白夜の炎

原発の問題・世界の出来事・本・映画

5月29日(木)のつぶやき

2014-05-30 03:24:56 | EU

労働時間の規制緩和へ 有識者議員「将来は一般労働者も適用を」 ln.is/huff.to/sWu32 @HuffPostJapanさんから


【動画】姫路港沖でタンカーが爆発、炎上。黒煙をあげるタンカーを動画で撮影しています。asahi.com/articles/ASG5Y…  pic.twitter.com/datUg0tcMm

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マダガスカルでイナゴが大量発生
@GlobalPost These crazy photos show a plague of locusts devouring Madagascar glpo.st/RBtDHr pic.twitter.com/kZeh4F19LX

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【オピニオン】「21世紀の資本論」ピケティ氏は急進的なのか ln.is/on.wsj.com/Nek…


【社説】中国政府はウイグル族の文化と自治の要求に敬意を ln.is/on.wsj.com/k1D…



5月28日(水)のつぶやき

2014-05-29 03:32:15 | EU

今日、お話を聞いた鳩山元首相。3時間ほども質問者に返答していたがセンスに脱帽。おととい小沢さんに会ったと。日本を一人で改革するとしたらいまだに小沢しかいないと明言した。小沢はやはり健在である。 pic.twitter.com/SFb4PKwXw1

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吉田調書 第1章 1 フクシマフィフティーの真相 / 朝日新聞 ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


吉田調書 第1章 2 ここだけは思い出したくない ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


吉田調書 第1章 3 誰も助けに来なかった ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


吉田調書 第2章 1 真水か海水か ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


吉田調書 第2章 2 広報等は知りません ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


「こういう人が長生きするんじゃないか、という気が正直しないわけではない」 ln.is/blog45.fc2.com…


2コマ版「小学生でもわかる憲法入門」 ln.is/blog45.fc2.com…


【おねがいテーミス】「転落本社で働くことになりました」 3話&4話 ln.is/blog45.fc2.com…


【おねがいテーミス】「転落本社で働くことになりました」 1話&2話 ln.is/blog45.fc2.com…


【4コマで読む資本論】15回目 「雇われるのが一番堅実!?」 ln.is/blog45.fc2.com…


『すぐにわかる 集団的自衛権ってなに?』(戦争をさせない1000人委員会編・七つ森書館刊、定価1200円+税)が6月5日、発売されます。全国書店でお求めになれますので、よろしくお願いします anti-war.info/information/14… pic.twitter.com/Q4rUwbFJhp

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5月27日(火)のつぶやき その2

2014-05-28 03:20:39 | EU

なぜ、今頃?
なぜ、朝日?
◆福島第一の原発所員、命令違反し撤退
吉田調書で判明 所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し/…撤退。
東電は3年も事実を隠ぺいrui.jp/ruinet.html?i=…
は、被害を… pic.twitter.com/kgO8CAaLOl

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通信社というのは、ありのままを伝える立場だとばかり思っていたのですが、違うのでしょうか。泉田知事に質問するのに、なぜ東電の言っていることが正しいという前提になるのでしょうか。不思議です。

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【GoHooインタビュー】「南京大虐殺」否定説の真相/ベストセラー著者ヘンリー・ストークス氏に聞く(ロング・バージョン)
youtu.be/o6WKn4GcBok
反響が大きかったインタビュー動画のロング・バージョンを公開しました。

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中日新聞:「原発 今すぐ廃炉に」 前双葉町長、大津で講演:滋賀(CHUNICHI Web) chunichi.co.jp/article/shiga/…

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戦時中の原発開発計画には湯川秀樹、坂田昌一、武谷三男等、戦後の反核運動の中心人物がいた。彼らはまずなぜ核開発にたずさわり、そしてなぜ戦後は立場を変えるのか、きちんと表明すべきだったと思う。→福井「日米の原爆製造計画の概要」ln.is/files.wordpres…


湯川秀樹、坂田昌一、武谷三男等が原発製造の中心にいた事実 goo.gl/UCiuN9


@WSJJapan 両方ともひどいということだろう。相手の真相を相互に徹底的に暴いてくれると一市民は助かる。

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特定秘密保護法が導く先は-戦前の国家機密体制 ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


時事ドットコム:判決待たず再稼働も=大飯原発、規制委や地元判断で-八木関電社長 ln.is/www.jiji.com/j… @jijicomさんから
安倍首相が好きな「法の支配」はどうなった。


東京新聞:「反ロシア」の幻想:私説・論説室から(TOKYO Web) ln.is/www.tokyo-np.c…



5月27日(火)のつぶやき その1

2014-05-28 03:20:38 | EU

武田邦彦 (中部大学): お母さんのための原発資料展望(10) 鼻血・・・なにが隠されているのか? ln.is/takedanet.com/…


「吉田調書」福島原発事故、吉田昌郎所長が語ったもの:朝日新聞デジタル ln.is/www.asahi.com/…


"世界のヒーロー100人"に選出のジャーナリスト、寺澤有氏が会見「日本の大手メディアは警察を批判できない」 #BLOGOS ln.is/blogos.com/out…


アメリカは「日本の戦争」に巻き込まれることを恐れている - 元官房副長官補 柳澤協二 #BLOGOS ln.is/blogos.com/out…


吉田調書 第1章 2 ここだけは思い出したくない goo.gl/qzrQkS


吉田調書 第1章 3 誰も助けに来なかった goo.gl/3GMYvU


吉田調書 第2章 1 真水か海水か goo.gl/S8dBEv


吉田調書 第2章 2 広報等は知りません goo.gl/TM9ley


@mjjkoi2399  田中は原子力学会の会長として原発利権集団の中核をなしてきた人物。規制ではなく、再開に舵を切った証拠だ。

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吉田調書 第2章 2 広報等は知りません ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


吉田調書 第2章 1 真水か海水か ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


吉田調書 第1章 3 誰も助けに来なかった ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


吉田調書 第1章 2 ここだけは思い出したくない ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


吉田調書 第1章 1 フクシマフィフティーの真相 / 朝日新聞 ln.is/blog.goo.ne.jp… @tenjyoseikaさんから


【オピニオン】「21世紀の資本論」ピケティ氏は急進的なのか ln.is/on.wsj.com/iiC…


(元駐スイス大使)村田光平氏が岸田文雄外務大臣に宛てた書簡:福島第一の燃料棒集合体の総数は15093であり、そのうち使用済みのものは11415を数えることが判明いたしました。震度6強で4号機は崩落し、東京は翌日から住めなくなる bit.ly/1ni0ZJq

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吉田所長の証言と、それに関係する東電テレビ会議の音声記録を組み合わせた、朝日デジタルの「吉田調書」は迫力がある。私自身、福島原発事故発生当時のことはかなり詳しく知っているつもりだが、それでも、朝日デジタルには、こうした事情だったのかと初めて知る情報がたくさん含まれている。

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東京新聞:電力会社側から研究費 最高3270万円 規制委審査会6人:社会(TOKYO Web) tokyo-np.co.jp/article/nation…

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週刊文春が「雁屋哲は日本が大嫌い」という記事を掲載した。ちょっと日本や政府を批判すると「反日」や「売国奴」と罵る姿勢は戦前のそれと同じ。愛国が故に批判する思考が理解できないようだ。さすが「文芸銃後運動」を発案した菊池寛がつくった出版社だ。

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日刊ゲンダイの見出しがズバリ言ってくれてます。 pic.twitter.com/pwNQqhAlhK

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@tokunagamichio @GeorgeBowWow 前回は胃腸の病気で退任したが、今度は違う方面で発病、ということか。


ふざけるな!(乂`д´) @kentaro_s1980: 審査が厳しいので稼働しやすいように人事交代だそうな。
【原子力規制委員会】
交代を求められていた地震学者の島崎邦彦委員長代理は退任headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140527-… pic.twitter.com/AN2qktPOuf

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戦争好きですけど、参加しませんよー RT @greenEcho64 安倍&石破だったりしてー"@tokudasu: 「進んで参加する」と回答した人が2名いることがショックです。QT "@maiko_52: 公害フェスタでシール投票 pic.twitter.com/UvcyR7XI22"

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湯川秀樹、坂田昌一、武谷三男等が原発製造の中心にいた事実

2014-05-27 18:56:20 | 科学
 戦時中の原発開発計画には湯川秀樹、坂田昌一、武谷三男等、戦後の反核運動の中心人物がいた。彼らはまずなぜ核開発にたずさわり、そしてなぜ戦後は立場を変えるのか、きちんと表明すべきだったと思う。

 詳しくは→福井「日米の原爆製造計画の概要」http://watanaby.files.wordpress.com/2013/03/fukui-6a.pdf

吉田調書 第2章 2 広報等は知りません

2014-05-27 17:33:25 | 原発
「東日本大震災発生3日後の2011年3月14日未明、福島第一原発3号機は、13日朝に続き、危機に見舞われていた。原子炉に入れる水の水源が枯れそうになっていることに気付くのが遅れ、1号機ともども、炉の冷却ができない事態となった。

