。
「AVの制作販売会社で、無理に女性を出演させるようなところは自分の会社も含めてないと思う。そんな危ない橋は渡らない。ただ、プロダクションから連れて来られる女性がどういった説明をされているのか、どんな契約なのかは関知していない」
「撮影日当日に女性が撮影が来なかった場合、スタッフや場所代などの経費はプロダクション会社に請求する」
「車の中で撮影するAVが流行った時期があった。それはホテルなどで撮影するよりも安上がりだから。また、路上したスカウトした女性の場合、ホテルなどに移動するまでに『やはり出たくない』と言われてしまうことがある。気持ちが変わらないうちに撮影する意味でも車での撮影は便利」

報告書では、「なお、真に自由な意思でAVに出演するケースもあると考えられるが、本調査はあくまで、AV出演の課程で発生している人権心外事例に着目し、その解決について提言をしようとするものである」という一文がある。筆者も、自分の意志でアダルトビデオに出演したり、AV女優(俳優)としての活動を望む人については、何か問題があるとは思わない。

ただ、撮影が出演者の意図に反するかたちで行われた場合、それは人権侵害であり、出演者のダメージが非常に大きいことは想像に難くない。契約の際にAVであることを明かさなかったり、気の弱さにつけこんだり、言葉巧みに勧誘して気持ちが変わらないうちに撮影してしまおうといったことは、そのリスクを考えればあってはならないはずだ。

現代において、一度撮影されて流通してしまった映像を完全に回収することは困難だ。撮影内容はもちろんだが、AV出演に関してのリスクを真摯に話しておくことも必要だろう。筆者はこれまでにAV女優の方や制作者に何度か取材したことがあり、良識のある制作者はそうしていると考えてきたのだが、違うのだろうか。例が適当かはわからないが、タバコには「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります」といった警告表示が義務付けられている。会見に出席した角田由紀子弁護士は「契約書の内容が非常に巧妙で、弁護士など法律の専門家が関与しているとしか思えない。普通の人がパッと見せられて、読み解ける内容ではない」と話したが、こういった騙すためのような巧妙な契約書ではなく、制作側が出演者に出演にあたってのリスクを説明し、撮影にあたって充分な配慮をすることを約束し、その上で了解を取るのは最低限必要なことだと感じる。

出席者の一人から「制作の背景には需要の問題がある。需要の問題は社会問題にされてこなかった。需要を喚起するばかりでブレーキのない状態は問題がある」という発言があった。出演を強要するようなやり方をしてまで制作が続けられるのは「需要」があるからに他ならない。

また、会見に出席した一人、NPO法人ライトハウスの藤原志帆子氏は「『来週発売されてしまうので止めたい』というような緊急の相談が来ることもたびたびある。警察に相談しても、契約書を受け取っていなかったり、サインしてしまっているなら介入できないと言われてしまう。出演してしまった人は『自分が悪い』と思ってしまう人も多いが、そういう人たちがようやく支援団体につながり始めている。それでもまだ氷山の一角」と話した。

報告書では、現在の消費者法(消費者法制、特定商取引法、消費者安全法)の定義にあてはまらないことなどを指摘し、内閣府と国会議員に対して法律に下記のような意を盛り込むことを要望している。
●内閣府・国会議員に対して
AV強要被害に関する必要な調査を行い、AV強要被害の被害者を保護・救済できるよう、必要な法改正案を検討準備すること。法律には以下の内容を盛り込んでください。
・監督官庁の設置
・不当・違法な勧誘の禁止
・違約金を定めることの禁止
・意に反して出演させることの禁止
・女性を指揮監督下において、メーカーでの撮影に派遣する行為は違法であることを確認する
・禁止事項に違反する場合の刑事罰
・規約の解除をいつでも認めること
・生命・身体を危険にさらし、人体に著しく有害な内容を含むビデオの販売・流布の禁止
・意に反する出演にかかるビデオの販売差し止め
・悪質な事業者の企業名公表、指示、命令、業務停止などの措置
・相談および被害救済窓口の措置

性犯罪被害報道のジレンマ
会見では、記者らから、被害報告のあるメーカーやプロダクションの名前や、自殺した女性の年代(年齢)を聞く質問があがった。回答は、「メーカーやプロダクション名の公表は現段階では考えていない」というものだった。また、女性の年代についても伏せられた。「被害を受けた人たちに関する情報は報告書にあるものが限界。これ以上の情報を公開した場合、被害者に直接取材が及ぶことを恐れている」という理由だった。

被害者たちを撮影した映像は実際に販売されており、今もまだ流通しているものがあることを考えると、被害者情報については極めて慎重にならなければならないのはわかる。記事から被害者を特定するような動きが起こらないとも限らない。

ただ、記事を書く側からすると、記事に書くか書かないかは別として、実際に被害者本人の声を直接聞かなければ確かめられないこと、判断できないこともあると感じる。さらに言えば、被害者が実際にいることを確かめていないのに記事を書いていいのかという思いがある。契約書の内容についてもそうだ。だがこれは、地道な取材を行い、被害者支援団体からの信頼を得ることで成し遂げるべきなのだろう。

一つ感じるのは、性犯罪報道のジレンマについてだ。たとえば、性犯罪被害の報道については、被害者の情報は極力伏せられるし、場合によっては被害内容や被害に至るまでの経緯、加害者の情報さえも伏せられることがある。それは被害者を守るためである。しかしそのことが、報道の内容を曖昧にし、誤解やあらぬ詮索につながってしまうこともある。

また、次のようなこともある。『リベンジポルノ』(弘文堂)などの著書がある渡辺真由子氏に取材した際、次のような話を伺った。

渡辺:私がテレビ局にいたとき、1人暮らしの女の子のマンションで性犯罪事件がありました。女友達が泊まりがけで遊びに来て、朝方友達が鍵をかけずに帰ったのを狙ってストーカーが押し入り、被害者を暴行したんです。こういう手口があることを、ぜひニュースで取り上げたかった。でもテレビ局の場合は、映像がないとニュースにならないんです。特に性犯罪は現場の映像が撮りづらいんですよ。普通は事件現場を撮影しますが、被害者のマンションを映したら特定されてしまうからそれは絶対にできない。そうすると映像がないので、その時点でニュースにできないということでカットされてしまう。そういうケースが今もおそらくたくさんあって、ひどいことが起きていてもテレビで報じられることは少ないのではないかと思います。(インタビュー「リベンジポルノを利用した強制売春も…“恥ずかしさ”が被害者を沈黙させる」より)

出典:ウートピ
被害者を守るための情報を伏せることは必要だが、それが性犯罪を見えづらくすることにもつながっている。性犯罪被害者は、なぜ名乗り出ることができないか。それは性犯罪被害に遭うことが「恥」だと考えられているからであり、被害者が「隙があった」「被害にあう方も悪い」と責められることがるからだ。

以前、実名を出して活動をしている性犯罪被害者の女性に話を聞いたことがある。彼女は、「私はラッキーなケースだった」と言った。「海外に住んでいるとき、知らない男に家の鍵を壊されて侵入され、レイプされた。被害を立証しやすいケースだった」と。たとえば知人や家族、元パートナーから被害を受けたような場合などは、被害の立証が非常に難しく、「あなたにも隙があった」と落ち度を指摘されてしまう。性犯罪被害は、知らない人からよりも知っている人からの方が多いにも関わらず。

性犯罪被害者への偏見をなくし、性犯罪被害をなくすためには、性犯罪被害が今も起こっていることを伝えることが必要だ。しかし、その情報は被害者を守るために伏せられることがある。被害に遭った人がなぜ声を上げることができないかといえば、そこには彼ら彼女らへの偏見があるからだ。被害者に何の落ち度もなくても、「恥」の烙印を押されてしまうのだ。

性犯罪被害をタブーにせず、被害に遭った人が自ら語りたいと思うのであれば、語ることのできる社会に変えていくことが必要だと考えている。


小川たまか
ライター/プレスラボ取締役
1980年・東京都品川区生まれ。立教大学院文学研究科で江戸文学を研究中にライター活動を開始。 フリーランスとして活動後、2008年から下北沢の編集プロダクション・プレスラボ取締役。教育問題・企業取材・江戸文化など。バナーの画像は下北沢駅前食品市場の屋根です。奥に見える小田急線地上ホームは2013年3月末に営業を終了しました。」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/ogawatamaka/20160304-00055051/

「知ろうとする姿勢と、伝えようとする勇気」視覚・聴覚障害者が語る日本に今ない現実

2016-02-25 13:33:17 | 社会
「バレエ舞台の両脇でバレリーナたちが見つめる中、『眠れる森の美女』の妖精は、舞台上で華麗に踊る。クラシックの音色に合わせ、指先からつま先まで、正確なリズムでポーズを決めてゆく。彼女には、一緒に出演するバレリーナたちの美しい姿は見えていない。音楽も、半分しか聞こえない。

上智大学4年生の兼子莉李那さん(23)。視覚・聴覚障害者だ。

莉李那さんは、生まれつき眼球が小さい「先天性小眼球」だった。右目は、光を感じる程度でほとんど見えない。左目も障害のために視野が極端に狭く、見える範囲はストローの穴のサイズ。見える部分も視力は0.03しかない。

この記事を書く私には、重度の視覚障害のある彼女から見える世界が、想像もつかない。「視野が狭い」ということがどういうことなのか、莉李那さんの解説をもとに、イメージ図を作った。
左が莉李那さんが見ている風景、右が私が見ている風景だ。

限られた光、そして、音

障害は、視覚だけではない。
左耳は感音性難聴。ほぼ右側からしか音が聞こえないため、音がどの方角から聞こえてくるか、空間的に捉えることが難しい。
視野の外から声をかけられると、どこからその音が聞こえてきたのかわからない。立ち止まり、限られた視野で相手を探す。白杖を持って街中を歩いていると、莉李那さんの障害を知らない人たちが、ひそひそと話す声が聞こえることがある。
「あの人、本当は見えているんじゃないの?」
まるで周りが見えているかのように歩けるのは、一度通った場所は懸命に記憶しているからだ。初めての場所は戸惑うし、人と少しぶつかっただけで、方向感覚がわからなくなってしまう。ちょっとした段差やくぼみでも、彼女には難所になりうる。
目が見え、耳が聞こえる人には何でもないことが、大きな壁になる。それが、彼女が生まれたときからの日常だ。

彼女の原動力とは何か

4歳から続けるクラシックバレエで、難関で知られる英国のバレエ教師資格「Royal Academy of DANCE Vocational Graded Examination」を取得。小学生の頃から勉強してきた得意の英語を生かし、上智大に入学した。彼女の原動力は何か。
障害者は自分より絶対下の人間という見方が強いのは、悔しい」
「障害者としてのプライド」を持っているからか、ステレオタイプのせいなのか、なかなか理解してもらえない。その経験は、子供の頃から何度となく繰り返した。
「りーちゃんなんかに負けたって言ったら、ママに怒られちゃう」
「りーちゃんとりーちゃんママは、障害者らしく悲しそうにしてればいいんだよ」


教科書を拡大コピーし、地道に勉強を頑張ったり。可愛らしい服を着て親子で楽しそうに登校したり。「そういう当たり前のことすら、違って受け止められることがありました」と母の亜弓さんは振り返る。

大学の教室では最前列に座り、ルーペを使って黒板に書かれる文字を読む
知ろうとする姿勢と、伝えようとする勇気
彼女は昨年5月、上智大で開かれたイベントでスピーチをした。テーマは「沈黙は金ではない」。障害を理解してもらうには、コミュニケーションがいかに大事かを訴えた。

「障害者の中には、自分の障害についてあまり人に知られたくないという人もいるのが事実です。知ろうとしない健常者と伝えようとしない障害者。それで困ったことがなんにもないなら構わないと思います。しかし、障害者というのは健常者と比べて、すべてにおいて困難が多いから障害者なんです」
スピーチの中で、莉李那さんは白杖について説明した。視覚障害者が持つ杖だとは知られているが、弱視の人も所持が義務付けられていることはあまり知られていない。また、「視覚障害者だけではなく、障害者全員が持つのも法律上認められているという知識を広めていきたい」と彼女は話す。
白杖は障害があること、サポートが必要かもしれないということのサインになりうる。しかし、彼女と初めて接する人々の多くは、白杖について彼女に直接にではなく、周囲の人に説明や助言を求める。「コミュニケーションが不足している」と語る。
「知ろうとする姿勢と、伝えようとする勇気。この2つが生み出すコミュニケーションによって、障害者と健常者がよりよく共存する未来につながると信じています」

TEDxSophiaUniversityでのスピーチ 兼子莉李那さん提供
障害者とどう会話を始めればいいのかわからない人に、莉李那さんは次のようにアドバイスする。
「緊張している人もいるので、声をかけて。声をかけてもらって、不愉快な思いをする人はいないでしょう」
また、反対に障害について伝えるのに躊躇している人に対しては、こう語る。
「言わないのも、言うのも勝手かもしれないけど、言ったほうが楽だよ。言わないと、自分が苦しいだけだよ。逆に言わないから情報が入ってこなくて、ずっとずっと辛い思いしなきゃいけないのって時間も勿体無いし、その間にできることも出会える人もたくさんいると思う」
昨夏に参加したGoogle Japanでのインターンシップも、莉李那さんにとって貴重な出会いとなった。インターンシップ中、メンターには「もっとできるでしょう」とできることには積極性を求められた。
「自分でも『他の人と差をつけられて当たり前』と思ってしまう部分がありました」

Google Japanのインターンシップにて。
「健常者と障害者の線引きのなさにびっくりした」と語る莉李那さん

差をつけられて当たり前ではなく、自分から積極的に取り組む。そのことがどれだけ大切か、改めて気づいた。
莉李那さんの将来の夢は先生になることだったが、もう一つ、夢が増えた。障害者のキャリア支援だ。どちらも、自分がこれまでの人生で学んだことを伝えたい。

大学の講義を履修し終えるのに、人の数倍時間がかかる。大学卒業には7~8年はかかりそうだ。
確実にゆっくりと歩む。これまでと同じように。

バズフィード・ジャパン ニュース記者
お問い合わせ Eimi Yamamitsu at Eimi.Yamamitsu@buzzfeed.com.」

http://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/ririna-kaneko-interview#.vsVqgmv25

脳性まひの息子、首絞めた朝 愛した44年、母絶望

2016-02-24 18:35:20 | 社会
「 介護に疲れたり、将来を悲観したりして、年老いた親が重度障害者のわが子に手をかける事件が相次いでいる。44年にわたって介護を続けた脳性まひの次男(当時44歳)を殺害したとして、殺人罪に問われた大阪市の母親(74)は今年1月、大阪地裁の法廷で泣き崩れた。「後悔の念でいっぱい。本当にかわいい息子だった」【「介護家族」取材班】

 母親は2014年11月22日午前8時ごろ、自宅で寝ていた次男の首を腰ひもで絞めて殺害したとされる。間もなく帰宅した長男(49)が異変に気付いて119番通報した。次男が息を引き取った後、母親は仏壇の前でお経をあげていたという。

 大阪地裁判決や法廷での関係者の証言によると、次男は出生時から重い障害があった。成長しても歩いたり、話したりできず、全ての面で介護が必要だった。母親が中心となり、おむつ交換、食事、入浴などの世話をした。次男は便秘気味だったため、2日に1度は次男の肛門に指を入れて便をかきだした。

