白夜の炎

原発の問題・世界の出来事・本・映画

書籍紹介『私は中国人民解放軍の兵士だった』明石書店

2016-01-20 15:34:11 | 
小林節子氏による『私は中国人民解放軍の兵士だった』(明石書店 2000円)を紹介したい。

 サブタイトルに、「山辺悠喜子の終わりなき旅」とある通リ、中国人民解放軍に看護師として従軍した山辺悠喜子の人生と活動を振り返った一冊である。山辺の一家は戦時中父親の仕事に伴って旧満州に移り、敗戦をそこで迎える。そしていわば生きるために人民解放軍の看護師となるのであるが、そこで初めて人間らしい生き方、きちんとした医療の勉強等を、今日から見れば過酷とも思える環境の中で成し遂げていく。

 何より日本との、そして国境の戦争で荒れ果てた中、中国の人たちが示した人間的な姿勢がすばらしい。行軍の途中の次のようなエピソードが山辺本人によって次のように語られている。

 「またあるとき、行軍の途中小さな村に立ち寄りました。村の人は皆路上にでて歓迎してくれました。私は年齢も幼く背も低く、その上足には肉刺(まめ)もできていて杖をつき、足を引きずりながら一番後ろについて歩いていました。・・・思うように前に進めません。ですから地面を見てゆっくり進むしかありませんでした。
 その時私の方に一人のおばあさんが近づいてきました。顔もはっきりみえないうちに、私の手のひらに何か暖かいものが感じられました。見るとそれは煮たばかりの卵でした。「こんなに小さいのに軍隊に入って、こんなに遠くまで歩いて、さぞやたいへんだったことでしょう。早くこれを」と言ったのです。私はあわてて辞退しながらいいました。「私はいただけません。私たちには規則があります。」しかしおばあさんは私の手のひらにその卵を握らせたのです。」

 当時農村は食料が欠乏し、容易ではなかったと思われる。しかしこの老婆は若かった山辺氏に卵を握らせ、その記憶は今日まで鮮明である。それは単なる親切をこえて、山辺悠喜子という人を作る一つの支えになったように思われる。

 山辺氏はその後日本に帰ってからの地も、日中の友好のため、あるいはかつての日本軍の戦争犯罪糾明のため、献身的な活動を続け今日に至っている。

 ぜひ一読を勧めたい。

「道徳感情論」スミス経済学の正確な理解のために (4) /アマルティア・セン

2015-07-25 14:41:18 | 
「傾向、包含性、平等

 序文の締めくくりとして、スミス個人の感情に触れておきたい。ここまではスミスの傾向や性質には言及せず、おおむね論理面のみを取り上げてきた。これには理由がある。先ほども引用したが、「正邪に関する最も確実な判断が原則や観念に縛られ、その原則や観念は理性が帰納によって導き出した」と書いたスミスの論理的な正しさに私は賛同するからだ。

 しかしその一方で、スミスは非常な説得力をもって、何が正しく何が誤りかの「最初の知覚」は「直接的な感情と感覚の対象であって、理性の対象とはなり得ない」とも主張している。最初の知覚がきびしい吟味を経て変わることはあるとしても(スミスもそれは認めている)、やはり性質や感情の傾向について興味深い手がかりを与えてくれる。

 スミスの性格で私が驚かされた特徴の一つは、できる限り包含的であろうとし、ローカルでなくグローバルに考えようとする傾向である。スミスとて、近くの人にとくに義理を感じることは認めているけれども、関心の対象は究極的にはその範囲を超えなければならないと考えていた。

 スミスの道徳や政治に対する姿勢がきわめて包括的でグローバルな性格を備えていることは、すでに論じたとおりであるが、ここではさらに、スミスの倫理面の包括性が、あらゆる人間は基本的に似通っていると見る傾向とよく調和していることを付け加えておきたい。

 スミスが階級、ジェンダー、人種、国籍の壁を軽々と飛び越えて人間の潜在能力は等しいとみなし、天与の才能や能力に本質的な差異を認めなかったことは注目に値する。人間の能力は平等に与えられているというスミスの経験的な確信がじつに明快に述べられているのは、『国富論』の次の一節である。

 「個人ごとの天分の違いは実際には、考えられているよりはるかに小さい。成人に達した人をみると、職業によって天分に大きな違いがあるように思えるが、これはたいていの場合、分業をもたらす原因というより、分業の結果である。たとえば、仕事の性格がまったく違うと思える学者と荷かつぎ労働者の差は、生まれつきの天分よりも習慣や教育の違いによるものだと思える。生まれたときから6歳から8歳までの間はおそらくほとんど差がなく、両親も友だちもとくに大きな違いがあるとは感じない。」

 なるほどスミスが強調した経験に基づく見方は、同じ人種、国籍、階級に属す個人の間にも遺伝的なちがいがあるという科学的な証拠に反している。そう指摘するのはやさしいが、しかしスミスの主張が正しいかどうかはさほど重要ではない。ここで重要なのは、スミスが一般化した認識は、彼が信じたがっていたことだけでなく、これこそが正しい前提だと考えていたことが反映されている点である。

 それは、あらかじめ遺伝的な相違がわかっている集団でない限り、集団間の差異は教育と機会のちがいに由来するのであって、天与の才能のちがいではないという前提だった。

 労働者階級は、地位や資産のある人に比べ、教育、とりわけよい教育を受ける機会が乏しい。そのうえ労働者階級が従事する労働は厳しいため、地位や資産のある人のように能力を磨く機会を得られない。

 さらに、地位と資産のある人の仕事は、朝から晩まで働きづめになることはまずない。十分に余暇があるのが通常であり、暇な時間を使えば、若いときに基礎を学んだか、好きになった分野で、役立つ知識や装飾的な知識を磨くことができる。
 庶民の場合はそうはいかない。教育を受けるために使える時間はほとんどない。幼児のときにすら、親には養う余裕がほとんどない。仕事ができる年齢になればすぐに仕事をして、自分の生活費を稼がなければならない。その仕事も通常は単純で一定のものなので、理解力を鍛えることにはほとんどならない。そして、厳しい労働を休みなく続けるので、余暇はほとんどなく、他のことをしようという気持ちにはなれないし、考えようという気持ちにすらなれない。
 すべての人間の潜在能力は平等であると考えるスミスの傾向、というよりもむしろ切望は、ぜひとも理解しておかねばならない。しかし、労働者階級の多くが経済的理由から教育を受けられず、また単調な労働を強いられ、そのせいで本来備わった能力を階級に関連づけられて無視されると強調したことは、スミスの政策提言においていっそう重要である。階級区分は生まれ持っている才能や能力の差を意味するのではなく、機会の不平等を反映しているのだとスミスは主張した。

 生得の才能はほぼ同じだという前提を、スミスが一国の中だけでなく国境を超え文化のちがいを超えて受け入れていたことは、『道徳感情論』にも『国富論』にもあきらかだ。人種や地域によって劣る人間がいると当時の人々の多くは信じ込んでいたが、スミスの著作のどこにもそうした偏見は見受けられない。

 しかもスミスは、こうした問題を具体的に論じている。たとえば中国とインドの生産者は制度的な不利を負っているにもかかわらず、生産性の点でヨーロッパの生産者とさほど変わらないとし、その根拠を説明した。

