白夜の炎

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日本は自由主義国家とは言えない-警報が鳴っている

2013-01-30 16:19:44 | 報道
「“報道の自由度”日本53位に大幅後退
1月30日 14時44分

ジャーナリストの国際団体「国境なき記者団」は、国や地域ごとにどれだけ自由な報道が認められているかを表す「報道の自由度」のランキングを発表し、日本は、東京電力福島第一原発の事故で開示される情報が限られているなどとして前の年の22位から53位へと大幅に順位が下がりました。

「報道の自由度」のランキングは、パリに本部を置く「国境なき記者団」が毎年発表しているもので、今回は179の国と地域が対象となりました。
このうち、日本は、東京電力福島第一原発の事故について、「透明性に欠け、個別取材に対して政府などから開示される情報があまりにも限られている」などとされ、前の年の22位から53位へと大幅に順位が下がりました。

これについて「国境なき記者団」は、「例年は上位に入っている日本の評価が急落したことは、警鐘が鳴らされたものと受け止めるべきだ」と指摘しています。

ほかの国や地域の順位を見ますと、1位のフィンランドを筆頭にヨーロッパ諸国が上位を占め、アジアでは、民主化が進むミャンマーが、当局による検閲が行われなくなったなどとして前の年から18順位を上げ、151位とされたほか、中国がほぼ横ばいの173位、北朝鮮は変わらず178位でした。」

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130130/k10015163951000.html

沖縄から/沖縄タイムスのコラムより

2013-01-30 15:51:12 | 政治
「[大弦小弦]どんなに求めても与えられない哀(かな)しみ...

2013年1月28日 09時52分
 どんなに求めても与えられない哀(かな)しみ。米軍基地に関して言えば、沖縄は常にそんな思いを抱き続けてきた。哀しみは、抗議と怒りの色を帯びて本土に問い掛ける。なぜ、沖縄だけが重荷を背負うのか

▼県内41市町村の首長や議長、県議らが、オスプレイ配備反対や普天間飛行場撤去を求めた「建白書」を携え、東京行動を展開している。さまざまな立場の政治家が、「基地の負担軽減」を胸に団結することは画期的な出来事だ

▼行動へと駆り立てるのは記憶である。多くの犠牲者を出した沖縄戦。親類には必ずと言っていいほど、戦没者がおり、なお心身に刻み込まれた戦時の傷に苦しむ人たちがいる。戦争を知らない世代の心にも体験者の苦難の言葉が刺さる

▼戦後は、銃剣とブルドーザーで土地を奪われた。米軍の事故や犯罪は一向に減らない。そして今、よそ者オスプレイが、わが物顔で頭上を飛び交う。この不条理は、もはや我慢できない

▼政府は「負担軽減」を口にするが、現実は逆だ。過去、何度も県民大会が開かれてきたが、その声に向き合おうとする態度が見えてこない

▼沖縄には、沖縄が求める空がない。本当の、本来の空を見たいと願う気持ちは、誰にも止められない。ごく当たり前の問いに、政府は真摯(しんし)に耳を傾け、行動する時期が来ている。(平良哲)」

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-28_44545

いまさらながら。再評価されるカダフィ

2013-01-30 15:07:55 | 国際
 マリの戦乱。アルジェリアのテロ。

 背後にリビアの崩壊、すなわちカダフィの抹殺がある。

 そのことはカダフィがアフリカで果たしてきた役割の大きさが評価される時が来たことを示している。

 以下にその点を指摘したブログを転載します。

 なお写真はリビアで内戦が起きたころの反政府派=反カダフィ派の様子を映したもの。

 あっという間。

 そしていかに国際世論がいい加減で、操作されてきたものか痛感させられる。


「カダフィ亡き後のアフリカの混沌「欧米諸国はいつか後悔するときが来る」

2013.01.29(火)  姫田 小夏

アフリカ北部・リビアの元最高指導者、カダフィ大佐が同国のシルトで殺害されたのは、2011年10月20日だった。当時は、独裁者カダフィを抹殺すればリビアに春が訪れ、北アフリカ一帯は安定に向かうだろう、と言われていた。

 ところが、あれから1年3カ月が過ぎた今、現実は真逆なことが進行している。

 例えば、暫定政権のリビア国民評議会(NTC:National Transitional Council)。反カダフィ勢力によって組織されたNTCには国際テロ組織アルカイダのメンバーが食い込んでいる。NTCが、その後シャリア(イスラム法)による統治を宣言したことで、周辺諸国は震え上がった。

イスラム過激派が勢力を拡大するマリ共和国

 カダフィの死はアラブに春を招くどころか、北アフリカ、西アフリカを中心に深刻な影響をもたらしている。

 マリ共和国も例外ではない。現在、マリ共和国は南北分裂の危機にある。2012年3月に軍事クーデターが発生し、国を二分するような危機的状態に至ってしまったことも、実はカダフィの死と無縁ではない。


 トゥアレグ族が占拠するマリ北部のアザワド地域は、もともとアフリカやそれ以外のアラブ地域からのイスラム過激派が集結している場所である。トゥアレグ族は国際テロ組織である「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ機構(AQIM)」と連携し、2012年4月6日、一方的にアザワド国家の樹立を宣言するなど、反政府勢力の巣窟になっていた。AQIMは2000年代、アルジェリアで多くのテロ行為を繰り返した後、マリ北部に入り込んできた勢力だ。

 また、アルカイダのリーダー、ウサマ・ビンラディンの出身国であるサウジアラビアからもサラフィー主義のイスラムグループが、カタールからは「アンサール・ディーン」と呼ばれる組織が入り込んでマリ北部を占拠した。そして、西アフリカの過激派「ムジャオ」、ナイジェリアの「ボコ・ハラム」などの組織もマリ北部に入り込んでいる。いずれもジハード主義組織で、イスラム法に基づいたイスラム国家の樹立を目指しており、「聖戦(ジハード)」の名の下に欧米に対する軍事攻撃も辞さない反政府勢力だ。

 マリ共和国の統治力の弱さが、過激派勢力の北部への侵入を許すことにもなった。また、複数の国と国境を接しているマリは、麻薬や武器を密売するには地理的にも都合がよかった。

 マリ共和国の政府関係者は次のように明かす。

 「イスラム過激派はマリ北部を拠点に、武器やドラッグの密売を行っている。マリと国境を接するブルキナファソやニジェール、セネガルなどに売ることで、どんどん経済力をつけている」