 音を鳴らすことが大好きだったから、音が出るおもちゃを持たせ、キーボードの鍵盤に触れさせて遊ばせた。

 成人すると介護の負担は増した。家の中でも車いすで移動させており、体重50キロ前後の次男を車いすに乗せたり、降ろしたりするのは重労働で、母親は腰痛に苦しんだ。次男は夜に布団からはい出すことも多く、母親は寝不足になった。

 07年に夫が亡くなってからは母親が全てを一人でこなした。11年に別居していた長男が同居してくれた。母親と長男は大阪市此花区の障害者向け施設「アミティ舞洲」に次男を連れて行き、入浴や食事を楽しませた。

 ただ、母親は12年には医師にうつ状態と診断され、抗うつ剤を飲んだ。ストレスをためた長男から暴言をはかれることも増えた。

 事件前日。母親はケアマネジャーに自分自身が施設に入りたいと訴えた。翌朝、押し入れにしまっていた腰ひもを取り出し、布団で寝ていた次男の首に巻きつけて絞めた。1、2分たつと、次男は「うーうー」と声をあげて絶命したという。

 裁判の被告人質問で母親はこう弁解した。「介護に明け暮れる生活に疲れた。でも、私が施設に入って長男だけになったら次男の介護はできないと思った」

 母親と次男は11年までの約15年間、奈良県大和郡山市に住んでいた。当時の自宅の向かいでたばこ屋を営む女性(72)は取材に「母親と車いすの次男が玄関先で日光浴するのをよく見かけた」と話した。次男は体を揺すりながらうれしそうに声をあげ、母親は目を細めていたという。

 事件当日、息をしない次男を見て涙を流した長男は法廷でこう証言した。「私は約4年前に弟の介護を始めて人を愛することを知ったが、介護自体はつらかった。それを44年続けた母親のつらさは想像を絶するものだと思う。弟にも人権はあるが、弟は立派に生きた。私は母を許している」

 地裁は2月4日、母親に懲役2年6月(求刑・懲役5年)の実刑を言い渡した。半世紀近い介護生活の苦労に同情しつつ、身勝手な犯行だと母親を批判した。弁護側は執行猶予を求めて控訴した。

高齢の親に重い負担

 川崎医療福祉大(岡山県倉敷市)の岡田喜篤前学長によると、重度の知的障害と肢体不自由を併せもつ重症心身障害児・者は2012年4月時点で全国に約4万3000人と推計される。うち約7割の約2万9000人は自宅で家族らの介護を受けて暮らしている。介護する親の高齢化が進んでおり、「自分が死んだら子供はどうなるのか」と悩む人が増えているという。

 岡田前学長は「長年介護を頑張ってきた親ほど、『まだできる』と無理する傾向がある。しかし、高齢者に重度障害者の介護は相当な負担だ。家族の状況次第では、専門家が助言して施設などが介護を担う仕組み作りを急がないと、悲劇は繰り返されるだろう」と指摘する。」

http://mainichi.jp/articles/20160222/ddn/041/040/012000c

日本経済再生に移民政策は不可避=ケネス・ロゴフ氏/ロイター

2016-01-20 10:25:16 | 社会
「[東京 21日] - 世界で最速の部類に入る人口減少速度と世界最大の過剰公的債務問題の組み合わせは、日本経済にとって極めて有害だと、ハーバード大学のケネス・ロゴフ教授は指摘する。人口問題解決には移民問題への取り組みが不可避であり、経済再生にケインズ主義的な刺激策が役立つと考えるのは「ナンセンスだ」と説く。

同氏の見解は以下の通り。

<人口問題解決なくして構造問題解決なし>

人口動態は宿命だ。人口減少問題に取り組むことなしに、日本が長期の構造問題を解決することは不可能である。

日本は、欧州に比べれば、非常に大きなアドバンテージを持っている。フランスの前期高齢者(young old、65―74歳)は引退を望んでいるが、日本のその年齢層は働く意欲がある。ただ、これだけでは、大きな助けにはなるが、十分とは言えない。

日本は、働いている母親たちの環境を良くするために、大きく前進する必要がある。例えば、ジョブシェアリングの制度を整えたり、テレコミューティングなど在宅勤務の選択肢を改善したりすることなどが考えられる。

さらに、移民問題に取り組むことは不可避だ。日本は最近、就労目的の在留期間を最長5年に延長することなどによって、例えば外国人の建設労働者に(事実上)門戸を開いた。大阪などの一部地域では、家族ごと受け入れる実験的試みも行われている。しかし、やるべきことはもっとたくさんある。医療や介護の現場などでは、外国人労働者に対するさらに大きなニーズがある。

私は、人口動態をめぐる問題が、とてもデリケートな社会問題を包含していることは理解している。日本は、自国の強みのすべてを残しつつ、人口を増加させる諸方策を見つけることが重要だ。

<ケインズ主義的刺激策はナンセンス>

日本はまた、長期にわたって財政の脆弱性にも対処しなければならない。世界最大の公的債務(国民所得に対する比率)と世界で最も速い部類に入る人口減少速度の組み合わせは、極めて有害なものだ。ケインズ主義的な刺激策が、抜本的な構造改革よりも、日本経済を再び成長させるカギだと信じている人もいるようだが、それはまったくナンセンスだ。

日本は、過剰な公的債務が低成長としばしば関連している「パブリック・デット・オーバーハング」の典型例だ。巨大な赤字は時間的猶予を与えてくれるかもしれない。しかし、それは長期的な問題解決策ではない。

*ケネス・ロゴフ氏は、ハーバード大学教授(経済学、公共政策)。ニューヨーク連銀経済諮問委員。2001年から03年まで国際通貨基金(IMF)のチーフ・エコノミスト兼調査局長。10代からチェスの名人として世界的に知られ、国際チェス連盟から国際グランドマスター(最上位のタイトル)を授与されている。カーメン・ラインハート氏との共著に「国家は破綻する 金融危機の800年」(日経BP社刊、原題はThis Time Is Different)

*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの特集「2016年の視点」に掲載されたものです。

*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。

*このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されているものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは金融商品に関するいかなる勧告もしません。このドキュメントの使用は、資格のある投資専門家の投資助言に取って代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイターの見解、分析ではありません。」

http://jp.reuters.com/article/view-kenneth-rogoff-idJPKBN0U309Q20151221?sp=true

日本人の成功の基準

2016-01-16 08:25:17 | 社会
日本人の成功の基準は権力に承認されることだ。

その行き着く果てには天皇がいる。

だから勲章をもらったり、歌会始に呼ばれると大喜びとなる。

メディアも同じ。

政治権力、経済権力、そして官僚機構。とても批判的報道等できない。

以前は「ブンヤ」といわれ、蔑むような支線を権力に浴びせかけられながら取材する人達がいたが、もう姿を消した。

「ブンヤ」こそ正しい。

今のメディアは権力者に自己を同一化して、貧困に喘ぐ市民を見下している。

「お前は人権の臭いがする」中村文則

2016-01-11 10:26:47 | 社会
「 僕の大学入学は一九九六年。既にバブルは崩壊していた。

 それまで、僕達(たち)の世代は社会・文化などが発する「夢を持って生きよう」とのメッセージに囲まれ育ってきたように思う。「普通に」就職するのでなく、ちょっと変わった道に進むのが格好いい。そんな空気がずっとあった。

 でも社会に経済的余裕がなくなると、今度は「正社員になれ/公務員はいい」の風潮に囲まれるようになる。勤労の尊さの再発見ではない。単に「そうでないと路頭に迷う」危機感からだった。

 その変化に僕達は混乱することになる。大学を卒業する二〇〇〇年、就職はいつの間にか「超氷河期」と呼ばれていた。「普通」の就職はそれほど格好いいと思われてなかったのに、正社員・公務員は「憧れの職業」となった。

 僕は元々、フリーターをしながら小説家になろうとしていたので関係なかったが、横目で見るに就職活動は大変厳しい状況だった。

 正社員が「特権階級」のようになっていたため、面接官達に横柄な人達が多かったと何度も聞いた。面接の段階で人格までも否定され、精神を病んだ友人もいた。

 「なぜ資格もないの? この時代に?」。そう言われても、社会の大変化の渦中にあった僕達の世代は、その準備を前もってやるのは困難だった。「ならその面接官達に『あなた達はどうだったの? たまたま好景気の時に就職できただけだろ?』と告げてやれ」。そんなことを友人達に言っていた僕は、まだ社会を知らなかった。

 その大学時代、奇妙な傾向を感じた「一言」があった。

 友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の癒着、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、彼が僕を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。

 「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。

 当時の僕は、こんな人もいるのだな、と思った程度だった。その言葉の恐ろしさをはっきり自覚したのはもっと後のことになる。

 その後東京でフリーターになった。バイトなどいくらでもある、と楽観した僕は甘かった。コンビニのバイト採用ですら倍率が八倍。僕がたまたま経験者だから採用された。時給八百五十円。特別高いわけでもない。

 そのコンビニは直営店で、本社がそのまま経営する体制。本社勤務の正社員達も売り場にいた。

 正社員達には「特権階級」の意識があったのだろう。叱る時に容赦はなかった。バイトの女の子が「正社員を舐(な)めるなよ」と怒鳴られていた場面に遭遇した時は本当に驚いた。フリーターはちょっと「外れた」人生を歩む夢追い人ではもはやなく、社会では「負け組」のように定義されていた。

 派遣のバイトもしたが、そこでは社員が「できない」バイトを見つけいじめていた。では正社員達はみな幸福だったのか? 同じコンビニで働く正社員の男性が、客として家電量販店におり、そこの店員を相手に怒鳴り散らしているのを見たことがあった。コンビニで客から怒鳴られた後、彼は別の店で怒鳴っていたのである。不景気であるほど客は王に近づき、働く者は奴隷に近づいていく。

 その頃バイト仲間に一冊の本を渡された。題は伏せるが右派の本で第二次大戦の日本を美化していた。僕が色々言うと、その彼も僕を嫌そうに見た。そして「お前在日?」と言ったのだった。

 僕は在日でないが、そう言うのも億劫(おっくう)で黙った。彼はそれを認めたと思ったのか、色々言いふらしたらしい。放っておいたが、あの時も「こんな人もいるのだな」と思った程度だった。時代はどんどん格差が広がる傾向にあった。

 僕が小説家になって約一年半後の〇四年、「イラク人質事件」が起きる。三人の日本人がイラクで誘拐され、犯行グループが自衛隊の撤退を要求。あの時、世論は彼らの救出をまず考えると思った。

 なぜなら、それが従来の日本人の姿だったから。自衛隊が撤退するかどうかは難しい問題だが、まずは彼らの命の有無を心配し、その家族達に同情し、何とか救出する手段はないものか憂うだろうと思った。だがバッシングの嵐だった。「国の邪魔をするな」。国が持つ自国民保護の原則も考えず、およそ先進国では考えられない無残な状態を目の当たりにし、僕は先に書いた二人のことを思い出したのだった。

 不景気などで自信をなくした人々が「日本人である」アイデンティティに目覚める。それはいいのだが「日本人としての誇り」を持ちたいがため、過去の汚点、第二次大戦での日本の愚かなふるまいをなかったことにしようとする。「日本は間違っていた」と言われてきたのに「日本は正しかった」と言われたら気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである。

 そして格差を広げる政策で自身の生活が苦しめられているのに、その人々がなぜか「強い政府」を肯定しようとする場合がある。これは日本だけでなく歴史・世界的に見られる大きな現象で、フロイトは、経済的に「弱い立場」の人々が、その原因をつくった政府を攻撃するのではなく、「強い政府」と自己同一化を図ることで自己の自信を回復しようとする心理が働く流れを指摘している。

 経済的に大丈夫でも「自信を持ち、強くなりたい」時、人は自己を肯定するため誰かを差別し、さらに「強い政府」を求めやすい。当然現在の右傾化の流れはそれだけでないが、多くの理由の一つにこれもあるということだ。今の日本の状態は、あまりにも歴史学的な典型の一つにある。いつの間にか息苦しい国になっていた。

 イラク人質事件は、日本の根底でずっと動いていたものが表に出た瞬間だった。政府側から「自己責任」という凄(すご)い言葉が流れたのもあの頃。政策で格差がさらに広がっていく中、落ちた人々を切り捨てられる便利な言葉としてもその後機能していくことになる。時代はブレーキを失っていく。

 昨年急に目立つようになったのはメディアでの「両論併記」というものだ。政府のやることに厳しい目を向けるのがマスコミとして当然なのに、「多様な意見を紹介しろ」という「善的」な理由で「政府への批判」が巧妙に弱められる仕組み。

 否定意見に肯定意見を加えれば、政府への批判は「印象として」プラマイゼロとなり、批判がムーブメントを起こすほどの過熱に結びつかなくなる。実に上手(うま)い戦略である。それに甘んじているマスコミの態度は驚愕(きょうがく)に値する。

 たとえば悪い政治家が何かやろうとし、その部下が「でも先生、そんなことしたらマスコミが黙ってないですよ」と言い、その政治家が「うーん。そうだよな……」と言うような、ほのぼのとした古き良き場面はいずれもうなくなるかもしれない。

 ネットも今の流れを後押ししていた。人は自分の顔が隠れる時、躊躇(ちゅうちょ)なく内面の攻撃性を解放する。だが、自分の正体を隠し人を攻撃する癖をつけるのは、その本人にとってよくない。攻撃される相手が可哀想とかいう善悪の問題というより、これは正体を隠す側のプライドの問題だ。僕の人格は酷(ひど)く褒められたものじゃないが、せめてそんな格好悪いことだけはしないようにしている。今すぐやめた方が、無理なら徐々にやめた方が本人にとっていい。人間の攻撃性は違う良いエネルギーに転化することもできるから、他のことにその力を注いだ方がきっと楽しい。

 この格差や息苦しさ、ブレーキのなさの果てに何があるだろうか。僕は憲法改正と戦争と思っている。こう書けば、自分の考えを述べねばならないから少し書く。

 僕は九条は守らなければならないと考える。日本人による憲法研究会の草案が土台として使われているのは言うまでもなく、現憲法は単純な押し付け憲法でない。そもそもどんな憲法も他国の憲法に影響されたりして作られる。

 自衛隊は、国際社会における軍隊が持つ意味での戦力ではない。違憲ではない。こじつけ感があるが、現実の中で平和の理想を守るのは容易でなく、自衛隊は存在しなければならない。平和論は困難だ。だが現実に翻弄(ほんろう)されながらも、何とかギリギリのところで踏み止(とど)まってきたのがこれまでの日本の姿でなかったか。それもこの流れの中、昨年の安保関連法でとうとう一線を越えた。

 九条を失えば、僕達日本人はいよいよ決定的なアイデンティティを失う。あの悲惨を経験した直後、世界も平和を希求したあの空気の中で生まれたあの文言は大変貴重なものだ。全てを忘れ、裏で様々な利権が絡み合う戦争という醜さに、距離を取ることなく突っ込む「普通の国」。現代の悪は善の殻を被る。その奥の正体を見極めなければならない。日本はあの戦争の加害者であるが、原爆・空襲などの民間人大量虐殺の被害者でもある。そんな特殊な経験をした日本人のオリジナリティを失っていいのだろうか。これは遠い未来をも含む人類史全体の問題だ。