 また、アフリカが経済面で相対的に遅れをとっているのは、他国との取引を可能にしてくれる良港(アラビア湾、ペルシャ湾、インド湾、ベンガル湾、シャム湾など)を持たない地理的不利のためだと考えている。

 スミスは、白人は人種的に優越だという思い込みにも腹を立てており、ときには隠しきれずに怒りを爆発させ、「アフリカの海岸から連れて来られた黒人が、それだけの理由から広い心を持ち合わせていないとは言えないのであって、その点で下劣な主人の多くはおよびもつかない」と述べている。

 あるいはジャガイモの栄養価についてスミスはひどく饒舌だが、これにも理由がある。

 「ロンドンの駕篭かき、荷かつぎ労働者、石炭荷揚げ労働者はおそらく、イギリスでもとくに強壮な男性であり、風俗業で働く不幸な女性はおそらく、イギリスでもとくに美しいといえるだろうが、その多くは、ジャガ芋を主食にするアイルランドの最下層の出身だという。ジャガ芋ほど栄養があり、人間の健康によいことをはっきりと証明できる食物はない。」

 こんなふうに横道に逸れてまで栄養の問題に言及したのは、アイルランドに成り代わって、イギリス人の軽蔑に立ち向かうという迂遠な目的があった(アイルランド人がジャガイモに頼っていることも、イギリス人に馬鹿にされていた)。なにしろイギリスは、16世紀にエドマンド・スペンサーが長編叙事詩『妖精の女王』を書いた頃から、アイルランドを快からず思っていたのである。

 スミスの道徳と政治に関する論考が広い範囲におよんでいることは、言うまでもなく彼の思想の特徴の一つであるが、これを強固に支えていたのが、すべての人間は同じような潜在能力を持って生まれついたという信念であり、政策面でより重要なのは、世界の不平等は本来的な差異を反映したものではなく社会が生み出したのだという信念であった。

 ここには今日にも通じる卓越した先見性があり、スミスの考えがいまなおグローバルな意義を持つことには驚きを禁じ得ない。広い視野からこの先見性を堂々と示したのが、生涯の大半をスコットランドの小さな海辺の町でひっそりと暮らした250年も前の人であったという事実そのものが、スミスの思想の偉大さを示す雄弁な証拠と言えよう。

 スミスの分析と研究は、道徳、政治、経済面で今日多くの課題に直面する世界のどの社会にとってもきわめて重要であり、『道徳感情論』は、いま私たちが生きている相互依存的な世界にとって深い意味を持つグローバルな宣言書だと言える。まぎれもなくこれは、ゆたかな裾野と今日的な意義を持つ書なのである。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/book/20140512/264371/?P=1

「道徳感情論」スミス経済学の正確な理解のために (3) /アマルティア・セン

2015-07-25 14:38:42 | 
「政治哲学と正義

 続いて道徳哲学から政治哲学に話を移そう。とはいえ両者は密接な関係があるし、とりわけスミスの分析においてはそう言える。まずは『道徳感情論』に見られる一種の正義論を取り上げ、次にこの数世紀の間に登場した主な正義論に照らして、スミスの主張を検討することにしたい。

 啓蒙運動の急進的思想と関連づけられる主な哲学者の間では、正義に関する学説に2つの大きな流れが認められる。第1は、「社会契約」に基づくアプローチである。その先鞭をつけたのが17世紀のトマス・ホッブスで、さまざまな形でこれに続いたのが、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソー、イマヌエル・カントといった偉大な思想家たちだった。

 このアプローチは、基本的には社会にとって「正しい」制度のあり方を模索するもので、そうした正しい制度は、それにふさわしい(仮想の)契約に結びつくとする。そこで、人々が適切にふるまえば制度は全面的に効果を発揮できるはずだという期待の下で、制度上の必要から正義が求められることになる。

 このアプローチには2つの特徴がある。1つは、正義と不正義の相対的な比較ではなく、完全な正義と定義したものに焦点を合わせていることだ。つまり、あるものは別のものに比べて「より正しい」と判断するための基準を探すのではなく、正義の点から「これを超えるものはない」という社会の特徴を特定して「正義」というものの本質を突き止めようとする。

 もう1つは、完璧を期そうとするがために超越論的(理想主義的)な制度尊重主義となり、制度を正しいものにすることが最重視されて、最終的に出現する社会には間接的な注意しか払われていないことである。だがどのような制度の組み合わせから生まれる社会であれ、その性質は、言うまでもなく制度以外の多くの要素に左右される。たとえば人々の実際の行動やその社会的な相互作用などだ。このアプローチでは、制度がもたらす社会的結果を考察する際に、人々は選ばれた制度が適切に機能するのにまさに必要とされる行動をとるとの前提を置く。

 一方、他の啓蒙思想家の多くは比較によるアプローチを採用している。このアプローチでは、主として現在の世界で特定可能な不正義を取り除くことに注意を注ぐ。奴隷制、官僚主義が誘発する貧困、残酷で非生産的な刑法、頻発する労働搾取、女性の隷従などがこれに当たる。このアプローチで取り上げるのは、人々の生活に現実に起きていることであり、判断は比較に基づいて行われる。

 たとえば、奴隷制が廃止されたら世界はどのようによくなるだろうかと考えるわけだ。言うなれば実現志向の比較に基づくアプローチであり、スミスはその最も強力な支持者であったが、スミスのみならず、コンドルセ侯爵(社会的選択理論に確率論を導入したことで知られる18世紀フランスの数学者・思想家で、スミスから多大な影響を受けた)、ジェレミー・ベンサム、メアリ・ウルストンクラフト(『女性の権利の擁護』を著した18世紀イギリスの社会思想家)、カール・マルクス、ジョン・スチュアート・ミルもこのアプローチを採用していた。これらの思想家はすべてスミスを高く評価し、大なり小なりあきらかな影響を受けている。

 今日の主流的な政治哲学において正義に関する学説が依拠しているのは、第一のアプローチ、すなわち超越論的制度主義である。このアプローチを最も力強く展開してきたのは、現代の政治哲学の重鎮であったジョン・ロールズだろう。ロールズが『正義論』の中で示した「正義の原理」は、完全に正しい制度を選ぶことを目的とする。このような思想の伝統は、真っ向からスミスと対立する。

 スミスが力を注いだのは単なる制度や措置ではなくて実現であり、超越ではなく比較だった。ロールズ派の理論では「完全に正しい制度とはどのようなものか」を問うのに対し、スミス流のアプローチでは「どうすれば正義は促進されるか」を問うのである。

中立性と中立な観察者

 スミス流のアプローチと社会契約アプローチで重要な対立点の1つは、公正や正義に必要な中立性をどのように確保するかという点である。スミスの思考実験では、「中立な観察者」という装置が提案された。この中立な観察者は、共同体の外から来てもまったくかまわないし、中からでもいい。

 対照的に社会契約アプローチが容認するのは、契約が成立した政治制度の中にいる人々の視点に限られる。ロールズは自身が「反省的均衡」と呼ぶものについて距離を置いた視点も考えうるとしたものの、「公正としての正義」の理論において検討されるのは、いわゆる原初状態が観察される社会の中の人々の視点だけである。この意味で、ロールズと社会契約アプローチが求める中立性は「閉じている」と言えよう。言い換えれば、契約当事者(またはその「代表者」)に限定されている。これに対してスミスの中立な観察者は、開かれた中立性につながるものだ。