 リビア内戦でNATOから支給された武器が目下「回収不能」となり、大きな問題となっている。こうした武器がイスラム過激派の手に落ち、マリで再利用されているのだ。

 マリはアフリカでは珍しく、宗教の自由を認め、複数政党制を導入している国家である。だが、イスラム原理主義の動きが北部で活発化しているのは、マリ政府にとって頭の痛い問題であった。「イスラム法を憲法とする統治」を画策する反政府勢力は、首都バマコのある南部への侵攻の機会をうかがっていた。マリ政府はそれを何としても阻止しなければならなかった。

 しかし、年が明けた2013年1月第2週に、反政府勢力は南部への侵攻を開始した。マリ政府は旧宗主国であるフランスに支援を要請した。要請を受けたフランスは14日に軍事介入を開始し、20日にはマリ北部のイスラム過激派の拠点への空爆を開始した。

 (この間に、マリ隣国のアルジェリアで人質事件が発生した。フランス軍がマリを攻撃したことに反発したイスラム武装勢力による犯行だった。日本時間の1月16日、イスラム武装勢力はイナメナス近郊の天然ガス関連施設を襲撃し、人質をとって立てこもった。17日、アルジェリア軍が施設への空爆と救出作戦を敢行し、18日に救出作戦が終了した)

カダフィはアフリカの無数の部族を抑え込んでいた

 部族が複雑に入り組むアフリカで、カダフィの存在は大きかった。アフリカの情報サイトである「Inform Africa」は、「アフリカの西側帝国主義からの解放とアフリカ諸国の発展のために、カダフィはリビアのオイルマネーを投じた」とし、アフリカ全土においてカダフィの評価は高いとしている。

 カダフィが君臨していた当時、リビアは輸出額の9割を原油が占め、原油の年間輸出額は422億ドルにも上っていた。そのオイルマネーは彼個人の懐にも蓄えられたが、全土にもばらまかれ、アフリカの発展に寄与していた。

 モロッコを除くアフリカの全独立国が加盟する国家統合体「アフリカ連合」(African Union、略称AU)の予算は、その75%をカダフィが賄っており、アフリカ大陸の電話・テレビ・ラジオなど全体をローコストなネットワークで繋いだのも彼だった。アフリカ研究の第一人者であるジュネーブ大学のジーン・ポール・ポーガラ教授は、「アフリカの現代における改革をもたらした人物」と、その業績を評価している。

 2010年、カダフィは西側の影響力を一掃するために、複数の国に計970億ドルもの資金を援助した。コンゴ、スーダン、エチオピア、ソマリア、ガンビア、リベリア、ニジェール、チャド、中央アフリカ共和国、モーリタニアなどがその対象で、マリ共和国もその恩恵に与っていた。

 マリのホテルやオフィスビル、テレビ局などにもカダフィの資金が入り、実質、中心部の発展を支えてきたとも言える。また、カダフィは安全保障上の軍用機2機を納めるなど、闘争に弱い政府軍を側面から支援していた。

 また、カダフィはその資金力、権力、そして半ば狂気を帯びたカリスマ性で、アフリカの無数の部族を抑え込んでいた。

 2011年9月のコラム「カダフィ大佐も中国企業も悪役にあらず、はるか遠いアフリカの価値観」でも記したが、アフリカ人たちはカダフィ亡き後に部族間の争いが再び顕在化することを懸念していた。それがついに現実のものとなり、北アフリカを中心に混乱が訪れた。

 2012年4月、マリで軍事クーデターが起きた。きっかけは政府軍内部の不満の高まりだった。

 政府軍が敵対していたのは、北部を占拠する遊牧民のトゥアレグ族だ。1960年代から反政府勢力として闘争を仕掛けてきたトゥアレグ族は、2011年2月に始まったリビア内戦に参戦し、高性能の武器を手に入れ、武装力を強めた。

 だが、政府軍はトゥアレグ族との紛争に際して武器もなければ食糧もない状況で、兵士らに不満が高まっていた。兵士たちは無力な政府に業を煮やし、3月21日、首都バマコにて軍事クーデターを起こしたのである。

 その後、マリは軍政から民政に復帰するも、浮き彫りになったのは、カダフィの影響力の大きさだった。

 マリ共和国の政府関係者は言う。

 「クーデターを起こされたトゥーレ大統領は国防意識が欠如していた。マリの部族や派閥を抑え込むにはカダフィが必要だった。今、確実に言えることは、現在のマリの国内問題はリビア内戦の結果と深い関係があるということだ」

 ちなみに、トゥアレグ族はリビア内戦当時、傭兵としてカダフィに雇われていたとも言われ、カダフィと関係が深い部族でもある。

カダフィの影響力を甘く見ていた欧米諸国

 カダフィは極端に欧米を敵視し、嫌悪しているとも言われていた。アフリカではいまだ西欧諸国による植民地支配が実質的に残存しており、カダフィに限らず、アフリカ人たちは反欧米色が強い。

 その一方で日本に対しては意外にもラブコールを送っている。日本はアフリカに対して植民地支配を行ったことがないこともあり、アフリカ国民が尊敬を寄せる民族の1つだ。昨今は、同じアジアでも日本は中国と分けて論じられ、「資源略奪をしない国」との評価もある。また、アフリカへのODAで知られる国でもある。

 しかし、「日本はなぜアフリカに来てくれないのだ?」という声もある。前出のマリ政府関係者はこう語る。

 「アフリカにとって日本は理想のパートナーだ。しかし、なぜ資金援助にとどまるのか。工場を建て、人を出し、技術移転をしてくれないのはなぜなのだろうか」

 日揮のようにリスクを負って進出し、アフリカの信頼を勝ち得た日本企業は少ない(今回の事件で犠牲となった方々に心から哀悼の意を表すと同時に、同社のパイオニア精神に敬意を表したい)。今後、日本企業は、イスラム武装勢力や国際テロリストが暗躍するアフリカからますます遠ざかることになるだろう。アフリカ諸国は日本が進出してくる日を待っているにもかかわらずだ。

 今回の事件は、カダフィ抹殺がもたらした間接的な負の遺産とも言える。西側の論理からすれば、カダフィは民主主義と相容れない独裁者だっただろう。だが、カダフィ亡き後のアフリカの混沌を欧米はあまりにも軽く見過ぎたのではなかろうか。

 筆者が取材したマリ政府関係者は最後にこう嘆いた。

 「欧米諸国は大きな誤りを犯した。結果として彼らは、イスラム過激派の勢力を拡大させることになった。カダフィはいつも言っていた。彼ら(欧米諸国)はいつか後悔するときが来る、と」

 統治者を失ったアフリカの混迷はますます深まるばかりである。」

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37011

安岡章太郎死去

2013-01-29 19:58:09 | 文学
「「第三の新人」の一人として戦後文学に一時代を画した作家の安岡章太郎さんが26日、老衰のため死去した。92歳だった。