 僕達は今、世界史の中で、一つの国が格差などの果てに平和の理想を着々と放棄し、いずれ有無を言わせない形で戦争に巻き込まれ暴発する過程を目の当たりにしている。政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々として煽(あお)る危険なメディア、格差を生む今の経済、この巨大な流れの中で、僕達は個々として本来の自分を保つことができるだろうか。大きな出来事が起きた時、その表面だけを見て感情的になるのではなく、あらゆる方向からその事柄を見つめ、裏には何があり、誰が得をするかまで見極める必要がある。歴史の流れは全て自然発生的に動くのではなく、意図的に誘導されることが多々ある。いずれにしろ、今年は決定的な一年になるだろう。

 最後に一つ。現与党が危機感から良くなるためにも、今最も必要なのは確かな中道左派政党だと考える。民主党内の保守派は現与党の改憲保守派を利すること以外何をしたいのかわからないので、党から出て参院選に臨めばいかがだろうか。その方がわかりやすい。

     ◇

 1977年生まれ。2005年、「土の中の子供」で芥川賞。近著に「教団X」「あなたが消えた夜に」。「掏摸(スリ)」をはじめ、作品は各国で翻訳されている」

http://digital.asahi.com/articles/ASHD23R1JHD2UPQJ003.html?iref=comtop_6_01

新年あけましておめでとうございます

2016-01-01 00:22:03 | 社会
新年あけましておめでとうございます。

といってもついさっき書いた年の暮れの感想の通リ、めでたいことより多事多難が予想されますが。

個人的には長年の宿題にけりを付けます。

そのためには日々努力。

年をとると時間の感覚が早くなるということらしいが、それは逆に言うと時間を無駄にしがちと言うこと。

少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声
(朱子)

その通リ。無駄に過ごした歳月は帰らない。これからの時間を自らが定めた有意義なことのために使う。

ヘイトスピーチ 元在特会代表に「脅迫的な言動しないで」

2015-12-24 15:00:23 | 社会
「「そこで聞いている朝鮮人ちょっと出て来いよ。たたき殺してみせるから出て来いよ。日本人をなめんじゃねえぞ、ゴキブリども」

「君たちもね、北朝鮮人のプライドがあるならちょっと出て来い。金正日のためにここでなぶり殺しにされろよ。殺してやるから出て来いよ」

「いつまでもいつまでも日本人が黙っていると思うなよ。お前たちはね、あまりにも多くの血を流しすぎた。次はね、我々がお前たちの血を流す番だ」」」

 このようなヘイトスピーチ、どう考えても脅迫罪で刑事罰だろう。でも日本の警察は動かない。

 ちなみに日本では人種差別禁止法、といった法律も、ヘイトスピーチの規制もないが、先進国では以下のようにしっかり整備されている。
      人種差別禁止法   ヘイトスピーチの規制
・アメリカ  公民権法       なし
・イギリス  平等法       あり(公共秩序法)
・フランス  差別禁止法     あり(刑法ほか)
・ドイツ   一般平等待遇法   あり(刑法)

 日本だって刑法で処罰可能だと思うが、それをやらない。それでいてリベラルや左翼の発言は抑圧する。トンデモ政権である。

「ヘイトスピーチ 元在特会代表に「脅迫的な言動しないで」
 毎日新聞2015年12月23日 00時28分(最終更新 12月23日 00時29分)

東京法務局が勧告も強制力なし 法務省の人権救済措置は初

 2008~11年に東京都小平市の朝鮮大学校前で脅迫的な言動を繰り返したとして東京法務局は22日、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の元代表に対し、同様の行為を行わないよう勧告した。勧告に強制力はないが、ヘイトスピーチによる被害を巡って法務省が人権救済の措置を講じたのは初めてとみられる。

 法務省人権擁護局や被害を申告した学生2人の代理人弁護士によると、元代表らは08年11月、09年11月、11年11月の計3回、朝鮮大学校の校門前で街宣を実施。「朝鮮人を日本からたたき出せ」などと脅迫的な言動を繰り返した。3回とも学園祭が開かれていた。

 今年に入って被害申告があり、法務省は人権侵犯事件として調査を開始。勧告は元代表らの行為について「生命身体に危害を加えかねない気勢を示して畏怖(いふ)させた」と違法性を認定。「人間としての尊厳を傷つけるもので、人権擁護上看過できない」として、元代表に対し、強い恐怖感や苦痛を与える違法なものと認識して反省し、今後同様の行為を行わないよう求めた。

 代理人の師岡康子弁護士は、今回の法務局の措置を評価した上で、「勧告に強制力はない。現行法制度では不特定の集団へのヘイトスピーチを違法と認定できないという欠陥もあり、行政が明確に人種差別撤廃の責務を負い、被害者救済の立場に立つ法整備が必要だ」と話した。

 ヘイトスピーチを巡り法務省は今年1月、「ヘイトスピーチに対する断固とした姿勢をアピールする」(上川陽子前法相)として、「ヘイトスピーチ、許さない。」と書かれたポスターを全国の法務局を通じて自治体に配布するなど、啓発活動に力を入れている。【和田武士、林田七恵】

法務省が公表した街宣の内容◇

<2008年11月9日>

「朝鮮人を日本からたたき出せ」

「犯罪朝鮮人を東京湾にたたき込め」

<2009年11月1日>

「我々は徹底的にやりますよ。朝鮮人の犯罪がなくなるまで、朝鮮人、犯罪朝鮮人を日本からたたき出すまで、我々は絶対に闘いをやめない」

<2011年11月6日>

「そこで聞いている朝鮮人ちょっと出て来いよ。たたき殺してみせるから出て来いよ。日本人をなめんじゃねえぞ、ゴキブリども」

「君たちもね、北朝鮮人のプライドがあるならちょっと出て来い。金正日のためにここでなぶり殺しにされろよ。殺してやるから出て来いよ」

「いつまでもいつまでも日本人が黙っていると思うなよ。お前たちはね、あまりにも多くの血を流しすぎた。次はね、我々がお前たちの血を流す番だ」」


「やくざの人権」論議はポイントがずれているのでは?

2015-12-10 17:41:47 | 社会
このプログで一番人気の記事は、一貫して司忍山口組組長へのインタビュー記事(http://blog.goo.ne.jp/baileng/e/8f4140aab492628f14087b6740c46a92?fm=entry_awp)である。もちろん私がインタビューしたのではなく、産經新聞が行ったものを転載したものである。

日本の新聞は記事をデータベース化して検索させる際、多額の費用を取るところが多いので、記事の丸ごと転載は彼らにはマイナスだろうが、一般人にとっては大きなプラスである。

それはさておき、暴力団に対する規制が厳しくなるにつれて、暴力団擁護の論陣の強くなっている。それはもっぱら暴力団構成員に対する金融機関や住居面での締め付けについてで、構成員が普通の市民生活ができないとか、子供たちが差別されている、といったことが取り上げられている。そのような議論の前提として、「やくざ」組織なるものの存在や、やくざという「人」の存在を、あたかも日本社会に歴史的に存在し続けた、正当な一個の社会集団・階層と見なす立場がある。

それは真っ当な議論だろうか。

司組長は先のインタビューで、やくざ組織は社会に受け入れられない被差別者や、社会不適合者を受け入れ、訓練して、一定の秩序に統率する役割を担っていると主張している。また組織の維持運営は「生業」によって行われており、ドラッグ等には関わっていないと主張している。まずこの後者の主張が明らかな嘘であることは誰もが知っていることである。そして前者に関しても大きな問題がある。確かに暴力団には被差別や在日朝鮮人等、日本社会で差別されてきた人々が多く含まれている可能性が高い。元公安調査庁部長だった菅沼氏等は、会津小鉄会幹部の話を根拠に相当数がそのような出身であると述べている。(https://www.youtube.com/watch?v=kr1rvu5vR40)

しかし日本社会の差別の問題や、社会不適合者への対応は、日本の政治と市民が社会的に実現すべき課題である。まずこれが原則である。現実には日本社会は差別の厳しい社会であり、現実に存在する差別を見て見ぬ振りする社会である。だからこそ克服すべきであり、そのために努力してきた多くの人々の歴史がある。

しかし日本の政治とかなりの市民が、差別を容認し、自分に関係のない問題として放置してきたことも事実である。その意味では日本社会の暗黒の現実が組織として実現したのが暴力団組織だ、ともいえよう。そしてそれが明らかな犯罪行為によって富と権力を掌握する組織であることが、問題なのである。そしてその富と権力が多くの場合保守権力やそれを支える企業集団と結合しており、日本社会の市民的変革を阻害してきたことが問題である。差別されたが故に暴力団組織にはいった人がいる場合、彼らはその組織の一員であることによって、差別を生み出す構造の強化に加担することとなる。

実は日本の治安・公安組織は暴力団の殲滅には本気ではなかった、というのが私の個人的な見立てである。彼ら治安機関は現体制、すなわち保守的(対米従属的)戦後体制の維持を任務としており、反保守勢力と対峙する暴力団組織の存在は願ったり叶ったりである。最近はなくなったが、かつては市民のデモや学園紛争で必ず、右翼と称する暴力団が殴り込みを欠けてきた。組合がストを打てばスト破りに動員されるのも彼らである。またかつて長崎の本島市長がピストルで撃たれたことがあったが、このようなことをする人材を見いだすのに、暴力団はうってつけの組織だろう。

最近暴力団への規制が厳しくなってきたのが事実であれば、私はそれはいいことだと考える。暴力団構成員は組から抜ければ、普通の市民として人権を保障されよう(容易ではないし、そこで差別に直面するだろうが)。暴力団は市民的自由と人権を破壊することによって維持される組織だからこそ問題なのである。実際商店や企業を「守る」からみかじめ料を出せ等というのは、そのような脅威をもたらす暴力団組織が消滅すれば一切不要になる話である。

それからもう一つ指摘したいことがある。もし司組長や菅沼氏がいう通り、日本社会の被差別者が暴力団の人的基盤だとすれば、そしてそれを適宜統制するのが暴力団の社会的役割で、それ故日本社会に存在する根拠があると主張するのであれば、それは江戸時代の弾左衛門による関東支配と代わらないということである。あの時も幕府の統制化におかれていたが、今ももしかすると治安・公安組織の統制化にあるのかもしれない。身分制封建社会の残滓を、そして社会差別の構造が見事に維持されている実例かもしれない。

いずれにせよ、暴力団組織の解体は正しい。構成員はそこから抜けて生きる道を作るしかない。そして社会と政治はそれを要する責任を負う。形式だけの「正論」だと笑われようが、日本社会の進むべき道はここにある。

これでは優秀な学生は日本に来ない - 飛び級入学生を拒否する日本の大学

2015-11-25 16:25:13 | 社会
 アメリカには飛び級がある。ブッシュ政権の時のライス国務長官は16才で大学にはいった。カナダも同様。15才で高校を完全に飛び越えて大学にはいった学生もいる。中国も同様。

 ところが日本には飛び級がない。その結果こんなことが起きている。

 日本の大学 - 学部の場合 - は留学生受け入れに際して高校卒業やその見込み、それから成績や何らかの試験結果とともに、修業年限-12年-を条件にしている場合が多い。ただし全てではないのだがそれはそれで問題が起きるので後で触れる。

 この修業年限の縛りがあるため、飛び級の学生の入学を拒否することになる。例えば17才で高校を終えて成績も優秀で、試験結果が優秀でも、入学はできない。実際それで拒否する例がかなりある。多くの場合発展途上国からの留学生であるが、せっかくその国のもっとも優秀な頭脳が日本を目指してくれても、だめだというのである。

 では入れてしまったらどうだろう。これは制度上不可能ではないので、それを実施する大学もいくつかある。するとここでも次の問題が生じる。大学院の入学である。そのような優秀な学生は、有名大学の大学院を目指すことが少なくなく、また入学する力を持っている。ところがそのような大学院の側が修業年限不足を理由に入学を断る例がでているのである。

 その結果学部段階でも飛び級学生の入学に二の足を踏むところが多い。

 しかし改めて言うまでもなく、優秀な学生を取り損なっているきわめて愚劣な試験制度であることは間違いない。その原因は抑日本で飛び級をきちんと認めていないことにある。しかし飛び級を日本国内で認めないのはそれこそ悪しき平等主義である。

 現状はできる学生も、できない学生も、とにかく6-3-3で進級・卒業させていけばいいという体制になっている。これを改め、高卒段階では全国的な学力試験を実施して、それに基づいて卒業、あるいは大学入学資格を決定する必要があるだろう。現状のように1次方程式も解けない大学生があふれているなどというのは論外である。学力不足の学生は高校段階で落第・再履修をもっとしっかりと行うべきである。

 その上で、優秀な学生は飛び級で上級学校に進学せさ、自分で人生を開拓させればよい。皆さんはどうお考えでしょうか。

孫正義の独白-差別について

2015-07-19 14:36:18 | 社会



「孫という名字を名乗った経緯を改めてお話いただけますか。


孫正義:僕はね、16歳でアメリカに渡るまでは安本正義だった。安本というのは日本の名字だった。

 アメリカから戻ってきて会社を創業していく時に、うちの親戚一同が使っている「安本」という日本の名字と先祖代々の「孫」という名字の2つの選択肢があった。

 パスポートの本名だとか外国人登緑証の本名の中に孫って書いてある。通名というのは安本と書いてある。

 日本社会の中で生きていくのには、安本と名乗ったほうがいい。今の芸能人とかスポーツ選手でもいっぱい日本名を名乗って活動している人がいる。それを非難するわけではないけど、あえて僕がわざわざ逆風の中を孫という名字を親戚一同の中で初めて使ったんだ。

 日本にいて今日の今日ですらまだ若干残ってはいるけど、在日という中で、様々なやっぱり目に見えない、言うに言われぬハンディキャップがあるんだよ。

 それで悲しんでいる人、苦しんでいる人がやっぱりいるのよ。いい悪いは別にしてね。その理由とか根源とかはちょっと置いといて、生まれながらにしてそういう血で生まれると、言われなき差別を受ける小さな子供がいっぱいいる。

 俺は小学生、中学生の時に自殺したいぐらい悩んだんだ。本気で自殺しようかと思ったぐらい悩んだ。それぐらい差別、人間に対する差別というのは、つらいものがあるのよ。

「差別反対」と言うより100万倍効果がある

 なぜ僕があえて親族、おじさん、おばさん全員の反対を押し切って1人だけ孫と正式に名乗ったのか。

 そうやってつらい思いをしている在日の子供たちに対して、1人でもいいから自分の先祖代々の名前を堂々と名乗って、様々なハンディキャップがあったとしてもそれでもね、それなりにやれるんだという事例を一つ示したいと考えたから。それで希望を得る若者が1人でも100人でも出れば、それは「差別反対」と言って、何かプラカードを出して言うよりも100万倍効果がある。

 差別反対なんて言わなくたって、孫と堂々と名乗って、堂々と逆風の中で仕事して、事業して、それなりになればそれはもう100万語しゃべるより、力説するより、そういう青少年に希望を与えられるんじゃないかと思って俺はあえて名乗った。

 親戚からは猛反対されたよ。だって小さな社会の中で名前を隠して生きているんだから。「おまえが親戚として1人そうやって孫と名乗ったら、俺らまで全部ばれる」と。

家族を巻き込んでしまうのですね。

孫:「何だ在日だったのか。在日韓国人だったのか。親戚のおいとか言われて一緒におったな、あれ、孫か。あれ、安本じゃなかったの、えっ、そうか、おまえはキムチ組か」と言われるだけで、おじさんおばさんにとっては迷惑なのよ。止められたんだよ。