 スミスもカントも中立性の重要さを熱心に論じてきたことは、改めて言うまでもあるまい。この観念に関するスミスの説明は現代の道徳・政治哲学者の間ではあまり重んじられていないが、カントとスミスのアプローチには少なからぬ類似点がある。

 「中立な観察者」を設定したスミスの分析は、中立性を検討し、ヨーロッパ啓蒙時代の世界が必要としていた公正を定義する試みにおいて、先駆的なものだったと言えよう。スミスが提示した考えは、コンドルセを始めとする啓蒙思想家に影響を与えただけではない。カントも『道徳感情論』に親しんでいたことが、1771年のマーカス・ヘルツとの往復書簡からわかっている(残念なことに、ヘルツは誇り高きスコットランド人のスミスを「イギリス人」と呼んだ)。これはカントが『道徳形而上学原論』(1785)や『実践理性批判』(1788)を著すだいぶ前のことであり、カントがスミスから影響を受けたと考えて差し支えあるまい。

 とはいえここでの議論にとって重要な意味を持つのは、スミスとカント(さらにはロールズ)との相違点の方である。スミスにとっては、ロールズの原初状態で参加者が行う閉じた議論は検討が不十分だと感じられることだろう。なぜなら私たちは、契約で結ばれた同じ社会に属す人々の見方にとどまるべきではないからだ。スミスは次のように論じている。

 「私たちは、言わば自分本来の立場を離れ、自分の感情や動機をある程度離れたところから見るように努めない限り、自分の感情や動機を仔細に検討することはできないし、それについて判断を下すこともできない。だがそうするためには、他人の目を借りたつもりで見るか、他人が見るとおりに見るべく努力する以外に方法がない。」

 スミスのアプローチに比べると、ロールズの「公正としての正義」に見られる閉じた中立性は、到達範囲の限られた手続きだと言える。なぜこれが問題になるのだろうか。正義に関する公的な議論は、次の2つの理由から、国境を越えて、さらには国の集合体である地域の境界を越えて戦わせることが必要だからである。

 第1に、ある社会の社会契約の当事者でない人々に不公正にならないようにするためには、その社会の近くだけでなく、遠く離れた他者の<利害>も関わってくる。第2に、一共同体における価値観や前提を十分吟味しないまま地域的偏狭に陥る愚を避け、適用すべき原則の検討の幅を広げるためには、他者の<視点>が重要になる。

利益の相互依存と中立な観察者

 社会契約は、その本来的な性質からして主権国家の構成員に限定される。社会契約とは、その国家の市民の間で成立する契約だからである。したがって、一部で試みられたようにこれを世界に拡張するのはむずかしい。多くの思想家が、単一の世界国家ができない限り、現代において世界共通の正義という観念は成り立たないと論じたのは、まさにこの社会契約という考え方のためである。

 しかしスミスの中立な観察者という手法であれば、この限界を乗り越えることが可能だ。主権国家の構成員が協議する契約の観点から問題を捉えるのではなく、場所を問わずに中立な裁定者を想定するからである。この裁定者の評価こそ、偏りのない論理を展開するために考慮すべきものとなる。

 グローバルな課題に取り組むときに何よりも求められるのは、こうしたスミス流の姿勢である。ある意味で世界はスミスの示した軌道に乗っており、国単位での議論から主要8カ国(G8)、さらには主要20カ国(G20)へと移行してきた。この方向性は正しいが、スミスの論法で行けば、さらにこれを推し進めなければならない。

 スミスが著作の中で取り上げた多くの例では、視野の広い見方が活かされている。たとえばイギリスによる初期のインド統治には、1770年に悲惨な飢饉を招くなどの過ちがあり、このことが『国富論』では大きく取り上げられている。東インド会社は「東インド諸島で圧政と暴虐な支配を行った」のみならず「領土の統治にはまったく適していなかった」とスミスは結論づけているが、このとき社会契約には依拠せず(契約論的な枠組みでこのような判断を下すのは困難であろう)、中立な観察者の広い視野を採用し、正義の判断を主権国家の範囲にとどめていない。

 同じような問題は今日もいっこうになくなっていない。たとえばアメリカは、その経済的影響力を自国民に対してだけでなく世界中の人々におよぼしている。エイズを始めとする疫病は国から国へ、大陸から大陸へと拡がり、どこかの国で開発・製造された薬が遠く離れた国の人々の生命と自由にとって重要な意味を持つ。

 また、私たちが現在直面する環境問題に関して発言をするなら、それは主権国家の枠組みに限られた厳格な契約重視の論理ではなく、義務と負担の共有を志向するグローバルな論理に基づかなければならない。

中立な観察者と地域的偏狭の回避

 スミスの「開かれた」アプローチを支持するもう1つの理由として、地域的偏狭を避けるのに有効だということが挙げられる。正義の要求を巡る議論がどこかの場所、たとえば国や大陸に限定される場合には、そこでの政治論議には出てこない反対意見やそこの文化にはなじまない意見を無視することになりかねない。しかしそうした意見の中には、中立な視点から見ればぜひとも考慮する価値があるものが少なくない。

 現代の法律論争でも、現にこうした問題が起きている。たとえばアメリカの最高裁判事の間では、アメリカにおける正義の要求を適切に理解するうえで、他国の法廷での判決と論拠を有効とみなすべきかどうかで論争がある。「罰が公平かどうか」を知るには「他人の目」を想定すべきだというスミスの主張は、この問題を考えるうえでいまなお深い意味を持つ。

 スミスは、法学においても、道徳や政治の議論においても、偏狭になることをとりわけ嫌った。『道徳感情論』の「慣習と流行が是認の可否の感情におよぼす影響について」という内容をはっきりと示すタイトルのついた第5部で、スミスはある社会の中に限定された議論がきわめて偏狭な理解に閉じ込められかねない例を多数挙げている。

 新生児殺し、いわゆる間引きは、ギリシャのほとんどすべての都市国家で、最も教養高く育ちのよいアテナイ市民の間でさえ、許されていた。(中略)この習俗は長年にわたり続けられてきたせいですっかり定着してしまい、安易な処世術として親の野蛮な特権が許容されていた。それどころか公正と正確を旨とすべき哲学者の学説でも、よくあることだが定着した習俗に惑わされ、このむごい権利の濫用を非難せずに、公共の利益に資するという強引な解釈の下で支持したのである。たとえばアリストテレスは、行政官はこれを奨励すべきだと述べている。慈悲深いプラトンも同意見だった。プラトンの著作はどれも人類愛に満ちているように見えるにもかかわらず、この慣行を非難した形跡はどこにも見受けられない。
 スミスは、自分の感情を「自分から距離を置いて」見なければならないと主張した。この主張は、既得権益の影響を直視する義務を超えて、深く根付いた伝統や習慣の抗いがたい支配にまで疑義を提出する必要性におよんでいる。

