白夜の炎

原発の問題・世界の出来事・本・映画

青瓦台とソウル市内の反動統治機関を撃滅、掃討するための長距離砲兵大集中火力打撃演習を指導/ネナラより

2016-03-26 17:08:50 | 軍事
 北朝鮮のメディアが伝える北の動向。


「朝鮮労働党第1書記・朝鮮民主主義人民共和国国防委員会第1委員長・朝鮮人民軍最高司令官である金キム正ジョン恩ウン同志は、青チョン瓦ワ台デとソウル市内の反動統治機関を撃滅、掃討するための朝鮮人民軍前線大連合部隊の長距離砲兵大集中火力打撃演習を指導した。

史上、最大規模で策定された長距離砲兵大集中火力打撃演習は、不作法にも朝鮮革命の最高首脳部と党中央委員会の執務室を狙って「精密打撃訓練」を公開的に行った朴パッ槿グン恵ヘ逆賊一味の本拠地であるソウル市を火の海にするための前線大連合部隊の長距離砲兵大集中火力打撃を行って、米帝とかいらい逆賊一味に最も悲惨な滅亡を与えようとする白ペク頭トゥ山銃剣の威力を再度全世界に誇示することに目的を置いた。

大集中火力打撃演習には、前線大連合部隊の各最精鋭砲兵部隊が装備したチュチェ砲をはじめとする百数十門に及ぶ各種口径の長距離砲が投入された。

演習に先立って、朴パク永ヨン植シク・人民武力部長(陸軍大将)が演説を行った。

演説者は、今日の砲兵火力打撃戦は金正恩最高司令官を生命を賭して守るための領袖死守戦、領袖防衛戦であり、朴槿恵逆賊に最も悲惨な滅亡を与えるという白頭山銃剣の無尽強大な威力を見せる正義の報復戦であると強調した。 」

http://naenara.com.kp/ja/

[コラム]日本の検定教科書から見た韓国の国定教科書/ハンギョレより

2016-03-25 13:06:18 | 教育
「 5年前の2010年は日本が韓国を強制併合してから100年の節目になる年だった。 日本は民主党政権だった時期でもあり、韓国と日本が協力して平和な東アジアを作り出そうという論議が両国双方で盛んだった。
 その年の三一節に何か意味ある企画をしてみようと考えた末、韓中日の中学校の歴史教科書を比較分析してみることにした。 分析には韓国の教科書運動市民団体「アジア平和と歴史教育連帯」に所属する専門家の助けを得なければならなかったが、担当記者としての欲もあり、各国の教科書を自分の目で読破してみようと決心した。

 分析対象にした教科書は、韓国は教育科学技術部の『国史』(国定)、日本は市場占有率が50%に達する東京書籍の『新しい社会-歴史』、中国は『義務教育課程標準実験教科書』(人民教育出版社)の中から7・8学年用の『中国歴史』と9学年用の『世界歴史』だった。 日本の教科書はこれまで勉強してきた独学の日本語で、中国の教科書は延辺自治州で使われている韓国語教科書を参照した。

 この分析を通じて、3カ国の教科書はすべて相手の歴史について無知、または不親切だという印象を受けた。 それでもあえて順位をつけるならば、東京書籍の教科書が種々物足りないところはあっても、過去の植民支配と侵略についてそれなりに客観的な記述をしている感じを受け、中国の教科書は6・25(朝鮮戦争)など朝鮮半島を巡る近現代史に対する歴史認識が大きく異なっているので、どう評価すべきか難しかった。 韓国の教科書は19~20世紀の東アジア国際秩序再編に決定的影響を与えた日清戦争をほとんど扱っておらず、南京虐殺に対する記述もなかった。 日本の教科書が日本の戦後補償問題を詳しく扱っているのに対し、韓国の教科書にはこれに対する言及がほとんどない点も私としては理解し難かった。 今は改善されていると信じるが、教科書の水準を較べてみれば依然として「日本>韓国≒中国」の順ではないかと思う。

 今月18日、日本の高等学校1~2年用教科書の検定結果が発表されると、韓国では改めて日本を批判する声が強まった。 韓国人に深い傷を与える独島(日本名、竹島)関連記述や、日本軍「慰安婦」制度の強制性を薄めるような日本の教科書の一部の記述に韓国側が反発するのは当然と見る。 しかし、全体的に韓国の教科書の記述が日本の教科書に比べて「自己の客観性」を確保していたのか。 考えてみるべき点が多い。

 朴槿恵(パククネ)政権は昨年末、市民社会の反対を押し切って歴史教科書の国定化を押し通した。 安倍政権も朴大統領同様、これだけは教科書で決して容認できないという内容があっただろう。 しかし、基本的に検定制を維持し日本政府が提示した執筆基準を満足させさえすれば、出版社がそれなりの自律性を発揮する余地がある。 そこで昨年、学び舎という出版社は中学校教科書に慰安婦記述を復活させ、実教出版は『日本史A』で何と6カ所にわたり慰安婦関連記述を入れることに成功した。

 「日本は戦時中の慰安婦問題の糾明と被害回復措置について(国際人権機関から是正)勧告を受けている」(清水書院)、「慰安婦問題、歴史教科書問題についてアジアの数々の国家から強い批判がなされた」(実教出版)、「従軍慰安婦問題や南京大虐殺など自国に不利な内容を教科書に入れるなという意見がある。(中略)遺憾なことだ」(東京書籍)。

 韓国の国定教科書にはこのような自己省察的な記述が含まれているだろうか。韓国教育部は日本に向けた鋭い批判精神で、教科書国定化とは何か、また検定制とは何か、もう一度深く省察しなければならない。

キル・ユンヒョン東京特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-03-24 19:37
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/736694.html 訳J.S(1696字)」

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/23695.html

国際金融経済会合でのスティグリッツ教授のパワポ資料

2016-03-24 20:55:40 | 国際
 以下は国際金融経済会合第一階でスティグリッツ教授が提出したパワポ資料のないよう全て。訳は政府によるもので「仮訳」とされている。
最後に付されている数字はパワポの頁番号です。

「「大低迷と金融の安定を超え、 健全で持続的な成長に向けて」   ジョセフ・E・スティグリッツ 東京
                                            2016年3月  仮訳

I.


我々は今どこにいるか
• 緩慢な成長-大低迷(Great Malaise)、新たな凡庸(New Mediocre)
• 今のところまだ危機ではない。
• しかし、G7の多くの国々では(覆い隠されたケースも含め)恒常的に多く
の失業が発生している。若年層や社会の主流から取り残された層では更に
高率の失業が発生。
• この緩慢な成長の果実は一部のトップ層に偏って分配されている-格差は 拡大し、賃金の上昇は停滞。
• 「公式には」失業率が低いとされている国でさえ、雇用の質や覆い隠された失 業には疑問符。
• 世界経済危機前にも関わらず、2007年の世界経済は実際には弱かった。
• バブルによって支えられていただけだった。
• 経済危機前の2007年の世界を取り戻すということは、かつて我々が保持してい たものと同じ、弱い経済に戻ってしまうことを意味する。
• 入り交じる見通し-堅調な成長に戻る可能性は小さく、景気後退や 停滞の可能性は高い。
• 資産価格バブルの収縮への、もっともな懸念。
• 国家や企業が多額の債務を抱える中、新興国は巨額の資本流出に直面。
2


伸び悩む米国経済
• 仮に1980年から1998年までの経済成長が継続していたとし たら、今の米国のGDPは、現実のGDPよりも15%ほど高いも のとなっていたはずである。
• 女性の労働参加が急速に進んだ1980年代初頭と比較しても、 現在の生産年齢人口の就業率は低い。
• 中位の(家計)所得は、1989年と比較して1%の上昇すら達 成していない。
• 最下層の実質賃金は60年前よりも低い。
• 若年層のアフリカ系アメリカ人の失業率は未だに23.7%。
3