 それでも俺は、「おじさんやおばさんに俺は迷惑かけるかもしれん。そしたら、俺が親戚だとは言わないでいい、他人のふりしていていい」と言った。

 「おじさんおばさんはもう立派な大人で、少々の差別には立ち向かえるだけの力があるかどうか僕は知らんけど、子供たち、青少年が悩んでいる子たちが本当にいささかでも希望の光を得るのに、そんなに俺がそうやってすることが迷惑ならもう他人のふりしておいてくれ。俺はそれでも逆風でも何でもやるから」と。そうやって断言して出ていったんだ。

 日本の産業界の中で、もうみんな自信喪失して、総崩れ、引きこもりという状況にある。そんな中でもね、我々が1社でも逆風の中を立ち向かって、アメリカではるかに大きな巨体の敵に向かって少しでも、仮に5分の戦いをやれたならば、それなりに生き延びたならばそれは一つの希望の光になるかもしれない。

 僕はもちろん政治家でもないし、そういうポジションでもないけど、せめて1つの事例をつくってみたい。

 1つの事例をつくることが、その小石が波紋を呼んで、刺激を受ける会社が1社でも10社でもあれば、それが1つの社会貢献だと僕は思っている。

日本にも多くの成功事例が出てきてほしいと思います。

孫:やっぱり我が社に限らず、柳井さんだとか、永守さんだとか、楽天やディー・エヌ・エーとかいろいろな会社が、一生懸命頑張って日本の若い世代から成功事例が幾つか出てくればね、日本の経済もよみがえる可能性がある。

 格差社会反対という、落ちこぼれをどうやって助けるかというのも大事だけど、成功事例を足を引っ張る必要はないじゃんと。成功事例を寄ってたかってたたく必要もないじゃんと。

 成功事例はみんなの希望の光で、成功事例がなくなるともうみんな気落ちするよ。(プロゴルファーの)石川遼が出てきたといったらさ、みんなで足を引っ張るんじゃなくて、おお、すげーなと言って褒めたたえないかんわけじゃん。ダルビッシュが出てきた、おお、すげーなと言って、うんじゃあ俺も野球頑張ろうとなるわけですよ。

 だから、僕はそういう成功事例をジャパニーズドリーム、ジャパニーズヒーローだと褒めたたえるような社会にすることが一番大切だと思う。」

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/book/15/284212/071600006/?P=1

ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける 中年ネトウヨ「ヨーゲン」(57歳)の哀しすぎる正体

2014-11-18 14:11:55 | 社会
「サイバー犯罪で逮捕されていた

朝鮮人など虐殺してやる──ネット空間でそう息巻いていた差別主義者の男は、両脇を二人の警察官に支えられて法廷に姿を見せた。

よれよれのジャージ姿だった。両手には手錠がはめられ、腰縄がされた状態である。肩口まで無造作に伸びきった髪は白いものが目立ち、まるで落ち武者のような印象を与えた。肌艶もなく、顔には吹き出物が目立つ。その疲れ切った表情と虚ろな目つきは57歳という年齢以上に老けて見えた。逮捕されてから三か月にも及ぶ勾留生活が、初老の域に差し掛かった男の生気を抜き取ってしまったようにも見える。

手錠を解かれた男は被告人席に座ると、傍聴席を見まわした。男の視線が最前列に座る私を捉える。その瞬間、「おっ」という感じで照れたような表情を顔に浮かべた後、彼はなぜか私に向けてちょこんと頭を下げた。私も合わせて軽く会釈する。

それが私たちにとって二度目の"対面"だった。
9月17日、宇都宮地裁栃木支部(栃木県栃木支部)。被告人の罪名は商標法違反、私電磁的記録不正作出、同供用である。

福島県いわき市に住む自称ホームページ製作業の男は、マイクロソフト社のソフト「オフィス」や「ウィンドウズ」の認証コード(プロダクトキー)を販売するサイトを開設していたが、その際、同社のロゴを無断でサイトに使用したことにより、6月16日、まずは商標法違反で逮捕された。

また、その後の調べにより、男が販売していたプロダクトキーは、すべて違法に入手したものであることも発覚する。

男はマイクロソフト社製のソフトをダウンロードできるIT技術者向け有料サービスに加入。転売禁止の契約を破り、入手したプロダクトキーを個人や法人に市価の約半額で販売し、約400万円の利益を得ていたことで7月4日に二度目の逮捕となった。

さらにテレビの有料放送を視聴できるB-CASカードの偽造に手を染めていることも取り調べの過程で判明する。

「摘発したのは栃木県警のサイバー犯罪対策室です。県警は今年に入ってから情報セキュリティーの研究者2人をアドバイザーとして迎え入れるなど、サイバー犯罪の摘発を強化しています。連日、サイバーパトロールが行われており、彼もその網に引っ掛かったというわけです」(地元記者)

男には多額の借金があり、その返済に行き詰まったことが犯罪のきっかけだったという。
特に世間の注目を集める事件でもなかった。各紙とも逮捕時は県警の発表文書を垂れ流すだけのベタ記事扱いで、その後のフォローは一切ない。

そして私の興味と関心も、事件そのものには向いていない。
私が知りたかったのは──来る日も来る日もネットで差別と憎悪をまき散らしていた、この男の暗い情念である。



ネット上において、男は「ヨーゲン」と名乗っていた。

私がヨーゲンを知ったのは2011年の冬である。
その頃、私はヘイトスピーチを用いてデモや街宣を繰り返す在特会(在日特権を許さない市民の会)を取材し、講談社のノンフィクション雑誌『g2』にルポを発表したばかりだった。当時はまだ在特会メンバーに直接取材した媒体はほとんどなく、主要メンバーの生い立ちにまで触れた私の記事には大きな反響があった。

もちろん、それは記事への評価、賞賛を意味するものではない。この場合における「反響」とは、ネット空間による非難、中傷、罵倒の類である。在特会メンバーの素顔をあぶり出し、さらに同会への批判を加えた私の記事は、いわゆるネトウヨの逆鱗に触れたのであった。

私に対する悪意に満ちた言葉がネットであふれた。
なかでも私のツイッターには、在特会を支持するネットユーザーからの抗議が大量に寄せられた。

国賊、売国奴、反日──。お定まりの悪罵に加えて、私の殺害を匂わせるようなツイートや、あるいは私の名前を騙り、アイコンをコピーし、ツイッターで「朝鮮人虐殺」を主張するような「なりすまし」まで登場する始末である。

そうした状況にあって、もっとも執拗に私を攻撃してきたのがヨーゲンだった。
彼は「朝鮮人の安田が書いた記事を信用するな」「安田を祖国に追い返せ」といった低レベルな書き込みを繰り返した。約3年の間にヨーゲンから私に振られたメンションの数は軽く1千回を超える。ほぼ毎日のように必ず、私に向けて悪罵を投げつけなければ気が済まないようであった。

むろん私に対してのみ醜態をさらすのであれば、たかが「ネットの暴走」として片づけることもできたはずだった。

問題は、彼がフダ付きのヘイトスピーカーだったことにある。ネットに疎い私は、実は自分自身がツイッターで攻撃を受けるまで、「ネトウヨ界の超有名人」であるヨーゲンの存在をまるで知らなかった。

最悪のネトウヨを探し出せ

自らのプロフィールに「朝鮮人虐殺」などと記すヨーゲンは、ツイッター上で在日コリアンのユーザーを発見しては、昼夜を問わずただひたすら差別と偏見に満ちた醜悪なメッセージを送りつけていたのである。

たとえば、次のようなツイートを彼は毎日のように書き込んでいた。

<在日は踏み潰されても気持ちの悪いヒゲだけ動いているゴキブリ>
<在日は虚言妄言の精神病。頑張っても糞食い人種は糞食い人種だ>
<不逞鮮人は日本から出ていけ><在日こそ人殺し。在日殺すぞ!>
<朝鮮民族を絶滅させよ!>

書き起こすだけで胸糞が悪くなる。しかもターゲットが在日コリアンの女性である場合には、さらに居丈高に、そして下劣なツイートを送り付けた。民族差別的な罵倒に、性差別が加わるのだ。容姿を貶め、ときに卑猥な言葉を交えて在日女性を罵った。おぞましい画像を送り付けられた在日女性も少なくない。しかも心無いネトウヨがそれを囃し立て、ヨーゲンを愛国者のごとく持ち上げるものだから、当人はますます図に乗るのだ。ヨーゲンは賞賛と扇動を燃料にネット上で"大暴れ"した。

ヨーゲンから受けた"被害"を警察に相談した人も少なくはない。だが、顔も名前も所在地もはっきりしないネット上の匿名アカウントに対し、警察は動こうとはしなかった。結局、被害者は泣き寝入りするしかなかったのである。

大阪府に住むフリーライターの李信恵さんもその一人だ。
李さんはこの8月、自らに向けられた在特会などのヘイトスピーチをめぐり、同会や保守系「まとめサイト」に対して損害賠償請求の訴訟を起こした。

実はそれに先立つ昨年初め、李さんはヨーゲンに対する刑事告訴を検討していた。
「ゴキブリ」「不逞朝鮮人」などと連日にわたってヨーゲンから読むに堪えないヘイトスピーチを送り付けられていた李さんは、地元の警察に"被害"を訴えたのである。しかし、警察の対応は冷淡だった。その頃はまだ、ヘイトスピーチがもたらす被害について、警察の認識が浅かったということもあろう。担当した警察官は李さんに同情しつつも、まるで単なる口げんかや口論で苦しんでいるかのように受け止め、これを事件として扱うことはなかった。

口論も議論も、対等な力関係のなかでおこなわれるのであれば問題ない。しかし、ヘイトスピーチは社会における力関係を利用して、マジョリティがマイノリティを一方的に傷つけるものである。こうした認識に欠ける警察には、往々にして深刻な被害の訴えが伝わらない。李さんもまた、法的救済を受ける機会もなく、その後もヨーゲンの下劣なヘイトを浴び続けることになった。

これに憤慨したのが、ネット上に存在する在日女性からなる小さなコミュニティだった。もともとはツイッターでK-POPやコスメなどの情報を交換していただけの、なんら政治色を持たない集まりである。

年齢も職業も異なる彼女たちは、それぞれ面識はなく、「在日女性」であることだけで緩やかにつながっていた。

しかしネット上にあふれるヘイトスピーチは、K-POPやコスメについて語るだけの彼女たちをも脅かしていた。ツイッターで韓国に触れると、脅迫じみたメッセージが寄せられる。韓国旅行の思い出を呟いただけで「日本に帰ってくるな」と見ず知らずの人間から罵倒される。そうした日常を、彼女たちもまた、ずっと耐えてきたのだ。そうするしかなかった。生きることを否定され、人間としての尊厳を否定されてもなお、彼女たちは屈辱に耐え続けた。

しかし、どんなに目をそむけても視界に飛び込んでくるヘイトスピーチ──なかでも李さんに向けられたヨーゲンの度重なる悪罵に対して、ついに彼女たちの忍耐も限界値を超えたのである。

「もともと私たちはツイートするたびに『(韓国に)帰れ』『ゴキブリ女』と差別的なメンションを受け続けてきました。しかしフォロワーだった同胞の男性たちでさえ、巻き込まれるのが嫌なのか、いつの間にか私たちのフォローをはずしていた。結局、味方なんていないのかと絶望的な気持ちにもなりました。ただ日常の些細な会話を交わしていただけの私たちも、ヘイトスピーチの前では一人ぼっちだったんです」とそのうちの一人は打ち明ける。

「だからこそ李さんに対する攻撃を他人事だと傍観できるわけがなかった。ライターとして発言を続ける李さんは、攻撃の対象となりやすい場所に立っていただけで集中砲火を受けていました。もし私と李さんが入れ替わったとしても同じ。ヨーゲンが発するヘイトは在日女性全体に向けられたものだと思いました。私たち在日女性全員への攻撃でもあるんです。だから、絶対に李さんを孤立させてはいけないと、皆で話しました」

もちろんヨーゲンだけがヘイトの使い手であったわけではない。しかし、彼は間違いなく差別を煽るネット右翼の象徴的な存在だった。実際、ヨーゲンには何千人ものフォロアーが付き(そのなかには保守派を自称する有名ジャーナリストや評論家もいた)、在日コリアンに向けられた醜悪なツイートは日々、拡散された。

彼女たちは公開の場であるツイッターから撤退。仲間内だけで情報交換できるLINEに足場を移して何度も議論を重ねた。

「ただ励ますだけでは意味がない。李さんとヨーゲンのツイッターのやり取りに割って入ったとしても、女性相手ではヘイトが勢いづくだけです。本質的にヨーゲンのヘイトを止めるにはどうしたらいいか、具体的な案を出し合いました。警察は動かないし、そもそも同胞の男性たちも見て見ぬふりをするばかりで頼りない。日ごろは『在日として戦え』などと威勢の良いことを言うわりには、李さんへのヘイトを放置させているのですから」

そこで行き着いた結論が「ヨーゲンを探し出すこと」だった。

「せめてネトウヨとして一番目立っているヨーゲンの所在をつかみ、ネットは決して匿名が担保されているわけではないのだと、ヘイトを繰り返しているヨーゲン、いや、ネトウヨ全体に突き付けたかった。何よりも、李さんに1人じゃないんだということを伝えたかった」

ネット上の痕跡から追い詰める

さて、ネット上のヘイトスピーチがやっかいなのは、匿名性が保たれているからである。悪質なヘイトの担い手たちが実名を明かしているケースは皆無に等しい。そればかりか年齢も住所も勤務先もわからない場合がほとんどだ。自分だけは物陰に隠れて他者を罵倒、攻撃する。実に卑怯極まりない。

ヨーゲンも例外ではなかった。
彼のツイッター上のプロフィール欄には、わずかに「北海道在住」とだけヒントらしきものが書き込まれているだけで、実際、それが事実どうかも確かめようがない。

実は私も彼の素性を暴くことができないかと、ツイートを丹念に読みこんだことがある。しかし、男性であること以外の属性はまるで把握できず、せいぜい「フェラーリを所有していた」「豪邸に住んでいる」といった真偽不明の断片的な情報しか得ることができなかった。

しかし、本気で「捜索」に当たる女性たちには特筆すべき才能があった。
誰もが皆、ネットの知識に長けていたことである。

ここで詳述するわけにはいかないが、彼女たちは持てる知識を総動員し、ヨーゲンに関するあらゆる情報をかき集めた。ツイッターはもちろんのこと、彼が書き込みをしたと思われる掲示板、保守系サイトなどを虱潰しにチェックし、その痕跡を追った。政治的な側面だけから調査したわけではない。趣味、嗜好、食生活に至るまで、いわばプロファイリングを重ねたのである。

例えば、ヨーゲンがネット上にアップした一枚の風景写真を発見すれば、そこに写り込んでいる樹木や建物、道路標識、商店の看板まで見逃さなかった。不鮮明な山の稜線まで拡大し、撮影場所の特定に務めた。また、彼がオーディオの愛好家だったことも把握し、マニアの集まるサイトを片端からチェック。その中に、ヨーゲンらしき人物が書き残した文章とIPアドレスがあった。ヨーゲンは数年前に、とあるネトウヨ観察ブログに管理人を罵倒するコメントを投稿したことがあり、その際にIPアドレスを迂闊にも残していた。この二つのIPアドレスが一致したのである。これは「捜索」するうえでの重要な端緒となった。