――― このころ、ベントではウエットウェルベントということが一つあると思うんですけれども、ドライウェル側のところからベントするような検討みたいのは。

吉田「それはもちろん、しています」

――― それもされているんですか。実際にはそれは、3号機に関してはされていないんですね。

吉田「ウエットウェルを先行してしまったんですね。それをやっている間に爆発してしまって、何か、圧が下がってしまったんですね。ずっと下がってきたんで、ドライウェルベントをやるタイミングが、逆に言うと、検討はしたんだけれどもという状況だったと思うんですね」

――― 1号機はウエットウェルだけをやっていて、2号機はウエットウェルに加えてドライウェルもということの検討も、検討の俎上には上がっていたと。

吉田「3号機」

――― ああ、3号機ですね。ただ、実際に弁を開けてとかいうそういう操作までには至っていないということですね。

吉田「そういうことです。ここで基本的に、たぶん、本店が検討している放射線評価ですけれども、これはドライウェルベントを想定していると思います」

――― のような感じですね。文脈からすると。

吉田「そうです。ですから、この時点でドライウェルベントをイメージした評価を、本店の菅井君のほうでやっていたという状況だったと思います」

――― なるほど。では、検討にはもう入っていたという最中での3号機の爆発ということになったんですね。

吉田「そうです」

 福島第一原発では、1号機と3号機の原子炉に海水を注入していたが、この時点では目の前に無尽蔵にある太平洋の水を入れているわけではなかった。3号機の海側にある逆洗弁ピットと呼ばれるくぼみが津波をかぶり、たまたま海水がたまったので、消防車のポンプでくみ上げて使っていた。そのピットの海水がほとんどなくなり、原子炉に注ぎ込めなくなってしまったのだ。

 注水が止まった3号機では、原子炉の水位が見る見るうちに低下した。核燃料は完全に水からむき出しの状態になり、自ら発する高熱で、前日に続き、損傷し始めた。出てくるガンマ線の量から、午前4時20分には核燃料の25%がすでに損傷していると評価された。

 原子炉格納容器の圧力も急激に上昇し始めた。放っておくと壊れた核燃料から発生した水素が格納容器から漏れ出て1号機のように爆発し、原子炉建屋を吹き飛ばしてしまう。格納容器自体が圧力の高まりで壊れる可能性もある。そのため福島第一原発ではまず、格納容器の気体を圧力抑制室経由で抜く、ウエットベントを試みた。

 格納容器の中の気体を抜くベントには2種類のやり方がある。下部の圧力抑制室から抜くウエットベントと、上部のドライウェルから抜くドライベントだ。ウエットベントは、気体を圧力抑制室のプールの水にブクブクとくぐらせたうえで外に放つので、水に溶けやすい放射性ヨウ素は99%取り除くことができるとされている。

 しかし、ウエットベントは効かず、格納容器の圧力は逆に上がってしまった。仕方なく、放射性ヨウ素を大量に出してしまうドライベントの準備を始めた。午前6時23分ごろの話だ。

 東電本店保安班はこれを受け、「カムズ」と呼ばれる装置で、ドライベントをやると放射性ヨウ素がどれくらい拡散するか予測を始めた。文部科学省が結果を公表せず問題になった放射能拡散予測装置スピーディに似た装置だ。
 結果は、原発の北方20kmの地点、福島県相馬郡あたりが、3時間で250ミリシーベルトになるというものだった。
 このように人為的に放射性物質をまき散らすこともあり得る状況になってきたときに、東電本店も耳を疑うことを言ってきた組織がある。原子力安全・保安院だった。
グラフィック|原子力規制庁の資料から作製

――― 確認なんですけれども、3号機が、作業していたら、退避命令をかけて、それだけ危険な状況にあると。それは当然、保安院も官邸も、本店から電話を通じて、オンラインでも通じて、状況は刻々と耳に入っていてという状況の中で、これからご覧いただくところというのは、保安院とか官邸が、要するに、プレス発表の関係ですね。この時点でプレス発表を止めている、止めていないというところですね。

吉田「プレス発表?」

――― ようするに、これをご覧になって、何の場面かというところを思い出していただきたいんですが、3号機の状況に関する情報について、今、プレスを止めているんだというような。

吉田「そんな話は初耳でございまして、33のところですか」

――― はい。9ページ。そこからの流れ、若干まとまったところであるんで、ちょっとご覧いただいて、どういうあれだったのかというのを思い出せば、お聞きしたいんで、お願いします。


 原子力安全・保安院が言い出したのはプレスを止める、すなわち情報統制を敷くということだった。

 水源の水の枯渇から3号機が冷却不能となり、格納容器の圧力が異常に上昇、福島第一原発では所員が一時退避する事態になっている。こうした3号機の危機をテレビ局や新聞社に一切伝えないで隠そうというのだ。

 東電は、監督官庁による情報統制を、少しとまどいながらも受け入れた。それを、東電本店の官庁連絡班長が午前7時49分、福島第一原発と福島オフサイトセンターに伝えた。

 しかし、経緯を詳しく説明せず「保安院からも官邸に向かって、共同で処理していますが、いまプレスをとめてるそうです。それでいまプレスにはとめてるんです」と言うものだから、吉田は「はい、了解」と言うだけで中身はきちんと聞いてなかった。

――「そんな話は初耳でございまして」

 吉田はそのころ、水源の逆洗弁ピットに水を補給する手立てを四つ同時に走らせていて、それぞれの担当者とのやりとりにてんてこ舞いだった。

 オフサイトセンターにいた東電原子力担当副社長の武藤栄も「ごめん、なんだって?」「何をとめているの?」「3号機の状況を?」と、何を言われているのかわからずじまい。最後は「了解」、と言って会話をやめた。

 一方、福島県は保安院の暴挙に反旗をひるがえした。午前9時に関係部長会議をマスコミに公開する形で開き、その場で3号機の異常を国に代わって公表する、と言い出した。

 しかし、保安院は「絶対にプレス発表はだめだ」と強い態度に出て、県の公表を押しとどめた。3号機の核燃料はすでに30パーセント壊れており、格納容器の気体には大量の放射性物質が含まれる状態になっていると考えられる。このままいくと、人為的に放射性物質をまき散らすドライベントが、住民に何の知らせもないままおこなわれる恐れがある。

――― 要するに、もう注水できているという状況にして公表しないと、それをしない段階でしてしまえば、そこでまた混乱というか、いたずらに国民の不安をあおってしまうというようなところが入って、それをそのまますぐには知らせなかったのかとも読めるようなところで、ただ、基本的には本店対応ということになるんですかね。ここは。
吉田「なります。ここは私はほとんど記憶ないです。広報がどうしようが、プレスをするか、しないか、勝手にやってくれと。こっちは、現場は手いっぱいなんだからというポジションですから、しゃべっていることも、ほとんど耳に入っていないと思います」

――― それでちょっと何か、あれっという感じだったんですね。

吉田「はい」

――― 基本的には、ここであるところの本店の広報班などが中心となって、その辺りの報道関係の対応は。

吉田「(前略)彼は官庁連絡班長です。そこを止めるという話なのと、広報班のほうは、誰が言っているかわかりませんけれども、広報班長等がプレスをするという話と、官庁との連絡、そこでの話でありますので、どちらでも本店マターの話なので、発電所は知りません。こんなことは勝手にやってくれと、こういうことですね」

――― 要するに、国側の都合で、注水を始めたらすぐに知らせてくれ、その状況については刻々と知らせてもらって、おそらく報道のタイミングを計っているんだと思うんですね。それを本店の広報班なりが、高橋さんかな。連絡する係が向こうに伝えて、タイミングを見計らってと思っていたら、NHKの報道で抜けてしまって、一時退避の事実がですね。それで、これを踏まえた対応をしなければならないという流れになっていっているみたいなんですけれども。この辺はもう、現場としては本店にお任せの。

吉田「そうです。外の話はもうお任せで、うちはだから、圧力が上がるというのと、いつ水を補給しに行くかと。退避させた後ですね。そこだけで頭がいっぱいで、広報などは知りませんと、こういうことです」

の清水正孝社長=2011年3月13日午後10時54分、東京都千代田区内幸町の東電本店、竹谷俊之撮影
 吉田は、3号機の海側にある原子炉に注ぎ込む水の水源、逆洗弁ピットへの水の補給に全力を挙げていた。暴れる3号機をなんとか冷却しなければならなかった。

 ピットに水を補給する四つの手立てのうち、ろ過水タンクの2000トンの水を移す方策はタンクがいつの間にか空っぽになっており失敗した。成功していたら30時間注水できただけに痛かった。

 4号機のタービン建屋の地下にたまった水をくみ上げる方策も、水が引けていたことがわかり失敗に終わった。

 一方、1号機の近くの物揚場という岸壁から、2台の消防車をホースで直列つなぎしてポンプの力を増して海水をくみ上げる方策は、午前9時20分に成功したとの知らせが入った。これで毎時30トンの海水が確保できる。
 自衛隊も給水車を福島第一原発に向かわせ、水を補給してくれることになった。

 しかし、3号機の格納容器の圧力上昇のほうは依然気が抜けなかった。午前10時10分、いったん上がった炉水位がまた下がり、核燃料が再び水面から顔を出した。
――「こっちは、現場は手いっぱいなんだから」