 1953年に「陰気な愉しみ」「悪い仲間」で芥川賞を受賞し、新鮮な文体と鋭敏な感覚が注目を浴びた。

 60年に戦後の家族の崩壊を描いた「海辺の光景」で芸術選奨と野間文芸賞。

 82年、自らの家系をたどった「流離譚」で日本文学大賞。92年には現代文学に貢献したとして朝日賞を受けた。2001年、文化功労者に選ばれた。」

http://www.asahi.com/obituaries/update/0129/TKY201301290224.html

 好きな作家であり、尊敬する作家だった。

 戦争とその時代の日本を知り、その上で発言できる人がまた一人なくなった。

 率直に言って、作品の出来栄えにばらつきの大きい人だった。

 しかしそれでもやはりよい作品の数多く残してくださったことに感謝しなければならない。

 彼の『私の昭和史』全3巻なども一読の価値があると思う。

 この機に皆さんにも一読をお勧めします。

「すべてを公開せよ」と宣言した若きネット活動家の最期

2013-01-29 19:48:35 | 科学
「「すべてを公開せよ」と宣言した若きネット活動家の最期

アーロン・スワーツが目指した理想のネット世界

The Economist  【プロフィール】 バックナンバー2013年1月25日(金)1/3ページ

 ]若き天才プログラマーであり、ネット活動家として知られたアーロン・スワーツ氏(26歳)が自殺した 。同氏は、何の規制も制約もない自由な情報の公開・流通を目指した。スワーツ氏は、どのような人物だったのか]

 アーロン・スワーツ氏*1の人生には、狭くて暗い、散らかった場所が欠かせなかった。極端な近視だったスワーツ氏は、ケーブルの束が床を這い、ハードディスクが積み重なる寝室で、ノートパソコンのMacBook Proの上にかがみ込み、画面に触れるほど顔を近づけて日々を過ごした(どうしてノートパソコンの画面は目の高さにないのだろう、と彼は疑問に思っていた)。

 多くの利用者を集めるコミュニティサイト「レディット」*2のシステムを猛烈な勢いで開発していた2005年、スワーツ氏は同サイトの3人の共同創業者と一緒に、マサチューセッツ州サマービルのシェアハウスで暮らしていた。彼のベッドはクローゼットの中だった。

 スワーツ氏が2010年11月に、自分のノートパソコンを密かに隠しておいたのも、米マサチューセッツ工科大学(MIT)の地下にある狭い配線室の中だった。そこは鍵のかからない小部屋で、ホームレスがここに荷物を置いたりしていた。スワーツ氏はこの部屋で、隠したパソコンをMITのコンピューターネットワークに直接接続した。

囲い込まれた学術論文を“解放”

 スワーツ氏の目的は、学術誌のアーカイブ、JSTOR*3から、できる限り多くの論文をダウンロードすることだった。JSTORを利用するには有料登録が必要。図書館や学術機関などからしかアクセスできなかった。

 スワーツ氏は、JSTORのこのようなあり方は道徳的に間違っていると考えた。そこに収められた知識は、誰でも無料で利用できなければならない、と(結局のところ、その知識の多くは公的な資金によって得られたものなのだ)。

 そして、この知識を誰でも利用できるようにすることは、ばかばかしいほど簡単だった。スワーツ氏は図書館のネットワークへのアクセス権を既に有していたため、システムに不正に侵入する必要などなかった。自分のパソコン上で「keepgrabbing.py」というプログラムを普通に走らせ、JSTORから480万本の論文を恐ろしいほどの速度で“解放”した。

 MITはこの流出を食い止めようとしたが、スワーツ氏はその都度対策の裏をかいた。ついにはMITの配線室でネットワークに直接ノートパソコンをつなぐという手段に出たのだった。

 スワーツ氏は、これ以外でも同じことをしている。それも何度もだ。2006年には連邦議会図書館の蔵書目録(この閲覧には法外に高い利用料が必要だった)を手に入れ、「オープン・ライブラリー」*4に投稿して誰でも無料で閲覧できるようにした。

*1=Aaron Swartz。カタカナでシュワルツとも表記されるが、実際にはスワーツまたはスウォーツに近い音で発音されることが多い。

*2=Reddit。誰でも自由にコメントや他サイトへのリンクを投稿できるスレッド形式の掲示板。投稿やコメントをプラスとマイナスで評価することができる。このタイプの掲示板としては、現在最も多くの利用者を集めている。

*3=Journal Storage。現在約1500タイトル、40万号の学術誌を電子化してアーカイブしている。非営利団体のITHAKAが運営する。

*4=Open Library。スワーツ氏自身が主導して立ち上げたウェブ上のデジタル図書館。カリフォルニア州立図書館とケール・オースティン財団が出資する非営利団体が運営する。

2009年には、連邦裁判所のすべての電子記録を保存するPACERシステムから誰にも気づかれないうちに1990万ページの文書をダウンロードし、クラウドのデータベースにアップロードした。この時は、PACERシステムが試験的に無料利用を実施したのに乗じて、ある公共図書館からアクセスした。これもまた容易な仕事だった。Perl(パール)というエレガントで軽量なプログラム言語を使い、文書を手にした。

ウェブの進化に貢献

 プログラムを書いて情報を自由化すること――どうやらスワーツ氏は、幼い頃からこの作業をずっとやってきた。父親はIT企業の経営者で、アーロンが生まれた時、家の書斎にごく初期のマッキントッシュがあった。ぽっちゃりとした読書好きのアーロン少年は、12、13歳の頃には、ウィキペディアの先駆けとも言える「theinfo.org」というサイトを立ち上げた。世界中の知識を1つのウェブサイトに集めようという試みだった。

 それからほんの1年ほど後、ワールドワイドウェブの開発者であるティム・バーナーズ=リー氏と協力して「セマンティック・ウェブ」の構想を立ち上げた。そして、データ共有の方法を進歩させ、動画やニュース記事の配信に用いるRSS 1.0という規格の開発に携わった。

 また、著作権のライセンス供与を単純化するクリエイティブ・コモンズの開発にも貢献した。

 スワーツ氏はこういった活動で莫大な収入を得られたかもしれない。だが、金銭的なことにはあまり関心を抱かなかった。彼は世界をより良く、より自由で、より進歩的な場所にすることを望んでいた。