広大な砂浜で一粒の砂金を探し当てるかのごとく、気の遠くなるような作業だったという。

それぞれが育児の合間に、あるいは仕事を終えてから、ひたすらネット空間での捜索を続け、その日の「成果」をLINEの掲示板で報告しあう毎日が続いた。

そのうち徐々に、おおよその人物像と生活圏が浮かび上がった。そこへ疑わしき人物を次々と当てはめ、ふるいにかけ、最後に残ったのが福島県いわき市に住む一人の男性だった。捜索を開始してからすでに2か月を要していた。

もちろん、当該人物が本当にヨーゲンであるのかどうか、確定するには、まだ材料に乏しかった。その時点で判明していたのは男性の氏名と、「いわき市在住」ということ、そしてIT関係の仕事に従事している可能性が強いといったことである。多方面から得た情報で、この男性が「ネトウヨ的な思考」を抱えていることじたいは間違いなかったが、それだけで彼がヨーゲンであると決めつけるわけにはいかない。まだ"容疑者"の段階である。

結局、確定するためには詳細な住所を調べたうえで本人に問い質すしかない。しかし、仮に住所が判明し、直撃できたとしても、その人物がヨーゲンであることを否定すれば、それで終わりである。

そこで現地調査を依頼されたのが、私だった。彼女たちは知り合いのつてをたどって私とメールで連絡を取り、それまでの調査結果を報告すると同時に、ヨーゲンを探し出して欲しいと持ちかけたのである。

私としても望むところではあった。超有名ネトウヨであるヨーゲンは、ぜひとも取材してみたいひとりではあったのだ。

IPアドレスの開示請求など法的手続きを取らず、ただ自分たちの知恵と努力だけでヨーゲンに迫っている彼女たちの情熱に、私は激しく心を揺さぶられた。私も単なる傍観者でいたくなかった。

彼女たちから容疑者にまつわる資料がメールに添付されて送られてきたのは昨年秋のことだ。
氏名、年齢、ネット上の痕跡、ヨーゲンだと推察される理由が記された書面に加え、いわき市内の住宅地図もそこには添えられていた。地図上には容疑者と同じ苗字の家が、数十か所も蛍光ペンで塗りつぶされていた。

人物特定に必要なファクトとしては十分だ──と私は思った。



だが、調査は予想以上に難航した。
後にわかったことだが、この人物は友人関係も近所づきあいもほとんどなく、また、自宅から外に出ることもめったになかった。

そのせいで闇雲に聞き込みを重ねても、それらしき人物が浮かび上がってこない。たとえ彼の名前を知っている人がいたとしても、「ネトウヨのヘイトスピーカー」であることなど知っているわけがない。

おまけに、肝心の自宅がわからない。住宅地図を片手に同じ姓の家を訪ねてまわったが、ヨーゲンらしき人物を当てることができなかった。

いったい何度、東京といわきを往復したことだろうか。

そのうち、私も苛立ってきた。もしかしたら彼女たちが探し出した容疑者は、ヨーゲンとは別人物ではないかとも思うようになった。そもそも57歳という容疑者の年齢が、私が想像していたヨーゲンと重ならなかった。

福島・いわき市内の男を特定

ネット上のヨーゲンは、あまりに幼稚だった。知性や理性の欠片も見ることができず、あらんかぎりの罵倒語と卑猥な言葉を送り出すだけの人物である。社会経験をもたない20代前半、あるいは高校生くらいかもしれない、とまで私は考えていた。還暦を前にした大人が、まさか下劣な言葉の持ち主であるとは考えにくかったのだ。

事態が動いたのは昨年末のことだった。
いわき市内の飲み屋街で、バーやスナックを聞き込みしていた時だった。
たまたま知り合った酔客から興味深い話を耳にした。

「韓国人をやたら敵視する中年の男を見たことがあるんですよ」

彼によると、その男はあるスナックで、その場に居合わせた韓国人の女性客に向かって、「俺は韓国人が嫌いだ」「出ていけ」などと突っかかっていたという。しかも日頃から韓国や在日コリアンへの差別的な暴言が目立っていたらしく、客に迷惑がかかるといった理由で、いまはそのスナックを「出入り禁止」になっているというのだった。

さすがに肝心のスナック店主は「客の情報は漏らせない」と口が重たかったが、出入り客などからの聞き込みを重ねることで、その暴言男の名前が在日女性たちが割り出したものと一致した。年齢も50代後半、仕事はIT関連であることも判明。プロファイリングと合致する。さらに取材を進めると、その男の趣味や嗜好、性格、言動などが、彼女らが提供してくれたヨーゲン情報とすべて一致したのだ。

ヨーゲンであることは間違いない。そう確信した私は、この男の周辺に的を絞って関係者をまわった。取材するごとに、彼の人物像がさらに鮮明となった。

男は県内沿岸部で開業医の息子として生まれた。
地元の中学を卒業した後、彼は県内では名門として知られる高校に進学している。

「ちょっと風変わりなヤツでした」

そう振り返るのは同級生の一人だ。

「落ち着きがないというか、空気を読めないというか、突飛なことを口にしては周囲をシラケさせるようなところがありましたね。とはいえ問題児であったわけではありません。彼を苦手とする人が多かった、という程度です。音楽が好きで、ドラムをやっていたと記憶しています」

卒業後は周囲に「ミュージシャンになる」と言って、一度、地元を離れたという。ほとんどの同級生が大学へ進学するなかにあって、男の選んだ進路は学校でも珍しいものであった。

しかし、音楽の道で成功した形跡はない。
数年後、男は県内に戻り、地元私大の歯学部に入学した。

「おそらくは音楽では食えないことを悟り、開業医だった親の勧めで同じような道を選ぶことにしたのでしょう」(前出、同級生)

だが、それもうまくいかなかった。
もともと医師になることに積極的でなかったこともあり、男は大学を中退する。

その後、しばらくして男が始めたのは、インターネットビジネスだった。ネットが大衆化されたばかりの頃である。おそらく早い時期からコンピューターへの興味と関心を深めていたのだろう。

1996年、電気事業通信業者の認可を得て、いわき市内でプロバイダー業を開業した。地元の商店街などを回り、月額2千円でネット加入できるサービスを売り込んだ。

同年3月には地元の経済誌『財界ふくしま』で、男の事業が取り上げられたこともあった。「ネットで開く、世界への道」と題された記事において、同誌記者の問いに対し男は次のように述べている。

「難しがられていますけれど、インターネットは車の免許を取るより簡単ですよ」

「妥協なしで、安くて良いものを提供していく」

「ビジネスマンの名刺に電子メールのアドレスが書いてあるのは、もう珍しいことじゃないですよね。いまは講師に呼ばれることも多くて、インターネットの啓蒙活動しているようなもんです」

新しい情報ツールを売り込まんとする、男の並々ならぬ意欲は感じることができる。このビジネスの舞台が大都市であれば、そして彼にもう少しの才覚と資金があれば、ネット草創期という"時代の利"を生かして、あるいは彼もネット長者の道を歩んでいたかもしれない。

この時代、東北の小さな衛星都市では、彼の意気込みも「啓蒙活動」も、空回りせざるを得なかった。

「結局、うまくいかなかったんです」と話すのは、その頃の男を知る知人の一人だ。

「彼はよく嘆いていましたよ。『この街では誰もインターネットの可能性を理解していない。本当に遅れている』と」

ネット加入を勧めても、地元商店主たちはまだ、そこにどんなメリットがが生じるのか、どんな利益につながるのか、まるでわからなかった。どれだけ将来性を説いたところで、男は「啓蒙」することができなかったのである。

「市内の雑居ビルに事務所を構えていましたが、そこも家賃の滞納で追い出されてしまう始末でした。金には困っていたようですね」

他人の駐車スペースに無断で車を停めるなどして、近隣とのトラブルも絶えなかったという。

おそらくは事業の失敗が、彼の方向を誤らせたのであろう。ほどなくして男はプロダクトキーの違法販売に手を染めることになった。

昨年末にそのことを知った私は、客を装って、男がネット上に開設したプロダクトキーの販売サイトに電話したことがある。

ネットに詳しくない私は、彼の商品説明がさっぱり理解できない。何度も繰り返してシステムの概要を求める私に、男は「そんなこともわからないのか」と半分キレかかっていた。客の問い合わせに対してぞんざいな口調で応じる彼には、客商売は難しいだろうなあと思うしかなかった。

さて、男の"人となり"は理解できた。だが転居を何度か繰り返しているので、肝心の住所がわからない。昔からの知人はほとんどが男とは没交渉で、私が取材した人物の中に現住所を知る者はいなかった(あるいは知っていたとしても教えたくはなかったのだろう)。

決め手となった1枚の写真

今年1月5日。この日も私はいわき市内で聞き込みを続けていた。
だが、歩いても歩いても、彼の所在はわからない。人物像だけで住所を「当てる」ことは難しい。しかもその段階において男が犯罪者であるという確信を持っていたわけでもないので、通常の事件取材とは違い、聞き込みするにあたっても最低限のプライバシー配慮をせざるを得ない。捜索は困難を極めた。

途方に暮れていた時、一通のメールが私のスマホに届いた。ヨーゲン情報を集めていた、例の在日女性たちである。

メールには一枚の写真が添付されていた。ヨーゲンが不用意にネットへアップした自室の写真である。外の風景や家屋の外観が映っているわけでもない、ただの室内写真だ。こんな写真で何かわかるというのだろう。

呆れる私に対し、彼女はメールで次のように記してきた。

「窓枠に特徴があります。このタイプの窓枠は集合住宅に多く使われるものです。よって、ヨーゲンはアパートやマンションに住んでいる可能性が強いと思われます。この窓枠の形に注目して探してみてください」

目の付け所が、さすがに女性らしい。注意深く、そして繊細な視点だ。
私は窓枠の形に最大の注意を払い、市内の集合住宅を訪ねまわった。

数時間も歩き回った後、私は一軒の二階建てアパートの前で棒立ちになった。窓枠の形が、まさにメールに添付されていた写真のものと一緒だったのだ。

アパートの部屋をひとつひとつ確認してみる。ほどんどの部屋に表札はかかっていない。集合ポストにもネームプレートはなかった。だが、ある部屋の前で、私は再び足が止まった。

「NHKの集金、お断り」

そう記されたステッカーが貼られていたからである。

ヨーゲンは日ごろから、メディアに対する敵意を露骨にネットに書き込んでいた。なかでもNHKと朝日新聞は「左翼の牙城」だとして、常に攻撃の対象となっていた。

そこがヨーゲンの自宅であると100%の自信があったわけではない。だが、なぜか背中の筋肉が強張った。事件取材などで、重要な証言者にめぐりあったときの感覚と似ている。

私はとりあえずその場を離れ、近所の酒店で少しばかり高価な日本酒を購入した。私の目的は彼を恫喝するためでも、脅すためでもない。なぜにヘイトスピーチを繰り返すのか、それを聞いてみたかった。そしてできるならば、在日女性に対する攻撃をやめてもらえるよう頼むことにあった。だからせめて酒でも一緒に飲みながら話すことはできないかと思ったのだ。

酒を手にした私はアパートに戻り、ドアのインタホンを押した。
「はい」と応答したのは女性の声だった。彼の妻であろう。

私は「御主人はいらっしゃいますか」とだけ告げた。

「お待ちください」と返答があってからしばらくした後、男性の声が響いた。

「どなたですか?」

少し前にプロダクトキーの販売サイトに電話した際、応じた男の声と同じだった。

さて、どうしたものか。ここでヨーゲンであるかと訊ねたところで、否定されてしまえば終わりだ。私は「安田です」とだけ名乗って反応を待った。

少しの間、インタホンからは何の応答もなかった。いったいどこの安田なのかと考えているのか、あるいはスコープ越しに私の姿を確認しているのか。

もしも「どこの安田なのか」と問われた場合には、私は正直に答えるつもりでいた。
しかし、インタホンからは意外な反応が返ってきた。

「帰れ! なんで来たんだよ! 帰れ!」

怒声が響いた。彼は私を確認することもせず、突然に激昂したのである。
当たりだ。完全にヨーゲンだ。

面前では何も言えない男

しかしヨーゲンは私が来意を告げようとしてもそれを無視し、ひたすら「帰れ!」と怒鳴るだけだった。とりつくしまがないとはこのことだ。ヨーゲンは散々に怒鳴り散らした後、インタホンを切った。再び話しかけても何の応答もない。

しかたなく私は一度その場を離れ、近くの喫茶店に入った。私はヨーゲンのツイッターアカウントに向けてDMを送信した。

突然に訪問した非礼を詫び、あらためて取材を申し込んだのだ。
すると、これまた意外な返信が届いた。

「30分後に来てくれ」

あれだけ激昂しながら、今度は自宅まで来いというのだ。気が変わったのか、それとも何かの罠か、いずれにせよ会ってくれるというのだから、私にとっては悪い話ではない。

私は30分後に再訪した。
喫茶店から大通りを突っ切り、踏切を超えて細い路地を歩く。ヨーゲンの住むアパートが見えてきた。ここで、風景が少し前と違っていることに気が付く。

私の視界に飛び込んできたのは、アパート横の空き地に停められたパトカーだった。

状況は飲み込むことができた。ヨーゲンは警察に通報したのであろう。とはいえ、記者稼業をしていればこうしたことは珍しいものではない。ましてや週刊誌屋にとっては日常茶飯事だ。

私はその後の展開を予測しながらも、再びインタホンを押した。
ドアが開き、姿を見せたのは案の定、制服姿の警察官だった。
その際、玄関に立っているジャージ姿の男が見えた。初めて目にするヨーゲンである。

室内だというのに、なぜかヨーゲンはサングラスで顔を隠していた。私に顔を見られたくなかったに違いない。それにしても自室でサングラスとは、なんとも奇異な姿であった。
私はヨーゲンに話しかけようとしたが、警察官はそれを制し、私を室外に押し出した。

警察官によると「安田という男が脅しに来た」という通報があったという。
私は身分を明かし、目的は取材であることを説明した。警察官は「そうだったんですか」と驚いた表情を顔に浮かべ、「じゃあ、私どもがもう一度、彼に取材を受けるかどうか聞いてみます」とまで言ってくれるではないか。親切な警察官だった。

私は警察官と一緒に三度目のインタホンを押した。警察官が私に代わって「取材で来たようですよ」と説明してくれる。私も脅迫目的ではないと横から訴えた。しかしヨーゲンは「帰れ」「個人情報保護法違反だ」などと喚き散らすだけだった。結局、再びドアが開くことはなかった。

「無理みたいですね」と警察官も苦笑しながら、引き揚げたらどうかと促す。

仕方がない。相手が嫌だと言ってるのに敷地内に留まれば不退去罪だ。

私は後ろ髪をひかれる思いでアパートを後にし、その日のうちにいわきを離れた。

さて、その後──
間を置かずして彼の反撃が始まった。

「安田が襲撃に来た」「朝鮮人を引き連れて自宅まで襲いに来た」などと、妄想まみれの言葉をツイッターで書き連ねたのである。

私に電話してきたこともある。一方的に罵声を飛ばしたかと思えば、一転して、あなたも悪い人じゃない、などと口にすることもあった。

要するに彼は身元がバレたことで混乱していた。初めての経験に戸惑っていた。
私がときたま記事を発表している講談社の「g2」編集部に電話をし、担当編集者ばかりか社長を出せと詰め寄ったこともあった。