 しかし、情報統制は解かれない。NHKが午前9時半ごろ、3号機の格納容器の異常上昇と作業員の一時退避の話をスクープして伝えても、情報統制はまだ解かれないでいた。

 結局、午前11時1分、3号機が爆発。吉田によるとその際、原子炉の圧力は下がり、ドライベントの必要性はなくなった。

 住民に何も知らせないまま人為的に大量の放射性物質をまき散らす愚は避けられたが、3号機の危機を詳しく聞かされず水の補給に向かった自衛隊員は、ちょうど水を補給し始めたところで爆発に遭った。上空に噴き上げられたコンクリートの塊が真上からたたきつけるように落ちてきて、あやうく命を落とすところだった。

 吉田の言葉から、暴走する原発を止めようとする第一線の者には、住民のことを考える余裕がないことがわかる。だが、原子炉の刻一刻の状況を理解できるのは一線に立つ現場の者をおいてほかにない。

 現場が発信する情報でもって住民避難を呼びかける思想・仕組みをつくらずに、周辺住民を原発災害から適切に逃がすことなど不可能に近い。監督官庁や電力会社が危機情報を隠すことを是とする国においては絶望的だ。(文中敬称略)」

http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/2-2m.html

吉田調書 第2章 1 真水か海水か

2014-05-27 17:31:43 | 原発
「1号機への海水注入を、官邸に詰めていた東電フェロー武黒一郎の中止指示を無視し、廃炉も恐れず続行したことで、一躍英雄視された福島第一原発所長の吉田昌郎。その吉田が、3号機への海水注入について、廃炉を避けるため極力淡水を使え、という官邸のある者の指示を受け入れ、無理して淡水に切り替え、危険性を増大させていた事実は意外に知られていない。
吉田「だから、たぶん、武黒から。指示という意味では。だと思う。だから、可能性として、武黒が一点と、そのわきで安井さんか誰かがそれに関しておっしゃった可能性も否定できないんですけれども、せいぜい絞るとすると、そんなような感じで、武黒が、そのわきにいた安井さんというぐらいしか考えられないな、という感じなんです」
――― 13日の6時台に官邸から本店へかかって、それが回されてきて、電話を取って、要約すると、海水を使うという判断が早過ぎるのではないかというコメントが来て、海水というのは、それを使うと廃炉にするということにもつながるだろうし、極力、ろ過水とか、水を使うことを考えてくれというような内容なわけですね。
吉田「ここは申し訳ないけれども、この前も話したように、私の記憶はまったく欠落していたので、ビデオを見て、ああそうだったかなと逆に思い出しているぐらいなんで、本当に誰と電話したかも完全に欠落しているんです。ですから、そこは可能性だけの話しかないです」

写真|停電に備えて百貨店などが早めに閉店した東京・銀座は、午後7時すぎにもかかわらず真っ暗だった=2011年3月17日、越田省吾撮影
 東日本大震災発生2日後の2011年3月13日未明、福島第一原発3号機は最初の危機を迎えていた。
 運転員が午前2時42分に、原子炉への次の注水手段がうまくいくのか十分確認しないまま、それまで炉に水を注ぎ込んでいた高圧注水系と呼ばれるポンプを手動で止めたことで危機は生じた。吉田に知らせず行われた操作だった。
 注水が止まった3号機は、炉の水位がぐんぐん下がった。午前5時14分、福島第一原発技術班は、午前7時半ごろに核燃料が損傷し始め、午前9時半ごろには炉心溶融するとの1回目の予測を報告した。

 福島第一原発は原子炉への新たな注水方法を検討した。高圧注水系ポンプの再起動は、必要なバッテリーが調達できず断念した。
 代わりに吉田が選んだ方策は二つ。炉が高圧でも注入できるホウ酸水注入系のポンプで注水する方法と、原子炉圧力容器についているSR弁という弁を開けて炉を減圧したうえで消防車のポンプで注水する方法だった。
 ホウ酸水注入系は高圧で水を入れられる切り札的存在だが、ポンプを動かすには480ボルトの交流電源が必要だ。
 福島第一原発は地震で鉄塔が倒れ、外部からの交流電源が失われている。そのため、福島第一原発にかけつけた電源車が発電した6900ボルトの電気を、被災を免れた4号機の配電装置につないで480ボルトに降圧し、3号機までケーブルで引っ張ってくることにした。
 一方、消防車を使った減圧注水のほうは、SR弁が開き次第、消防車で海水を入れると、吉田は決めていた。午前5時42分、消火栓につながるタンクがすべて空だとの報告があり、淡水は足りないと考え、決断した。
13日朝、3号機に海水注入を指示する吉田昌郎所長
00:00/00:00
 「本店、緊急です、緊急です、緊急割り込み!」。午前6時43分、吉田あてに電話が入った。武黒とともに官邸に詰めている東電の原子力・品質安全部長の川俣晋からだった。
――― まず優先的には真水ということになっているんですが、そういう発言に至った理由なんですけれども、そこは何が一番。
吉田「やはり官邸です」
――― それがやはり一番ですか。
吉田「一番です。当初言っていたように、私は海水もやむを得ずというのが腹にずっとありますから、最初から海水だろうと、当初言っていたと思います。その後に官邸から電話があって、何とかしろという話があったんで、頑張れるだけ水を手配しながらやりましょうと。ただ、水の手配はうちだけではできないんで、自衛隊も含めてお願いしますよという形で動いているというのがこの時点なんですね。ある程度自衛隊が動いてくれれば水の補給は可能であるかなというところ、まだ期待があった時点なんで、海水に切り替えるというか、そこまでは思っていないというところ、非常に微妙なところだと思います」
――― (前略)水という観念では海水にしたほうがなどということを言われて、要するに、消防庁とか、仙台消防署とか、来てくれるという話はいっぱいあるんだけれども、結局、いま、情報があるのは千葉支店の1台で、現実に動いているのはそれしかないではないかというようなところから、これで2号だ、3号だ、両方面倒見られるわけがないということで、海水という発言になったんでしょうけれども、今度来る千葉支店の消防車の車は、2号のほうの水源にとりあえずはして、というようなことで、このときはおっしゃっているわけですね。所長の腹としては、それでもう何もないとうことになれば、海水もやむなしということになっているんですか。
吉田「はい」
写真|福島第一原発1、2号機の中央制御室で、懐中電灯で照らしながら計器データを確認中の作業員=2011年3月23日昼、原子力安全・保安院撮影、提供
 「官邸」からの電話の趣旨は、海水を使う判断は早過ぎる。廃炉につながるから極力、ろ過水なり真水を使うことを考えてくれ、というものだった。
 吉田が政府事故調の聴き取り調査において「記憶はまったく欠落している」と主張するのが、この東電原子力・品質安全部長の川俣晋からの電話の部分だ。電話の相手が、川俣から誰かに代わったというが、それが誰かは覚えていないというのだ。
 吉田はいったん、東電フェローの武黒一郎、原子力安全・保安院付の安井正也の名前を挙げた。しかし、記憶が完全に欠落していると主張して、逆にこの二人ではないことを強くにおわせた。一方、原子力安全委員会委員長の班目春樹、内閣官房長官の枝野幸男、そして首相の菅直人は、違うとはっきり説明した。
 結局、吉田は、誰だったか思い出せないということで通した。が、とにかく吉田は、官邸にいたある人物から、3号機の廃炉を避けるため、海水注入ではなく淡水を入れろと言われ、応諾した。
――「誰と電話したかも完全に欠落しているんです」

 解せないのは、1号機で武黒の指示を聞かず海水注入を続行したあの吉田が、今回はいとも簡単に電話の主の要求をのんだことだ。
 その瞬間、福島第一原発の現場からは、「水がねえんだから」との声が飛んだ。
 その後も、まず福島オフサイトセンターに詰めている東電原子力担当副社長の武藤栄が「もう海水を考えないといけないんじゃないの? これ官邸とご相談ですか」と疑問を示した。東電本店に詰めているフェローの高橋明男も、「吉田所長、水はどこから持ってくるの。手当てのめどは立っているんですか」と心配した。
 電話の主はどれほど強い要求をしたのだろう。吉田はそんな周囲の心配に耳を貸さず、淡水注入に切り替えた。
 その結果、福島第一原発の現場は苦労の連続となった。すぐに使える淡水は、消防車による注入で使えるのが80トン、ディーゼル駆動消火ポンプで使えるのが800トンしかない。それぞれ2時間、20時間で費えてしまう量だ。
 技能訓練棟のプールの水など所内のあらゆる淡水を集めてくることになったが、急なことでなかなかうまくいかない。応援に来るはずの消防車もなかなか来ない。自衛隊の水もこの日は届かなかった。
 切り札のホウ酸水注入系のポンプも、4号機の配電装置から電気を引っ張ってくるケーブルが1号機の爆発で損傷し、使えないことが判明した。
――「官邸から電話があって、何とかしろという話があった」