ネット自由主義の活動家として

 スワーツ氏は、高校もスタンフォード大学も中退した。その後、膨大な本(それも多くは哲学書)を読み、独学で学んだ。友人を作っては大喧嘩をして別れた。理由は、彼らが自分のような完全主義者ではないことだった。会合に出席する時は、髪の毛はぼさぼさで無精髭も剃らず、内気なオタクといったいでたちだった。だが黒い目の光は強く、ときおり、社会をひっくり返してやるというような青年らしい不敵な笑みを浮かべた。

 レディットを2006年に米コンデナスト*5に売却した時には大金が入ってきたが、新しいオフィスでの仕事には惨めな思いが募った。米グーグルからの誘いがあったが、刺激的でないからと断った。スワーツ氏の気持ちを捉えたのは政治運動だった。

 スワーツ氏は、オンラインですべてが自由に入手できる世界--エリートや金持ちによって何かを隠されたり、検閲を受けたりすることがない――を求めた。2008年に書いた「ゲリラ・オープン・アクセス・マニフェスト」で、彼はこう宣言している。情報は力である。ネットに接続する自由を得るための戦いは、「こっそりと」「暗闇の中で」「秘密裏に」行わなければならない、と。

*5=Conde Nast Publications。ファッション誌『ヴォーグ』、『GQ』のほか、技術カルチャー誌『ワイアード』(ウェブ版も含む)などを発行する世界的な出版社。

 米下院の超党派グループが2011年にオンライン海賊行為防止法案(SOPA)*6を提案した際、スワーツ氏は最も激しく反対の声を上げた。2012年、法案の死を最も誇らしげに宣告したのもスワーツ氏だった。

心身を病んだ末に

 だが、JSTORの一件が大問題となって降りかかってきた。MITの配線室にノートパソコンを取りに戻ったスワーツ氏を、大学警察が逮捕したのだ。容疑は通信詐欺、情報窃盗など13件。この春には裁判が行われることになっており、有罪になれば最大35年、刑務所に入る可能性があった。

 連邦検察官の起訴内容は、実際にスワーツ氏が行ったことに比べてあまりにも大げさすぎた。MITもJSTORもスワーツ氏と和解していた。特にJSTORは、その後、アーカイブの一部を公開した。まるでスワーツ氏に言われて目が覚めたと言わんばかりだった。だが検察官は、盗みは盗みだと言い張った。

 こうした事柄が長年にわたり、スワーツ氏に少しずつのしかかっていった。彼はブログの読者に向けて、「上を見よう。下を見るな」と書いている。「自分の欠点を認めよう」。「痛みを進んで受け入れよう」。だが、自身がそのアドバイスを受け入れることは難しかった。

 体調は崩れていった。同時に複数の病気に苛まれた。偏頭痛が頭を切り刻み、身体は焼けるように痛んだ。1日の大半の時間を暗い気持ちで過ごした。悲しみが痛みの筋となって身体を貫いた。本も、友人も、哲学も、ブログでさえ救いにならなかった。唯一彼が望んだのは、部屋の灯りを消し、ただひたすらベッドに横たわっていることだった。

 スワーツ氏は2002年に、自分が死んだらどうしてほしいか、という希望を自身のサイトに投稿した(最後に「まだ死んでないけどね」と付け加えている)。

 墓に埋めるのはかまわないが、身体の上に土をかけずに、酸素が通るようにしておくこと。そして自分のハードディスクに残っている内容はすべて公開すること。何も削除してはいけない。何も公開を控えてはならない。何も秘密にしてはいけない。一切、課金してはならない。あらゆる情報を白日の下にさらすこと。すべてがそうあるべきであるように。*7

*6=Stop Online Piracy Act。著作権者や行政の権限を大幅に拡大する法案。ある著作物のオンラインでの掲載を禁止するよう、裁判所に求められるようにする内容だった。スワーツ氏らの反対運動や、オバマ政権による一部条項への反対などにより、2012年初めに事実上の廃案となった。

*7=この部分は、スワーツ氏の言葉を引用したものはない。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130123/242693/?P=1

「日本人は「ロボットの心」を創れますか?」

2013-01-29 19:43:09 | 科学
「日本人は「ロボットの心」を創れますか?

スタンフォード大学名誉教授、エドワード・ファイゲンバウム氏に聞く

原 隆 、 瀧口 範子  【プロフィール】 バックナンバー2013年1月28日(月)1/6ページ


 [日経ビジネスが新年より4回に渡って掲載してきた「動き出す未来」のシリーズ特集も1月28日号で最終回を迎える。1月28日号の特集のテーマは「インターネット」。普及期に入ってからまだ20年にも満たない歴史の浅いインターネットだが、今では企業、個人問わず、仕事や生活に欠かせないライフラインとしてその存在感を増している。日進月歩で急速な変化を続ける、この業界の未来を描くのは難しい。特集の執筆にあたり、日経ビジネスは様々な賢人たちに取材を進めた。「賢者が描く10年後のインターネット」では、世界の賢者の中から、選りすぐったインタビューを掲載する。第1回目はスタンフォード大学で名誉教授を務め、AI(人工知能)分野における「エキスパートシステムの父」と呼ばれるエドワード・ファイゲンバウム氏。本誌の特集「シリーズ動き出す未来(4)ネット化する70億人」とあわせてお読みいただきたい]


AI(人工知能)分野で長きにわたって活躍されています。インターネットの行く末をどう見ているのでしょうか。

 インターネットは例えて言うならばハイウェイです。交通インフラの整備が人々の未来をどう変えたのかを語る上で、道路そのものを見てしまうと問題は正しく捉えられません。むしろアトム(物質)からビット(デジタル)への世界を見ることが正しい解へと導いてくれるでしょう。

 私に今、レンズを向けているカメラマンの方を例に取りましょうか。15年前、カメラマンはフィルムを使ってアトムの世界の写真を撮影していました。今、誰しもがデジタルカメラで撮影します。家に帰れば写真のデータをパソコンに移し、画像編集ソフトで操作するでしょう。このインタビューは紙に載るのかな?オンラインに載るのかな?もしこれがオンラインに記事として公開されるのであれば、写真はずっとビットのままです。つまり、アトムが存在しない社会が訪れているという点が重要です。

 米国の映像制作会社でピクサーという会社があります。米アップルの創業者である故スティーブ・ジョブズ氏が買収した会社として有名ですよね。ピクサーはディズニーのアニメで活躍していた300人のアニメーション制作技師の仕事を消失させました。デジタルで制作し、デジタルで転送して、デジタルでプロジェクターから映す。アトムが入る余地は無くなったわけです。電子書籍も同じ。米国での電子書籍の売り上げは昨年、一昨年の2倍に膨れあがりました。加速度的にアトムが消えゆく世界になっている。