実質GDP
米国GDPのトレンド分析
●米国GDP(IMF 世界経済見通し) -1980-1998ベースのトレンド指数年(兆ドル、2009年米国ドルベース)
4


欧州はもっと悪い
• 失業率は更に高い。
• 特に若年層の失業が深刻。
• 経済成長も更に低い水準。
• ユーロ危機は終わっていない。一時的な「小康状態 (remission)」にあるだけ。
• 統一通貨が機能するために必要な制度が創設されていない。 そして、その制度が創設される見込みも当面ない。
• 欧州の現状と、仮に欧州が経済成長していたとしたら実 現していただろう姿との間にはギャップが存在。
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危機以来、欧州のパフォーマンスは悲惨なもの
実質GDP
ユーロ圏のGDPのトレンド分析
●ユーロ圏GDP(IMF 世界経済見通し) -1980-1998年ベースのトレンド指数(兆ユーロ、2010年ユーロベース)
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中国
• 世界金融危機以来、中国が世界経済の牽引役だった。 • 先進国は直接的、間接的に影響を受ける。
• 深刻な経済減速となる見込み。
• 欧州と米国では、中国経済の減速を埋め合わせることは できそうもない。
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大不況(the Great Recession)に
関する誤った診断
ただの金融危機ではない。
• 銀行のバランスシートは概ね再構築された。
• 規制改革もいくらか行われた(ドッド・フランク法)。 • しかし、経済は未だに健全な状態に戻っていない。
• クレジット・チャネルの改善に十分な注意が払われていな い。
• このことは、金融緩和が期待されたほどの効果を得られて いない理由の一つ。
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大不況(the Great Recession)に 関する誤った診断
ただのバランスシート不況ではない。
• 大企業のバランスシートは概ね再構築された。
• 企業が投資に積極的にならないのは、バランスシートや 資金調達の問題ではない。
• 需要が足りないことが問題なのだ。
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更なる懸念
• 永続的な世界の不均衡
• ユーロ圏が問題を悪化させている。
• 非対称な調整
• 所得の低下に直面する国家(企業、家計)は消費を減少させざ
るを得ない。
• 所得が増加した国家(企業、家計)はその分の支出を増加させ ていない。
• 原油価格の変動への対応では以下の点が特徴。
• 原油価格の下落は需要を増加させると期待されていたが、「敗 者」(losers)への悪影響がそれらの便益を上回っている。
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中心的課題の診断
• 世界的な総需要の不足。
• それと相まって、各国において、非貿易セクターへの支
援は不十分。
• 債務・金融化への過度の依存。
• さらに広くみれば、約30年前に市場経済のルールの転換 (税制の再設計、ずさんな自由化)のプロセスが多くの 先進国で始まった。これらは、当初の目論見に反して、 更なる経済成長率の低下、不安定化、不平等化を招いた。
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大低迷(Great malaise)は、驚くほどに進展を 見せない、より深刻な問題を覆い隠している
• 気候変動
• 格差、多数の貧困層
• 富の不平等、健康の不平等(医療を民間の提供に依存する国においては)、 裁判へのアクセスの不平等、と多岐に渡る。
• 先進国では中間層が縮小。途上国においても中間層が縮小。
• これらの問題は、社会の主流から取り残された層や(しばしば)若年層では
特に深刻。
• 持続的成長を実現するためには、徹底的な「構造変革」(structural
• 市場経済に根付く問題が、生産性の停滞をもたらしている。
• 民間部門・公的部門の両部門における短期的志向。
• 基礎研究への投資の不足。そして、多くの国ではインフラへの投資の不足。
• 過度の金融化。過度の金融化は以下の過程の一部でもあり、原因の一部でも ある。
• 富と資本の間のギャップの広がり。
• 多くの国で産出に対する富の割合が高まる一方、産出に対する資本の比率が低下。
• 教育システムの適合の失敗。
transformations)が求められる。
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II. これらの状況への対応
当然の手段に関する対立する見解:金融政策
• 金融政策は、概ねその役割を全うした。
• 深刻な停滞時において、金融政策が極めて有効だったことはこれま
でにない。唯一の効果的な手段は財政政策。
• 本当の問題は、ゼロ金利制約ではない。金利を少し下げること(例
えマイナスの領域に入ったとしても)は機能しない。
• マイナス金利の試みは、景気を大きくは刺激せず、悪い副作用をもたら す可能性も。
• 量的緩和政策は不平等を拡大した。しかし、(もしあったとして も)投資の大幅な増加にはつながらず、金融市場の不完全性あるい は不合理性により、リスクのミスプライシングやその他の金融市場 の歪みをもたらした可能性。
• 主な便益の一つは、競争的な通貨の切り下げである。しかし、それは、 ゼロ・サム・ゲーム。
• 適切な財政政策なしでは、「唯一の選択肢」問題は更に悪化する一途。
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当然の手段に関する対立する見解: 財政政策
• 財政政策が債務増大のリスクを高める懸念。
• 2008~2009年に実施した景気刺激策は効果がなかったという見方
は全くの間違い。
• 対策がなければ更に悪化していたであろう失業率の低下をもたら すことができ、更なる景気後退、不況に陥るのを防いだ。
• 危機時においては、支出を最適化する時間はなかった。-たとえ、 不完全な歳出であっても、大量の資源を活用せずにいることや不 況に比べれば望ましい。
• 債務への懸念は、バランスシート・アプローチへの問題のすり替 え。そこでは、政府は生産的な投資に対して支出することが前提 とされている。
• グローバリゼーションにより政策効果は損なわれている。-便益 は他国に流出し、費用は自国に発生。
• しかし、「優位」な解決策を提示するには、世界の協調関係は弱 すぎる。
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繁栄を取り戻すためには機能しない もの、不十分なもの
1. 金融政策
• 根本的な問題は、ゼロ金利制約ではない。
• 低金利は資本集約型テクノロジーを生み出し、「雇用なき」経 済回復につながる可能性。
2. 貿易協定
• 関税は既にかなりの低水準。
• G7諸国による、資本集約財を輸出する一方で労働集約財を輸入 するという「バランスの取れた」貿易取引の増加は、雇用を減
少させる。
3. 見当違いの供給サイドの施策
• 法人所得課税。
4. 更なる緊縮財政 これらの対策のなかには、逆効果となるものも存在。
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対処法: 緊急の問題-世界の総需要を取り戻す
1. (パリ協定を受け)炭素に高価格を設定することは、気候 変動に対応する世界経済への改革に向けた投資を促す。
2. 経常黒字の一部の再活用(例えば開発銀行の資本再構成、 新たな開発銀行の創設)は、インフラを含めた投資の必要 性を満たすもの。
• 民間部門は、仲介機能において非効率であることを自ら示し ている。
• 長期的な投資家と長期的な投資をつなぐものが、短期取引中 心の金融市場である。
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効果的な施策
3. 政府支出の増加。部分的に税で賄われたものでも経済を刺激する。
• 均衡予算乗数に関する原則:適切に設計された税と支出によって、乗数は
極めて高いものとなる。
• 国のバランスシートにおいては、負債のみではなく、資産・負債両面を見 ることが適切な会計フレームワーク。
• 教育、若者の健康への支出は投資であり、バランスシートの資産サイドを改善。
• インフラとテクノロジーへの投資も同様。
• 環境税や土地税は、持続可能な成長を実現する経済再構築に役立つ。
• 構造変革を推進し、平等性を高める政府支出も同様。
4. 平等性を高めるその他の施策は世界の総需要を増加させる。 • 経済ルールの大転換:市場で得る所得をもっと平等に。
• 所得移転と税制の改善。
• 賃金上昇と労働者保護を高める施策。
• いくつかの国では、組合や交渉を取り巻く法的枠組みを改善。
5. グローバルな基軸通貨制度を構築することで、需要を縮小させる外貨 準備の積み立ての必要性を減らすことができる。
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世界的な総需要の先に
• 特に世界的にサービス経済への移行が進む中、非貿易セ クターはますます重要に。
• 国内需要の低迷は供給を減らす。
• 国内需要は民間消費より大きい。
• 環境や人間、(知識ギャップを埋める)テクノロジー、イ ンフラ、住みよい街にするための投資も含まれる。
• これらの国内需要の大半は公的ファイナンスで調達され るべきもの。
• 健康や教育はその中でも重要なサービス部門。
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A. 緊縮財政をやめる
• 米国ですら、緩やかな形で緊縮になっている。
• 通常の景気拡大局面では200万人の公的セクターの雇用が生 まれるが、現在は逆に50万人減少している。
• 景気拡張的な財政緊縮や、債務が一定の閾値を超えると 経済成長が低下する、といった考えの正しさは否定され ている。
• もしそれらの考えが正しかったとしても、今のGDPと将 来のGDP、いずれも増加させるように税収と投資を歩調
を合わせて増加させていくということが均衡予算乗数の
教え。
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バランスの取れたアプローチが必要- 債務 対 税
• 債務や税収の水準、成長率の見通しにより、各国ごとに最適な 債務と税のバランスは異なる。
• 常にバランスシート視点を持つことが求められる。
• すべての国において、炭素税を含めた環境税(渋滞課金を含む 「課金」)の引き上げで、相当な歳入が得られ、経済のパ フォーマンスも改善するだろう。
• 金融取引税についても同様。
• ほとんどすべての国において、土地や(「弾力的に供給を増加 させることができない」)他の天然資源に対する税を引き上げ ることで、相当な歳入を増やし、成長率を上昇させるだろう (貯蓄の非生産的な用途への流入を減らすことができる)。
(次ページに続く)
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バランスの取れたアプローチが必要- 債務 対 税(続き)
• 法人税減税は投資拡大には寄与しない。なぜなら、大抵の投資 は借入が原資であり、支払利子は所得控除となるからだ(減税 はネットの資本コストを上昇させ、投資意欲を減退させる!)
• むしろ、国内での投資や雇用創出に積極的でない企業に対し て、法人税を引き上げる方が、投資拡大を促す。
• (炭素税・相続税など)いくつかの税金は、実際に現時点での 支出を促す効果がある。
• 均衡予算乗数は、増税と歩調を合わせた支出拡大が経済を刺激 することを示唆している。
適切に設計された税制は、格差・不安定・環境悪化といった主要 な問題に取り組む手段となる。
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緊縮策を超えて
予算ルール・フレームワークの再考
• 資本予算(Capital Budgeting)
• 資金調達コストが低く、投資リターンが高い時には、バラ
ンスシートの観点が特に重要である。
• 投資促進のための開発銀行(development banks)の活用
• 税と支出が適切に選択されれば、乗数の効果は極めて高い。
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B. 効果的に支出する:重要な長期の問題に 焦点を当てる-生産性の観点の欠落
テクノロジーやインフラに対する投資は、民間投資を補完する効
果を有するものであるが、最適な水準と比べると低く留まってい
る。
• 基礎研究に対する政府支援額(対GDP比)は、半世紀前より も低くなっている。
• 生産性向上につながる新たなイノベーションを推進するアイデ アの源が干上がっている。
必要なことは、インフラとテクノロジーへのより積極的な投資であ
る。
• インフラ・テクノロジーへの公共投資は民間投資と補完的であり、民間投 資を刺激する事につながる。
• 投資はインフラ銀行(infrastructure bank)からファイナンスすることがで きる。
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C. 効果的に支出する:重要な長期の問題に焦点を当てる- 構造変革(Structural Transformation)
• 世界的に、製造業の雇用が減少している。
• グローバリゼーションとともに、先進国では雇用に占める製造
業のシェアが低下していく。
• サービス産業にシフトする必要がある。
• いくつかの国では、サービス産業の生産性が向上している。
• そのような大規模な構造変革(structural transformation)が求
められているが、市場はそれ自体では必要とされている構造変
革を達成することが上手くできない。
• かつて行われた農業から製造業への移行がそれを証明している。
• サービス産業の中では、教育・健康に改善の余地がある。
• これらの部門では、政府が正当に重要な役割を担うものである。
• ただし、緊縮財政は、政府がその役割を果たすことを抑制してし まう。
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構造変革(Structural Transformation) に伴って発生する課題
• その新しい経済構造は、かつてほど資本集約的(capital-intensive)で はなくなるだろう。
• 従って、想定されるGDP成長率を達成するために必要となる投資は、より 小さなものだろう。
• 特に熟年労働者は、新しい経済構造に対して準備不足であろう。
• ベビーブーム世代の高齢化と合わせて、労働者のかなりの部分が高齢化し
ている。
• その世代の再活躍を促さないことによる社会的なコスト-つまり、その世 代の人的資本の陳腐化を単に受け入れること-は増大している。
• 今存在する取り決めが、高齢者と若者に関わる問題を生み出してい る。
• 国債を通じて手堅く運用している高齢者がわずかな所得しか得られないと いうことを、ゼロ金利の環境は意味する。
• 若者は家を買う余裕は無く、職を得るまで長期間待つ必要が多々あり、職 を得ても自らのスキル・才能を生かせず、そして多くの国では若者は多大 な債務を背負い込まされている。
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構造変革(Structural Transformation) 促進に向けた政策
• 農業から製造業への移行において、多くの国で政府が中 心的な役割を果たした。
• より積極的な労働市場政策を含め、政府は再び積極的な 役割を担うことが求められている。
• しかしながら、これらの政策は、再職業教育を受けた労 働者のための仕事が存在する場合に限って効果がある。
• 完全雇用を取り戻すための包括的なフレームワークが求め られる。
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D. 格差と戦う
• 単なる再分配の話ではない。
• 事前分配: 市場で得ることのできる所得のより公正な分 配を確実なものとするための経済ルールの大転換。
• 市場は真空の中に存在するものではない:市場の構築方法 により、市場の機能・効果・分配が決まる。
• 家賃の上昇は、所得に対する生産的な資本の比率が減少し ているにも関わらず、所得に対する富の比率が上昇してい るという異常さを物語っている。
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格差と戦う
• これらの理論は、労働生産性と実質賃金における著しい不均衡を 示している。
• この不均衡は、スキル偏重型の技術進歩や貯蓄率の差異といった標準 的な理論では説明できない。
• 格差縮小は、短期的にも、長期的にも、経済パフォーマンスを改 善する。
ジョセフ・E・スティグリッツ(桐谷知未訳)『スティグリッツ教授 のこれから始まる「新しい世界経済」の教科書』(徳間書店、2016 年)(原著:Stiglitz, J. E., N. Abernathy, A. Hersh, S. Holmberg, and M. Konczal (2015). Rewriting the Rules of the American Economy, New York: W.W. Norton, 2015.)を参照。
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III. 構造改革(Structural Reforms) 基本的な原則
• 適切な需要なしには、サプライサイドの改革は、失業を増 加させるだけで、経済成長には寄与しない。
• 低生産性部門からゼロ生産性、つまり、人々を失業に追いや るものである。
• 供給は、それ自体の需要を作り出さない。
• 実際に、サプライサイドの改革は需要を弱め、GDPを低下させ
得る。
• しかし、適切に設計された需要刺激策は、供給/生産性を増加 させ、現在および潜在的なGDP成長率を引き上げることができ る。
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機能するサプライサイドの施策
「需要」と一体となってこそ、機能することが多い。 • テクノロジーへの投資拡大
• 革新的経済(innovation economy)と学習社会(learning society)を作り出 す上で、とりわけ重要。
• 人間への投資の拡大-より健康でより生産性の高い労働力を創出する。 • 経済を再構築し、古い産業から新しい産業への移行に役立つ産業政策
• 市場だけでは、これらの変革は作り出せない。
• 競争政策-経済的な権力が合従することを防ぐ
• 独占は産出を阻害する。
• 金融市場改革
• 金融機関が他に害を及ぼすことを防ぐだけでは不十分。
• とりわけ中小企業のために期待される役割を果たし、金融を仲介し、民間 資金を提供するように金融機関に促すことが求められる。
• 債務よりも資本性の資金を促すことが求められる。
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機能するサプライサイドの施策
• 労働参加を促進する施策 • 有効な公共交通システム • 育児休暇、有給病気休暇 • 子育て支援
• 被差別層・社会の主流から取り残された層の包摂 • 女性
• 少数派・マイノリティー • 移民
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機能するサプライサイドの施策
• 効果的でない(または逆効果な)サプライサイドの施策が 多く存在する。
• 法人所得税率の引下げ。
• 例外として、投資をして雇用を創出させる企業には減税し、投資
や雇用創出に消極的な企業には増税する施策。 • 金融市場の規制緩和。
• 投資の減少、投機の拡大、市場の不安定化につながる。
• 貿易政策においてサプライサイドの効果は期待されてこなかっ
た。
• 効果は常に過大評価される。
• 米国にとってTPPの効果はほぼゼロと推計される。
• TPPは悪い貿易協定であるというコンセンサスが広がりつつあり、 米国議会で批准されないであろう
• 特に投資条項が好ましくない-新しい差別をもたらし、より強い成長や 環境保護等のための経済規制手段を制限する
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他の逆効果なサプライサイド施策
• 後ろ向きなサプライサイド改革も機能しない。
• 米国における住宅の過剰供給(ネバダ砂漠の空き家)の削減
は、米国経済の回復に寄与していない。
• 韓国の経済危機(1998年)における半導体チップの過剰生産 能力の破壊は、同国経済の回復を遅らせた。
• オプションを持つことの価値は無視される。
• 競争相手を減らすことを望む向きがよく持ち出す議論。
• 「国の代表的企業」(“national champions”) という言葉は、 実のところは寡占事業者を意味するもの。
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サプライサイド施策の失敗
• 1980年代初頭の米国(および他国)におけるサプライサ イド施策の失敗。
• 税収増加の約束は果たされなかった-実際には減収。
• 成長率を高める約束は果たされなかった-実際には低下。
• 貯蓄率低下。
• より最近の2000年代初頭における減税でも同じ結果がみられた。
• 労働参加率低下。
• サプライサイド施策の正当化よりも、サプライサイド施策 による格差への影響の懸念は最高潮に達している。
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IV. 金融セクターと金融混乱
• 金融の混乱は、金融市場の不透明感を反映。
• 金融の混乱は、金融市場の近視眼的な性質を反映-金融市場は常 にとても気まぐれ。
• 金融の混乱は、世界経済の先行きに関する深刻な不確実性を反映。
• 金融の混乱は、いくつかの国における金融政策調整の失敗に関連 しており、結果として為替レートの不確実性や不安定な資本フ ローの大きな動きが生じている。
• 資本市場、金融市場の自由化がこれらを促進。
• 金融の混乱の多くは、金融セクターにおける根本的な問題への取
組の失敗を反映したもの。
• このような金融の混乱が実体経済に波及する可能性が高いことが 問題である。
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金融セクターを改革する
• 金融セクターからの害を防ぎ、以下も阻止する。 • 過度なリスクテイク
• 市場操作、略奪的貸付など
• 市場における支配的地位の乱用
• 金融セクターが低い取引コストで社会的役割を担えるようにする。 • 中小企業金融や住宅金融の供給
• 年金口座の管理や決済システムの運用を低い取引コストで実施
今までのところ、両方のタスクに失敗。 より広くより深い改革と、与信を提供する公的手段の拡大が必要。
• 学資ローン
• 住宅ローンに関する公的オプション • 年金勘定に関する公的オプション
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V. 世界規模の改革
• 新しい世界基軸通貨制度の必要性
• 現在のシステムは過去の遺物。
• 経常黒字を追求するバイアスにつながっている。
• 準備通貨国の脆弱性。
• ケインズや最近の国連委員会が提唱しているように、世界 基軸通貨制度はより強固な世界の安定につながるもの。
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世界規模の改革
• 世界の不均衡を縮小させる世界的な協調が求められている。
• 中国の経常黒字は減少過程にある。
• しかし、ユーロ圏の経常黒字は増加している、 • ユーロ圏において大きな改革が必要となる。
• 世界的なマクロ経済(金融および財政)政策協調が求められてい る。
• 世界金融危機後に起きうることが期待された。
• しかし、未だに実現していない-むしろ、政策の不調和は拡大して
いる。
• 経常黒字を活用するより良い手段が求められている。
• 新しい開発銀行は正しい方向。
• ただし、ガバナンス改革と開発銀行間の資本再構成の必要性が存在。
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開発に向けて資金を提供する
開発に向けた資金の提供は、経常黒字の活用、世界需要の増加、開
発の促進というメリットを同時に実現するものであるが、3つの障
害がある。
• 債務の市場:債務再構成に関する国際的なフレームワークがない。
• 国連における重要な発議があり、大多数の国が支持。
• しかし、米国と幾つかのヨーロッパ諸国が「法の支配」(rule of law)に反対。
• 海外直接投資:投資協定が協定国の規制能力を損なう。
• 多国籍企業への課税:国際的な税体系が税収の拡大を困難にして
いる。
• 「底辺への競争」(Race to the bottom)
• G20におけるBEPS(税制浸食と利益移転)合意では、重要課題 への取組が不十分。
• 国際的な税体系のより抜本的な改革が求められる。
39