 そうこうしているうちに3号機の炉の圧力が上昇してきた。そうなると、ディーゼル駆動消火ポンプは水を吐き出す圧力が低いので、炉の圧力が高いと水を注ぎ込めない。結局、淡水注入は、消防車を使う分の80トンしかできず、午後0時20分ごろ終わった。
 吉田は「あの、もう、水がさ、なくなったからさ」と海水注入を指示した。吉田はものの10分もあれば段取り替えを終え、海水注入が始まると見込んでいた。しかし、実際に始まったのは午後1時12分。52分間もの間、3号機にはまったく水が注ぎ込まれなかった。
 目の前の炉の挙動、淡水の確保の見通し、こうしたものを一切無視して、廃炉を防ぎたいという、遠く離れた東京の「官邸」からの要求を受け入れた結果、吉田は危機を拡大させてしまった。
13日昼過ぎ、淡水がなくなったと報告する吉田所長
00:00/00:00
写真|緊急災害対策本部に臨む菅直人首相(左から3人目)=16日午後4時9分、首相官邸、飯塚悟撮影
――― 2号機はそのまま海水からいきますよというような話があって、このころはここには出てきていないんですけれども、これについては官邸なりというのはないですか。
吉田「なかったですね。記憶にないですね」
――― あと、山下さんというお方は、どういう立場の方ですか。
吉田「山下は、本店の復旧班の班長なんですよ。(後略)」
――― 山下さんは、海水というのは、そのまま材料が腐食する、腐ってしまったりしてもったいないということで、なるべく粘って真水を待つという選択肢もあるというふうに理解してよいでしょうかと。これは当然、あるんだったらそれでという考えはあるんでしょうけれども、そう、ないものねだりできないからというところの時期なんですね。もうこのころは。
吉田「そうです」
 52分間、水が注ぎ込まれなかった3号機は、炉の状態が悪化の一途をたどった。
 炉水位は回復せず、午後1時23分には原子炉建屋の二重扉の内側で毎時300ミリシーベルトという極めて高い放射線量を観測したとの報告が入った。内側はもやもやしていたといい、爆発性のある水素を含む水蒸気が原子炉格納容器から漏れ出していた可能性もある。
 ここで2号機の注水方法を考える時期がきた。吉田はさすがに2号機については最初から海水でいくと宣言した。午後1時13分のことだ。「官邸」もまずいと思ったのか、2号機の海水注入は「事業者がやるんなら良い」とあっさり許可した。
3号機の炉圧上昇の報告を受ける吉田所長
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 しかし、東電内では、こんな痛い目に遭った後でさえ、なんとか廃炉を回避するため海水を使わないでいこう、という考え方はなくならなかった。
 例えば本店の復旧班長は、吉田の2号機海水注入宣言から7時間たった時点でも、廃炉回避のため、淡水でいくべきだと主張した。
 「こちら側の勝手な考えだと、いきなり海水っていうのはそのまま材料が腐っちゃったりしてもったいないので、なるべくねばって真水を待つという選択肢もあるというふうに理解して良いでしょうか」
 吉田が「理解してはいけなくて、もうラインナップがあそこのラインナップをして、供給源を海の供給源にしてしまいましたから、今から真水というのはないんです。時間が遅れます、また」「言いたいのは真水でやっといた方が、要するに塩にやられないから後で使えるということでしょ」と主張しても、「はい、そういうことです」と引こうとしない。
 吉田が「それは、私もずっとそれを考えたんだけど、今みたいに供給量がですね、圧倒的に多量必要な時にやっぱり真水にこだわってるとえらい大変なんですよ。だからもうこれは海水で行かざるを、この状況で行けば海水でいかざるを得ないと考えてると、こういうことです」と説明すると、「はい、現段階のことは理解しました」と答えた。

 原発の暴走を止めるにはとにかく水を入れて冷やすしかない。眼前に広がる太平洋は水を無尽蔵にたたえる。淡水が足りない以上、その海水を使うのは当然だ。
 しかし、鉄でできた精密機械である原発は、いったん海水を入れるとさびて二度と使えなくなる。廃炉だ。そうなると電力会社は多額の損失を計上しなくてはならず、倒産も視野に入る。
 「官邸」や東電には、危機がかなり進行した後も、できることなら廃炉を避けたいという考えが存在していた。(文中敬称略)」

http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/2-1m.html

吉田調書 第1章 3 誰も助けに来なかった

2014-05-27 17:27:04 | 原発
「東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午前11時01分、福島第一原発の3号機が爆発した。

 分厚いコンクリート製の建屋を真上に高々と吹き飛ばしたところを無人テレビカメラに捉えられ、ただちに放映された、あの爆発だ。

――― 水が欲しいときっとなるだろうから、そうだったら、何はともあれ外との間のパイプラインをつくってしまえという指示をどこかで出したのかなと思っていたんですが、パイプラインを何でもいいからつくってくれと、そんなことまでは頭が動かないのか、それとも、言っても先ほどのように。

吉田「それはわからないです。私はこの中にいましたので、外からどういう動きをしていたかはちっともわからないんで、結果として何もしてくれなかったということしかわからない。途中で何かしてくれようとしていたのかどうか、一切わかりません」 

――― わかりました。私はそこまででいいです。

吉田「逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。すみません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」
――― それは誠にそうだ。結果として誰も助けに来てくれなかった。

吉田「後でまたお話が出ますが、消防隊とか、レスキューだとか、いらっしゃったんですけれども、これはあまり効果がなかったということだけは付け加えておきます」


 3月12日午後の1号機の爆発に続き、日本史上2度目の原発の爆発も、ここ福島第一原発で起きてしまった。
 外で作業にあたっていた人が怪我をした。当時、原子炉への注水は、3号機の海側にある逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を、消防車で汲み上げておこなっていた。その屋外作業に大勢がかかわっていた。

 また、自衛隊がちょうど給水車で原子炉に入れる水を補給しにきていた。作業をしていた6人は被曝し、何人かは怪我もした。

 福島第一原発では所長の吉田昌郎以下、所員の落ち込みようは激しかった。吉田はサイト、すなわち発電所のみんなの声を代弁し、午後0時41分、テレビ会議システムを使って、声を詰まらせて東電本店に次のように訴えた。

 「こんな時になんなんだけども、やっぱり、この……、この二つ爆発があってですね、非常にサイトもこう、かなりショックっていうか、まあ、いろんな状態あってですね」

 社長の清水正孝の答えは、次のようなものだった。

 「あの、職員のみなさま、大変、大変な思いで対応していただいていると思います。それで、確かに要員の問題があるんで、継続につき検討してますが、可能な範囲で対処方針、対処しますので、なんとか、今しばらくはちょっと頑張っていただく」

 東電本店はヒトだけでなくモノの面でも福島第一原発を孤立させていた。


 福島第一原発では、いまや原子炉の冷却の主軸である消防車のポンプを回すための軽油も、中央制御室の計器を動かすのに必要な電気を発電するためのガソリンも、ベントなどの弁を開けるのに必要なバッテリーも足りなかった。
 所員はこれらの必要物資を、10km離れた福島第二原発、20km南のスポーツ施設Jヴィレッジ、場合によっては50km南の福島県いわき市の小名浜コールセンターまで取りに行っていた。

 東電本店は福島第一原発まで運ぶよう運送業者に委託するのだが、3月12日に1号機が爆発し、避難指示の区域が拡大してくると、トラックがその手前までしか運んでくれなくなったのだ。

 トラック業者だけでない。福島第一原発は、同じ東電の福島第二原発からガソリン入りのドラム缶をもらうときも、中間地点にあるコンビニエンスストア、通称「三角屋のローソン」や、ホームセンター「ダイユーエイト」の駐車場にそれぞれが運搬車で乗り付けて、引き渡してもらっていた。

 福島第二原発としては、福島第一原発に直接行ってしまうと、運搬車が放射性物質に汚染され、除染しないと乗って帰れなくなるからだった。


――― この注水の作業なんかについては、消防車の運転操作なんかの委託をしていた、日本原子力防御システムですかね、そういうところだとか、南明興産というところですね、こういうところも協力していただいている?