 こうしたことを踏まえた上でインターネットを見てみましょう。ハイウェイをドライブする上で最も重要なものは何か。それはインタフェースです。素晴らしいインタフェースが無ければドライブそのものが快適ではなく、遠くまで行くこともできなくなる。インタフェースを差異化するものこそ、AIのプログラムなんです。

 私はアップルのスマートフォン「iPhone 4」も「iPhone 4S」も持っています。どちらも見た目は一緒ですが、1つだけ違う点がある。それは音声で様々なアシスタントをしてくれる「Siri(シリ)」です。Siriはもともと政府の補助金によって、3億ドルもの大金をかけて始められました。スタンフォードリサーチセンター(SRI)で研究が始められ、そこからスピンアウトして「i」を付けて「Siri」と名付けられました。

AIの重要性に気づいたジョブズ氏

 ジョブズ氏はAIのプログラムがハイウェイを走る上で重要で、かつ差異化のために必要不可欠であるということを認識していました。だからこそ買収に動いた訳です。

 Siriはまだ完璧ではありません。ただ、インタフェースの意味を変えました。昔だったら電話を見て、手で指図していましたが、今なら自然言語で「ノースビーチの一番よいイタリアンレストランはどこ?」「誰々に電話をかけてくれ」といったことができます。そして「日本のGDPデータの過去10年間分を取ってきて米国のGDPと比べてグラフ化してくれ」といったこともできるようになっていきます。

 私はAIはITのどこに統合されるようになるのかという質問をよく受けます。ここでよく話すのは「How(どのように)」と「What(何)」の違いです。Howというのはステップごとに指示が必要で、これをやったら次はこれをやってという非常に馬鹿なステップを踏まなければなりません。

 ところが、Whatというのは「こういうことがやりたい」「あの人のことが知りたい」に答えるということです。Whatで問いかければAIがそれを理解する訳です。つまり、AIはWhatという問いかけに返すために最も重要な要素な訳です。とはいえ、ちゃんとした話し方、分かりやすい言葉を使わなければならないなど、完成型には至っていません。ただ、「なぜ空は青いのか」とグーグルで検索すれば様々な答えが返ってきます。これは過去に検索した人がいたからです。いずれは、もごもご話をしても、曖昧な問いかけをしても、AIは理解するようになります。

 これをITで実現していくのは、とても難しいことなんですね。というのは、AIを鍵に素晴らしいインタフェースを作るのは、過去の延長線上でやっていれば実現できるということでもない。イノベーションとしての飛躍がなければならないんです。だから米国防総省の機関であるDARPA(国防高等研究計画局)が3億ドルもかけてSiriを開発したのは、それだけのイノベーションが必要だったということなんです。

AIの観点から見て、どの企業が次の10年の主導権を握ると見ていますか?

 グーグルは創業当初から世界の情報を整理すると語っていたように、極めてAIの傾向が強い会社です。そのうえ、自動走行車の実験をしたり、超高速光ファイバー事業を始めたりと、何にでも挑戦する文化を持っています。世界中の最も優れた人々が集まっている会社で、まさにイノベーターにとっての天国と言える。次の10年も覇者であり続ける可能性は十分あるでしょう。

 一方、アップルもまたデザイン、品質、カスタマーサービスの分野で驚くべきことを成し遂げた企業と言えます。この会社には昔から偉大なソフトウエアを作るんだという意気込みがありました。アップルは今、AIの技術を習得する過程にあります。恐らく、様々な端末やサービスでAIを活用するようになるでしょうね。

 今年、米アップルがテレビを出すと噂されていますが、Siriを載せてくるでしょう。例えば「黒澤のサムライの映画で無料放映があったら録画をしておいてくれ」と音声で指示すれば勝手に理解して録画してくれるようになる訳です。もちろん手でも操作できますが、どうしても時間がかかってしまいます。アップルは今後のロードマップにおいてSiriが大切になるということを理解しています。

 パソコンの時代を引っ張ったマイクロソフトの存在も忘れてはいけません。「マイクロソフトリサーチ」は世界で最も優れたコンピューター、及びIT(情報技術)の研究所です。マイクロソフトはつい最近まではIT業界における売上高1位を目指していたが、革新的な製品に対する需要が高まっていると見て、死に物狂いで企業文化を変えようとしている。今後、優れた研究の多くが製品となって生み出されていくでしょう。眠れる巨人が目を覚ましつつある、とでも言いましょうか。

 ただ、いずれにしてもどの会社も大きな障害にぶち当たるのは分かっています。インタフェースをAIと統合するテクノロジーを成功させるためには、長い時間、何度も繰り返して取り組むことしか解決策はありません。

 そして日経ビジネスの読者の皆さんに特に申し上げたいことがあります。次の10年間を主導していく企業の話の中で、日本企業がこうした議論に列挙されることがありません。この背景を特に私は主張したいのです。

目に見えないソフトウエアを軽視する日本

確かにインターネット業界における日本企業の存在感は現時点で薄いと言わざるを得ません。教授は日本企業の弱点がどこにあると見ていますか。

 先ほども申し上げたような世界を実現するのは極めて難しいことです。日本企業がアップルやグーグル、マイクロソフトに追いつくのは不可能と言わざるを得ない。この理由は明確です。日本はこの手の開発をしてこなかったからです。

 ソフトウエア開発が得意ではないことに加え、この問題を真剣に捉えようとしませんでした。ソフトウエアは蒸気のようなもので目に見えません。つまりアトムではありません。日本のビジネス文化は目に見えないソフトウエアの重要性を理解しませんでした。大学を卒業し、電気エンジニアとして働くことが良しとされ、プログラマーは活躍の場もなく、正当な評価もされなかった。

 そのうちプログラマーはソフトウエアエンジニアと名を変えましたが、このときも日本の人たちは笑いました。空気をやり取りしているだけじゃないかとね。この認識は日本の文化に根深く残っており、その認識が大学や企業、デザイン分野に関してまで影響を及ぼしています。

 ソニーがアップルのiPodを見たときに「これはウォークマンキラーになってしまう」ということには気付きました。そしてiPod対策として実に綺麗なプロダクトを作りました。ただ、それは形こそ綺麗でしたが、ソフトウエアが極めてお粗末でした。ソニーが今、うまくいっていないのは必然と言えます。

 日本がこの状況を正しく理解するためには、Siriが開発され、iPhoneに統合され、我々が使うまでのプロセスに目を向けなければなりません。まず、Siriの原型は米政府の補助金でプロジェクトとして始まりました。DARPAの中に、その必要性を理解するマネージャーがいたわけです。もちろん日本でも補助金の出るプロジェクトはあります。だが、その後が決定的に違う。