あるときには「私がネットで違法なビジネスをしているという噂が出ている。安田も取材しているようだが、そんな事実はまったくない。だから記事にするならば、私のビジネスについては一切触れないという誓約書を出せ」と編集者に迫ったこともあった。私はそのときにあらためて、彼が自らの商売に後ろめたさを感じていることを悟った。

いずれにせよ、ヨーゲンのこうした反応は予測できたことでもある。むしろ、それでよかった。少なくとも彼が私への敵意を募らせている間に関しては、在日に対するヘイトスピーチは抑制されていたからだ。いや、彼にとってはそれどころじゃなかったのかもしれないが。

一方、今回の件(ヨーゲン取材のあらまし)を私がツイッターに書き込むと、私に対する批判、非難も相次いだ。

「自宅を急襲した」「脅した」といったヨーゲンの書き込みを信じた者たちが、一斉に声をあげたのである。

「安田を許すな」「ひどいことをする」

そうした書き込みがネット上に氾濫した。

また、「匿名空間を破壊した」「個人情報を安田が暴露した」といった批判も少なくなかった。

ちなみに私はヨーゲンの本名も、正確な所在地もネットに書き込んだことはない。また、ヨーゲンの「被害者」を名乗る人々から彼の個人情報がほしいと何度も迫られたが、すべて丁重にお断りをしてきた。「仇討ち」の心情は当然理解できるが、それを煽ることが私の仕事ではないからだ。

とはいえ私が匿名であることを隠れ蓑としてヘイトスピーチに明け暮れる者を、現実社会に引きずり出したことは事実だ。しばらくの間、「安田許すまじ」の声はネット空間を飛び交った。

なかでも必死に安田批判の書き込みを重ねていたのは、ヨーゲンの取り巻きたちだった。

不毛だった「ニコ生対決」

「命を賭けてヨーゲンを守る」とまで豪語する女性は、イタリアのマフィアに私の殺害を依頼したかのようなツイートを書き込んだり、あるときは「オウム真理教の幹部が刺殺された事件を思い出せ」といった内容のメッセージを発することもあった。

余談ではあるが、私の殺害を示唆し、在日コリアンへの誹謗中傷を繰り返していたこの女性に関しても、所在を確認した上で私は自宅に直接足を運んでいる。

千葉県内に住む50代の女性だった。ひなびた漁師町で、彼女は夫と、年老いた父親との3人で暮らしていた。ネット上の彼女はときおり、都心での優雅で華やかな日常を記していたが、暮らしぶりからはそうした気配を見ることはできなかった。

玄関先で来意を告げると、彼女は私の顔を見るや否や「なんで、ここにいるのよ!」と素っ頓狂な声を発し、雨戸をぴしゃりと閉めた。そして室内から「警察に通報します!」と叫んだのち、二度と顔を見せなかった。このあたりの対応はヨーゲンと同じである。

その後、彼女はツイッターのアカウントに鍵をかけ、自らのツイートは公開していない。



話をヨーゲンに戻そう。彼もまた、周囲に煽られるように奇行に走った。

「安田対策」と称し、ネット通販で手錠や警棒型スタンガン、ボーガン、催眠ガススプレー、手錠などを購入し、その写真をネット上にアップするなど"武装"を整えたのである。

彼は次のような書き込みをしている。

「催眠ガススプレーはほんとうにゴキブリのように警察が来るまで地面でのたうちまわり動けなくなるらしいです。そのあとスタンガンで狙い撃ち、手錠、もし逃げたらボウガンを発射」

「平常心でできると思うな。やっぱ武器はいいわ」

いくら突然に取材をかけられたとはいえ、ここまでくると、まさに「平常」ではない。私も呆れるしかなかった。

それでも私はその後も幾度か取材を申し込んだが、ヨーゲンはそれを拒むばかりか、私への誹謗中傷をエスカレートさせていた。

そのうち、私がまったく関知していない別のグループが、そのころネット情報だけでヨーゲンの所在をつかみつつあった。それがツイッターなどで明らかになると、おそらくはヨーゲン周辺の人物がさらに新たな情報をネットに書き込むなどして、私の思惑を超えた形でヨーゲンも追い詰められていた。

それがネットの伝播力でもあり、また、怖いところでもあった。

こうした状況のなかで事態は思わぬ方向に動いていく。
追い詰められていたヨーゲンが突然、突飛な提案を私に振ってきたのである。

「スカイプで対決しよう。その模様をニコ生(ニコニコ生放送)で実況中継したい」

直接に私と向き合うのは嫌だが、スカイプであれば議論してもよいというのだ。しかも、実況中に顔出しするのは私だけで、ヨーゲン自身は声だけの出演にしたいなどと、なんとも身勝手な提案だった。

私は即座に断わった。そんなの取材じゃない。そもそもネット音痴の私はスカイプなど利用したことがないし設定の仕方もわからない。それに悪意あるコメントが流れるニコ生も好きじゃない。

だが、ヨーゲンは諦めなかった。提案を放置している私に対し、「安田は逃げている」「安田は臆病」などとツイッターに書き込んで挑発した。

結論から言えば、私は挑発に乗ってしまったことになる。「逃げている」と言われ続けることに我慢ならなかったのだ。そのあたり、私も「スルー力」が足りない。

ネットに疎い私は、すぐに知人に頼んでスカイプの設定をしてもらった。生まれて初めてニコ生のアカウントも取得した。私にとっては極めて難作業であった。

さらにヨーゲンは「双方に中立な司会者」を用意するよう注文をつけてきた。自分から提案をしておきながら、ニコ生のアカウント取得から司会者の選定まですべて私任せである。しかも司会者はヨーゲンが納得する人物でなければ許可しない、というメチャクチャな要求であった。

幸いなことに、私とヨーゲンのやりとりを見ていた人物から、司会役を引き受けたいとの申し出があった。その人物が保守的な思考の持ち主であることから、ヨーゲンも二つ返事でそれを受け入れた。

かくして1月19日の夜10時、「朝鮮人の手先である安田と愛国者ヨーゲンの対決」(ネットに書き込まれた文言 前編/後編)が相成ったのである。

このときの様子はいまでも動画サイトに残っているので、興味ある方はご覧いただきたい。

自分で記すのもなんだが、おそろしくレベルの低い「対決」であったことは間違いない。到底、議論と呼べるものではなかった。

しかたなく「ニコ生対決」に付き合った私は、どこか投げやりで、しかもぞんざいな態度でまくしたてるばかりであった。一方ヨーゲンはロジックも話芸もなく、自分から仕掛けたわりには、思春期の子供のように稚拙な罵倒を繰り返すばかりである。

復活してしまったヨーゲン

「今後、朝鮮人がウチを襲いに来たらどうするんだ」と私の取材を非難し、「朝鮮人の反日思想こそが問題」だと自らの正当性を訴える。私が少しでも反論しようものなら、「やめてくれ」とわめくだけだった。

やたら「朝鮮人」を連呼し、自身のヘイトスピーチは「反日に対する抵抗」なのだと主張するヨーゲンは、まさにネットの文言そのままの一本調子で何のひねりもない。

いま、あのときを振り返りながら、こうして書き起こしているだけで気恥ずかしくなる。いや、なんともバカバカしい。やはり、こんなのは取材じゃない。オーディエンスを意識している以上、私も好きなことが言えない。ヨーゲンの本名すら口にすることができないのだ。私はつくづく映像向きの記者ではないと実感した。

ただし唯一興味深く感じたのは、彼が在日コリアンを嫌悪することになったきっかけとして「生活保護問題」を挙げたことにある。

ヨーゲンは興奮した口調で次のように述べた。

「朝鮮人が生活保護を受給できていることが許せない。日本では生活保護が受給できないことを理由に、年間1万人もの人が自殺している。それは朝鮮人などが不当に生活保護を奪い取っているからだ。つまり60年間で60万の日本人が朝鮮人のせいで死んでいる。いま日本に住んでいる朝鮮人と同じ数の人間が、これまで命を奪われてきたことになる」

日頃から在特会などが主張していることでもある。実にメチャクチャなロジックではあるが、彼の憎悪が、そうした「奪われた感」に基づいたものであろうことは、ぼんやりと理解できた。結局、ネット上の真偽定まらぬ怪しげな言説に飛びつき、どうにか自我を保っているのだろう。

この「ニコ生対決」を終えてからも、ヨーゲンは懲りなかった。相変わらずネットで暴言、珍説をまき散らしていた。しかし"ニコ生効果"で必要以上に有名になりすぎたせいか、おかげでツイッターを運営する米ツイッター社にも「問題発言の多いユーザー」として認知されてしまったようだ。おそらく差別発言に対する同社への"通報"が相次いだのだろう。3月を過ぎたころには何度か「アカウント凍結処分」を受けている。

「ネトウヨ界の大物」を自称していたヨーゲンも、いつしか過去の人になりつつあった。
そしてある日突然、彼はツイッター上から消えてしまう。
彼の最後のツイートは6月17日である。
実はその日に彼は商標法違反で栃木県警に逮捕されたのであった。



裁判の過程においてヨーゲンは、多額の借金を抱えていることでプロダクトキーの販売を思いついたこと、それが犯罪だという認識が薄かったことなどを陳述した。

また、妻に対するDV(ドメスティック・バイオレンス)など、家庭内における様々な問題も露見することとなった。

朝鮮人を皆殺しにするとネットで吼えまくり、愛国者だとおだてられ、「大物ネトウヨ」を自称していた男も、法廷では虚勢を張ることもできず、叱責を受ける子どものようにうなだれているだけだった。

「もうネットに関連した商売はやらない。二種免許を取得して運転代行の仕事を始めたい」

憔悴しきった声でヨーゲンは更生を誓った。
哀れさをさらに誘ったのは、それまでヨーゲンを持ち上げ、同志だと豪語していた者たちが一人も法廷に姿を現さなかったことである。

冷たいものだ。「ネトウヨの連帯」など、その程度のものである。
ネットで踊り続けたヨーゲンに肩を差し出す者は誰もいなかったのだ。
そして10月15日、宇都宮地裁栃木支部の判決公判──。
同支部による判決は「懲役2年執行猶予4年、罰金100万円」というものだった。
今回が初犯であり、さらに更生を誓ったことが考慮され、執行猶予付きの判決となった。

その日、ヨーゲンは4か月ぶりの帰宅が許された。

量刑は妥当なところであろう。それでもなにか釈然としないものが残るのは、結局、彼のヘイトスピーチは何ら裁かれることはなく、しかも釈放された翌日から彼はツイッターを再開し、早くも私に対する罵倒を始めたためである。

まあ、私への罵倒程度ならばかまわない。しかし、彼の攻撃を受けた人々の傷は残ったままだ。なんら被害救済されることなく、ヨーゲンの復活に暗澹たる気持ちでいるに違いない。

取材の過程で、ヨーゲンを逮捕した栃木県警関係者から、私はこんな言葉を耳にした。

「容疑はすぐに認めたが、取り調べの最中にも極端に偏向した言説を口にするなどして担当者を困らせたらしい」

その様子が目に浮かぶ。取調室でも、ヨーゲンはヘイトスピーカーであり続けたのであろう。

ヨーゲンは確かに追い込まれた。今後、特定の人物に向けたヘイトスピーチが再開されれば、所在も本名も明らかとなったヨーゲンは即座に被告席に戻されることになろう。

だが、彼はおそらく変わっていない。ネットの自家中毒から覚めてはいない。
そしていまも、ネット上には無数のヨーゲンがいる。憎悪と差別と偏見を拡散する差別主義者が跳梁跋扈している。

そうした現実とどう向き合っていけばよいのか。このままでよいのか。ヘイトスピーチは裁かれないままであってよいのか。

差別を野放しにしている社会を変えるために何ができるか、私はいま、それを考えている。

<了>」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41046
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41047

宗教、戦争、そして残虐行為/ハフポトより

2014-11-03 19:48:28 | 社会
「現在、「イスラム国」によってイラクやシリアで行われている残虐行為は、改めて宗教と組織だった暴力行為との関連性についての疑問を呼び起こしている。また、イスラム教が暴力行為と特に親和性があるのかという疑問も投げかけている。イスラム国の過激派が、彼らの仲間であるアルカイダのように、自らを厳格なイスラム原理主義者のサラフィスト(サラフと呼ばれる初期イスラムの時代を理想とするサラフィー主義の一派)と名乗ったときから、彼らの目的はイスラム教社会の純潔を回復することにあり、偽りの信者や異教徒と手を結ぶ不信心者を破壊することにあると言われている。その結果、イスラム教が暴力行為と関連性がある、あるいは暴力行為を推進しているといった主張が展開されるようになっている。

特に、イスラム国について報道されている内容を踏まえると、後者の疑問は重要な疑問であると言える。しかしながら、その疑問自体が極めて表層的な考え方に基づいていると言える。なぜなら、思い起こせば、どのような宗教も信仰の名のもと、残虐行為を行ってきた歴史があったからだ。例えば、第1回十字軍のとき、1098年の厳しい冬の時期にシリア北西部の都市マアッラで行われた攻防戦で飢えた兵士が人肉食を行った。1099年の夏には、エルサレム奪還のためにユダヤ人やイスラム教信者を虐殺した。また、キリスト教のカタリ派がローマ・カトリック教会から異端のらく印を押され大量虐殺された例など枚挙にいとまがない。また、古代ユダヤ人が、神であるヤハウェの指示のもと、エリコの街中のすべての老若男女(と獣)を殺した行為も、彼らが選ばれた民であることを確信させるために行われた(旧約聖書、申命記6:21)。

伝統的なユダヤ教の普遍的な人道主義が出現するのはもっと後のことで、パリサイ派がイエス・キリストを十字架刑に処した時代には存在しなかった。しかし、イエス・キリストもまた、パリサイ派の中でかなりの急進派でもあった──結局、彼もすべては神によって救済されるというメッセージを他のユダヤ人に伝えた一人のユダヤ人に過ぎなかった。また、仏教でさえ、時には血塗られた剣を握る行為を容認しており、ミャンマーやスリランカにおける証言者が存在している。18世紀のアユタヤ王朝建国はビルマ人仏教徒によるタイへの侵略の結果である。ヒンズー教も同様で、1947年のインド・パキスタンの分離独立、2002年のグジャラート州の暴動は記憶に新しい。また、自死によるテロという手法が近年起こったきっかけもヒンズー教徒からなる「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE。当初スリランカからの分離独立を目的に設立されたヒンズー教を標榜する組織)であった。実際には何百人ものテロリストが自爆攻撃を行い、1991年にはインド首相ラジブ・ガンディーがLTTEの女性による自爆テロで死亡した。ラジブ・ガンディーが狙われた理由は、仏教徒であるスリランカ政府がヒンズー教であるタミル地方の反乱を鎮圧しようとしたことを、インド政府が支持して介入したためであった。