吉田「最初は協力してくれる」

――― 途中からは。

吉田「線量が出てから」

――― 線量が上がり過ぎて、その人たちの作業はできなくなったと。それ以降は、東電の。

吉田「自衛で」

――― その自衛消防隊の方だけでやっていたんですか。

吉田「はい。何人か奇特な方がいて、手伝ってくれたようなことは聞いているんですけれども」

――― それは。

吉田「南明さんとかですね。ほとんど会社としては退避されたような形で、個人的に手伝ってといったらおかしいんですけれども、そういうことは聞いております」 (中略)

――― 3月16日以降とかは、がれきの整理などのために、例えば、がれき撤去のための作業用の車両みたいなもの、ブルドーザーなり何なり、そういうものは届いていたんですか。

吉田「バックホーが数台もともとこちらにあったのと、間組さんがどこかから持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけれども、間組さんが線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」

――― これは何で間組なんですか。

吉田「たまたま、私もよくわかりません。そのときは線量が高いんですけれども、間組が来てくれたんです」

――― この辺周辺の撤去などの作業をしてくれたんですか。

吉田「それもやりましたし、6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です。なぜ間組に代わったかというのは知らない。結果として間組がやっているという状況だったので、たぶんいろいろお話をして、一番やろうという話をしてくださったんだと思います」


 東日本大震災発生当日の2011年3月11日午後9時44分、新潟県にある東電柏崎刈羽原発を1台の化学消防車が福島に向けて出発した。消防関係の業務を東電から請け負っている南明興産という会社の社員3人が乗っていた。

 交流電源をすべて失った福島第一原発で、原子炉を緊急に冷やすポンプがすべて使えない状態になっていた。吉田らが代わりに思いついたのは、消防車を使って外から原子炉に注水する方法だった。過酷事故時の対応を定めたアクシデント・マネジメント・ガイドには書かれていない世界初の試みだ。

 ところが、福島第一原発の消防車3台のうち、使えるのは1台だけだった。1台は津波にやられ、もう1台は構内道路がやられて1~4号機に近づけないところにあった。

 消防車を操れる人間はもともとごく少数。それもそのはず、東電の社員は誰も消防車を運転したことがない。ホースを消火栓につないだり、ホースとホースをつなぐなどの消防車周りの作業もしたことがない。

 南明隊は到着するやいなや、あちこちにかり出された。

――「実質的な、効果的なレスキューが何もない」

 福島第一原発では、消防車から原子炉への注水の経路がめまぐるしく変わった。防火水槽やタンクの淡水を入れていたかと思うと、次は逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を入れる。その次は海の水を直接汲み上げて入れる。そのたびに消防車を動かし、ホースをつなぎ変えた。南明隊は途中、東電の要請で部隊増強を図った。

 消防車周りの仕事はたいてい屋外作業となる。そのため、常に高い値の放射線にさらされたし、1号機や3号機が爆発した時はがれきの雨に打たれた。

 吉田も気遣ってはいたが、なにせ彼らの代わりができる人間が東電にいなかった。

 一方、がれきの撤去作業では、一部のゼネコンが一肌脱いだ。

 福島第一原発では15日以降、各号機の核燃料プールの冷却が大きな課題になっていた。特殊な消防車で地上から放水することが考え出されたが、がれきが、各号機へ消防車が近づくことを拒んでいた。

 がれきは、1、3、4号機の相次ぐ爆発で発生したもので、がれき自体が高い値の放射線を発していた。

 それを人と重機を投入して片付けた。これもまた高い値の放射線量のもとでやってのけた。


――― こういう爆発があって、例えば3月13日とか14日というのは、保安院の方というのはどうなんですか。

吉田「よく覚えていないんですけれども、事象が起こったときは、保安院の方もみんな逃げて来て、免震重要棟に入られたんです。それから即、オフサイトセンターができたので、オフサイトセンターに全部出ていった。私の記憶がなかったので、先ほどDVD議事録を見ていたら、武藤が途中で大熊にあったときのオフサイトセンターから保安検査官をこちらに送り込むという話はあったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られなかったんです」

――― 来なかったんですか。

吉田「はい。私は記憶がないんだけれども、今みたいに24時間駐在で来られるようになったのは、もうちょっと後だと思います」

――― 保安院の方が来られると、例えば情報を得ようと思ったら緊対室に来ますね。

吉田「はい」

――― そのときというのは、所長に何かあいさつなりというのは、向こうからするんですか。そのまま本部の円卓の辺りにいるんですか。

吉田「我々別に保安検査官を拒絶するつもりもないし、来られるようなときに来られればよくて、彼らは保安院の制服を着ていらっしゃいますから、いらっしゃるということで、ごく普通に会議の中に入ってもらえばいい、という形で対応しています」

――― それは円卓に保安院用の席があるんですか。

吉田「もともとはなかったんです。そんな話があって、保安院の人に座っていてもらえという話をしたんです」

――― それはいつごろですか。

吉田「最初に武藤から電話があって、保安院さんが来るという話のときに、短期間で1回来られたかも知れないんです。14日ごろにね。そんな記憶もあるんです。ちょこっといらっしゃった。オフサイトセンターが福島に引き揚げるとなったときに、みんな福島に引き揚げられて、結局、16日、17日ぐらいまで、自衛隊や消防がピュッピュやっているときはいなかったような気がするんです」

――― サイト内に来られたとすれば、例えば保安院の事務所の方にずっといるわけではないんですか。

吉田「住むところは免震棟しかないわけですから、事務所には行きようがないんです。線量もあるし、被曝もあるしね」

 各原発には、原子力安全・保安院、今なら原子力規制庁に所属する原子力保安検査官が、常駐する制度になっている。
 東日本大地震発生時、福島第一原発内にも当然いて、地震後一時、免震重要棟に入っていた。だが、しばらくして南西5kmのところに福島オフサイトセンターが立ち上がると、そこへ移動した。

 2日後の3月13日午前6時48分、そのころオフサイトセンターに詰めていた東電原子力担当副社長の武藤栄が、吉田に、保安検査官が福島第一原発に戻ると連絡してきた。

 「保安院の保安検査官が、そちらに4名常駐をしますと。12時間交替で1時間ごとに原子炉水などプラントデータを、報告をするということになります」

 吉田は即座に「保安検査官対応!」と受け入れ態勢を整えるよう部下に指示した。
 保安検査官はその後しばらくしてやって来たが、3月14日夕方、2号機の状況が急激に悪化するとまたオフサイトセンターに帰ったとみられる。そして、15日朝、オフサイトセンターが原発から60km離れた福島市へ撤収すると、いっしょに行ってしまった。

――「みんな福島に引き揚げられて」

 一方、原発から5km離れたところにあるそのオフサイトセンターだが、原発事故があったら、10以上の省庁から40人超が集まり、原発や周辺自治体と連携して、情報を収集・発信する拠点になると定められていた。甲状腺がんを防ぐ安定ヨウ素剤の配布指示でも大きな役割を担っていた。

 それなのに、今回の事故では半数強しか来なかった。班が七つ立ち上がり、それぞれが班長の指揮のもと作業にあたることになっていたのだが、班長が3月末近くまで来ない班もあった。

 最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。

 これが多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。(文中敬称略)」

http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/1-3m.html

吉田調書 第1章 2 ここだけは思い出したくない

2014-05-27 17:25:28 | 原発
「東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午後6時。福島第一原発2号機は、重大な危機にさらされていた。1号機、3号機でも手こずった原子炉格納容器のベントが、2号機では本当にどうやってもできなかった。原子炉の中心部である圧力容器の水蒸気を逃がす「SR弁」を人為的に開けて、圧力が下がったところで消防車で注水し原子炉を冷やす試みも、なかなかうまくいかなかった。
――― この後ぐらいに、要するに、SR弁がなかなか開かないというところから、夜に行くぐらいのころ、本店も含めてなのかどうかはともかく、実際の退避は2Fの方に行っていますけれども、退避なども検討しなければいけないのではないかみたいな話というのは出ていた?
吉田「出ています、というか、これは、あまりに大きい話になりますし、そこでうちの本店から言ってきたわけではなくて、円卓で言いますと、円卓がありますけれども、廊下にも協力企業だとかがいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと思ったんです」
 「これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる」

写真|福島第一原発1、2号機の防護管理ゲートの北側の風景。津波で破壊されたがれきが散らばっている=2011年3月23日、経済産業省原子力安全・保安院提供
 2号機ではいったん13日に、格納容器から排気塔につながるベントライン上の弁を二つとも開け、いつでもベントできる状態にしていたのだが、14日午前11時1分の3号機の爆発で、うち一つが閉じて、開かなくなってしまった。
 午後4時15分に原子力安全委員会委員長の班目春樹から直接電話があり、ベントができないなら原子炉圧力容器のSR弁をすぐに開けろと言われた。が、これも作業を始めてから1時間たったが開かなかった。
 ベントの弁と同様、平素は簡単な操作で開くのだが、125ボルトの直流電源を供給するバッテリーが上がってしまったのか、うんともすんとも言わなかった。
 福島第一原発では、所員の自家用車からはずしてきたり、福島県内のカー用品店で買ってきたりして、12ボルトの自動車用バッテリーをかき集めていた。東電本店や、新潟県の柏崎刈羽原発などほかの発電所からも送ってもらった。それらを10個直列につないで120ボルトのバッテリーにして装着してみたがうまくいかない。
――「ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと」