 プロジェクトの終了とともに、米国では製品化するために企業が興される訳です。そして大企業がその会社を買収した。こういう一連のプロセスがあって、革新的な技術が実用化されているということが、日本ではあまり理解されていないように思います。

 もちろん米国でもグーグルやフェイスブックのように、買収されずに巨大化する企業はあります。あのマイクロソフトですら検索エンジンの開発には乗り遅れました。グーグルの対抗策として彼らは「Bing(ビング)」と呼ぶ検索エンジンを開発しましたが、AIの要素が必要になり、ワシントン大学の先生が開発していたものを買い取り統合させました。それで登場したのが「Bing Travel」です。私はこのサイトはかなりいいサイトだと評価しています。だがこうした動きは、日本ではあまり理解されていません。

教授が日本のテクノロジー業界に造詣が深い理由に、過去、深く関わったプロジェクトがあります。日本で1981年、通商産業省(現:経済産業省)が立ち上げた国家プロジェクトです。世界で先を行こうとする「第五世代コンピューター」を作る構想が生まれ、92年に開発が終焉しました。570億円もの大金を投資して実にならなかったとして当時、話題になりましたね。

 教授は「第五世代コンピュータ― 日本の挑戦」と題した書籍を出すなど、同プロジェクトに多大な関心を寄せ、深く関わられていました。大きな失敗として語られることの多いプロジェクトですが、この理由をどう分析していますか?


写真:KOICHIRO HAYASHI
 まず、最初に申し上げたいのは、当時、研究者のトップであった渕一博さんは、それはそれは素晴らしいアイデアを持っていた方ということです。このプロジェクトにはAI分野の進化を大幅に進めること、主要なAIアプリケーションを創ること、並列コンピューターを使って処理を高速化させることなど複数の目的がありました。私はこのプロジェクトに関心があり、淵さんを含めかなりの方々と親交を深めました。

 あれはちょうどプロジェクトの中間地点である5年が経過したときです。私は日本で開催されたシンポジウムで講演をしました。そこで私はとにかく早くアプリケーション開発に着手すべきだと口を酸っぱくしてアドバイスしました。私はアプリケーション側の人間ですから、開発に時間がかかることは分かっていました。10年くらいは軽くかかってしまいますから。

 当時、このプロジェクトは極めてベーシックなハードウエアとソフトウエアの開発に時間をかけ過ぎていて、アプリケーションの開発は手つかずになっていたのです。今思えば、プロジェクトの最初から手掛けなければならなかったのかもしれません。

 プロジェクトの実施期間である10年が経過した時点で、アプリケーションの開発は半分ほどしか進んでいませんでした。当時、あと5年欲しいと要望が出されましたが、政府はあと1年だけと言ってプロジェクトは終わりました。しかし、期間を延ばさなくて正しかったのでは、とも思います。あのプロジェクトは10年でできるものだったと思っていましたし、もし15年かけていたら、ほかのプロジェクトに予算が回らなかったでしょうから。

 私は第五世代コンピューターの開発プロジェクト自体、失敗だとは思っていません。ただ、アプリケーションができていなかったため最終的なプロダクトに、パンチが欠けていました。当時のメディアはプロジェクトの失敗を次々に言い立てました。ただ、これは恐らく失敗ではなく時間が足りなかっただけです。スケジューリングの失敗とも言えるかもしれません。失敗ではないという理由の1つに、並列コンピューターの分野では多大な成功を収めました。若手を育てることにも成功し、その時の若者が大企業に入ってその後、活躍しました。今、超並列コンピューターで日本が世界でもトップクラスにあるのは、こうした当時のプロジェクトの成果だと言えます。

“アトム”よりも“ビット”を破壊するほうが簡単

今後、ファイゲンバアム教授がインターネットの未来を考える上で懸念していることは何でしょうか。

 最重要の課題はサイバーセキュリティでしょう。インターネットの先祖はARPANET(アーパネット)いう研究者たちが使っていたネットワークですが、当時は利用者が限定されたネットワークだったため、サイバーセキュリティにまで考えが及びませんでした。ところが、その後インターネットとして利用者が爆発的に増え、10億人が使うようになった今、セキュリティの問題が大きく顕在化しています。これは、セキュリティが統合された形でインターネットが発展してこなかったことに起因しています。

 冒頭で申し上げた通り、アトムからビットに急速に変化している現在、何をしても生活や経済はビットで表現されていきます。対岸に外国の兵士がいるとします。相手に攻撃を加えることは同時に自分の身体も傷つける可能性が高くなりますが、今では外国のネットワークを経由して相手のビットを破壊する方が簡単になっています。ロシアを破壊したいと思えば、2日間でインフォメーションインフラを破壊すれば良いし、イラン人が米国の原子力燃料を攻撃したければ金融システムにDOS攻撃をかければいい。サウジアラビアのコンピューターを混乱させて原油の生産を1分間止めることだってできる訳です。

 米国ではこうした問題に敏感でした。なぜか。米国には非常に大きな防衛組織があり、そこに多大な費用をつぎ込んできています。これを守らないわけにはいかないのです。既にサイバーセキュリティを何とかしなければならないと赤信号の状態です。

中国とボートが行ったり来たりの騒ぎではない

 私は2004年から2006年の頃、日本の政府やしかるべき部門の関係者にサイバーセキュリティ問題の重要性について一生懸命、説得しました。しかし、全然関心を持ってもらえませんでした。今、黄色信号くらいには認識しているでしょうか。日本は世界第3位の経済大国にも関わらず、あまりにも無意識過ぎる状況は非常に問題だと考えています。

 日中の間で紛争があり、ボートが行ったり来たりしているのは知っています。ただ、そういうことでは済まないのです。中国が本当に怒れば、日本のネットワークを徹底的に破壊するなど難しいことではありません。

 米国は重要性を認識し、かなり長い時間をかけて開発してきましたが、1つ分かってきているのは「シルバーブレッド(銀色の銃弾:一発で治る対策の意味)」はないということです。だが、インターネットの将来を考えるに避けては通れない課題であることに変わりません。私は今後、今とは異なるセキュリティと統合した新たなインターネットが登場するのではと見ています。今のインターネットはあまりにも大きくなり過ぎて、すぐに無くすことはできません。しかし、別途新たなインターネットを立ち上げて並列に運用し、徐々にユーザーを移行させることはできるはずです。

 セキュリティの問題は、すなわちソフトウエアの問題です。だからここでも日本がイノベーターになる可能性は低い。日本は今までソフトウエアにおいてイノベーターだった歴史はありません。