気候変動へのアクション
• 気候変動への対策として行う投資は、世界経済にとって必要な刺 激策となるだろう。
• 環境と経済成長は補完的な関係にある。
• とりわけ経済成長を正確に捉えた場合に。
• 炭素に価格を設定することにより、投資が喚起される。
• 国連気候変動パリ会議は、この気運を醸成するという観点から重 要だった。経済界は、どのような形になるにせよ、やがては炭素 に価格が設定されることを理解したはずである。
• 鍵となる投資(インフラ、住宅、建築、発電所)は長期的な投資。
40


VI. 世界的な意思決定プロセスの改革
• 世界的な経済統合は、世界的な政治統合よりも速く進んできた。
• 国を越えた波及効果がある場合にはいつも、外部性には集団的な対処 が求められる。
• しかし、世界的な対応を行うに当たっての優れた枠組みは現時点では 存在しない。
• 世界的な経済政策は、あまりに頻繁に権力や特定の利害に左右される。 • 世界規模の協力や調和が求められる分野に必ずしも焦点が当てられていない。
• 知的所有権ルールの過剰な調和。
• 国内で説明責任を十分に果たさないような特定の利害を反映したルールの調和は、
世界的に民主的なプロセスから生まれる調和とは異なるものである。
• 各国政府が民主的なやり方で必要な規制を実施しようとした際に、新たな貿易取 り決めがその能力を損なうことが特に懸念される。
• 焦点を当てられるべきは、下方への調和であり、最も恵まれない立場にある 者との共通の基盤への調和である。
41


世界的な意思決定プロセスの改革
• どのように代表性を高めるか。
• 小国、貧困国の代表性は低い。
• 世界経済に占めるウェイトは小さいとしても、それらの国々は重 要な存在である。
• どのように正当性を増すか。
• 国連は、世界的な正当性を有する国際的な機関である。
• IMFもその権限内において、同様に、更に大きな正当性を有する。
• 「特定の会員」(”club”)が全員のための意思決定を行う危険。 • 他の組織の信頼性を損なう。
• 代替策: 世界経済調整委員会(Global Economic Coordinating Council)の創設
• 国連、IMFの下で運営
42


世界的な意思決定を再考する
• 可変形状(Variable Geometry)
• 多くの問題で、全会一致に近づくことは困難であると認識するこ
と。
• 「有志連合」(“Coalition of willing”)-例えば、気候変動
• 国境を越えた課税により、他国の協力を促す。
• 新しい世界基軸通貨制度は、恐らく全ての国の合意を得ることは
難しい。
• この場合も有志連合が有効。-参加による利益が存在するため、 他の国もやがて参加する。
• 外部性が最も有効な場面を注意深く検討する。
• 共同でリスク分散を行う仕組みが存在しない限り、高水準の貯蓄
を行う国が生まれ、世界的な総需要を縮小させる。
• 資本集積に有利に働く世界的なルールは、格差を拡大させ、世界 的な総需要の拡大には逆効果。
• 世界的な不安定性は格差を生み出し、高水準の貯蓄につながるも の。そして、それらは、世界的な総需要の欠乏の要因となる。
43


VII. 遠近法で今の世界を見る
• 30年ほど前、多くの先進国では、税率の引き下げや規制緩和といっ
た実験を始めた。
• 変化する経済環境に対応し、経済の枠組みを調整する必要があった。
• しかし、誤った調整がなされてきた。
• 結果として、経済成長は鈍化し、格差が拡大。
• 今となって漸く、それらの結果が全て目に見えるものとなったが、 過去からずっと進行してきた結果なのである。
• 現在の方向性が維持されると、状況は更に悪化するだろう。
• 未だ語られていない政治的な帰結もある。そのうちの幾つかは分かり始め
ている。
• これらの実験は、大きな失敗であったと今や言うことができる。大 きな失敗であったと言うべきである。
• 新たな方向性が求められる。
• 現在の取り決めの微調整では上手くいかないだろう。
44


この失敗した実験の断片
• 金融政策への新たなアプローチ
• 経済成長、雇用、経済安定化といったバランスのある視点
よりも、インフレの安定化に焦点。 • 財政政策への新たなアプローチ
• 欧州では、財政赤字に対して厳重な制約。 • 民営化の新たな流れ
• 社会保障分野にまで民営化の流れが及ぶ国も存在。 これらの政策は、期待するほどの成果を上げていない。
45


世界の制度設計に関する実験も 失敗している
• 40年前から、資本移動の自由化が試みられてきた。
• それにより、経済が安定化した時代が訪れると期待されて
いた。
• 政府よりも市場メカニズムの方が効果的とされていた。
• こうした実験の結果、逆に、世界的な不安定化の時代に 突入した。
• 特に、短期的な資本移動に関連して不安定性が発生。
• 現在では、IMFでさえ資本移動の制限(資本勘定の管 理)が必要と主張。
46


この道しかない
• 政府と市場のバランスを取り戻す。
• 政府・民間とは異なる「第三のセクター」(“third sector”)や、新た
な制度枠組みの重要性を認識する。
• 緊縮財政をやめる。
• 世界的な基本的ニーズ、世界的な公共財、世界的な外部性に対して、 世界的に対処する。
• 気候変動を超えて、世界的な科学基盤を含めるべきである。
• 底辺への競争を行うのではなく、世界的に生産性向上に務めるべきである。
• 世界中・全ての人間の生活水準を引き上げる施策に全てを捧げる。
• 進歩に関する指標の世界的な再評価を行う。
• 評価基準が行動にも影響する。
• 「経済パフォーマンスと社会の進歩の測定に関する委員会」(※)におけ
るメインメッセージ。
• その検討はOECDにおいて継続されている。
(※)スティグリッツ教授が中心となって、フランスのサルコジ大統領の イニシアティブの下で、社会の幸福度を測定しようとした取組。
47


世界経済:この道を進もう
• 「新たな凡庸」(The New Mediocre)、 「大低迷」(the Great Malaise)、「長期停滞」(Secular Stagnation)は避けられないも のではない。
• これらは、政策の失敗による帰結。
• 統合が進展する中、前進するための最善の方法は、バランスを取
り戻し、総需要を増加させるために国際的な協調を行うことだ。
• 例えば、世界公共財の供給-研究、地球温暖化対策-に向けた国 際協調。
• この国際協調はとりわけ困難である。
• G7において、日本がリーダーシップを発揮することが、前に進む
ための一歩となるだろう。
• しかし、そういった国際協力が不十分な状況下にあってさえ、需 要の強化や生産性の向上のために各国が単独で行うことのできる ことは多く存在する。
• それは、大きな好影響を他の国に対しても与えるのだ。
48」

スティグリッツ教授の提言

2016-03-24 18:17:32 | 国際
 先の国際金融経済分析会合におけるスティグリッツ教授の報告は、ただ消費税に否定的な部分のみが取り上げられ報道されていたが、その内容はより広範な世界経済全体の分析に基づいており、アベノミクスそのものにも批判的である。

 次を参照していただきたい。政府のHPに乗せられた教授提出のパワポ資料の翻訳である。

 ⇒ https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kokusaikinyu/dai1/siryou2.pdf

 ちなみに先進国経済の問題点の指摘は以下の通り。

「大低迷(Great malaise)は、驚くほどに進展を 見せない、より深刻な問題を覆い隠している
• 気候変動
• 格差、多数の貧困層
• 富の不平等、健康の不平等(医療を民間の提供に依存する国においては)、 裁判へのアクセスの不平等、と多岐に渡る。
• 先進国では中間層が縮小。途上国においても中間層が縮小。
• これらの問題は、社会の主流から取り残された層や(しばしば)若年層では
特に深刻。
• 持続的成長を実現するためには、徹底的な「構造変革」(structural
• 市場経済に根付く問題が、生産性の停滞をもたらしている。
• 民間部門・公的部門の両部門における短期的志向。
• 基礎研究への投資の不足。そして、多くの国ではインフラへの投資の不足。
• 過度の金融化。過度の金融化は以下の過程の一部でもあり、原因の一部でも ある。
• 富と資本の間のギャップの広がり。
• 多くの国で産出に対する富の割合が高まる一方、産出に対する資本の比率が低下。
• 教育システムの適合の失敗。」

 また実施すべき政策の一部としてサプライサイドについて以下のように述べている。80-90年代のサプライサイド計画は失敗だとしている。

「機能するサプライサイドの施策
「需要」と一体となってこそ、機能することが多い。 • テクノロジーへの投資拡大
• 革新的経済(innovation economy)と学習社会(learning society)を作り出 す上で、とりわけ重要。
• 人間への投資の拡大-より健康でより生産性の高い労働力を創出する。 • 経済を再構築し、古い産業から新しい産業への移行に役立つ産業政策
• 市場だけでは、これらの変革は作り出せない。
• 競争政策-経済的な権力が合従することを防ぐ
• 独占は産出を阻害する。
• 金融市場改革
• 金融機関が他に害を及ぼすことを防ぐだけでは不十分。
• とりわけ中小企業のために期待される役割を果たし、金融を仲介し、民間 資金を提供するように金融機関に促すことが求められる。
• 債務よりも資本性の資金を促すことが求められる。

機能するサプライサイドの施策
• 労働参加を促進する施策 • 有効な公共交通システム • 育児休暇、有給病気休暇 • 子育て支援
• 被差別層・社会の主流から取り残された層の包摂 • 女性
• 少数派・マイノリティー • 移民