どの宗教がより暴力的で、どの宗教がそうではないかということを論ずるのは非常に興味がそそられる。しかし、実際にどの宗教がより暴力的かと論じる行為は、より大きく、また重要な質問をないがしろにしてしまう。その重要な質問とは、宗教や主義主張の異なる者を虐げるように人々を動機付けることができるのは、宗教やその宗教に対する信仰心なのか、または、あるいは独善的なイデオロギーなのか、いったいどちらなのかというものである。しかしながら、宗教とは、そもそも世俗的で極端なイデオロギーの1つの例である。また、20世紀には世界全体に壊滅的な影響を及ぼした(実際には非宗教的な)ナチズムと共産主義(レーニンと毛沢東によるものとでは種類はやや違うが)が存在した。ナショナリズムというのも暴力的な考えを組むイデオロギーとなっている。ナショナリズムは基本的に「自分」と「他人」との区別を設けることを強調している。「自分/他人」、「良い/悪い」という二元性を包括する考え方は興奮状態を生じさせやすく、人道主義という概念にとって致命傷となる。

これらの非宗教的な運動には明確な特徴がある。

・信奉者、集団主義者の共同体への情熱的な忠誠心を呼び起こす。

・個人を集団行動に組み込み、個人の行動を支配したり、忠誠心を試したりする。

・超自然現象を求めずに宗教的な感情を喚起させる。

・他人への敵意をあおる。

ファシズムは宗教的かつ文化的な境界をも超えた政治的なイデオロギーであった。イラクとシリアのバース党はこのタイプである──全く世俗的でもあり、明らかに非宗教的だった。サダム・フセインのいかなる行いもイスラム教の名のもとには行われてはいなかった。すなわち、フセインとオサマ・ビンラディンはお互いに嫌悪していた(それはディック・チェイニー元アメリカ副大統領の利己的な妄想とは関係なく)。サダム・フセインの思想はナショナリズムとファシズムと宗教の混合物であった。スペインのフランコ将軍によるファランヘ党の台頭も同様である。第二次世界大戦では実に様々な残虐行為を人々は目にすることになった。ハンガリー、ルーマニア、クロアチア、スロバキアなどでもファシズムによる同様の残虐行為が行われた。これらの国々のうち、ルーマニアの場合はキリスト教正教徒によるものだったが、残りの国々は過激なカトリックだった。スロバキア大統領でもあったヨゼフ・ティソはカトリック神父であり、ユダヤ人の死の収容所送りを教皇に強く訴えた。レバノンのファランジスト党(ファランヘ党)もキリスト教、ナチズム、ファシズムに大きく影響を受け、レバノンの独立を目指した。

過激なナショナリストのアイデンティティーは、神聖な本質を帯びるようになる一方、それぞれの民族の「神」への様々な信仰の範囲で、「悪」である他人を特定するものであった。神聖化された宗教も世俗的なイデオロギーも(ナチズムとファシズムを除いて)もう1つ注目に値する特徴を持っている。両者とも信奉者へ輝かしい未来への約束を提示していることだ。一般的に、宗教というもの全般では輝かしい未来への約束は人類すべてに約束されている。また、共産主義も同様であった。宗教は「祝福された来世」を約束し、世俗的なイデオロギーは「地上での楽園」を約束している。さらに、多くの宗教が「慈悲の心」、「平和」、「良い行い」は、たとえ完全な報いが来世にやって来るとしても、この世の苦しみを軽減することができると伝導している。この考えは倫理基準、例えば、誠実な信仰心と信念を含んでいる。こうした基準は組織的な暴力行為はもとより、個人の暴力について著しく道義に反すると禁じている。

(しかしながら)暴力放棄の厳しい道徳基準が信仰者同士のコミュニティーでは適応される一方、非信仰者に対しては適応されないという対比が生じ、それは満足のいく形で解決されない矛盾を生み出してしまった。例えば、キリスト教徒にとってイエスの教えはいかなる戦争と暴力も非難しているように見受けられる。しかし、歴史はそのようなイエスの教え通りにいかなかった。歴史を振り返ってみると、(戦争や暴力行為に加担しなければならないという)政治的圧力が、絶対的な(戦争や暴力行為に参加すべきではないという)個人の倫理観に優先されてきた。「シーザーのものはシーザーに」というイエスの言葉は税金の支払い義務を説いている以上に、神に対する務めと世俗の支配者に対する務めをともに行うべきであることを意味する。また、聖職者の階級制を導入し、(厳格な規律の)教会を作り、キリスト教がローマ帝国によって容認されたことで、世俗社会と神聖社会とがお互いに分離できないくらい相互依存することになった。また、神学の面においてはキリスト教が旧約聖書を受け入れたということは、唯一の神であるヤハウェの精神と平和主義者であるイエスの信仰との融合を意味することにもなった。

支配と抑圧を行う精神は、新約聖書の「ヨハネの黙示録」として5世紀初めに持ち込まれたものである。パトモス島のヨハネによって書かれ、ヘブライの預言書を非常に啓示的なものにした。これに沿って、アメリカの福音派で上院議員のテッド・クルーズはイスラエルによるパレスチナ攻撃を肯定的に捉えている。彼は「プロテクティブ・エッジ作戦(ガザ侵攻の作戦名)」を「ハルマゲドン(世界の終末)」のきっかけとして解釈している。この「ハルマゲドン」とは、古代ユダヤによって預言されている通り、直にキリストの復活に向けた最後の審判が起こり、その次にキリスト教信者の永遠の救済をもたらし、さらに反抗したユダヤの人々やキリストを拒絶した人々を破滅させるだろうとみなされている。(ヨハネはイエスこそが長く待たれたヘブライ人にとっての「メサイア(救世主)」であり、抑圧者であるローマや全ての邪悪なものを滅ぼすと論じた。最後の審判の日に、その試練を乗り越えた者は王座に「神の子」のとなりに座ることができ、祝福されるとする。)(新約聖書:3.14-22)

イスラム教典はこのような経典の民の流れを受け継いだ矛盾や、コーランやハディス(イスラム教に則った生活様式)自体が持つ矛盾もはらんでいる。従って、暴力や信者の取り扱い、また同時に、信仰しない者の取り扱い──良性のものから有害と思われるものまで、広範囲にわたって、多種多様な行動の正当性をその中に見出すことができるのである。

***

一方で、現代に目を転じてみよう。例えば20世紀の歴史を振り返ってみると、宗教以外のイデオロギーが発端となって大勢の人々が殺されてしまった。この宗教以外のイデオロギーの違いが原因で殺された人々の数は、過去何世紀もの間に宗教観の違いで殺された人々の数と比べると、比較にならないほど多い。そして、現代社会の暴力行為や殺人に対する宗教がもたらしている影響は極めて限定的であるといえる。では、多くの人々が抱いている誤解、つまり私たちは狂信的な宗教による暴力の時代を生きているという考え、は何が原因で生まれてきたのか。私は次の2つの要因があると考える。1つ目が、自らの主義主張を押し通すために、テロ行為を行うイスラム社会での急進的な原理主義者の台頭である。2つ目が、その動きと極めて対照的に、宗教的な要因が発端となって(少なくとも西側諸国同士では)武力衝突をするような状況が西洋社会の民主主義国家(こうした国家の多くが非宗教的であるということとも相まって)から消滅してしまったことである。つまり、西洋社会の民主主義国家の多くが非宗教的であるが故に、宗教の影響を多分に受けやすい社会や国々、特にイスラム教世界、を非難しがちであり、そうした社会や国々を理解する上で大切な宗教を理解するのが極めて難しくなってしまったという状況である。言い換えると、サラフィスト、自分達の祖先、そしてアメリカの極端な福音派も西洋社会の民主主義国家に住む人々にとっては同じように理解し難いのであり、理解しようともしないのである。

(なぜ西洋社会の民主主義国家の人々にとってそれが難しくなったのかというと)第二次世界大戦後の西ヨーロッパ諸国は宗教的、国家主義的、政治的なすべてのイデオロギーを排除してきたため、その結果、政治への関心も薄い社会へと変容していったからである。つまり、ヨーロッパが歩んできた歴史に対抗して18世紀後半にアメリカが建国されたのであれば、西ヨーロッパ諸国は20世紀半ばに自らの歴史から解き放たれることに成功した。言い換えるならば、20世紀前半に起こった二度の大戦を経て、欧州の人たちの思考様式や行動様式は根本から変わってしまったのである。

そして、自由解放とは感情的、哲学的、知的な側面においてそれまでの政治活動の重要な要素から距離を置くということを意味した。国際政治では、(いわゆる軍事力や国力)を競い合うような権力政治が過去の物となり、また、国内政治では、イデオロギー基づく政党間の競争が無くなった。つまり、今日見られるヨーロッパ社会(特に西ヨーロッパ)はそういった過去を乗り越えて変化した結果、今の状態にあるということである。結果、ナショナリストの情熱や、イデオロギーが持つインスピレーション、「我々」と「彼ら」といった境界性を引きたくなるような衝動や欲求、そのような物が全てなくなってしまった。

こうした社会の人々は、平和的で、物質至上主義的な生活様式が好ましいものであると考えている。結果、(バルカン半島にあるような)情熱的なナショナリズムや、宗教とどのように渡り合うかという点に極めて苦労している。この点を理解するに当たって、ヨーロッパとアメリカとを比較対照することは極めて有効である。なぜなら、アメリカも西ヨーロッパ諸国と似た側面も存在するが、しかし、いくつかの点で大きな違いが存在するからである。具体的には、一般的にアメリカ人は西ヨーロッパの人々と比べて、より宗教的であり、ある意味ではクリスチャン・サラフィストとも言うべき原理主義的な信仰心を持った人々も存在する。また、西ヨーロッパの人々と比べてより公然とナショナリスティックであり、国内に絞った話か外国との戦争かという点は置いておいて、暴力行為に対してより理解がある。しかしながら、こうしたアメリカ人の特徴は互いに関係はあるものの、因果関係が存在するという訳ではない。

つまり、宗教やナショナリズムよりも、戦略地政学的な現実や歴史が軍事介入・軍事行動にアメリカが比較的積極的であることの背景である側面が多分に強い。また、軍事行動の結果生じるアメリカ人や外国人の戦死者数に対して寛容である点については、1813年以外に他の国からアメリカ本土を攻撃されたことがないという事実や、軍事介入の結果多くのケースにおいてアメリカの勝利に終わっているという事実や、アメリカは人類発展の為の先導者・指導者でありその為に自己犠牲も厭うべきではないという使命感の存在が要因として考えられる。

このユニークな国民性はアメリカの外交政策において、理想主義と現実主義という2つの対立軸を持つ考え方を生み出した。そして、この2つの考え方は「対テロ戦争」において、極めて多面的な介入を海外で行うことに当たって必要となる国内世論の支持を維持することに大きく貢献した。具体的には、アメリカは同時に世界の警察官や立法府や司法部門としての役割を果たしてきた。一方で、その過程で、多くの人々を結果として殺しているし、それらのほとんどが罪のない人々であったことも事実である。また、緻密な拷問プログラムの存在が証拠であるように、意図的に残虐行為を犯した過去もある。しかし、こうした負の側面はアメリカ人の深層心理に影響を与えていないように思え、道徳的優越感、アメリカの行動は正しいという信念といった自己認識は依然として根強く残っている。

この現象はイデオロギー的な側面からは説明しきれるものではない。特定の宗教への信仰も先述した行動を説明できるものではない。もちろん、ナショナリズムも多少は影響を及ぼしているかもしれないが、アメリカの西部開拓時代における領土の拡大を正当化する思想として有効であったアメリカのマニフェスト・デスティニー的な考え方は、もはや有効な精神的な支柱とはなり得ない。しかし、こういったアメリカの歴史的な経緯によって、他国が行うとその道義性を非難するような行動を自らが取っても平然といられるような精神状態を構築することができた。

武力行使に対する一見矛盾するようなアメリカ人の精神状態は、アメリカが武力行使を行う際に次の二点に留意することによって、許容できるレベルに保たれている。第一に、徴兵によって構成する軍隊ではなく、志願制に基づいた所謂プロの軍人によって構成する軍隊によってのみ武力行使を行うことで、戦争行為を一般社会から縁遠いものに保つことができる。つまり、軍隊に志願しなければ、個人レベルに視点を絞ると、アメリカの武力行使のプロセスに参加することを避けられるということである。第二に、ハイテク兵器を多用することで、軍事行動において不可欠となってしまう攻撃相手を殺害するという行為が(軍事行動に参加する兵士の精神に与える影響を)抑制できるということにある。具体例を挙げて説明すると、ネバダ州のエアコン付きの作戦室から遠隔操作によって無人軍用機を飛ばして敵を攻撃することと、アフガニスタンのある村の郊外への陸上部隊の攻撃に参加し、タリバン兵の喉を切って殺害する行為は全く異質な行為であり、裏を返せばアフガニスタンに出向いて、軍事行動に参加し、自らの手で人を殺害するという行為がいかに兵士に及ぼす精神的な影響が大きいかということも言える。また、こうした軍事行動がどのように報道されるかは、世論形成にも影響を与えている。例えば、アメリカの対テロ戦争時、戦死者や軍事行動によってアメリカ兵や敵兵が死亡する場面を捉えた写真や動画がアメリカの一般人の目に触れることは極めて限定的だった。また、ベトナム戦争遂行時はアメリカ側が敵側に行っていた拷問を捉えた写真はほとんど一般人の目には触れることなく、CIAが大半の写真を処理していた。

従って、プロパガンダの目的でイスラム国によって公表された人質の斬首映像は極めて大きな精神的なインパクトをアメリカの一般市民に与えた。その結果として、こうした残酷な行為をサラフィストの教義と結びつけて連想する一方、こうした残虐な行為はイスラム教の教義全体と関連しているという誤った認識を持ってしまうということも起きている。その為、イスラム教徒は我々が決してしないような残虐な行為を行うものであるという誤った認識を持つに至っている。

しかし、そのイスラム教徒ではなく、キリスト教徒である我々アメリカ人も広島や長崎において数多くの無実の一般市民を殺戮したというのも、また事実である。もしも、その場において原爆投下によって窒息し、焼き焦げにされ、放射線を浴び、ぼろぼろになった人々の惨状を捉えることができた写真家がいたとして、その写真をイスラム教徒やキリスト教以外の宗教を信仰する人々が目にしたら、彼らはキリスト教に対してどのような印象を持ったであろうか。忘れてはならないことであるが、ガザ地区に侵攻したイスラエル軍によって殺害されるか重傷を負ってしまった無実の一般市民の惨状や、キリスト教に限らず多様な宗教を信仰する人々が存在するアメリカによってその惨状を引き起こしたイスラエル軍の侵攻がほぼ容認されていたという状況も世界は目の当りにしたのである。そういったことを踏まえると、どの宗教の名において残虐行動が取られたかという視点が、その残虐行為について考察するに当たって違いをもたらすとは考えにくい。

もちろん、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教といった多種多様な宗教はお互いに影響を与えるものである。したがって、その行為の背景に宗教の影響が全くないとは言えない。しかし、特定の犯罪行為の責任を特定の宗教に向けるべきではない。より責めるべきは、我々の人間性である。もしくは、矛盾し、欠点だらけの我々人間を創造した父なる神を責めるべきである。」

http://www.huffingtonpost.jp/michael-brenner/religion-war-and-atrocity_b_6052510.html?utm_hp_ref=japan