 10個では電圧が定格より5ボルト足りないからと11個つなぎにすれば良いのではないか、いや、これは電圧でなく電流が足りないから120ボルトのバッテリーをもう1セットつくり、2セットを並列つなぎにしたほうがいいのではないか、と試行錯誤を繰り返したがなかなか開かなかった。
 このままSR弁が開かないと圧力容器内の圧力は高止まりし、消防車の低いポンプ圧力では、いつまでたっても炉に水を注ぎ込むことができない。
 早く水を入れて冷やさないと、炉はますます高温高圧になる。水が蒸発して水位が下がり、核燃料が水面から顔をのぞかせることになる。
 核燃料は水からむき出しになると、そこから2時間で自らが発する高熱で溶け落ちる。いわゆるメルトダウンだ。さらに2時間で圧力容器の壁を溶かして穴を開けてしまう。メルトスルーと呼ばれる事態だ。
2号機の状況をめぐるやりとり
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 吉田が口にした「チャイナシンドローム」とは、アメリカの原発がメルトスルーし、高温でどろどろになった核燃料が格納容器をも突き破り、接するものを次々と溶かしながら、重力により地球の中心に向かい、さらに突き進んでちょうど地球の裏側の中国に到達するという仮想の話を主題にした、ジェーン・フォンダ主演の米映画の名前だ。
 そこまでの惨事となるかどうかはともかく、打つ手がない以上、2号機はメルトスルーに向かっていく。格納容器が破られれば、プルトニウム、ウラニウム、アメリシウムなど猛毒の放射性物質が、生活環境に大量にばらまかれる。
 その際には膨大な量の放射線が所員を一気に大量被曝させるであろう。吉田は、となると、1号機と3号機も原子炉の冷却作業ができなくなり、3機ともメルトスルーするという恐ろしい事態が起きてしまうと思い、ある行動に出た。
写真|福島第一原発1・2号機中央制御室の当直長席で、機器データを記録する作業員=2011年3月23日、原子力安全・保安院提供
吉田「そうなると、結局、ここから退避しないといけない。たくさん被害者が出てしまう。もちろん、放射能は、今の状態より、現段階よりも広範囲、高濃度で、まき散らす部分もありますけれども、まず、ここにいる人間が、ここというのは免震重要棟の近くにいる人間の命にかかわると思っていましたから、それについて、免震重要棟のあそこで言っていますと、みんなに恐怖感与えますから、電話で武藤に言ったのかな。一つは、こんな状態で、非常に危ないと。操作する人間だとか、復旧の人間は必要ミニマムで置いておくけれども、それらについては退避を考えた方がいいんではないかという話はした記憶があります」
 「その状況については、細野さんに、退避するのかどうかは別にして、要するに、2号機については危機的状態だと。これで水が入らないと大変なことになってしまうという話はして、その場合は、現場の人間はミニマムにして退避ということを言ったと思います。それは電話で言いました。ここで言うと、たくさん聞いている人間がいますから、恐怖を呼びますから、わきに出て、電話でそんなことをやった記憶があります。ここは私が一番思い出したくないところです。はっきり言って」
 ここで吉田がとった行動は、東電の首脳と、官邸にいる首相補佐官細野豪志に直接、2号機の惨状を伝え、所員の引き揚げを考える時期がきていると意見することだった。
 テレビ会議システムを使うと、緊急時対策室にいる所員全員に聞かれるので、廊下に出て、携帯電話で密かに報告した。
 退避命令に関しては、実は吉田は今回の福島原発事故の収束作業中、何度か発している。爆発や放射線被曝から所員を守らなければいけないと考えたときだ。
 例えば3月14日朝に3号機の格納容器の圧力が急激に上昇したとき、吉田はテレビ会議システムを使って、「何もできなくなっちゃうんですけども、現場の作業員、うちの社員、一回こちらに退避させてよろしいですか」と了解を求めたうえで、退避命令を出している。
 それが、今回の局面では、携帯電話で東電本店と官邸にこっそり伝えた。吉田の不安は極限にあったと言っていい。

写真|福島第一原発2号機の炉水位低下について記者会見で説明する経産省の西山英彦大臣官房審議官=2011年3月14日午後9時54分、東京・霞が関で、越田省吾撮影
――― それに対して、おふた方、武藤さんなり、本店側の人間に対して電話したときの向こうの反応はどうでした?
吉田「別にどうということではなくて、そういう状況かということなんです。それでOKだとか、そうではないとかいう話ではないんですけれども、私は、そういう危険があるよと、わかったと、そういう感じなんですね。私の行動としては、廊下にいた協力企業の方のところに行きまして、みんな、よくわからないでぼーっと見るなりしていますから、この人たちを巻き込むわけにいかないと思って、一生懸命やってきましたけれども、非常に大変な状況になってきて、みなさん、帰ってくださいと。退避とは言わないです。帰ってくださいと。帰っていただければというお話をして、あとはこっちに戻って来て、こっちも声なかったですよ。その時点で。あとは待つだけですから。水が入るかどうか、賭けみたいなものですから。それだけやったら、あとはほとんど発言しないで、寝ていました。寝ていたというか、茫然自失ですよね」
――― それは、SR弁がなかなか開かないとか。
吉田「開いたんです。開いたんですが、なかなか圧が下がらないところから、SR弁を開けるところはまだ操作ですから、何やっているんだ、どうなっているんだとなるんですけれども、SR弁が開いたにもかかわらず、圧が落ちない。そら、見たことかと。結局、サプチャンのほうが高いですからね。落ちないんではないかと。落ちないで、燃料がどんどん水位が下がっていっているなと」
 「もう一つは、あまり時間がなかったものですから、ポンプが、消防車の燃料がなくなって、水を入れるというタイミングのときに、炉圧が下がったときに水が入らないと。そこでもまたがくっと来て、入れに行けという話をしていまして、これでもう私はだめだと思ったんですよ。私はここが一番死に時というかですね」
写真|原子炉格納容器の組み立てが進む東京電力福島第一原子力発電所2号機=1970年
 午後6時、2号機のSR弁がようやく開き、しばらくして炉の圧力が下がり始めた。これで消防車による注水が可能になると所員は安堵の雰囲気に包まれた。が、喜びは束の間だった。
 午後6時28分、こともあろうに、消防車が燃料切れを起こして注水できていないとの報告が入った。SR弁が1時間半の格闘の末にようやく開き、炉が減圧し始めたのに、これでは燃料の軽油を補給するまで炉に水は一滴も入らない。
 所内には「最後これかい、って感じだなあ」との声が飛んだ。おまけに軽油を消防車への補給のため運ぼうとした小型タンクローリーがパンクで動けないとの情報も入った。
 緊迫の度合いを深めた福島第一原発で吉田は、官邸と東電本店に2号機の状況を報告した後、下請けの協力会社の人たちに福島第一原発から離れるよう勧め始めた。
――「寝ていたというか、茫然自失ですよね」

 東電本店も、福島第一原発の所員を福島第二原発に移動する手配を開始した。所員の数の確認をおこない、一度にバスで全員運べるかの計算も始めた。
 午後7時40分、「東電のバスはですね、マイクロが20人乗りが2台、中型が1台、30人乗り」「そのほかに構内のバスが7台ありますが、運転手は何人いるか、ちょっといま確認中です」と報告された。
 東電本店は、福島第二原発での受け入れ態勢づくりと、吉田が指揮を執る福島第一原発の緊急時対策室を、福島第二原発に移す作業も始めた。
 午後8時17分、福島第二原発の所長、増田尚宏は次のように知らせてきた。
 「2Fのほうは、えっと、1Fからの避難者のけが人は正門の脇のビジターズホールで全部受け入れます。そして、それ以外の方は全部、体育館に案内します」
 「緊対を我々の2Fの4プラント緊対と、えっと、1Fから来た方が使える旧の緊対と、緊対を二つに分けて用意しておきますんで、そこだけ、本店側は、その両方の使い分けをしてください」
 しかし、東電は結局、3月14日夜は福島第二原発行きを実行しなかった。
 社長の清水正孝は午後8時20分に「あのう、現時点でまだ最終避難を決定しているわけではないということをまず確認してください。えー、それでいま、あのう、しかるべきところと確認作業を進めております」と発言している。その、しかるべきところとの調整がつかなかったのだ。
最終避難について話す清水正孝社長
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 危機に立ち向かって原発事故を抑え込む、原子力災害抑止隊と呼べるような組織は存在しない。自衛隊は、国の平和と安全に重要な影響を与える事態や大規模な災害に対し、迅速かつ的確に対処し得るような即応態勢を維持、向上させているというが、関連機関との連携が前提で、自分たちは原発を制御する技術や知識を持っていない。
 原子炉を制御して事故を収束にもっていける者は、電力会社員以外にはいない。だが、福島第一原発が起きる前も今も、彼らの行動をしばる規定はない。しばることの是非が声高に議論されたこともない。(文中敬称略)」