機能するサプライサイドの施策
• 効果的でない(または逆効果な)サプライサイドの施策が 多く存在する。
• 法人所得税率の引下げ。
• 例外として、投資をして雇用を創出させる企業には減税し、投資
や雇用創出に消極的な企業には増税する施策。 • 金融市場の規制緩和。
• 投資の減少、投機の拡大、市場の不安定化につながる。
• 貿易政策においてサプライサイドの効果は期待されてこなかっ
た。
• 効果は常に過大評価される。
• 米国にとってTPPの効果はほぼゼロと推計される。
• TPPは悪い貿易協定であるというコンセンサスが広がりつつあり、 米国議会で批准されないであろう
• 特に投資条項が好ましくない-新しい差別をもたらし、より強い成長や 環境保護等のための経済規制手段を制限する


他の逆効果なサプライサイド施策
• 後ろ向きなサプライサイド改革も機能しない。
• 米国における住宅の過剰供給(ネバダ砂漠の空き家)の削減
は、米国経済の回復に寄与していない。
• 韓国の経済危機(1998年)における半導体チップの過剰生産 能力の破壊は、同国経済の回復を遅らせた。
• オプションを持つことの価値は無視される。
• 競争相手を減らすことを望む向きがよく持ち出す議論。
• 「国の代表的企業」(“national champions”) という言葉は、 実のところは寡占事業者を意味するもの。


サプライサイド施策の失敗
• 1980年代初頭の米国(および他国)におけるサプライサ イド施策の失敗。
• 税収増加の約束は果たされなかった-実際には減収。
• 成長率を高める約束は果たされなかった-実際には低下。
• 貯蓄率低下。
• より最近の2000年代初頭における減税でも同じ結果がみられた。
• 労働参加率低下。
• サプライサイド施策の正当化よりも、サプライサイド施策 による格差への影響の懸念は最高潮に達している。」

日本學者:中共與日軍共謀對抗國軍/BBCより

2016-03-24 17:22:24 | アジア
「今年抗日戰爭結束七十週年之際,中台雙方圍繞國共兩黨當時誰才真正抗日發生爭論。

雖然在中國9月3日「紀念抗戰勝利七十週年」大閱兵時,日本各大傳媒均指出,在抗戰勝利時,中華人民共和國還沒誕生,當時中國的中央政府是國民黨領導的中華民國政府,抗戰的主流不是中共,但日媒也沒有提出證據來說明共軍在抗戰中的表現。

今年11月,日本筑波大學名譽教授遠藤譽撰寫的《毛澤東 與日軍共謀的男人》一書在日本出版。作者遠藤根據她收集的中國、台灣、日本三方面資料,來論證中國國民黨軍隊抗日時,前中共領導人毛澤東率領的中共與日本駐上海的特務機關-岩井公館合作打擊國民黨的史實。

遠藤的這本書在出版後立即引起不少日本國民的關注,一個月內印了5次。
日本《每日新聞》、《富士晚報》等媒體也就此書發表了書評,富士電視台、朝日電視台等更邀請遠藤介紹其這本歷史書。
遠藤譽的書《毛澤東 與日軍共謀的男人》正以一個月印5次的速度在日本暢銷。

遠藤對BBC中文網記者說,她是讀了《潘漢年傳》等中國書籍後,開始懷疑中共的解釋,然後著手凖備寫書的。她希望通過日本方面的資料來解開有關疑問,而結果則令她自己也震驚了。

中共特務與日本特務
《毛澤東 與日軍共謀的男人》敘述說,「1937年日中全面戰爭開始後不久,毛澤東就向上海和香港派遣中共特務,與日本外務省旗下的特務機構『岩井公館』的岩井英一、設置日本陸軍參謀部特務機構『梅機關』的影佐禎昭等接觸」。

遠藤收集的中方資料對此解釋說,這一切的目的都是為了取得抗戰勝利,收集日本秘密情報,為八路軍和新四軍勇敢地與日軍作戰發揮了作用。
但遠藤收集的岩井回憶錄《回想的上海》中則明確說,「事實完全相反,是中共特務把通過國共合作得到的蔣介石為首的國民黨軍隊的情報提供給日方,目的存在弱化國民黨的意圖」。

遠藤的書詳細記述了1932年作為日本駐上海領事館情報部副領事的岩井赴任後,因漢語流暢,負責接待記者中日雙方20多名記者,包括後來被稱作「五重間諜」的新聲通訊社中國記者袁殊(袁學易)。當時中共報章上不時有岩井和影佐的名字,在延安的毛澤東也獲悉。岩井還建議在上海加強收集情報工作、並獲准設置了「公使館情報部」。

1935年6月岩井解救了被國民黨逮捕的袁殊,更添了兩人交情。岩井雖知袁殊多重間諜身份,但不介意並援助袁殊再次留學日本,直至西安事變後才回到中國。岩井本人也在1937年回國,1938年2月重返上海,目的是「早期結束軍方挑起的戰爭」。

共產黨人與岩井公館
2002年旅美中國學者謝幼田的《中共壯大之謎》也根據中文資料敘述中共向岩井出賣國民黨情報得以壯大的史實。

岩井在上海領事館設置了特別調查班,搜集蔣介石政府內部情報,尋求「講和」的機會。岩井全權委托袁殊組織新黨,並說:「為了達成全面和平的共存共榮日中新關係理念,不光是黨名,還要以真正理解這一理念的民眾、知識分子為對象,前身是藍衣社、中統團、以及其它黨派相關者,共產黨員都不要緊」。

結果袁殊招募了大批中共地下黨員,而所有經費由岩井取得公使館情報部長河相達夫同意,由日方支付。不過最終新黨運動演變成「興亞建國運動」,並在袁殊建議下,興亞建國運動總部起名「岩井公館」。

這個時期,袁殊還把匿名為胡越明,直接在毛澤東指揮下從事特務活動的前中共特工頭子潘漢年介紹給岩井,袁殊形容潘漢年地位相當於周恩來(中國前總理)。

岩井在《回想的上海》中描寫首次見潘漢年的印象是「非常穩重的知識人,卻又是瀟灑的都市人而令人好感」。並回憶說,此後每次都是潘漢年求見、提供國民黨政府和國軍情報,且以岩井公館作據點,擴大中共在香港的間諜活動。

日本情報費資助中共
岩井委托日本駐香港領事館的小泉清一每月向潘漢年支付2000港元作為收購情報費,加上由潘漢年籌辦多種定期出版的刊物費等,每次另支付潘漢年1萬港元。

當時,2000港元相當於一名香港華人警員5年的薪水,而日本每年向潘漢年支付的費用相當於一名香港華人警員60年薪水,而且尚不包括刊物費,最終這筆可觀的收入落入中共手中。

遠藤在書中指出「這就是謝幼田(美國斯坦福大學胡佛研究中心前客座研究員)著書《中共壯大之謎》的中共壯大理由」,而日本支付的費用大部分源自外務省機密費,岩井回憶說,支付的總額達30多億日元(超過2500萬美元)。

1937年,面對入侵的日軍,中共八路軍和新四軍希望抗戰,但毛澤東則堅持只拿出10%兵力用於抗戰。岩井《回想的上海》還披露,潘漢年通過袁殊向岩井提議,商談共軍與日軍在華北戰場上「停戰」的事宜,岩井因不懂軍事,把該建議轉手影佐,潘漢年從此開始直接與日軍接觸。
曾著書談在華經歷

遠藤1941年出生在中國長春,父親在長春經營自己研製的戒毒藥品「吉福祿」的製藥廠,父母都是日本人,本來還有哥哥和弟弟。但在1948年八路軍圍困長春之戰中,遠藤的哥哥和弟弟都餓死,而她也幾近餓死並遭遇流彈受傷,導致兩臂殘疾。
1953年,12歲的遠藤回到日本,又受到日本本地人的欺凌。她取得物理學博士以後,從1983年起從事指導中國留學生的工作至今,並從那時起還兼任中國社科院社會研究所客座研究員、教授,上海交大客座教授。
1983年遠藤在日本出版《不合理的彼方》,自述其當年在長春的生活經歷,獲得《讀賣新聞》女性人類記錄優秀獎。
後來,遠藤應《讀賣新聞》邀請,在1984年再著書《卡子-沒有出口的大地》,描述她在中國12年的苦難經歷。90年代,她希望此書譯成中文版,可是中國出版社一直以「過於敏感」的理由拒絕和拖延此事,去年她覺得年事已高,不能再等下去,於是選擇在台灣出版中譯本。
「只想追求歷史真相」
遠藤對BBC中文網記者說,「我對中國愛恨交集,但到了這個年齡,我只想追求歷史真相」。
遠藤說,《毛澤東 與日軍共謀的男人》「最大的難題是找日本有關岩井的記載,我去了外務省和防衛省研究所都找不到,後來在網絡上偶然看到岩井出版過回憶錄《回想的上海》,於是開始找,並終於在網絡上買到,我如獲至寶!現在覺得我小時候沒餓死、活到現在,就是為了找到這本書」。
當記者問到,日本是否也刻意抹去當年岩井與中共合作的記錄,遠藤則說「不是,岩井對中國來說重要,但日本當時對他重視不夠」。
對於台海兩岸官方有關誰是真正抗日力量的爭論,遠藤表示「日本不知道也不關心,我在防衛研究所裏看戰史資料,厚厚的一本防衛研究所編寫的戰史資料,居然是引用中共黨史來編寫,簡直令人大失所望,所以我才要挖掘真相,來填補真實的歷史空白」。
(責編:李文)」

http://www.bbc.com/zhongwen/trad/world/2015/12/151225_japan_professor_book

公開状「習近平は下野せよ」嫌疑で拘束か?/遠藤誉

2016-03-24 17:19:54 | アジア
「3月4日に党系列メディアに公開状「習近平は辞職せよ」が現れハッカーの仕業とされたが、内部に犯人がいることが判明。コラムニストの賈葭(かか)氏が拘束された。筆者は彼が元いたメディアから取材を受けたばかりだ。

◆なぜ賈葭氏は拘束されたのか?
3月15日付の本コラムで筆者は<新華社が「中国最後の指導者習近平」と報道――ハッカーにやられたか?>を書いた。その中で新疆ウィグル自治区の党委員会が創設者の一つになっている「無界新聞」に、3月4日、「習近平は辞職せよ」という趣旨の公開状が現れたことをご紹介した。それはハッカーによるものとされていたが、その後、ハッカーの仕業ではなく、内部に犯人がいて操作したという痕跡が見つかったという。

それも海外を含めた外部と内部とのタイアップによることが分かり、無界新聞関係者がつぎつぎに調査を受ける羽目になっていた。
コラムニストでジャーナリストでもある賈葭(かか)氏(35歳)は、3月4日に無界新聞に公開状がアップされる前、実はアメリカにいた。帰国後、微信(ウェイシン)を通してネットにアクセスしたときに「習近平は辞職せよ」という公開状が無界新聞のニュースサイトにアップされているのを発見。急いで、無界新聞のCEOである欧陽洪亮氏に連絡した。欧陽洪亮氏は、賈葭氏の昔の同僚だ。

当局の調べに対して欧陽洪亮氏は「このようなおぞましい公開状は、賈葭氏からの連絡で初めて知った。彼はしばらくアメリカにいた」と述べている。まるで責任転嫁だ。そこで賈葭氏は「もしかしたら、自分に嫌疑がかかってくるのではないか」とそれとなく予感していたという。
3月15日、賈葭氏は香港に行くために北京空港にいた。

「今から香港行きの飛行機に搭乗する」という知らせを妻が受けたあと、連絡はすべて途絶えた。
搭乗寸前に、北京の飛行場で公安に拘束されたのである。

◆賈葭氏は、かつて、「新華社」傘下の報道機関にいた
実は賈葭氏はかつて、中国政府の通信社である「新華社」傘下にある週刊誌『大家』のコラムで主編(編集長)をしていた。中国語で「大家」というのは「民衆」とか「皆さん」といった意味である。肝心なのは、彼は新華社系列で仕事をしていた経験があるということだ。
3月15日付のコラム<新華社が「中国最後の指導者習近平」と報道――ハッカーにやられたか?>では、新華社のウェブサイトに載った「中国最後の指導者・習近平」は「中国最高の指導者・習近平」の誤記であったと新華社が言っているということを、「追記」で書いた。最初はハッカーとされたが、新華社の場合は「誤記」だったことにして、全人代を乗り切った形だ。

しかし、たとえば北京の有線テレビとかホテルのテレビなどで、日本のテレビの「中国政府に不利な有害情報」が出た瞬間に、テレビの画面がブラック・アウトするくらいのハイレベルの技術を中宣部は持っている。その時間は1秒よりも短い。テレビもネットも、すべて中宣部の管轄下にある。ましてや中国政府の通信社「新華社」のウェブサイトに、このような誤字が出てくることは、非常に考えにくい。
賈葭氏が今般の公開状に関わっていたのか否かは別として、第二、第三の賈葭氏に相当したような人物が、新華社内部にもいたという可能性は否定できない。