 今日定着している慣行、たとえばタリバン政権における姦通した女性に対する石投げの刑や、中国、サウジアラビア、イラン、アメリカなどで広く行われている死刑(公開処刑か否かを問わない)などを論じる際には、近くだけでなく遠くの人々の視点も重要であることをスミスは『道徳感情論』ではっきりと示している(ちなみにいま挙げた4カ国は、2008年に死刑の執行が多かった順である)。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/book/20140502/263927/?P=1

「道徳感情論」スミス経済学の正確な理解のために (2) /アマルティア・セン

2015-07-25 14:34:20 | 
「 スミスは、広くは経済のシステム、狭くは市場の機能が利己心以外の動機にいかに大きく依存するかを論じている。スミスの主張は大きく2つに分けられる。第1は認識論的な主張で、人間は自己の利益にのみ導かれるのではないし、思慮にのみ導かれるものでもないという事実に基づいている。

 第2は現実的な主張で、剥き出しの利己心にせよ世慣れた思慮にせよ、いずれも自己の利益に資するものだが、倫理的あるいは実際的に考えれば、それ以外の動機に促される理由は十分にあるとする。事実、スミスは「思慮」を「自分にとって最も役立つ徳」とみなす一方で、「他人にとってたいへん有用なのは、慈悲、正義、寛容、公共心といった資質」だと述べている。これら2点をはっきりと主張しているにもかかわらず、残念ながら現代の経済学の大半は、スミスの解釈においてどちらも正しく理解していない。

 最近の経済危機の性質を見ると、まっとうな社会をつくるには、野放図な自己利益の追求をやめる必要があることははっきりしている。2008年にアメリカ大統領候補に選ばれた共和党のジョン・マケインでさえ、選挙演説の中で「ウォール街の強欲」をたびたび非難した。スミスはこうした傾向を認識しており、利益を追い求めて過剰なリスクを仕掛ける連中を「浪費家と謀略家」と名付けた。

 ちなみにこの呼称は、最近のクレジット・スワップやサブプライムローンを仕組んだ手合いの多くにじつによく当てはまる。スミスが使った謀略家(projector)という言葉は、本来の「計画立案者」という意味ではなく、1616年頃から一般的だった軽蔑的な意味合いで使われており、ザ・ショーター・オックスフォード英語辞典によると「バブル会社の仕掛人、投機家、詐欺師」といった意味がある。

 『国富論』より50年早い1726年に出版されたジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』には「謀略家」の姿が辛辣に描かれており、スミスが念頭においていたものにごく近い。規制がいっさいない市場経済に完全に依存するなら、スミスの悲惨な予想を的中させることになろう。スミスは「国内の資本のうちかなりの部分」が「利益を生む有利な用途に使うとみられる人には貸し出されなくなり、浪費し破壊する可能性がとくに高い人に貸し出されることになる」と書いているのである。

 規制のない市場経済に対するスミスの批判は、さっそく反論を受けた。ジェレミー・ベンサムが1787年3月に長い手紙を書き、市場は放っておくべきだとスミスを叱ったことは、歴史としてなかなか興味深い出来事である。

 手っ取り早く儲けようとあれこれ画策する「謀略家」とスミスが決めつけた手合いは、変革と進歩を担う革新者であり先駆者だとベンサムは主張した。スミスは批判に上機嫌に応じている。謀略家と革新者のちがいぐらいスミスもよくわきまえており、ベンサムの期待もむなしく、規制の必要性に関する自分の主張を修正しようと考えた形跡は見当たらない。

 一国の金融安定性がどういうものかを理解するには、ぜひともスミスの次の主張に注意を払わねばならない。ちなみにこれは、昨今の経済危機にも直接当てはまる。

 「ある国の国民がある銀行家の資産状態、誠実さ、慎重さを信頼していて、その人の約束手形ならいつ提示してもただちに支払ってもらえると信じていれば、そうした手形はいつでも金貨や銀貨と交換できるとの信頼感から、金貨や銀貨と変わらないほど通用するようになる」(『国富論』より)

 このような信頼はもともと存在するわけではないし、放っておいて維持されるわけでもないとスミスは主張する。相互に信頼する土壌は、耕し育てなければならない。多くの経済書で金科玉条のごとく奉られている肉屋・酒屋・パン屋の一節の信奉者は、最近の経済危機をどう理解すべきか、途方に暮れていることだろう(儲けを手にする機会)が激減した危機のさなかでさえ、人々はなお取引を探し求める立派な理由を持っていたのだから)。だが相互の信頼関係が崩壊し不信がはびこったときの悲惨な結末は、スミスにとってすこしも驚きではなかったはずだ。

市場と他の制度の必要性

 スミスをいわゆる純粋な資本主義の擁護者とみなす試みがさかんに行われてきた。純粋な資本主義とは、利益追求の動機のみに導かれた市場メカニズムに全面的に依存する資本主義である。だがこうした試みは完全に誤りだ。スミスは「資本主義」という言葉を使ったこともない(実際に一例も発見できなかった)。

 さらに重要なのは、利益のみに基づく市場メカニズムを礼賛するつもりもなければ、市場以外の経済制度の重要性に異論を唱えてもいないことである。スミスは適切に機能する市場経済の必要性を認識してはいたが、それで十分だとは考えていなかった。

 市場経済のおぞましい「作為」を巡る多くの誤解に対してスミスは強く反論したが、だからといって市場経済が重大な「不作為」を伴うことはけっして否定していない。たしかにスミスは、<市場を除外する>介入には反対した。だが、市場では解決できない重大事の場合に、<市場を含めた>介入をすることには反対していないのである。

 スミスは、政治経済学には「2つの明確な目的」があるとし、「第1は、国民に収入または生活必需品を豊富に提供すること、もっと適切に表現するなら、国民がみずからの力で収入と生活必需品を豊富に確保できるようにすることである。第2は、国が公共サービスを提供するのに必要な歳入を確保できるようにすることである」と述べている。

 そして無料の教育、貧民の救済などを公共サービスとして支持すると同時に、支援を受ける貧困者には、当時の懲罰的な救貧法が認める以上の自由を与えるよう求めている。スミスは、適切に機能する市場システムの構成要素と責任(たとえば信用と説明責任)に注意を払ったが、しかしそれ以上に、仮に市場経済が成功してもなお根絶できない不平等と貧困を深く懸念していた。このため、市場を制限する規制を設けてでも、貧困者と社会的弱者のための介入を行う重要性を認めていたのである。

 そして、ときには誤解の余地のないような単刀直入な物言いをした。「このため、労働者の利益になる規定はつねに公正なものだが、雇い主の利益になる規定はそうとはかぎらない」。スミスは多様な制度構造の支持者であり、理論としても現実の到達目標としても、利益追求動機を超える社会的価値の信奉者だった。

倫理、徳、結果

 このあたりで、『道徳感情論』とスミスの経済分析の関連性から、倫理学および政治哲学における同書の重要性に目を向けることにしたい。

 スミスは、物事が実際にどのように作用するかに興味を持ち続け、とるべき行動やルールを提言する際には、それがどのような世界を出現させるかということに、とくに注意を払っていた。また徳とは何かを検討するにあたっては、最終的に起きたことだけでなく、行動自体の性質やその背後にある動機が重要であることも認識していた。