http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/1-2m.html

吉田調書 第1章 1 フクシマフィフティーの真相 / 朝日新聞

2014-05-27 17:22:20 | 放射能
「暴走する原発を止める責務はいったい誰が負っているのか。その人間はいよいよ原発が破裂しそうになったときは逃げてもよいのか。原発の挙動を知ることができない都道府県知事任せで住民はうまく避難できるのか。そもそも人間に暴走を始めた原発を止める能力はあるのか。事故収束作業における自らの行動、判断を反省も交えて語った福島第一原発の事故時の所長、吉田昌郎。吉田の言葉を知ると、ことの真相を知ろうとせず、大事なことを決めず、再び原発を動かそうとすることがいかに大きな過ちであるかに気付く。
 東日本大震災発生から4日目の2011年3月15日午前6時15分ごろ、東京電力福島第一原発の免震重要棟2階にある緊急時対策室。所長の吉田昌郎が指揮をとる円卓に、現場から二つの重大な報告がほぼ同時に上がってきた。
 2号機の「サプチャン」すなわち原子炉の格納容器下部・圧力抑制室の圧力がゼロになったという知らせと、爆発音がしたという話だった。
――― 2号機とは限らないんですが、3月15日の6時から6時10分ころ、その前後の話なんですが、このとき、一つは2号機の圧力抑制室の圧力が急激に低下してゼロになる。それから、このころ、何か。
吉田「爆発音ですね」
――― 音があったと。これは免震重要棟から聞こえたり、感じたりしましたか。衝撃なり音なりというのを。
吉田「免震重要棟には来ていないんです。思い出すと、この日の朝、菅総理が本店に来られるということでテレビ会議を通じて本店とつないでいたんです。我々は免震重要棟の中でテレビ会議を見ながらということでおったら、中操から、あのとき、中操にたまたま行っていたのかよくわからないですけれども、その辺は発電班の班長に聞いてもらった方が、記憶にないんですけれども、要するに、パラメーターがゼロになったという情報と、ぽんという音がしたという情報が入ってきたんですね。免震重要棟の本部席に」
 「私がまず思ったのは、そのときはまだドライウェル圧力はあったんです。ドライウェル圧力が残っていたから、普通で考えますと、ドライウェル圧力がまだ残っていて、サプチャンがゼロというのは考えられないんです。ただ、最悪、ドライウェルの圧力が全然信用できないとすると、サプチャンの圧力がゼロになっているということは、格納容器が破壊された可能性があるわけです。ですから保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性があるということで、ぼんという音が何がしかの破壊をされたのかということで、確認は不十分だったんですが、それを前提に非常事態だと私は判断して、これまた退避命令を出して、運転にかかわる人間と保修の主要な人間だけ残して一回退避しろという命令を出した」

写真|第一原発の免震重要棟にある緊急対策室。左奥にテレビ会議のモニターが見える。室内の放射線量を抑えるため、窓は鉛で覆ったという=2011年4月1日撮影、東電提供
 「1F」すなわち福島第一原発では、2号機の暴走を抑えようと懸命の努力が続けられていた。2号機は前日14日昼以降、状態が急激に悪くなっていた。
 特に原子炉格納容器の圧力上昇への対応は急を要していた。なんとか「ベント」という格納容器の中の気体を外に放出する操作をやって、破裂をふせぎたい。さらに、圧力容器の圧力を下げたうえで消防車を使って炉に水を注ぎ込み、核燃料を冷やしたい。
 15日午前1時すぎ、ベントがうまくいって、原子炉への注水もできたようだという知らせがきた。だが、およそ2時間後の午前3時12分にはこれを打ち消すような知らせが現場から上がってきた。「炉への注水はできてないと推測している」。1、2号機の中央制御室「中操」で運転員を束ねる当直長からだった。
 炉に水が入らない状態が続くと、中の核燃料が、自ら発する高熱でどろどろになって溶け落ちる。さらに手をこまねいていると、原子炉圧力容器の鋼鉄製の壁を、続いて格納容器のやはり鋼鉄製の分厚い壁を突き破り、我々の生活環境に出てきてしまう。
――「保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性がある」

 そんな懸念が持ち上がる状況のもとに飛び込んできた圧力ゼロと爆発音という二つの重大報告。これらが、2号機の格納容器が破壊されたのではないかという話に結びつけられるのは当然の成りゆきだった。
 格納容器が破れると、目と鼻の先にいる福島第一原発の所員720人の大量被曝はさけられない。「2F」すなわち福島第二原発へ行こうという話が飛び出した。
 午前6時21分、まず各号機の中央制御室につめている運転員に、免震重要棟に避難するようにとの命令が出た。少しでも被曝の量を減らすためだ。
 22分には所員全員に活性炭入りのチャコールマスクの着用が命じられた。空気中に漂う放射性物質を口や鼻から吸い込まないようにするためだ。
 27分、退避の際の手続きの説明がスピーカーで始まった。
 ここで、現場から2号機の格納容器の破壊を否定するデータがもたらされた。吉田がいる免震重要棟の緊急時対策室内の放射線量が、毎時15~20マイクロシーベルトとあまり上昇していないことだった。

写真|記者団に囲まれ、福島第一原発で起きた爆発音について説明する東京電力福島事務所員
=2011年3月15日午前8時9分、福島市の福島県自治会館で、村上晃一撮影
吉田「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」
――― そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量の低いところで、例えば、バスならバスの中で。
吉田「いま、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」
――― 最初にGMクラスを呼び戻しますね。それから、徐々に人は帰ってくるわけですけれども、それはこちらの方から、だれとだれ、悪いけれども、戻ってくれと。
吉田「線量レベルが高くなりましたけれども、著しくあれしているわけではないんで、作業できる人間だとか、バックアップできる人間は各班で戻してくれという形は班長に」
写真|白いもやを噴き出す福島第一原発2号機=2011年3月15日午前、東京電力撮影(写真の公表は2013年2月1日)
 午前6時30分、吉田はテレビ会議システムのマイクに向かって告げた。「いったん退避してからパラメーターを確認する」。各種計器の数値を見たいというのだ。
 続いて32分、社長の清水正孝が「最低限の人間を除き退避すること」と命じた。清水は、つい1時間ほど前に東電本店に乗り込んできた首相の菅直人に、「撤退したら東電はつぶれる」とやり込められたばかりだ。
 33分、吉田は清水の命令を受け、緊急時対策室にいる各班長に対し、この場に残す人間を指名するよう求めた。
 34分、緊急時対策室内の放射線量について「変化がない」とのアナウンスがあった。
 格納容器上部、ドライウェルの圧力が残っているということは、格納容器が壊れたことと明らかに矛盾する。それよりなにより、緊急時対策室の放射線量がまったく上がっていないことをどう評価するか……。
 吉田は午前6時42分に命令を下した。
 「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後、本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」
 格納容器破壊は起きていないだろうが、念のため現場の放射線量を測ってみる。安全が確認されるまで、最低限残す所員以外は福島第一原発の構内の放射線量が低いエリアで待つ。安全が確認され次第戻って作業を再開するように。これが吉田の決断であり、命令だった。  

写真|福島第一原発で爆発音が聞かれたことで、対応に追われる福島県災害対策本部の原子力班
=2011年3月15日午前8時35分、福島市で、水野義則撮影
 放射線量が測られた。免震重要棟周辺で午前7時14分時点で毎時5ミリシーベルトだった。まだ3号機が爆発する前の3月13日午後2時すぎと同程度だった。吉田の近場への退避命令は、的確な指示だったことになる。
 ところがそのころ、免震重要棟の前に用意されていたバスに乗り込んだ650人は、吉田の命令に反して、福島第一原発近辺の放射線量の低いところではなく、10km南の福島第二原発を目指していた。その中にはGMクラス、すなわち部課長級の幹部社員の一部も入っていた。
 一部とはいえ、GMまでもが福島第二原発に行ってしまったことには吉田も驚いた。
写真|福島第一原発で爆発音が聞かれたことで、対応に追われる福島県災害対策本部の原子力班
=2011年3月15日午前8時35分、福島市で、水野義則撮影
吉田「20~30分たってから、4号機から帰ってきた人間がいて、4号機ぼろぼろですという話で、何だそれはというんで、写真を撮りに行かせたら、ぼこぼこになっていたわけです。当直長は誰だったか、斎藤君か、斎藤当直長が最初に帰って来て、どうなのと聞いたら、爆風がありましたと。その爆風は3、4号機のサービス建屋に入ったときかどうか、そんな話をして、爆風を感じて、彼は入っていくか、出ていくかだったか、帰りに見たら、4号機がぐずぐずになっていて、富田と斎藤が同じだったかどうか、私は覚えていないんだけれども、富田と斎藤から後で話を聞いたら、ぼんと爆風を感じた時間と、2号機のサプチャンのゼロの時間がたまたま同じぐらいなので、どちらか判断できないというのが私がそのときに思った話で。だけれども、2号機はサプチャンがゼロになっているわけですから、これはかなり危ない。ブレークしているとすると放射能が出てくるし、かなり危険な状態になるから、避難できる人は極力退避させておけという判断で退避させた」

写真|記者会見で福山哲郎官房副長官(右)にアドバイスを受ける枝野幸男官房長官
=15日午前11時26分、首相官邸
 福島第二原発への所員の大量離脱について、東電はこれまで、事故対応に必要な人間は残し事故対応を継続することは大前提だったと、計画通りの行動だったと受け取られる説明をしてきた。
 外国メディアは残った数十人を「フクシマ・フィフティー」、すなわち福島第一原発に最後まで残った50人の英雄たち、と褒めたたえた。
 しかし、吉田自身も含め69人が福島第一原発にとどまったのは、所員らが所長の命令に反して福島第二原発に行ってしまった結果に過ぎない。
 所長が統率をとれず、要員が幹部社員も含めて一気に9割もいなくなった福島第一原発では、対応が難しい課題が次々と噴出した。
 まず、爆発は、2号機でなく、無警戒の4号機で起きていたことがわかった。
 定期検査中で、核燃料が原子炉内でなく燃料プールに入っている4号機の爆発は、原発の仕組みを知る世界の人を驚かせた。
 燃料プールは圧力容器や格納容器のような鋼鉄製の容器に守られておらず、仮に核燃料が自らの熱で溶けるようなことがあれば、放射性物質をそのまま直に生活環境にまき散らすからだ。しかも燃料プールには膨大な量の核燃料があった。
 後になって、4号機の燃料プールの核燃料は溶けておらず、爆発の原因は3号機から流入した水素と疑われることになるが、午前9時39分には火災の発生が確認され、米軍から回してもらった消防車で消そうとするなど騒ぎとなった。
――「注水だとか、最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした」