日本と米国でそこまで危機意識に差が出る理由はなぜでしょうか。

 私が空軍の科学者をしていた94年から97年、幹部向けの最後のレポートでこう記しました。「何よりもソフトウエアが重要な世界が今後、来るんだ」と。米国はこれを理解しましたが、日本はやはり理解してくれませんでした。今でも理解できていないのではないでしょうか。日本は美しいロボットを創り出す技術を持っています。ただ、ソフトウエアはどこにあるのでしょうか。ロボットの心はどこにあるのでしょうか。

 大学で何を教えるのかということも影響を及ぼしていて、日本にはソフトウエアに関して十分に教育できる先生がいない。私が在籍するスタンフォード大学はアップルのコンテンツ配信プラットフォームである「iTunes(アイチューンズ)」上で大学の講義を公開する「iTunes U(アイチューンズユー)」に最初に乗り出しました。そこで最も人気のあるコースはソフトウエアに関する講義で、iPhoneやiPodのアプリのプログラムを学ぶコースです。それだけ世界中の人達が知りたいと思っている訳です。

 スタンフォードは数多くのソフトウエアで著名な人材を輩出している大学です。日本の大学で果たしてこうしたことが起こっているのでしょうか。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130124/242708/?P=1

日中間の対話/アルジャジーラ

2013-01-26 16:13:56 | アジア
"Japanese Prime Minister Shinzo Abe has appealed to Chinese Communist Party leader Xi Jinping for the two countries to improve relations amid tensions over disputed islands, Beijing said.

Tokyo's new leader said in a letter to Xi that he would like to "push forward Japan-China strategic relationships for mutual benefit", foreign ministry spokesman Hong Lei told reporters on Friday.

Abe's coalition ally Natsuo Yamaguchi presented the letter to Xi during a meeting in Beijing aimed at smoothing links between the world's second- and third-largest economies, which have been heavily damaged by the dispute.

"In the letter, Abe said that Japan-China relations are one of the most important bilateral relationships [and] the two countries share common responsibilities for peaceful development for Asia-Pacific and the world," the spokesperson added.

Yamaguchi, head of the junior partner in Japan's ruling coalition, is the most senior Japanese parliamentarian to visit China since the long-running row over the islands intensified in September when Tokyo nationalised part of the chain.

The move triggered a diplomatic dispute and huge anti-Japan demonstrations across China.

Beijing has repeatedly sent ships and aircraft near the Tokyo-controlled islands, known as the Senkakus in Japan but claimed by Beijing as the Diaoyus.

The chain could sit atop vast mineral reserves, it is believed.

At the Great Hall of the People in Beijing both sides expressed appreciation for the trip before beginning private talks.

"Mr Yamaguchi visits China at a period in which Sino-Japanese relations face a special situation. We attach great importance to your visit," said Xi.

Yamaguchi, who has no official role in the Tokyo government, said he was "incomparably happy" about the meeting.

But neither side appeared to offer substantive concessions.

According to a statement on China’s foreign ministry website, during the meeting Xi stressed that the two sides had to "properly handle sensitive issues".

But it reiterated China's position that "Japan should face up to history and reality [and] take concrete actions to work with China"."

http://www.aljazeera.com/news/asia-pacific/2013/01/201312515545263204.html

オスプレイ反対行動/沖縄

2013-01-26 16:07:52 | 政治
「オスプレイ反対東京行動 4閣僚が対応

2013年1月26日 09時53分

(6時間14分前に更新)

 【東京】政府は25日までに、「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」実行委員会が28日に予定する要請に、官房長官、防衛相、外務相、沖縄担当相の関係閣僚がそれぞれ自ら対応することを決めた。安倍晋三首相への面会は厳しい状況だが、実行委は面談が実現するよう働き掛け続けている。

 同実行委は27日、日比谷野音音楽堂での東京集会や首相直訴に向け上京。直訴団は41市町村長や41市町村議会議長(いずれも代理含む)、33県議など計144人。同日午後3時からの東京集会は最低3千人規模を目指しており、実行委員会が関東圏の県人会などに参加を呼び掛けている。

 28日の要請では(1)米軍普天間飛行場のオスプレイ12機と嘉手納基地への配備計画をいずれも直ちに撤回すること(2)普天間を閉鎖・撤去し県内移設を断念すること-を盛り込んだ「建白書」を手渡す。」

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-26_44451

1月26日の放射線量

2013-01-26 14:21:25 | 放射能
新潟県内、窓締め切り、室内、天気は雪。

0.06~7μ㏜/h.

寒くて雪。

と言っても長岡市内の雪はさほどではない。

山沿いなどが大変なようだ。

それから写真は冬の新潟だけど、改めて冬の新潟は色のない世界だと実感。

地元の人たちの服装が地味なのはその影響かもしれない。

山口・習会談

2013-01-26 14:20:29 | アジア
「<中国>習氏、首脳会談に前向き…山口氏と会談
毎日新聞 1月26日(土)0時15分配信
 公明党の山口那津男代表と中国共産党の習近平総書記が25日、北京で会談し、山口氏が日中首脳会談の開催を提案したのに対し、習氏は「真剣に検討したい」と前向きな意向を表明した。昨年9月の沖縄県・尖閣諸島国有化以来、膠着(こうちゃく)していた日中関係にようやく対話ムードが出始めた。しかし、尖閣を巡る両国の主張は依然隔たりが大きいことに加え、安倍晋三首相の右傾化路線への警戒が中国にはあり、首脳会談実現の見通しは立っていない。

 ◇右傾化路線に警戒も

 会談では「戦略的互恵関係」の推進と、対話によって問題を解決する努力をしていくことで一致。習氏は「06年に中日関係改善に積極的な貢献をしたことを高く評価している」と安倍首相を持ち上げ、中国が主張する尖閣の領有権の「棚上げ論」には直接言及せず、日本側に配慮を示した。

 日中のハイレベル対話は昨年9月下旬の日中外相会談で途絶えており、安倍首相の就任後、政府・与党幹部と習氏の会談が実現したのは初めて。日本外務省は事務レベルで中国に冷静な対応を求めてきたが、中国は海洋監視船を尖閣周辺の日本領海に侵入させ、12月には初の領空侵犯を行うなど、事態はエスカレートしつつある。

 就任時に日米同盟を最重視すると宣言した安倍首相は、1月の初外遊ではインドネシアなど東南アジア3カ国を歴訪し、中国をけん制。一方、第1次政権で進めた日中の戦略的互恵関係の再構築を模索した。伝統的に中国と関係が良好な公明党の山口氏に親書を託し、関係改善の糸口をつかもうとした。