 現にスミスが行った広範な倫理的評価では、実際に起きたことと、そうした結果を得るためにとられた行動の両方について徳を論じている。つまり、功利主義的倫理観(最終的にもたらされる功利性のみに直接的な意味があるとする)をはじめとする実践理性説によって広まった単純な「結果主義」の枠組みから、大きくはみ出していた。

 私たちは「最高点」での結果にだけ注意を向けるのではなく、なされた行動と、その行動を導いた意思決定の倫理性の両方に注意を払うべきである。なぜなら、どちらも「実際に起きたこと」の一部を成すからだ。スミスは徳と義務のみならず、この世界で現実に起きていることにも同時に関心を抱いており、それらはスミスの中で無理なく統合されていたと言えよう。

 スミスの徳の概念では、称賛と「称賛に値すること」との間に重要な区別を設け、行動の正当な根拠として後者に注目している。言うまでもなく、称賛に値する行動が現実に称賛を獲得することは多いし、それは誉められた当人にとって喜ばしいことであるだろう。だがスミスが言いたかったのは、たとえ称賛そのものが当人に満足をもたらすとしても、どうすれば称賛が得られるかではなく、その行動が称賛に値するかどうかをよく考えなさい、ということだった。

 スミスは「徳の本質に関する説明」を取り上げて、3つの見方を区別している。第1は「適切さ」、第2は「自分の利益と幸福」、第3は「他人の幸福」を基準とする見方である。しかしこの3つは統合することが可能だとスミスは説く。そして、論理的思考によってこれらを統合し、徳と称賛に値することとのバランスを実現することについて、次のように論じた。

 「したがって、正邪に関する最も確実な判断が原則や観念に縛られ、その原則や観念は理性が帰納によって導き出したのだとすれば、徳が理性に従うことにあると考えるのは、まことに適切と言えよう。この限りにおいて、理性は是認の可否の判断の源泉であり原動力であるとみなすことができる」」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/book/20140422/263337/?P=1

「道徳感情論」スミス経済学の正確な理解のために (1) /アマルティア・セン

2015-07-25 14:30:46 | 
「アダム・スミスの最初の著作である『道徳感情論』は、1759年初めに刊行された。当時グラスゴー大学の若手教授だったスミスは、自分のいささか過激な講義を土台に組み立てられた同書が世間にどう受け取られるか、もっともな不安を抱いていた。

 1759年4月12日、スミスはロンドンにいる友人のデービッド・ヒュームに売れ行きはどうかと訊ねている。ヒュームに脅されて「最悪の事態」を覚悟していたのだとしたら、スミスは「憂鬱なニュース」を受け取ったと言えよう。というのもヒュームが言うには、意外にも「世間は大いに褒めそやしているよう」であり、「のぼせた人々は待ち切れない様子で本を求め、知識階級は早くも声高に賛辞を述べているようだ」というのだから。

 同書の成功の先触れとなったこのうれしい知らせに続いて、すぐさま本格的な高い評価が寄せられる。かくして世界の知の歴史において真に卓越した著作の一つである『道徳感情論』は、出版後ただちに大成功を収めたのだった。

 この序文では、この注目すべき著作が250年を経てなお失っていない今日性をとくに取り上げることにしたい。スミスによる研究と分析は、世界に、とりわけ経済学にすでに多大な影響をもたらしてはいるが、なお学ぶべきことが少なくない。

 『道徳感情論』は当初大成功を収めたものの、19世紀の初め頃から言わば日陰の存在に後退してしまい、スミスは経済をテーマとして1776年に発表した第二の著作『国の豊かさの本質と原因についての研究』(『国富論』)の著者としてのみ知られるようになった。19世紀から20世紀にかけて長らく『道徳感情論』がなおざりにされたことは、2つの不幸な影響をもたらしている。

 第一に、スミスは倫理学における中立性と普遍性について多くの意味で先駆的な分析を成し遂げたにもかかわらず(『道徳感情論』はイマヌエル・カントの著名な論文群に先行する。この方面ではカントの方が影響力は大きいが、そのカントはスミスをひんぱんに参照している)、現代の倫理学と哲学分野でほぼ全面的に無視されてきた。

 第二に、『国富論』で提出された考え方は、『道徳感情論』ですでに練り上げられた思想の枠組みを顧慮せずに解釈されてきた(しかし『国富論』は『道徳感情論』から多くの題材を得ている)。このような解釈の仕方のために『国富論』の理解は一般に狭い範囲にとどまり、経済学にとってマイナスとなっている。

 とりわけ問題なのは、合理性の要求、動機の多様性の認識、倫理学と経済学の関連性を評価検討する際にも、また経済の機能において、広くは制度、狭くは自由市場が独立して存在するのではなく共依存していることを理解するうえでも、『道徳感情論』が無視されてきたことである。

『道徳感情論』と『国富論』

 スミスのこの2つの著作は関連づけられるだけでなく、そこに提出された考え方には通底するものがある。スミスは1751年にグラスゴー大学の論理学教授になったが、翌年には道徳哲学の教授に就任し、1764年までその任にあった。

 スミスの講義にはのちに『道徳感情論』の材料となるものが含まれていたほか、学生の一人だったジョン・ミラー(後年グラスゴー大学の法学教授になった)が書き留めたノートによれば、四部から構成された講義の最後の部分には、「のちに『国の豊かさの本質と原因についての研究』(『国富論』)というタイトルで出版されることになる研究の骨子が含まれていた」という。2作が広い意味で相互補完的であったことを考えると、多くのスミス研究者が両者を個別に扱ってきたことに驚かざるを得ない。

 「アダム・スミス問題」と呼ばれてきた問題に関して大量の書物が書かれているが、それらに共通するのは、2作におけるスミスの主張には不一致があるという奇妙な思い込みである。

 『道徳感情論』では「行動の動機を共感に帰す」のに対し、『国富論』では「自己の利益に基づく」とされているというのだ。そして「スミスは『国富論』を書くときになぜ以前のアプローチを捨て去ったのか」という質問がひんぱんに提起されている。

 だがスミスは、『道徳感情論』に著した見方を一度も放棄したことはない。それどころか『国富論』を書き始めてからもその見方を推し進め、多くの説明を追加している。

 『道徳感情論』は、初版が1759年に刊行された後、第二版が61年、第三版が67年、第四版が74年に出された。そして『国富論』の刊行から5年後に第五版が、大幅に加筆された第六版が最終版として1790年に出版されている。同年にスミスが亡くなる直前のことだった。

 その結果、じつに興味深いことに、スミスの最初の著作は、大幅に加筆された第六版として最後の著作となった。『国富論』は両者の間に挿(はさ)まれているのである。実際、スミスは『道徳感情論』第六版の序文で、「法と統治の原則について、またそれらが社会のさまざまな時代や時期に被ってきた変化について解説する」という従前の版での約束を再び取り上げ、『国富論』によって「この約束の一部は果たした」と述べている。

 どちらの本でもスミスが論じたのは、人間に働くさまざまな動機である。そこには共感や利己心のほか、人間を突き動かす他のさまざまな要因が含まれていた。ある一つのこと、たとえば人々が交換をしたがる理由の説明では利己心が大きな意味を持つとしても、別の種類のこと、たとえば職場の規律に従うとか、適切な規則を守り他人を名誉と敬意をもって扱うといったことの説明には、他の動機が重要になってくる。ある種の経済現象の説明で利己心が大きな役割を果たすとしても、けっして他の経済現象の理解において他の動機の重要性が減じるわけではない。