 2号機もおとなしくしていなかった。午前8時25分、2号機の原子炉建屋から白煙が上がっているのが確認された。45分には湯気が見られた。午前9時45分には原子炉建屋の壁についている開放状態のブローアウトパネルから大量の白い湯気が出ているのが確認された。午前10時51分には原子炉建屋で大量のもやもやが確認され、原子炉建屋の放射線量は150~300ミリシーベルトと報告された。
 白いもや、湯気、白煙は、1号機と3号機が爆発する少し前に見られたことから、東電は原子炉格納容器内の気体が漏れ出す兆候として最も警戒していた事象だ。
 福島第一原発の西側正門付近で測った放射線量の時系列をたどると、爆発音が聞こえた午前6時台は73.2~583.7マイクロシーベルトだった。それが所員の9割が福島第二原発に行ってしまった午前7時台に234.7~1390マイクロシーベルトに上昇した。4号機が爆発していたことがわかり、騒然としていた午前8時31分に8217マイクロシーベルト、そして午前9時ちょうど、今回の事故で最高値となる1万1930マイクロシーベルトを観測している。
福島原発事故の経緯と第一原発正門付近1時間あたりの放射線量
 吉田は部下が福島第二原発に行く方が正しいと思ったことに一定の理解を示すが、放射線量の推移、2号機の白煙やゆげの出現状況とを重ね合わせると、所員が大挙して所長の命令に反して福島第二原発に撤退し、ほとんど作業という作業ができなかったときに、福島第一原発に本当の危機的事象が起きた可能性がある。
 28時間以上にわたり吉田を聴取した政府事故調すなわち政府が、このような時間帯に命令違反の離脱行動があったのを知りながら、報告書でまったく言及していないのは不可解だ。
 東電によると、福島第二原発に退いた所員が戻ってくるのはお昼ごろになってからだという。吉田を含む69人が逃げなかったというのは事実だとして、4基同時の多重災害にその69人でどこまできちんと対応できたのだろうか。政府事故調も東電もほとんど情報を出さないため不明だ。
 この日、2011年3月15日は、福島第一原発の北西、福島県浪江町、飯舘村方向に今回の事故で陸上部分としては最高濃度となる放射性物質をまき散らし、多くの避難民を生んだ日なのにである。(文中敬称略)」

http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/1-1m.html

5月26日(月)のつぶやき

2014-05-27 03:22:28 | EU

集団的自衛権、安倍首相の進め方「適切ではない」67% 朝日新聞調査 ln.is/huff.to/gQ8hm @HuffPostJapanさんから


タイのクーデター:国座に至る道のり goo.gl/UWfB1q @JBpressさんから


ナショナリストたちの危険な駆け引き goo.gl/043kOe @JBpressさんから


【集団的自衛権の憲法解釈変更 反対51%、賛成28%:日経】s.nikkei.com/1poAv70 日経も反対過半数。しっかし、読売=日テレ、産経=フジのアンケート結果の酷さは目を覆うばかり。洗脳装置でしかない。pic.twitter.com/OXJ3yHYqHi

tokiさんがリツイート | RT

中国との終わりなき軍拡競争に突入する日本 - Y!ニュース BUSINESS ln.is/newsbiz.yahoo.… #yjnewsbiz


なんでもかんでも電気料金に上乗せさせてさ!
あ、そういや昔、『なんでも関電』てCMあったわ。

原発は金になる。そのまんまだね!
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tokiさんがリツイート | RT

「個別的自衛権でやれますよ。防衛官僚の常識」元内閣官房副長官補・柳沢協二氏に聞く【集団的自衛権】 ln.is/huff.to/NT6cG @HuffPostJapanさんから


トンちゃんが語る村山談話 「同じことを繰り返すのか」 ln.is/tanakaryusaku.… @tanakaryusakuさんから



5月24日(土)のつぶやき

2014-05-25 03:22:22 | EU

美味しんぼ「鼻血ありえる。ストレスでは出ない」風評被害にもあたらないと専門家 ln.is/huff.to/eNIEC @HuffPostJapanさんから


原発事故調、当初は調書の開示想定 吉田調書など全722人分 政権は非開示のまま ln.is/huff.to/YHQae @HuffPostJapanさんから


【タイのクーデター】インラック前首相が出頭 陸軍司令官が首相職 ln.is/huff.to/IdTls @HuffPostJapanさんから



5月22日(木)のつぶやき

2014-05-23 03:18:27 | EU

大飯の再稼働を認めない、との判決を受けた本紙の社説です。社説としては珍しいほどリツイートが多いですね。やはり読者の関心が高いテーマなのですね。
東京新聞:大飯原発・差し止め訴訟 国民の命を守る判決だ:社説・コラム(TOKYO Web) tokyo-np.co.jp/article/column…

tokiさんがリツイート | RT

東京新聞:大飯原発・差し止め訴訟 国民の命を守る判決だ:社説・コラム(TOKYO Web) ln.is/www.tokyo-np.c…


小出裕章氏「条件付きで大飯原発の最稼働を容認した京都府や滋賀県などの地方自治体に対しても、判決は間接的に批判したといえる。重大事故が起これば自治体も当事者になる。住民の安全を考えるならば、なぜ、独自に国の間違いを正す姿勢を貫かなかったのかが問われる。」(本日の『京都新聞』朝刊)

tokiさんがリツイート | RT

中国政府、官公庁に「Windows8 使うな」 ln.is/japan.hani.co.…


СК: Предварительная причина столкновения поездов в Подмосковье ? неисправность ж/д полотна russian.rt.com/article/33057 pic.twitter.com/eniWN0y187

tokiさんがリツイート | RT

【速報】大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を掲載します/NPJ-憲法・人権・秘密保全法制 関連ニュースサイト ln.is/www.news-pj.ne…


ガイドに沿った採用の問答、カラスの群れの入社式、テストと面接の結果が違っても給料が同一、石の上の無駄な三年・・・どれも「戦後体制」のまま。@kenichiromogi 新卒一括採用の批判に対する反論も、まったく反論の体をなしていないんだよね

tokiさんがリツイート | RT

経団連が武器輸出拡大を自民党へと提言しました。twitpic.com/dvbqxe

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@ohnojunichi  金儲けのためであることは確か。同時に独自の軍事力を維持する基盤を確保するためには、軍事産業に輸出を許すしかない。独自の軍事力は-今の自衛隊はダワーが言うとおり米国の管理下にあるようだが-国家独立の基盤だ。


@ohnojunichi 旧社会党の非武装中立論が難しかったのは、対米自立と武装放棄は両立しがたいからだと思う。


朝日新聞の「吉田調書」は必読。とりあえず今日公開の第1章までは無料登録で見られる。→ln.is/www.asahi.com/…
ただ朝日に言いたい。これは朝日のビジネスのための素材ではない。無条件公開にするのがジャーナリズムだ。これこそ伝えたいことではないのですか。


@sohbunshu @kenichiromogi  日本は民間といっても大企業、中核的企業-金融、鉄鋼など-はみんな東大で役人になれなかった連中が幹部になっている。彼らがそこにいられるのは官僚支配の体制あればこそ。


@sohbunshu @kenichiromogi だからクリエイティビティとか、先例をどんどん変えて、などということは本質的に考えられない人たちなのだと思う。


吉田調書 - 特集・連載:朝日新聞デジタル asahi.com/special/yoshid…

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中ロ軍事演習が韓国の防空識別圏を無視、韓国は戦闘機を派遣して駆逐するべきだ―韓国紙(XINHUA.JP) - Y!ニュース ln.is/yahoo.co.jp/6Z…


「軌道エレベーター」「スペースコロニー」宇宙開発の驚くべき未来 ln.is/huff.to/lh0Vk @HuffPostJapanさんから


プーチン大統領、ウクライナ大統領選の正当性を疑問視 ln.is/huff.to/9BLwg @HuffPostJapanさんから
アメリカの一極集中批判は妥当だが、自分自身も一極支配を目指しているのでは?


昨日は、大変嬉しい画期的な判決が2つ出されました。1つは、大飯原発3、4号機の運転差し止めを認める福井地裁の判決で、もう1つは、自衛隊機の夜間・早朝の飛行差し止めを命じた厚木基地騒音訴訟における横浜地裁の判決です。両判決とも、人間の命と生活を重視した極めて「人間的」な判決です。

tokiさんがリツイート | RT

軍司令官、クーデター宣言=タイ(時事通信) - Y!ニュース ln.is/yahoo.co.jp/Ol…
タイのエリート層の傲慢が生む悲劇だ。