◆賈葭氏は、かつて、香港の報道機関にもいた
賈葭氏は実は、香港の『陽光時務週刊』の副編集長をしていた時期があり、また香港のリベラルなメディアである『端傳媒』(傳媒はメディアの意味)の評論部門の編集長をしていた時期もある。

筆者は1月末、まさにこの『端傳媒』の総編集長である張潔平氏から取材を受けたばかりだ。
彼女はイギリスのBBC中文網が筆者の書いた『毛沢東 日本軍と共謀した男』に関して報道している( http://www.bbc.com/zhongwen/trad/world/2015/12/151225_japan_professor_book )のを見て、どうしても筆者を取材したいと言ってきた。

「香港は一国二制度とはいっても、中国の管轄下にあるから、こんなものを載せても大丈夫なの?」と筆者が聞くと、「大丈夫よ。私たちはいつでもリベラルな報道をしているわ。多少は大陸の当局から睨まれてはいるけど、でも平気!」と張潔平氏はそのとき笑っていたのだが、なぜか、連絡が途絶えた。
やはり、まずいのだろうなぁと思っていたところ、賈葭氏の拘束を知ったのである。
香港メディアによると、張潔平氏はつい最近、香港の大学で講演し、「最近は大陸の当局の監視が非常に厳しくなっている」と述べたとのことだ。
賈葭氏も実は3月17日に香港で「香港は誰のものか?」というスピーチをすることになっていたという。
◆共通しているのは、国と党を思う「真の愛」と「良心」
2月29日付けのコラム「中国著名企業家アカウント強制閉鎖――彼は中国共産党員!」で、中国共産党員の任志強氏が「自分こそは忠誠なる共産党員だ」として習近平政権あるいは現在の共産党政権を批判する発信を盛んにしていたことを書いた。彼のアカウントは強制的に閉鎖されてしまったのだが、「習近平よ、辞職せよ」という趣旨の公開状にも、冒頭に「私たちは忠誠なる共産党員として習近平に忠告する」という旨のことが書いてある。
つまり、中国共産党員自身が、「中国共産党政権というのは、これでいいのか?」という疑問を、命をかけて発信しているのである。このシグナルをつぎつぎに強権的に摘み取っていく現実こそが、「中国共産党政権というのは、これでいいのか?」と疑問を発したくなる原因を作っているのではないのだろうか?
アカウントを閉鎖された中国の著名な企業である任志強氏のコメントも、公開状に書かれている文言も、いずれも説得力のあるものだ。
そこには国を思う「真の愛」があり、中国共産党員としての「良心」があるように筆者には映る。
中国共産党が、もともとは日本軍と共謀しながら発展してきたものであったとはいえ、毛沢東は少なくとも中国という国を建国した。そして中国人民はみな、(それが虚偽のスローガンであったとしても)かつては中国共産党を信じて生きてきた。その心が限界に来たとき、人民は爆発する。そして中国共産党による一党支配政権は崩れていくのだ。
「愛」は何よりも強いものである。「愛」以上に強い「怒り」はない。


遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
1941年中国生まれ。中国革命戦(国共内戦)を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『毛沢東 日本軍と共謀した男』『卡子(チャーズ) 中国建国の残火』『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』『完全解読 中国外交戦略の狙い』『中国人が選んだワースト中国人番付 やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ』『中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす』など多数。」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20160322-00055689/

内田樹氏の論考に寄せて

2016-03-24 16:47:53 | 文化
内田樹氏の論考を勝手にこのブログに転載した。昨日の次の記事である。→ 「日本はこれからどこへ行くのか」( http://blog.goo.ne.jp/baileng/e/3ee4ac9c21fdd9774c830d532960373a )

 この中で内田氏は現在では金はこんピユーターが1/1000分の一秒単位で稼いでいる。そしてとてつもなく金を稼ぐそのスピードと蓄積は、人間の肉体的限界を超えていると指摘している。それはアメリカの証券市場などを考えれば明らかだ。半分以上、おそらく七割程度がコンピュータによるプログラム売買によって処理されるそれは、光ファイバーで情報がやり取りされるその距離さえも問題にするほど高速化しているのであり、さらにその処理に当たるプログラム自身が自己成長することが認められている可能性が高く-AI化しているということ-その実態は私たちにはほとんどみえなくなっている。

 このように金の稼ぎ方も人間には追いつけなくなっているが、その結果を享受し様にも、そちらもほとんど無意味になっている。食事にせよ、服にせよ、何百億あるいはそれ以上の富があって、すきなだけすきなものを手に入れられるからと言って、それはもう喜びにはならない。かつてヨーロッパの貴族は1日に何回も服を変えたりしていたが、現代人には苦痛だろう。

 現代の経済は金融に支配されている。メディアは経済情報の伝達と市場経済擁護の宣伝機関だ。そして金融がAI化しているとすれば、人間はAIに既に支配され、彼らが要求する経済的成果を上げるために働いていることになりはしないだろうか。かつてSFではそのような設定がたくさんあったが、私たちが築かないうちに、もう事態はそのようになっているのかもしれない。

 30年前と比較しても労働生産性は格段に上がったはずだ。あらゆるものの製造コストもさがったはずだ。なのに貧困がなくならず、先進国ではむしろ新たな貧困の広がりが見られるのか。あらゆる生産性の伸びは金銭に換算されて金融分野に吸い上げられ、私たちのもとには還元されない。

 AIに酷使され、その中で破綻する人間たち。私たちはAIとともにある金融権力の奴隷になっているのではないだろうか。

 
 

日本はこれからどこへ行くのか/内田樹

2016-03-23 18:00:48 | 文化
「日本はこれからどこへ行くのか

先日若い研究者たちと話したときに、自分の立ち位置はどこかということが話題になった。私は自分の立ち位置を「大風呂敷を広げること」だと思うと言った。「餅は餅屋」、人はそれぞれ自分の得意なスタイルで研究すればよいのではないかと申し上げた。

私は若いときからいつも「ウチダの論文は、話は面白いが論証が雑だ」と批判され続けてきた。その通りなので反論したことがない。でも、「面白い話」を思いつくと、どうしても黙っていることができないのである。
助手の頃、フランスの文芸理論家モーリス・ブランショがナチ占領下のパリで出した『文学はいかにして可能か?』という文体論を「検閲を逃れるために暗号で書いた自らの30年代の政治活動に対する総括」だという仮説から逐語的に読み直すという大風呂敷論文を書いたことがあった。学界では「バカなことを言うな」と一笑に付されたが、その後ブランショ自身が「あれは暗号で書いた政治論文である」とカミングアウトしたので面目を保つことができた。大風呂敷もたまに「当たる」ことがある。

メディアからの寄稿依頼にはせっかくの機会なのだから、「私以外の誰かも書きそうもないこと」だけを選択的に書くことにしている。「それでは困る」という人も(大手の新聞などには)いるが、「それがいい」と言って下さるところもある。

本誌は後者の方である。担当編集者が今号で編集部を去るというので、餞別代わりに現代日本がどういう歴史的文脈のうちにあるかについて大風呂敷を思い切り拡げさせてもらうことにする。

世界史的スケールで見ると、世界は「縮小」プロセスに入っていると私は見ている。「縮小」と言ってもいいし、「定常化」と言ってもいいし、「単純再生産」と言ってもいい。「無限のイノベーションに駆動されて加速度的に変化し成長し続ける世界」というイメージはもう終わりに近づいている。別にそれが「悪いもの」だから終わるのではない。変化が加速し過ぎたせいで、ある時点で、その変化のスピードが生身の人間が耐えることのできる限界を超えてしまったからである。もうこれ以上はこの速さについてゆけないので人々は「ブレーキを踏む」という選択をすることになった。別に誰かが「そうしよう」と決めたわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。相互に無関係なさまざまなプレイヤーが相互に無関係なエリアで同時多発的に同じ行動を取る。今起きているのはそれである。「変化を止めろ。変化の速度を落とせ」というのが全世界で起きているさまざまな現象に通底するメッセージである。

そのメッセージを発信しているのは身体である。脳内幻想は世界各地で、社会集団が異なるごとにさまざまに多様化するが、生身の身体は世界どこでも変わらない。手足は二本、目や耳は一対。筋肉の数も骨の数も決まっている。一日8時間眠り、三度飯を食い、風呂に入り、運動し、酔っ払ったり、遊んだりすることを求める。それを無視し続けて、脳の命令に従わせて休みなく働かせ続けていれば、いずれ身体は壊れる。そして、いま世界中で身体が壊れ始めている。戦争で破壊され、放射性物質で破壊され、ブラック企業で破壊され、学校で破壊され、医療で破壊されている。
速度という点ではグローバル資本主義での経済活動が圧倒的である。今、株の取引は人間ではなくアルゴリズムが行っている。1000分の一秒単位での株の売り買いはもう人間の身体ではそこで何が行われているかを想像的にも追体験することができない。成功した投資家や起業家の中は個人資産が天文学的数字に達している者がいるが、その金額は生身の人間の生理的欲求を満たすレベルをはるかに超える。日替わりで自家用ジェット機を乗り換えても、分刻みで上から下まで服を着替えても、毎食を三つ星シェフたちに作らせても、身体はそれを「愉しい」とはもう感じられない。けれども、彼らは「もう限度を超えて儲け過ぎたから、この辺で手じまいにして、貧者にトリクルダウンしよう」と思ったりはしない。限度というのは、身体にしかない。そして、グローバル資本主義のトッププレイヤーたちはもう身体を持っていない。

こうして経済活動は限度なく加速化してきた。そしていま人々はそれに疲れ始めてきた。しつこいようだが、ことの良し悪しを言っているのではない。疲れたのに良いも悪いもない。そして、「ちょっと足を止めて、一息つかせて欲しい」という気分が全世界的に蔓延してきた。

私がそれをしみじみと感じたのは、昨夏の国会前のSEALDsのデモに参加したときである。国会内では特別委員会が開かれ、法案の強行採決をめぐって怒号が行き交い、殴り合いが演じられていた。一方、国会外では若者たちが「憲法を護れ。立憲政治を守れ」と声を上げていた。
不思議な光景だと思った。

私が知っている戦後の政治文化では、つねに若者が「世の中を一刻も早く、根源的に変えなければいけない」と主張し、老人たちが「そう急ぐな」とたしなめるという対立図式が繰り返されていた。だが、2015年夏の国会では、年老いた政治家たちが「統治の仕組みを一刻も早く、根源的に変えねばならぬ」と金切り声を上げ、若者たちが「もうしばらくはこのままでいいじゃないですか」と変化を押しとどめていた。
構図が逆転したのである。

「変わり続けること、それもできるだけ速くかつ徹底的に」ということそれ自体が「善」であるというある種の思い込みが私たちの社会をせき立ててきたが、今その「思い込み」に対する疑念が生じてきたのである。変化に対する膨満感と言ってもいいかも知れない。逆説的な表現だけれど、変化することに飽きるということがあるのだ。「変化しなければならない」という説教をエンドレス再生で聴かされているうちに「そういうお前が変われよ」と言いたくなってくる。それが生物の本性である。
本来なら今よりもっと前のどこかの段階で、「私たちはずいぶんさまざまな変化をしてきたけれど、それはほんとうに必要なことだったのか、適切な選択だったのか、それについて立ち止まって総括をすべきではないか」という提案がなされるべきだったと思う。けれども、誰もそんなことを口にしなかったし、思いつきもしなかった。なぜか。理由は簡単である。メディアはそのような問いを思いつかないからだ。

メディアは構造的に「変化の是非を問う」ということができない。メディアにとってあらゆる変化は変化であるだけですでに善だからである。当然のことだが、メディアの頒布している唯一の商品は「ニューズ」である。「新しいもの」、それしかメディアが売ることのできる商品はない。「ニューズのない世界」にメディアは存在理由を持たない。「今日は特筆すべき何ごともありませんでした」というのは、生活者にとってはとても幸福なことであるが、メディアにとっては地獄である。だから、メディアは原理的に変化を求める。変化を嫌い、定常的に反復される制度文物があれば進んで手を突っ込んで「変化しろ」と急かし、場合によっては破壊しさえする。そして、メディアで働く人たちは、自分たちが「変化は善である」という定型的信憑に縛り付けられて、そこから身動きできなくなっているという事実に気づいていない。
私はそれを学校教育の現場で身にしみて味わった。私が教育現場にいた過去30年間、メディアが「学校教育のこの点については『これまで通りでよい』と思う」と書いた記事を読んだ記憶がない。教育に関してメディアは「なぜ、もっと早く、もっと根本的に変わらないのか」しか書かなかった。これは誇張ではない。