共感と利己心

 スミスが「人間の大半を支配するのは自己の利益だ」と考えていたと前提することは、経済学において一つの根強い伝統と言える。たとえば著名な経済学者ジョージ・スティーグラーはそう主張し、「スミスの系譜」に連なった。きわめて多くの経済学者が、のちに「合理的選択理論」と呼ばれるようになった理論にすっかり夢中になったし、一部の学者はいまもそうだ。

 この理論では、合理的であるとは自己の利益を賢く追求することだとする。さらに現代の経済学におけるこの流行に続いて、合理的選択理論を奉じるいわゆる「法と経済学」の専門家や政治学者の一世代がそっくり、この狭い学問の実践に嬉々として取り組んだ。彼らは単純化された人間合理的仮説に依拠し、その後ろ盾としてスミスを引用した。

 スミスは人間が利己心と合理性に支配されると考えていたという見方は根強く、文学作品の中にもこうした見方が登場する。職業的な経済学者であると同時にすぐれた文筆家でもあったスティーブン・リーコックの滑稽詩には、次のように書かれている。

  アダム、アダム、アダム・スミス、
  おいらの言い分よく聞きな!
  あんたはたしかに言っただろ、
  ある日あるとき教室で、
  我が身大事は報われるってね?
  いろいろ教わりゃしたけれど、あれが断然イチバンさ、
  そうじゃないかい、スミスさん?

だが実際には『道徳感情論』は次の一文から始まる。

 「人間というものをどれほど利己的とみなすとしても、なおその生まれ持った性質の中には他の人のことを心に懸けずにはいられない何らかの働きがあり、他人の幸福を目にする快さ以外に何も得るものがなくとも、その人たちの幸福を自分にとってなくてはならないと感じさせる。他人の不幸を目にしたり、状況を生々しく聞き知ったりしたときに感じる憐憫や同情も、同じ種類のものである。他人が悲しんでいるとこちらもつい悲しくなるのは、じつにあたりまえのことだから、例を挙げて説明するまでもあるまい。悲しみは、人間に生来備わっている他の情念同様、けっして気高い人や情け深い人だけが抱くものではない。こうした人たちはとりわけ鋭く感じとるのかもしれないが、社会の掟をことごとく犯すような極悪人であっても、悲しみとまったく無縁ということはない。」

 人間は、あるいは卑賤に生まれつき、あるいはさしたることも成し遂げない。だがスミスはあきらかに、そうした卑小なことに焦点を合わせていた。

 市場における経済的交換の動機を説明するにあたり、自己利益の追求以外のいかなる目的も抱く必要はないとスミスが論じたことはよく知られている。『国富論』からひんぱんに引用されるあの有名な一節には、こう書かれている。

 「われわれが食事ができるのは、肉屋や酒屋やパン屋の主人が博愛心を発揮するからではなく、彼らが自分の利益を追求するからである。人は相手の善意に訴えるのではなく、利己心に訴えるのである」。自己利益の追求すなわち利己心(スミスはこの言葉にけっして称賛を込めていたわけではない)の教祖としてスミスを解釈する伝統においては、その著作は残念ながらどうやらこの数行しか読まれていなかったらしい。

 しかしこの部分はきわめて限られた問題、すなわち分配や生産ではなく交換に限られており、その中でも、通常の交換を維持可能にする当事者間の信用や信頼ではなく、交換を促す動機に限られているのである。他の箇所や他の著作では、人間の行動やふるまいに影響をおよぼすこれ以外の動機の役割が広範に論じられている。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/book/20140418/263096/

お薦めの二冊 『先進国・韓国の憂鬱』『日清・日露戦争をどう見るか』

2014-12-22 18:25:00 | 
 次の二冊がお勧めです。

 まずは原朗著。『日清・日露戦争をどう見るか-近代日本と朝鮮半島・中国』NHK出版から出たばかりで、780円です。
 (http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%B8%85%E3%83%BB%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E3%81%A9%E3%81%86%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%81%8B%E2%80%95%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%83%BB%E4%B8%AD%E5%9B%BD-NHK%E5%87%BA%E7%89%88%E6%96%B0%E6%9B%B8-444-%E5%8E%9F-%E6%9C%97/dp/4140884444)

 著者は日本経済史、特に戦時経済史の専門家であり、近現代日本経済史に関して「大家」というほかない先生です。

 寡作で著作のほとんどが-というよりすべてが-専門の研究書か、専門家向けの資料集ですが、この一冊は例外です。

 近代日本史を戦争を軸に再検討し、戦争がどのように近代日本の社会・経済、人々の意識を形作ってきたかを描いています。

 巻末にあげられている参考文献リストも的確かつ膨大で、これから日本の近現代、あるいは日本とアジアの関係を勉強したい人にはお薦めの一冊です。

 次は大西裕『先進国・韓国の憂鬱』です。中公文庫、2014年刊で907円です。
 (http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52069500.html)

 巻末で、「韓国ほど、時期によって極端に評価がぶれる国も珍しい。アジア通貨危機に陥ったときは韓国はいかにダメかという論調が支配し、危機から劇的に復活するとそれが賞賛される一方で、なぜ日本が苦境から脱せないかが嘆かれた。そして2010年代に入ると日韓関係の悪化とともに韓国をあしざまに論ずるものが激増している。 このような毀誉褒貶は奇妙である。現実の韓国に、それほどの変動があるわけではない。(247p)」と述べている。

 そして日本のゆがんだ韓国像の拡散に危機感を抱いてこの本を書かれたとのことであるが、その思いは見事に実現されている。

 韓国の歴代政権の経済政策を政治構造のダイナミックな分析と関連付けながら実に見事に分析している。

 金大中、ノムヒョンといった進歩派の政権がなぜ自由主義的経済政策をとったのか、といった点についての分析は見事である。

 こちらもしっかりした文献リストがついている。

 ぜひとも一読をお勧めしたい。

お薦めの一冊-イザベラバード 『朝鮮紀行』

2014-09-10 13:22:52 | 
 嫌韓派が一部を取り上げて朝鮮を愚弄するのに利用されている本だが、実際にはそのような性格の本ではない。

 バードは日本、中国、マレーなど世界各地の旅行記を残しており、その描写は該博な知識と見識に支えられたものである。

 朝鮮に関しては、確かに当時のソウルの街路の不潔なことや、ヤンバンの腐敗などについて仮借のない記述がみられる半面、その中に息づく伝統や自然の美しさの紹介があり、また日本人や中国人と比較した朝鮮人の容貌が優れていることの描写もある。

 そして何よりに日清戦争後の日本支配の不穏な状況に関する的確な描写が秀逸である。閔妃暗殺前後の日本の傍若無人な振る舞いや、それが朝鮮の人々はもとより、列強諸国にどのような印象を与えたか、実に鋭く描き出している。

 日本政治への国際的不信感は第二次大戦によってのみ作り出されたのではなく、それ以前から長い時間を経て蓄積されたものだったのではないか、というのが私の読後感である。是非一読されたい。