『最貧困女子』/紙屋高雪

2014-11-03 12:33:26 | 社会
「記事 紙屋高雪 2014年11月03日 08:40

鈴木大介『最貧困女子』

九州の地方都市住まいのぼく。
家の近くにある公園が、階上にあるぼくの家から見える。

 つれあいによれば、その公衆トイレの前で深夜に20代くらいの女性が立って、男性といっしょにトイレに入り、一定時間たつとまた別の男性とトイレに入っていくのが見えた。 あれは買売春の現場ではなかろうか。
本書に出てくる「最貧困女子」とは、裏表紙にその定義が簡潔に書いてある。

働く単身女性の3分の1が年収114万円未満。中でも10~20代女性を特に「貧困女子」と呼んでいる。しかし、さらに目も当てられないような地獄でもがき苦しむ女性たちがいる。それが、家族・地域・制度(社会保障制度(という三つの縁をなくし、セックスワーク(売春や性風俗)で日銭を稼ぐしかない「最貧困女子」だ。

ロジカルなルポ
 
読んで思ったことは二つ。 一つは、とてもロジカルなルポだということ。どういう意味か。 この本はとても「自己責任」論を強く意識している。最貧困に落ちてしまう女性たちを「結局努力しないお前が悪い」という非難がいたるところで待ち受けているからだ。

 「貧困女子と最貧困女子の違いは?」という節が本書にあるが、誰もが即時救済すべき対象だとみる女性と、「売春」や「離婚によるシングル化」という属性がつくことで「自己責任でそうなった人」という扱いをうける女性とが比較される。後者は不可視化される。つまり貧困議論からはずされ、見えなくさせられるというわけだ。

 たとえば、月10万円で生活する「プア充」女子の生活。 彼女は、地元の友だちのネットワークをたくみにいかし、「シェア」をする。そして、自身の周囲にとりまいている「デフレ包囲網」、安くて節約しまくれる商品やサービスを知っているし、友だちの情報網の中からやはり探し出してくる。そういう自分のまわりのつながりや資源をフル活用できる地元=地方都市で充実ともいうべき生活を送っている。こうしたつながりのない都会に出ていくことのほうが「負け」なのである。

 お金はなくともそのようなネットーワークや資源をもっている人たちが「貧困」ではない、と頭では知っていたし、うすうす実例も知っていたが、鈴木の本書はそれを活写している。 ガストじゃなくて、ホームセンターのフードコートこそ、安く粘れる! と自慢げに話す女性の細部をリアルに描き出すことで、「プア充」の生活力が生き生きと伝わってくる。これぞルポの醍醐味である。

 プア充と最貧困女子を比較し、プア充のようなネットワークや資源を利用できない人が貧困に陥るのだが、それが見えない(可視化されていない)と、貧困に陥った側は「努力が足りない」とたたかれる。とくに、月10万でしっかりやっている人にこそたたかれるのである。

 しかし、このようなプア充と最貧困女子の比較はまだ予想がついた。性産業に入っていく女性の中での階層化にはまったく頭がまわらなかった。

 ぼくは左翼であるが、性産業そのものを体験したことがないし、そのなかでどんな女性たちがいて、階層化されているのかについては、まったくイメージできない。 そうなると、まず、都会に飛び出してきて性産業に入る入口でいかに家出少女たちにとって、魅惑的な私的セーフティネットが用意されているか、ということに想像がいかない。そして、左翼であるぼくが提起しているような行政や制度の用意するセーフティネットが、性産業の用意する私的セーフティネットにくらべていかに使い勝手が悪く、しゃくし定規で、実情に合っていないかもなかなか想起できない。いや…少しは想像していた。制度の利用が悪いもん。

 最近でこそようやく生活保護にはつなげるようになってきたし、この制度も前は本当に現役世代や若い世代には障壁が大きかったが、運動の成果もあって比較的使いやすい制度になってきた。*1 しかし、それ以外の制度は本当に使いづらいし、わかりにくい。 さらに、性産業に入ってくる女性たちを3つに分類することによって、いっしょくたに論じてしまいがちな議論を腑わけしている。この行為がとても分析的でロジカルなのだ。

 「地方週一デリヘル嬢」というカテゴリーの風俗嬢たちは、まさに週1回、バイトのように収入の余裕をもたせるために風俗に入ってくる。彼女たちはいつまでも「素人」のように「みずみずしく」(これはぼくの表現)、いわゆる「美人」も多い。そして技術も高い。

 そうなると、知的な障害をかかえていたり、やむにやまれず体を売っているような最貧困女子のような、プロ意識に欠けた、そしてまさにただ肉を売っているだけのずさんな女性(とみなされている人たち)は、性産業の中心部からも排除され、だれも相手にしないような性産業の底辺へと押し込められていく。

 「性技テクも磨かない、生活も工夫しない、自堕落な女」として性産業の別階層からもいっそう激しい「自己責任」論をつきつけられ、不可視化されていく。

 こんな細やかな分析は、ぼくにはできない。性産業のすぐそばにいて、この区分けを感じていなければ、とてもわからないことだ。こうした区分けがない場合、性産業に入っていく女性のイメージがぼくの話すものと、相手の話すものとでまったく違ったものになっている可能性が高い。「地方週一デリヘル嬢」のような女性をイメージした場合、それが自覚的につかみとられた職業であるという印象が強く、また、「貧困」イメージとしても食い違いすぎるので、まったくかみ合わない。そして、性産業のことを大して知りもしないぼくが議論すれば、現実に存在するそのような「地方週一デリヘル嬢」的女性について持ち出されて「別に問題ないのでは?」と言われて終わりそうな気がするのだ。

 しかし、貧困に陥る人たち、あるいは低所得層の周辺をじっくりと見て腑わけをしなければ、分析的に見ることはできず、たちまち「自己責任」論にやられてしまうことになる。 この本はそのことにとても敏感に、そして説得的につくられている。

どんな支援が可能か

 本書を読んで思ったことのもう一つは、ではどのような支援が可能か、という問題である。 著者の鈴木は、第5章でこうした実態に接してきたライターなりの提言をしている。 そのうちうなずけるものもあるし、首肯し難いものもある。 ただ、さっきものべたように、行政が用意する救済策の使い勝手の悪さは絶望的だということ。
 一つ例にあげてみると、鈴木は子ども時代の対策を論じていて、ひとり親世帯への経済支援の強化の後に、小学生の子どもの居場所対策をあげている。そして、現行の学童保育のしゃくし定規さを批判している。満員という問題以外に、質の問題。家出少女たちは「学童ってウザいんだもん」と言う。

なぜウザいのかを聞けばごもっともで、学童で出欠確認や連絡帳の提出があったり、放課後に行くはずになっていた学童に行かないと何をしていたのか詰問されるのが嫌だったのだという。あと「ゲームがない」。高学年にもなれば、本の読み聞かせなど、「ガキっぽいことに付き合ってらんない」という気持ちもあるし、同級生たちと遊びたくても常に低学年の子が邪魔をしてくるし、同級生も塾に通う余裕のある家庭の子は学童から遠のく。結局馬鹿馬鹿しくなって行かなくなってしまったと、この少女は言うのだ。(本書p.180)

 どんな学童がよかったかと聞けば、小学校が終わったらゲームやテレビもふくめてすごせて、遅くても親が迎えにきてくれればそれでもいいし、食事も出て、親が荒れているときには夜遅く行っても泊めてくれるような場所だという。
 もっともなところがある。

 そして、これは行政がやるには大変だな、と思わざるをえない。 同様に、少女がセックスワークに取り込まれた後や家出後のシェルターのあり方も、考えさせられる。「少女の独立」という選択肢がなく、親元に知らせるというふうになっていたり、「余計な指導・詮索」を受けたりする。「少女の側が利用したくなる施設」にしてはどうかと鈴木は提案する。

 いずれにせよ、地元の不良グループや性産業が用意するような私的なセーフティネットに負けない、貧困の淵にいる子どもたちの居場所をつくることが必要だということ。そういう居心地のいい場所をつくって、自然に介入できるような空間にするということだ。

 これは確かに民間にしかできない。 民間の施設を、行政が変な責任を問われない形で支援することだろう。たとえば行政が校区の自治団体に補助金を出し、その自治団体がさらに補助金の形でこうした民間組織を支えるようにして、行政とは一定の距離をおいておくようなしくみだ。まあ、補助金のロンダリングみたいなもんだが。

 シェルターについては、いまのぼくには想像もつかないが、「使い勝手のいい学童保育にする」ということは、問題提起や実現に何らかふみだせるかもしれない。じっさいに民間学童をやっている人たちにこうした問題をぶつけてみることで、実際にできるものかどうか、次のステップにすることとしたい。

あしたが見えない ~深刻化する“若年女性”の貧困~ - NHK クローズアップ現代

 ここではコメンテーターが行政の支援と性産業が用意する私的セーフティネットを比較して、
現在、生活全般にわたって、支援が縦割りになっているわけなんですけれども、この性産業というのが、実際、職と共に、住宅であるとか、夜間や病児の保育も含めた保育にまで、しっかりとしたセーフティーネットになってしまっていて、じゃあ実際それが公的なところで、こんなに包括的なサービスが受けられるかといわれると、そうではないというのがかなり、現実なんじゃないかなというふうに思っていて、これ、社会保障の敗北といいますか、性産業のほうが、しっかりと彼女たちを支えられているという現実だと思いますね。
とのべている。

 また、この記事でも、
アイドルになりたい少女や「関係性の貧困」で孤立する女子高生を狙うJKビジネス=売春目的の人身売買 (1/2)
「裏社会の大人たちとJKビジネスがセーフティーネットになってしまっている」という仁藤夢乃(『女子高生の裏社会――「関係性の貧困」に生きる少女たち』の著者)の指摘を紹介したうえで、性産業に女子高生たちを誘い込むスカウトたちの必死さについてふれられ、仁藤の次の言葉を紹介する。

たとえば、国が雇用労働政策として行っている若年者の就労支援事業には、困窮状態にあって生活が荒れているような若い女性はほぼ来ないといわれる。(中略)誰にも頼れず自分一人でどうにかしようとした結果、「JK産業」に取り込まれていくような少女は、行政や若者支援者が窓口を開いているだけでは自分からは来ないのだ。こうした少女たちに目を向けた支援は不足している。それを承知で、少女をグレーな世界に引きずりこもうとする大人たちは、お金や生活に困っていそうな少女を見つけて、日々声をかけ、出会って仕事を紹介している。(中略)一方、表社会は彼女たちへの声かけをほぼまったく行っていない。社会保障や支援に繋がれない少女たちに必要なのは、「そこに繋いでくれる大人との出会いや関係性」である。関係性の貧困が大きな背景にある中、つながりや判断基準を持っていない10代の少女たちには特にこれが重要だ。(中略)私は、表社会のスカウトに、子どもと社会をつなぐかけ橋になりたい。声を上げることのできないすべての子どもたちが「衣食住」と「関係性」を持ち、社会的に孤立しない社会が到来することを目指したい。

 いずれも、行政側の支援がこうしたところまで届くような柔軟性や規模をもっていないことを指摘している。

 ぼくら左翼陣営の生活相談に訪れるような人たちにも、こうした境遇の20代くらいの女性がいる場合もある。しかしぼくの実感ではそれほど多くはない。むしろこうした売春と悲惨な体験が一通り終わって、自分の体が売れなくなった後に、困窮しきってやってくるような、今までどうやって食べてきたのかよくわからない中年以上の女性である。

少女時代がとうに終わり、親が死んだり連絡がとれなくなったり暴力をふるうような力もなくなっていたり、もしくは自分自身がもう補導されたり逮捕されたりするようなこともなくなっている、つまり「自由や独立」にそれほどの意味がなくなっている、そういう歳になって、何かのつてを通じてやってくるような場合だ。

 性産業に入っていくエネルギーをもった若い貧困女性をあらかじめ捕捉しようとすれば、一つは性産業の私的セーフティネットに負けないほどの居心地のいい「居場所」を民間ベースで用意するということだろう。本書の著者である鈴木大介は、セックスワークを「正当な仕事」として評価するよう求めているが、そこまでふみこめなくても、セックスワークへの「評価をしない」居場所をつくることはできる。つまり、売春をしていても、性風俗店につとめていても、そのことについてうるさく言わない居場所。そのかわりに相談役や情報提供をする役目の人がいて、そこから抜け出せる手だてをいつでも用意しているということであろうか。

 もう一つは、そういう居場所が仮に用意できたとしたら、もしくはできないとしても、今ある制度でも利用可能なものや利用が求められているものもあるだろうから、そこへとつなぐ要員の配置である。街中へ出かけて行って、そういう支援があることを知らせる、知らせ続ける人が必要ではなかろうか。

 これは行政にもできるはずである。前にNHKスペシャル「ワーキングプア」でイギリスの行政職員が街頭に立って、社会的排除をうけた青年を片っ端から声をかけて探す映像を見たことがあるけど、「あっ、これってスカウトじゃん」と思ったものである。性産業のスカウトに負けないくらいの必死さをもったスカウトを行政が用意してほしい。事務所の机の奥でただ申請を待っているんじゃなくて。

 左翼陣営をみていて、たとえば共産党や民青がそういう居場所や情報提供をセットにしたコミュニティになっている場合があるのだが、それをもっとしっかり、自覚的にしたようなものだ。具体的には恒常的な場所が必要になるだろう。心理的・社会的な意味だけでなく、実際にふらっと寄れて、寝泊まりも、簡単な食事もできるような場所。そういうものを左翼の有志で立ち上げて、そこに相談役が顔を見せるようなスペースである。

 たぶん簡単に始められるものではないだろう。場所を確保するための努力がいるし、いつもその場所にいる要員も必要だし、うるさく容喙しないといっても放っておけば無法地帯になりかねないので、しっかりとした管理が必要だし。法的に重大な責任を負いかねないようなことも避けねばならない。3年ぐらいの時限で実験的に事業をやってみるとか…。すでにそうしたNPОはありそうだが。

 まあ、ぼくは左翼だから、何か実践に結び付けたいんだよね。 ぼくが参加している無料塾は本当はこういう子どもたちも対象にしたかったんだけど、やってきている子どもたちは「手前」にいる子どもたちだよね。少なくとも「塾」に来るくらいの意欲は始めからもっているし、親たちとも良好な付き合いができている。どこからも支援がさしのべられない子どもたちは来ていない可能性が高い。

 そのあたりの子どもをどうにか接触できないか探るところから始めてみようか。
*1:生活保護は大改悪されているのに妙な話なのだが、派遣村によって現役世代・若い世代が受けられるようになった前進面のほうが大きい。また、その中で運動側のほうの理解も進んだといえる。」

http://blogos.com/article/97879/

最高裁、ハンセン病法廷を検証 隔離の当否めぐり/東京新聞

2014-10-18 17:12:08 | 社会
「ハンセン病患者の刑事被告人らが、伝染の恐れを理由に裁判所ではなく国立療養所など外部に設置された「特別法廷」で審理を受けたことが正当だったかどうかについて、最高裁が検証を始めたことが18日、関係者への取材で分かった。

 全国ハンセン病療養所入所者協議会などが昨年11月、特別法廷での審理は「裁判の公開」を定めた憲法に違反するとして検証を求める要請書を提出しており、最高裁は元患者らから聞き取り調査を進める。最高裁が過去の裁判手続きを検証するのは異例。
(共同)」

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014101801001254.html