だが、学校や医療や司法のような社会的共通資本の最優先課題は何よりもまず定常的であること、惰性的であることなのである。それが生身の人間の等身大の人生を安定的に保持するための装置だからである。そのような装置はそのつどの支配的な政治イデオロギーや消費動向や株価の高下や流行などに左右されてはならない。定常的・惰性的であること、急激には変化しないことが手柄であるような社会制度というものがこの世には存在するのである。政権交代するごとに変わる教育制度とか、景況が変わる毎に変わる医療制度とか、株価の高下で変わる司法判断とかいうものはあってはならない。
勘違いして欲しくないが、それは政治イデオロギーがつねに邪悪であるからとか、経済活動はつねに人間を不幸にするという理由からではない。政治イデオロギーの消長や市場での消費者や投資家の行動は「複雑系」であって、わずかな入力の変化によって劇的に出力が変わる。複雑系は安定的な制御が困難であり、次のふるまいを予測することが不可能である。だから、人間が集団的に生きるために安定的に管理運営されていなければならない制度は複雑系に委ねてはならならないのである。

政治イデオロギーや消費欲望は高速かつランダムに変化する。それが「持ち味」なのだから、「やめろ」と言っても始まらない。でも、社会的共通資本をイデオロギーや消費欲望の動きにリンクさせることは集団的な自殺に等しい。変化してよいものと変化してはいけないものを切り分けねばならない。「変化してはいけないものには手を着けない」という当たり前のことを常識に登録しなければならない。

中国の大気汚染や水質汚染や鉄道事故や建造物の崩壊などは、経済的利益を最優先して、人間の生身の体を配慮しないと何が起きるかを示す好個の例である。大気や水質は基本的な社会的共通資本である。それなしでは人間が生きてゆけないものである限り、空気や水は何が起きようと安定的に管理されていなければならない。いっときの経済成長のために汚染するに任せてよいものではない。

でも、そんな当たり前の理屈がもう通らなくなっている。それがグローバルスタンダードなのだ、それを基準にして最速で行動しなければ経済競争に遅れを取るのだと言われて、これまで人々はそんなものかとあいまいに頷いてきたけれど、ようやく「ちょっと待ってくれ」と言い始めた。すると、気色ばんだ人たちがやって来て、「待てというが、おまえに対案があるのか? 原発を稼働させ、増税し、武器を輸出し、生産性の低いセクターを淘汰する以外にどうやって経済成長する道があるのだ?」とがみがみ言い立てる。けれども、生身の人間が生きてゆくのが困難になるようなことをしておいて「文句があれば対案を出せ」と急かすのはことの筋目が違うだろう。1916年にサイクス=ピコ協定について英仏の外交官が地元の遊牧民たちに向かって「これ以外にオスマントルコ帝国の瓦解のあとの中東の安定的な統治システムがあるのか。あれば対案を出せ」と凄む権利があると私は思わない。地元の人が「対案はないが、とりあえず勝手に国境線を引くのは止めてくれ」と言ったとしても、それを一蹴する権利は英仏にあると私は思わない。

私たちは「いくらでも変化してよいもの」と「手荒に変化させてはならないもの」を意識的に区別しなければならない。繰り返し言うが、人間が集団として生きて行くためになくてはならぬもの、自然環境(大気、海洋、河川、湖沼、森林など)、社会的インフラ(上下水道、交通網、通信網、電気ガスなど)、制度資本(学校、医療、司法、行政など)は機能停止しないように定常的に維持することが最優先される。「大気が汚染されたので産業構造を再設計するまでしばらく息を止めていてください」という訳にはゆかないし、「教育制度の出来が悪いので、制度を作り替えるまで、子どもたちは学校に来ないでください」という訳にもゆかない。生身の人間を相手にしている場合には軽々に「根本的変化」ということを企てることができない。生身の人間が自然環境・社会環境との間でなしうるのは「折り合いをつける」ことまでであって、それ以上のことは求めてはならない。

それくらいのことはわかっていいはずなのだが、それくらいのことさえわかっていない人間たちが現代世界では、政官財メディアの世界を仕切っている。彼らはつねに浮き足立っている。つねに何かに追い立てられている。「一刻の猶予もない」「バスに乗り遅れるな」というのが、彼らが強迫的に反復する定型句である。彼らは「浮き足立つ」とは、「状況の変化に絶えず適切に対応してこと」と同義だと信じているようだが、それは違う。彼らはただ「浮き足立つ」という不動の定型に居着いているに過ぎない。

それが最も端的かつ病的に現われているのが先に述べた通りメディアである。メディアは「変化」に依存し、「変化」に淫しているビジネスなので、あらゆる変化は、それが劣化や退化であっても、メディアに「ニューズ」を提供する限り「よいもの」と見なされる。だが、彼らは自分たちがあらゆる変化を歓迎する定型的なものの見方に居着いて、自らは全く変化していないという事実は意識化することができない。だから、「ニューズ」を売って生計を立てることがビジネスとして成立しなくなりつつあるという「ニューズ」はこれを取材することも分析することもできないのである。
例えば、全国紙の消滅というリスクはもう間近に迫っている。これがどういう理由で始まり、どう進行し、やがてどのような社会的影響をもたらすかということについてまともな分析をしている全国紙のあることを私は知らない。

私が朝日新聞の紙面審議委員をしていた数年前、朝日新聞は年に5万部ずつ部数を減らしていた。「重大な事態ではないか」という私の懸念を朝日の首脳陣は「800万部がゼロになるまで160年かかります」と一笑に付した。だが、その朝日新聞は過去2年は月に5万部ずつ部数を減らしている。部数減の速度がほぼ10倍になったのである。ということは、あと15年ほどで朝日新聞の発行部数はゼロになる勘定である。誤報問題で朝日を叩き、自社の発行部数を上げようとした讀賣新聞も60万部減という煮え湯を飲まされた。もうどの新聞も、購読者の高齢化と、若者たちの新聞離れと、新聞自身のメディアとしての機能劣化によって「ゼロまで」のカウントダウンに入っている。

現場の若い記者たちは、果たして定年になるまで自分の会社が存在するのかどうかについて不安を隠さない。だが、同様の危機感を新聞社の上層部からはほとんど感じることがない。ある全国紙の幹部社員は「部数がゼロになっても不動産がありますから、テナント料でしばらくは食いつなげます」と自嘲的に言った。不動産のテナント料で定年まで給料をもらう人間を「ジャーナリスト」と呼ぶことが可能だろうか。

全国紙の消滅は「たいした変化をもたらさない」と言い放つ人もいる。紙の新聞がネットニュースに取って代わられるだけのことだ、と。私はその見通しは楽観的に過ぎると思う。あまり知られていないことだが、日本のように数百万部の全国紙がいくつも存在するというような国は他にはない。『ル・モンド』は30万部、『ザ・ガーディアン』は25万部、『ニューヨークタイムズ』で100万部である。知識人が読む新聞というのは、どこの国でもその程度の部数なのである。それが欧米諸国における文化資本の偏在と階層格差の再生産をもたらした。それに対して、日本には知識人向けのクオリティーペーパーというものが存在しない。その代わりに、世界に類例を見ない知的中産階級のための全国紙が存在する。それがかつては「一億総中流」社会の実現を可能にした。一億読者が産経新聞から赤旗までの「どこか」に自分と共感できる社説を見出すことができ、それを「自分の意見」として述べることができた時代があった。結論が異なるにせよ、そこで言及される出来事や、頻用される名詞や、理非の吟味のロジックには一定の汎通性があった。この均質的な知的環境が戦後日本社会の文化的平等の実現に多いに資するものだったことについて、すべての新聞人はその歴史的貢献を誇る権利があると私は思う。

けれども、当の新聞人自身は、日本の全国紙が世界的に見てどれほど特殊なものであるのか、どのような特殊な歴史的条件で出現してきたものであり、それゆえどのような条件の欠如によって消滅することになるのかについてほとんど何も考えてこなかった。当事者が何も考えていないうちに、遠からず全国紙はその歴史的使命を終えることになる。それがもたらす社会的影響は、記者の失業というようなレベルの問題にはとどまらない。それは「言論のプラットフォーム」が消失するということであり、文化資本分配における「総中流」時代が終わるということを意味している。

ネットでニュースを読む人たちは、「自分たちが読みたいと思っている記事」だけを選択することによって、「自分たちがそうあってほしいと思っている世界像」を自ら造形している。そのリスクに気づいている人もいるはずだが、もう止めようがない。
主観的に造形されたばらばらの世界像を人々が私的に分有する社会では、他者とのコミュニケーションはしだいに困難なものになってゆく。それはギリシャ神話の伝説の王が手に触れるものすべて黄金にする能力を授けられたために、渇き、飢え、ついには完全な孤独のうちに追いやられたさまに少し似ている。自分が選んだ快適な情報環境の中で人々は賑やかな孤独のうちに幽閉される。情報テクノロジーの発達とグローバルな展開が情報受信者たちの「部族化」をもたらすという逆説を前にして私は戸惑いを隠せない。

全国紙が消え、「コミュニケーションのプラットフォーム」が失われるというのは、巨大な「事件」である。なぜ、そのような「事件」の予兆がありありと感じられながら、メディアはその「事件」を報道しないでいられるのか、それをとどめるための手立てを講じずにいられるのか。いやしくも知性というものがあれば、この現実からは目を背けることができないはずである。私はこの自己点検能力の欠如のうちにメディアの深い頽廃を感じるのである。

新聞の社説は相変わらず「経済成長戦略の必要」を書き続けている。だが、書いている記者たち自身はもう自分の書いている記事をそれほど信じてはいない。もう経済成長はしない。それは「アベノミクスの失敗」というわかりやすい事実としてもう経済部の記者たちには熟知されているはずである。けれども、それについてはまだ書くことができない。他の全国紙がまだ書いていないからである。他が書き出せば、続けて書くことはやぶさかではないが、口火を切って、官邸やスポンサーからの圧力を単身で引き受けるだけの度胸はない。

「経済は無限に成長する」というありえない前提を信じるふりをして経済記事を書き続けてきたせいで、グローバル資本主義はいつどういう仕方で終わるのか、社会はどのようなプロセスを辿って定常的なかたちに移行するのか、脱市場・脱貨幣というオルタナティブな経済活動とはどのようなものか、といった緊急性の高い問いに今の経済記事は一言も答えていない。そのような問いそのものを意識から追い払おうとしているからだろう。

たぶんこういうことなのだ。商品としての「ニューズ」を右から左に機械的に流しているうちに、彼らはある定型にあてはまる「変化」しか「変化」として認知できないようになったのである。「半年ごとにイノベーションを達成すること」を従業員に課したせいで経営危機に陥ったある大手家電メーカーのことを私は思い出す。イノベーションというのは、ふつうはそれまでのビジネスモデルを劇的に変えてしまうせいで、既存モデルの受益者たちがいきなり路頭に迷うような劇的変化のことを言う。「半年ごとのイノベーション」で収益増と株価高をめざした経営者が思い描いたのは「飼い慣らされたイノベーション」のことであって、その語の本来の意味での「イノベーション」ではない。だから、業界全体を地殻変動的に襲った「野生のイノベーション」には対応することができなかったのである。

メディアも同じである。「ニューズ」を売り買いしているうちに、メディア業界の消長という「本質的な変化」についてはこれを「ニューズ」としてとらえ、報道することができなくなってしまったのである。

取り散らかった話をまとめよう。
私が言いたいことの第一は、グローバル資本主義はその末期段階を迎えたということである。それを象徴する最大の出来事は、アメリカが主導してきたグローバリズムが、それとは価値観を異にする「もう一つのグローバル共同体」に衝突して、地球を覆い尽くすことが不可能になったことである(「地球を覆い尽くすことができないグローバリズム」というのは形容矛盾である)。

「もう一つのグローバル共同体」とはもちろんイスラーム共同体のことである。宗教、言語、生活規範、食文化、服飾規範などを共有し、モロッコからインドネシアに至る16億人から成るグローバル共同体は1300年前から存在した。けれども、それが政治単位として前景化することは近代以降にはなかった。東西対立の時代にも、南北問題の時代にもなかった。なかったから「ないもの」として欧米はその存在を忘れていた。けれども、それがグローバル化の加速度的な進行によって、アメリカ標準によるグローバル化が包摂できない「異物」として不意に前景化してきたのである。パレスチナ、アフガニスタン、湾岸戦争、イラク戦争、タリバン、シリア内戦、ウイグル独立運動、イスラーム国・・・国際社会における解決不能問題は、それが欧米国家の手持ちの政治問題解決ウェポン(金、軍事力、民主主義)では理解もできないし、操作もできない因子によって構成されていることをあきらかにした。