『朝鮮紀行』講談社学術文庫

 又日本に関しても、『日本奥地紀行』(平凡社)を書いている。あわせて読むことをお勧めしたい。

紙屋高雪氏のアベノミクス本紹介

2013-05-15 14:02:06 | 
「アベノミクス本の紹介を続けます。


 評価の基準を再掲しておきますが、

アベノミクスの第一の矢である金融緩和について、どれくらいわかりやすく書いているのか、ということ。
次に、どういう理屈で経済が上向いていくか、そこを庶民・シロートにも説得的かつわかりやすく書いているのかどうか。反アベノミクス本の場合は、そこをどれくらい説得的に批判できているのか、ということ。
とくに、「賃金が上がらないと経済など上向かないではないか」という理屈に対して、それぞれの本がどんなふうに考えているのか。
です。


 さて、今回は小幡績『リフレはヤバい』(ディスカヴァー携書)です。

 結論からいいますと、この本が一番シロートが学ぶにはわかりやすいと思います。

 「お前が反リフレ派の左翼だからそう言ってるんだろう」と思うかもしれませんが、そうではありません。

 「反リフレ派の立場から、リフレ派のロジックを説明してやって、それでていねいに反論していく」という体裁をとっているので、初心者でもすっとわかります。リフレ派の人でここまでやさしく説明してる人はいないと思います。

 ただし、もう一冊、ある意味でもっとわかりやすく書いている本をあとで紹介します。小幡のこの本がわかりやすいか、そちらの方がわかりやすいかは、そちらの本の書評を書く時に記します。


語り口調の平易さは類書にない
 『リフレはヤバい』はこういう出だしです。


 リフレとは何でしょうか?

 それはインフレを起こす、ということです。

 インフレとは、多くのモノの値段が上がるということです。


 モノの値段が一斉に上がったら、ふつう困りませんか? コンビニでおにぎりも牛丼も、ジーンズもガソリン代も電気料金も、みんな上がってしまったら困りますよね。給料もバイト代も上がらないのに。

 ふつうの人は、みんな困ります。

 なぜ、そんなことをあえてしなければならないのでしょうか?

 よくわかりません。(小幡p.18)


 どうでしょう。すごくやさしいし、フツーの人の目線で論理が語られ出すことがよくわかると思います。ムリなく読み進められるでしょう。こういう文章はすばらしいと思います。

 インフレを起こす方法の解説は、他のアベノミクス本でもていねいに書かれています。日銀が、政府の出している国債をマーケットで買うことで、国債をたくさん持っている市中銀行などの口座(無利子の日銀当座預金)におカネがたまっていきます。このあたりの記述は、語り口がやさしいぶん、小幡の本に分がありますが、まあ他の本でもわからないわけではありません。


「おカネを刷らないの?」に対する答え
 でも、ぼくが初めにのべたように、「おカネを刷って、みんなに配る政策はしないのか?」という素朴な疑問には他のアベノミクス本はあまり答えていません。

 小幡のはその問題に答えています。203ページからの「リフレ派の妄想の現実化の恐怖」のところです。麻生政権下での政府紙幣の検討や米国のプラチナコインの鋳造の議論などを紹介した上で、この問題で「もっと真剣に荒唐無稽なストーリーを展開した経済学者」(小幡p.204)の説として、「ヘリコプターマネー」についてふれてます。

 米国FRB議長のバーナンキ、およびその元ネタたる経済学者フリードマンの議論です。


ヘリコプターマネーとは、ヘリコプターで上空からお札をばら撒く政策です。そうすれば、何ものにも邪魔されず、消費者におカネが行き渡り、消費者が拾ったおカネでモノを買うことになり、当然インフレが起きる、という議論です。(小幡p.204)


 これは、日銀の口座におカネがたまっても市中におカネが出ていかないじゃないか、という議論を意識しています。この政策は給付金を国民1人あたり20万円配る、という政策と実質的には同じですが、「人目を引くような、いや耳目を集めるようなへんてこりんな話」(小幡p.203)にすることに意味があるわけです。

 これはスジが通っています。いいか悪いか別にして、スジだけは通っています。

 当然次のような疑問が浮かびます。


 さて、なぜ、ヘリコプターマネーは語られて、給付金二〇万円は語られないのでしょうか?(小幡p.205-206)


 この思考の流れは、シロウトの思考の流れをよくふまえています。だから、小幡の書き方はものすごく上手いと思うのです。講演会や学習会でこういう話を紹介したら、会場からいかにも出てきそうな質問です。別の言い方をすれば「どうしてそれをやらないんですか?」。

 小幡は次のように答えています。



 それは現実的な話をすると、無理な話だとばれてしまうからです。

 リフレ派の人々は、自分で世の中を動かそうなどという責任感はありません。議論するのが好きなのです。知的に見えて、かつ人々をあっと言わせるような議論をして、喝采を浴びるのが好きなんです。それだけなんです。(小幡p.206)


 ぼく自身、なぜヘリコプターマネーや給付金がダメなのか、よくわかっていないのですが、仮に1人20万円とか総額を決めたとしても、政府が紙幣を印刷してバラまくと決めた段階で、日本政府は困ったらいつでもおカネを刷っちゃうらしいぞ、という噂が広がって、日本の国債の暴落とか、円の信用の失墜とかにつながっていくのだろうと思います。

 でも「財政規律が……」とかムズカシイことを小幡は言いません。「現実的な話をすると、無理な話だとばれてしまうからです」と実にスマートに書いてますよね。このあたりが、小幡のかわいいところでもあり、また手強いところでもあります。


リフレ政策の核心部分をどう説明しているか
 リフレ政策の核心部分を説明する小幡の文章も載せておきます。


 しかし、インフレターゲットを設定して、インフレ率を二%にすることを目標にする、そのために、国債を買いまくる、と日銀が宣言したところで、どうしてインフレが起きるのだろう。そう思われた方は鋭いです。私も同じ意見です。

 そこで、第三の手段が出てきます。それは「期待に働きかける」というものです。

 つまり、「インフレ期待を起こす」ということです。インフレそのものは直接には起こせないので、代わりに「インフレ期待という期待」を起こす。人間の気持ちを動かす。これがリフレ派の主張する“決め手”です。(小幡p.38)


 この文章は、日銀がいっぱい国債を買って銀行におカネがつみあがっても、それを企業が借りていかないとおカネは市中に出回らないではないかという批判を書いたうえで、その批判に反論しようとするリフレ派の気持ちを代弁した一文です。

 「おカネは市中に出回らないではないか」批判は、リフレ派がかなり意識しているもので、リフレ派の本を読むとそこに反論するのに苦労しているのがわかります。そして、究極的にはここで小幡が紹介していることが結論になります。つまり、インフレの期待(予想)をみんなが持つようになることが大事なんだ、という主張です。小幡は皮肉として、「インフレそのものは直接には起こせないので、代わりに」という一文をつけています。

 そのうえで、小幡は、インフレ期待がつくられたら、どんなふうにモノが売れていくのかを次のように書いています。


 インフレが起きるという期待が形成された時点で、人々の行動、投資行動も消費行動も変わります。インフレが将来起きる前提で、投資をすることになります。

 たとえば、インフレになるのだから、名目の価格が上がりますから、製品の売上高は単価が上がるのだから、将来増えます。今借金の契約をすれば、借金の名目額と、名目の金利は、今の水準に決まります。今の水準が、インフレを織り込んでないとすると、低い金利のままですから、今直ちに契約しておくのが得だ、ということになります。