 日中の軍事衝突を懸念する米国は双方に緊張緩和を繰り返し呼びかけており、習氏が今回会談に応じたのはそのメッセージに呼応したとの見方もある。日本側は改善ムードをしぼませないために、日中友好議連会長の高村正彦自民党副総裁を首相特使として派遣することを検討しており、首脳会談への道筋をつけたい考えだ。

 だが、日中の主張の溝は深い。日本政府と足並みをそろえた山口氏は尖閣で領土問題の存在を認めなかった。習氏は首脳会談について「それに至る環境を整えることが重要だ」とくぎを刺し、「歴史を直視すれば未来に目を向けられる」と歴史問題にも言及して安倍首相をけん制した。【吉永康朗】

 ◇対日不信、依然根強く

 【北京・工藤哲】習総書記は山口代表との会談で尖閣諸島や歴史問題の原則的立場を改めて強調した。習総書記は尖閣問題で譲歩しないことを明言したうえで、安倍首相の靖国神社参拝も暗にけん制した。習総書記が直接会談に応じたとはいえ、中国側の日本政府に対する不信感は依然根強く、中国側は慎重姿勢を崩していない。

 中国外務省の洪磊(こうらい)副報道局長は25日の定例会見で「習総書記が『釣魚島問題の中国の立場は一貫しており明確だ。日本は歴史と現実を直視し、実際の行動によって問題解決をする方法を模索すべきだ』と述べた」と明らかにした。また安倍首相が託した親書の中身は「日中関係は最も重要な2国間関係の一つで、両国はアジア太平洋地域と世界の平和、発展のために共同の責任を負っている。私は大局に立ち、日中の戦略的互恵関係を前進させることを望む」との内容だったと述べた。

 中国側は昨年8月、胡錦濤(こきんとう)国家主席に宛てた野田佳彦首相(当時)の親書を山口壮副外相(同)を通じて受け取ったが、その直後に日本政府が尖閣諸島を国有化したため、不信感を払拭(ふっしょく)できていない。日中関係筋によると、山口代表が今回持参した親書も踏み込んだ内容とは言えず、中国側は「中身がなく、要人に会うための道具として『首相の親書』が利用されている」と受け止めているという。

 山口代表の日程調整の際も、王家瑞(おうかずい)党中央対外連絡部長との会談が一度はキャンセルされ、習氏との会談も直前まで固まらなかった。背景には、山口氏との会談がどれほど実利があるか、中国側もぎりぎりまで見極めていたとみられる。」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130126-00000001-mai-int

柏崎刈羽の直下にも活断層

2013-01-24 11:44:54 | 原発
「 東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の原子炉建屋直下にある断層が、活断層と判断される可能性が高くなった。原子力規制委員会が策定中の地震と津波の新しい安全基準で活断層の定義が広がるためだ。東電は調査を進めており、規制委も東電の調査結果を踏まえて活断層かどうかを判断する。活断層であれば再稼働は難しくなり、廃炉になる可能性がある。
 問題の断層は、柏崎刈羽原発1、2号機の原子炉建屋直下を通る「β(ベータ)断層」で、約200メートルの長さが確認されている。

 昨年8月に開かれた旧原子力安全・保安院の専門家会合で、参加した専門家からβ断層のずれは約24万年前に降った火山灰を含む地層よりも新しい地層まで及んでいるとの指摘が出ていた。一方、東電は少なくとも約12万5千年前以降は動いていないとして、耐震設計上考慮すべき活断層ではないと主張していた。

 現行の国の指針は活断層を「約12万~13万年前以降に活動したもの」と定義している。しかし、規制委は新安全基準で「40万年前以降に活動したもの」に拡大する。このため、β断層は新基準では活断層と判断される可能性がある。規制委が示す新基準の骨子案は、活断層の真上に原子炉建屋など重要施設の設置を認めていない。

 原発敷地内断層について、規制委は活断層の疑いがある日本原子力発電敦賀原発(福井県)など計6カ所で現地調査を実施、計画中だ。柏崎刈羽原発は現時点で対象外。ただ、柏崎刈羽原発は、旧保安院から敷地内の断層についてさらに検討が必要と指摘されており、東電は自主的に調査をしている。

 規制委は「東電の調査結果の報告を受けてから、現地調査が必要かどうか対応を検討する」としている。」

http://digital.asahi.com/articles/TKY201301240076.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201301240076

脱原発依存を模索する京都滋賀の自治体/京都新聞

2013-01-24 10:35:43 | 原発
「「脱原発依存」6割が可決 京滋の市町村議会印刷用画面を開く
 福島第1原発事故以降、京都と滋賀の全45市町村のうち、原発依存からの脱却を求める意見書や決議を昨年末までに可決した議会が、京滋とも6割を超える計28市町に上ることが、京都新聞社の調べで分かった。再稼働反対や再生可能エネルギーへの転換を促す意見書を可決した議会を含めると35市町村に達する。脱原発に慎重な政権与党の自民党と地方議会にずれが生じていることが浮き彫りになった。

 京都府(26市町村)では京都市や宇治市、京丹波町など16市町で脱原発依存の意思を明記した意見書・決議が可決された。

 表題に「脱原発に向けた取り組みを求める」(木津川市)と掲げたり、本文に「脱原発依存社会へ向けて廃炉計画を速やかに示すこと」(綾部市)と盛り込むなどしている。滋賀県(19市町)では草津市や彦根市など12市町で可決された。

 脱原発の文言はなくても、原発再稼働に反対したり、再生可能エネルギーへの転換を促す意見書も、府内は5市町村、県内は2市で可決された。

 立命館大の村上弘教授(地方自治論)は「過去を見ても、1980年代から国の原発推進に対し、予定地の府県や市町村の多くが反対を表明し、建設を止めてきた例がある」と指摘した上で、「昨年の衆院選で比例代表の自民党の得票率は3割弱なので、国民が全て自民のエネルギー政策に賛成したとは言えない。意見書に法的拘束力はないが、政府や国会は参考にすべきものだ」と話している。

■意見書や決議を可決した議会■

【脱原発依存】

 京都府内=京都市、福知山市、綾部市、宇治市、宮津市、城陽市、向日市、京田辺市、京丹後市、木津川市、大山崎町、井手町、宇治田原町、精華町、京丹波町、与謝野町

 滋賀県内=彦根市、長浜市、近江八幡市、草津市、守山市、甲賀市、野洲市、湖南市、東近江市、米原市、竜王町、甲良町

【再稼働反対や再生エネ促進(上記除く)】

 京都府内=舞鶴市、亀岡市、長岡京市、伊根町、南山城村

 滋賀県内=大津市、高島市」

http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20130124000023