この二つのグローバル共同体の間の非妥協的な対面状況がもたらしている直接的な政治的現実は戦争とテロである。戦争とテロを停止させるためには、とりあえず双方が理非はさておき、今まで「よかれ」と思ってしてきたことを一時的に止めるしかない。それは問題の解決ではないし、矛盾の止揚でもない。ただの「停止」である。けれども、ものには順序がある。まず「Cease fire」を宣告して、引き金から指を離さなければならない。

私たちの世界が今求めている言葉はそれである。「止まれ」である。「落ち着け」である。「浮き足立つな」である。停止することが決定的な変化を意味するような局面というものがある。自分たちがこれまで使ってきた度量衡や価値観や効果的なはずのウェポンが無効になる局面になったときには、「どうしていいかわからない」と素直に認めるところからしか話は始まらない。

グローバル資本主義は「停止」局面を迎えた。何度も言うが、私はシステムの理非について述べているのではない。停まるべきときには停まった方がいい、と言っているだけである。「停めろというなら対案を出せ」と言われても、私にはそんなものはない。すべてのステイクホルダーが納得できる対案が出るまで戦い続けるという人たちはどちらかが(あるいは双方が)死ぬまで戦いを止めることができないだろう。
それが世界史的文脈における「停止要請」の実相である。いったん時計の針を止める。そして、「とりあえずこれについては合意できる」というところまで時計の針を戻す。そしてそこから「やり直す」しかない。
国内的にも私たちがするべきことは立ち止まることである。「成長だ、変化だ、イノベーションだ、リセットだ」と喚き散らしながら、いったいこれまで何を作り上げ、何を壊して来たのか、その一つ一つについて冷静な点検を行うべき時が来ている。」

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丸山眞男「超国家主義の論理と心理」を読む/子安より

2016-03-18 16:18:28 | 政治
「 「かくて我らは私生活の間にも天皇に帰一し、国家に奉仕するの念を忘れてはならぬ」(臣民の道)といっているが、こうしたイデオロギーはなにも全体主義の流行と共に現われ来たったわけではなく、日本の国家構造そのものに内在していた。
           丸山眞男「超国家主義の論理と心理」

1 「超国家主義の論理と心理」

  「超国家主義」は昭和日本のファシズムや全体主義を意味する概念として使われている。たとえば「現代日本思想大系」(筑摩書房)には橋川文三の編集・解説からなる『超国家主義』(第31巻)の巻がある。それは『アジア主義』(第9巻)『ナショナリズム』(第4巻)とは別に立てられた昭和ファシズムとその代表的言説を編集する巻だと考えられる。ところでその巻の編者である橋川はその解説で「日本の近代史においては、たとえばドイツもしくはイタリアに見られるような、明確なファシズム革命というものがなく、いわばなしくずしの超国家主義化が進行したために、その政治的要因として、一般の右翼思想・国家主義思想から区別された超国家主義的契機を、それとしてとり出すことが特別に困難である」といっている。橋川はここで丸山眞男が「どこからファッショ時代になったかはっきりいえない」と日本ファシズムの「漸進的な性格」[1]をいう言葉を引いていっている。私がここで注意したいのは「超国家主義」という日本ファシズムの特性がドイツやイタリアのそれとの区別からいわれることである。こうした「超国家主義」としての日本ファシズムの特質化は丸山によるものである。

  「超国家主義」という概念を戦後日本に定着させたのは、敗戦の翌年に発表された丸山の論文「超国家主義の論理と心理」[2]であるだろう。この論文は戦後日本の思想的言論世界にもっとも大きな影響力をもったものだといっていい。戦後20年に当たって『中央公論』(1964年10月号)が「戦後日本を創った代表論文」という特集をやっている。猪木正道・臼井吉見らの選考委員が18篇の論文を選んでいるが、圧倒的多数の票をもって第一位に選ばれたのは丸山のこの「超国家主義」論文であった。ところで丸山はその論文をこう書き出している。

  「日本国民を永きにわたって隷従的境涯に押しつけ、また世界に対して今次の戦争を駆りたてたところのイデオロギー的要因は連合国によって超国家主義ウルトラ・ナショナリズムとか極端国家主義エクストリーム・ナショナリズムとかいう名で漠然と呼ばれているが、その実体はどのようなものであるかという事についてはまだ十分に究明されていないようである。いま主として問題になっているのはそうした超国家主義の社会的・経済的背景であって、超国家主義の思想構造乃至心理的基盤の分析は我が国でも外国でも本格的に取り上げられていないかに見える。」

   丸山は「超国家主義」とは日本を戦争に駆りたてたところのイデオロギー的要因に連合国が仮に名づけた呼び方だというのである。そうだとすれば「超国家主義」は日本のファシズムなり全体主義をいう概念としてすでにあった概念ではないことになる。むしろ「超国家主義」は丸山のする分析的認識作業、すなわちその「思想構造乃至心理的基盤の分析」作業を通じてはじめて日本の独自的なファシズム、あるいは日本的特性をもったファシズムを指す概念として成立したと考えられるのである。「超国家主義」とは、だから丸山のこの論文が構成する日本ファシズムの概念である。だが丸山自身はこの論文以降、「日本ファシズム」といって「超国家主義」をいうことをあまりしていないように思われる。だが「超国家主義」は丸山のこの論文による概念構成とともに、日本ファシズムの代名詞として一人歩きしている。

  では丸山はどのように「超国家主義」を日本的ファシズム概念として構成していったのか。丸山がいましようとしているのは「超国家主義」の「思想構造乃至心理的基盤の分析」である。もしこの論文によって「超国家主義」概念が構成されたとするならば、その概念は「思想構造乃至心理的基盤の分析」を通じて構成されたものだということである。これは見逃してはいけない大事なことだ。丸山はこの分析、すなわち「思想構造乃至心理的基盤」の分析はあまりなされていないという。というのは、この問題が「あまりに簡単であるからともいえるし、また逆にあまりに複雑であるからともいえる」からだといっている。あまりに簡単であるというのは、「それが概念的組織をもたず、「八紘一宇」とか「天業恢弘」とかいったいわば叫喚的なスローガンの形で現れているために、真面目に取り上げるに値しないように考えられるから」だというのである。

   丸山がここでこちらの「八紘一宇」といった簡単すぎる叫喚的なスローガンに対置しながら、あちらのナチズム・ファシズム運動を代表するものとして挙げるものは何か。「例えばナチス・ドイツがともかく『我が闘争』や『二十世紀の神話』の如き世界観的体系を持っていた」ことを丸山はいうのである。ここに見るのは丸山の政治学的言説に、その言説構成を可能にするものとして終始つきまとう図式的な東西の対比的思考である。なぜ丸山はヒトラーの『我が闘争』やローゼンベルクの『二十世紀の神話』に対置するのに北一輝の『日本改造法案』や大川周明の『日本二千六百年史』をもってせずに、「八紘一宇」や「天業恢弘」といった叫喚的スローガンをもってするのか。ここで『我が闘争』や『二十世紀の神話』に対置するのに北や大川の著作をもってすることの適否が問われることではない。問題なのは『我が闘争』をもつか、もたないから日本ファシズムの特質を導いていく丸山の政治学的分析のあり方である。

   「超国家主義」概念を構成していく丸山の日本ファシズムをめぐる分析視角は、『我が闘争』の有る無しを問うような東西の対比的分析視角である。この東西の対比的分析視角は問われるものの特質を予め規定してしまっているように思われる。

  「国民の心的傾向なり行動なりを一定の溝に流し込むところの心理的な強制力が問題なのである。それはなまじ明白な理論的な構成を持たず、思想的系譜も種々雑多であるだけにその全貌の把握はなかなか困難である。是が為には「八紘一宇」的スローガンを頭からデマゴギーときめてかからずに、そうした諸々の断片的な表現やその現実の発現形態を通じて底にひそむ共通の論理を探り当てる事が必要である。」(傍点は子安)

  『我が闘争』をもたないわがファシズム、すなわち「超国家主義」という概念はこのように「思想構造乃至心理的基盤」の分析を通じて構成されるのである。


2 『我が闘争』はここには無い

 一般にはファシズムという政治イデオロギーを備えた政治的、思想的運動体系が組織的宣伝と大衆教育を通じてファショ的という同調的心理を大衆の間に作り出していく。こうして時代と社会とは全体主義的に再編成されていくのである。たしかにそこには時代と社会のファショ化を主導するイデオロギーがあり、そのイデオロギーを担う主体と組織と運動とがある。だが日本ファシズムには『我が闘争』はないと丸山はいうのである。『我が闘争』がここにはないと丸山がいうとき、それは何を意味するのか。

  『我が闘争』が日本ファシズムにはないということは、最初に引いた橋川の「解説」がいうように、日本ファシズムには「始まり」がないことを意味している。「始まり」がないとは、始まりを画する宣言といった言語的表明がないということである。言語的表明がないということは、始まりを告げるような確信的な表明主体がないということである。このように丸山が日本ファシズムには『我が闘争』はないということは、私が上に「ここには時代と社会のファショ化を主導するイデオロギーがあり、そのイデオロギーを担う主体と組織と運動とがある」といったファシズム運動の一般形としては日本ファシズムを見ないことを意味する。丸山は日本ファシズムをファシズムの特異形として見るのである。「超国家主義」とはこの特異形としての日本ファシズムをいうのである。この特異形としての日本ファシズムを叙述する丸山の論文「超国家主義の論理と心理」は、この日本ファシズムという特異形、あるいはむしろ奇形に対して嫌悪感を含んだサチールをしばしば浴びせかける。「慎ましやかな内面性もなければ、むき出しの権力性もない。すべてが騒々しいが、同時にすべてが小心翼々としている。この意味に於いて、東条英機氏は日本的政治のシンボルと言い得る。」

   日本ファシズムには始まりもなければ、始まりを告げる言葉も主体もない。では何があるのか。ここにあるのは日本的特異形としての国家、すなわち天皇制的国家があるのである。ここでは国家の存立そのものが、「国民の心的傾向なり行動なりを一定の溝に流し込むところの心理的な強制力」をともなったものとして、あるいはそうした心理的な強制力をたえず生み出す権威的源泉としてあるのである。日本ファシズムの特異性とは日本的国家の特異性である。日本ファシズムはこの日本的国家と国家主義の特異性が生み出すものとして「超国家主義」=極端な国家主義といわれるのである。

3 〈国体論的国家〉

   丸山は特異形としての日本的国家を、例によって東西の対比的視角による特質化をもってしている。いま西の〈国家類型〉が丸山によってどのように構成されるかを見てみよう。

  「ヨーロッパ近代国家はカール・シュミットがいうように、中性国家(Ein neutraler Staat)たることに一つの大きな特色がある。換言すれば、それは真理とか道徳とかの内容的価値に関しては中立的立場をとり、そうした価値の選択と判断はもっぱら他の社会的集団(例えば教会)乃至は個人の良心に委ね、国家主権の基礎をば、かかる内容的価値から捨象された純粋に形式的な法機構の上に置いているのである。」

   丸山はここで〈中性国家〉を近代国家の理念型として記述しているのではない。西側・ヨーロッパの近代国家を〈中性国家〉として特質化し、記述しているのである。この記述はすでに虚構である。この〈中性国家〉の記述は、その反対側に〈反・中性国家〉を導くための虚構である。東西の対比的視角による東の国家・社会の特質化的記述は虚構の記述となることを免れない。私はカール・シュミットを呼び出してする丸山の〈中性国家〉の理念型的記述を読みながら、『日本政治思想史研究』で丸山が構成する荻生徂徠の〈作為的社会〉像の記述を思い起こした。「超国家主義の論理と心理」のこの一節を読みながら、あたかも『日本政治思想史研究』の徂徠論の一節を読んでいるかのような錯覚を私はおぼえた。制作主体を前提にもった〈作為的社会〉としてヨーロッパ近代社会像を理念型的に構築し、それを徂徠の〈先王の道〉をめぐる儒家的政治思想に読み入れ、近代に先駆する徂徠の〈作為的社会〉像を丸山はでっち上げ的に構築し、記述するのである。こうしてわれわれが『日本政治思想史研究』に読まされるのは、徂徠の〈作為的社会〉像を江戸に置き忘れて近代化する日本国家社会の前近代的な国家社会構成と思惟様式の持続である。

   明治の啓蒙期にヨーロッパ〈近代〉の虚構的理念型的構成が意味をもったのは、近代化の教えとしてであった。福沢の『文明論之概略』などはそのもっとも良質な例であろう。だが近代先進国家米英との総力戦に敗れた1946年の戦後日本にとって、ー総力戦を戦いうるということは日本もまた近代先進国家であったことを意味するーヨーロッパ〈近代〉の虚構的理念型化の言説はなお教えとしての意味をもっていたのだろうか。それは福沢を唯一の師とする丸山による再度の、そして真正の近代化の教説なのか。それともこれは丸山による西欧近代の対極像としての前近代国家日本の呪詛をこめた否定的再構築の言説であるのか。