 住宅ローンだったら、金利が上がる前に、今契約してしまえ。家も今買ってしまえ。現金を持っているのは損だ。インフレで目減りする。それなら、今のうちに家はもちろん、ありとあらゆるモノを買っておけ、ということになります。(小幡p.32)


 わかりやすいですね。

 疑問の余地がありません。

 シロートは時間の経過にそって、具体的にしか考えることができません。そのあたりを実にていねいに書いています。しかもこれはリフレ派の文章ではなく、反リフレ派の人が書いているのですから、すごいと思います。


インフレの6つのメリット
 本書の白眉だと思えるのは、「リフレ派が主張するインフレの六つのメリット」を書いているところです。要約すると、

お金を貸している人から借りている人への所得移転
預金者から銀行への所得移転
日銀からの贈り物
賃金が下げられる
駆け込み需要を促す
デフレスパイラルを防止する
 見方を変えると、資本*1にとってデフレよりもインフレの方が親和的であるということを言っているんだろうと思います。小幡はこれをきちんとリフレ派の気持ちにたって説明したあと、自分の言葉で批判を加えています。

 賃金のところだけご紹介しましょう。


 バイトに限らず、一般的に、労働組合があることなどから、賃金の額面を引き下げるのは現実には難しい。しかし、企業の競争力が低下し、他の国の工場で安い賃金で労働者を雇って生産を拡大し始めたとき、これに対抗するのに賃金を引き下げないといけない状況に直面したとします。

 もし賃金の引き下げができれば、工場の賃金コストが下がり、町にあふれていた失業者たちをこの工場で雇うことができるかもしれません。

 このような状況では、賃金の額面額、つまり時給八〇〇円などといった名目賃金を引き下げられなくとも、インフレ率が上昇することにより、実質的な賃金の引き下げができます。つまり、賃金以外のモノの値段が上昇すれば、実質的に賃金が下がったのと同じことになるのです。企業の製品の販売価格が上がるわけですから、企業の利益も大きくなります。すると、企業はもっと雇うことができます。(小幡p.130~131)



 これは、経済学の世界においても、最も重要なインフレのメリットと考えられています。一九三〇年代の大恐慌のときにケインズが主張した政策の流れを受けているものです。このとき生まれたケインズの一般理論に含まれる雇用理論で提唱され、その後の多くの経済学者たちが主張した「名目賃金の下方硬直性」です。(小幡p.129)


 小幡の反論は次のとおりです。


 この議論は古いのです。〔……〕実際に、雇用の過剰、賃金コストの高さ、という問題は、二一世紀に入ってほぼ解決し、団塊世代の退職を経て、ほぼ終わっているのです。

 むしろ、若年層の給与所得の低下、非正規雇用、および若年雇用を酷使するブラック企業という新しい企業群の存在、これらが大きな問題となっています。したがって、現在の問題は賃金の実質的な下落を可能にすることではないので、このメリットも重要ではないのです。(小幡p.142)


 どうです。これもわかりやすいと思いませんか。

 反論の方は、ひいき目が働くのでアレですが、賃金が実質的に下がっていく効果についてわかりやすく説明されていると思います。



小幡の本の難点
 小幡の本の難点は、過去の円安のシナリオを検証している部分が一つ。これは初学者には難しいんですね。結論だけ知りたい人は、ここを飛ばして読んでもいいと思います。

 もう一つは、国債の暴落の危険を論じているところです。

 国債が暴落するかどうかは、その可能性があることはありますが、それ一点張りになると(いや、小幡は「一点張り」ではないのですが)、「オオカミがきた」みたいにとらえられてしまいます。そのあたりは「理論的にはそういう危険性もあるのだな」と押さえておくくらいでいいんじゃないかと思います。


 リフレの代わりに何をするか、という対案も説得力が弱いと思います。

 小幡は結局、円安にして外国とコスト競争するような考えは古いというわけですが、じゃあその代わりにどうするのかということになると、人的資本の充実だとしています。でも、こういう働き方ができるのはおそらく一部の人だけで、一国全体を牽引していくにはどうしたらいいかはもっと考えないといけないことがあると思います。


 まあ、でもそのことを論じるには、分量が少なすぎると思います。

 とにかく、わかりやすくアベノミクス、というかリフレを理解するには、ぼくが読んだなかではこれほどの本はありませんでした。リフレ政策に賛成反対か別にして、考え方をまず知るにはこの本はとてもいいと思います。リフレ派はもうちょっと目線を低くしてこの小幡本に学んだ方がいいでしょう。


 ところで、こういう本の紹介をしていると、とりわけアベノミクス礼賛派の方々がむきになって批判してこられます。コメントされるのはご自由ですが、わかりやすいかどうかを見ているだけなので、ひとつ冷静に。

*1:「資本家」という意味です。 」

http://blogos.com/article/62351/?axis=b:365

推薦  シュロモー・サンド著『ユダヤ人の起源』

2011-02-14 12:59:08 | 
 何かと問題の多い中東について勉強するとき、例えばユダヤ人の歴史を学ぼうとで本屋で本を手に取ると、聖書の記述どおりにユダヤ人の歴史が描かれていたりする。

 今時日本書紀などをそのまま下敷きにして歴史を書いたら噴飯ものだと思うのだが、ユダヤ人の歴史関してはそういうものが出ている。

 あるいは考古学的知見に基づいたユダヤ人やその周辺諸民族の歴史といったものもあまり見当たらない。そもそもユダヤ人はエジプトやバビロニア、ペルシア、あるいはローマといった大国のもとにいたのだから、そういった国の記録の中に出ているはずと思うのである。

 またユダヤ人が今のパレスチナの地に国を持つ権利があるとする理屈もよくわからない。第一に神殿崩壊後2000年間世界に離散したユダヤ人は、血統的にすべてつながっている、という主張であるが、本当なのか。

 第二に、だからといってなぜ現実の世界の中で、今そこに何百年も生活する人たちを押しのけて、自分たちが割り込む権利にそれがなるのか…ということである。

 このような次々浮かんでる疑問を大いに解消してくれるのが、昨年の3月に武田ランダムハウスジャパンから刊行されたシュロモー・サンドの『ユダヤ人の起源』である。

 著者はオーストリア生まれ、イスラエル育ちのユダヤ人で、現在テルアビブ大学の教員である。

 著者は18世紀から19世紀、そして20世紀の西ヨーロッパ-中でも―ドイツ―で国民国家、国民意識が形成される中で、ユダヤ人に関するそれまで存在しなかったとらえ方が生まれていったことを示し、それがシオニズム運動として現在のイスラエルの公式的なユダヤ間につながることを示してくれる。

 またハザール王国やマグレブ諸国の改宗ユダヤ教徒など、血統は異なるユダヤ教徒・ユダヤ人が歴史上数多く存在したこと、そしてその影響が無視しえないことを示している。

 中東を緊張の地にしてきた今日のユダヤイデオロギーの源流をたどる上で書くことのできない一冊である。