   丸山はヨーロッパにおける近代〈中性国家〉の形成過程を、「(政治と宗教との間の熾烈な確執は)かくして形式と内容、外部と内部、公的なものと私的なものという形で妥協が行われ、思想信仰道徳の問題は「私事」としてその主観的内部が保証され、公権力は技術的性格を持った法体系の中に吸収されたのである」と記述していく。ヨーロッパ近代の〈中性国家〉の丸山における理念型的成立とともに、あるいはその成立を前提にしてはじめて〈反・中性国家〉としての日本的国家が記述されることになる。丸山による日本的国家の記述を見よう。

  「日本は明治以後の近代国家の形成過程に於て嘗てこのような国家主権の技術的、中立的性格を表明しようとしなかった。その結果、日本の国家主義は内容的価値の実体たることにどこまでも自己の支配根拠を置こうとした。」

  「そうして第一回帝国議会の召集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体としての価値内容の独占的決定者たることの公然たる宣言であったといっていい。」

  「国家が「国体」に於て真善美の内容的価値を占有するところには、学問も芸術もそうした価値的実体への依存よりほかに存立し得ないことは当然である。しかもその依存は決して外部的依存ではなく、むしろ内部的なそれなのである。」

  〈中性国家〉の対極に構成されてくるのは、価値的な実体としての国家である。この価値的実体としての国家である。この価値的実体としての国家とは、19世紀終わりの東アジアで国家の自立的存立をかけた日本が国家に与えていった無二の国家性ナショナリティーである。この無二の国家性を天皇と国家と国民の同時的成立をいう創成神話をもって修飾し、それを「国体」として日本の近代国家存立の理念的基盤としていったのである。

   私がいいたいのは丸山がいう「価値的実体」としての国家、あるいは「国体」論的国家とは明治日本が創りだした国家だということである。それは決して近代日本に成立する国家が自ずから備える性格ではない。福沢は『文明論之概略』で明治初年の国民は〈中性国家〉をとるか、〈国体論的国家〉をとるかの重大な選択を迫られていることをいっている。1875年の福沢において〈中性国家〉はなお可能な国民の選択肢であった。だが1946年の丸山にとって〈中性国家〉は近代日本における〈国体論的国家〉の運命的な肥大を呪詛を以て描き出すための虚構の理念型である。丸山は日本国家の国体論的存立を日本の近代国家の特異性としてとらえ、国体論的国家主義の過剰の展開を〈超国家主義〉として記述していった。

   〈超国家主義〉が日本的全体主義であるのは、それが〈国体論的国家〉への国民の身体的、精神的統合を強制し、あるいは内部からうながす国家主義的支配の体系であるからであろう。ここで丸山の〈超国家主義〉的支配の分析の特異性は、〈国体論的国家〉の存立そのものが生み出す、国民の支配ー服従の特異な心理過程の分析的な記述にある。丸山は国民の支配ー服従の心理過程を陸軍内務班に象徴的に見ながら有名な「抑圧の移譲」という権力支配のあり方を描き出す。

  「さて又、こうした自由な主体意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが保持されている体系である。」

  この「抑圧の移譲」という支配ー服従の体系は天皇制国家の支配ー服従の体系にほかならない。

  「天皇を中心とし、それからのさまざまの距離に於て万民が翼賛するという事態を一つの同心円で表現するならば、その中心は点ではなくして実はこれを垂直に貫く一つの縦軸にほかならぬ。そうして中心からの価値の無限の流出は、縦軸の無限性(天壌無窮の皇運)によって担保されているのである。」

   丸山の「超国家主義の論理と心理」への人びとの称賛は、ほとんどこれらの天皇制国家の支配ー服従の社会心理学的な記述への称賛に行きつく。人びとは争ってこれを引用し、この引用をもって日本ファシズムへの追及を止めてしまった。そのとき人びとは丸山とともに日本ファシズムを隠蔽し、見逃してしまったことに気付かない。


4 日本ファシズムには始まりがある

   日本ファシズムには始まりがないと丸山はいう。彼はこれを日本ファシズムには『我が闘争』がないといういい方でしていた。丸山という現代日本の代表的知識人のこの臭みのあるいい方は、二つのことを意味している。一つには日本ファシズムを〈国体論的国家主義〉の始まりのない漸進的な過激化としてとらえることである。二つには丸山の日本ファシズムの記述は日本的特異性の記述に終始することである。この二つは日本ファシズムを丸山が〈超国家主義〉として概念構成することの両面である。

   丸山は日本ファシズムを〈超国家主義〉として概念構成することによって、すなわち日本ファシズムを〈国体論的国家論〉の問題に還元してしまって、1930年代における世界史的全体主義の成立の問題から切り離してしまう。ドイツ・ナチズムは丸山において日本ファシズムの特異性を暴き出す理念型になってしまう。これは丸山政治学の根底的な間違いである。

   日本ファシズムを世界史的全体主義との関連の中で見るならば、日本ファシズムは昭和ファシズムとして成立した時期をはっきりともつことになる。その時期とは1931(昭和6)年の満州事変が起こった時期である。総力戦を可能にする日本の全体主義的体制下がこの事変とともに始まったのである。全体主義化する昭和日本のただ中に生まれた私はもとよりこの変化を知ることはなかった。だが丸山たちの世代は満州事変とともに始まる日本の体制的変化に気付いたはずである。にもかかわらず丸山は敗戦の翌年に日本ファシズムを始まりのない〈超国家主義〉として、ファシズムの日本的特異型として記述した。「超国家主義の論理と心理」は大きな評価をえた。だがこの論文の成功とともに日本ファシズムをその張本人どもとともにわれわれは見逃してしまったのである。

   われわれはいま安倍と日本会議に日本ファシズムの21世紀的再生を見ている。これは世界的に見て他に例をみない事態である。

  なぜ我々は世界に例を見ない戦前ファシズムの再生復活を許してしまったのか。私は慙愧の思いで戦後過程を振り返っている。われわれは日本ファシズムを見逃してきたのではないか。丸山の「超国家主義の論理と心理」はこの見逃しの一因をなしているのではないか。

子安宣邦 (大阪大学名誉教授)

※本稿は子安氏のブログからの転載です。


注釈

[1] 丸山眞男「日本ファシズムの思想と運動」『増補版 現代政治の思想と行動』未来社、1964.

[2] 丸山の「超国家主義の論理と心理」は敗戦の翌年(1946年)の『世界』の5月号に掲載された。私がいま見ているのは上掲『増補版 現代政治の思想と行動』所収のものである。」

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602112350414

ショーンKの詐称問題/IWJ・メルマガより

2016-03-18 15:09:24 | 報道
「 おはようございます!IWJで記者をしている佐々木隼也と申します。

 またしても「文春砲」が炸裂しました。一昨日発売の『週刊文春』で、イケメンのテレビコメンテーターとして活躍する自称・経営コンサルタントの「ショーンK」さんこと、ショーン・マクアードル川上さんの「学歴詐称」が暴かれたのです。テレビでもネットでも大騒ぎとなっており、このニュースがいくつも目に入ります。

 その「詐称」の中身を見て、久々に「え~!」と驚きました。「ハーバード大学院(MBA)卒」や「パリ大学留学」が嘘で、実際はオープン授業やオープンキャンパスに行っただけだった、というのは言うに及ばず、「テンプル大学卒」が嘘どころか、実際には大学に行ったこともなく、高卒だったのですから。ものすごい「盛り方」ですね。

 さらに肩書きの「経営コンサルタント」というのも嘘で、実際は実態のないペーパーカンパニーであり、その会社の共同経営者としてHPに掲載されていた「ジョン・G・マクガバン」なる人物も実在せず、無関係な人物の写真を無断使用していたそうです。「学歴」だけでなく「職歴」「経歴」もまるまる詐称しているわけです。これは…もはや「詐欺師」といってもよいレベルですね…。さらには、日本と米国とのハーフという出自も嘘なのでは…?甘いマスクも、実は整形なのでは…?との疑惑まで囁かれています。

 しかし、この15年間、名だたる企業経営者や経済関係者向けに講演活動などを行っていたショーンさん。よくバレなかったですよね…。財界人といえば、賢い人たちの集まりだと思われていますが、経済や金融の世界といっても案外、「薄っぺらな知識」と「演技力(表現力?)」、そして「整った見た目」さえあればコロッとだまされてしまう、ということなのでしょうか。

 学歴を詐称することは、れっきとした犯罪であると冨本弁護士が、弁護士ドットコムのサイトで書いています。軽犯罪法1条15号には「『学位』を詐称した者は『拘留または科料に処する』」と書いてあるそうです。一昨日、岩上さんがツィートしています(岩上さんのツイート:http://bit.ly/1WtZbLy)。

 しかし、そうすると学歴や履歴が怪しい人が政界にもいます。あの人とか、あの人とか…。そういう人はどうなんでしょうか。気になりますね。なりますが、その話はまたにします。この問題では、また、ショーンさんを起用してきたテレビ局側の「責任」も問われています。

 真に経済に精通している専門家よりも、発言内容の中身より視聴率の稼げる「甘い声」「甘いマスク」という「ルックスの良さ」を重視する、そして日本の抱える経済問題の根本を真面目に分析したり問題点を真剣に指摘する人よりも、政治権力やスポンサーの機嫌を損なわないように、「当たり障りのないコメント」をしてくれる人物を選ぶ--。そうした「無難」なチョイスの積み重ねが、学歴・経歴を詐称し、中身がすっからかんの人物を報道ステーションのような国民的報道番組に起用するという失態に至ったのではないでしょうか。

 報道ステーションが、「官邸の圧力」に屈して(迎合して?)、元経済官僚の古賀茂明氏をコメンテーターから降板させたのは、ちょうど一年前の3月末のことでした。同時期に同じくテレビ朝日の「モーニングバード」を降板した岩上さんは、古賀さんの最後の出演の日に、テレ朝を出てきた直後の古賀さんを、青山墓地の前でつかまえて直撃インタビューしています。今、見直すと非常に感慨深いものがありますよ。ぜひ、アーカイブで御覧下さい。

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・2015/03/27 【速報】「報道ステーション」終了直後の古賀茂明氏に岩上安身が緊急直撃インタビュー!降板の内幕を衝撃暴露
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/240770
・2015/04/02 渦中の人が「報道ステーション」降板の全真相を激白! 「I am not
ABE」発言の真意――そして、官邸からの圧力の実態とは?~岩上安身による元経産官僚・古賀茂明氏インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/241205
・2015/05/29 「官邸からみれば『報ステは抑えたから大丈夫』」 重要な審議も総理の暴言も報道されない!?
メディア介入強める安倍政権に古賀茂明氏が憤り~岩上安身インタビュー!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/247178
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 あれから一年。メインキャスターの古舘伊知郎さんもこの3月末に降板します。そしてこの「学歴・経歴詐称」コメンテーター騒動…。昨日、今日、立ち腐れが始まったのではない、ということが実によくわかりますね。この問題はこうした「テレビの劣化」を浮き彫りにし、と同時に、それを許容してきた僕ら「情報を受け取る側の劣化」の結果ではないでしょうか。また、メディアに傲然と「圧力」を加える安倍政権を許してしまってきた「主権者・国民の劣化」でもあります。

 IWJは昨日、こうした権力(とそれが作り出す空気)におもねるテレビの劣化ぶりを象徴する、ある「怒り」の会見の動画記事をアップしました。高市早苗総務大臣の「電波停止」発言に対し、鳥越俊太郎さんなどテレビ関係者が立ち上がり、抗議の声をあげた会見です。この会見の質疑では、高市発言で一番影響を受けるはずのテレビ局から、誰一人として手が上がりませんでした。

 駆けつけたテレビ局が一様に沈黙する、この「異様」な会見の模様はぜひ、以下の記事よりご覧ください!

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・2016/02/29「これは、政治権力とメディアの戦争だ!」
田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏、金平茂紀氏、岸井成格氏、青木理氏、大谷昭宏氏らテレビ放送関係者が高市総務大臣「電波停止」発言に「怒り」の抗議会見!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/289637
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 さらに鳥越さん、この会見でIWJ記者の直撃取材に応え、「IWJは、いつも読んでいる」とおっしゃっていただき、岩上さんによるインタビューも快諾していただきました!

 ということで、「岩上安身によるジャーナリスト・鳥越俊太郎氏インタビュー」、3月23日の13時から、中継します!!!みなさま、ぜひぜひ、ご覧になってください!!!!

 本日の日刊IWJガイドは以下の内容でお届けします!まずは気になる、ジャーナリスト・安田純平氏がシリアで拘束が確認されたニュースについて、原佑介記者からお伝えします!!…とその前に、中継番組表をご覧ください!」